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peacefulさんのグリザイアの迷宮 -LE LABYRINTHE DE LA GRISAIA-の長文感想

ユーザー
peaceful
ゲーム
グリザイアの迷宮 -LE LABYRINTHE DE LA GRISAIA-
ブランド
FrontWing
得点
91
参照数
1525

一言コメント

なぜ悲劇の主人公に、人はこうも惹き付けられるのか? そんな漠然とした疑問を、時間を忘れて考えてみました

長文感想

主人公である風見雄二の壮絶な過去に目を奪われ、時間を忘れるほど熱中しました。
続きが気になるラストも良い締め括りです。

さて、本作の感想を端的に綴りましたが、私は先日懐かしさも相まってグリザイアシリーズを再プレイしました。
迷宮に関していえば、都合3週目くらいでしょうか。
救われたヒロイン√はまだしも、雄二の過去篇であるカプリスの繭は悲惨な内容が含まれます。
なので、人によっては何度も読みたいと思えるものでは無いのでしょうが、
不思議と私は悲劇の主人公を好み、それに傾倒してしまう傾向があるようです。
悲劇の主人公に人が惹き付けられてしまう理由。
今回はそんな根源的なものに想いを馳せた感想、もとい自己考察を書き綴ろうと思います。


【この続きをお読みになる上で注意点】
・他作品である「暁の護衛」「穢翼のユースティア」「Phantom-PHANTOM OF INFERNO-」のネタバレが若干含みます。
・書きたいことを書いているだけなので、文章に整合性が見受けられないかもしれません。

以上を加味した上でお読み下さい。




私は悲劇を好みます。
特に主人公が悲惨な過去を背負って生きる物語を至上としています。
ですが、私以外にも多くの方がそれを好むようです。
でなければ、世にこれだけの悲劇的物語は生まれていませんから。
一つ例を挙げるなら、「悲劇のヒロイン」という言葉をよく耳にする事があると思います。
彼女たちに共通して言えることは、総じて不幸である事。
その物語は、不治の病や青天の霹靂による突発的な人生の陥落といった、悲劇的結末へと進んでゆく。
ですがその不幸を乗り越え、転じて希望を見出す道筋も用意されているのが話の常です。
それは物語として欠かせない要素であり、我々第三者も白馬の王子の到来を今か今かと待ちわびます。
なぜなら悲しい目にあったなら、救われなければならないという理論にも近い本能を、人間は呼び起こすためです。
そして最後にはHAPPY ENDを迎える事で、悲劇の後には必ず幸せが待っている事を、
それがあたかも世の真理であるとして、人々に信じさせる事に成功している。
これが物語の王道と呼べるものと云えるでしょう。
しかし、ここで一つ疑問を提示します。
なぜ私たちは、物語に悲劇をわざわざ持ち込みたがるのでしょうか?
幸せのみの物語では、なぜいけないのでしょうか?
それは、私たち人間の本質が悲劇を好むように出来ているためだと、私は仮説を立てます。

その考えに至った理由は幾つか存在します。
一つは、日常では体験できない刺激を、物語に投影し共感することで求めるため。
或いは、無意識に生得的な情報を共有し、経験と知識を補完するため。
はたまた、現実からの乖離を行い、精神の淀みを発散し、自我の安定を保つため。
といったものが主な理由になります。

ですが、これらの考えはあくまで私個人の考えであり、非常に説得力に欠けると思います。
本来であれば、この場で非常に高尚な方、例えば悲劇の定理の第一人者である、
ギリシャの哲学家アリストテレスの論文を元に、人類が悲劇を求める理を1から10まで論じるのが筋なのでしょう。
しかし、この場はあくまでエロゲー批評空間。
そうした真っ当な解釈をお求めの方は、大学の講義か彼の書物『詩学』をご覧になって下さい。
そのような事情により、僭越ですが私の思案で話を進めさせて頂きます。

話を戻しますが、今回の議題は「なぜ悲劇の主人公に、人はこうも惹き付けられるのか?」です。
先ほどあれこれと述べた理由は、あくまで漠然とした悲劇の概念を思考した理由付けであり、
私自身それに当てはまるかと問われたら、素直に頷けない自分が居ます。
絶対的な回答など望めるはずもなければ、この場で哲学的考察をしたいわけでもありません。
あくまで私の心の内にある疑問を、納得するに足る答えを自己の内で見つけたいと考えています。
そこで今度は、悲劇の主人公を世に輩出した作品を提示し、そこから得た感情を元に結論を導いていこうと思います。

エロゲーで見ると、本作「グリザイア」の他に、「暁の護衛」「穢翼のユースティア」「Phantom」が似た傾向を示しています。
どの作品も多くの方が高い評価をつけた名作です。
そしてこの背景にあるのが、主人公が悲惨で凄惨な過去を経験している点。
この事が作品の高評価にそのまま直結している訳ではありませんが、悲劇的要素が物語の重要な要素であることは否定できません。
そうした意味で、改めて彼らの簡単な生い立ちを綴ろうと思います。


【暁の護衛】朝霧海斗
主人公である朝霧海斗は無法地帯で暴力が渦巻く禁止区域出身。
幼少の頃から父親の朝霧雅樹に、禁止区域で生き残るための様々な拷問虐待じみた訓練を受ける。
ある時、女を犯す訓練をこなすことができないために、ホモ連中にパン一つで父親に売られる。
その後の体験から、殺人・レイプ等ありとあらゆる犯罪行為に手をかける。
この地獄の様な地で生き残るため、彼は一切の嫌悪感と迷いを失くし、超然とした精神を得た。
そして、彼が禁止区域を出た先に、己の新たな自己の一面を形成する。


【穢翼のユースティア】カイム・アストレア
浮遊する人類最後の都市ノーヴァス・アイテル。
主人公であるカイムは、大崩落という大規模災害によって全てを失い、最下層である牢獄で生きることを余儀なくされる。
幼少期に男娼として働かされることを拒否したカイムは、牢獄を取り仕切る「不触金鎖」の先代頭に見込まれ、暗殺者の道を行く。
以来、牢獄の泥の中で刃を振るい、己の為に他者の命を糧としてきた。
先代の死により、暗殺者の仕事から手を引いた後、一人の少女ティアと出会うことで物語は動き始める。


【Phantom-PHANTOM OF INFERNO】吾妻玲二
主人公である吾妻玲事二は、アメリカの一人旅中に暗殺現場に居合わせてしまい、犯罪組織「インフェルノ」に拘束された。
口封じに殺されそうになるも、暗殺者の素質を見出される。
その後、自身の名前と記憶を奪われ、暗殺者「ツヴァイ」として生きざるを得なくなった青年。
彼と同じ境遇にある少女アインに暗殺者となるべく過酷な訓練を受け、見事に才能を開花。
アメリカ裏社会でファントムとして畏れられる存在に成長する。
負の感情を力に変え、それでいて理性でそれを押さえつける。
罪を背負い救済を拒むものの、その在り方に悩み、そしてまた殺す。
だが、いつしか生きる理由を愛した女性に求めてしまう。


【グリザイア】風見雄二
ご覧になる方は、おそらく既に周知の事実と思われるので、彼の詳細な過去は省かせていただきます。
(未プレイの方は申し訳ありませんが、ネタバレ防止です)



これらの作品に触れた思いを邂逅して、改めて気づかされる感情があります。
それは、私が彼ら主人公に深く理解し共感する事ができる事です。
当たり前と言えばそれまでですが、主人公はその物語の中心であり、私たち読み手と共に、その世界を進める視点を共有した分身です。
主人公を理解できない物語ほど、難解な話はありません。
そのため、良作で多くの人に認められる作品ほど、主人公の行動や思想に自己を投影して没入しがちになります。
理解し共感できるからこそ、彼らの悲惨な過去も認めてあげる事ができるのです。

ある種の羨望に近い偶像なのでしょう。
私たちは主人公の気持ちなって、彼らの感情を理解した気になっても、本当の苦しみなど分かるはずもありません。
あくまで想像の範囲を出ることはなく、空虚な視点で傍観して、彼らの感情の慟哭を慮るしか許されない。
苦悩や悲哀に侵される姿に、どうか幸せになって欲しいという、掛け値なしの祈りを抱かずにはいられないのです。

ですが物話は悲劇だけではありません。
その後に続く彼ら主人公の生き様を、私たちに魅せてくれます。
悲劇を乗り越えて、そして成長する姿に心打たれた方は多いはず。
彼らは共通して加害者であり、被害者です。
どうしようもない理不尽に晒されながらも、最後まで折れない心。
身体に一本のぶれない芯が通った、人間味あふれる魅力を備えている。
たとえ許されない罪を背負っていても、彼らなら許せてしまう。
そんな不思議な魅力が、悲劇を発端して形成されている。

つまり、「なぜ悲劇の主人公に、人がこうも惹き付けられるのか?」
その議題に、私の結論を云うならば、

・悲劇から転じる流れが、主人公の成長と人間味を与える重要なファクターとして機能し、善悪を超えた魅力を抱かせるため。

そして、「私たち人間の本質が悲劇を好むように出来ているため」
の仮設の根拠が、

・悲壮な過去から最後に幸福へと続くシナリオを組むことで、強力な感情の起伏によるカタルシスを得られるため。


以上が、私が提示した問いの結論になります。
普段何気ない感情の発露を、自分の奥底で想いを馳せる事で明確にするのは、得てして自己発見と洞察力が養われる作業かも知れません。
勿論、全員がこれに当てはまる訳ではありませんが、私の意見がその疑問の手助けになってくれたら幸いです。
ちなみに、こうした自己考察じみた感想を書いた経緯としましては、
既に多くのユーザーの方が迷宮の感想を述べているので、一人ぐらい変な感想もあっていいんじゃないかと思い、筆を執ってみました。
話は戻りますが、悲劇とは本来、人間の生と死の意味を正面から取り扱うものと言われています。
死への関心が高まる一方で、生への渇望が薄らいでいる世の中が、悲劇的物語を望む助長になっているかもしれません。
改めて、人間の業の本質は、罪深くできていると、私を含めて言わざるをえません。
そうした上で、せめて悲劇を経験した風見雄二、朝霧海斗、カイム・アストレア、吾妻玲二、
その他過酷な過去を持った主人公・ヒロインが、幸福への道へと至ることを切に願います。