これぞエロゲで描いてほしい物語だと、これぞエロゲの必須教養/チュートリアルとして初心者にまずプレイしてもらうべきだと思ってしまうほどに、自分のエロゲ観と合う作品だった。
"「天使なんていない」と言う人は眠りすぎだ。全世界は眠っているものの陣営で、その上を天使が飛び回っている。"
──イルゼ・アイヒンガー「夜の天使」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
のちに『WHITE ALBUM2』を制作する大手エロゲブランド・leafより2003年に発売された『天使のいない12月』をプレイしました。
(たしかダウンロード販売がされていないため、駿河屋で中古パッケージを購入しました)
いつも通り「感想まとめ」と「プレイ中のメモ」の二段構成です。
https://note.com/kksk/n/n63fc1e0c543c
↑こちらのnoteの内容をコピペしたものです。目次機能やスクショがあるぶんnoteでのほうが読み易いかと思われます。
プレイ期間:2024/11/23(土)~12/11(水)
実プレイ日数:10日
総プレイ時間:18時間20分
【感想まとめ】
・エロゲらしいエロゲ
エロゲーマーなら「エロゲにエロは必要か」という定番の話題にふれたことが誰しもあるだろう。わたしも、歴5年ほどの一介のにわかエロゲーマーとして、このネタがたびたび議論を呼んでいること/昔からずっと呼んできたことをなんとなく伝え聞いて知っている。しかし、自分なりに納得のいく、これだという答えはまだ出せていない。
わたしはいわゆるシナリオゲーも抜きゲーも嗜むので(キャラゲーは未だに食わず嫌い)、「エロシーンは正直退屈なのでクリック連打やCtrlスキップで読み飛ばす(なくていい)」派の気持ちも、「エロシーンあってこそのエロゲだろ!!」派の気持ちも、どちらも理解できる。だから、むしろそういう事態──エロ描写が必要とも不要とも思える両義的なさま──こそがエロゲというジャンルの懐の深さであり魅力ではないか、といった折衷的な意見でお茶を濁すこともある。(じっさい、両派閥がいるからこそ「エロゲにエロは必要か」という議論が時代を問わず盛り上がるわけだし……)
そんなわたしは、この『天使のいない12月』をプレイして、なるほど、これはエロゲでしか描けない物語だな、エロゲとは本来こういうものであったはずだよな……と思った。すべてのエロゲがこのようであるべきだとは思わないけれど、それでも、「エロゲとして」まごうことなき名作だと思った。その理由をもう少し掘り下げて説明していく。
まず、現代の一般的な(純愛和姦)エロゲの物語は、男主人公がヒロインと仲を深めて恋愛して(セックスして)ハッピーエンド、という構成になっているだろう。多くの場合ここに、ヒロインや男主人公の悩みや大きな事件などの問題が入り込んできて、その問題の解決と恋愛の成就(セックス)がオーバーラップすることは少なくない。すなわち、エロシーン(セックス)は物語のなかで後半や終盤に置かれることが多い。
ふたりの純愛関係が極限まで高まって昇華して結晶したことを(内在的な)物語上でも(外在的な)エンタメとしても明瞭に表現するためのHシーン。こうした意味で、エロゲにおいてセックスとは確かに《クライマックス(絶頂)》の端的な謂いである。キャラと物語とプレイヤーの三者が同時に絶頂を迎える地点だからだ。
わたしは、上記のような「普通の」エロゲがあまり好きではない。そもそも和姦シーンではまったく興奮できない、という性的嗜好があることが最大の理由だが、それに付随して、「男女ふたりが仲を深める→恋愛する→セックスする」という流れをあるべきものとして規範化した、ロマンティック・ラブ・イデオロギーならぬ、ロマンティック・セックス・イデオロギーが思想的に受け入れがたい。
セックス(性行為)って、そんな「すべての正しい恋愛が行きつく先」とか「ふたりの純愛を証明する装置」ではないだろ、セックスはもっと汚くて暴力的でしょうもなくて滑稽なものじゃないのか?と思ってしまう。
現実の性行為が猥雑なものだからこそ、せめてエロゲというフィクションのなかではロマンティックで理想的な美しいセックスが見たいんだ!……という向きもあるのだろうが、わたしは賛同できない。むしろ、エロゲだからこそ、現実世界の「セックス」という興味深い現象に対して、フィクションにしか描けない仕方で迫ってほしいと思っている。
さて、そんな「アンチ純愛和姦」エロゲーマーであるわたしにとって、『天使のいない12月』はとても心地よかった。物語内でのセックスの位置付けが、上記のロマンティック・セックス・イデオロギーとは真っ向から対立するものだったからだ。
『天使のいない12月』は、セックスから始まる。タイトル画面で「はじめから」を選ぶと、いきなり見知らぬ女性と男主人公がセックスしているシーンがプレイヤーを出迎える。男主人公(デフォルト名:木田時紀)とメインヒロイン:栗原透子が、単なるクラスメイトの関係から、いきなり肉体関係を持ってしまうところから本編の物語がスタートする。これは「クライマックスとしてのセックス」に初っ端から反しているといえるだろう。
最初にヤって終わりではなく、その後も時紀は、透子や他のヒロインとセックスしたりしなかったりする。本作で描かれる数多の性行為に共通するのは、それが「恋愛の成就」を決定付けるものではなく、むしろ、彼/女らがそれぞれの想いを拗らせて思い悩ませる装置として機能していることだ。
むろん、身体を重ねている最中だけは、ただ動物的な快楽に身を任せて酔いしれることができる(ときもある)のだが、セックスは《永遠》ではない。いつか終わる。だから、さっきまで官能的によがって繋がっていた若い男女たちは、それが終わったあとにもダラダラと続いてしまう日常生活に戸惑う。お互いにどう接していけばいいのか、これからふたりの関係をどう扱うべきか途方に暮れる。
『天使のいない12月』は、そんな、自らの身体と心を持て余す思春期の男女たちの物語である。エロゲでしか描けない青春群像劇である。
この物語は分岐制なので多くのエンドが存在するが、各エンドを迎えるたびに、終わりの合図かのように繰り返し語られるテキストがある。
> それは永遠でなく
> 真実でなく
> ただ、そこにあるだけの想い……。
オールクリアまでに10回以上は見ることになるこの文は、明らかに『天使のいない12月』のメインテーマを謳っている。「永遠」や「真実」を否定して、「ただ、そこにあるだけの想い」をつつましやかに肯定すること。ゲームを読み進めていくほどに、なるほど確かにこの物語はこうした主題が基調になっている、と腑に落ちていく。わたしはそうだった。
牽強付会のきらいもあるが、上述したわたしの論に当てはめれば、「永遠」や「真実」を追求して表現しようとするのが、わたしの苦手な、一般的な純愛和姦エロゲなのだと思う。"真実の純愛" …… "ふたりの関係は永遠" …… エロゲではしばしば、悲劇の運命に導かれたような男女の逃避行や心中、自死、あるいは世界そのものを敵に回してのカタストロフが描かれてきたが、それよって逆説的に、男主人公とヒロインの閉塞的な二者関係が「永遠」であり「真実」の純愛であることを担保しようとしていると考えられる。
わたしはこうした壮大なロマンスを冷めた目で見てしまいがちなので、対照的に「ただ、そこにあるだけの想い」を描こうとする本作の物語は、とても性に合っていた。「天使のいない」というタイトルが象徴するように、この話には魔法やファンタジーなどの非現実要素も、ドラッグやホラーやサスペンスといった非日常要素も一切なく、ただただ、思春期の子どもたちの退屈な日常生活が描かれる。
この物語に、羽が生えた天使はいない。地に足のついた人間しかいない。そんな慎ましやかな日常のなかに、セックスが入り込んできて拗れていく人間ドラマを見せてくれたので、とても好ましかった。
セックスはたしかに「非日常」的な行為である。少なくとも、それをしている最中は。なぜならセックスだけをし続けて日常生活を営むことは不可能だからだ。したがって、セックスは「永遠」ではなく、すぐに終わりが来て「日常」に飲み込まれる。ここが肝心なのだ。セックスの本質的な魅力は、いずれ終わりが来るところにある。すなわち「セックスが終わったあとの日常」を描けることが、エロゲにエロが必要な理由なのだと思う。
振り返ってみれば、最初に挙げた「ふつうの純愛エロゲ」では、セックスがクライマックスに置かれているために「セックスが終わったあと」がほとんど描かれないことが多い。「共通の日常パート → 各ヒロインの個別ルート」という一般的なギャルゲーの構成からも分かるように、これらは「日常のあとにセックスがある」物語を志向しており、「セックスのあとの日常」を描こうとはしていないのだ。話が続いたとしても、大団円のエピローグか、カタストロフに終始することが大抵の場合であり、ダラダラと続く退屈な日常生活の影はない。
セックスそれ自体は、虚ろな中心として、意味がないがゆえにその外縁で人々を堂々巡りさせていく。だから「Hシーンは話が進まなくて退屈」だと感じるのも、それはそれで正しい。それでも、退屈で無価値だからこそ、セックスは長尺の人間ドラマ(フィクションの日常生活)を物語るエロゲに必要なのだ。
このゲームのなかで、登場人物たちが、「自分たちの関係や日常や人生にセックスは必要か」という不毛な話題の周りを振り回されて懊悩しているように、このゲームの外で、われわれエロゲーマーもまた、「エロゲにエロは必要か」という不毛な話題の周りを振り回されて懊悩している。エロゲの中でも外でも、同じ事態が巡っている。そのベタ/メタの現象をひっくるめて、わたしは《エロゲ》というジャンルを愛している。
ゆえに、『天使のいない12月』をプレイしたわたしの暫定的な回答はこうだ。「セックスが終わったあとの日常」を描くために、エロゲにエロは必要だ。しかし同時に、「エロゲにエロは必要か」という議題が絶えず呼び起こされて議論されていること自体もまた、セックスの本質に照らせば、必然であり必要である……と。
・エロゲ入門に最適
「日常→恋愛→セックス」型のエロゲが当たり前だと思っている人にとって、「セックス→日常(恋愛?)」という流れの『天使のいない12月』は風変わりな異色作に思える。それでも本作は、ここ最近、例えば10's以降にアンチ純愛エロゲとして生み出されたエロゲではない。2003年に、それも、『ToHeart』という、いわば「純愛和姦エロゲ」の型を決定づけた金字塔を生み出したブランド・Leafによって発表された作品である。そうした文脈を踏まえると、本作は、まだ「エロゲ」のスタンダードが確立しきっていない2000年代初期に、自社の『ToHeart』がもたらした規範をさらに塗り返すような、エロゲである必然性のある「エロゲらしいエロゲ」として模索のなかで生み出された作品であるように思えてくる。エロゲとは本来、こうした性の問題が絡んだジュブナイルを描くのに最適なメディアのはずだったのだ。
しかし、歴史は『天使のいない12月』ではなく、『ToHeart』から始まって『Kanon』や『AIR』に受け継がれる純愛和姦の「泣きゲー」のほうへ流れ、その過程で「エロゲにエロは必要か(泣きゲーにはいらないんじゃね?)」という、至極まっとうな意見が交わされるようになった……。
このようにエロゲ史を概観したうえでわたしは、だからこそ、エロゲからエロを除いて一般向けに移植して「美少女ゲーム」やら「ビジュアルノベル」やらといった耳当たりの良い言葉でジャンルを盛り上げていこうという風潮のある今だからこそ、『天使のいない12月』を、エロゲ初心者にオススメの作品に挙げたいと思う。わたし自身、こんなエロゲがあるなら、もっと早くやっておけばよかった……と思った。オススメというか、必須教養としてチュートリアル的に義務化してもいいと思うくらいである。思春期の男女の「セックス」と「日常」をここまで見事に描いたエロゲをわたしは読んだことがなかった。
本作をまず通過して、エロゲにおける「セックス」の意義と位置付けを学んだうえで、そのあとで「エロは要らない」と言われることもある他の一般的な「エロゲ」や「美少女ゲーム」の世界へ踏み出していくのであれば、それでもいいと思う。
それから、5名の攻略ヒロインの個別ルート(トゥルーエンドや多くのバッドエンド)を備えながらも、物語のボリュームはそれほど大きくなく、(おそらく時代柄なのだろう)かなり端的に簡潔に各シナリオがまとまっているのも、初心者に薦められる理由のひとつだ。
・三角関係モノとして
本作はどのヒロインとの個別ルートへ進んでいっても、ほとんどの場合、男女ふたりだけのドラマになることはなく、三角関係が展開される。わたしは三角関係モノが大好きなので、とても楽しく読めたことは言うまでもない。ただし、この作品はわたしがこれまで触れてきた三角関係モノのエロゲともまた微妙に手触りが違っていたように思う。
例えば『パルフェ』や『NG恋』、『WA2』などに代表される丸戸史明さんのシナリオでは、特定のふたりのヒロインのあいだで男主人公がふらついたり、そのふたりのヒロインがバチバチに男主人公を取り合うタイプの三角関係がよく見られる。言ってしまえば、エロゲ的ハーレムの亜種としての「モテる男はつらいぜ」型の三角関係シナリオである。
もちろん本作の男主人公・時紀も、少なくとも5人のヒロインに愛されたり迫られたりして肉体関係を持つハーレム構造ではあるのだが、丸戸作品のように「このふたりのヒロインがペア」みたいな側面はかなり薄い。むしろ、あるヒロインとの関係がうまくいかなかったときに、逃避するように別のヒロインとの性行為に溺れるとか、元鞘に収まるとか、そうしたファジーで有機的な人間関係を、シナリオ全体で形作っているように思う。
ナイーブな表現にはなるが、『天使のいない12月』のそういう、その場その場でフラフラと人間関係の糸を結んだり切ったりしていくことで結果的に三角関係がたまたま暫定的に成立する佇まいを、わたしはある意味で「リアル」だと思った。どこまでも地に足がついている。
男女ふたりが永遠に添い遂げるロマンティック・セックス・イデオロギー構造を採らないこともそれに関係している。このゲームの世界に「永遠」も「真実」もない。あるヒロインと一見して幸福なトゥルーエンドを迎えても、それはあくまで局所的で暫定的な結論にすぎない。未来はどうなるのか誰にもわからない。「ただ、そこにあるだけの想い」を慎ましやかに肯定するとは、そういうことなのだろう。
トゥルーエンドのあとであっさりふたりが別れてまたそれぞれ別の人間と寄り添って生きていく可能性が最後まで尊重されている。だから、本作はたしかに三角関係を扱っているが、それはメインテーマではなく、真のテーマ(「ただ、そこにあるだけの想い」)を表現するときに結果的に生じる副産物のようなものだ。このシナリオにとって三角関係は目的でも手段でもなく、結果(の一部)なのである。これが、明らかに「三角関係」を主題(目的)として作られた丸戸作品などとの根本的な違いだと思う。
なお、わたしは本作を上記のように受け止めているために、その「全体の佇まい」や「追求している方向性」はとても好ましいと感じるし、「エロゲ初心者にオススメ」だとも思うが、個々のキャラクターやシナリオに関してめちゃくちゃ深く刺さったわけではない。プレイし終えたばかりなのに、正直すでにあんまりどういう内容だったか記憶がおぼろげである。
根幹の「追求したいテーマ」が完全に肌に合っていたために、どのルートも嫌いにはならず、「そうなるのね~やっぱ信頼できるわこのゲーム……」となれども、感動でボロ泣きしたり、キャラが刺さり過ぎて悶えるようなことは一度もなかった。平均してどのヒロインのシナリオも「それなりに(とても)良かった」という、これまたファジーな印象だけが残っている。わたしにとって『天使のいない12月』はそんな作品だし、だからこそ好きだと胸を張って言える。
ゆえに、以下の各キャラの印象語りは、きわめて簡素なものとなっている。(1人を除いて)
・各キャラクターについて
木田 時紀
まず、このゲームはプレイ開始直後に主人公の名前(姓と名)を自由に入力することができるタイプの作品である。本編で他のキャラに名前を呼ばれるとき、主人公の名前の部分はCVでも発声されず、読み飛ばされる。イラストにも主人公の顔はほぼ描かれず、匿名にしてプレイヤーの写し絵・投影対象のキャラクターとして造形されている。
しかしながら、わたしは三人称視点で客観的に物語を鑑賞する「主人公≠プレイヤー」派のエロゲーマーなので、こういう類のゲームでは困ってしまう。自分の分身だとは思いたくない。あくまでヒロインなどの他の人物と同じ次元の「キャラクター」として受け止めたい。
したがって、わたしはデフォルトで設定されていた「木田時紀(きだ ときのり)」を主人公名にしてプレイした。
さて、そんな本作の男主人公・木田時紀の第一印象は、めちゃくちゃしょうもない虚無主義者、だった。繰り返される毎日に退屈して、何事にも特に興味を持てずに冷笑的にやり過ごす。そのくせ、妹に当たりが強かったり、女性全般を見下す様子などミソジニーの側面も見られて、「うわっ……これからこんな虚無主義ミソジニー野郎の視点でのハナシを読まされるの? きっつ・・・」と早くもプレイを止めようかと思ったことを覚えている。
> 生きてても、なにも感じない。そりゃ、俺もときには怒るし、笑ったりもする。だけど、それは昔積み重ねた習慣と、生物学的な反応にしか思えなかった。そこにはなんの意味もない。ときには心が動かされるかもしれないけれど、永く続いたりはしない。いつも、切れた電池のようになってしまう。切れた電池はただのゴミだ。俺を動かさない。そして……。それを捨てることになんのためらいもない。
しかし、次第にそんな時紀という人間の受容の仕方が変わってきた。彼は、(エロゲなのでぼかされてはいるが)おそらく高校生であろう年頃だ。そんな男の子が、厭世的な独白を延々と続けているのである。これは・・・ものすごく青臭いが、だからこそ「かわいい」んじゃないか? そう思えてきたのだ。
マンガでいえば桜井のりお『僕の心のヤバいやつ』の主人公・市川京太郎のような、思春期を拗らせた男子のかわいさを木田時紀も持っているように感じた。その啓示を得てからはもうずっと「そうだよね~若い頃はそういうこともあるよね~~」と、あたたかい眼差しを彼に送っていた。
時紀くんはたしかにミソジニー野郎ではあるんだけど、それは思春期の、自分以外の他者や世界すべてに反発したい精神性のあらわれであって、そういう青年が生身の他者(女性)と関わって触れ合うことで、その価値観を変容させていくビルドゥングスロマンとして見れば、第一印象からは嘘のように、時紀視点の物語を楽しめた。
わたしは本作を、ツンツンしたいけど実際には言うほど暴力的でもない時紀くんの「かわいさ」を堪能して愛でるためのハナシだとして、キュンキュン(?)しながら読んでいた。ヒロインの身体にドッキドキで触れているときの脳内のビビり散らかし具合とか、ほんとかわいい。
一度「そういう風」に読むと、彼のどんなペシミスティックな独白もぜんぶ「頑張って格好つけててかわいいね……」と笑顔で噛みしめることができる。
あるルートでは、なんやかんやで妹想いなところも存分に見れるし、まじで「ちょっとニヒルを気取ったりミソジニストの暴漢ぶったりしたい年頃の、根は優しくて真面目な男子高校生」なので、嫌いになりようがない。本作でいちばん内面が好きなキャラといっていい。かわいい。
肉体関係から始まったせいで拗らせて恋愛関係になるのが難しくなってしまった思春期の男女のハナシ、ということで、浅野いにお『うみべの女の子』をすごく連想しながら読んでもいたため、自分のこれまで読んできた漫画の語彙で喩えるならば、
『天使のいない12月』は、『僕の心のヤバいやつ』×『うみべの女の子』
のような作品、ということになる……。
栗原 透子
かわいいとは思うけどそんなに好きではない…… 男主人公に従順でどこまでも都合よく依存してくるヒロインが苦手なので。
しのぶ
黒髪ロングの見た目はそこそこ好き。幼馴染の透子にものすごく執着して依存しているところはあんま好きじゃない。潔癖すぎてひとたび自分が汚らわしい罪を犯してしまったと自覚したら、一気に自暴自棄になって全力で堕ちていこうとする精神性のために、どうしても心配が勝ってしまう。ただ、透子とのヘテロ百合三角関係シナリオはやっぱり好き。
明日菜
見た目すき。こちらをからかって弄んでくるバイト先のエッチなお姉さん(女子大生)……最高! でも劣悪な家庭環境ゆえの歪み・弱さが明かされてからはあんまり……。
真帆
なんやかんやいちばん好きかもしれない。他のキャラがどいつもこいつも表面上は病んでいて精神衛生が心配なので、相対的に、後輩のスポーツ少女の健全さが際立つ。物語開始時点で、主人公以外の男と付き合っている←最高浮気して三角関係になる←最高学生カップルの別れをちゃんと描くシナリオ←最高
雪緒
自分の命を軽んじるフワフワ不思議ちゃん天使系キャラとしてはそんなに好みではないが、雪緒√のシナリオは良かった。浮世離れした異常な少女かと思ったら、根は優しくてどこまでも平凡な少女であった展開が好き。ファンタジーの失効と青春の終焉。
恵美梨
妹キャラが苦手なので刺さりはしないけど、雪緒のことが本当に好きな同性愛者キャラとしてはとても良かった。(雪緒√の異性愛/同性愛が並立する三角関係要素が良かった)あと、時紀が日常的に恵美梨に酷く当たってはいるものの、本質的には妹想いの良いお兄ちゃんであることを隠せていないさまが良かった(時紀→恵美梨 の描写が好き。要するに時紀が好き)
・イラストについて
そういえばぜんぜん言及していなかったが、本作の最大の美点のひとつが、イラストの魅力にあることは間違いないと思う。わたしの暫定ベストエロゲは同じleaf制作で同じ原画(なかむらたけしさん)の『WHITE ALBUM2』だが、2010年に発売されたあちらよりも、2003年の『天いな』のCGのほうがはるかに美麗に思えるのは……錯覚だろうか?
Hシーン等のイベントスチルにおける人物の身体の肉感や肌艶、下着の描き込みなど、一目見て息を吞むほどに美しかったし、立ち絵の造形も見事だった。
やっぱり、優れたノベルゲームはスチルが良いのはもちろん、日常シーンで大写しにされている立ち絵から見惚れてしまう魅力を備えているのだなぁと思った。(この時期でいうと、ねこねこソフト『120円の恋』も同じようなイラスト素材の良さがあった)
なお、音楽(BGM)はそれなりによかった。なんか耳馴染みのある曲だな~と思ったんだけど、もしかして『WA2』とかにも流用してる?
・システムについて
男主人公の名前を自由に設定できる機能については上述の通り。
テキスト面での本作の特徴として、画面下部にだけ数行の文を表示するメッセージウィンドウ形式と、画面全体に文章を映すビジュアルノベル形式のハイブリッドであることが挙げられる。
メッセージウィンドウ形式。時紀が他キャラと対話する日常パートの多くはこの形式
全画面ビジュアルノベル形式。小説の地の文のように、時紀の一人称の叙述で進む
なぜこのようなハイブリッド制を採用しているのか、その理由をまともに検討するには知識と経験が足りなすぎる。そもそもleafは『雫』『痕』『To Heart』のビジュアルノベル三部作で「ビジュアルノベル」という語を初めて大々的に使用したブランドであるから、ここらへんの過去作からのシステムの継続・変遷がいろいろとあるのだろう。
実況プレイ動画を軽く調べた限り、97年の『To Heart』は銘打った通りの全画面ビジュアルノベル形式で、98年の『WHITE ALBUM』や99年の『こみっくパーティー』はメッセージウィンドウ形式となっているようだ。2010-11年の『WHITE ALBUM2』も後者だった(追加のおまけ前日譚は前者だけど)。
雑にまとめると、~97年のビジュアルノベル三部作の頃までは、全画面ビジュアルノベル形式を採用していたが、以降は主にメッセージウィンドウ形式にしている……? とするならば、2003年の『天使のいない12月』であえて局所的にビジュアルノベル形式を復活させて使用したことには、それなりの演出意図があるように思える。すぐに思いつくのは、例の「それは永遠でなく……」定型文をビジュアルノベル形式で表示するため、という理由だ。
たしかにこの作品を象徴する重要な決め台詞(?)は、画面下のちっこい枠内にちまちま表示されるよりも、こうして全画面のスペースのなかを、あたかも詩のように、(クリック無効の時間指定演出で)印象的に映されたほうがよいと思われる。それ以外にもひねれば色々と理由をでっち上げることはできるのだろうが、ひとまずこれくらいにする。
また、この作品が他の(最近の)ノベルゲームとは異なる点として、テキスト履歴(バックログ)を表示したときに、過去テキストだけでなく、その時のイラストまで含めた画面全体が "巻き戻る" ところが挙げられる。
バックログで専用画面に切り替わらずに、メッセージウィンドウ内の文がそのなかで遡っていく形式は見たことがあるが、その際に表示されているイラストまで、そのテキストが出ていたときのスチルに順次戻っていくものは多分初めてプレイしたので、やや驚いた。ノベルゲームの構造論としても、バックログ機能は非常に重要だと考えているため、この形式だと扱っている物語の在り方が根本的に異なりさえするのではないか、と感じる。端的に説明することが難しいが、ざっくり言えば、この形式を採ったノベルゲームは擬似的な「巻き戻し」が可能であるといえるために、不可逆な「ゲーム」というよりも可逆的な「映像」に近づいているのではないか……というような論である。
【プレイ中のメモ】
男主人公の名前を自由に設定できるタイプ。デフォルトで。木田時紀(ときのり?)ウィンドウで150%拡大「テキストフォント」と「ノベルフォント」が別々に設定できる。テキスト履歴がフル画面表示ではなく、メッセージウィンドウ内で1クリック単位ごとに表示される形式だ。しかも前のテキストに「戻る」と、立ち絵も一緒に戻る。履歴機能というよりも、実際にゲームの物語そのものが巻き戻っているかんじ。こういうのもあったんだな、昔は。スペースキーでテキスト非表示なので面倒臭い男主人公の名前が別キャラに言及されるとき、そこだけ不自然に読み上げられない。……名前固定でいいのに。
・導入パート
いきなりの行為シーン。誰? 行きずりの関係?池田春奈さんVo.のアコギ主題歌ひとつ下の妹・恵美梨男主人公の性格・モノローグの文体がかなりきつい……時代を感じる。すげぇ偉そうだしミソジニストなにこいつ……まじできしょいな。妹に家事全般をやらせてるくせに、出された飯のメニューに文句をつける。お年頃の兄妹って普通こんな感じなの? 「お兄ぃ」と呼ぶ妹キャラも往年の流行りだなぁあと、独白で無駄に厭世主義と達観を気取っているのがウザい。青臭さを可愛がったほうがいいだろうか。うつ症状っぽくもある。この虚無主義は90年代世紀末感を引きずった00年代前期に特有のアレだろうか。背景美術がとてもキレイ。淡く繊細なタッチ高校生?が屋上で喫煙霜村功(つとむ?) 妹の友人・真帆と付き合っている
いいスチル~~~! 絵がうめぇ ネットでよく見かける画像だ。屋上から落とした煙草が頭に当たって見上げた瞬間だったのかこれ。
はい好き
「あぅ……」!? そっち系の子なのか?? ""時代"" すぎるだろ・・・・栗原透子!!! この人がそうなんだ~~
かずさみたいな人でてきた。こんなに優等生じゃないけど委員長の「榊」って女性か。男子かと思った。
まじでヤベー奴しかいないじゃん…… どうなってるんだよ
すげ~~ 教室シーンに、こうして生徒や教師をぜんぶちゃんと描くのか。しかもその上に立ち絵を表示してる
はいこの子も好きです葉月真帆さん
立ち絵でなかなかおもしろい体勢とるなぁ 振り向き姿勢 見返り美人しのぶと透子は「デキてる」という噂が流れている この時代の同性愛の風当たりは非常に強い
ミソジニー虚無主義男と、希死念慮女の恋? 透子さん、発達障害なのかな
他者と触れ合うこと 傷つけること
思春期の、じぶんが世界からつまはじきにされたような、世界のがけっぷちに立っているような切迫感をよく表現しているかもしれない。00年代前半のエロゲだな~ そういうサブカル層に未だに人気がある理由がよくわかる。
(シーン突入) ガチで絵がすばらしい・・・
透子「う、うん……なんだかよく見えないの怖いから……」
時紀、「メガネ外さなくていいのか?」と聞いてあげるのちょっと優しいな。それに対して透子が「う、うん……なんだかよく見えないの怖いから……」と返すのもいい。"ヒロイン" のメガネは、男が客体化して消費するためのアイテム/属性ではなくて、あくまで彼女自身のために使用される補助用具である。まさに「鑑賞用じゃなくて、実用本位な身体」。
これが女? リアルな生身の女の身体?
凹凸はないけど、キレイな肌。鑑賞用じゃなくて、実用本位な身体。
時紀くん、すげ~ミソジニー野郎かと思ったけど(実際そうではあるんだけど)、思春期の、自分以外の他者や世界すべてに反発したい精神性のあらわれであって、そういう青年が生身の他者(女性)と関わって触れ合うことで、その価値観を変容させていくビルドゥングスロマンなのだとすれば、むしろかなり好きかもしれない。王道にエロゲ的であり、フェミニズム的。
あーこれ、時紀くんの、ツンツンしたいけど実際には言うほど暴力的でもない「かわいさ」を堪能して愛でるハナシだと思えば、めっちゃ面白い気がしてきた。透子の身体にドッキドキで触れているときの脳内のビビり散らかし具合とか、ほんとかわいい。お互いに初々しくていい。キュンキュンしてきた。「はじめてのエロゲ」として良いかもしれない。暴力は優しさの裏返し。本当はひとに優しくしたい。でも素直には言えない…… そんな高校生男子の心理。エモい。かわいい。
それでも、栗原はただの女だ。バカでも身体はただの女だ。
そして、俺は人間で男なんだ。
「女」「身体」と、「男」「人間」という象徴的なミソジニーの二項対立でもなぁ…… めっちゃ女性蔑視的ではあるんだけど、その暴力性・差別性を十全にコントロールして発揮できない "かわいい" 男の子の葛藤を描いているので、逆に良い、と言ってしまいたくなる。世界からつまはじきにされたようなふたりだけど、セックスによって、自分たちで新たな命を生み出すこともできてしまえる。その圧倒的な神秘と不条理に酔いしれる。これぞエロゲ。性の営みを描くことで、人間の根源的な孤独と、他者の愛を求める愚かさ/優しさという社会の芽生えを表現することができる。人間の "リアル" に迫ることができる。
うわ~~ 良すぎ!!! leafの塗りめっちゃすき もっと早くから色々やるべきだった『WHITE ALBUM2』でもここまでキレイだったかなぁ あんまり印象にない
うわ~~ここで選択肢かよ!! >それでも、この快感だけは本当だえっ、純愛っぽいほうに行くのかと思ったのに、レイプの快感を知ってしまって開き直るかんじなのか……えぇ……そんな奴隷調教モノみたいな……
休み時間の教室内の風景スチルもあるんだ……
う”ッ・・・ かわいい……栗原透子さん、マジでオタク男性の理想みたいなキャラじゃないか? 都合が良すぎる非実在2次元美少女。これぞエロゲヒロイン。これぞエロゲ
ほんっと風景スチルも綺麗だな…… 今どきの美麗さとは違う温かみがある
ぜんぶが「エロゲってこういうものだろう」のステロタイプを外さない。でも良い。どのキャラも好き
麻生明日菜(あそう あすな)さん 大学生だから、歳上枠か
立ち絵だけでも、ひとつひとつの差分にじっくり見入っちゃうくらいにはすき
栗原とは同じ女だけど、根本的になにかが違っているのかもしれない。
時紀にとっては、一度じっさいにやった透子がすでに特別で、初対面でおっぱい押し付けてくる目の前のエロいお姉さんよりも「滾る」らしい。加虐心をそそられるのは透子だけ。まぁ確かにそういう雰囲気のある少女ではあるけど。
今のところ、この妹だけが特段に刺さりはしていない。やっぱり歳下/妹属性・ロリ系のキャラは基本的に苦手なんだなぁ。
あ~でも真帆さんはかなり好きだから、歳下なら即NGってわけじゃなさそう。妹は無理かな。『マケイン』とかでもまったく食指が動かなかったし。
すごい躍動感・・・・
真帆「あたし、大人になれるのかな?」
「大人」な明日菜さんと比べて、「子供」っぽい自分に思い悩んでいる真帆 大人になることと性経験。真帆√あったら浮気ってこと?
時紀はこないだの2回目の行為をレイプだと思っていたが、された張本人である透子に「あんなのレイプじゃないよ」と否定される。自己肯定感が低すぎるので、自分の身体を求められただけで「優しくしてくれた」からと時紀のことを好きになってしまう。うおおおおお 都合が・・・よすぎる・・・・ こんな女性キャラがいていいのか……いいんだよな……エロゲなのだから…………。でも、透子はこのとき本当に時紀を好きなのだろうか。どちらかというと、自分が必要とされていると感じたいがために、時紀とのセックスに依存し始めているだけではなかろうか。
須磨寺雪緒(すまでら ゆきお) またヒロインが出てきた。同じ学校の同級生か
考えてみれば、屋上と煙草に関連付けられたヒロインって、『すば日々』の水上由岐の元ネタなのかな。男主人公が落とした吸い殻が当たった、というだけだけど。「あと一年とちょっとで卒業」ってことは、高2か
犬の保護を口実に透子を自室に上げることに成功
(スチル)ふつくしい・・・こいつら、いま拾ってきた犬の隣でセックスおっぱじめるのか? 3P?挿入してから果てるまでのスパンはかなり短いな
えぇ…… 時紀の吸い殻を「お守り」として携帯している透子。重いよ…… こわいよ……
「八文字駅」犬の飼育費用は透子に全額負担させる。それはまぁそうかでも時紀くんさぁ、自分が払うのは馬鹿馬鹿しいから、って理由だけじゃないよね? 透子と休日デートしたいから呼んだんだよね?? 誰にも言わないからおじさんに話してみなよ~~
か わ い い
は? 正直になれよガキが・・・
そんなことないよ~~
獣姦エロゲ!? 『J×J 女子校生×獣化計画』!?!?
かわえ^~~
・・・なんかフツーに、こういう学生ヘテロカップルのイチャラブものとして楽しめる気がしてきた。『緊縛性奴会長』のような、擬似ソフトSMっぽい関係の青春純愛モノなのでは??透子との関係が周りの人たちにバレたくない時紀と、「べつにいいけど?」な透子。時紀かわいいな『僕の心のヤバイやつ』と同じジャンルに思えてきた。
草 時紀お前……こういうムーブもできるんだな。功に対しては。マジで傍から見ても初々しくも熱愛中のラブラブカップルじゃん。お幸せに~~
功経由で妹や真帆、明日菜さんに透子とのことがバレる。仕方なく「恋人」ということにする時紀。時紀は照れ隠しで(?)、透子をトンマのトン子と呼ぶことにする。(画像検索して)軽食洋菓子のシュトゥーデルってこれかぁ うまそう真帆と功を含めた四角関係がこじれそう てか功(いさお)なんだ。つとむかと
・真帆ルート
二度目の選択肢。真帆√に入るかどうかの分岐かなぁ>引き受けるお着換えを覗いてしまうお決まりハプニング恋愛を望む女性と性愛を望む男性の二項対立を立てている? 女性がセックスのリスクを高く見積もるのは、そりゃあ妊娠可能性があるんだから当然だ。その場での痛み・大変さもさることながら。今のところ男連中は妊娠リスクとかを何も考えていない。
真帆「子供欲しいわけじゃないのに、Hしてどうなるんだろ?」
ここアツい これをエロゲで言わせるのがいい。エロゲの本質
真帆「あたしはもっと深く深くつながりたい。セックスしなくてもわかるくらいハッキリと」
セックスと愛の関係について。なんだか、ちょっと年齢層高めな少女マンガ(レディコミ?)を読んでいるようだ。バイトサボるときもわざわざ律儀に電話連絡して無断欠勤しない時紀、ワルになり切れていなくてかわいい
いやぁ~・・・まじで真面目に青春恋愛/性愛群像劇をやってるな。セックスまで含めた恋愛劇。「エロゲにエロって必要ですか?」というクリシェへの最適な回答かもしれない。真面目にヘテロ恋愛劇を描くためには、セックスを巡る懊悩まで遡上に乗せなければ嘘になってしまう。
てか、今更ながら、男友達(功)とその恋人(真帆)のヘテロカップルをしっかり描くエロゲって良いな。それほど一般的ではないから。しかも、真帆も攻略対象……かは分からないけど、「ヒロイン」っぽい描かれ方はしているし。透子が明らかに時紀と真帆の関係を不安に思って嫉妬している。浮気だ~~!>チケットのことは話さない
時紀と透子の関係について、鋭い指摘をする真帆。
身体と心の乖離。功とのセックスで身体が気持ち良くなってしまったら、そのぶんだけ心とズレて、これまでの関係には戻れないのでは、という不安。
彼氏(功)とは違う、家族のように一緒にいて安心する「スキ」。これも言い訳か?透子がヤンデレになりそう。真帆か時紀を刺しそう
真帆「あたし、誰とでもセックスしちゃうような女の子に見られてたんだ!」
真帆「セックスしたかったくせに! あたしがするのがイヤなんだ!!」
あ~あ
スパッツ神>Hする>じゃあ、俺とつき合うか?えっ!? いっしゅんで終わった・・・ バッドエンドじゃん。時紀は透子と別れて真帆と付き合い始めるも、空しい関係に終わる。
「やっぱりセックスしても、なにもないんですね……」
セックスから始まって恋愛をやろうとする倒錯的なジュブナイルものということで、浅野いにお『うみべの女の子』を思い出す。
>俺にできることはなにもないか真帆との交際を回避妹もちゃんと別の男子(先輩?)と熱愛してるのいい
ええっ! こっちもすぐに終わった。透子バッドエンドって感じ?つまりは真帆とやってしまった時点でお先は暗い(=物語にする価値もない)ってことか。
(真帆と)>Hしないなるほど。真帆の誘惑・申し出を断ることで、時紀は自身の透子への想いに向き合わざるを得なくなる。
木田「誰かの上に立ちたい、思うがままに振る舞いたいって願望に負けたんだ……」
俺が透子に依存してただけ……透子の弱さに寄りかかっていたに過ぎないんだ。
透子への時紀のそんな想いを、真帆はそれこそが「好き」だと形容し、それが自分で分からないことをかなしいと言う。
遂に時紀に告白した透子。自分を捨てるならしのぶに全てをバラすと脅す。殺してくれと懇願する。古典的な「重いヒロイン」だ…… >好きじゃないんだ真帆に言われて透子のために買った犬のぬいぐるみを、妹へあげてしまう時紀。
人は形があるものに欲情する。
しのぶが時紀を糾弾するが、透子はそれでも時紀のことをそんなに悪く言っていないことがわかる。時紀が臆病さとか自意識とかを少しでも和らげることができれば、透子とだって「普通」の関係に落ち着くことはできるだろう。でもそれができない。思春期だから。若者だから。エロゲの男主人公だから。そういう時紀の精神性をかわいいと愛でるのがこのゲームの楽しみ方だ。透子と別れたことで、後腐れなく真帆と付き合うのかな>行く
真帆さんのデート服
『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』!? [望月智充]みはあるんだよなずっと。『海がきこえる』っぽいBGMも流れてくるし。
>真帆ちゃんを抱くうーむすばらしい。黒ストすばらしい
それでも俺は彼女のことを好きとは言えなかった。
「あたしもセンパイがスキなのかわからない……」
セックスによって、時紀も真帆も、虚しさが増してしまった。互いへの気持ちがわからなくなった。お互いに真剣に愛し合った結果であり証拠、到達点としてのセックスではない。そこらへんの純愛和姦エロゲとは一線を画している。
真帆「セックスで手に入るものなんかひとつもない、セックスをしなくても、手に入るものなんかきっとない……」
「望んだものは心に思い描いたものだから、きっとどんなに望んでも手に入らないんですね」
「みんな、誰かをスキになるんですね。初めから失われたものだから、取り戻したくて、みんな、誰かを好きになる」
名言ラッシュ!! 『ToHeart』のleafがこれを出している、という背景がまた、こうした台詞に厚みをもたせる気がする。
うおおこれも良い文だ。
Hシーンにしろ普段の日常会話シーンにしろ、いい意味で、そんなに深掘りがされずにサクサク進んでいく文章がこの物語にかえって深みを持たせていると思う。丸戸史明とかのネチネチ説明していく文体とは違う。
クリスマスイブの約束の日、功としっかり別れるために会おうとする真帆。>行く
功と別れ話をする真帆。エロゲでこうして男主人公以外のカップルの別れをしっかり書くのって珍しい気がするけど、この時代はむしろ「恋愛シミュレーションゲーム」としてこういうのが王道だったのだろうか。とても凡庸だけれど、そんなありふれた学生カップルの別れをちゃんと描いてくれるところがいい。それでもきちんと話して別れることができて、このふたりは立派だよ。
互いが互いにとっての「2番目の存在」として、寒い冬の夜のひとときを共に過ごす。それだけの関係が必要なときもある。
なるほどなぁ。「ただ、そこにあるだけの想い」というフレーズがこうして幾度もリフレインされると、だんだんとその意味するところが分かってくるような、趣深く感じられてくる。永遠でも真実でもなくて、それでも、こういう恋愛の一場面、ひとつの帰結、ひとつの人間模様もあるよね、というささやかな肯定。そこにあるだけのものを、取り繕わずに、そのままごろんと差し出している。まさに恋愛ゲームだ。すばらしい
エンドロール!
今のが真帆トゥルーエンドだったのだろうか。
>行かない明日菜さんに慰められてファミレスへ行くエンド。真帆を放り出しておいて時紀ほんとアレだが、まぁまだ子供だから仕方ないよねっ、とすべてを老人目線で赦せるようになってきた。悩め、愚行せよ、若人たちよ……
>真帆ちゃんを抱かないHシーンが無いだけで、2つのENDまで行くのは同じだった。
(真帆の待つ遊園地に)>行かない
なに? 明日菜さんってバッドエンド請負人なの? そのための都合の良い女なの?w
>透子が必要なんだ
透子との性的関係は維持されるが、これまでにもまして割り切った、虚しい関係になるエンド透子が時紀を身体で繋ぎとめることに成功し、時紀は、心から愛してはいない女に惰性で囚われ続ける……バッドエンドが多すぎる!!
パンツを見せつけてきた真帆と体育倉庫でHしなくても変わらないか
>チケットのことを話す真帆との関係は断ち、透子となんやかんやで楽しく付き合うも、けっきょくはセックスで繋がっている関係であることの虚しさを抱えて過ごしていくエンド
透子「Hして子供作ればいいの? でも、そうじゃないんでしょ? 子供なんかが欲しいんじゃない」
「怖いよ。セックスしかできないなんて。でも、でも、それしかできることがないなんて……」
「俺たちにはまだセックスがあるんだろ?」
ここらへん激アツ台詞の応酬
マジで、エロゲのチュートリアルというか、義務教育として最適な作品だと思う。現代の純愛モノで主流となっているような、ヒロインと恋愛して付き合った先に、ふたりの強固な関係の結晶としての「セックス」がある……という、エロゲ的ロマンティック・ラブ(セックス)・イデオロギーがまったく無い。セックスって人間にとって、若者にとって、男女にとって、そんな生易しく尊いだけのものじゃないよね、という点に真摯に向き合っている。かといって凌辱モノほど過剰におぞましく暴力的なポルノにも位置付けておらず、「ただそこにあるだけ」の、虚しくてやりきれないものとして描いているのがすばらしい。
「真帆にCDを返してくれ」という功のお願いを>断るこれで真帆√に入ることは回避
真帆と功の冷え切った関係など「対岸の火事」……あれっ!? ひとつ前に見た「俺たちにはまだセックスがあるんだろ?」エンドじゃん!! 真帆√に入らなくてもすぐバッドエンド直行なのか……
・明日菜ルート
けっきょくこの最初の選択肢で3番目を選んだ時点でダメってことかぁ>どうせ、いまだけだスキップ機能で飛ばす>もう帰る透子とは距離を置いて、雪緒√に入る??あっ、まだ透子との犬のくだりやるんだ。でも選択肢がでた。>透子を罵倒する「死ね」と酷いことを透子に言うものの、子犬は拾ってきてあげる時紀
明日菜√やないかい!! 今のところ明日菜さんがいちばん好きかなぁ 歳上ヒロイン最高~~
すき……
一方的にキスして好意を打ち明けた翌日からお弁当を作ってくる明日菜センパイ>いえ
え? セックスしてんの? いつの間に…… 読み飛ばした?雑に終わって草 やっぱりバッドエンドだからセックスシーンを端折ったってことか
「迷惑?」>……
全力で時紀をヒモにしようとしてくる明日菜さん 『世界でいちばんNG(ダメ)な恋』の夏夜さんのような守りたい、世話を焼いてあげたい、という形の恋店長に詰められて、いきなりケーキ切ってみろと言われる>できる青臭くすぐに自己嫌悪して自分は死んだほうがいいなどと語る時紀を、年長者として優しく甘く包み込む明日菜さん。
自ら車道に飛び出して、時紀の優しい心の存在を確かめる明日菜さん。なにやってるんだこいつら
えっっっっっっろ私大の仏文科なんだ
うおおおおおおお →妹フラ未遂でキャンセル
しのぶさんもすげぇ立ち絵いいな~
明日菜さんとの初デートは息が詰まりそうで互いに楽しくなかった。なのでもう身体の関係を結ぶ明日菜の両親は離婚しており、ほぼ育児放棄。広い屋敷にぽつんとひとり。男を連れ込むのに都合が良すぎる>俺じゃあ、明日菜さんを幸せにできない一旦は断って恋人関係は止めるも、だらだらとバイト先の同僚関係は続けて、淡い期待をし続けるエンド
>俺でいいんですか?「真実」や「本当」が明日菜√のキーワードか美しすぎるおっぱい
「今日も幸せになりましょうか」←えろすぎる明日菜さんマジで優しすぎる。人をダメにするお姉さんだ明日菜と幸せになりたいと思い始める時紀は、だからこそ透子ときっちり仲直り(?)しておかなければならないと考え、ポイ(仔犬)を自分のもとに引き取って透子に報告する。
時紀のことが「カワイイ」から好きだと、守ってあげたくなると妹に語る明日菜。なるほど、それは確かにわかる。カワイイよねこいつ。等身大の高校生男子ってかんじで。
写真撮られることにトラウマがある? それとも、妹や彼氏の友だちに自分を紹介されるのが嫌?
写真論っぽい。写真を忌避して今に生きるさまが、「真実」や「本当」のことにこだわる面とも繋がっているのかなそれから勿論、エロゲの「ヒロイン」であるというメタな属性との関係も気になるところ。「絵」として、もっとも見られるために存在している者といってもよいのだから。9/30シーン
明日菜と教師の橘は知り合い? 同じ学校の卒業生なのね
図書館の背景CGは初めてかな。狭さが生々しい>アルバムを調べる
えぇ……まじ? 「聖母」だと思っていた女性(ヒロイン)が「娼婦」だった、というよくあるやつ大学生というのも嘘? 通ってる感じしないしな
雪緒さんの外着いいな
なるほど。そういうかんじね。「かわいそうな女」として同情だけされて束の間救われて奪われることに絶望し、今度は奪う側になろうと時紀を狙って近付いた。男子主人公=エロゲプレイヤーの心根がヒロインから糾弾される展開に時代を感じる。「都合がいい」のは、ヒロインではなく、男子主人公のほうであったという反転。とはいえ、明日菜が「かわいそうな女」の枠から出れてはいない(むしろド王道である)ので、うーむ……
明日菜さんに裏切られてショックを受け、都合の良いヒロインであるところの透子に逃避する時紀。都合の良さが罠であった明日菜との対比。透子さんは流石に気弱で従順で時紀にへりくだり過ぎてて好きになれないよ今のところ、雪緒さんのキャラもそんなに…… ダウナー平静系は好きなはずだが、なぜだろう。お嬢様っぽすぎるから? 元気っ子の真帆ちゃんや、明日菜さんのほうが好き。しのぶさんはまだ分からん。
ネグレクトが横行する機能不全家庭で育ったことで心が歪になってしまった明日菜さん。可哀想だが、好みからは遠ざかって残念。親など、自分を無条件で肯定して傍にいてくれる他人に飢えている寂しがり屋。
そういう家庭でよくある典型的な愛着障害明日菜さんが輪をかけて気の毒なのは、「女子大生」と名乗るように、もう「子ども」として社会から守られる枠からも外れてしまっているであろうことだ。適切な保護者との関係を経験できないままに、「大人」にされてしまい、ひとりで、他者からの愛情に飢えて生きていくしかなくなっている。社会福祉による包摂などの視点は当然に欠落している(都合が悪いので)。
可哀想な境遇のヒロインを男主人公が救う、というエロゲの構造を自己批判するヒロイン/シナリオ。こういうメタ構造まで含めてめっちゃ王道の2000年頃のエロゲってかんじ。
必死で「気さくなお姉さん」を演じようとしているところは、WA2の千晶にもやや似ているか。あちらは非虐待児とかではないけど。
こいつら高校生なのによくそんな頻繁にラブホ行く金あるな……透子との逃避セックスシーンが度々あるが、どれも同じCGの使い回しなのが良い。単調で作業のような虚しい行為であることの演出。>だけど、もう俺には栗原しかいない。明日菜のことを忘れられないままに「透子」との関係に耽溺していくエンド
>栗原とはなにかが違ってる
透子「木田くんはあたしなんか見てない。ずっとずぅっとむこうにいる麻生さんばかり見てる……」
お互いに裸の状態で、ベッドの上で激昂されて糾弾される展開大好き 馬鹿馬鹿しさと切実さがともにある発される「セックス」とか「身体」とかいった言葉の迫力がかなり発揮されていていい
「どうしてなの? どうして、あたしじゃダメなの? セックスならあたしで十分じゃなかったの?」
「せめて、あたしを抱くときはあたしの身体を抱いてよぉ!」
「ここにいればいいじゃない。身体ならここにあるじゃない……」
それでも透子は時紀を「優しい」という。優しすぎるせいで、透子に対して「好き」という嘘がつけないのだと。透子は、時紀にとってすごく都合が良いし、気弱だし従順だけれど、それでも強さがあるなぁ。身体と心、セックスと恋愛がこじれたしょうもないウジウジだらだらしたお話が……好き!!!
けっきょく何やかんやで元鞘に収まるんかーいw 明日菜を救えないことを自覚して、ただ縋りついて情けなく抱きしめたその行為こそが、彼女をゆいいつ救える道だった…… うーん、しょうもない! 好きっちゃあ好きだが。
世紀末の残り香を濃厚に感じるダウナー雰囲気ゲーではあるが、「狂気」とかグロやサスペンスや非現実的なファンタジー要素はなく、あくまで等身大の日常生活だけを描いているのが好き。『すば日々』が多くのブラフの果てに用意していたものを、最初から最後までそれだけで差し出す姿勢。
もし、セックスに意味があるとするなら、刹那の幸福をともに感じられることなのだろう。
名言っぽいやつ
黒スト、黒下着……最高!!
まぁそれがいいと思うけどわろた
ノベルゲームの不可逆性へのメタ言及!!(妄想解釈)各√のトゥルーエンドになると雪が振り出す仕様なの?
「それは永遠でも 真実でもなく ただ、そこにあるだけの想い……」って、要するに「永遠で真実の純愛」みたいなものを否定しながらも、それでもなにか愛のようなものを誠実に描こうとしているってことか。すべての愛は、自意識のなかの自己愛を互いに差し出し合って、見かけ上、それっぽく演じられるところから始まる。それがやがて真実の愛に辿り着くのではなく、どこまでもそういうものでしかありえない、と。だいたい分かった。「愛とは何か」みたいな形而上学には深入りしたくないけど、サックリ終わってくれるから良いね。
明日菜トゥルーエンドおわり!明日菜さんのキャラデザや(演技の)性格はかなり好きだけど、可哀想な境遇の発覚からなんやかんやで2人がくっつく展開は微妙。とはいえ、やりたいことのトーンはそれなりに好ましかった。
自分には、このゲームを深く嫌うことは多分どうあがいても出来なさそう。一定の好感は消えないと思われる。青臭い若者たちが愛とセックスに思い悩んでダラダラじめじめするしょうもない話が……好きだから。
明日菜の未回収CGが序盤に2個あるんだけど……
・透子ルート
(ケーキ切るの)>できない(アルバムを)>調べることない表面上は円満なバッドエンド
(屋上で透子がポイを抱えて)>放っておくのか?
お、俺、バカだからよぅ、セックスしか出来ねえんだよう・・・>透子を追い出すバカ犬エンド
>透子と関係をもつ>あいまいなままにしておく
すげぇシックな私服
計算できてえらい
かわいい
ねこねこソフト?
これ透子ルートなのかな>無視する透子と疎遠になり明日菜さんとなんとなくデートを重ねるバッドエンド 透子は何か事件に巻き込まれてるのか?
>一応出てみる>栗原のことだし仕方ないか疎遠エンド
>くそ、わけわからん! むかつく!!ようやく透子に「ケイタイ」の使い方を教えると、毎晩毎朝「おやすみ」「おはよ」を送ってくるようになった。かわいい>抱き締めない既読バッドエンド
>抱き締める(夕暮れの教室で透子とふたり……)えっっっっっっっっっろ!!!!!!えっちィ!!!!!!いつそうなってもいいように上等な下着を身につけてた透子さんほんとえっち机デカくね?
心が必要なら抱き締める必要はない。身体だけなら生きてる必要がない。
チャドの巻頭歌?
ただ、その恥じらいや嬌声や吐息がうれしかった。ただの獣じみた反応だけがすべてだった。
だけど、だからこそ、ふたりの関係はどこまでも透明のように思えた。
怯えるものも、憂うものも、心になにも持たない曇りひとつないピュアな関係。
面倒な心が介在せず身体だけの関係だから「ピュア」だという逆説 動物であることの肯定
この世界が永遠に続けばいいのに。
>見せつけてやるしのぶに見られとるやないかい
なんだこのバカップル!?
だから、俺たちはまるで自販機にコインを入れてコーラを買うようにセックスできる。
名言
セフレ同然の甘々バカップル成立かと思いきや、またもやしのぶが割り込む。透子がこんな「バカ」になってしまったのはしのぶのせいなんじゃないかと思うほどに過保護で、しのぶのほうこそ透子に依存している。こわい。健全でない友だちのケータイを窃盗するしのぶ
使い勝手良さそうなスクショ
身体=性愛よりも、心=恋愛を神聖視するところは、しのぶと真帆がやや似ているか。一方、透子や明日菜は身体優先の派閥。
えぇ……高校まで無理やり一緒にしたのか。こわすぎるそっかぁ…… 透子のこういう精神性の大部分を作ったのはしのぶなんだなぁ。酷い話だ。殺伐愛憎共依存百合としておいしく消費できる人もいるのだろう
すげぇ一方通行の巨大感情百合じゃねぇか。ヤンデレに片足ツッコんでる。しのぶは同性愛者といってもいいよないちばん幼稚だった。(もちろん、同性愛であることとは何の関係もなく)
お~~~! 透子がしのぶを拒絶したことで、時紀と透子の関係がより強固になるかと思いきや、拒絶されて慟哭するしのぶを見て動揺した透子を目の当たりにして、時紀が透子に嫉妬してしまう。その感情のままに迫るものの、初めて透子に拒絶される。すげぇ面白い展開。
もっとも弱い立場なはずだった透子が立て続けにふたりを拒絶する下剋上。嫉妬した者は安寧に思えた勝者の座から転げ落ちる。これぞ三角関係!!
透子としのぶの関係が良くて時宗は焼きもちを焼いたんじゃなくて、関係の破綻を見せつけられたことでむしろ自身の存在が不安になってしまう、というのがいい。
ここで残りの明日菜さんのスチル回収するのか!!!
あ、そういうこと? 時紀はべつに嫉妬して透子に迫ったわけじゃなくて、友だちと破局して落ち込んでいる透子を彼なりに励まそうとした結果なのか。それでも、優しい言葉をかけることはできなかった。彼が透子にあげられるものはセックスしかなかった(と思い込んでいた)ゆえの悲劇だと。ぜんぜん読めてなかったじゃねぇか
明日菜さんの家庭環境をすでに知っているので、このへんの台詞が余計に沁みる…… 明日菜√終盤からは考えられないくらい、めちゃくちゃ親身に話を聞いてくれる頼れるお姉さんだ。
しのぶ、ショックを受けすぎて死んじゃわないか心配なレベル
お~ フラれるのか
ええ……!? この流れから、それでも/それだからこそセックスするのか。てっきりフラれて破局するのかと
ただの作業と化したセックス。
快楽をつむぎながら、その作業は単調で苦痛で……なにも生み出してくれない。
「作業と化したセックス」 ←よすぎるこれまでさんざん、身体を触れ合わせて体温を好感して動物的に快楽をむさぼるセックスの良さを描いておいて、ここで一転してこれを、もう見飽きた同じスチルで表現するのすばらしい。セックスの虚しさ、無機質さ、苦しさ、やるせなさを描けるのはエロゲだけ!!!(他のポルノ媒体はともかく、少なくとも全年齢のギャルゲーとかでは無理)
これまでセックス(身体)だけで繋がってきたことのツケを払わされている。身体だけの関係だから面倒なことを考えなくていい「ピュア」な繫がりだったのかもしれないが、それはひとたび破綻してしまえばなすすべなく虚無へと化す、脆い関係であった。
というか、厳密には「身体だけの関係」にも「心」はやっぱり介在していて、むしろそういう関係こそ、わずかで繊細なふたりの「心」の状態に依存しており、それが浮き彫りになったかたち。透子はもう「身体だけの関係」に逃避できるような「心」ではなくなってしまった。それを感じとった時紀の「心」も同じ。
てか、それでも勃たないとかではないんだな。物質的行為としてのセックスはいちおう成立していながらも、「快楽」らしきものは生み出されていながらも、それがまったく快楽ではなく虚脱感でしかなくなってしまった。
え? こっから明日菜さん√に行くの? というか、明日菜さんは他のヒロインと上手くいかなかったときのセーフティネット的な扱い? まぁたしかに、明日菜さんの本心としては、時紀が傷心して弱っているほどに都合よく所有できるだろうから、理にかなってはいるけど……。
この物語自体が、あるヒロインと上手くいかなかったときに別のヒロインに逃げられるような構造になっている。そういう展開が何度も何度も、キャラを入れ替えて繰り返される。複数ヒロイン制の、こういう活かし方もあるんだなぁ。広い意味で、WA2へと至る三角関係モノではあるが、ちょっと違う。浮気ゲーというか……
都合が……よすぎる!! このモードのときの明日菜さんめっちゃ魅力的だけど~~!
え~~!? これどうするよぉ 明日菜√はもう回収したハズでは……??
>明日菜さんの気持ちに応える明日菜さんと付き合いそうエンド 下着のスチルだけあるが、Hシーン自体は省かれている透子と上手くいかなかったときに明日菜さんとなぁなぁになるバッドエンドがある構造がつくづく珍しい
>答えがわからないバイトをしばらく休む 代わりに妹が働く学校を辞めようと決意 高2なんだっけ
しのぶ「それに私じゃ、母親みたいな抱き方にきっとなる……」
しのぶが、自分では透子を救えないから時紀に頼みに来る。しかし身体しか求めていない自分ではまた透子を傷つけてしまうから、と断る。
時紀「そういう想いなんだよ、俺のは。最後にはセックスにしかならない。そういう想いなんだ……」
開き直っていて、ある意味とても誠実だ、時紀は。
イヴに訪ねてくる明日菜さん。身体だけの関係でもいいと言われるが、時紀は気が進まない。透子と明日菜さんの何が違うのかわからない。
身体は違っても、セックスは同じはずなのに。
深いな…… "性行為" の意ではなく、"身体的性" の意だと読んでもなかなかおもしろい 「セックス」という虚構
明日菜は時紀のケータイをいじって、透子からのメールを消去してしまう。時紀がそれを消せなかったのは、それが時紀の透子への想いの残骸だったから。明日菜さんは一貫して、時紀が本当はちゃんと透子を心でも想っていることを訴えている。時紀に別れを告げる明日菜さん。
ええ…… 雪が降ってきたから、これが透子トゥルーエンドなのか
あーそういうことか。透子のケータイはここ最近ずっとしのぶが持っていた。だから、時紀が送ったメールは透子には届かずにしのぶに行っていたと。それを利用して、しのぶは透子と時紀を引き合わせた。
うお~~~ セックスから始まりキスで終わる。そうなんだよね、普通にキスをしてあげればいいだけの話だったんだよな。外で、周りに人々がいる雑踏の中で、というのが重要。 身体と心の結節点としてのキス?
バッドエンドにならなかった『うみべの女の子』って感じ。まぁ良かった。永遠には続かないかもしれないけど、ひとまずおめでとう、と2人には言いたい。しのぶも……このあと透子と仲直りできるといいね。そして、距離感を見つめ直しながら、また友だちをやっていこう。
あとはしのぶ√と雪緒√か。明日菜さんの未回収CGがまだあと一つあるのなんでだ。
・しのぶルート
>確かめてやるしのぶ√か~ 漏らしてるってすぐには気付かなかった
栗原を犯し尽くせなかったせいもあるのだろう。この泣きじゃくる少女を見て、異様な興奮に囚われていく。
えぇ……まさかそのまま強姦しないよな
「透子が……友だちが犯されるのを見て感じてしまってたなんてぇ!!」
あっそういうこと!?!?
「いつのまにか、私と透子が重なっていくの。透子の息が私の動機と重なっていくの……」
うわ~これ三角関係としてめっちゃ美味しいな。まず、しのぶは透子のことを(同性愛者として)好き、だと前提する。そのうえで、透子と時紀がセックスしているところを目の当たりにしてしのぶは、大好きな透子の痴態に興奮してはいるのだろうけれども、その想像力の理路は、透子と自分がセックスしているのをイメージするのではなくて、(時紀に犯されている)透子に自分を重ね合わせるほうを辿っているらしい。上手くいえないけど、これはかなり興味深いヘテロ百合じゃないか? レズビアンが、男に侵されている(好きな)女に自分を重ねる。ラカンとクィア理論を掛け合わせてなにか言えそう。
どういうことなんだろうなぁ ヘテロ男性が、NTR作品の堕ちる(好きな)女性キャラに自己投影して興奮するようなもの? 単に好きな人の痴態を見て興奮したってわけじゃなさそうなんだよな。そもそも人はなにかを見て興奮しているとき、そこにどんな想像力が働いているのか?
・・・この人大丈夫か?? めちゃ錯乱してない? ミサンドリー的に男を忌避していたと思ったら、ちょっと自分が性的に感じてしまったからって、自分を犯せと迫るなんて、また極端な…… 潔癖で純潔を保ちたい人ほど、一度そこにひびが入ると一気に自暴自棄になって堕ちてしまうやつ。シスター堕ちみたいなもんかやっぱりしのぶがいっちゃん心配になるキャラだよ……心療内科行ったほうがいいって。えろいのはえろい。トイレでやっとるんかこいつら。お父さん? しのぶも家庭の事情が複雑なのか?このゲーム、「メンヘラ」しかいないな。時紀も透子もしのぶも明日菜も…… 真帆は比較的健全だった気が。透子が完全に置いてけぼりでカワイソス…… と思ったが、案外、しのぶのことがあったおかげでかえって時紀が透子に精神的な安心感を覚えてイチャイチャ電話している。見方によっては、浮気を隠すために彼女にらしくなく優しくする彼氏の図だが……
透子トゥルーエンドでもついぞ言わなかったことを、別の女とセックスしちゃった直後に言ってると考えると時紀なかなかワルだ。
あっそういうこと? なるほど。時紀は、しのぶと肉体関係になったことで、透子とはむしろ心での健全な繫がり(円満カップル)を作れるようになった。だから心置きなくしのぶとヤリまくれる……ってこと??
これまで見てきたどのルートよりも、透子と時紀の関係が良好でふつうの学生カップルっぽい。時紀にとっては、しのぶとの浮気ックスを忘れるために透子に逃避しているようにも考えられる。
時紀とのことを引きずって、期末テストで赤点になったしのぶ。透子に心配されるが、相談できるはずもない。このルートでは今のところ、透子→しのぶ の愛情も十分に健全な友愛としてあるように思える(ヘテロ百合)
>俺には関係ないことだそのまましのぶとは会わずに透子とのなぁなぁバッドエンド
>榊を放っておけないええ…… こわいよぉ 大丈夫か
「身体」がテーマだよなぁ
時紀とやったことじゃなくて、透子のほうなのね、しのぶが気にしてるのは。しのぶ、クリスチャンだったりする? そんな罪の自罰意識が強くて。でもそうだったら神に懺悔して祈ればいいはずだ。神をもたない、敬虔な宗教徒のようなしのぶ。しのぶに相対していると、時紀はまじで全然ふつうの、健全で健康ないいコちゃんだと分かるな。目の前で死のうとしている人を放ってはおけない、優しい人間。
あ~そうなるかぁ。時紀も、自罰意識・責任感が強いからしのぶにコミットせざるを得ない。「心のリストカット」
そもそもしのぶがセックス(性行為)を過剰に汚らしいものだと忌避していたのが問題だという気がするが、それは彼女の男性嫌い、あるいは同性愛というセクシャリティと無関係ではないように思われるので、なんとも言い難い。
目の前の女性から、私を好きなように抱いてと迫られる。セックスしなければ彼女は死んでしまうかもしれない。実にエロゲ的な、都合の良いシチュエーションだ。エロゲヒロインにメンヘラが多いのは、そのほうがセックスするのに都合が良いからだ。男主人公側になるべく責任を負わせずに、その暴力性を隠蔽するために。
これを、あくまで内在的に、物語内に踏みとどまって受け止めようとすると、なかなか難しいなぁ。とにかくしのぶさんの精神状態がヤバいので、医療措置を……!と思ってしまう。言われた通りセックスしてる場合じゃねぇ!!
このあと、しのぶと時紀の肉体関係が透子にバレてからどうなるのかが気になる。最後までバレなかったら笑う
>しのぶを抱かない
お~ しのぶさん自死とかしなくて良かった。 エンド
誰かと添い遂げる「純愛」を称揚して終わることは絶対にしない、という気概と、同時に、「純愛」を露悪的に否定するような陳腐なことも絶対にせず、ただ、現実的な落としどころをなんとなくふわっと予感させるような終わり方が多い。バッドエンドだけでなく、各ヒロインとのトゥルーエンドでもそう。未来のことなんてわからない。ただ、今はちょっと幸せに感じる……とか、そういうささやかな着地点だけを全うしているのが、とても禁欲的かつ誠実だなぁと好感を持つ。
>しのぶを抱く時紀に犯される妄想で自慰をしていることを明かすしのぶ。
そうか…… 時紀は、自罰意識に追いつめられて自分に犯されたいと願うしのぶを、犯すのではなく、優しく抱き締めてあげたいと思う。素直に身体を求めることのできる透子とは違って。皮肉なものだ。心の繫がりを望まれても身体の繫がりしか感じられないのに、身体の繫がりを望まれると心の繋がりを感じたくなる。天邪鬼というか、つねにそこに欠落している関係を望むようにできているんだ。
セックスなんか、もうたくさんだった。
榊を……榊をすべての苦しみからすくい上げたかった!
「俺は……俺は……おまえのこと、大事にしたいんだ!!」
「私の身体以外求めないで! 心まで犯さないで!!」
そもそも時紀と透子の関係が、セックスありきで互いへの愛情は特にないものとして始まったが、時紀としのぶの関係はさらに極端に、愛情が介在してはいけない、セックスだけでなければならない繋がりを求められている。時紀がしのぶを救ってあげたくなるのも、そりゃあそうだよ。あまりにも破滅に向かって全力疾走している人間を見てしまったら。「優しくされたくない」と言ってセックスだけ迫ってくる少女がいたら、セックスなんていいから優しくしてやりたいと思ってしまうよ。
しのぶは時紀のもとを去ろうとするも、時紀は無理やりなんとかしのぶを「奴隷」として繋ぎとめる。切実に切ない。
「永遠」という語が、この物語では、絶望的な響きしかもたない。>話していい
偽りの関係、俺たちはこの茶番をいつまで続けるのだろうか。栗原を通して、榊を見守る俺。俺を通じて栗原を見守る榊。ねじれた関係は、いつまで……どこまで続くんだろうか?
うわ~~ こっちがバッドエンドなのか! 「栗原を通して、榊を見守る俺。俺を通して栗原を見守る榊」のくだり、至高の三角関係だと思ったけどなぁ……
>そうしていいのかわからないしのぶにケーキをあげるために、クリスマスは時紀との予定を入れないことにする透子。透子としのぶ、普通に良い幼馴染百合に思えてきた。
そうか…… 時紀は、しのぶと透子のふたりと同時に肉体関係を持ち続けることは出来ない。優しすぎるから。もし時紀が、しのぶとのことをぜんぶ透子に打ち明けたら、透子はどう思うんだろう。透子にとってしのぶが本当に大切なら、しのぶを救うために時紀と協力できそうな気がするんだが。透子にとって時紀としのぶ、どちらのほうが大事なのか。ヘテロ百合だ~!
優しくすることも、優しくされることにも疲れ果てて、俺たちは俺たちの行き先を見失っていた。
これめっちゃ良い文だな
救うことも、救われることもなかった。
なんかめっちゃメロいな。屋上で元・優等生と一緒にタバコ。いいじゃないか守ることも救うことも出来ないのだとしても、そばにいることはできる。
>会いに行く
しのぶさん、なんか吹っ切れてユーモアがキレッキレになってない? ふつーに好きなんだけど。
おお……なんやかんや時間が経てば快方に向かうんだ。自分の思い通りにならない「この身体」に感謝するべきだな
あ~~めっちゃいい!!! このふたりの会話、いい………… しのぶ、なんでそんな穏やかになってるんだ。クリスマスだから? 数日前に透子のケーキ断っておいて(=ドン底を叩いておいて)良かったな。あとは徐々に上がるだけだ。
あっ・・・ このままなんとなくハッピーエンドになるのかと思ったら、今度は透子のほうが沈むのか…… しのぶと時紀のふたりに裏切られたと感じて。
ここどこ? 透子の家の前?
しのぶ→時紀の異性愛よりも、しのぶ→透子の同性愛のほうがずっと強い。いいね。すばらしいヘテロ百合
もとはと言えば、なんでしのぶは時紀とセックスする透子を見て興奮したのだろう。好きな人が犯されててショックじゃなかったのか。
黒スト+黒下着のこだわりがすごい「もうひとり」のことを常に思い浮べながら、そこから逃げるように身体を重ねるふたり。こういう、2Pだけど精神的には三角関係を体現しているセックス、好きだよ
熱烈に身体を重ねて、お互いに「好き」だと言い合って思い合っているのに、すればするほどすれ違って遠ざかるふたり。セックスという虚ろな中心の周りをぐるぐると巡るだけ。そこには真実も永遠もない。
雪の夜のなか、青いマフラーの発色が良い。
え、なんかいい感じじゃん。決定的にすれ違っているからこそ、このように表面上は仲良しカップルのように振る舞えるってことか。それでも、ビターではあるけどそんなに哀しさはなく、ものすごい多幸感もなく、等身大の、ローカルな手触りの温かみを感じられて好きだ。このトーンがずっとトゥルーエンドなのがすごいよな。
うお~~!! そうなんだよな…… ローカルというか、「ただ、そこにあるだけの想い」なんだよなぁ…… 永遠ではなく瞬間を肯定して差し出す。ビター/バッドエンドみたいなトゥルーエンドしかないな、このゲーム。すばらしい。ダウナーなんだけど、「鬱」とかではなくて、雪のなかの体温の温かさがある。
しのぶ√、ヘテロ百合の三角関係シナリオとしてひじょ~に良かったです。大団円にはならず、透子と仲直りはできず、残されたふたりも心を通わせることはできず、それでも指先で体温を交換しながら生きていくことはできる…… うーん、お見事! 自分がいちばんしっくりくる落としどころだ。こういうトーンの青年漫画好きなんだよね。
シーン回収率21/30
あとは雪緒ひとりかな。どう考えてもメインではないヒロインを残してしまった。
>会いに行かないえぇ……透子も呼んでの3P堕ちバッドエンド22/30
>これでよかったのか?時紀が透子との成り行きセックスをもっとも後悔して反省するパターン。
>歯向かう
明日菜さんの未回収CGの最後の1つは、スケベハプニングなシーンだった。
ますます『僕ヤバ』初期の市川みたいになってるまたここ(屋上に犬といる透子)か>放っておくのか?>透子を追い出すFin
>透子と関係をもつ>このままつき合ってしまうずいぶん長く既読部分があって真帆√に行く選択肢か。これ、最初の選択肢はあんま関係なくて、真帆√とかにも行けちゃうのかな
>断るFin
>引き受ける真帆√
・雪緒ルート
そもそも雪緒√に行けなそうなので攻略サイトを見る。
>一服してくる未読パートに入った
お~ 屋上・夕陽・逆光ということで、雪菜を連想する
雪緒さん思ったよりヤバいな いちばんセカイ系っぽいキャラかもしれない。ある意味、このゲームからは浮いている? 隠しキャラ的な存在なのか
ファンタジー要素がなく、地に足のついた物語を紡いできたが、そういう世界を「リアルじゃない」と一蹴するヒロイン
文字通り、あなたこそが地に足がついていないよ
ツインテールのうねり この角度の立ち絵いいな~
時紀ももともと繰り返される毎日に退屈していて、世界に意味を見出せない虚無主義に耽溺していたけれど、雪緒はもっと根本的に、世界にも自分にも興味がない。ふわふわしている。そういう相手に会うと、時紀はやっぱり相対的にまともで平凡で常識的であることが浮き彫りになる。
平然と飛び降りようとしている雪緒に会ったせいで、「死」に対して時紀はナイーブになっており、子犬でも死体をみたくないと思う。>犬をなんとかする時紀の妹は雪緒と知り合いで、「センパイ」として慕ってるのか。恋してる相手は別人?
雪緒が「天使」なのか……? 自分を天使だと思い込む、ただの平凡な人間? 雪緒といると、時紀にとっての「身体」が「死体」のようなグロテスクなものとして立ち現れている。
ほ~ら 言わんこっちゃない!
>怖くて逃げる雪緒から逃げるために中退エンド ネガポジ入れ替えの校門背景CGが怖い
>身体の反応に身を任す死を厭わない得体の知れない他者を、凡庸な「女」という理解可能なものに貶めて安心するためにセックスする。しかし、それによって時紀は雪緒にまた近付いてしまう。自分の世界や生活に雪緒の存在が深く入り込んでくることになり、恐怖する。もはやホラーチックだな
やっぱりそうかー 雪緒√の三角関係は妹を含むのか
北原春希なのか小木曽雪菜なのか……
「天使」って言及されたの、初?
>無視する雪緒からの逃避として透子の身体を求めるエンド
>覗いてみる
なんやかんやで雪緒も時紀も、えみり(妹)想いではあるんだよな時紀は、狂った雪緒をこれ以上じぶんの妹に近付けるわけにはいかない、と素で思っている時点でめちゃくちゃ優しい
ほんとうにそう
雪緒に出会って自身のしょうもなさを痛感する時紀
雪緒に影響されて、時紀まで生きることと死ぬことのあいだで懊悩し始める。そんな時紀の様子をみて責任を感じた雪緒は、「いま」をやり過ごすために時紀に寄り添う。身体を交わらせる。いつか死ぬし、絶対に自死しないとも言い切れないけれど、とりあえず「いま」はしないから大丈夫だと。暫定的な肯定・救済だけに留めようとする雪緒ひいてはこの作品が、本当に誠実でつつましやかだなぁと思う。
艶やかなセックスと、その終わり
死んでいるかのような雪緒がちゃんと生きていることを確かめるためにセックスする時紀。
「なにもかも捨て去った本当のわたし」
「身体と本能だけのプリミティブなわたし」
セックスは嫌いじゃないという雪緒。本当の自分になれるから。
「永遠なら、よかったのに」「でも、これも一時だけなのね」「終わりがなかったら、きっとよかった」
たしかにセックスって終わりがあるもんな。日常生活や人生にも終わりはあるけれど、セックスはそれらよりもずっと短いものであることはふつうだ。セックスの本質を「終わりがあるもの」だとしたとき、その有限の時間のなかで「何もかも捨て去った本当のわたし」=「身体と本能だけのプリミティブなわたし」に到達できること、それこそがその行為のもっとも核の価値なのではないか。「それは永遠でなく 真実でなく ただ、そこにあるだけの想い」ってそういうことか。それは、この物語が追求して表現しているものであり、セックスそのもののことでもある。
「エロゲ」である必要性・価値をここまで見事に作中で言い当てているシーンがあるだろうか。そんなエロゲが他にあるだろうか。
もしセックスが「永遠」に続いてそれが「真実」となってしまったら、もはや価値が反転して、それはセックスではなくなってしまうだろう。しかし、逆にセックスがまったく存在しなくなったら、「ただ、そこにあるだけの想い」に至れることが無くなってしまう。だからエロゲにエロは必要だし、同時に、エロに終わりは必要なんだ。
有限な人生のなかの有限なセックス。この、二重の有限性のなかの入れ子構造によって、両者が隠喩として重なり、「ただ、そこにあるだけの想い」=リアリティを生む。
「セックスが終わっても日常は続く」ことを描写するためには、まずセックスを描かなければならない。エロゲにエロが要る理由の端的な回答は「セックスが終わっても日常は続くことを描くため」ってことかあ。
まぁ反対に、死や終末・破滅に一直線に向かうためのセックスやラブロマンスも、エロゲではよく描かれるけど。自分はそういう作品は好みでない場合が多い。そっかぁ。自分が(エロゲの)セックスの好きなところは「いずれ終わるところ」なのか~。
身体が繋がり合って至福の瞬間にも思えるセックスをしても、それが終わってしまえばまた、だらだらと続く日常生活に戻るしかない。基本的に「セックスを描かないエロゲ」はないが、「セックスしか描かないエロゲ」もまたあり得ない。エロゲには必ず、セックスと日常の両方がある。この両輪があることがエロゲにとって大事なんだ。(イベントパートと通常パート、イベントスチルと立ち絵の両輪といってもいい。)
セックスには必ず始まりと終わりがある。人生に始まりと終わりがあるように。でも、人生の始まり(始まる前)や終わり(終わった後)は原理的に描くことができない一方で、セックスが始まる前や終わった後ならば描くことができる。それは人生のなかに含まれているから。
マジで、「セックスとは何か」ひいては「エロゲとは何か」について、めちゃくちゃ示唆をくれる作品だ・・・ エンタメとして面白いかはともかく、(エロゲ)批評的にはまごうことなき傑作といっていい。
この作品の「セックス」がなぜ好ましいか、わかった。一般的な(純愛)エロゲは、ヒロインとの関係が高まった末のクライマックス、ふたりの絆の証明、ご褒美としてHシーンが終盤に置かれていることが多い。
しかし、このエロゲはセックスから始まる物語を描いている。そのため、色んなヒロインとの交流をしていく中で、日常的に、セックスが差し挟まれる。日常の「先」にセックスがあるのか、日常の「中」にセックスがあるのか、という違い。
後者のほうが「セックスが終わったあとも続く日常」を描けるので好きだ。前者では、日常の先にセックスを置いてしまっているために、セックスのあとに何があるのか分からない。セックスのさらに先には、日常ではなく、エピローグのようなものしか描けないのかもしれない。
(閑話休題)
クリスマスは、世界中が祝福しているかのようだから嫌いだと語る雪緒。絵に描いたような幸福な家庭だったようだが、どうしたんだ。だからこそ、ふわふわした精神性になってしまったのか。
「生きることを休みたかった」 それな~~ でも、休めないのが人生なんだよな~ 「日常」「いま」についての位置付けも完璧だと思う。家と学校とバイト先を延々と行ったり来たりするだけのハナシであるのも、冷静に考えるとすごいな。デートもたま~~にしか行かないし。「日常」を描くことを徹底している。
エロスとタナトス。エロスを「生への欲求」だとすると、それは「死からの逃避」と言い換えてもいいので、そのために透子や雪緒とセックスをしたことは、エロスの本性に照らしてまったく間違っていないのでは。
そうなんだよな。「セックスとは何か」についてこのゲームが追求していると読んだときに、そこにジェンダーの問題はどのように関わっていると考えられるのか、というのが難しい。しのぶ√もそうだよなぁ。ヘテロ大前提としても、意外と女性同士の、同性愛は描かれているんだよな。同性間では「セックス」できない、というのもまた違うだろうけれど。ヘテロ中心主義と綿密に絡み合った性器結合中心主義。
透子と肉体関係を結んだ(レイプした)ことがしのぶにバレて、糾弾される。教師からも叱られる。雪緒への逃避が捗る。
こないだまでは「死臭のする須磨寺」から必死こいて逃げようとしてたのに、えらい違いだ。でも納得がいく。
「心のリストカット」って……確かしのぶ√でも出てきた! セックスのことだよな。しのぶにとっての。
なるほど。じぶんにとってのダンスみたいなものか。ギターもタバコも。
!?!?これ恵美梨か。スチルで描かれるの初めてだよな
本格的な三角関係に突入そうか、時紀が透子をレイプして物語が始まったように、恵美梨も雪緒に無理やり「キス」することで、何か物語を始めようともがいているわけか。女性間での「レイプ」なんてエロゲでは滅多に描かれないだろうに。
恵美梨は自分が「女の子」だから雪緒に拒絶されたのだと思っているけど、たぶんそうじゃないよなぁ。雪緒は今のところ時紀以外のあらゆる人間と性的な接触はしたがらないだろう。自分の本当の姿を知っていない人間とは。
うお~~ 雪緒√もヘテロ百合三角関係がアツいなぁ…… これどうしようか>恵美梨を追う「須磨寺は自殺願望があるんだ」と恵美梨に言ってしまう時紀超速理解で爆速展開 これバッドエンドだな
私服かわいい
!? お~同性愛エンドだ
逆に雪緒が恵美梨に依存するようになる、と。やっぱり雪緒がああいう精神状態になった外的要因があるってことなんかなぁ。
>雪緒に呼びかける雪緒も雪緒でいっぱいいっぱいなんだなぁ真帆ちゃんの家に泊めてもらう恵美梨 久しぶりに真帆出てきた
!? 「ヘテロ」って単語を使ってくれるとは思わなかった。「ノンケ」とかじゃなくて。しかも男主人公が…… この時代に使うって相当進んでないか? そもそも普通の(ヘテロ)エロゲでこの単語が出てくることがほとんどないのに。
雪緒√の時紀、ずっと妹想いでいい。優しいお兄ちゃん。本人の前では酷く接しちゃうけど。
道端で車に轢かれていた子犬を公園に埋葬してあげる雪緒。「天使」のようだが、やっぱり天使はいないのだろう。彼女もまた、等身大の、悩めるふつうの若者に過ぎないのだろう。
まじで妹想いすぎる。ツンデレの優しい兄ちゃん
そういうことか・・・ 明かされてみれば、雪緒は誰よりも「ふつう」の子どもだった。なんだそんなことか、と思ってしまうくらいに、万人にとって理解可能な、共感しやすい悩みをもって、人よりも少しだけその哀しみを深く受け止め過ぎていただけの、とても優しい、普通の子ども。
最愛のペットが死んで、誰かを愛し愛されることが怖くなってしまった。喪失したときの悲しみが増すから。ピアノを習わせられていたらしいから、すごい裕福な家庭かと思えば、貧乏なお蕎麦屋さんという庶民派だった。「天使」はいない。人間だけが、子どもだけがいる。
雪緒って、時紀といちばん似ているのかもしれないな。どちらも、虚無主義的で、ぶっ飛んだ浮世離れした感じに見えて、その実は誰よりもずっと他人想いで優しいだけ。優しすぎて、自分も他者もうまい距離感で扱うことができなくて、どうでもいいと突き放そうとしている。
だから、雪緒にとって、自分をまっすぐ愛してくれる恵美梨は、恐ろしい存在であると同時に、それでもやっぱり、とてもありがたく大切な存在だったのだな。ちゃんと良い百合じゃないか。
>いや、ひとつだけできることがある雪緒とイブに心中することにした時紀ふたりが出会った屋上で、死ぬ前の踏ん切りとして、セックスをする。仰向けに寝転んだ時紀のペニスが空に向かってそそり立つさまは、いつかの雪緒のようで…… 大空の下で騎乗位なのも、天使と掛けているんだよね。セックスが終わったあとには……本当にすることがないのか? あとはもう、人生をも終えるだけなのか?
ツインテールのリボンの片方をほどいて時紀と自分の手を結び合わせるなんて、雪緒もあんがいロマンチストだな。でも、同時にこういう台詞を言うところがいい。心中しても、それでふたりの愛が永遠になることなどない、というリアリズム。
ファーーwwww よっしゃあ!! 信じてたぞ!!! やっぱり心中エンドなんて無いよなぁ!! この作品がそんなことするはずがない。すげぇわ。ここまでゼロ年代前半・セカイ系全盛期のなかにあって、それっぽい陰鬱で退廃的な雰囲気も湛えておいて、完全に相反する物語をやりきるとは……。あ~でも、『おやすみプンプン』とかも、最終的にはそういう方向の着地だし、やっぱりジュブナイルとして王道をやり切っているだけ、のようにも思える。
しかし、簡単に心中とか世界滅亡とか純愛で添い遂げとかをしてしまえるエロゲのなかでこれをやっている、というのが偉大だと思う。そもそも、そういう陰鬱なセカイ系っぽいのが流行っていた時期ってエロゲ全盛期と被っているので、いわば本家本元のなかでそれを見事に打ち破っているといえるか。(まぁ正確には、世紀末のエヴァなどの影響がデカいから本家本元ではないだろうが……)
屋上から飛び降りても死ねない可能性を忘れている、という、かつて時紀が雪緒に指摘したことが反対になってリフレインされる構成。
あ~そっか。そのために手をリボンで結んでいたんだな。雪緒の、いまだけは一緒にいたい、というかわいらしいロマンチシズムが結果的にふたりの命を救った、と。一貫してるなぁ。"永遠" や "真実の純愛" を否定して、今この瞬間の暫定的で局所的で等身大の「ただ、そこにあるだけの想い」のみを肯定する物語だ、つくづく。
すば日々のきみか√と、そうでない√の対比を思い出すなぁ。心中すること、その成功と失敗をどのように物語(エロゲ)で描くか、という問題系。
「漠然と死を諦めていた」という表現いいなぁ。自分も世界も本質的に意味がないことを前提として、だからこそ生きていくしかない。ただ生きること。
クリア直後の感想
おわり! すばらしい!!!これぞジュブナイルノベル。そのど真ん中を堂々と描き切っていた。それは凡庸で普遍的なものだ。
本当に、エロゲの基礎教養というか、入門作としてプレイを義務付けてもいいんじゃないかと思うくらい、「エロゲ」の何たるかを体現した名作だった。現代の一般的な純愛エロゲ(萌えゲー/美少女ゲーム)とは一線を画す、今位置付けるとかなり異端な作品に思えるけれど、それでもエロゲのメインストリームは本来こういう作品であったはずなんだよな。「そうあるべきだ」とまで言ってしまうと、それはそれで押しつけがましくなって嫌だけれど。
『うみべの女の子』×『僕の心のヤバいやつ』みたいな青春ジュブナイルだな~~と思いながら読んでいって、マジで最終的には『おやすみプンプン』から「鬱」要素を見事に差し引いたような、それでも本質的には同じようなものを体現している作品になった。
世界が終わってしまえばいいとか、自分は死んだほうがいいとか、そういう普遍的な思春期の悩みから卒業して、価値などなくともただ生きていくしかないのだと、目の前の生に向き合って地に足をつけてささやかに肯定していく。そういう青春モノのド王道を描くために、「セックス」という18禁要素をこれ以上なくうまく用いている。
セックスは、救いをもたらすものでも、破滅をもたらすものでもない。「ただ、そこにあるだけの」身体と身体の重なり合い、物質的行為である。それでも、若者たちにとっては、やっぱりどうしようもなく無視できない大きなものであり、それに振り回される。正確には、セックス自体に振り回されるのではなく、セックスによって浮き彫りになる、互いの身体と心のすれ違いに懊悩している。
だから、やっぱりエロゲにおいてセックスとは虚ろな中心なのだと思う。それ自体に価値があるのではなく、それが何らの意味もないことによって、その周辺や隣接領域──セックスが始まる前と終わった後──に否応なく意味が立ち現れてゆく。それが本当に必要か、と問われることによって逆説的に、その必要性を、意義を確立していく構造がある。
青春モノの、そして「エロゲ」の金字塔だろう。18禁であるはずのエロゲが主に高校生の生ばかり描いている理由もわかった。「セックス」周りのあれこれを扱ううえで、思春期の若者の物語にするのがもっとも合っているからだ。大人になってしまうと、セックスも退屈な人生の構成物として割り切れてしまって、そこになにもドラマが生まれない。(不倫モノとかは除く)子どもと大人の中間領域としての青春。子ども過ぎると「セックス」がまだ世界に入ってきておらず、大人過ぎると「セックス」がもう世界に溶け込んでしまっている。だから、そのあいだのちょうどいい期間にいる若者を登場人物にする必要がある。
およそ全員のルートで三角関係が扱われていたといっていいだろう。透子を含めた(ヘテロ百合)三角関係のしのぶ√、功を含めた(浮気)三角関係の真帆√、恵美梨を含めた(ヘテロ百合)三角関係の雪緒√……。これらに比べると、透子√と明日菜√は比較的そういう面は薄いが、それでもなくはなかった。そもそもが透子とのセックスで始まっているので、誰とのシナリオだろうが透子の存在は絡んでくるし、あるヒロインと関係が破綻しても、そのあと明日菜さんとなんとなくいい感じになるなど、バッドエンドですら3人目が出てきて着地していくので、徹底しているな、と思う。三角関係といっても、エロゲでもっともありふれた「女→男←女」のパターンだけではなくて、「男→女→男」の真帆√や、「女→女↔男」の雪緒√など、さまざまな種類の三角関係を描いてくれたところも嬉しいし、すごいと思う。
>できることはない明日菜さんと半同棲エンド