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oldreavesさんの終末吸血鬼。の長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
終末吸血鬼。
ブランド
鈴帯スズノ
得点
68
参照数
66

一言コメント

「こんな世界じゃ、世話される側だよ、人間は」 「い、いやだ〜〜〜ッ!!!! 私は世話される側なんだッ!!!!」

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

総プレイ時間:3時間40分



【クリア後の感想】
短編フリーノベルゲームとして、とても良くまとまっていた。
ここまでド直球に反出生主義/反生殖主義を扱った作品ということで、その観点で(反生殖主義者として)興味深く楽しませてもらった。ポストアポカリプス/終末世界というSFジャンルはこの思想の検討にものすごく都合が良い、ということが本作をプレイしてわかった。

永い眠りから覚めた吸血鬼のヴィエリィが、立ち寄る都市ごとにいろんな人物(アンドロイド、機械、ゾンビ含む)に出会って別れを繰り返しながら、ひとりで旅を続ける、という物語で、ノベルゲームという形式で「旅」をがっつり扱うのは(素材の関係上)難しく、またなかでも「ひとり旅」を扱うのは(一人称というナラティブと立ち絵という形式上)更に難しいので、その二重の困難を背負ってもなお描く意味がある物語だったのは本当に素晴らしいと思う。(詳しくは以下のメモ参照)


背景CGや小物、それからキャラの一部にはAI生成画像技術(MidjourneyとDALL E2)を利用しているということをプレイ後に確認したが、それもまた、終末モノというテーマにとても合っていて良かったと思う。というのも、AIイラストの上に書かれた手描きのキャラクター(吸血鬼)の佇まいは、そのまま、いつの間にか人類が滅びてしまった世界でひとり生き続ける寄る辺ない生物の寂しさと叙情を体現しているように思えるので。
(無論、今後はこういった「敢えてAIイラストを利用する意義」みたいな評価の仕方はどんどん意味をなさなくなるだろう、さらなる普及によって。)

内容上、どうしても『終のステラ』と比較してしまう。もちろん片やものすごく資金と人材が投入された商業企画で、こちらは同人サークルによるフリーゲームであるので、単純な比較はナンセンスなのだけれど、それでも「旅」をノベルゲームで描こうという志向性や、継承・続いていくことの倫理を問う主題などが響き合っていた。好みに過ぎないが、個人的にはこちらのほうが私は後味が良かった。「コメディ」を貫いてくれたことも嬉しい。
(そういえば『終のステラ』の背景CGを「AIで描けてしまいそう」と(良い意味で)言っていた感想を読んだことがある)
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=31597&uid=vostok


また、選択肢の分岐があると見せかけて、バッドエンドになったらタイトル画面に戻るのではなく、分岐前へと(夢オチのような形で)強制的に戻されることで、実質一本道のノベルゲームになっていたが、こうした構造を初めて見たのでびっくりした。下手をすると作品の雰囲気をぶち壊しかねないユーザーフレンドリーさだが、ここも「コメディ」を銘打った本作には合っていた。確固たるビジョンのもとに制作された作品であることがわかる。




【プレイ中のメモ】


ゲーム画面からコンフィグ画面に移れず、いちいちタイトル画面に戻る必要がある。そんなことあるのか
分岐あるんだ。3択
>どれ、話せるか試してみるか
機械言語、ログ画面だと英語で表示されて読めるようになってる。
吸血鬼の王(?)、ヴィエリィ・ローゼッタと、浮遊型ドロイドのアールオー。人外同士のバディ旅モノ?
荒廃した文明世界の建造物とかの背景CG、最近はこういうのがだいたいAI生成イラストではないかと思ってしまう(忌避するわけではない)
ヴィエリィめっちゃ幼い。精神的に。
「吸血鬼が長い眠りから覚めたら人類滅んでいて "血" の調達に困る」という土台設定とは別に、ヴィエリィの引きこもりというか要介護赤ちゃん性格から、自分ひとりでは生きていけないのに終末世界に放り出されてしまってどうしよう……という動線もあるような気がする。まぁオーバーラップしてるか。
いきなりアールオー視点の一人称(地の文だけでなく画面の視覚まで)になってびびった。
演出はずっとフリーゲーム/同人ゲームとしてはかなりスマートに洗練されている。
人語を解する巨大機械メテュー。なんか功利主義みたいな立場から、人類やその他の思考体を殲滅しようとしているらしい。
ポストアポカリプス世界では、この先生きてても幸福になることはないと推測されるので、「終わる」べき。終わったあとの世界でそれでも生きていくことの倫理について。こういう方向の物語なのか。
それをヴィエリィは「思想の押し付け」だとして退ける。むろんメテュー側に同意はしないけど、にしてもヴィエリィ側もかなりナイーブというか、「ふつうの人間」っぽくてゲンナリするなぁ。もっと夜の王としてぶっ飛んでてほしかった。
反出生主義っぽさもあるけど、親絶滅主義でもどれだけ積極的に絶滅を推進するかは難しい問題だからな。ましてや一方的な排除・殺戮は人間基準では言語道断。というか、反出生主義的にはもっとも難しいはずの、人類の(文明再興が不可能なほどの)衰退・滅亡がすでに(眠っているあいだに)達成されてしまったところがスタート地点のおはなしなので、根本的に反出生主義とは課題を共有していない気がする。ポスト反出生モノ。

>ヴィエリィ「勝手に襲い掛かってきたくせに安らかにくたばりおって。 ああやはり嫌いだな!終わりというのは!」
>ヴィエリィ「終わりだから安らかになるのではない、 終わるから安らかにならざるを得ないのだ!」
>ヴィエリィ「定命的な諦めから生み出された反応よ。 そうは思わんかアールオ〜〜〜〜???」
安らかにならざるを得ないから終わりは素晴らしいのでは? 何が違うのか分からん。
「定命」ってあんま聞いたこと無いけど仏教用語なのか。それともイスラム教? https://ja.wikipedia.org/wiki/定命

ヴィエリィは人間の血をどれほど深刻に必要としているのか分からん。喉が渇いたというが、飲めなくても最悪死にはしないのかどうか。ヴィエリィにとって単なる食料(嗜好品?)か眷属の材料でしかない「人間」が滅んだところで、そんなに感慨が大きいものなのだろうか。吸血鬼と人間の関係、あるいはヴィエリィ個人と人間の関係があまり掴めていない。
てかやっぱ「時間は永遠にある」とか言ってるし、単なる嗜好品っぽいな。とすれば、むしろ人間にとっての「文化」の価値についての話だと読んだほうがいいのか? あと、そりゃあ永遠に生きなければいけないヴィエリィは、メテューの絶滅思想を受け入れられないよなぁと納得した。「終わりがあるからこそ素晴らしい」。では、終わりがないものは? 

>甘美な風味はなく、かといって拒否反応が出るでもなく、生乾きのような温度と、後を引くような苦味が……ただただ、時間を引き延ばして、じわりと広がっていった。
終末の本質を、「吸血」をメタファーとして描く

屋上でタバコを吸うヒラヒラ服の女 ⇔ 終末世界で人工血液を吸うヒラヒラ服の吸血鬼
>人を支配する、戦う、喰らう……これまで生きてきた、その循環のどれもから外れて、人の消えた世界を、歩いていかなければならない。
やっぱり意外と人類に多くを依る生き方をしてきたんだな、吸血鬼は。生命維持のためというより、生きる意味そのものとして。やはり文化・芸術・娯楽みたいな意味合いで読みたくなるな
第一話完!?
これ何話まであるんだ

・第二話
>不届き者!破壊する!
耳かきアンドロイドのミミコミ。着物を着た女性のような風貌。キャラデザいい
「しなくてもいいけど気持ちいいからする」ものって、この耳かきも前話の吸血≒嗜好品≒文化の隠喩になっている?
>耳かきを受ける
──END 『心地よい終わり』
あ〜怖かった! バッドエンドじゃねえか!! ミミコミ様が耳かきの合間に飲ませてきた血のようなものって、あのゾンビの血? それとももっと怪しい液体? あの調剤を混ぜ合わせたものとか……それで、あのゾンビ達はミミコミ様の仕業とか……
第一話のメテューのときと同様に、ヴィエリィに対して「これがあなたの幸せ」だと押し付けてくるキャラがいる。それに反抗して自分の信念を貫き通さないと "終わって" しまう。そういう構造のゲームか。たとえその終わりがどんなに心地よく幸せに満ちたものだとしても……
終末世界で吸血鬼とアンドロイドが耳かき。これどんな百合ックスプレイ?とか思っていたらバッドエンドだった。
!? タイトル画面に戻るんじゃなくて、夢オチにして分岐まで戻った! これは親切仕様。こんなノベルゲーム初めてだ。
>ただ休むだけにしておく
なるほど。ミミコミの思惑はだいたい合っていたが、悪意とかではなく本当に設計された奉仕目的でヴィエリィを幸せにしようとしているし、聞かれれば全て自白する。これはこれで怖い。
>この都市に残る
──END 『世界が灰色になっても、私が灰になるまでは』 やっぱ即バッドエンドじゃねぇか!
>まだ外で探し続ける
とりあえず外に出て旅を続ける。何かを探すことそのものが生きるということである。

・第三話
「ひとり旅」をノベルゲーム/ビジュアルノベルの形式で物語ることの難しさと意義について考えたい。一人称だが、「立ち絵」でその語り手=主人公が画面中央に、"こちらを向いて" 配置される。そもそも一人称小説では誰に向かって語っているのか、という問題があるが、それがノベルゲームでは立ち絵などによってさらに奇妙にならざるを得ない。
"白武器ガール"の助手ジョーシュ。相変わらずキャラデザが良いな。ソシャゲに向いてそう。これ片足どうなってるんだ
博士は趣味で猫耳を付けている眼鏡の女性。頭身はヴィエリィやジョーシュと同じくらいで小さめ。
……しかしそれはホログラム(滅㌘)で、本物は培養液に浮かぶ脳だった。めっちゃギャグで落とすやん
「血を吸うのが吸血鬼の本分」というけれど、それは生命維持に必要なわけじゃなくて、使命的な意味? 自然主義的誤謬?
「宇宙人」さんめっちゃ知性あって冷静で草
>「何かが絶対的に悪いのだという理屈はわかり易いが、 そのように安易に飛び付くことは勧められない」
「先有傾向」なんて単語初めて聞いた。社会学用語か predispositions
https://kotobank.jp/word/先有傾向-1354620
ずっとコメディを崩さないなぁ。シリアスっぽい状況ではあるのに。
>私は馬鹿ではないッ!!!
──END 『宇宙提督。』
>壊す
瀕死の宇宙人から取引を持ちかけられるが、「断る」しかないダミー3択が一瞬出てすぐに強制進行した。
餅つき
自爆しようとする宇宙人
あれ、バグってテキストが表示されなくなった。ログでは読めるけど。いったんタイトル戻ったら直った
最後までずっとコメディ
あれだな、他のキャラと出会って複数人でいると、掛け合いができてボケ/ツッコミができる。すなわちコメディができる。
でもヴィエリィがひとりで旅をしているときにはコメディはできない。誰か他の人と一緒にいることの尊さ、かけがえのなさを端的に表すものとしてのコメディ調ってことだな。
……と思ったけど、最初に眠りから目覚めたときとかも、ヴィエリィはひとりでドタバタギャグっぽい振る舞いをしていた気がする。ピン芸人のネタとかもそうだけど、結局はお客さんがいて、それを笑わせようとするからお笑いが成立する。このノベルゲームも同じで、立ち絵としてヴィエリィがこちら側を向いていて、たとえ作中ではひとりでも、プレイヤーとの間にかろうじてコメディが成立するときがある。ヴィエリィ自身はもちろんプレイヤーを認識してはいないけれど。
滅んだ終末世界でひとり生き続けて旅をするというのは、誰もお客さんが見ていない舞台のうえでひとり芝居を続けるようなものだ。
毎回、別れる前になんらかの重要そうなアイテムをもらう。贈与の文化人類学的な意義。
最後にジョーシュは興奮する博士を落ち着かせるボタンを押す"ふりをする"。
>「でも、そうしない方がいいと、思ったから」
鎮静薬などの強制的な働きかけではない、できるだけ素の自分でお別れをさせてあげたかった。

なんだか絵本みたいな話だなぁ。読み味が。児童文学というべきか。出会いと別れを繰り返して吸血鬼はひとり旅を続ける。なんのために旅を続けるのか。人の生き血を吸うため、と言い続けるものの、本人にも目的なんてとうに分からなくなっているのではないか。生きることに目的がないように。
チカテツ。終のステラにも出てきたな。
『終のステラ』では、男主人公がフィリアに会って行動をともにするまでのひとり旅パートがどんなだったっけ。全然コメディ要素はなかった気がする。
チカテツのCG、なんか奥のほうがグニャってなってる。やっぱりAI生成画像なのかなぁ その上に書かれた手描きのキャラクター(吸血鬼)の佇まいは、そのまま、いつの間にか人類が滅びてしまった世界でひとり生き続ける寄る辺ない生物の寂しさと叙情を体現しているように思える。

人類再生産システムのS.U.N
おお、めちゃくちゃ直球の反出生主義/反生殖主義じゃないか!
ふつうの議論では、すでに生まれてしまっている人間、栄えてしまっている人類をこれからどうするべきか、せめてこれ以上殖やさないほうがいいのではないか、という論調になるが、ポストアポカリプスものでは既に人類が滅んでいるところから議論=物語が始まるので、このようにシンプルに「人類は愚かなので滅んで正解だしもう生まれない方がいい」といえる。
>S.U.N:『私に、人間の命を切り捨てる権限はありませんでした。』
すでに生きている人間を殺すことと、殖やさないことは違う。

>「待て……重すぎる……!!!! どう反応を返せばいいか戸惑うレベルの重さだ!!!!!!」
さすがヴィエリィ…… ここでもまだコメディのトーンを忘れないの素晴らしいな

>「こんな世界じゃ、世話される側だよ、人間は」
>「い、いやだ〜〜〜ッ!!!! 私は世話される側なんだッ!!!!」
前半での何気ない会話があとあと深く効いてくるのいいね。世話する側(=親=生殖者にして育児者)の倫理

「再生産」することの非倫理性・暴力性を自覚してなお、「頑張る」から再生産するほうに賭けるヴィエリィ
吸血鬼のヴィエリィという、人類ではない存在が、人類を再生産するかしないか考えて悩んで結論を出すことと、人間が人類を再生産するか否か考えることとでは、なにが違うのだろうか。
吸血鬼は永久の命を持つので、吸血対象としてだけではなく、寂しくないように一緒にいたいから人類を再生産しようとしていると推測される。
もちろん生殖は非倫理的なんだけど、でも吸血鬼という(自称)上位存在が勝手に人類の行く末を左右するのなら、それはもう仕方がないかな、という気もする。そもそも吸血鬼にどこまで倫理が通用するのか、という問題もあるし、弱肉強食なので……。でも、それはそれで倫理・反生殖主義の普遍性を信じられていないし、種差別ではあるんだよな〜〜難しい!

お〜〜こういう "オチ" かぁ。この作品としては完璧な落とし方だったんじゃないでしょうか
出生主義……ではあるけれども。「要介護の赤ちゃん」だった子供が、赤ちゃんを育てる親になる話。『終のステラ』とたぶんに共鳴するものはあるが、しかし育てることの責任をどうエンディング(以降)に持ち越しているか、という点では対照的。ここはジェンダーも関係しないとは言えないよなぁ。男/父は勝手に自己犠牲に酔って満足して死んでいけるけれど、女は「母」としてこれから先も育てていかなければいけない。まぁ美少女ゲームの文脈としては『CLANNAD』とかを無視はできないだろうが。