ますますオシャレに洗練されていくビジュアル/演出と、ますますシンプルになっていくプロット/テキスト
・プレイ時間
1時間30分
・プレイ中のメモ
高尾輝子(たかお きこ) 通称キッコ……賀東ありす(『つくも3回サンク』の妹)の友達。10年会ってない
タイトルバックとかシーン転換の「いどーちゅー」アイキャッチとか、めちゃくちゃ凝っててオシャレでかわいい!!
キッコの地元=夢見町4丁目にありすがカブに乗って向かう。キッコと一緒に入院してた時期が『つくも3回サンク』よりどれだけ前か分からないけど、ありすはもう成人してるっぽいな。主人公(視点人物)なのでゴーグルかけてカブに乗る姿以外はまだ見せていない。
あっ、Windowsキーでスキップしなくなってる! スクショし易い! ゲームエンジンがティラノじゃなくなったのか
二弥(ニヤ) キッコのお隣さん/幼馴染? めっちゃオシャレな酒飲み
手書き地図だ!! 『AIR』と同じ! キタコレ!!
ありす21歳! 11歳の頃にキッコに会っていたと。
高尾タカヒロ:キッコの弟。イケメン。顔がニヤの半分くらいの大きさ
「にゃうろーでぃんぐ…」「にゅーみんちゅー」
うわすげ〜〜 写真の風景のなかにパースを合わせてキャラが溶け合うスチルが、前作『少女琥珀』からさらに洗練されている〜〜。バイクや人物の影まで描き込まれている。(地味にここで初めてありすの顔が出た)
キッコ、1週間前から連絡が途絶えているらしいが、生きているのか……? まぁ弟やニヤが何も言わないのもおかしいが。てかニヤとキッコが似てる気がするんだけど同一人物とかではないよね? 瞳の色が(10年前の)キッコは明るい水色だけど、ニヤは真っ黒だ。
ありすは3年前まで重病人だった。『つくも』当時ありすは18歳だっけ? 高校生ではあった。
神社の白髪巫女さん(サブレ)、猫耳付いてるし、ファンタジー要素あるのか?
ずーっと曇りの町。これ舞台どこなんだろう。
ありす大学生でも働いているわけでもなく、ふらふらしてるのか。最高だな
芸術作品(音楽や文章、絵)は幽霊である。そのなかで人は死に続けている。……『1000年生きてる』とは逆の見方。
> ・・・何にも宿れなかった想いは、いったいどこにいくんだろう?
神社に猫の死骸。Orangestar『真夏と少年の天ノ川戦争』みが出てきた。サブレもcouちゃんも(仏)だし……
猫宮(びょうぐう)神社。
やっぱりキッコはもうとっくに死んでるのかな〜〜 サブレはこの町の猫の総体的な化身?
> 「きっと、陸に初めて生き物が上がってくるまで、そこにはたくさんの死が流れ着いていたんだろうね」
たしかに。言われてみれば。
> 猫のように、枕のように あなたのように何かを抱き留めて、そして抱き締められたかった。
悲しみがやがて消えてしまうことの寂しさ。
25歳ってことはキッコはありすより4歳上なんだ。……いや、1週間前じゃなくて3年前に死んでるってことは7歳差?
タカヒロが姉を装ってメール返信してたんじゃないのか。
さらっと賀東兄、彼女出来とる! あれ、『つくも』終盤ですでにあのラオタ女子と付き合い始めてたんだっけ。
生産性とか価値がないのにそれでも生きている私の優しい肯定、というのはシンセティックガールの核心的テーマだ。
『つくも3回サンク』で付喪神がなんかあっさりとありすの病気を治してしまったのが、こういう続編だとなんだか良かったのかという気になってくるな……。
タカヒロ、実質ゆきあつだな……
これ絶対ありすとタカヒロくっつく流れだろ。末っ子同士で。
おわり!!
シンセティックガール4作目の最新作。これで今のところ本サークルの全作品をプレイしたことになる。
今作は第2作『つくも3回サンク』の主人公の妹、賀東ありすを主人公とした続編/スピンオフであった。なんというか、これまででいちばんストーリーがありふれているというか、巧みな文章と地に足の付いた思想で感動させられることもあんまりなく、お、おう……という感じで終わってしまった印象。アニメーションのアイキャッチとか、背景のパースを意識したスチルとか、ビジュアル演出面は順当に進化していて良かったが、肝心の内容は、嫌いでもないけど特に響くものもない、そうですね……としかいえないおはなしだった。
「幽霊」がテーマではあって、キッコはファンタジックな意味での幽霊ではないが、神社の巫女のサブレはありすにしか見えていなかった(そしてありすの記憶からも消えた)もろにファンタジックな存在で、その、リアリズムと非リアリズムの混交をどう受け止めたらいいのかよくわからん。ぜんぶリアリズムに押し込めるならわかるんだけど、サブレはなぜ必要だったのか。
あと、『つくも3回サンク』でありすが付喪神の力で快復している、というのも、キッコとの対比でどう考えたらいいのか分からなくなる。ファンタジー要素がなければありすだって生きてはいかなったかもしれなくて…… だからこそありすが完治以後もなおさら自分の生に悩み続ける、というのを描きたいのはわかるんだけど……。
舞台となる「土地」をがっつりテーマに組み込んで描くというのは、前作『少女琥珀』での東京の埠頭(川と橋)からさらに深まっていて良かった。元をたどれば『つくも3回サンク』の家や物への愛着が付喪神のかたちをとって現れる設定や、さらには『7Days』の町と鉄道路線と旅といったモチーフにも萌芽はあった気がする。今作はカブで風を切って道路を走る運動が全面に押し出されていて、でも町に着いたらカブは壊れて、散策は歩いて回るしかなくなる、という辺りもなかなか示唆的である。つまり、ありすにとってこの町の内側と外側は、それぞれ徒歩とバイクという移動手段の差異によって決定的に区別されているということだ。
タイトル画面でも映し出されている、ありすがバイクで走るのを正面から描いてるのもなんなんだろう。例えばなぜ画面奥側に走り去っていく構図にはせずに、こういうプレイヤー側に向かう構図にしたんだろう。
曇り空というモチーフはその点ひじょーに分かりやすいですね。晴れでも雨でもない空模様。温かい日差し=キッコはいなくとも続いていく生の象徴。
あと、すげぇ細かい深読み解釈だけど、ニアのファッションはショートパンツスタイルなのが良かった。単に見た目の問題ではなく、このゲームは基本シネスコっぽいスクリーンサイズで進行するから、ニアの立ち絵はショートパンツの下のギリギリで見切れることになる。もしニアが他のズボンやスカートなどを履いていたらまったく見えなかったであろう肌色の生脚がほんの少しだけ見えるのだ。『つくも3回サンク』の感想で書いたように、立ち絵の脚が見切れるか否かはストーリーやテーマにも関わる非常に重要な点だ。世間ではスカートとソックスのあいだの生足を絶対領域と呼ぶが、ここではいわばノベルゲームならではの絶対領域があらわれているのである。つまり何が言いたいかというと、ショートパンツ最高!!!ってことだ。