大正時代の女中奉公を題材に、父権的な社会構造のもとでの有害な男性性を描く誠実さと、「乙女ゲーム」としてのエンターテイメント性をともに兼ね備えた傑作短編
プレイ時間:1時間20分くらい
『鼓草』を制作した同人サークル「日々雲隠れ」の新作ということで期待してプレイ。
その期待に違わない、短いながらも素晴らしいノベルゲームだった。
『鼓草』が太平洋戦争末期の岡山で抑圧され翻弄される女性を描いた話であったように、本作は大正時代の東京で女中奉公をして暮らす女性を主人公に据えて、父権的な社会構造のなかで生きるしかない女性の生き様を、乙女ゲームの体裁のなかで見事に描き出している。
男性の加害性を煮詰めたかのような千光寺の主人が本当に恐ろしく、彼の立ち絵が用意されないことで、いっそう不気味さは増し、単なるいち登場人物に留まらない、普遍的な抑圧者の象徴としての次元さえ獲得していたように思う。立ち絵がない性犯罪者の「父」といえば『CARNIVAL』も思い出す。
こうした、かなり残酷かつ生々しい描写がある一方で、しっかり「乙女ゲーム」としてのエンタメ性、読み進めることの面白さと、読み終えたときの爽快感をも手放していないのがすばらしい。
最後の最後まで、トーンが一気に変わって急転直下の悲劇となるんじゃないかとビクビクしていたが、喜劇に転じて喜劇として幕を閉じてくれて本当に良かった。コケコッコー!
本作の乙女ゲームとしての「お相手」キャラ(ギャルゲーにおける「ヒロイン」に相当する男性攻略対象キャラの呼び名を寡聞にして知らない)である檀(まゆみ)くんが、めちゃくちゃ良い子で、これぞ乙女ゲームの理想的なお相手だ……!としみじみ惚れることが出来た。フサさん幸せ者すぎる。
ただし、いくら檀くんが「そんなヤツいねえよ」級に女性に理解のある、超がつくほど優しくて一途な男の子であっても、それでもあの時代に生まれ育ったことから、やはり父権的な価値観を内面化はしている。「男は女を守るべきだ」というような。彼の父が、邪悪な男性性の権化だとしたら、彼は(比較的)上手く機能して見栄えの良い男性性を象っている人物といえる。見栄えが良く、あの時代の社会に生きるフサにとっては救世主としか言いようのない檀の男性性でさえも、父権性が内在しており、抑圧的な社会構造のたしかな一部を成していることは間違いない。
だからフサと檀のあいだには権力関係がある。それは、檀はフサに手紙を出すことができるが、フサはそれを読むだけで、檀に手紙を出すことが叶わない──という一方通行のやりとりに象徴されている。(そして、フサは文字を書くのも満足にできない。)
本作が見事なのは、大正時代当時の社会で実現できるかぎり理想的なロマンスをエンターテイメントとして提供しながらも、こうした被-抑圧者たる女性への差別構造を決して誤魔化さずに織り込んでいる点にある。フサは絶対に幸せになるだろうし、この物語はハッピーエンドだ。しかし、差別構造が根を張る社会はそのままに温存され、決して本作の「純愛物語」で好転はしない。そこに作者の誠実さを見る。
余談だが、檀と母親:千代子さんの微妙な関係から、最初絶対に実の息子ではないパターンでしょ!と勘ぐっていたが、どうやらそうではないってことでいいのだよね? あの母親は、ただ他に子供を2人も亡くしてしまって、しかも夫の最悪を越えた振る舞いもあって、「がらんどう」になってしまった(そりゃあなるわ)から、唯一存命の長男へ積極的に愛情表現ができないだけ、ということよな。
最終的に「聞かれなかったら教えなかった」ではなくなることからも、そうだと思われる。(ここもめっちゃ良いんだよな・・・)
千代子さんが、夫と医者の前で何年ぶりかの心からの大笑いが出来たこと、本当に祝福したい。
…忘れてた。シナリオだけでなく、イラストも、音楽も良かった。そしてUIが前作と比べてもさらに洗練されていた。バックログとか、2文表示で1文目が薄くなるのとか、商業ノベルゲーム以上に優れていると思った。
「男性にとって都合の良い」作品が優占的なノベルゲームというジャンルで、「女性にとって都合の良い」乙女ゲームの枠組みのなかで、社会的な視点から男性の加害性を告発する内容を盛り込んだこうした作品が出てくることは本当にありがたく(何様目線?)、価値のあることだと真剣に思う。
すべてのエンタメ作品は、作者の意図に依らず、社会へ影響を与えてしまう。
だからこそ、『フミの大正女中ぐらし』や『鼓草』のような「面白い」エンタメ作品があることは、この──大正時代と比べても依然として地獄である──現代日本社会を生きるうえで、一輪のシロツメクサのような〈救い〉に思える。
P.S.
岡山の水路のある田舎町の親切な「なおたろう」君……なおたろう君!!!