ErogameScape -エロゲー批評空間-

oldreavesさんの白昼夢の青写真の長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
白昼夢の青写真
ブランド
Laplacian
得点
73
参照数
572

一言コメント

シリアスで壮大なSF純愛シナリオゲーよりも、甘々ヒロインとのラブコメキャラゲーのほうが明らかに向いていると思いました

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

!!ネタバレ注意!!


2023/10/14(土)〜11/20(月)

総プレイ時間:30時間10分
実プレイ日数:9日間



https://note.com/kksk/n/n2e8214921403

↑こちらのnoteにもほぼ同内容のものが投稿されています。




【まとめの感想】
始める前からなんとなく聞いていた噂に違わず、CASE1, 2, 3はそれなりに面白かったものの、CASE0はかなり退屈だった。
このライター(緒乃ワサビさん)は魅力的なヒロインとのイチャラブコメディを描くのがとても上手く、おはなしを変に壮大にし過ぎたり重くシリアスにし過ぎてしまったCASE0のようなトーンの物語にはあまり向いていないのでは、と思った。

CASE1〜3のプロローグは順番がランダムである、というのをあとから知ってびっくりした。共通ルートから各ヒロインの√に分岐していくのではなく、最初から分岐が、しかもランダムで行われるというなかなかに面白い構成は素直に評価したい。アリ・スミス『両方になる』みたいで良い。

最初の3つのCASEのなかでもいちばん好きなのは桃ノ内すもも編(CASE3)。これは何よりもまずすももというキャラクターの魅力に尽きる。私は同い年幼馴染至上主義者なのでおねショタには懐疑的だったが、飴井カンナと桃ノ内すももの関係には降参した。歳上の性経験豊富なギャル最高!!! すももと梓姫の掛け合いも非常に楽しく、全体的に高校生のひと夏の青春モノとして気持ちよく読めた。他の章と比べたときに、CASE3がもっともこじんまりとした物語だったのも好きなポイントだと思う。他のCASEと揃えて一応は「別れ」で終わりはするものの、単にひと夏が終わったから一旦は自分の家/生活に戻って距離を置くだけで、数年後にはこの2人めでたくくっつくんだろうな〜と確信できるので読後感も良い。下手に悲壮感がないから好き。あと、どこかの淫行教師のおかげで、教え子に「手」だけで済ませた桃ノ内すももの倫理観が相対的にまともに見えるの草
CASE3を読んで、このライターにはコメディ調でエッチ要素も満載のキャラゲーをいっぱい書いてほしい、と感じた。桃ノ内すもものASMRとか無いですかね?

順不同のプロローグで私が最初に読んだオリヴィア編(CASE2)もそれなりに面白かった。シェイクスピア!?とびっくりしたが、史実に基づく歴史モノというよりも、現代日本目線での二次創作エンタメとして楽しかった。男主人公ウィルが脚本を書くだけでなく女装して自ら舞台に上がる、という設定が良い。オリヴィアの日常的な所作をトレースして演技を洗練させるくだりがいちばん感動した。エロゲにおいて男主人公がヒロインを「見る」行為が、彼女を(性的に)消費/所有するためではなく、「見られる」役者としての自らの身体へ投影する模範として位置づけられていることへの感動。そしてヒロインのオリヴィア側でも、「女優」が存在できない社会情勢のなかで男装して野望を果たそうとする高潔な意志が素晴らしく、こうして男女のジェンダーが逆転した形で「演技」をするというフェミニズム・クィア的にも興味深い内容だった。それだけに、最後の『ロミオとジュリエット』では性別を反転させずにそのまま演じる、という展開がふたりのロマンチックな異性愛の称揚に直結する形で物語られていて一抹の落胆を覚えた。そうしたジェンダー・クィア方面ではむしろ「変態」貴族のハロルド・スペンサーが良いキャラだった。しかし作中での扱われ方は明らかに男性のホモフォビアを素朴に提示しており差別的であった。酔っ払っているオリヴィアは確かに可愛いが、それでもなお「……いいこね」と優位に立っていてくれるほうが好き。

唯一現代日本を舞台にした波多野凛編(CASE1)は……もちろんそのまま素朴には受け入れ難い、既婚中年男性教師による未成年の教え子に手を出す社会通念に反した物語であるが、そもそもエロゲの男主人公で既婚者/妻帯者が珍しいのでテンションが上がり、関係が冷え切った妻へのレイプや浮気、不倫、離婚……という大人の終わっている要素てんこ盛りなのはとても好みだった。男主人公をちゃんと「しょうもない」奴として描いてくれる話が好き! そうした自分の好みに照らせば、中年男性が年甲斐もなく青春しているかのような凛との交流パートよりも、妻:祥子との生々しい離婚調停の話をもっと読みたかったのだけれど、それは色んな意味で違うので仕方ないですね。自殺した天才小説家:波多野秋房の(しょうもない)日記を読んで強烈に共感して死に接近していく有島を冷めた目で流しつつ読んでいたが、凛に妊娠が発覚し、それを有島には告げずにひとりで産み育てる決意をする──というラストの展開だけ急に重すぎて動揺した。「幸せなエピローグ」を"作者"本人による二次創作としていったん脇に置けば、未成年の学生がひとりで産み育てると決めるのをあたかも高潔なことのように描いていると読めかねないあの着地はどう考えても問題がある。ただ、おまけシナリオ2での妊娠安定期の凛と有島(芳)夫婦の情事は、エロゲにおいて妊娠(・出産・育児)をどうHシーンのなかで描いていくか、という観点でとても良かった。あとおまけシナリオ1の凛のS気足コキプレイは最高。

そして満を持してのCASE0だが……まず何よりも長い! 長くて退屈! 思えばCASE1~3は(前編/後編に分かれているからとはいえ)どれも5,6時間ほどで終わっており、「あれ?もう終わりか。意外と短いなぁ」とすら思えていたのが功を奏していた。飽きさせずに終わるうちが華。CASE0ではひとつの物語を子供編・青年編・夫婦編などと幾つもの人生段階に細分化して、かつ終盤では遊馬の回想エピソードやら、CASE1~3の設定回収のための記憶装置実験パートやら、無駄に凝ったSF設定説明パートやらが配置され、終わると思ったらまだ続くんかい、な冗長なプロットになっていた。おそらくCASE1~3に比肩するか、それらを凌駕するもっとも感動的で壮大な枠物語としてCASE0を位置づけたいという思惑のために、結果的にこのような退屈で冗長な内容になってしまったのだろう。上でも書いたように、明らかに、壮大で壮絶で感動的なシリアス話よりも、甘々でイチャラブなささやかなコメディを書くほうが向いている。喜劇でも悲劇でも同等の名作を量産できるシェイクスピアが特殊なんだから。仮想空間研究の設定がやけに綿密であり、それをご丁寧に解説してくるあたり、おそらく本当にやりたいのはこうした厳密なSFモノなのだろうけれど、それが物語のエンタメ性を損ねる方向にしか作用していないという自覚を持ってほしい。そして、3つの章を作中作として包含して物語構成の理屈を付けて……という作業が終わって最後にやることは、使い古されたヒロイン人柱セカイ系自己犠牲展開なので、呆れてしまう。しかも、CASE1~3の実験パートが終わったあとで大文字の「世界の謎」を開示して再び主人公を絶望に突き落とすというか、これまでの凝った物語構成の意味は何だったの!?とプレイヤーを困惑に突き落とす展開が用意されており、マジで何がやりたいのか……。ここにきて世凪というヒロインとの純愛シナリオと、地下都市に避難した人類を描いた未来SFシナリオがまったく噛み合っておらず、互いに魅力を損ね合っていた。
CASE0で面白かったのは、世凪の思考空間を人々の住む仮想空間として設計しようとする中で、CASE1~3の世界に海斗たちが入り込んでゲーム的に色々と実験をして試行錯誤していく場面だ。これは要するに、プレイヤーがこれまで読んできた3つの物語を、まさに主人公がゲーム的な空間として体験しているということであり、つまり『白昼夢の青写真』とはノベルゲームそのものの隠喩であると読める。本作はメタフィクション的要素を持っているが、それは単に物語が入れ子構造になっているということではなく、そもそも「小説」や「物語」ではなく厳密には「(ノベル)ゲーム」としか言い表せないようなメディアとして世凪の思考空間が描かれている点に本質があると思う。ノベルゲームであることに意味がある。こうした観点では(でのみ)私はCASE0を面白いと思う。
また、本作は明らかに『AIR』などの、青空や海や風、鳥といったモチーフをエモく演出するエロゲの系譜にあるが、それと終盤で明かされる基礎欲求欠乏症の対策として「空や海や空気への欲望をかき立てるための都市設計」という要素を関連付けられるのではないかと思った。つまり、連綿と続く「青くて爽快で壮大な純愛エロゲ」をなぜ我々は求めてしまうのか、その真の理由として基礎欲求欠乏症(のための衆愚化計画)があるのだ、という思い切った偽史をぶち上げているのだと解釈するのは面白いかもしれない。

まとめれば、CASE1~3はそれなりに面白かった(特に桃ノ内すもも編は良かった)がそれを総括するCASE0は向いてないのに肩の力が入りすぎて冗長であり失敗しており、メタ-ノベルゲームやメタ-エロゲ的な(一歩引いた)観点からでしか面白さを見出だせなかった。イチャイチャラブコメ路線で大成してほしい。




終わってみれば、初回で書いた「わたしはSFと純愛モノが苦手なのでそこがどうなるか」という心配がそのまま表れた形に……

↑ではずっと、この作者はシリアス(悲劇)よりもコメディ(喜劇)が向いていると書いたけれど、実際のところは自分がシリアスよりコメディを好むだけの話なんじゃないか?と問われたら答えに窮します……。



・他人の感想記事を読んで

https://bloedsinn.blog.jp/archives/83110309.html
白昼夢の青写真

https://bloedsinn.blog.jp/archives/83298064.html
『白昼夢の青写真』CASE-0について


クリア後、もっとも敬愛するエロゲ感想ブログである「Schnee des Winters」の『白昼夢の青写真』関連記事を読み漁りました。この方が90点を付けている、というのが、本作をやる大きな動機のひとつであったからです。

結果的には、この人ほどには楽しめなかったわけですが、それでも/それだからこそ、以下↓のような丁寧な批評文を読む楽しみはまったく減りません。

> 果たして本作はセカイ系悲劇と呼べるだろうか?——呼べないだろう。なぜなら世凪は「海斗のため」に自己犠牲を選んだのではない。逆だ。「海斗のために」何かを選べない彼女だからこそ、海斗とは無関係な世界の滅びを遅らせるために、己を捧げようと決意できたのである。

わたしも言及したような、CASE0の「セカイ系」的側面を丁寧に検討しています。『AIR』や『ユースティア』もやはり引き合いに出されています。

ただ、論の内容以前に、下のような洗練された文章を読むこと自体に快楽があります。わたしの中では。「あ~ こういう文章をさらっと書ける学のある人ならば信頼/尊敬できる!」と興奮します。

> 「セカイ系」は家族的類似であって、必要十分条件を提示することは不可能であるということを前提し、定義論やオタク論ではなく作品論に限定して用いれば、この概念は今でも使える。厳密な定義が不可能であり、また純粋な「セカイ系作品」が存在しないことは、この語の有用性を毀損しない。

この人が『青写真』(CASE0)を高評価している理由が掘り下げられていますが、根本のところには「世凪というメインヒロインを心から好きになることができたかどうか」という点が私との違いなんだろうな、と思います。(それはエロゲとして何も間違っていません)

ブログ主のBlödsinnさんは世凪というヒロインを愛し、彼女を愛する男主人公に感情移入しているからこそCASE0および『白昼夢の青写真』という作品そのものを最後まで肯定できています。しかし、私にとってはCASE0の世凪よりもCASE1~3の3ヒロインのほうが皮肉なことに実在感があるように思え、世凪はそれらのヒロインのツギハギのような薄っぺらいキャラに思えました。(ほんとは順序が逆で、世凪の3つの側面を分離して創作したキャラクターがすもも、オリヴィア、凛だというのは分かるのですが、それでも私の主観は覆せませんでした)

ヒロインキャラだけでなく、スチルの構図や背景もまた、CASE1~3とCASE0は意識的に重ねられています。そのことをBlödsinnさんは「エロゲというメディアの面目躍如とも言えるギミックだ」として称賛します。

> ケース1-3の印象的な構図を用いたCGが多く、印象付けるのが上手。一枚絵だけでなく、背景もこれまでのケースと似せられている(上の画像背景もそうだ)。気付いてニヤリとできるファンサービスだけでなく、世凪のイメージからこれまでプレイヤーが見てきた物語は成り立っているという、世界観の補強にもなっている。複数の物語を並走させながらメインルートに統合することができ、しかも視覚的なイメージが使用可能な、エロゲというメディアの面目躍如とも言えるギミックだ。ボイスがキャラクターの一貫性・統合性を生んでいると考えれば、聴覚も活用している。ヒロインのデザインに目が行きがちだが、本作はそれ以外の部分でも物語の「統合性」に細かく気を配っている。本作が下手をすればシナリオ間の繋がりが見えず空中分解した短編集になっていたかもしれないことを思えば、かなり高く評価するべき部分である。構図の再利用は、演出面でも優れた効果を生んでいる。夜凪の一枚絵を見た時、プレイヤーが鑑賞しているのは海斗と世凪の物語であると同時に、凛と先生、オリヴィアとシェイクスピア、すももとカンナの物語でもある。しかもそれらの物語は無関係ではなく、実は同一の対象をーーつまりは世凪の感情をーー描写したものだ。同じものを、違った角度で描いている。プレイヤーは夜凪の感情を既に知っている。その感情が最も重なる瞬間が、こうしてCGに結晶化されている。

私も「エロゲ/ノベルゲームならではの要素」を見出して褒めることはよくするので、上の指摘自体には全面的に同意します。しかし、それでもなお、私のプレイ体験という主観的な次元においては、「プレイヤーは夜凪の感情を既に知っている」という既知の感覚がむしろ世凪というヒロインの自律性を減じてしまい、こいつにあんま興味もてねぇな……という愛着の減退と、またこういうのかよ……という飽きに繋がってしまったのです。(※世凪編はまさに「ヒロインの自律性(の喪失」を主題にしているんだから、それを以て切り捨てるのはナンセンスである!と反論されたらまぁそうかもしれないです……)

CASE0の冗長さとは単純なシナリオの長さ以外にも、こうした「既知感(デジャヴ)を想起する要素が多過ぎる」ことにも由来しているのでしょう。単に私が、こういうタイプの「伏線回収」が苦手、ということなのかもしれません。『ファタモルガーナの館』低評価の理由もザックリいえばほぼ同じことです。

さらに、元の記事で指摘されているように、CASE0において世凪の「人格=記憶のあり方」は3段階ほどに分かれます。このことも、世凪というひとりのヒロインの強度を損ね、その人格的同一性を希薄にするので、私が彼女にあまり思い入れを持てないのを助長しました。ここはおそらくプレイヤー的には、世凪の "ビジュアル" を愛することで主体的に彼女の同一性を保つことができる(そうしなければならない)のでしょう。じっさいBlödsinnさんは世凪の立ち絵を「ウインドウオフにして10分単位で眺めて」いるほどに、その図像に惚れ込んでいるようです。

> 世凪がキャラクターとして完成されすぎている。好みをストレートにぶち抜いてくるキャラデザ、神代氏のメリハリが効いた演技、童貞を完全に抹殺しに来ているこの笑顔よ。ウインドウオフにして10分単位で眺めてた。我が家には未開封のエロゲ特典タペストリーが大量に眠っているが、壁に掛けたタペは世凪が始めてだ。

私は「世凪がキャラクターとして完成され」ているとはまったく思えなかったし(桃ノ内すももには思いました)、そもそもそこまで単一のキャラクターの図像を愛することはできない──世凪だけでなくより一般的に──ので、その意味でこうしたエロゲに向いていないのかもしれません。キャラクターよりも物語のオタクなので……。

>「世界と呼ばれた一人の少女の物語」といった大仰な文句や、SF的なギミックに惑わされてはならない。『白昼夢の青写真』においてセカイ系的な要素は途中で挿入された装飾に過ぎない。本作は『AIR』や(途中までの)『イリヤの空』の系譜ーーヒロインいじめと看取りモノーーに、本作独自のテーマである「人格とは何か」を接続した物語として読むのが妥当である。後出しで登場した満足病の存在や遊馬のエピソードなど、唐突とも言える終盤の一連の要素は概ね本筋に無関係であるから、冗長であるという批判を除けば、本作の評価を大きく下げる事にはならない。

だから、わたしはCASE0が「(後出しで登場した満足病の存在や遊馬のエピソードなど、唐突とも言える終盤の一連の要素は概ね本筋に無関係であるから)冗長である」という一点だけでも本作の評価を大きく下げてしまうのです。

というか、私もプレイ中の感想メモで指摘したように、『白昼夢の青写真』はまさにノベルゲームについてのノベルゲームであり、男主人公:海斗がヒロイン:世凪を見つめ、愛し、語り伝えていくプロセスはそのまま我々エロゲプレイヤーが2次元のキャラクターへの関わり方に対応しています。したがって、本作を楽しめるか否かが、(ある種の)エロゲ/ノベルゲームに向いているか否かの試験紙となる、というトートロジーめいた妄言はあながち間違っていないと思います。






【以下、プレイ中の感想メモ】


10/14
テキストボックスの右上にに常にセーブやログのボタンが出ているUIがすごく嫌。消せないのか
あれ? 実況者の体験版でやってたのとぜんぜん違う話だ。
オランダとデンマークの国王の話を絡めて創作する。シェイクスピア?
テンブリッジの劇場に副業で脚本を提供しているウィル(唯一CV無し)が主人公? ケンブリッジだとすればやっぱりイギリスでシェイクスピアオマージュか。……ってかウィリアム・シェイクスピア本人か。伝記的事実を何も知らない……
おっ、立ち絵がリップシンクしてる!! 初めて見たかも。
盲目の父想いのウィル。
時代背景はエリザベス女王即位後。カトリック(旧教徒)狩りが激しくなった頃。
リリー座の座付き作家クリストファー・マーロウ
https://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー%E3%83%BBマーロウ 実在してる作家だ。
『真夏の夜の夢』か〜〜 そんな話だったんだ
貴族ハロルド・スペンサー すごい変なキャラ付け その隣の女性オリーヴ(オリヴィア)
シェイクスピアとやっと明言した。『リチャード三世』『じゃじゃ馬ならし』
グローヴ座 ロンドン一の演劇場
「ドS」とか言ってるし、あえて現代風にしている。
オリヴィア側の心情をもうぜんぶ明かしてくれたよ。ヘイト管理というか、心の弱い読者に媚びているのが現代的だなぁ。
髪が長く女のような男主人公と、男装して舞台に立つヒロインの物語。
実在の大作家(後世まで作品と名が轟くことが約束されているキャラ)を主人公にして、最初からこの物語は何をするつもりなのだろう。権威主義〜と思っちゃうな。

ここでOP! これ一章ごとに用意されてる感じだな。ウィルかオリヴィアのどちらかが死んで終わりそう。
!?!?!? えっ、もう終わり!? 今のOP映像ぜんぶブラフだったの!? そんなことある? もしそうなら完全にしてやられたんだけど。。
環境再開発研究所 記憶喪失の主人公:海斗 アンドロイドの出雲。 メインヒロインっぽい白髪少女:世凪。電気羊のリープくん
3つの夢を見終わったら記憶が戻る。なるほど。噂通り『ファタモルガーナの館』みたいな感じか。最初がシェイクスピアなのからしてファタモルだからな。。

あー良かった。またシェイクスピア編に戻るんだね。夢だと明らかになった上で。
まじでウィルまで舞台に立つのか。なんだかすごく王道のクリエイター・ビルドゥングスロマンをやろうとしている気がする。ヒロインが主人公を導く形での。ラノベっぽい。あるいはラブコメ・ヌーヴェルヴァーグ? 執筆だけじゃなく酒場の切り盛りや身の回りの世話までコーチングしてくれる。面倒見が良すぎる……。最近こういう介護してくれる系ヒロインもの多いよね。そこに、才能は最初からヒロインにも歴史にも認められているという俺TUEEEなろう系の要素まで入っている。
オリヴィア「わたしが女役で立てる訳ないじゃない。女なのに」 いいね
マーロウ『マルタ島のユダヤ人』
オリヴィアめっちゃいいキャラしてると思うけど、彼女視点で絆されてる内心をぜんぶこちらに見せちゃうのは無粋にもほどがあるな〜〜。ウィルの劇作家としての才能だけじゃなく、居酒屋の居心地の良さにまでもう陥落してるじゃねぇか!
でも、男主人公以外の男とすでに寝ている(寝させられている)メインヒロインはこういう純愛系エロゲで珍しいから良いな。「夢」という枠があるからこそなのかもしれないけど。

また「現実」に戻った。ここで選択肢!? と思ったら単なる補足知識紹介パートだった。こんなところまで丁寧に。
ここ日本の新宿なの!? 人類文明が衰退した近未来ってことよな。
海斗は世凪の見る夢のレセプター。ふたりの相互作用で夢は進行する。ズレるとエラーで進まなくなる。
世凪に自我を取り戻すのが目的。こんなに序盤にバラしちゃって良いんだ。さらなる展開があると期待していいのか。

!? また別の夢か。すもも。聴いたことある名前。前世での記憶が……
国際空港跡地。ガレージ、4WD(ハチマル)、写真、不登校、夏。順当にエモい、体験版で見たことある世界だ。セーブ画面によると「CASE-3」!? さっきまでのはCASEいくつだったんだ。セーブしておけばよかった。
ここでの主人公は飴井カンナ。7月8日。学校をサボり、サバイバル写真家の母が遺したハチマルの整備に費やす。
2061年7月28日に最接近するハレー彗星を撮るために。
てか今更だけど、CASEや幕間といった物語の位相ごとにUIまで変わってるんだな。凝ってる〜〜
教育実習生の桃ノ内すももさん。メンタルくそ強のギャルだ。黒髪はウィッグで地毛が白髪か。こっちはこっちですげぇ現代的な良いキャラしてんな〜〜さすがだ。
鳴山空港第一ターミナル跡地。日本の国際空港だったが人工鳩のせいで閉鎖した。ラプラシアンの過去作だな。
梓姫さんも良いキャラだ……「〜〜でしょうが!」という口癖いいな
お母さん(アンナさん)イケメン過ぎるだろ。こりゃあマザコンにもなるわ
いきなりめっちゃおもろい展開で草 背景美術や立ち絵や素材をフルに使って演出も頑張ってるな〜〜
すももと梓姫の掛け合いがめっちゃおもしろい。ギャルというか変人ヒロイン同士の絡みが魅力的だと強いな〜
これは……おね×2+ショタのハーレムラブコメだな!? 
幕間に戻った。牛乳粥(ボリッジ)ってオリヴィアが作ってたやつだ。今気づいた。
海斗の記憶がイニシャライズされているので、最初の幕間とほぼ同じ会話が続く。
既読テキストになった。やっぱり複数のCASEが可換なループものみたいな感じか。
飴井カンナの情報。千葉県鳴山市の鳴山公空(こうくう)学園付属二年生。松風梓姫っていうんだ。

またCASE-3に戻るところまでで一旦ストップ!
シェイクスピア編はCASE-2だった。・・・じゃあCASE-1は? もしかしてマジで章の順番がランダムな『両方になる』みたいな実験的な構成なのか?
今のところ、そこそこおもしろい。幕間の現実の設定は現時点ではあんまり好みじゃない(『Euphoria』的だ)が、CASE-2と3はどちらもヒロインのキャラが立っているし、話もシリアスというよりはコメディが上手い感じで好み。数人でなにか一つのことをする、という学園部活モノみたいな軽やかなノリを全然別の世界設定/人間関係のなかでやることの、異質さと安心感がまざった面白さがある。デザイン・演出面も凝っていて良い。ビジュアルの画質はじぶんのディスプレイ環境に微妙に合ってない気がするが。
今のところCASE内で登場したヒロイン3人(オリヴィア、すもも、梓姫)はみんな気が強めで、好み。「男らしい」ヒロインというか、自立しているさまはフェミニズム的だと安易に言ってしまいたくもなる。女が舞台に立てないエリザベス王朝演劇において「女優」という職業を世間に認めさせようとしている。また主人公ウィルが女役で出演するらしいのはクィア感がある。
ところで、CASE-3が始まってしまったけどわたしはCASE-2の続きも読めるのでしょうか? 選択肢間違えたとか無いよね?


10/26(月)
「電波喰い」 SF設定
ハレー彗星。今日は11日
15年前の事故で国際空港が壊滅し通信網が失われ、第二ターミナルが学校になった。
元空港の学校って、ビッグサイトをモデルにした虹ヶ咲学園よりも凄いな、絵面が。
スチルでもキャラの口元/表情が台詞で動く差分がある!(流石にリップシンクまではいかない)
すもも、20歳くらいのときにギャバクラで稼いでいた。身体だけは売っていない、と。
スチル演出凝ってんな〜 単なる静止画じゃなくて、キャラと背景でレイヤーを分けて立体的なアニメーションっぽく見せたり。
正直、黒髪おかっぱウィッグ姿もかなり好みではある。
また起きた。ここの背景知識質問の選択肢によって、今の章が続行されるか決まるのかなぁ
人工鳩は生体型の相互通信機。2031年に葉月伊耶那(いざな)によって提唱され、2035年に5億羽が試験的に放たれた。2046年7月10日に全人口鳩が暴走・制御不能になり妨害電波を発するように。=電波喰い。葉月伊耶那による人災?
その15年後の2061年がCASE-3の現在だから、主人公は15歳設定かな。
地毛なのかその長い白髪
OP! ここまでがCASE-3のプロローグか。
めっちゃおねショタ。結ばれる一対の男女をストレートに運命的に描く姿勢で、ザ・純愛和姦モノなのであんまり好みではない……。梓姫さんはどう考えても三角関係に入ってこなさそうだし。そこがいいキャラなんだけど。
……うわっ! また別の夢に行った! これ各章の導入部だけを順番に並べて紹介しているってことか。予告編アンソロジー

CASE-1 現代劇か。過去(中世歴史モノ)・現在(現代学園モノ)・未来(ポストアポカリプスSF)というバランスの取れた構成
学校の主人公の男は非常勤講師の有島。「小説家のなり損ない」
CASE-3で教育実習生のヒロインと生徒の男子主人公の両想い関係をやって、こっちでは逆に教師の男主人公と女子生徒の関係を扱うのか。……倫理的に大丈夫?
波多野秋房(はたのしゅうぼう)の『いつかの白昼夢』。学生時代同じゼミ(山田ゼミ)の先輩だった。
女性VTuberみたいな外見だな、毎度ながら。
既婚者かーい! 妻も山田ゼミの同級生
二年一組の生徒:波多野凛。天才作家の父を持つ少女、ベタやなぁ。
妻の祥子さん、梓姫さんみたいだ。冷え切った夫婦関係。子供はいなさそう。不倫するのか? 勤務先の生徒と……
45歳!? また思い切ったなぁ……

11/2(木)
波多野秋房(1969-2006)のwikiページを閲覧するところから。劇作家でもあるんだ。CASE-2シェイクスピア編と関連する?
出版したあとも改稿が多いので文庫本より単行本のほうが推敲の少ないものが読める。
有島は24歳で結婚して21年目。なっが
亡き父の感触を求めて小説を読む娘──王道なプロット。CASE-3の亡き母の夢を果たすために彗星の写真を撮ろうとする息子、と対になっている。CASE-2の主人公の父親は病身だが生きてはいる。
これ、「実は父もちゃんと娘を愛していた」展開な気がするな……だったらゲンナリする……
波多野凛は草薙直哉の女性版か
マッチングアプリをやっている同僚の男36歳。9歳年下だけどめっちゃフランク
「長年エンジンをかけてない車みたいなもんだ」 他の章との関連匂わせ
妻が外で不倫しているかもしれないという可能性の話を「編集者としては合理的だ」というの、なかなかにミソジニーやら色んなものが纏わりついてんな……
うわ〜〜 妻との出会いのエピソードは理想的過ぎるが、それゆえに現在とのギャップがえぐられるな…… いや、そりゃあ編集者として長年仕事をしていて、夫がまた作家志望の文学青年に戻られたらたまったものじゃないよな。青春と人生、学生と社会人の不可逆的な変化。
教え子に、彼女の父の若い頃の写真が載っているから、という口実で自分と妻の馴れ初めのアルバムを渡す(処分する)教員……
いや〜キツいな〜〜 大学時代に、すでに新人賞をとってデビューした天才ではなく自分の小説を読みたいと言ってくれた女性と結婚したように、そこから20年以上経って、教え子の少女からまた同じように自分の文章を褒められて、再び書こうと思う……なんでこんなに痛々しいのだろう。「青春は何度でも来る」はずなのに。おそらく小説家(ワナビ)へのわたしの私的なこじらせ故だろう。
これ、妻とのあいだに子供がいないのは、凛を擬似的な子供にするため、即ち自分が彼女の〈父親〉になるためか。嫌過ぎる。終のステラじゃん。教師-生徒の関係と、父親-娘の関係、そして小説家-(それを後押しする)編集者の関係をすべて重ね合わせている。うおおおおおおおきめえええええ 教え子を恋人(愛人)にするんじゃなくて娘にするほうがマシ、じゃあないんだよな。むしろそっちのほうが自分は忌避感を覚える。そこに創作者の自意識も絡んできて全部乗せ状態
この文章を書いた、父と似た書き手が、卒業後も小説を書いてなくてよかった、という凛。もし書き続けていたら、父のようにそれだけに専心して子供を蔑ろにする空虚な親になっていただろうから、ってこと?
自分が波多野秋房を題材にした小説を書くことで、自分と凛を救う。なるほど。
OP。教え子ともろキスしてて草
>そうだ、私にとって物語を書くことは、自分の中を間接的に整理する作業だった。

夢から起床。このCASE-1は2016年、神奈川県夢見市の柊英学園付属(高校)の話。「有島芳はその娘、波多野凛に対して恋心を募らせるようになる」って言っちゃってるw

引き続きCASE-1。
凛と同級生の夢を見る。キツい。これは妻・祥子を蔑ろにせず、ちゃんと活躍させてほしいなぁ
え、マジで祥子さん不倫してるの? 主人公が不倫されるの自体はエロゲとして好みだけど、こと本作においては単に妻を主人公の物語("ヒロイン"の枠組み)から排除して教え子("正ヒロイン")との蜜月を存分に展開するためのやつじゃん!せこいな!!と思ってしまう。妻が若い男性作家と不倫してるんだから、自分だって教え子である女子生徒と浮気してもいいよね……ってそんなわけないだろ!!! でもここまで堂々と不倫かつ教え子に手を出す"純愛"モノをやろうとしているのには逆にテンション上がってくるな。

幕間でCASE-1の質問選択肢パート。
「今」は物々交換制になってるのか。人口がだいぶ減ったから。
宮沢賢治『やまなし』、『人魚姫』 「泡」の悲劇
世凪さんも、典型的な痴呆系/要介護系ヒロインできついな……

CASE-1続き。
有島に薦められて志賀直哉を読む凛。
自分の原稿の印刷がうまく始まったのを確認して就寝するのいいな。寝ている間に印刷が終わっている。作家のロマン
めちゃくちゃ面白くなさそうな小説。
おお夫婦間レイプだ。同意のない性行為。凛との淫夢を見て勃起したペニスを静めるために目の前の妻を犯す。凛の面影を消し去るために。穢れた大人の自分と、清らかな若者の凛の世界は交わらないのだと理屈をこねるために。そうやって言い訳を自分に重ねながらレイプする男主人公。これは……いいですね。ちゃんと男主人公を情けない加害者にしてくれた。ここのスチルの構図、後背位で犯されている妻の顔・上半身が手前で、奥に有島を配置しているのも、プレイヤーと主人公を重ね合わせるのではなく距離を持たせるための演出として良い。エロシーンの構図の重要性。
ことが終わったあと、一人きりのリビングで下半身を露出したままうなだれて涙を流す45歳既婚男性が情けなさ過ぎて最高。
けっきょく子供ができなかった夫婦間で中年になってから中出しレイプをする、という何重もの悲哀であり暴力行為。
同僚の渡辺先生、いいポジション過ぎるな。文学をまったく知らない陽キャ。優しくて観察眼があり、的確な助言をしてくれる。エロゲ男主人公の同性の親友ポジション。
波多野秋房の仕事場に連れて行かれる。自殺した父の死体を発見してしまったひとり娘。そりゃあトラウマになるわ。可哀想。
波多野秋房は有島が憧れで描いたような純粋な天才ではなく、もっとドロドロともがきながら生きて書いて死んでいった男だった。最後に家族、娘に想いを馳せることもなく、自分のことしか考えていなかった。……ほんと? どんでん返し感動展開はやめてくれよお願いだから。
> 助けて、先生──

幕間7。これでCASE-1の序章は終わりか。
3つの「夢」=CASEの導入部をすべて読み終えたことになる。ちょうど7時間かかった。
どの章もそれなりに面白そうではある。
CASE-1:2016年、神奈川県夢見市の高校の非常勤講師の男と、有名な作家を父に持つ少女:波多野凛の現代学園恋愛モノ。
CASE-2:16世紀イギリス、テンブリッジを舞台に、実在の劇作家ウィリアム・シェイクスピアと、架空の女性俳優オリヴィアの関係を描く中世歴史演劇モノ。
CASE-3:2061年、人類文明が衰退した世界で、写真家を母に持つ高校生男子と教育実習生ギャル桃ノ内すももと詐欺師技術者の梓姫の関係を描くポストアポカリプスSF冒険モノ。
なかでも単純にお話やキャラがいちばん面白そうなのはCASE-3かな。CASE-2もそれなりに。CASE-1はいちばん純愛エロゲ的でキツい要素と、中年夫婦の不倫三角関係モノというド好みの要素が共存している。



11/15(木)
「幕間7」から。凛を救うように世凪のことも救う。典型的な「男主人公が可哀想なヒロインを救う」ミソジニー的ヒロイズムが重ね塗りによって強化されていてイヤになりますよ……

>出雲「世凪の全ての夢が──規定の進行度を超えました。一時保存した世凪の脳のマッピングデータをこちらから送信すれば、任意の夢の続きから見ることができます」
めっちゃ露骨に、今後のゲーム構成が設定に反映されている。世凪が夢を創り出して、主人公がレセプターとしてその夢を「見る」んだっけか。世凪というヒロインの脳の記憶データそのものがゲーム/物語内容に対応させられている、という構造については要注目だな。
選択肢
>CASE1 波多野凛
>CASE2 オリヴィア・ベリー
>CASE3 桃ノ内すもも
各メインヒロイン名が冠されるのか。
ファタモルと違って順番が任意に選べるのはデカいな。まぁ一般的なギャルゲーの複数ヒロイン√分岐制といったらそれまでだけど。
どうしよう……マジで悩む…… シェイクスピア編は正直もう内容を忘れかけている・・・ので、ふつうに導入部で見た順にいくか〜〜

9:30-
 CASE2 オリヴィア・ベリー
男主人公(ウィル)、なんで顔や身体中を怪我してるんだっけ。著名な劇作家に喧嘩ふっかけてタコ殴りにされたんだっけ
ウィルとオリヴィアってどちらが歳上なのか。他CASEでの年齢差関係があるから気になってしまう。
カモミールを鴨肉だと勘違いするウィルとその父。やはり、敢えて現代日本っぽい言語観を打ち出すことで本章が厳密な意味での「歴史モノ」ではないことを強調している。まぁ夢だしな。
大衆演劇からアカデミズムが流入して宮廷演劇へ。16世紀イギリスの激動の演劇史
当時の大衆娯楽としての演劇の日常性を描くとともに、宮廷演目としての演劇を練り上げる筋書きがうまい。
脚本家のジャンルの専門化の進行に対して、ウィルの強みは扱うジャンルの広さ。
デンマーク王の亡霊の悲劇って『ハムレット』だっけ、『マクベス』だっけ。『ハムレット』かな。
>どうやらおれの役割は、 "オリヴィア" を舞台に立たせることらしい。
>オリヴィアの全てを目に焼き付けて、全てを盗もう。
ヒロインと男主人公の鏡像/模倣関係が演劇という舞台上で成立せんとする。おもしろい。舞台芸術とフェミニズム・クィア。
酒場のホールに立つオリヴィアの所作を注意深く観察し、真似するウィル。演技の練習。日常空間(舞台下)から演じているオリヴィアは、非日常空間(舞台上)ではさらに「男」を演じなければならない。ウィルとオリヴィアの関係の何重もの倒錯。ヒロインの立ち絵(全身像)を垂直ティルトで映す微細な演出のビジュアルノベルとしての効果・意義もまた検討が必要だろう。
そして司祭エドを殺されたウィルの復讐心・執念が執筆する「ハムレット」に託される。脚本執筆と演技指導の両方において、ウィルの思い入れが描かれる。
>これで昇華できるほど、おれの怒りはやわではない。
>狂うほどの怒りを抱えている。
>だが、もうおれは怒り狂う訳にはいかない。
>だから──
>ハムレット、お前は俺のかわりに狂ってくれ。
>お前は、俺のかわりに、復讐に燃えてくれ。
「この怒りの熱を、虚しさを、後世にまで届けてやる」「エドが面白いといったこの物語。おれはこれを必ず、歴史に残る名作にしてみせる」 すでに読者である我々には、これが歴史に残る名作となることは知っている。そのうえでこういう話をやるのは予定調和的であり懸念していたが、ウィル自身の執念がこのように乗っかるさまを見せつけられると、素直に感嘆してしまうな。そうだ、その執念は歴史に残るんだ。

うおおお 女装をしてオリヴィアの所作をコピーして夜の街を歩くウィル。その視界と歩行が、一人称視点で揺れる映像や断続的な歩みの効果音で演出される。そしてオリヴィアに視点が切り替わり、思わず「振り向く」──。そのときふたりがすれ違うスチルは、ウィルが "手前側へと消えていく" 構図である。完璧だ。
しかし、思い返せば初めてウィルが映った(このゲーム中でも最初の)スチルはバーのカウンター内に立つウィルを正面から(客席側から)映した構図であった。つまり、事の始めからウィルという「主人公=語り手」はプレイヤーにとって「向こう側」にいる存在であるのだ。これはもちろん、この話が真の主人公の見させられている「夢」である構造とも関わってくるだろうが、しかし目覚めた幕間の世界においても、真の主人公は鏡越しに自分の姿を眺める。ここでもプレイヤーにとって主人公は「向こう側」にいる存在である。

この夏中に宮廷演目に選ばれなければオリヴィアはスペンサーと結婚して新大陸へ移住しなければならない、という設定がチラッと語られた。

幕間8。演劇の映像を世凪と見る。舞台に女性も立てていて喜ぶ世凪は、オリヴィアに影響されて次第に喋れるようになっている。
CASE2が終わるまでは他の夢には行かないと出雲から説明される。

女装して店に入ってきたウィルに気付かずオリヴィアは一座に獲得するために酒飲み勝負を始めるが敗北する。
おもしろい! 喋ったらバレるからウィルは一言も発さずオリヴィアだけが会話を先導していくが、これは典型的な「喋らない男主人公」とヒロインの会話(ASMR音声作品なども)を皮肉っているようで興味深い。しかも盲目の父は場のノリについていけない、という……
オリヴィア視点→ウィル視点のシームレスな移行も完璧。
ここでこうしてオリヴィアの弱い面を見せるの上手すぎるな…… この頭に手を乗せるのは許してもいいか……
>その復讐劇の中心に、母がいてはいけない気がした。
ウィルの亡き母と、『ハムレット』の母の関係。
バイセクシャルのスペンサー。その男娼との交わりが特に「異常」なものとして描かれるホモフォビア。

非効率的で非合理的なオリヴィアの演技指導を直すよう諭すウィル。オリヴィア、なんかいきなりめっちゃおバカキャラになったな…… 馬鹿なヒロインを男主人公が正論でギャフンと言わせて成功へ導く展開……

オリヴィアの出身は隣の島……アイルランド? カトリックが8割以上の島 16年前のアルスター蜂起
スペンサー良いキャラやなぁ〜〜 自分が結婚したがっていた女性かつ奴隷を他の男に奪われてもなお、「あぁ……最高の組み合わせじゃないか!あぁ……見たいなぁ、見てちゃダメかな」と興奮する変態。こいつがいちばんリベラルかもしれない
3本目は『ロミオとジュリエット』かぁ。史実では『ハムレット』から何年も空いてたよな確か。……いや、ロミジュリのほうが前の作品だったわ調べたら。https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム%E3%83%BBシェイクスピア#作品

『真夏の夜の夢』『ハムレット』までの酒場の噂話を元にした(という設定の)劇から、ウィル自身の体験・恋心をベースにした『ロミオとジュリエット』を書くという流れや、『真夏の夜の夢』での役者を役柄に合うように交代して大成功する展開など、演劇といいつつ次第に「演技ではなく素の自分たちのリアリティこそが称揚される」ようになってきている。作中現実とオーバーラップして物語が進行するのは演劇モノの9割くらいに当てはまる常套手段なのでイチイチ引っ掛かるのもどうかとは思うが、あんまり好みではない……
とはいえ、単純にウィルとオリヴィアの恋は応援したくなりますね……オリヴィアはスペンサーの元奴隷ってのが特に良い。
本番ではウィルが女装してジュリエット役を、オリヴィアが男装してロミオ役をするのだろうが、執筆中のウィルの想定では現実通りにウィル=ロミオ、オリヴィア=ジュリエットであり、その倒錯がおもしろい。夜に二人で部屋で脚本を書くために演技をし合うときも性別そのままの役柄を演じる(=演じていない)。
ここで初Hシーン! セーブしたらデータ名が「CASE2, H」で草
ウィルの顔もまぁまぁ見えるスチルだ。やはり夢を見ている主人公(海斗)と夢の主人公(ウィル)をずらし、またプレイヤーとウィルをもずらしていく演出なのか。
2枚目はウィルの一人称視点で仰向けのオリヴィアの裸体を映す。表情差分がどれも素晴らしい。
めっちゃ気合入ってるなぁ……これが現代のエロゲか……
この時代に避妊具なんて無いよな。貞操観念がどうだったのか知らんが。

11/16(木)
幕間9 世凪がオリヴィアの真似をして居酒屋さんごっこをする。世凪の「とりさんをママと一緒のところに埋葬する」記憶?を海斗も見させられる。

マーロウが小物過ぎてかわいそう。
男装バレして牢屋に打ち込まれた一座たち。その獄中で壁越しに隣り合ったウィルとオリヴィアは、『ロミオとジュリエット』のラストを完成させる。もはやウィルひとりの脚本ではとっくになくなっている。ジュリエットの台詞はオリヴィアの心からのもの。戯曲の共同執筆が、恋人の愛の語らい、性行為と同義になっている。
エリザベス女王のキャラデザ、CASE3の梓姫さんやCASE1の妻と同じじゃん。そこも繋がってんの!? 
>エリザベス女王「女の台頭をよしとしないのは法ではない。宗教だよ」
旧教徒迫害を背景に始まった物語が、ここでこうして演劇改革という本筋と合流するの美しい。
えっ、オリヴィアが男装してロミオ役やらずにそのままジュリエットやるの!? 執筆時のままかーそうかー…… いや、「女優」を成立させるためだから当然なのか? 
H2
オリヴィアとウィルは同じ夢を見る。夢-現実の円環構造。
CASE2おわり!!! エンディングロール
うーむ…… 面白さもつまらなさも、プロローグからの想定通りではあった。最後のほう、ロミジュリを下敷きにした(というか薄っぺらく使った)純愛悲劇展開はまったく心を動かされなかった。落ちこぼれ劇団ののし上がりは王道に熱くてエンタメ的に面白かったんだけど。女として舞台に立てるよう世界を変えたいと願うオリヴィアが、最終的にはウィル(男主人公)の愛/欲望の対象として自らアイデンティファイして純愛和姦-異性愛中心主義のど真ん中を突き抜けていくのは残念だった。シェイクスピアという実在人物・歴史を再解釈したエンタメ劇としても、最終的にはかなり凡庸であった。「夢」というエクスキューズが付き纏うのもまたゲンナリさせられる。 76点くらい?
てか意外と短かったな。ひとつのCASEがこのボリュームならサクサク進めそう。


幕間10 次の夢の幕間ではまた世凪の精神が退行するが、それは見かけだけだという。3つの夢を順不同にするための苦しい言い訳設定。




・CASE3 桃ノ内すもも編

7月15日。ハレー彗星最接近まであと2週間弱
すももさんのファッションどれも良いな〜〜部屋着もかわいい。めっちゃ現代的に洗練されてる。しらんけど。
おねショタハーレム…… どこまでも母の幻影を追い求める話ってことね。
格差社会やら旧教徒迫害で友人処刑やら、そこそこシリアスだったCASE2とは対照的に、こっちはどこまでもコミカルで爽やかなひと夏の青春モノって感じで楽しくていいですね。ヒロインとの関係は萌えキャラゲーっぽさがある甘々感。
マジでひたすらハーレムイチャイチャラブコメが続いて多幸感パないっすね。梓姫とすもものやり取りがめっちゃ良い。
梓姫さん29歳なんだ。すももが経験済みなのもオリヴィアと同じ。
写真を撮っているとき自分が楽しくなければ意味がない。そうだそうだ〜
すももさんが可愛くて良いお姉さんすぎてツラい…… 

幕間11 そういや演劇、写真、小説と、どれも創作芸術をテーマにしているのか。

スペンサー嵐山。あのハロルド・スペンサーに対応する奴も夢ごとにいるってことか。ルー語を使うのでわかりやすい。
うおー CASE2のオリヴィア視点の独白とは違って、CASE3ではすもも視点で梓姫とぶっちゃけたガールズトークをするのが挟まる。女性キャラ同士のこういう会話良いね〜〜この3人の関係好きだ。
福島の私有地の針葉樹林キャンプ地へ。千葉〜福島は車で5時間くらいか。福島のどこかにもよるが。
くぅう〜〜〜 すももさん…… 萌え死してまう〜〜〜 キュンキュンするんじゃ^〜〜
イイ話や…… ええ話だった…… とてもこじんまりとしていて、ささやかな青春の一コマ。成人ヒロインふたりがお酒を飲んで、少年主人公くんがオレンジジュース飲んでる対比もたまらんね。歳上ヒロイン、おねショタ純愛の破壊力にやられている。

福島から一泊で帰ってきてお父さんに事情バレして説明に赴くところまでで一旦終了。
すももという被写体を一人称視点でレンズを向けて撮る、という行為が映像演出としても提示されており、これはCASE2のウィルの女装して舞台に立つ(見られる対象になる)こととは対照的か。しかし、ウィルもオリヴィアの所作を丹念に観察することでトレースしていたので、男主人公がヒロインを眼差すことが大きな自己実現・才能の開花に繋がるという要素は共有しているともいえる。

好きな人を撮った写真の出来はいい。CASE2のロミジュリと同じで、実際の人間関係の愛情がそのまま芸術作品の魅力に繋がるという非常に素朴な価値観。子供向け。
スペンサー嵐山登場。立ち上がるのを立ち絵と背景のズレで表す簡素な演出意外と見たことないかも。
……母さんのハレー彗星スケッチ場所の真相。ふつーにええ話や……幼い頃から人の笑顔を撮る才能がカンナにはあったんやなぁ
ノベルゲームの背景美術に伏線?仕込む、稀によくあるギミック。
YouTuberが電波喰いによって路頭に迷った過去(未来)
手でするのなら未成年淫行でもセーフという風潮(?)
いやこれまじでやばいな。最高です。歳上の経験豊富なお姉さん最高!!!
え、マジでこれだけで終わるんだ。オリヴィアとは2回やったぞ。
また海斗と世凪の夢。トウモロコシ畑? 車を失くして泣いている?
すもも、カンナより背高いんだなー……エモ……
CASE3おわり!!! おもしろかった!!! 良いおねショタ青春イチャイチャラブコメだった……
歳上のすもも側が、カメラマンという夢に向かって突き進むカンナを見て、このままでは数年後に飽きられてしまうと焦燥感を覚える(のを本人視点で描いている)のが良いね。おねショタの「おね」側の焦燥感と切なさからくるエモさ。
てか2時間20分しか経ってないんだけど。CASE2と比べても相当短い。Hシーン1回分少なかったのを差し置いてもまだ短い。短編ビジュアルノベルって感じ。だけどこれくらいで全然いい。内容おもろかったし。 80点くらい?

さてあとはCASE1だ。二十歳そこそこのピーチ・ザ・ビッチは15歳未成年の教え子に手を出さ……なかったわけではないが、"手だけ" で我慢したところを、40代既婚男性は教え子の女子高生に手やその先を出してしまうのか? 楽しみすぎるな。これでマジでやってたらくそウケる。妻ともっとドロドロの関係になってほしい。




CASE1 波多野凛編


>凛「……先生が父とは違う道を選ぶことで、私は救われるかもしれない」

男主人公が救われることでヒロインも救われる関係
勤務先にも家庭にも居場所のない中年男性のセキュアベースとして、教え子の父の仕事場が与えられる。とても情けなくて良い
CASE3と対称的に、非常に陰鬱な調子。CASE2も仲間の処刑とかあったけど、酒場の騒々しさ、劇団員とのワチャワチャ感もまたあった。今のところ本章ではそうしたものも特にない。ふたりとも文学好きで物静かだし。強いて言うならあの根明同僚男くらいか。
レイプした妻に家出される最後に引き留めてかけた言葉が、自分たちの最初の出会いの理由についてとかマジで最低だな。「なんでも物語にしようとしないでくれる?」ほんそれ。
いや〜素晴らしいな。男主人公の加害性としょうもなさが徹底的に糾弾される。これもまた一つの(しょうもない)ミソジニーというか、女性にかまってほしい醜いヘテロ男性心理の典型的な表れではあるが、必要最低限の言葉を残してすぐに主人公の前から去る妻の振る舞いは完璧だと思う。教え子との交流よりも、関係が徹底的に破壊された妻とのドロドロした後処理の話をこそ読みたいんだけど、それを欲する事自体が妻からすれば「何もわかっていない」んだよな。
ならば、このまま妻に逃げられて、徹底的に孤独なまま崩壊する主人公の行く末を見たいんだけど、そこに波多野凛という「救い」が存在しているのがなぁ…… まぁそのための夫婦崩壊ではあるんだけど。
こんなときでも律儀に出勤し授業をこなす有島。自分と凛とを、ここに居場所のない別世界の人間として素朴にロマンチシズムを適用しているのがほんと腹立つ。しょうもない。妻がいなくなった以後、そのしょうもなさにどれだけ物語が自覚的であれるかが、本章の評価に直結するだろう。
ルー語だ。やっぱりCASE1では波多野秋房がスペンサーに相当する人物なのか。
めっちゃ薄っぺらい秋房の日記に全面的に共感して理解者を見つけたと興奮する有島。どっちもしょうもねぇ。
秋房の仕事場の原稿が最終的に火事で燃える確率70%くらい?
波多野秋房はできちゃった婚だったのか。望まれない結婚、望まれない子供──凛かわいそうに。
教え子と食事をして奢り、まだ奢られ慣れていない美少女に「これからどんどん男が気持ちよく会計できる優雅な立ち振舞を覚えていくんだろうなぁ」と儚さを覚えるのくそキモくてすき
教え子の一人暮らしの家で夕食。『羅生門』冒頭の文を芥川の心の叫びでもあると解釈するのは、これまでの章での芸術-作者観と整合している。
父の法人事務所のクレカで高い買い物を平然として夕食を振る舞ってくれた教え子に説教する犯罪教師。諭す内容自体はまぁ真っ当なのがまた面白い。本人自体が説教してられる立場ではないということを除けば。ある意味、主体の属性や状況を度外視して普遍的な倫理に奉仕するのは誠実かもしれないが。

>私は、軽く一世帯は埋められる巨大な墓穴を掘ったようだ。

わろた。不謹慎シュールギャグコントとしてかなり面白いんじゃないか? これまで、シリアスよりもコメディが上手いライターだとは思ってきたが、本章もやはり捻くれたコメディとして読んだほうが楽しめる気がする。
波多野凛さんの境遇もなかなか難しいよなー…… 世間の常識から外れた裕福な一人暮らし生活を送る学生、というのは羨望の対象にも憐憫の対象にもなり得る。有島はそれを理解した上で、彼女のためを思って、自分で稼いだものではないお金を散財するなと諭す。常識を教えてくれる大人がいない環境でこれまで育ってきた不幸を鑑みた上で。
ひとつ言えるのは、説教されて落ち込んで「お茶を淹れてもいいですか。……わたしのお金で買ったものじゃ、ないですけど……」とシュンとしながらもなお有島に対してグイグイいく凛はなかなかにいじらしいということ。

>……そうか。わたし今日、初めて人に怒られたんだ。

教師の有島に自分の父親代わりというロールを求めたくなる凛。
死んだ母親代わりに歳上の教育実習生と懇ろになり、男主人公側が自身の未熟さに焦りもするCASE3とは対照的でいいですね。すももはむしろ、カンナよりも自分が大人である(早く老いていく存在である)ことに焦燥感を覚えていたけれど、CASE1で凛は飴井カンナのように、好きな人に比べて自分が子供であることを恥じる。

>この前の凛の悲しみは秋房が生んだもので、今日の凛の悲しみを生んだのは、ある意味においては私だ。
>それを思うと──
>わたしは不思議と嬉しくなった。
>凛には、私の言葉が確かに届いているのだ。

これは作家として嫉妬の対象であった秋房から娘を寝取った(代替した)高揚感としても読めるか。

>この場所で、今、私の口が吐き出しているのは私の言葉ではない。

授業なんだから当たり前だろ。ましてや古文という、私が生まれるずっと前に生きていた人々の紡いだ言葉を、その連綿と続いてきた研究の文脈に乗せて今生きる若者に教える大切な場なのに。「私の言葉」至上主義が通底しているなぁ。それは学問や芸術の軽視に繋がっている。こうした面は、ひとつのフィクションとしての本作にどのような影響を与えているのか?


>一人で食事をするよりも、凛との時間が楽しいなら私から誘えばいいだけの話だ。
>私が非常勤講師であることも、凛が私の受け持つ生徒であることも──
>それは互いが担っている立場の一側面でしかなく、私たちの人間性とはなんの関係もないラベルでしかない。

まじで大人失格だなこいつ。本気で言ってんのか。「担っている立場」をすべて剥がしたところに独立した「私たちの人間性」があるのだと素朴に信奉している、思春期の子供じみたロマン主義。教師-生徒という関係が「担っている立場の一側面」であるからこそ、それに応じて関わり方を考えるべきだ。と、つまらない道徳律を説きながら、いいぞもっとやれ!大人失格のクソ教師!!と楽しんで読んでいる。


>彼らはいつから父の顔を持つようになったのだろうか。
>女性のように、腹を痛めて子を産んだわけでもないのに。

答えがあからさまなありふれた着眼とはいえ、こうした性差にエロゲのなかで真っ当に言及するのは興味深い。
いま有島が教え子である凛の擬似的な父親(かつ恋人)になりつつあるように、凛の実父である波多野秋房を含めて世の全ての「父親」は実は "擬似的な父親" に過ぎないのではないか? だからこそできちゃった婚や我が子の認知問題(父であると認めるかどうかの審級)が存在するのだし。つまり、女性の体内への射精行為そのものが「父」としての通過儀礼たり得ないことへの男性の葛藤(と責任逃れ)の問題として読める。
これは往年のKey作品や『終のステラ』などを含め、ヒロインの擬似的な父親になる男主人公、というエロゲ/ギャルゲの一潮流の上でもどう考えられるべきだろうか。
ただし、あまりにこうした生物学的/解剖学的な性差(ジェンダーではなくセックス)を強調し過ぎるのもまた、本質主義に基づく多方面に差別的な価値観へと容易に接続することは注意が必要である。

え? 「貴族の末裔」て。スペンサーは波多野秋房じゃなくて凛のバイト先のスーパーの店員かいw 立ち絵すらないぞ。
バイトによる自己実現。いくら有島から「他人の金で歳不相応な贅沢をするな」と諭されてショックを受けたとはいえ、自ら資本主義に絡め取られに行かなくてもいいのに……これは難しいところですね…… てか、諭すべきなのは高校生のうちから非常識な散財をしないほうがいい、という点のみであって、自分で稼いでないお金で出しゃばるな云々はお門違いだよな。だって(亡き)親の遺産なんだし、どう考えても凛のお金ではある。稼いでないお金云々は、あくまで子供らしからぬ高価な買い物を無自覚に行っていることの危うさを浮き彫りにするためのこじつけに過ぎないので、本当は、もう少し庶民的な感覚を身に付けさえすればバイトなんてする必要はない。学生(高校生)の本分は勉強であり青春! 決して労働ではない!!!

肩出しの私服これはいけませんね……
即日バイトの給料で料理を振る舞える凛うっきうきでかわいい
しかし「自分で稼いだお金で買い物をするのは、確かにちょっと楽しかった」と高校生の教え子に言わせるのは…… いや「生活感に溢れた場所に、きみはいなさそうだ」という幻想を凛に押し付けるのは確かに良くないんだけど、だからといってその幻想からの脱却のために若い内から労働に従事するのを肯定的に描くのはどうなん? そもそもそれは有島(や我々プレイヤー)が凛に抱いた幻想であって、それをなんで凛が主体的に行動することで解消しなくてはならないんだ。変わるべきは幻想を投影されている側ではなく投影している側だろう。

うわ〜〜 「いいこ」!! オリヴィア〜〜 オムニバス形式でヒロインの鋳型が同じだという設定を生かした鋭い展開
けっきょくウィルとオリヴィアの年齢関係はわからないままだが、そこでの台詞をこうして明確に歳下の(子供扱いされたくない)ヒロインに言わせる破壊力よ。

小説よりも日記。ウィルがオリヴィアの所作を観察してトレースしたように、有島は秋房の日記から秋房という存在に深くのめり込み、トレースしようとしている。
有島は千葉県南房総市の出身。CASE3とも繋がった。

>あの美しいほどに純粋な嫉妬心。
>毅然とした主張。
>凛の瑞々しい全てが、私には苦痛だった。

有島は凛の、祥子への嫉妬心(自分へのやきもち)を快くは思っていなかった。というか、あぁいう修羅場を経験すればそれはそうか。凛と秋房を「親子」と一括りにして糾弾する、もっとも彼女が傷つく言葉を的確に吐いて応戦した。そして有島に残されたのは秋房の日記のみ──。
元妻の祥子に、凛と自分が一緒にいる(惨めな)ところを見られることにとりわけ不快感と動揺を覚えるのは、有島のなかでまだ祥子が一種特別な存在であることの証左だろう。「見られる」ことの不快感というのは、基本はヒロインを見てばっかりの男主人公的にもかなり面白いテーマ。

せめて死に方だけは秋房を真似ようとする有島。月曜の朝に、人生で初めて学校をサボってドキドキするの子供かよw
秋房に親近感を抱いていくガキンチョパートより、祥子との離婚調停や後処理といった大人の生々しいやつが見たかったなぁ
秋房が自死した浴室の清潔な床やシャワーヘッドから降りかかる水といった「映画的」なスチルの自己陶酔感と、凛からのLINEのアジの三枚開きの画像とトーク画面を直截に映す「非-映画的」な演出の現実感の対比がすばらしい。
「美少女」あるいは「ヒロイン」の自殺はエロゲにおいて映える(映えてしまう)けれど、中年男性主人公の自殺は映えない。
死の淵から醜く生還した有島は、自分の使命が凛への自らの執着・愛を書き綴って伝えることにあると確信する。それはもはや小説ではなくラブレターだろ。


>有島「──いや、今の私には自分のことしか書けない。それに気がついた」

まぁどの章の男主人公の創作態度もこれだよね。
原稿を読む前に行為に入る。まぁ読み終えたあとに(感動して)やるのも執筆の報酬みたいで嫌らしいけど。
改めて、桃ノ内すももさんの貞操観念すごいな。手は出してたとはいえ。
波多野凛にとっては、失われた〈父〉という性的な対象を獲得し直すという、めちゃくちゃフロイト的なおはなしになっている。
凛さん、祥子への競争心がエグいな…… 有島の家のキッチンで料理をして、徹底的に「妻」の座を奪い取ろうと、自分で塗り潰そうとしている。祥子本人はもう有島に関わりたくないだろう。
自宅での執筆合宿。二十年遅れの青春。
地上を知らない少年少女と一匹の鳥の話。これも世凪たちの世界と関係があるのか。
ここがあの女の寝室ね。
うお〜〜 妊娠…… 卒業までなあなあで続くかと思ってたけど、こう来るか。アツいな
CASE1おわり! マジか…… めっちゃバッドエンドじゃん…… 最後の展開がいきなり重すぎて全部持ってかれた。
男は小説を書き、女は子供を産み育てる。それでいいのか…… 小説は一人で書けるかもしれないけれど、子供を一人で育てるのは美徳でもなんでもない。自身を孕ませた愛する男のためを思って、彼には妊娠を知らせずに、10代の女性がひとりで産み育てるのを決意して終わる──のを、さも成長とか美徳かのように描くことのおぞましさといったら。
問題は、この結末を作品自体がどう位置づけているかだよな。それは今後、CASE0で明かされる真相?でこれらの「夢」がどう扱われるかにもよる。しかしCASE1単体としては、背徳的な物語が最後の最後で背徳とかそういう問題ではない、より生々しいミソジニーに裏付けられたおぞましい着地をする極めて容認し難いものと読まざるを得ない……桃ノ内すももの株がどんどん上がっていく。。







・CASE0 世凪編


1時間程度で終わるのか。
CASE0オープニング
海斗は発明家志望でクルマを作っている。
上層/中層/下層 空に浮かぶ地下都市。地上も海も風も知らない人々
人口遺伝子でアンチエンジング
文字通り「車輪の再発明」
シェイクスピアに夢中の世凪。性格はすももに似ている。根明で気が強い。仕事が好きだから下層民であることに満足している
歴史の授業。パラグルコースとその解糖系の発見。2071年? 脳だけにエネルギー源となる人工甘味料として爆発的な普及をするが、生殖細胞の遺伝子を変異させていた。
3DプリンターでSUV完成→即破壊
トルティーヤ食べたくなってきた
自身の見た記憶を手を繋いだ他人に送信できる世凪の能力
記憶だけじゃなく理想を想像/創造できるのか。これで桃ノ内すもも達、CASE1~3のヒロインは生まれたと。
絵本『カイトの大冒険』を書いたの世凪の親なのかな
ハレー彗星。一度読んだ本の内容を忘れない能力。これらも既出のCASEの要素だ。
スチルとかを使い回せる利点もあるのか? 各章が最終章の「夢」である構成って。
地上の鳥に出会う。CASE1での「夢」通りだ。人工鳩でいいのかな
メラノーマ。遺伝子変異で日光に極端に弱くなった人類。なのに海斗と世凪は無事?
仮想現実に地上を作り疑似移住させる遊馬校長先生の研究。そのために世凪の能力が重要になるのか
青空と海と鳥。『AIR』から連綿と続く、エロゲにおけるこうしたモチーフの系譜について。最近ではライト文芸・ブルーライト文芸やアニメ、映画にも波及しているけど、それでもなおノベルゲームという媒体がもっとも相性がいいのだろうなぁ。
まだ「ほんの序章」に過ぎないのか。1時間程度で見終わるんじゃなかったのか。

青年編から
十年以上も世凪と海斗はふたり暮らし。海斗の母を世凪が追い出した(バトンタッチした)形
これまでの3つのCASEが世凪の「書いた」小説だというのはなかなかに重要な設定だ。全て男性主人公の一人称ではあるが、ヒロイン側の視点が時々挟まっていた。というか、どの物語も最終的にはヒロイン視点で終わっていたような。語り手の位置を男性から女性が乗っ取る物語として読める? まぁあまりに筆者の性別と作中人物の性別の相関を気にするのも問題だが。
エロゲー思考空間
入麻。CASE1の同僚、渡辺に似ている

>世凪「海斗と一緒なら、私は下層でも幸せ」

下層/仮想の言葉遊びはさておき、壮大な夢へ向かって上昇志向で努力を続ける男性(≒夫)と、現状に満足しておりその維持を志向する女性(≒妻)というジェンダーロールのステロタイプがなぁ…… 毎日労働しているから「主婦」ではないにせよ。空想的な小説執筆が「趣味」であり、自然科学などの学問への興味関心は薄い造形もなんだかなぁ。
ちなみに、「主婦」代わりの料理人は女性型アンドロイドの出雲が担っている。人から機械へと家事労働ロールが代替されてもなお残るジェンダーの枠組み……

嗅覚の有無がそんなに重要なのか。
なんか思考空間や仮想空間のメカニズム、研究の方針がめっちゃ丁寧に語られるな。SFだ。リープくんも出てきた
CASE3の桃ノ内すももが世凪の初めて書き上げた物語なのか〜
オリヴィアってシェイクスピア作品のキャラの名前なのか。何?
梓姫さんとか、ふたり以外のキャラは出雲が演じてたんだ……w
でも面白いな。つまり、CASE1~3はこれまでそういう「物語」としてプレイヤーは読んできたわけだけれど、ここで海斗や世凪はこれらの思考空間を、来るべき仮想空間のためのデータ取得・フィールドワーク用の素材として利用している。つまり、「物語」を文字通り脱構築しているとみなせる。(実際にはこれから海斗たちの記憶喪失実験が始まるわけだから順序は逆だけど)
だから、ここではゲーム的空間として「物語」が体験されている。これはまさにノベルゲームそのものの隠喩ではないか!?
あと、設定されたキャラを「演じる」のはそのまんまCASE2の演劇モノに通じてくる。あれは二重の演技をしていたわけだ。世凪がオリヴィアを演じて、そのオリヴィアがハムレットやジュリエットを演じるのを演じる……という具合に。

>世凪「だからね、わたしが書く小説は──わたしが経験した気持ちとか感情に直結してる物語なの」

でもこれなんだよな。『白昼夢の青写真』において、創作とは虚構を作る営みであると同時に、あくまで作者の何らかのリアリティがそのまま反映されたものとして称揚される。

へ〜。桃ノ内すももよりカンナが歳下なのは、出会ったときの海斗が世凪にとっては歳下に思えたからだという。そういうことか。じゃあ逆にCASE1の凛と有島で年齢差が反転してるのは世凪のどういう感情の反映なんだろう。

>スペンサー(出雲)「当時の貴族は倒錯的な嗜好をもっていた人が多いんだよ、SEXUALITYに関しては特にね」
>世凪「そうなの!?」
>海斗「うーん、誰も得しないリアリティ」

事実はさておき、「セクシュアリティ」という単語がエロゲ内で出てくるだけでテンション上がっちゃうなぁ。「誰も得しない」はずはなかろう。
白昼夢のように鮮明な夢。白昼夢を作るための青写真。タイトル回収。白昼夢の青写真ってそういうことか、いいタイトルだ。
世凪の秘密ってなんなんだろう。長生きできないとは海斗母に告げていたけど。
中層への移住のために結婚しようとプロポーズする海斗。すれ違うふたり。……なんだか『花束みたいな恋をした』のようなベタな感じになってきた。
世凪は元中層民だった。これも『花束』の絹が都内の箱入り娘だったのに相似している。
にしても海斗の心情の描写がちょっと雑すぎやしないか。無理に頑張って二人の仲に亀裂を走らせているように見えてしまう。
地上や空のまだ見る世界に到達するために成り上がりに執着する海斗は『進撃の巨人』のエレンっぽくもある。復讐心ではないが。
世凪の父:汐凪(しおな)は遊馬先生の共同研究者で天才だった。しかし記憶や自我を失う病気にかかり、世凪もろとも下層に落ちた。そのとき、世凪の母だった女性は汐凪と離婚して別の男性研究員と再婚することで中層に留まった。だから世凪は自分や父を裏切った母を憎んでいるし、下層民であることに誇りを持っている、と。なるほど。
既得権益にしがみつくために男を乗り換えるエゴイスティックな女性キャラかー……これもまたひとつの女性差別の産物だ。「母」はこうあるべき(/ではない)という差別的な規範も絡んでいる。CASE1のラストで妊娠発覚した凛が有島に告げずにひとりで子を産み育てようと決意したのも、そうした世凪の「母(たる資格がない女性)」への反発から来るものだった節があるのかな。
世凪は下層民の労働を「仕事」と呼んで誇りと愛着を持とうとしてきた。労働と仕事の差異か……
アルツハイマー病か。
自分の感情の外付け記憶媒体としての小説。なるほど、だから世凪にとって創作物は作者の生の感情の投影であるべきなんだ。

>だから──
>別れの物語じゃないと、ダメなの。
>わたしは──その悲しさを、誤魔化したくないの。自分が、とても悲しい気持ちの中にいるって、思い出させてあげたいの

なるほど。だからCASE1~3は全て別れて終わる話ってことか。
いずれ全ての感情や記憶を失っていく世凪にとって、悲しささえも、悲しさこそがいちばん忘れたくない大切な感情である。これは、全てをずっと覚えていてしまう忘却障害の海斗が、たとえ仮想空間であってもその人にとって幸せな夢想ならば現実よりも優先されるべきだという価値観とキレイに対照的だ。
世凪の造形は、それこそ『AIR』のような古典的な病弱ヒロインの系譜だが、そんな彼女が未来への自分への餞(はなむけ)として書いた物語がそのまま作品の前半部分に配置されるというメタフィクショナルな構成は現代的なのかもしれない。物語の作り手が男主人公ではなく、ヒロインが愛する男(主人公)に向けて物語を綴るのでもなく、ヒロインが過去/未来の自分自身に向けて物語を語ること。『すずめの戸締まり』なんかも思い出す、SF作品における女性の通時的な自助/自立を肯定する話。

で、そんなアルツハイマーの世凪の記憶を取り戻すために海斗はこの実験を行うわけか。段々つながってきた。

世凪の母(汐凪の元妻)は梓姫や祥子、エリザベス女王にそっくり。CASE1での凛の祥子への並々ならぬ敵対心はこれか。自分が好きになった有島という男(父親)から、その妻の座を奪い取る物語。あまりにもそのまんま過ぎる。
でもCASE3でのすももと梓姫の関係を鑑みるに、世凪も母としてではなく気のおけない友人としてなら自分を産んだ女性のことを愛せるかもと思っていたのかな。そう考えるとCASE3がますます好きになるな……
「わたし自身のことを書いてる」、「父親に向き合ってもらえないまま、孤独になった女の子の話」がCASE1の波多野凛だと。
でも、なぜどの話も世凪の自己投影先である女性視点ではなく海斗に相当する男性視点なんだろう──と思ったけど、それは海斗が世凪の物語のレセプターとして見ているからか。つまり、やはり本質的に世凪の書いているものは「小説」ではない。ひとつの物語世界であって、その中に生きるどの人物を視点として物語るかは、思考空間への介入者に依るってことね。だから、世凪にとってはやっぱり凛やオリヴィア、すももとしてあれらのCASEの物語を体験しているのだろう。それは小説というよりノベル"ゲーム"に近い。すなわち、『白昼夢の青写真』はノベルゲームの創造主としてのヒロインを描いているノベルゲームだということだ。

このように、世凪をベースとして本作(CASE0)を解釈するとかなり良いんだけど、あくまで海斗をベースとして読むと、やっぱりめちゃくちゃ凡庸な病身ヒロイン看護純愛モノで残念に思えてしまうんだよな。

>二人の時間を、世凪が忘れてしまってもいい。それでもおれは、限りある時間を世凪と過ごしたい。

ヒロインが自分との思い出を忘れても、男主人公は全てを覚えていて、それをヒロインに語り聞かせ続ける──一見感動的だが、これはヒロインとの記憶を男主人公だけが「所有」することによってより徹底的にヒロインを所有する構造でもある。また、向こう(ヒロイン)は自分のことを知らなくて、自分だけがヒロインのことを知っているという一方通行の関係はそのまま2次元美少女と男性オタクの関係、すなわちエロゲ(美少女ゲーム)と男性プレイヤーの関係のアナロジーである。
だから、世凪がノベルゲームの作者の隠喩だとしたら、海斗はノベルゲームのプレイヤーの隠喩である。

>「わたし、子供産まないよ。同じ想い、させたくないから。
> 海斗になにも残せない。ただ……海斗の時間を奪うだけだよ」

これは反生殖主義に見せかけて、病気の遺伝を危惧してのことなので優生思想に近い。しかも「なにも残せない」という文言は裏返せば子供とは妻が夫に与える報酬のようなものであるという価値観が前提にあり、とても恐ろしい。まぁここでの世凪の心情を考えると、これ自体をそんなに糾弾すべきではない(あくまで海斗を説得するためのパフォーマンスであり本心とは限らない)けれど。
また、こうした世凪の思想を背景としてCASE1の凛の妊娠を振り返ると、より一層重いものがあるな…… 凛には世凪のような遺伝性疾患は無いけど、かなり自己投影しているキャラではあり、本当は子供を産んで母になりたいという想いと、自分が良い親になれるはずがないという想いのアンビバレンスが表れている結末ってことかなぁ。

初キスの構図がこれまでのCASEと同じ。
子供を作りたくないのに避妊具付けなくて大丈夫か。生殖可能性を0にしたかったら挿入行為自体を断ったほうがいいけれど、そこはまぁエロゲだしな……
……えっ!? 普通に中に出してないか? 「子供産まない」宣言はどこ行ったんだよ。わろた(笑い事ではない)

夫婦生活編。海斗は最年少で室長(海斗研の長)になっていた。
これまで通り下層に暮らし、中層の部屋をふたりの密事の場にしている。
相変わらず、研究内容をやけに具体的に描写するな。ほとんどの読者はそこまで興味無いと思う……少なくとも自分は。
あと単純にCASE0長いな。しかも、海斗たちの仮想空間研究が徐々に進み、それと並行して世凪がじわじわと記憶を失っていく過程を丹念に追う、いうなればあんまりアップダウンが激しくないプロットなので退屈を覚える。
そして、大筋としては世凪というひとりの女性を犠牲にして街のみんなを疑似移住させる仮想空間を実現する、といういつもの人柱ヒロインセカイ系の建て付けであることは違いないので、そこでもうんざりする……

世凪のノンレム睡眠時の思考空間で、海斗は凛、オリヴィア、すももに会う。この3人はそういう世凪の複雑な心境の戯画という役割があるってことね。
入麻、いいヤツ過ぎて怖いな……渡辺のときも思ったけど。こういう男とのNTR三角関係が読みたい!!(現実逃避
遊馬先生、空想的社会主義者みたいなこと言ってる。
わ、すごい。スチル内のディスプレイに動画が流れている。

>海斗「……有島の行動が、私の常識の中にないもので、なかなか同一化できないんだ」

草 それはそう。非常識な有島さん
……なんだかひたすら、CASE1~3までを夢に見るという物語構成を内在的に理屈付けようと泥臭く設定を付けていく作業が続くな。読者としては退屈だ。「……なるほど! そういう理由でCASE1~3があったのか!」と納得したりはしない。
出雲のアドリブ能力が高すぎる。さすアンドロイド
物語の細部はおおもとの作者である世凪の想定とはだいぶ異なっていたということ。
倫理観と欲望と理想。それが3つのCASEに対応していると。えーと、どれがどれだ?
40%の進行度が一つの閾値。……これが、導入部とその後を分ける分水嶺だったってことか。たしかに4割くらいだった気がする。
ここでパッケージイラストを回収
目覚めた海斗と世凪がふたりの思い出の場所を巡る。中層の家へ行き、世凪はかつてのようにセックスを持ち掛けるが海斗はやんわりといなす。ここの手付きはなかなかに感動的だなぁ。

>「世凪にとって私が、ありのままの心を見せられる相手でいられたことが──私のささやかな誇りなんだ」
>……
>「だから──今の世凪も、自分の思うように行動してくれていい
>今の世凪が、心から私に抱かれたいと願うなら、それにこたえたい
>でも、私の欲望を満たすために体を差し出すようなことはしなくていい
>もう世凪は、誰にも自分の体を差し出さなくていい。そのために私と出雲は、必死で世凪を取り戻したんだ」

見方によっては風俗嬢に説教する客みたいな、本心では女性を性的に所有したいけど、それを取り繕って女性側に責任を負わせるロジックの類型にも思えるが、しかしこの性行為へのある種フラットな距離感・立場はエロゲならではの絶妙なバランスの上に実現されているひとつの倫理なのではないか。

基礎欲求欠乏症? あと何をして終わるんだろうと思ってたけど、母の病気のほうを回収するのか。海斗や世凪にメラノーマが発生しなかったわけも。上層民だけが知っていたということは、シャチの焦燥も説明されそうだ。
2085年に初めて確認された症状。以前言ってた生殖細胞の変異ってこのことか。
欲求不満・渇望状態をそれぞれに抱かせるようにデザインされた都市空間が地下の街だった。パラグルコースによる皮膚細胞の劣化はフェイクで、衆愚化計画のためのデコイに過ぎなかった。……パラグルコースを扱う企業からの反発凄そう。
最後の最後でこんな「世界の謎」を明かされても、それと世凪の行く末はどう関係するんだ。
『進撃の巨人』っぽい。「駆逐してやる」という衝動に生きるエレンはもっとも基礎欲求欠乏症から遠い「健康」な存在である。
人類の進化の袋小路としての基礎欲求欠乏症。なんだか壮大な話だなぁ。寓話めいているがあまり関心を持てない。

遊馬も愛妻(里桜)のために清濁併せ呑んで必死に研究に打ち込んできたのだった。そうですか…… それをここで明かされても、そもそも遊馬にそんなにネガティブな感情を持っていない(前頭葉切除は書き手が悪趣味だなぁと思うだけ)ので、ここで海斗との類似性を提示して株を上げようとしているのかもしれないが、単にまたこういう凡庸な悲劇かよと呆れちゃうな。

>遊馬「前時代的な身分制度の残っていた国、独裁政権国家、社会主義を標榜している実質的な共産主義国家──そういう国では、基礎欲求欠乏症による死亡率が比較的低かった」

すごい設定だなぁ……

>遊馬「半世紀の研究の中で人類は──日光、空気、水に対する欲求が、基礎欲求欠乏症の予防薬になると発見した。だから人類は自分たちからこの三つに対する自由を奪い、それを身分制度と紐付けた街を設計した」

つまり、エロゲにおける、海や空の青さ、透明感をエモく描くような系譜を本作ではこうしてSFとして擬-歴史化しようとしているってこと? そういう雰囲気のフィクションを好む我々の嗜好は、まさに日光や空気や水への飢餓欲求に基づいていると。壮大なホラとして結構好きかも。

てか、物語構成がすごいな。もはやこれまでのCASE1~3とか、そしてCASE0での世凪のアルツハイマー闘病記とか、そうした全部のストーリーを最後にスケールのデカい救いのない人類進化SF要素をぶっ込むことで相対化というか、どうでもよくさせる。
世凪は父親譲りのアルツハイマー病と、この時代の人類に普遍的な基礎欲求欠乏症という二重の病によって死へと向かっているが、結局は病身のヒロインが人柱になって人類をささやかな夢のなかで幸せにするかどうか、という偽問題を再演しているに過ぎない。(夢を見ずに眠っている人類に幸せな夢を見せるため、という大義が正直それほど有効だとは思えないが……)

>世凪「わたしは、自分の終わり方を自分で決めたいの」

そして結局は、こうしてヒロインの実存を崇高な自己犠牲に仮託して美談とするいつものパターンである。もはや呆れすらしない。一見ヒロインの尊い主体的な決意に思えるが、それもフェイクである。エロゲの歴史のなかで(もっと言えば人類の文化史のなかで)生産され強化され反復されてきた罪深いフィクション。
とすると、なぜ自分は『ユースティア』を高く評価するのか今一度問わなければいけない気がしてきた。ティアと世凪は何が違う? SFとファンタジーの差異? 人類進化の袋小路という絶望的な状況を前に夢に避難することと、ひとつのファンタジーの終焉と同時に一度文明をゼロに戻して再出発することの前向きさの差? より象徴的にいえば、地下都市か空中都市かの違いってこと?? 

>世凪「……もう、少女って年じゃないよ、わたし」
>海斗「私の中では、世凪はいつまでも少女のままだ」

悪しき〈美少女〉概念!!
彼女をいつまでも「少女」のままに押し込めているから、安易に「世界」と同一化しちゃう(させちゃう)んだぞ!!! 分かってんのか!?

おわり!!!!!
なんかラストは逆『CROSS†CHANNEL』みたいだったな。
非現実空間の「外」に出た人々が、「中」に留まる1人のことを神様のように語り伝えるのと、反対に非現実空間の「中」へと入った人々が、「外」に留まった人々の崇高さと、その「世界」そのものとなった1人のことを女神様として語り伝えていく結末。先の『ユースティア』との対比も含めて、それらが発売されてからの十数年間でのフィクションの想像力の(社会情勢が反映された)変化が云々……ということを何か言えそうな気はするけど、まぁええわ。
世凪が書いた物語を、最終的には海斗が語り手となってみんなに(教祖や司祭のように)布教している。やっぱりヒロインは語る側ではなく語られる側になってしまうんだ……(そして「女神様」になってしまうのか……)という落胆がある。




【エピローグ】
「幸せなエピローグ」!
感動の再会から即セックスわろた
あー仮想空間のみんなが世凪のことを想ったから具現化したってことか。
「幸せなエピローグ」そういうことね。再会できた今なら、3つの物語も別れではないハッピーエンドを書ける。

・桃ノ内すもも
梓姫は(「副業」で)プロの雑誌モデルをやっている。すももは美容師ではなくヘアメイク業に従事
キャンディー飴井ww スペンサー化している……
2061年に人工鳩の通信網が復活したんだよな。その功績者はカンナと同じ学園の人?
いやぁー……すももさんやっぱヤバいわ……いちばんすき……
カンナに嫉妬されてはしゃいで喜ぶすももさん最高! 歳上ギャルしか勝たん……
>すもも「あたしさ、昔のことにまで嫉妬する感じ、ピンとこなくて……。大事なのは今じゃん?」
処女信仰が強い純愛エロゲでこういうヒロイン貴重だから素晴らしいな。
てか今更ながら、この「幸せなエピローグ」を仮想空間の皆さんに海斗は語り聞かせるのか……? ……性の伝道師?
結婚するんだ。梓姫もまじでいいキャラだよな〜〜
返してもらったハチマルの中でも即セックス これは飴井アンナも喜ぶだろうなぁ……(?)
てか、CASE2だけもともとそんなに悲壮感のある別れじゃなかったんだよな。どうせあのあと数年後に無事くっつくだろうことは目に見えてたし。ただひと夏が終わっただけで。だからこれも無理矢理感がない。

・オリヴィア
落ちぶれたマーロウはスペンサーに捕まり新大陸へ(?) これもまた典型的なホモフォビア
違法に重婚してたのでオリヴィアとの結婚も破棄されたスペンサー。なんだそりゃ……
やっぱオリヴィアもいいキャラだな〜 勝ち気なヒロイン好き
えっ、オリヴィアのエピローグこれで終わり!? シーン無いじゃん! 確かに本編で2回やってたけど。。

・波多野凛
新学期一日目に凛は退学届を出し、有島は渡辺の助けを借りて即居場所を突き止める。熱海の産婦人科。
子供を育てる決意をした二人は結婚し、凛は書いた小説が爆売れ、有島は凛の編集者として満ち足りた生活を送っている……
倫理観が終わってることに目を瞑ればめっちゃ出来すぎたハッピーエンドでつまらないな……
やはりこっちもシーンなし
世凪の、海斗との子供が欲しかったという気持ちが凛と有島には投影されている。

代わりに世凪とラス1やるんかい すももが魅力的過ぎて世凪に実在感を全く見出だせない。
エピローグにもエンディングあるんかい


・おまけシナリオ
こっちにはCASE0が無くて1~3のみなのね。CASE2だけ1つで、1と3は2つずつ。

オリヴィア1(15分)
これは時系列、本編の『ロミジュリ』を執筆中の出来事か。
酔っ払って店の床にウィルを押し倒すオリヴィア。いいぞもっとやれ!
焦らされ過ぎて挿入前に果ててしまうウィル。BGMオンオフ芸。Hシーンでこういうコメディをやるの珍しいな。良い。
というかずっとコメディが上手いんだよなこの作品。緊張を高めてコメディに落とす。落とせる程度のシリアスで十分。CASE1や0では下手にシリアス過ぎたり壮大過ぎる話になってしまったから……。
めっちゃおもろいw ヒロインにツッコミながらツッコまれている…… やっぱこいつら役者なだけあって掛け合いが良い。喜劇!

凛1(18分)
夏休み中。図書館でこっそり! お仕置き足コキプレイ。
これは足フェチにはたまらないでしょうなぁ…… ここぞとばかりに凛がSっ気出してきてるのも良い
>「なんか、硬いね。ペニスも、文体も」
わろた やっぱギャグ路線いけるやん……!!
よく考えれば、Hシーンってまさに緊張が極限まで高まる場面だから、そこで一気に気が抜けるようなギャグやボケを挟んで緩和するといとも容易くコメディとして成立させられるんだな。
このライターさんマジでシリアス壮大SFロマンス路線じゃなくて、抜きゲーよりのイチャラブコメディが向いてると思う。
>これが──このみっともなさの極みともいえるこの姿こそが──私なのだ。
いいね。本編よりも輝いてるよあなた!!
学校内の図書館で淫行をして汚すという背徳的な行為も、有島の「学校が嫌い」だという心からの叫びと結びついて、なんだか無駄に感動的になっている。
これでもまだ凛は手を抜いている。確かに手を全く使っていない。やかましわw

オリヴィア2(14分)
『ジュリアス・シーザー』執筆時のウィル。またしても酔っ払っているオリヴィア
オリヴィア「怒ったウィルに、お仕置きされたい」
なるほど2つのおまけシナリオで主従(S寄り/M寄り)の両方のパターンをやるのか
とはいえ、実質オリヴィアに誘惑されているので結局はオリヴィアの思い通りではある(それがいい)
おもろ! さっきのと同じでウィルは早々に出してしまうが、今度はオリヴィアがそれに気付かず白けることなく行為は高まってゆく。……しかも天丼を何回もやる!! 最初のおまけシナリオを利用しつつまた違った方向のセックスコメディをやろうとしている。コメディに対して真剣だな……めっちゃ良い
てか4回連続射精って早漏というより絶倫じゃねえかw そういう役割のAV男優いけそう。
真面目に考えると、エロゲのHシーンって基本的には男性側の射精というクライマックスに向かって緊張感が単調増加していく(実際の射精を模した)構造になっているが、これらのオリヴィアおまけシナリオにおいてウィルがすぐに果ててしまい、良い感じのBGMが都度鳴り止むという音響演出なども加わることで、その単調増加性は破壊されている。むしろ緩急のピークが何度も存在する振動的な曲線を描いており、これは「実用」目的のプレイヤーからすれば都合が悪いだろう(ウィルと同様の早漏絶倫でない限り)。この性質をむしろ、CASE2本編でも指摘したような、男主人公と(男性)プレイヤーの乖離を促す演出として自分は肯定的に評価したい。ウィルは作家でありながら女装して舞台に上がる役者(見られる対象)でもあり、それはエロゲの物語を「見る」だけのプレイヤーとは異なる位相にある。そうした特徴を、こうした一見即応的なだけのHシーン短編においても、Hシーンならではの仕方で表現していると見なせるのではないか。

凛2(17分)
5ヶ月目の安定期に入った妊婦との…… マジで母子の健康上問題ないんか?
そこまで大きくはないが膨らんでいることはわかるスチル。結構挑戦的だなぁ。実質3P?
でもよう考えれば最初にしたときに妊娠したんだから、それ以後はずっと(まだ気付いていない)妊婦とやってたってことよな。
>私たちはこうして──自分達の日常を、少しずつ子供中心にしていくんだろう。
なかなかすごいなぁ。ひとつのエロゲの終わり、ってことかー。青春が終わり人生が始まる。(有島芳はもともと中年だけど)
『CLANNAD』とかやってないから分からないけど、ヘテロ純愛モノで結ばれたあとに、こうして「ふたり」から「さんにん」になる過渡期を性行為(の変化/減衰)とともに丹念に描いたエロゲってあるのだろうか。それこそエロゲにしか描けない「物語」ではあると思う。
>ただ、互いの気持ちを確かめ合うような行為。
>もしかしたらそこには、射精すら必要ないのかもしれない。
>──だが。
>満たされた気持ちの中でも、私のペニスは荒々しい射精に向かって高まっている。
これな〜〜。上に書いた「エロゲHシーンの基本構造」をそれでも遵守せざるをえない、ということ。ここで本当に「ただ、互いの気持ちを確かめ合うような行為」に終始して、射精というフォーマットからも解放されたHシーンを描いてたら偉大だった。いずれにせよエロゲにおける葛藤がよく表れている趣深い内容ではある。
>凛「……別に、イキたくてセックスしてるんじゃないから」
いいですね。
>「……生まれてきたあとは、しばらくできないよ、きっと。
> 乳首も舐めない方がいいんだって。虫歯映るから」
エロゲで学ぶ教養知識
めっちゃ出生主義なのは当然として、まぁこの二人はこれでいいんじゃないでしょうか。それほど応援も出来ないけれど。

すもも(6分)
デート当日があいにくの雨だったのですももの提案でラブホ直行
めっちゃ短いな。エピローグで2回もやったからな。
相変わらず慣れていてカンナを先導するすももさんは最高
桃ノ内すもものASMRはちょっと欲しいと思ってしまった。