3^n (n=5)
1時間弱で終えた。無論すべての√を読んではいないが、そこらへんはやればわかるのでノーコメント。
ガガガ文庫の草野原々『これは学園ラブコメです。』みたいな作品だった。
あれがラノベおよびラブコメに対して行っていたことをノベルゲーム・恋愛シミュレーションゲームに対して行ったかんじ。
むろん特に好きではなく、虚無ゲーではあった。
こういうので感動するひともいるだろうけど、今後の人生で詐欺に遭わないように注意してほしい。
一瞬メタゲーかと思いきやSFか!?と思ったが勘違いで、普通にメタゲーだった。
メタ作品って創作者や鑑賞者の矜持を論破したり肯定したりといったアイデンティティポリティクスに陥りやすく、「謝辞:これまでのすべての◯◯へ」みたいに、表面的には壮大っぽいことを成し遂げた気に容易になれるので、ラクして満足感を得たい創作者/鑑賞者にとってはまさに蜜であり毒であるなぁ……という考えを再確認した。
(ちなみに自分がこれまで触れた創作物でもっとも好きなメタ作品は、ミラン・クンデラ『不滅』とアッバス・キアロスタミ『そして人生はつづく』)
こういう系のゲームでいつも思うのは、選択肢を選ぶのも、「最初から」で気軽にリセットできるのも、プレイヤーの責任である前に、ゲーム制作者がそのように作ったからだろう。なのに、なぜかそのことには作中でも作外でも触れられることはほとんどない。
安全圏から悦に浸って楽しんでいるのは、本当はプレイヤーではなく、ゲーム制作者のほうではないのか?
「それを言っちゃあおしまい」だと言うのなら、わたしはそもそも「観測者」だなんだと言い出した時点で同じことを言わせてもらう。
何気なく選択肢を選んだり「最初から」を選んだりすることを糾弾されたつもりになって「安全に痛い」自己反省パフォーマンスをするのは風俗のプレイ後に説教する客と一緒だ──とかなんとか、ゼロ年代批評の再生産をする気も起きない。
あるいは、もっと本作を違った角度から(例えば自分好みのキャラをクリエイトする行為について扱った作品だと見做して掘り下げるとか。…せっかくVTuberや『着せ恋』が流行っていることだし)検討すれば、自分にとってより面白い作品に変貌する可能性は(他の全ての作品と同様に)あると思うのだけど、それをする気にはまったくならない。結局は直感だよね!
画面を見つめる「観測者」がカオナシみたいな顔で、これをギャグとしてやっているのならなかなかセンスあると思う。
プレイ開始前に注意書きで予告される「ちょっとだけこわいシーン」は、ホラー演出というよりありがちなボカロMVみたいでウケた。
『ジンガイア』シリーズが無料公開されたのでやろうと思っていたが、ちょっと流石にモチベが下がってしまった・・・やらなきゃ良かったかも・・・
【以下、プレイ中のメモのコピペ】
メッセージウィンドウ非表示ができない!?!?
スクショが・・・
「主人公」と「幼馴染」のベタ=メタな感じ。終ノ空っぽい。
というかモロにメタ-エロゲだった。
なんか草野原々作品っぽいな・・・・・・
タイトル画面の系統樹ってそういうことか。無限に分岐していくのか?
ホラー演出というより よくあるボカロMVみたいで草生える
3^n
なるほど。メタゲーだと思わせてSFってことね。
ちょっと『〔少女庭国〕』っぽさもある。
一度も繰り返していないけど擬似的に(歴史は)繰り返すスケールのでかい仕組み
・・・かと思ったらふつうにメタゲーだった。
しゃろうさんの曲ラッシュ
なんか『親愛なる孤独と苦悩へ』OPのような怪しい自己啓発臭がする
エンドロールの文明史?エグいな。
恋愛がしたかったんじゃないとか何とか言ってたけどめっちゃ産ませている。強火の出生主義だ。繁栄=善というおぞましい価値観
一度クリアすると、再度ロードでフリーズして、ウィンドウ消去も出来なくなった。流石にバグだよね? それとも、ロード=悪という思想に基づいた仕様か?
一回目の分岐以降、ロード/セーブが出来なくなったのは仕様だと思ってたけど、あれもバグなのか?
幼馴染ちゃんを選んで全スキップしてみたけど、まぁ途中までの悩みが才能から家族関係に替わるだけで、最後の流れは一緒だった。
系統樹スクショするの忘れてた。やり直す気はしない