"夏ゲー" ではなく "夏休みゲー" であり、"田舎ゲー" ではなく "離島ゲー"
2年くらい前の冬に、スマホ版でプレイした。これが初めて自分でプレイしたギャルゲーだった。
ギャルゲー/エロゲ初心者が入門としてプレイするのにちょうどいい作品だったなぁと強く思う。
各ヒロインの個別シナリオも普通に没入し、ALKA編では号泣していた。Pockets編だけは全く乗れず、残念だったが、総合的には非常に面白かった。RB版もいずれプレイしたい。のみきが好きなので。
※以下、ゲーム版『AIR』をまだクリアしていない奴の戯言です。序盤の共通パートがつまらなすぎてここ3年間くらい夏のたびに始めからやり直しては挫折しています。TVアニメ版は視聴済み。
同じくKeyの「夏ゲー」といえば、過去作『AIR』が絶対的な位置を占めているわけだが、わたしは、『サマポケ』は決して『AIR』の二番煎じでも下位互換でもないと思っている。
たしかに両作とも季節が「夏」だが、作品として表現したい方向性はかなり異なっていると思うのだ。
AIRは正真正銘「夏」をテーマにした作品だが、サマポケは「夏休み」がテーマだろう。
そもそもAIRの主人公たる国崎往人は学生ではないので、当然「夏休み」もない。
しかし両作のテーマ性の違いは、そうしたキャラの設定だけでなく、物語の舞台──地理的な設定にもあらわれているように思える。
サマポケの舞台は、瀬戸内海の「離島」である。物語は、主人公がフェリーの定期便で島に渡るところから始まる。離島とは、周りを海に囲まれた、文字通り「閉じた」空間である。この、周りから隔てられ、分節化され、"それ" として1つの対象となる舞台設定が、「夏休み」感へと繋がっているとわたしは思う。
離島でなければダメなのだ。AIRの舞台は、同じ田舎でも、離島ではなく、日本列島のどこかの海沿いの町だ。物語が展開される舞台の「外」と、""地続き"" であるのだ。だからAIRは決して「夏休み」ではなく、あくまで「夏」の作品なのだ。
AIRの冒頭は、国崎往人がバスから降りて町に着くシーンである。
フェリーではなく、バス。
この違いが非常に重要だと考えている。
AIRの舞台は離島ではなく、「外」と地続きの単なる田舎町である。
だから、町のはずれを突き進んでいけば、物理的に物語の「外」へと出てしまう。少なくとも、「外へと出られる」という可能性が、その潜在的な事実が、物語に通底している。
したがって、主人公を舞台の町から逃さないために、AIRでは「隣町までのバス運賃すら払えないほど金がないから、この町で稼がなくてはならない(けどぜんぜん稼げない)」という経済的な枷を設定する。この枷がなければ国崎は観鈴との関係を深めることなくさっさと町から出ていってしまうだろうし、実際、そういうバッドエンドも存在する。
しかし舞台が離島であるサマポケでは、簡単に物語の舞台から出ていくことはできない。
もちろん、その気になればフェリー1本で本州までいけるのかもしれないが、しかし、周りを海に囲まれ、かつ「夏休み」という時期の設定もあり、AIRよりも強力に、主人公を舞台に縛る力がある。
こうした全てが、サマポケを単なる「夏ゲー」ではなく「夏休みゲー」たらしめている。
そして『Summer Pockets』というタイトルも秀逸だ。
「ポケット」(複数形だけど)なのである。
ポケットに入れられるほど、小さく、こじんまりとしていて、かつ大切なもの。
夏休み。小さな離島・・・こうした時間的・空間的な設定を見事に表現する概念である。
AIRは決して「ポケット」ではない。あれは The 1000th Summer であって、ポケットには収まりきらない。
これは、単にサマポケがAIRよりもボリュームやスケール感が小さくなっている、ということではない。
ここまでずっと語ってきたように、そもそも目指しているところが違うのだ。
AIR以上の夏ゲーは存在しないかもしれないが、サマポケは「夏休み」をテーマに掲げて、その舞台設定を徹底することで、似て非なる傑作になっているのだ。
わたしがサマポケでもっとも好ましく思うのは、感動的なシナリオでも可愛らしいキャラクターでもなく、こうした、1つの作品としてのパッケージングの完璧さである。
(だからなのかは知らないが、わたしが本作でいちばん好きな曲は「アルカテイル」でも「夜奏花」でも「Lasting Moment」でもなく、「ポケットをふくらませて」である。だーまえ氏マジ天才作曲家)
しかも、わたしはこれを、コンシューマ版やPC版ではなく、スマホのアプリとして購入してプレイした。アプリ版では評判のいいミニゲームはいっさい遊べない。それは勿体ないかもしれない。
でも、わたしは本作をスマホでプレイできたことをまったく後悔していないどころか、誇らしく思ってさえいる。
「ポケットに入れられる」1つの夏休みをテーマに掲げたこのゲームを「ポケットに入れられる」スマートフォンで遊ぶことができた。それが本当に嬉しく、誇らしいのである。
スマホに入っていれば、スマホで「ポケットをふくらませて」、夏休みに旅先でプレイすることだってできる。それこそ、本作のロケ地である瀬戸内海の女木島や男木島などで遊ぶことだってできる。
そうした夢を、可能性を、私たちに与えてくれる本作は、やっぱり傑作だと思うのだ。