ErogameScape -エロゲー批評空間-

oldreavesさんのつくも3回サンクの長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
つくも3回サンク
ブランド
シンセティックガール
得点
75
参照数
85

一言コメント

良作同人短編ノベル。立ち絵が現代的でお洒落でとてもかわいく、内面も絶妙に地に足がついているキャラクターたち。といっても立ち絵の足はテキストボックスで見切れていて、「言葉」によってリアルとフィクションが架橋されているさまは、まさにノベルゲームの真髄をあらわしていると思いました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

プレイ時間:3時間


※ネタバレ注意!!!


・プレイ中のメモ (最後にプレイ後の総評があります)


賀東在処(がとう ありか)……男主人公。大学4年。形あるものは変わってしまうから信じない。名前のアナグラムで「ありがとう+か」になる。「俺はどっちかって言うと余ってしまう人間だ」

楠木三和(くすのき みわ):同級生。1回生の授業で少し一緒になっただけのほぼ他人。オシャレ。上着のダボッとしたかんじが良い。明るい。お寺の娘。

文章うまいなー
でも主人公がラノベのような鈍感系男子だったり、つまらないギャグのやり取りを入れたりなど、割と典型的なノベルゲームのトーンか。

やばい、キーボードのWindowsボタンになぜかスキップ(Ctrl)機能が割り振られているので、スクショしようとすると強制スキップしてしまう。つまりスクショができない!!! 詰んだ……
このゲームエンジンなんだっけ? めちゃくちゃ使いづらいんだけど。コンフィグ機能ないし。だから音量調整も、文字表示速度の調節もできないのが煩わしい。

実写背景。CVなし
キャラ絵がめちゃくちゃかわいい。現代風でオシャレなかわいさ。ちょっとドット絵風の絵柄。
文字フォントもドラクエのようなドット風。
メッセージウィンドウ形式で2行表示。一文の途中で切れる(クリックまたぎする)ことがままある。
特徴的なのは、「スラリと伸びたその足が、地面近くで 透明になって消えていた。」のように、読点とは別に空白(スペース)で文を整えている点。こんなの地味に見たことないぞ。
あと句点(。)が無くて、改行で文を区切っているところもある。

つくも:今朝割ってしまったきゅうすの付喪神。もともと「サンク溜まり」だった在処の家に溜まった感謝の想いが呼んだ精霊? 足がなく浮いている。メイド服に明るい黄緑〜黄色の髪。ベレー帽。家から動けない。
キャラデザめちゃくちゃ良いな…… メイド服のエプロン的なとこに書いてある「れ」みたいな字なに?

楠木さんまさかのラーメンオタク(ラオタ)
食べログの点数暗記してる……まぁエロゲー批評空間の各作品の中央値暗記してるようなもんか。

有賀ありす:在処の妹。入院中。黒髪タレ目ダウナー系。兄を「あんた」と呼ぶ。

一年以上も妹のお見舞いしてなかったってマジかよ。母は交通事故で死んでて、父は? 在処は一人暮らしか。
願いを3つ叶えてくれる付喪神というファンタジー現象は起こるけど、制約があるためある程度は自分で努力しなければならないパターン。
毎日見舞う、という約束をある日破ってしまってもう来るな、と突き放されたと。なるほど。

つくものつくもの〜☆
二郎系というか、二郎だ。
楠木みわさん、キャラデザも現代的だけど、性格も現代のオタク(性別問わず)受けする造形だと思う。『着せ恋』の喜多川さんをやや大人びさせてリアル寄りにしたような、都合の良すぎるいちばんちょうどいいフランクなかわいさがある。オタクだし。

ありす、「お兄」て呼んでるやん。
お兄といるときはタレ目だけど、みわと談笑してるときは水平目?になっててそれもすごくかわいい。

>「だけど、なんか悔しいからあたし、また明日も、お見舞い行くよ!」
>楠木さんは、ピカピカ笑顔でそう宣言した。やっぱり、俺には楠木さんのことを偽善者だとは思えなかった。臆病じゃないから、他人に触れる力があるから。きっと、本当の善人にも・・・もしかしたら、人を傷つけられる人にもなれるかもしれないと思った。


>「良くなきゃ
> いけないよ」

やっぱお父さんが生きてて入院費とかを払ってるんだな。在処は大学生だから一人暮らしをしてる、と。

「役割」の話。今風にいえば「生産性」の話か。役割があるモノは不変ではないから信じられない、という在処の思想。
だれの役にも立たない人間は生きていていいのか。……もちろんいい。「みんなただ人生があるだけで 価値とか、意味とか、そんなのばっかじゃない」んだけど、そういう恵まれた立場の人の正論は、ありすには届かない。根底にあるのは自己の無価値さへの諦観と、そんな自分を気にかけて見舞ってくれる周りの人間への申し訳なさだ。とてもやさしい子だが、そのやさしさが、かなしい。
どこまでも根が明るいみわは、「恵まれている呑気な一般大衆」の象徴としてありすと対比されている。

>誰かを想うという行為は、どこまでも利己的だった。

いきなりシリアスな話になるなぁ。最終的には「謝るより感謝を」的な方向になるのだろうけれど。
マジョリティとマイノリティのあいだの圧倒的な断絶を乗り越えるには。……ただ患者の前で見舞い人が大泣きするんかい。
でも、一般的に正しい回答ではなくとも、この空間においては赦せるというか、これでいいなと思わせられる。

>本気で泣いていたようだった楠木さんは、意外と策士だった。いや、ただ本気なのかもしれない。

楠木さんいいな〜〜 「わがまま言って癇癪起こしただけ」だと自覚的に振り返られるのとか、ほんとちょうどいいリアルさの大学生ってかんじ。

で、でた〜ww 男子主人公は忘れてるけど、昔「ほんのささいなこと」でヒロインに貸しをつくっていたパターンだ

>「返すものなんて なにもないよ
> あたし別に 優しさを貸してるわけじゃないよ
> 人と人との関係って、そんなのばかりじゃなくていいんだよ」


>きっと俺は、寂しいんだろうなと思った。
>楠木さんが俺から離れていく時、もう、こんなに近づいてしまっては それは寂しいに違いなかった。

今のところ、つくもの存在感がマジで薄い。それこそ存在意義が……。
完全に楠木さんゲーになってる。
楠木さんの妙に地に足がついているさまと、つくもの文字通り地に足がついておらず浮かんでいるさまも対照的な構図だよなぁ。それが今のところそのまんま魅力と存在感の多寡に直結してしまっている。


>「でもうちがこの水族館に来たこと、自分で思いつけなかったんだったら、いっか」
>「逆じゃないのか?」
>「お兄になんかわかられたくないから それでいいの」

>外の世界は、目まぐるしく変わっていく。
>ありすは対照的にゆっくりしゃべる。

>「そんなに、頑張らないといけないのかなあ?
> 好きでこんなふうになったわけじゃないのに
> 勉強だって前はしてたんだよ
> けどもう・・・それが役に立つことなんてないんじゃないかって・・・不安で」
>「なにひとつ・・・うちは・・・ただ関わった人に迷惑だけかけて死んでいくんじゃないかって」
> ポロポロと ありすの涙が落ちてゆく
>「今更 病気が治ったなんて言われたって・・・
> 治ったらもう どうしたらいいのかわかんないよ
> 最後にしがみついていた "かわいそうな病気の自分" っていうものさえ無くしたらうちはもう
> 何者でもなくなっちゃうよ・・・」

お互いの利己心を告白し合って、寂しさを慰め合って生きていく。優しい人たちの物語。

えっ、ありす18歳なの!?
まぁ言われてみれば確かに、語彙や精神はやけに大人びているか
水族館・水槽のなかの魚にありすは病室の自分を投影していたが、同時に、そんな行為は魚にとっては知ったことではない、という冷静な視点も持っている。その成熟ゆえにありすは苦しんでいるのだけれど、そんな彼女を生に結びつけているのもまたその成熟にほかならない。というか、ありすがこれまで、どんなに無意味に思えても生きてきたという事実こそがその成熟であり、それがこれからも彼女の生きていく力となる。

ところで、魚という別の生物種への投影/断絶に想いを馳せるのは、明らかにつくもというファンタジー的な存在との関わりが念頭にあるだろう。
と書いたそばから明言された。

記憶の母の言葉。
自分と周りのひとを大切に思うことで幸せになれる。こうして読むとマジでしゃらくせぇ道徳の教科書というか博愛主義・置かれた場所で咲きなさい的なものに思えるけど、それをすぐに
>ぞっとするほど優しい声だった。
>きっとそれは、子供だましの気休めで、世の中 綺麗事だけじゃ何も解決しなくて
>でもそれはきっと 一人の人間の、精一杯の優しさだった。
>それは、この悲しい世界への反抗だった。
>きっと 祈りだったのだろう。
>今になってそう、思う・・・。
と相対化したうえで慎ましく肯定してくれるから、素敵。
(「祈り」アンチなのでそこはアレだが。「反抗」の部分をもう少し重点的に描いてくれてたらより好みだったな。それこそ『みすずの国』の主題のひとつ。)

・仕事で忙しい父親の存在が希薄で親としての責任もロクに追及されないのが不満だというのは、ちゃんと書いておく。


>「いいえ、あるじ様がつくものために願いを使ってくれると聞いて、きっと私、悪い気はしていません」
>断言しないのは、きっとつくもには 感情がないからかもしれないし、ただ人間みたいに振る舞ってるだけかもしれないからなんだろう。
>でもわざわざそういう風に言ってくれるってことは、心が、あるのかもしれなかった。

つくもの、この非-人間的なかんじとても良いなぁ。「自分」を俯瞰している。それはありすや在処やみわたち人間の俯瞰よりももっと自己超越的なものだ。

けっきょく在処は3つの願いを、ひとつ目は自分のために(卒論)、ふたつ目は妹のために、みっつ目はつくものために使った。この短い物語の主要な登場人物4人のうち、楠木みわだけ「願い」の対象になっていないことは大事な気がする。

>「わかりました。あるじ様、・・・ありがとうございます」
>有り難う。有るということは、難しいことらしい
>そして有る以上は、難しいらしい。
>きっとそうなんだろう。
>俺たちが何重もの偶然が折り重なって今ここに立っていることを考えると、つくもが俺の前に現れたことだって とりたてて特別なことではないのかもしれなかった。
>ただ、他の事物と同じように、当たり前に、普通に、そして、なによりも特別なことなのかもしれなかった。

なんかいきなり哲学的になった。文章が上手いからその気になればこういうレトリックをいくらでも生み出せるだろうな。

つくもが外に出られるようにするって、障壁を壊すとかじゃなくて、足を生やすってことなのか!!
地に足がつく。なるほど・・・
このゲームでは立ち絵が見切れていて足は見えないんだよな。だから、つくもの足があろうがなかろうが立ち絵としては変わらない。立ち絵では、みわやありすに足があるのか、地に足がついているのかわからない、ともいえる。
背景とイラストを表示する範囲は映画館のスクリーン比のように横長になっていて、足が見切れている部分はそれこそ黒地で文章が映されている。つまり、言葉によって"足"(=地に足がついているかどうか)が隠蔽されている。それは人間と精霊の境界であり、リアリズムとファンタジーの境界であり、現実とノベルゲームの境界である。

>「そのわがまま、いいですよ
> もっと他人に、世界に わがままを言いましょう」

いいですね

>「わたしは、消えないですよ
> あるじ様の、そのわがままのなかに きっといます」

>言葉だけ残っていた。
>俺と楠木さんは二人きりで突っ立っていた。

やっぱり「言葉」なんだよなぁ!! 「立ってい」ることなんだよなぁ!!!!

楠木さんが在処に助けられたの、財布忘れて飢えていたときに1,000円札を恵まれたことかい……『ローリング☆ガールズ』最終話の結季奈(青髪の子)みたいなしょうもなさで良いな。

>信じられるものは 心で覚える。
>形がなくても、意味がなくても
>何か大切なことを見つけられたなら。
>胸の中に 大事に抱えて。
>世界にほんの少しだけ わがままをする。

道徳心とか善性とか優しさとか言われたら面食らってしまうところを「わがまま」だと開き直って表現してくれるのがとても良い。
文中に謎にスペースを入れる技法も強いてテーマに絡めて解釈するならば、「形がない」ものの大切さをプレイヤーにそこに見出させるため、なのかなぁ。まぁこれこそしゃらくせぇか。









・プレイ後の感想


ちょうど3時間で終わり!!!
とても良かったです。名作短編同人ノベルゲームのひとつと言っていい。
「周りのひとと自分を大切に想いましょう」というマザー・テレサみたいな、聖書的な道徳律をわりと大真面目に押し出してきて、それだけなら素直に受け入れられるはずがない。でも、それを利己心から来るもの=「わがまま」としてキッチリ相対化したうえで、物語のなかで具体的な人物の言動を通して肯定してくれるため、胡散臭さは少なく、素直に飲み込める。わがままを肯定することは、すなわち今ここに生きている自己を受け入れることにほかならず、主人公やその妹といった「枷」を勝手に背負いながら生きてきたキャラクターたちの実存を説得的に描くことに成功している。
難病が魔法や奇跡であっという間に治ってしまうことは欺瞞にも思えるが、この作品の焦点はそこにはない。治ったら万々歳ではなく、ありすは兄の願いによって自分が救われてしまうことに最も思い悩む。例えば『映画ハピネスチャージプリキュア 人形の国のバレリーナ』等とは扱う問題系がまったく異なっているのだ。

キャラクターの立ち絵イラストがとてもかわいい。ややドット絵風の、現代的なお洒落な絵柄にファッション。
同級生ヒロインの楠木みわさんは性格まで現代的な造形だった。『その着せ替え人形に恋をする』の喜多川さんをやや大人びさせてリアル寄りにしたというべきか。向こうからグイグイ来てくれる明るくあっけらかんとした(ラーメン)オタクで非常に都合が良いのだが、妙な実在感、地に足がついている感じがあってとても良い。
対して地に足のついていないヒロインが、タイトルにもなっている付喪神のつくもである。道徳っぽい話でこうしたファンタジーの非人間キャラ(アンドロイドとか)が登場すると一定の割合で人間中心主義が発動して残念になってしまうが、本作ではつくもがあくまで人間のような感情や思考を持っているわけではないようにキッチリ描写され、さらにそれを主人公も自覚している(精霊に人間の価値観を押し付けるのは良くないことだ)のが信頼できた。最終的には足が生えて地に足がついたり、人間のように心を持つ存在として描かれる節はあるが、もともと母の形見のきゅうすの付喪神だし、それくらいの人間化はセーフということで。

キャラクターの地に足がついているさま、というのはノベルゲームの視覚的なレイアウトの次元でも意味づけられていた。立ち絵の足の部分が、テキスト表示領域に隠されて見切れているのだ。したがって、足がないつくもも、足があるみわやありすも、立ち絵としてはみんな同じに見える。これにより、物語世界のリアリティをある種担保するとともに、「言葉」に焦点が当たるシナリオにも説得力を与えている。ノベルゲームの特性をよく理解しているといえるだろう。
また、テキストの文体にも特徴がある。ひとつの文中で言葉を区切るにあたって、読点(、)だけでなくスペース( )も併用している。これは、強いてテマティスムで解釈すれば、「形のないけど大切なもの」をわれわれプレイヤーに見せている(これを読むことで必然的にそれがわかる)演出などということになるのであろう。

システム面はかなり不便で、特にWindowsキーに強制スキップが割り振られているせいでスクショが難しいのがかなり痛い。