神作という評価は疑いようがない。ただしある結末には本気で怒りを覚えた
【警告】
ここから先は未プレイの方にとって深刻なネタバレが書かれています。
それを了承した方以外の御読了はお控え下さい。
こちらからの責任は一切負いませんので。
「この世に偶然なんてない。あるのは必然だけ」(『XXXホリック』より壱原侑子のセリフ)
この言葉が本作品の本質をよく表現していると思い、引用させてもらった。
示す通り、事象が起こるのは何らかの必然性が絡むことで世界は構築されていくという意味。
クリスを中心にした原因と結果の因果関係は複雑に絡み合いながらも、見返りを求めない無償の愛が彼を世界に結び付けている物語であった。
さて、登場人物たちの隠された心理描写に触れながら、雨の街を歩んでいくには語るべき事柄が多過ぎる。
そのため今回はクリスとトルタ、そしてフォーニに絞りながら簡潔にまとめていきたい。
「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」(ガイウス・ユリウス・カエサルの名言)
本来の意味とは異なるが、クリスに対してはこの言葉がしっくりくる。
心の防衛機能が働いたことによる、ある種の逃避行動が引き起こしたと思われる雨の街。
彼の世界は他者と隔絶されて、現実を見ずに受け止めようとしない。
おそらくそうしなければ、彼の心が壊れてしまうから。
深い悲しみが雨を降らしているかのような心象風景は、あたかも彼が望んだ現実といえるだろう。
だがその大きな感情の流れが、彼の音の魅力に繋がっているのは何とも皮肉が効いている。
純真であり繊細な彼の心は、交わった彼女たちと関係を深め合うことで、奏でる旋律と共に成長してゆく。
もしクリスが演奏会前に一度でも故郷に帰ったならば、果たして彼の雨が止むのかは議論の分かれるところ。
彼の心の状態が関わっていることは明白であるが、それがピオ―ヴァの街限定であるのも否定できない。
しかし私としては、彼女達との関わりがクリスの心を癒して、深い悲しみ以上の感情の発露によって雨を上がらせたと信じたい。
「愛とは相手に変わることを要求せず、相手をありのままに受け入れることだ」(ディエゴ・ファブリの名言)
トルタの愛情の形は相手に押し付けることでなく、受け入れて支えることに思える。
彼女の行動指針の全てはクリスの為であり、真実を隠し続ける為に、偽りの笑顔、偽りの姿、偽りの自分で覆ってしまった。
嘘で塗り固められた仮面を被ってでもクリスの心の平穏を保とうとした苦悩と揺れる葛藤は、読み進めるごとに重みを増していく。
そこにどれだけの想いが込められているのは、私たちは想像でしか賄えないし、分かち合う事はたとえ本作のライターでさえ不可能だろう。
だけどその裏でたった一つだけ真実といえるものがある。
それはクリスを心から愛しているということ。
その想いだけは大切に胸にしまい、絶対に嘘にはさせはしないという強い意志を彼女の視点から読み取ることができた。
しかしその想いが、姉との裏切りとクリスの幸福を天秤に懸けることになり、
罪悪感と後ろめたい幸福感で彼女の心が掻き乱されてゆく様には、客観的に見て狂おしいものがある。
優しくて悲しい嘘の連鎖は彼女を縛り、心を蝕みながらも懸命にクリスの為に尽くそうとするトルタには、どんな言葉であっても彼女の想いを貶めてしまう気がする。
純愛という言葉では安易に片づけられないトルタの深い愛情の渦に、胸が締め付けられるかの如く切ない想いを味わうことになった。
「あなたのそばに立っているだけで幸せなの」(『スヌーピー』よりマーシーのセリフ)
フォーニはトルタとは異なる立場でクリスを見守る存在である。
トルタが直接的にクリスを世界に繋ぎ止めたように、フォーニは間接的に彼の精神を支えたといえる。
潜在的に夢見ていた音の妖精の姿で、奇しくもクリスの側へ居続けたことは彼女にとっての幸せだろう。
たとえ悲劇の記憶をクリスが一切失っていたとしても。
しかし彼の幸せを願いながらも、自身の幸せを求めてしまうせめぎ合いが心の内に起きているのを、作中では詳細に語られなくとも私には伝わってきた。
クリスを世界に繋ぎ止め、陰より守り支えたトルタとフォーニ。
無償の愛とはかくも苦しいものだと、読み手の心に強烈に訴えてくる。
もはや私の拙い語彙では表現できそうにない。
【総評】
二人の心は一人の為に、一人の音は二人の為に。
清濁併せ持つ人間の繊細な心理描写を、美しい旋律と組み合わせて奏でた本作は、心の奥底に潜む剥き出しの感情を刺激する。
それは登場人物に感情移入して共感する事により顕著に表れ、最後の場面では人知れず涙を流すのを私は厭わなかった。
たった一つの想いをここまで濃密に凝縮させて、物語として仕上げた西川真音氏の手腕は驚愕に値する。
だけどたった一つだけ、どうしても許せない結末が私にはある。
それはリセルシアに対してのグラーヴェの仕打ちだ!
実の娘に虐待をし、歌という生き甲斐とその未来を壊した男を私は許せそうにない。
どちらの結末でも不幸、むしろBADの方が幸せともとれるシナリオを何故描いたのか?
これならクリスに会わない方が彼女にとって良かったのかもしれない。
しかしリセは父親の愚行を赦し、クリスに理解(和解)を求めようとする。
他者を慮ることへの大切さと慈愛の心、それが彼女の根底から溢れ出す本当の魅力に思えた。
まるで自身の心も洗われるかのような振る舞いに幾分怒りを抑えることが出来たが、
やはり独善的な思考と思われようとも私は誰も傷つかない幸福な結末を見たかった。
たとえ未来を奪われた本人が、クリス共に居られることだけで幸せだと感じようとも……
彼女の薄幸な人生に、最大限の幸せを読み手である私は求めてしまったのだから。
ですがまた時間を空けて、あの美しい旋律を奏でながらこの物語に浸り続けたい、と自分に思わせた作品であることは確かです。
切なくも温かい物語を私たちに提供してくれた『くろねこさんちーむ』に最大限の心からの感謝を。