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oldreavesさんの魔法少女消耗戦線 DeadΩAegisの長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
魔法少女消耗戦線 DeadΩAegis
ブランド
metalogiq
得点
88
参照数
877

一言コメント

安易な純愛に逃げずに、陵辱を、その搾取構造まで掘り下げて描き切った、真に「シナリオの良い」陵辱抜きゲーの力作

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

総プレイ時間:22時間
実プレイ日数:5日


〈総評〉
めちゃくちゃ雑に言うと、『進撃の巨人』を陵辱エロゲの文脈に落とし込んで描き切ったような作品。敵味方の構図や世界観が途中で何度もひっくり返り、その過程で、「魔法少女」を搾取する構造とはなにか、「陵辱」とはなにか(翻って「和姦」とはなにか)、人類とは、生殖とはなにか……といった問題が深められていく骨太のエンタメで、「陵辱エロゲ」でしか描けないジェンダー的な掘り下げが見事だった。キャラクターも全員──ヒロインはもちろん、男性キャラも──とても良いし(クリーチャー造形も好き)、宇宙バトルものとしても普通にアツくて燃えるし、もちろん陵辱抜きゲーとしても性的嗜好が合えば申し分ないし、多方面でよくまとまった傑作だと思う。ヘテロ陵辱シナリオのなかでも女性の同性愛の描写も見事になされていてすごく印象的だった、というのは強調しておきたい。
続編(ファンディスク)も楽しみ。


※以下はプレイ中のメモです



マウスカーソルがゲーム内オリジナルなのでスクショ時に映り込んでしまう。これ変更できないのか?詰んだじゃん
女主人公で三人称形式だ。やや珍しい……いや、少女主人公の抜きゲー,被陵辱モノとかでは割とあるのかな。
いきなり主人公が想いを寄せるイケメンが出てきた。みのりさんすごい卑屈だし、少女漫画っぽいな。

みのりが強化装備の装着実演をさせられるところまで。2つの選択肢はどちらも上(1番目)を選んだ。

今のところ、特に悪いところが見当たらない、というくらいに良い。

初めはC.Cとかいう触手的な異生物に魔法少女ヒロインが陵辱される抜きゲーだと思っていたが、そうではなく、真の敵はカテドラル(軍基地)の味方の男どもであり、タイトル通り、「魔法少女」として若い女性が消費・消耗されていく残酷でグロテスクな構造をちゃんと描いている。戦いの前線に立つのが魔法少女ということで、女が主役で男よりも優位に立っていると思いきや、その「魔法少女」というアイドル的枠組みはシスヘテロ男性の欲望の対象として存在している、という事実。これを告発するような魔法少女モノの作品って、アニメでいうとまどマギとか、最近だとレヴュースタァライトもその系譜だけど、あれらは基本的に少女しか出てこない美少女百合アニメなので、作中で魔法少女を消費する存在は生身の男性ではなく、キュウベイとかキリンとかのように歪んだ形象をとっている。しかし本作は紛うことなきシスヘテロ男性向けのエロゲなので、ガッツリ男どもが登場する点で先行作品とは差別化ができる。(これまでもこういうタイプのエロゲは絶対にあったと思うんだけどエロゲ初心者なので挙げられない。詳しい人求む)

主人公のみのりだけでなく、同室のイリューシャと七虹もすごく良いキャラ。
特に元アイドルで事務所から軍部に売られたイリューシャは、アイドル時代もメンバーの2人と肉体関係を持っていたレズビアンであり、みのりとのレズビアンプレイのシーンもあった。自分の身体に自身がないみのりに「あなたは汚くなんかない。かわいいよ。きれいだよ」とイリューシャが優しく声をかけてやるところは感動した。イリューシャにほだされたあとに想い人である光臣くんに罪悪感を覚えるみのりも良かった。
やっぱり自分は男も女も、異性愛者も同性愛者もいた上での三角関係とか肉体関係が性癖なんだなぁと再確認した。男を完全に排除した女性同性愛者同士の「百合」モノにあんまり乗れないだけで、レズビアン(プレイ)自体が苦手なわけではない。(とはいえ、同性愛者が一切出てこないヘテロ作品は大好きだという非対称性があるのでやっぱりヘテロ中心主義に囚われてはいる。)
そもそもコロニーでは魔法少女たちが合理的な理由で互いに性的に慰めあっている、という言及もあって、同性愛者を自認していなくとも環境次第で同性愛行為を積極的にし得る(非-本質主義)と示唆していて良かった。

クズ彼氏の悟に貢ぐために魔法少女になったマイペースな七虹は、キニスン司令の陵辱に対しても自身のペースを崩さずに飄々と楽しんでいて、こういう陵辱ゲーのなかでも男の手にコロッと堕ちない女キャラが一人でもいてくれると助かる感じがする。フラテルニテでいう紗英子みたいな。正直、抜き目的としてはこういうある意味で最強なキャラにはちっとも興奮は出来ないので損はするんだけど、それを補うほどに作品全体のバランスをとってくれる重要な役目があるから結構好き。

みのりは……悲惨な境遇から仕方ないとはいえ、自分を救ってくれたリゼットをあまりに英雄視していて、自分の生きる意味そのものと同一視するほどに執着しているところが危ういなぁと思う。みのりが魔法少女になってひどい目にあっているのも、もとを辿ればリゼットの責任では?という理不尽な思いすら抱いてしまう。まだ本編でがっつりリゼットが出てきていないので、これから彼女が登場して掘り下げられていくことでイメージを一転させてくれることに期待している。リゼットもキニスン司令の性的な指導を進んで受けていたらしいけど、実際に本人がどういう心境でいたのかも知りたいし。完全にカリスマを貫き通す、割り切って強くなるためにガンガンに(むしろ楽しみさえして)訓練していたのか、それとも普通に葛藤して苦悩していた常識人寄りなのか。

キルケ・ベルンハルトさんのCV演技が下手すぎるのはどうかしてほしい。めっちゃ棒読みで笑っちゃう。
あと、戦闘シーンとかで三人称の地の文の文末に「!」が多用されるのにも笑っちゃう。どういうテンション? アツい戦闘シーンならまだいいけど、陵辱シーンとか、主人公にとって嫌なことの描写で「しかし、〇〇だった!」みたいに感嘆符が付いてくるのは困惑する。個性的ではあると思うけど。

他の魔法少女の同僚や男のモブたちを「インド系」とか「アフリカ系」とか、人種?でいちいち表現するのとか、あの古参のグズ大男がみのりを「イエロー」と呼ぶのとか、やけに人種(差別)が強調されているのはなんでだろう。地球以外にも火星出身とかがいるなかで、現実の人種のラベリングがそこまで残っているのか? グローバル感を出すためってことなのだろうけど。
人種差別や性差別、それから同性愛をがっつり取り上げていて、やけにリベラルなんだよな。リベラルな陵辱抜きゲーってウケるけど、まさに自分が求めているやつだし、だからフラテルニテを連想することが多いんだとも思う。



残雪(ツァンチェン)!? 作家の残雪は「ツァン・シュエ」だけど。 ああ、このOPにいてまだ出てきてない子が残雪なのか。

>特別訓練を受ける
四肢固定しての人工触手姦

地球からの権力者たちへの接待プレイ。
いや〜〜尊厳破壊の流れが完璧。
光臣クンの親族のバーゲンホルム氏に基地の惨状を密告しようとしていたが普通に酷い男だった→(バーゲンホルム氏の話では)光臣は他の女性と婚約した。みのりの淫らな現状の映像も観ているし、そもそも好きではなかった→月出身者や火星出身者はもう全員排除され、みのりだけが性人形として基地に送られている→みのりの憧れの戦士リゼットは薬物過剰摂取によって廃人と化し、文字通りの肉人形として磔にされている→G14の友人ふたりはみのりが接待人員に志願したと知って自分たちも志願した。イリューシャはみのりを助けようとして暴行された→そもそもC.Cとの戦争は権力者たちを肥え太らせるために延長されている「安全な戦争」だった……
という息もつかせぬ追い詰め方。芸術的。

まず、《英雄》リゼットの衝撃的な現在の姿の開示に痺れた。主人公がこれまで信じてきた崇高な存在が実は空虚なハリボテだったときの地が落ちるような絶望感。某シナリオゲーなんかも思い出す、ド好みな展開。


"それにしてもエイリアン様々だね。この安全な戦争が続けば、莫大な需要が毎年幾らでも発生する。打ち出の小槌だよ。出来れば永遠に続けて欲しいものだ。その辺はキニスン司令も心得ているのでしょうな。魔法少女は増えもせず減りもせず、決定的な勝利もないが、決定的な敗北もしない。芸術的だ。勝利というのは我々にとって敗北ですからな。これだけの需要が失われると思うとゾッとしますよ。安全な永遠戦争に乾杯。"

↑ここ性癖に刺さりすぎて別の意味でも絶頂ものだった。
「戦争は恐ろしい」ではなく、その背後にある巨大で不透明な《システム》が軍需のために戦争を永続させようと支配している──扱っているテーマが『重力の虹』とかと近い。
主人公たちを陵辱する存在はC.Cという謎の生命体……かと思わせておいて、真の敵は基地の人間の男たちだった、という序盤の流れを、一回り深刻にした形で反復しているとも読める。謎の侵略生命体との戦争は恐ろしい……でも真に残酷なのはそれを利用して甘い蜜をすする人類の権力者たち及び資本主義という社会構造そのもの。まず抜きゲーとしてのHシーン(陵辱シーン)の基本的な構図の次元で作品の姿勢を説明してから、そもそも主人公たちの置かれている状況、物語の根幹自体にもその構図が根付いていることを明らかにする、という二段階の流れ。美しい。

"ですがのぉ。若い将来があった女達を生け贄にせねばならんとは、歴史と資本主義というのは残酷なものよの。"
しかも本作では、その搾取構造を男性による女性の搾取構造というフェミニズム的な観点から描く。自分のような左翼(かぶれ)にはたまらない。
C.Cのルーツも最終的には人類(男性)の責任みたいな感じになるのかな?

これってヘテロ男性向けの抜きゲーというジャンルだからこそ納得感がある世界観なんだよな。というのは、結局のところ魔法少女たちが可哀想に陵辱されるのを見て興奮している("抜いて"いる)われわれプレイヤー……がいるからこそ、「侵略生物との全面戦争の裏には人類の権力者男性たちの身勝手な欲望(性欲)がある」という種明かしにも説得力が備わる。ゲーム中で少女たちに性的接待を強要する傲慢で醜い地球人の権力者男性たちは、われわれプレイヤーの投影である。
一般のアニメやラノベの魔法少女(が残酷な目に遭う)作品でも、様々な形で「結局は魔法少女に男性読者/視聴者が性的魅力を感じているからこそ起こっていることじゃん」という疑似-メタな責任者=鑑賞者の存在は明に暗に描かれていることはままあるが、しかし「陵辱抜きゲー」の説得力に敵うものはないだろう。シンプルにして最適解。(だからこそ、上述の通り、同じエロゲ内での先行作品群をちゃんと調べてみたい)

キャラの悲運の責任を鑑賞者に求める/押し付ける系の作品はいくらでもあるが、そういうメタフィクションで引っかかるのは「鑑賞者が悪いっていうけど、そもそも製作者の責任が不問にされているのは欺瞞ではないのか?」という点だ。ところが、この問題が本作のような陵辱抜きゲーにおいてはあっさり解決してしまう。「抜いた」時点でプレイヤーが少女たちをまさに性的に「消費」しているという指摘は免れず、しかも商業作品でこうした魔法少女陵辱抜きゲーが作られるということは、そういう需要があるということだから、製作者(生産者)よりもプレイヤー(""消費者"")が作中の消費者の投影元であることは妥当な解釈である。地球の男たちが、カテドラルから魔法少女を「買い上げる」消費者そのものとして彼女らを犯し尽くすことの意義がここにある。

今のところマジで文句なしに面白い。「シナリオの良い陵辱抜きゲー」ってこういうもののことをいうんじゃないか。
先の言葉は陵辱モノの殻をかぶった純愛モノの抜きゲーに対して使われがちなフレーズだけど、個人的には、そういう純愛に「逃げ」るやつよりも、徹底的に陵辱を貫き通す過程のシナリオが秀逸である、本作のような抜きゲーにこそふさわしいと思う。




8月決戦ひとまず終了まで。
いや〜〜抜きゲーとかではなく、宇宙戦争モノとして普通にアツくて面白かった。『進撃の巨人』っぽいハラハラドキドキ感がある。
リゼット大好き狂信者と化したリルケさんおもろすぎる。リゼットも想像以上に頭おかしくておもろい。そんなにヒーローの自覚があるのか。
リルケは眼鏡の有無で2人いる? バラクーシ医師とお茶していたほう。
キニスン司令も最期までいいキャラだったなぁ〜〜 結局カテドラルの人類とC.Cの関係がどういうものなのかまだ分からないけど、これから明かされていくんでしょう。
C.Cとの戦いですっかり記憶の彼方だったけど、そういや光臣は本当に悪い奴なのだろうか。それともあれも演技で純愛ルートある?
みのりが光の巨人を再召喚したときにみた、モブ特殊戦技兵アリシャ・オラオンの走馬灯みたいな描写はなかなかエモくて良かった。イラスト皆無の文章だけだけど。
あと『死人』C.Cのデザインとか結構すき。貴族婦人(ピーノス)も良い。
七虹とイリューシャが死んだとされたときには、あ〜これでそろそろこの話も終わりかぁ〜〜としみじみしていたが、結局生きていたので、まだしばらく続きそう。




七虹〜〜 悟が出てくる以前の、みのりにも接待プレイを教える段階ですごく解釈がムズい。みのりに対してある意味で最も残酷な仕打ちをしているともいえるし、性がネガティブなものではなく肯定していこう!女性の手に取り戻そう!というある種のウーマンリブ的な存在として非常に感動的でもあった。そういうどっちともいえないところを表現しているのがすごく好きだった。
悟登場後は典型的な(セクシズムにまみれた)「女」になってしまったので哀しかった。最後にみのりを愛するほうへ戻ってくれたからまだ良かったけど。



絶望したくなくて光臣クンに絶対に騙されていると必死に考えようとするみのりも、初々し過ぎる光臣クンも、それを「かわいい」と思うみのりも、ぜんぶ最高。どうせこのあと、この関係を悪用した更に酷い陵辱が待っているのだろうけれど、ここでのみのりの心境と同じように、ただ、いまこの瞬間のふたりの幸福さしか考えられない。

"『ねぇ、どうして? これだけが同じところからわかれたの?』
……
私はこの人とだけ繋がって一緒になりたいの。
私と光臣クンは違うから、だから繋がりたいの。
『ねぇ、そうなの? これから融合するの?』
ちがうよ。別々のままひとつになるの
『ねぇ、どうして? それでは新しくなれないよ?』
ちがうよ。私達は新しくなるんじゃないの。
ふたりでとけあわせて、新しい命を作るの。
……
この存在はずっと、人類とひとつになりたいと願っていたのだ。
C.Cの望みは、ただ、それだけだったのだ。"

いいですね。C.Cの根本的な活動原理じたいはまぁ予想通りで驚きはないけど、この、物語の根幹の設定を、光臣との初めての「純愛和姦」シーンで明かすということに感動する。C.Cといういちばん最初の露骨な「陵辱」する存在だったはずのモノの真相に、一見対極に思える、ずっと好きだった人とめでたく結ばれるという最も純愛かつ和姦な行為の末に辿り着くということ。陵辱も和姦も究極的には垣根がなく、ひとりの女とひとりの男のセックスと、「人類」と「C.C」のセックスというスケールの異なる2つの融合が並び立てられ、主人公によってまさに〈身体〉的にそれが認められ、赦される。
こうなると、これまでみのり達をレイプしてきたカテドラルの男性士官たちこそが、もっとも邪悪な存在であるという面が一段と強まる。それは単に倫理的に残虐だからというだけではなくて、「ひとつになりたい」という生物の根本原理とは反するところで性的な行為を行っているからである。あの男たちは「繋がりたい」とか「ひとつになって新しくなりたい」とかいった動機からではなく、むしろ「女」を異質で低俗なものとして差別して貶めるために、それによって男性である自分の個別性・優位性をさらに高めるために犯す。これはC.Cからしても理解ができないだろう。
気になる点はいくつかある。まず、特殊戦技兵は妊娠できない設定から、みのりの「ふたりでとけあわせて、新しい命を作るの」という台詞に引っかかりが生じてしまうところ。まぁここで彼女は特殊戦技兵としてではなく、単なる人間の女と男として光臣と初セックスをしているつもりだろうから、みのりが「新しい命を作」れない身体だとしても、自分たちのことを言っているというよりも、もっと一般的な人類の男女の性行為についてC.Cに対して語っているとみなせばいいか。
それから、「生物の根本原理」としてのセックスを称揚することはむしろ人文学的には保守的であり危ういということ。エロシティズム(官能性)を「生殖」の呪縛から解放していくべき──的な論はバタイユかフーコー辺りが言ってそうな気がする(しらんけど)。この文脈では、むしろ生殖とは関係ないところで"ちゃんと"陵辱している男性士官たちこそが、もっとも人間的・文化的な存在であるという逆説的な事態が発生する。自分の思想的立場としても、生殖中心主義および異性愛中心主義には抗っていきたいので、その観点ではこの作品のこの(生殖=純愛礼賛)展開は肯定できないのだけれど、フィクション/エンタメの中のひとつの構造・展開としてはすごく好き。
それから、最も残虐だといったカテドラルの男性士官たちが、どうやら「蒼い血」を体内に流し、C.Cに乗っ取られているらしいことはどう説明されるのか、矛盾しているのでは、という点は気になる。まだそこの設定が明かされきっていないので保留としたい。

もうカテドラルの男性士官はキャラハンやバンカーも含めて(光臣以外は)全員、「蒼い血」の化け物、何者かによってプログラムされた機械に過ぎなくなっていた。機械の男たちと、「家畜」の牝たちが粛々とセックスをし続ける畜舎にカテドラルはなっていた。──上で書いた、人間的な残虐な「陵辱」なんてものはもはや無くなってしまった。生物的な同一化本能によるものでもなく、ただ、そうプログラムされたからヤるだけの現象。陵辱モノが行き来った末の最終地点という趣。

こうなると光臣だけがみのりに都合が良すぎて、いいヤツ過ぎて気持ち悪くなってくるのだが、しかし彼も彼なりに十分に小賢しく、利己的で酷くて「ずるい」男であることがみのりにも話されて、その上でふたりはまた愛し合う。ここの、光臣を単なるスパダリ・救世主にはせず、ギリギリで純愛としてのバランスを取る手付きがうまい。

"そうか。C.Cもそうなんだ。ひとつになりたかったんだ。
でも、C.Cはちがうんだ。ひとりしかいないんだ。
だから人類もひとつだと思ってたんだ。
『ああ。わかってくれたんだね。君たちいっぱい。おおいなるものはひとり』
『ああ。しらせにいかなくちゃ。おおいなるものに、君たちのことをしらせに』
『ああ。もっとしりたいんだよ。おおいなるものは、君たちをもっとしりたい』
おおいなるもの。それがC.Cなの?
では、あなたはなんなの?
『ちいさきもの。おおいなるもののわかれたもの。おおいなるものにかえるもの』
おおいなるものの一部なの?
『ちいさきもの。いつかおおいなるものにかえる。君たちのことをつたえる』
だったら知って。もっと知って。
これが私達人類が愛し合うことなの。ひとつになることなの。"

なるほど。C.Cは人間のように個体ごとに分化しておらず、「ひとりしかいない」。だから人類も同じだと思いこんで、「人類」そのものとひとつになろうとしていた。「君達と混ざる方法をまちがっていた」。
みのりの体内に融合している「聖杯」のC.Cは、「ちいさきもの」。ここでサブタイトル回収アツい。みのりたち人間もまたちいさきもののひとりである。

"男がせつない声をあげ、腰をふるわせると。女の中がわななき、男を一滴残らず飲み干そうとする。"
ここで個人名が消えて「男」「女」と名指されるのはC.C視点って感じで好き。だが、もっと行き来って、二人共を「ちいさきもの」とだけ呼んでくれたら最高だった。それだと2人が区別できないから駄目なのかなぁ。でもこれだと「女」「男」という概念が人類の最小構成単位だとC.Cが認識していて、「女」や「男」の中での区別はしていない(本質的ではない)、というすごく性別本質主義的な感じになっちゃう。ここは難しいところだ。人類が「ひとつになる」ことの手段がセックスというのは良いとしても、それが男女の異性愛のセックスに限定されてしまっているのはやっぱり気になるなぁ。それだと、C.Cは人類を「男」と「女」の2要素でしか認識していなくて、言うほどC.Cと変わらないやん、ってことになってしまう。やはり同性間でのセックスもC.Cにちゃんと示しておいたほうがいいのでは?いや、イリューシャたちとのプレイを「中」で見てるはずだけど、そのときにこういうやり取りをC.Cとみのりの間で交わしていなかったので。もっとリベラルには、セックス以外にも「ひとつになる」「愛し合う」方法はいくらでもあるよ、という方向に進んだらすごいんだけど、あんまりやりすぎても、C.Cとの共通性が薄れてしまうから難しいんだよな。C.Cという「原始的」な生命体と並べられたときの「人類」の根本的なあり方の共通点と相違点をうまい具合に提示しなければならない、という難題。エロゲとしてすごく困難で、かつ大事なことを描いている。



本編おわり!!!
いやぁ〜〜……最後のほうは流石にご都合主義的過ぎるとは思うけど、それでもまぁ、これだけの力作を見せられると、お疲れ様でしたと素直に拍手したい。おもしろかった。
みのりと光臣のヘテロカップルが主人公サイドで、ラスボスがリゼット狂信者のキルケ・ベルンハルト=『おおいなるもの』を倒してハッピーエンド、という展開だとまとめると、異性愛者が同性愛者を悪として打ち倒す、やべぇ保守的なおはなしになってしまうのだけれど、そうではないと読めるので良かった。
というのは、みのりがキルケに対して「あなたは『おおいなるもの』なんかじゃない!リゼットさんのことが好きなひとりの人間です!」的なことを発しながら「説得」を試みるから。つまり、みのり達が倒すべきラスボスはあくまで『おおいなるもの』という異星宇宙生命体(の枠組み)であって、それを否定して、同性に恋をするひとりの女性としてのキルケを認めて肯定することでハッピーエンドがもたらされた。まぁ、共にC.Cと人間の合一体となったみのりと光臣は普通に子供を作って、その娘〈リゼット〉が10歳近くまで成長して残雪に出会う波打ち際の『AIR』みたいなラストシーンは、ものすごく異性愛規範・生殖規範を前面に押し出してはいるけれど、それでもキルケが「ヤバい女(「クレイジーサイコレズ」)」としてではなく、ちゃんとリゼットと想いあった同性愛者として肯定されて終わるのは良かった。
というか、最後のほうでようやく出てきた残雪さん、同じ班のリゼットとキルケに比べて圧倒的に常識人すぎてウケる。これは人気投票1位の器やろなぁ……続編ではシーンがあるのだろう。リゼットは相変わらずやべぇ性格だけどそれゆえに言動がいちいちおもろいキャラだった。
それから、なんかラストの方で言及されていた『死者の声』という概念もわりと興味深い。簡単に言えば、それによって悪い奴・権力者どもが反省したり自殺したり失脚したりして、それ以後の人類文明が善くなった大きな要素であるらしい。それでみんな良い人になって人類は良い方向へ向かうとか、発想が幼稚すぎるだろと思うと同時に、でも実際、死者の声を聴くというのは人文学的にも重要なところではあると思う(エアプ)ので、その辺りを踏まえているとも読める。

で、本作も言ってしまえば最終的には純愛(和姦→生殖)に着地したことは確かだ。じぶんが上のほうでさんざん批判してきた、「陵辱モノの皮を被った純愛モノ」「純愛に"逃げ"ただけで『シナリオゲー』と絶賛される凡庸な陵辱モノ」に本作も当てはまるのではないか、という指摘は免れない。もちろん、最後のほうがあまりにも幼稚な出来すぎハッピーエンド・純愛和姦生殖-礼賛シナリオであったことは残念に思う気持ちはある。だが、今作はその前段階のC.Cと人類の比較検討のくだりで、そもそも「和姦」と「陵辱」の区別がナンセンスであると提示していると読める。「ひとつになりたい」願望が基底にあるのはC.Cによる陵辱も、愛しい人との和姦も同じである。そのうえで、もともと『おおいなるもの』という合一体なのか、それとも独立した『ちいさきもの』たちが別々のままに繋がろうと欲するのか、という違いがある。そして、みのりと光臣が最終的にC.Cと人間の中間体になるという展開は、まさしく和姦と陵辱の垣根が取り払われ、その "中間体" としてふたりがセックスをして子供をつくったことを意味する。だから、この物語は実は純愛和姦エンドではないとも言えるかもしれない。もはや和姦とか陵辱とかいった枠組みが解体されているのだから。
また、宇宙空間で光臣がみのりに再会したときに抱き合いながら語った、なんか重要そうなC.Cの根本設定の一端で、C.C本体の『おおいなるもの』もまた、『とるにたらないもの』から生まれた『ちいさきもの』の1つに過ぎず、そしてその『とるにたらないもの』もまた、別の『おおいなるもの』から生まれた『ちいさきもの』に過ぎない……という宇宙生命体の連鎖が語られていた。C.Cにとって人類は『とるにたらないもの』であり『ちいさきもの』の無用な群れに過ぎなかったはずだが、こうしてC.Cも人類も他の宇宙生命体もすべては均しい存在になる。みな平等にちいさく、とるにたらないものである。C.Cはキルケ=偽『おおいなるもの』に爆破されたが、それすらも宇宙規模の視点からすれば、些末な『ちいさきもの』同士の連鎖の一部に過ぎない。『おおいなるもの』と『ちいさきもの』という枠組みもまた恣意的でナンセンスなものであることが示唆されており、みのりがC.Cに対して言った「私たち人間はあなたたちとは違う!」という言葉もまた相対化され否定されていく。生殖も何も、ただ「そういうもの」に過ぎず、ポジティブな意味もネガティブな意味もないというフラットな境地。そのうえで、あの、同性の同僚をただなんとなく愛した人類の英雄の名を冠された新たな子供──人間とC.Cの中間体の子供──が、地球の地に足をつけて、海の水を跳ね飛ばして躍るさまを、ひとまずの、人類というごく局所的な観点での〈ハッピーエンド〉として描かれて、この作品は幕を閉じる。長々と書いてきたけど、ようするに、わたしはこの物語をどうしても嫌いにはなれないし、それどころか、すごく好きだと思える、ということだ。

未選択の分岐がいくつか残っているので、回収する。流石に大筋は変わらないと思うけど……
デッドエンドあるんだ……

>グループ14をカテドラルから排除する。
イリューシャ、七虹と3人であっさり地球に帰還出来てしまうルート。残雪の襲撃に遭うが、後に蛇の一族の総帥のオオトジとの会談で、残雪の身柄は統合地球軍に引き渡される。光臣との再会も全然違うかたち。光臣はみのりを以前別れた日と同じように高級レストランへ誘い、薬をもってレイプする。ここのCGが、さっきのカテドラルでの純愛和姦シーンと全くおなじCGを使っているのが素晴らしい。光臣がみのりを深く愛していることは変わらないのに、接触の仕方がこっちの光臣は身勝手過ぎてみのりとの信頼関係を築けない。すげ〜〜いいですね〜〜。

地球帰還√おわり!!!
これって、最初の光臣√クリア後に解放される真エンディングってことでいいのかな。こっちのほうが3人が生き残っていて続編は作りやすいだろうし。
最初のエンディングがTrueエンドとばかり思っていたから、こんなに分岐にも力が入っているとはびっくりだよ。
8月大侵攻の前にG14の3人が公式にカテドラルから地球へと帰還できて、みのりは光臣の秘書兼愛人となって軍を辞め、残雪と協力してカテドラルを殲滅する。流石に最後のほうの戦闘の規模・迫力は最初の√には及ばないし、それからC.Cや聖杯の実体についても明かされることはない。キルケがいきなりあのニセ『おおいなるもの』となって現れて、あっさり負けてリゼットと2人でC.Cの楽園を滅ぼしに行くとか、ギャグのようでもある。
ただ、この√は最初の8月侵攻-光臣純愛√を前提にして、それを補完するシナリオだと思えばよく出来ていると思う。何よりもまず、こっちでは光臣と両想いでしっかり結ばれることがなく、すれ違ったままで終わる。これは、光臣√で結局は純愛和姦生殖エンドかよ、とやや残念だった思いをほぼ完全に昇華してくれる構造だ。あのときは、あれがTrueエンドだとばかり思い込んでいた。でもこれは選択肢のあるノベルゲームなのだ。物語上での「結論」を1つに絞らずに、いくつも並行して提示することができる。その複数の「結論」同士の有機的な繋がり・関係そのものによって、作品全体としての大きな「結論」というか、佇まいを表現することができるメディアなんだ。光臣がみのりを好きだったのはどちらの√でも変わらない。みのりだって光臣のことは好きだったはずだ。でも、2番めの√での光臣はバーゲンホルムの呪縛から、男の権力社会の〈ルール〉から、抜け出せなかった。抜け出せないままに、みのりを所有しようとして、いっときは所有できても、結局は振られてしまった。最初の純愛√だけだと、さすがに光臣がいいヤツ過ぎて引くというか、信用ならないところがあったが、2つの√を照らし合わせることで、ようやく光臣という人となりが立体的に立ち上がってきた。見事だと思う。
別のキャラの運命でいえば、まずはイリューシャと七虹が生存していて、3人の〈友情〉に帰着したエンドだとはいえる。七虹は悟の呪縛からも一応解放されたらしく、良かった。またどうせダメ男に引っかかるだろうけど。ともあれこの3人が同棲する結末は素直に寿ぎたい。
そして、残雪が逆にこちらの√では自己犠牲を払って、リゼット・キルケと同じく散っていった。残雪は最初の√だけでは、最後のほうに出てきて活躍してった常識人キャラ、という印象だけだったけれど、こちらの√でさらに活躍が(シーンも含めて)描かれて、本当に気高く良い人だったことがわかった。
その残雪の、月という故郷への思い入れの深さが印象的だったのだが、この√のテーマのひとつは、まさにその、自分の故郷と地域性へのコミットメントだったと思う。最終的にみのりの故郷である火星の開発が進んで活気を取り戻す前向きな終わり方だったのもそうだし、冥界のカテドラルから地球に帰還したことで、C.Cとの戦闘やカテドラル内部での抗争が後景に引いたかわりに、地球に住む人々のアイデンティティや土着性、政治意識といったものに焦点があたっていた。それはバーゲンホルム家("蛇の者")の光臣が「ゲーム」から出られていないこと、全ては自分の手のひらの上だと思いこんでしまっている点や、総帥のミツコが逆に世界を外からも見れていることにもあらわれている。「カテドラルの外にも、また別のカテドラルが広がっているだけだった」とみのりは何度も絶望的に口にする。結局、その袋小路を打開したのは残雪の献身的でそれこそ「英雄」的な活躍が大きかったけど、それに触発されるかたちで、光臣の愛人の座に縛り付けられていると思い込んでいたみのりが、見違えたように独り立ちして活躍していくのに感動した。最後の締めが、「特殊戦技兵は、もういない。そして魔法少女は、ここにいる。」なのも凄くグッと来る。封入スティックが無くとも特殊戦技兵の装甲を展開できるらしい、というのが話のひとつのポイントだったが、それが最終的にここに効いてくる。かつての「少女」たちの自立をストレートに前向きに描ききった爽やかなシナリオだった。最初の√が、「そもそも人類とは、C.Cとは、生殖とは……」という、もっと生物SF的にラディカルな方向に舵を取って、最終的にもまどマギみたいなスケールのデカい終わり方になったのとは好対照で、どっちが良いということではなく、この2つのシナリオが並列している構成が素晴らしい。

>グループ14をカテドラルに留める。
ギャラリー100%、全シーン回収おわり!!!

ギャラリーのSDキャラクリックで6種類のトランプ・麻雀ミニゲームが出来るのなんなん……暇で暇でどうしようもないときにやろう