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oldreavesさんのハメ得★おりこうJKペット葉月&綾音 ~学校で性春!~の長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
ハメ得★おりこうJKペット葉月&綾音 ~学校で性春!~
ブランド
pin-point
得点
80
参照数
119

一言コメント

葉月と綾音のWヒロイン凌辱モノというより、葉月を主人公とした快楽堕ち屈服調教モノの短編抜きゲーとして非常に完成度が高い。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

総プレイ時間:3時間10分


前作は未プレイ


葉月と綾音のWヒロイン凌辱モノというより、葉月を主人公とした快楽堕ち屈服調教モノの短編抜きゲーとして非常に完成度が高い。
水泳部部長にして高飛車な葉月に対して、最初から調教され切っている清楚控えめ系の綾音はぜんぜん好みじゃないな〜と残念に思っていたが、葉月の堕ちる過程を魅力的かつ説得的に描くために、敢えて対照的な女子として綾音が置かれているのだと気付き、完全に納得した。

カラオケという密室でマイクロビキニを着せられストリップショーまがいの痴態を演じさせられ、罰ゲームとしてビールを飲まされた葉月は、状況とアルコールに感覚を麻痺させられ、水泳部男子たちの注目がいま自分に集まっていること、「見られている」ことに興奮するようになってしまう。(この場面では、凌辱している側の男子たちも状況をコントロールできておらず、目の前の憧れの部長の醜態に夢中になって支配されているように描かれているのがとても良い。目の色を変えて本能に抗えない男子部員たちを葉月は「可愛い」とすら思う。どちらが上の立場なのかわからない。お互いに屈服しあっている状態、というべきか。)

そんな狂騒の一夜を経て、ついに綾音と葉月は不良男子たちと水泳部男子たちの思惑で邂逅させられる。目の前でマゾとしての痴態を気持ちよさそうに謳歌する綾音に、葉月ははじめ衝撃を受け、次第に羨望と嫉妬を覚える。そして、自分の存在などどこ吹く風で綾音の姿に夢中の男たちにやきもちを焼く。ヒロインの「嫉妬」と「やきもち」描写のある凌辱抜きゲーのなんと素晴らしいことか!
葉月が男たちの目を自分に向けるためには、従順な奴隷としての自覚を徹底して「何でもします」と悦んで言っている綾音よりもさらに下品で無様で媚びた態度を披露しなくてはならない。生来の堅物な気質やこれまで築いてきた部長としての体面があるので、とうぜんそう簡単に綾音のように振る舞えはしない。それでも「犯されたい」という身体の疼きと、一度味わってしまった、男たちの欲望が自分に一心に集まり、むしろ彼らを支配しているかのような愉悦の境地への執着には抗えず、葉月は自ら服をすべて脱ぎ捨てて、地べたに這いつくばる…… こうして、計画通りに葉月は精神から調教され、完堕ちすることになる。

凌辱する男側が、水泳部男子部員たちと、学校の不良男子たちという2集団に分かれているのも上手い。水泳部員たちは完全に優越的な立場で凌辱を遂行する権力者というよりも、もっと本能的に動いているので、葉月に陶酔してむしろ自分たちが屈服してしまうような可愛いところがある。それによって、葉月が堕ちるまでの説得性が保証され、また単純な支配-非支配の凌辱関係にはない面白みが生まれている。
たほう、そんな水泳部員を利用して理知的に自分たちの所有する奴隷を増やそうとしている不良たちは、本作がちゃんとした凌辱ゲーとしての根幹を崩さないための役割を担っているといえる。(男側が弱いと趣旨がぶれてしまうため。)
つまり「竿役」にも、動物的で直情的な奴らと、冷酷で理性的な奴らの二種類を配置しており、これは葉月と綾音というふたりの被凌辱ヒロインの関係とちょうど対応するように幾何学的にデザインされていると考えられる。




完走した。
快楽堕ちした葉月の受動性と積極性という両義性は、葉月と綾音がふたりで絡ませられる終盤のプレイでもよく現れている。綾音に身体を舐められて興奮し、お返しとばかりに葉月も舐め返す。すると、攻められて感じている女性のかわいさ・嗜虐性を客観的なかたちで目撃し、自分も周りからこのように見られて思われていたんだ、と気付く。女性同士でのプレイによって必然的に鏡像関係が成り立ち、屈服したことによる受動性だけでなく、快感を覚えることを肯定する積極性や、他者に快楽を与えることの愉しみを知っていく流れが興味深い。
また、葉月はモノローグで「奴隷」と「便器」という二項対立(!)を打ち立てもする。まさに前述した積極性と受動性に対応するかたちで位置付けられており、ただただ受け身の便器として在るだけじゃなくて、男性に奉仕する奴隷としても頑張らなければ、と反省し奮起する。物語の最後で、屈服させやすい「カモ」の共通項として不良生徒が挙げた「おりこう」というキーワードが葉月にも的確に当てはまる。(「『おりこう』な女は、『カモ』なのさ」) 「頑張り屋で、真面目で、意思のしっかりとした」葉月は、こうして快楽堕ちの末の、ただ屈服して所有されるというよりも、ある種主体的に奴隷として奉仕することもこなしていくようになる。ここが本作の特筆すべき点であり、もしかしたら「快楽堕ち」という概念の本質的な二重性を鋭く突いているかもしれない。(マゾヒストとは、自分が虐げられることに快楽を覚える者のことである。であるならば、快楽を感じている時点で虐げられているとはいえず、真に虐げるためには「何も虐げない」べきではないのか。……こうしたマゾヒズムを巡るパラドックスは、ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』等で詳しく論じられているのかもしれないが、私は不勉強のため何も引用できない。)
最終盤のプレイが騎乗位なのも男女の権力関係の観点で意義深いし、またエピローグで水泳部後輩女子に対してカリスマ的なたぶらかしを仕掛ける余裕があるのも、快楽堕ちした葉月が「つまらない女」になるどころか、より能動的に自身の快楽を追求し、そんな自分を前向きに肯定していることを示している。そんな葉月のさまこそが"性春"を謳歌している、ということなのかもしれない。

ということで、非常に好みの凌辱短編抜きゲーだった。
水泳部・競泳水着という要素も、終盤のふたり並んでの騎乗位プレイの際に、水着を脱がすのでも、まったく脱がさないのでもなく、射精時に水着の胸のところを引っ張って内側にかける描写(その後の不快感などの心情描写も含め)があり、「ぴっちり」の良さを活かしているなぁと思った。

エピローグでは、シリーズとしての続編を匂わせるような話があり、葉月自身も例の後輩の水泳部1年女子を不良男子たちに差し出そうともしていた。しかし、明らかにこの展開は葉月にとって不穏である。なぜなら、不良生徒たちの「ペット」が増えれば増えるほど、葉月に集まる注目度は下がり、葉月が嫉妬する対象も増えることは容易に予想されるからだ。葉月が今のところ性春を謳歌できているのは、自分と綾音の2人だけが奴隷であるからに過ぎない。本作は葉月というひとりの「おりこう」な女子を主人公として見事に物語を描き切っていたが、それゆえに、これがシリーズものの1本に過ぎず、葉月は使い捨てられる哀れなひとりの「カモ」に過ぎない……という作品外の事実こそがもっとも彼女の尊厳を凌辱している。(前作から綾音は出演している(そこで堕ちる過程が描かれている)らしいのだが、個人的には葉月を見たい……)