ErogameScape -エロゲー批評空間-

oldreavesさんの120円の春PCの長文感想

ユーザー
oldreaves
ゲーム
120円の春PC
ブランド
ねこねこソフト
得点
78
参照数
87

一言コメント

花束みたいな出会いをした

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

実プレイ日数:3日間
総プレイ時間:9時間(おまけのボイスドラマ集はちゃんと聴いてません)



【感想まとめ】

人生初、ねこねこソフト作品のプレイ。片岡ともシナリオは『ナルキッソス』だけ昔読んだことがある。
尊敬するエロゲーマー諸氏からの評価が非常に高い本作をようやく購入してプレイすることができた。
本編は四季をモチーフとした4つの短編のオムニバスであり、どの物語もそこそこ良かった。
20年前に書かれたものなので、当時のエロゲ・ギャルゲの痛々しいコメディノリなどはさすがに気恥ずかしくてゲンナリしたが、グラフィックや音楽を含めたノベルゲームとしての演出にはさすがに名作といわれるだけのことはある風格を感じた。
これら4つのエピソードは

 ・男主人公とヒロインの「同じさ」に焦点があたるので、自己対話の話として読める点
 ・120円でのささやかな冒険というコンセプトゆえか、軽犯罪要素がある点
 ・基本ふたりしか登場人物がおらず、ふたりにはコントロールできない外部の世界の法則に対してふたりで対処していく点

などが共通していた。

第一の、自分と同じような(異性の)相手と運命的な出会いをして恋に落ちていく──という恋愛青春譚はありふれたものであるが、私の語彙ストックでいえば、映画『花束みたいな恋をした』(2021)を引くことになる。この映画について私は「これは他者との恋愛ではなく、自分のドッペルゲンガーと出会って自慰をしているようなものだ」と書いたことがある。
https://note.com/kksk/n/n919edb9f4fb6  『花束みたいな恋をした』感想

ようするに、ドッペルゲンガーとの交流とは「自分と向き合う」ことに他ならないので、『120円』の各エピソードでも、それぞれに「主人公」が自分の中の喪失感や苦悩と(鏡像のようなヒロインを介して)向き合っていく様子があたたかく描かれていた。ノベルゲームの人物像を「立ち絵」とはよく言ったもので、なるほどたしかに、われわれプレイヤーが同一化する「主人公」の一人称視点で、ヒロインが目の前に立ち現れて向き合って会話をしていくさまは、鏡の前での自己対話・身づくろいを見事に隠喩している。
こうしたプレイヤーの心を慰撫する自己対話の物語を、決して露悪的にならずに、あくまで優しく多幸的に寄り添うかたちで作り上げているところが『120円の春』の傑出した点であり、同時に限界でもあると感じた。

ラストを飾る「120円の春」編では、社会に馴染めないと感じる男主人公のアイデンティティが語られるが、正直なところ、現在の私はそうした切実な悩みに感情移入することができない。数年前ならまだしも。本作はしばしば「大人のための精神的18禁作品」というフレーズで、大人・社会人になった者こそ感動することができる物語であると評されているが、私にとっては反対に、社会に出ずに苦悩している数年前までの学生のときだったら刺さるものがあったかもしれない、と思った。
本作、特にはじめの「冬」編では「大人と子供」の断絶性と連続性が主題となっているが、この意味では、「大人」にも何段階かある(人もいる)のだと思う。「大人」の本質とは、「大人」になって終わり・完成なのではなく、一生、徐々に不断に大人になり続けていかざるをえない点にあるのではないか、と最近よく思う。換言すれば「人は一生老い続ける」ということ。

閑話休題。
「自分と違うようで似ているヒロイン」との出会い・交流を介して自己を見つめる物語としてもっとも完成度が高かったのはやはり冬編だろう。上述のように「子供と大人」という主題が、この共通テーマとうまく重ね合わされていた。少女ヒロインを通して、自分のなかの「子供」──つまり「過去」と出会い直すことがコンパクトかつ抒情的に描かれていた。『秒速5センチメートル』とかもそうだけど、どんずまりの田舎までの寒々しい電車旅っていいですよね。自分(たち)には制御できない外部の世界・社会の象徴としての検札システム、という要素も興味深かった。

夏編は、4本中ゆいいつ「主人公」が社会人ではなく学生であり、ヒロインと同い年のふたりを描く。こちらの制御できない外部要素は自販機のフシギな性質であり、それをきっかけにふたりは出会い仲を深めていく。自販機のエラーという、明らかなファンタジー要素ではなくギリ現実でありえなくもないラインの設定が非常に自分好みだった。
「せ~のっ」の掛け声でふたり同時に自販機を叩いた次の瞬間に、出てきた缶ジュースの軽快なSEとともに「120円の夏」とタイトル画面に移行する演出には痺れた。学生同士のひと夏の爽やかでささいな青春短編としてよくまとまっていた。

秋編は、おそらく4本のなかでもっとも些細ななんでもない話だったが、おそらく冬夏編とはキャラデザ・原画が変わっていて、ヒロインの立ち絵造形がとても良かった。

やや長めの春編のヒロイン「葉月」(なぜか彼女だけ本編中で名前が出る)の立ち絵も素晴らしかった。たぶん蜂矢さんの仕事だと思われるが、既に亡くなられているようで残念。やや体勢がななめに傾いていて、陰影が付けてあって、両の指を胸の前で絡ませているポーズなども蠱惑的で、背景美術と合わせて神々しさすら感じた。CVも能登麻美子さんなので最高(気付けなかったのマジで一生の不覚……)。
物語は古典的なサナトリウムものというか、病身ヒロインとの田舎での共同生活モノだが、男主人公が田舎に引っ越してきたきっかけが宝くじの大当たりという一件ポジティブな出来事な点がミスリードとしても上手かった。葉月はめちゃくちゃ可愛いけど、さすがに小4女児と近所の怪しい成人男性が半同棲して抱き寄せたり「早く大人になってくれ」と零したりするのはギャルゲ的嬉しさよりもキモさが優る。保護者代理づらしてイチャイチャするんじゃな~い!!

というわけで、4話ともにそれなりに楽しめた。
他のねこねこソフト作品や片岡とも作品をやっていきたい。






【プレイメモ】

・120円の冬(2003)
「俺」の一人称
右クリックで「通常/テキスト非表示/設定項目」の3つをサイクルする
12月、親戚の法事で田舎へと向かう電車  フリーターの「俺」
かなり古い文体  男主人公の性格や語りがきつい
「パンツ見えてるよ」 コテコテやなぁ
節のあいだにこういう目次画面を挟むのね
コメディのノリもひじょーに時代を感じる  「ストップ」を「スト―プ」とわざと書くのとかも
「大人」と「子供」という意識  乱視と近視
10年前にふと「遠くへ」行きたくて乗ったのと同じ電車で、あの頃の自分と似た「子供」を見つける
「あ~ん」で食べさせるノルマ達成 食べるほうじゃないの珍しいな
「お兄ちゃん」呼びで照れる「俺」 妹属性にも時代を感じる
冬の夜、田舎のひと気のないホームでの急行通過待ち  やっぱこういうの良いなぁ~~~ 『秒速5センチメートル』(2007)よりも古い
あの女の子の「旅行」の目的や正体が最大の謎か  何歳なのかも分からん 制服っぽい格好でリコーダーを鞄に差してるけど
駅名、「さくらざか」?
めっちゃノスタルジックなおはなしやなぁ  「大人」になってから、まだ「子供」だった自分(のような少女)に出会いなおす。子供の純粋無垢な世界が崩れてもなお、だからこそ目の前にある無垢に「大人」としていかに接するか、というお話。
子供の純粋さの象徴が、「涙」(で滲んだ目)であり、コンタクトを落とした「裸眼」である。どちらも "眼" が対象なのはまさに「曇りなき眼」といった言い回しにも当てはまっているが、涙と裸眼では瞳のベールの有無がちょうど反対なのも面白い。
この三白眼?みたいな流し目かわいい 「面白い顔」って言われてるけど
年下の子に、怖いからトイレしてるときに扉の前で待っているように頼まれるシチュエーション、最近[終末トレインどこへいく?]でも見たな。
甘酒で酔うという、これまたベタな展開
10年前の自分の幻影のような少女と旅をするのって、ようはヒロインに幼かった無垢な自分を投影しているということで、(昔の)自分と一緒に旅をしているようなものだ。美少女に自己投影する精神性のあらわれといおうか、分裂した自己の内面の仮託としての2次元美少女。そんなヒロインをかわいがってイチャイチャするのは、自分をかわいがって自分と戯れているようなもの。ひとり遊び。セルフケアの一環というか、昔の自分と向き合って自己同一性・アイデンティティを保持しようとする行為? すなわち、今の「大人」になった自分は、もうあの頃の「子供」の自分ではない、という断絶の認識であると同時に、しかしそういう過去と現在がたしかに地続きの「自己」を形成している、という連続性に縋ることでもあり、両義的である。
10年も前なのにいまだに検札のタイミングなどを事細かに覚えているのは、「俺」の中にいまだにしっかりあの頃の自分が残っていることを意味するか。
「かくらざか」? さっきの「さくらざか」と同じ素材かな
片岡ともさんの作品、『ナルキッソス』しかやったことないけど、物語構造がほぼ同じだ。若い男女ふたり、どんずまりへの旅。旅の果てには何もないことを知りながら、そこまで来た軌跡を、生きてきた証を刻む。それが人生そのものか、「子供」の生か、という違いくらいか。
すごい抒情的で余白がある。古のエロゲとしてのクサさと、ロマン主義文学の佇まいがうまく結びついている。
幼年期の終わりを優しく寿ぐ物語
そういえば、男主人公の名前だけでなく、ヒロインの名前までもぼかしているのか。徹底的に普遍性というか抽象性を志向している。駅名をぼかしているのも同様に、土地の固有性を剥奪するためと読めるか。
エピローグは夏!!!
相合傘の回収で〆  コンパクトによくまとまった良作でありました。恋愛っぽい粘ついたかんじが一切しないのは、やはりどこまでいっても(かつての)自分との戯れ、自己愛撫だからだろう。エロゲではなく全年齢なのも頷ける。自分とセックスはできない。
ラストの展開は、「子供」の自分が「大人」の自分を同じ傘のもとに肯定してくれた、ということだろう。それに「大人」のほうは気付いていないのも含めて、よくできている。
79

・120円の夏(2003)
8/11 夏休みの補習
海辺の防波堤越しの道路  風景美術がめっちゃいいなぁ
電車の初乗り切符の次は自販機か。120円要素
キセル乗車と駅看板への落書きの次は自販機ぽかぽか。犯罪要素
「せ~のっ」
うお~タイトル出しの演出完璧すぎる!
まさか今回も互いの名前をいっさい知らせずにいくのか
同い年のウブな高校生男女  やっぱり「冬」編と同じくこちらのヒロインも男主人公(自分)の生き写しのようだ。さっきよりはロマンティックな青春感があるけど。彼女も自分と「同じ」気持ちでいてくれているらしいことに嬉しさを隠せない「俺」。そりゃあ嬉しいよなぁ  でも完全に同一=ひとりでは缶ジュースは出せないんだよな。冬編では子供と大人の自分の差異と同一性がテーマだったけれど、こちらでも「同じでありながら違うふたり」である点が重要になっている。
あと、ふたり以外の人物がいっさい登場しないのも同様っぽい。冬編では検札の車掌がいるといえばいるけど、その第三者を「避ける」ことに熱心だったし。あと「俺」の回想で一瞬だけ母親は出てきていたな。
120円を入れた自販機をふたりで叩くと2本まで缶ジュースが手に入る。リアリズムの範疇におさまる「不思議なチカラ」 こういうのめっちゃ好き!
主人公たちふたりにはコントロールできない、外部の「世界」に対して向き合って対応していくところもまた前章と共通している。決まったタイミングでやってくる検札をトイレに入ってやりすごす、とか、なぜかふたり同時に自販機を叩くと2本まで缶ジュースが出てくるらしいので色んな自販機で「実験」する、とか。彼らにはあずかり知らぬところで決まっている動かしがたい「法則性」のようなものを見出して、それに対してふたりなりの「ルール」を作って対処していくプロット。
えええ選択肢あるんかい!
>足が速いねと言う
120円でどれだけ充実した体験ができるか、という冒険  キセル乗車vs自販機ドリンク無銭入手
周りの目を気にしながらタイミングを合わせて自販機叩くのとか、完全に前章の検札スキップと一緒だ。
あ、缶ジュース以外のものも出るんだ ランダムで。
振って飲むタイプのドロドロ系ジュースなつかしい。今でもあるのかな  『AIR』のどろり濃厚とかが有名だけど、あの時代特有のもの?
120円より高い飲料が手に入ることも。転売しよう
ええ……切符の自動券売機や銀行のキャッシャーでも通用したらヤバすぎる。前章のキセルどころの騒ぎではない。てか冒頭の「見知らぬ人との出会い……」的なくだりで挙げられていた「電車で隣の席に座った人」や「銀行の引き出し列で前に並んだ人」ってこの伏線だったんかい
バージニアスリム  未成年タバコ購入 この時代は合法……ではないよな
かなり無茶苦茶やっている 若さ!青春!ってかんじですね  てか120円入れなくてもいいのか
彼女も補習だった! やっぱりドッペルゲンガーじゃないか  [花束みたいな恋をした] だ
こんなの告白よ!  てかふたりとも「~てたりして」という語尾まで一緒になってる…………

どこがって問われると難しいけど、俺と彼女は似ているような気がした。
似てるよ
さすがにそろそろやめたほうがいいんじゃないかと切り出す彼女。まだ理性があったか
いったん気まずくなりかけるも、翌朝あっさり再会してハッピーエンド。「不思議なチカラ」による犯罪行為を媒介しなくとも、ふたりは一緒にやっていける。3枚の硬貨で繫がりながら……
あそうだ、分岐わすれてた。
>特に触れずにいる
待ち合わせ場所まで走ってきたことを指摘されて照れる方が変わる あとは全部同じだった。


夏編おわり
めっ・・・・・・ちゃささやかな、ひと夏の甘酸っぱい短編だった。こういうのがいいです。夏に高校生の男女ふたりでフシギな現象を調べようと「実験」を繰り返していくのは[夏へのトンネル、さよならの出口]を思い出した。
79

・男主人公とヒロインの「同じさ」に焦点があたるので、自己対話の話として読める点
・120円でのささやかな冒険というコンセプトゆえか、軽犯罪要素がある点
・基本ふたりしか登場人物がおらず、ふたりにはコントロールできない外部の世界の法則に対してふたりで対処していく点
などが、既読の2つのエピソードには共通している。

・120円の秋(2005)
また20代ちょっとのフリーターが主人公か
120円は電車運賃 こんどはちゃんと正規の値段を払ってる
夏編に出てきた駅前の町
ヒロインのキャラデザ担当変わった? なかなかかわいいデザイン 表情がめっちゃ豊か
どこかの章の男主人公っぽいモブがクレープ屋店員に。春編のかな。
イベントスチルも……めっちゃクオリティ上がってない? 構図とか塗りの質感とか。フェチズムがすごい……ショーパン最高
てか、今回は男主人公とヒロイン以外のキャラがわりとしっかり登場するんだな
夏編の海辺の故障してる自販機も出てきたけど、ふたりで叩きはしなかったので、例の法則があのふたり以外でも通用するのかは確かめられなかった。
今回のどうにもならない世界の法則要素は「運勢」? それを信じたうえでわざと不運な目に遭って明日の運勢をコントロールしようとしている。かなり直球にこれまでのテンプレートに当てはまる物語
両名ともに運勢や占いを信じるタイプであることから、やはり鏡像関係でもある。住んでる町も同じだし。
クレープ屋店員、風船配りの人、風船をなくした親子連れ……と、ふたり以外の人物が描かれる点だけは異質
この子の服装やキャラデザになんか既視感あると思ったら、デレマスの喜多見柚だ! 黄色オレンジ系のパーカーといいパッツン前髪(茶髪なのか微妙な色)といい…… こんなに髪長くはないけど。
うお、なんか立ち絵がついたモブが! これが特上のラッキーか……
今更ながらこの子は何歳くらいなんだ。学生? めっちゃ幼いようにも見えるが、平日の昼間から暇を持て余してる
終わった~~  これまでで一番、まじでなんでもないささやかな話だったな……嫌いじゃあないが、特段に好きだというわけでもない。ヒロインは暫定いちばんかわいいと思う。
76

・120円の春(2005)
やっぱりさっきの居眠りクレープ店員が4人目の男主人公だ ネトゲオタク
どういう演出? 120円じゃないじゃん ずいぶんと値上がりしたなぁ
えっ、ヒロイン視点もある!? 外見はまだ出ない 吐息多めなCVが良さげ
クレープ屋バイト時給700円か……物価がわかんないけど、この時代は最低がそのくらいだったのか
わろた いいタイトルへの入り
なるほど。それで田舎に引っ越してあの家屋で少女と出会うのか
葉月の立ち絵めっちゃいいな…… やや傾いてるのがいいのかな 陰影の付き具合も、指を絡ませるポーズも表情もいい
す~っごい蠱惑的な表情とポーズするじゃん・・・
す~んごいじゃん・・・画が上手い……!
さっきから流れてるBGMのメロディが緑黄色社会「Mela!」のサビっぽいけどこっちのほうが20年くらい早い スピッツの何かの曲っぽくもある(適当
あれっ、もしかしてあの子の名前「葉月」? 春ヒロインだけ名前があるのか……?
>主人公
フいた 他の台詞ではこんなの出てないし、バグというか誤植の消し忘れ? おもしろすぎる
かわいい(かわいい)  この腕だけでもわかる画の上手さ
やっぱり葉月だった。この子だけ名前あるのかぁ~~ 最後の春編だけ色々と違うのかな。集大成的な
目次画面の配置もなんだかこれまでと違うし。長めなのだろうか
あ~そうか、こういう謎に立ち絵のあるモブ、ぜったいに他のねこねこ作品のキャラじゃん…… このブランドにはそういう要素が多いって聞いてるぞ 秋編のギター弾きのお姉さんもそうか
軽犯罪ノルマ達成 「ルール」要素も
うぉい いいスチルと立ち絵の組み合わせ方 これは『ラムネ』かな? [超昂閃忍ハルカ]でも、アリスソフトの過去作をこうして作中エロゲで出してくるやつあったな。2000年前後には、そういう風潮が一般的だったのかな
立ち絵や声だけじゃなく台詞の言い回しもかわいい ほんとに小学生なのか知らんけど、敬語を知らないほど幼い子供の喋り方
あなたさっきPC画面のなかでハダカになってませんでした? 
パソコン通信のダイヤルアップ接続ってやつか
うお~~すげぇ!! こういう立ち絵の使い方も好きやで~~
ついに男主人公にも名前が付いた……本名ではないけど、これは非常に象徴的な出来事だなぁ
サクラと葉月  そしてゲームと現実のアナロジー  ネトゲ廃人男と不登校の少女(似ている)
めっちゃ夏になっとる! 今回だけは季節まで変わるのか、特別だ。
宝くじを当てて田舎に移住して、不登校の少女との共同生活  《夢》すぎる・・・・・・
一日の食費240円だったところ、ふたりいるのでひとり分は120円ってことね
葉月城をつくる葉月  不登校の子がべつの居場所を希求する。[かがみの孤城]のような
ていうか「葉月」だから8月の名前じゃん 春編なのに。
葉月も約半年前にこの田舎へ引っ越してきたんだ 鏡像要素+1
プールシーンキャンセルを……キャンセル! 
ぬうおおおスク水差分の立ち絵! 神ゲーです
ずっと多幸感がすごいんだよな 夢としかいいようのないささやかなまどろみの空間 葉月の立ち絵は神々しくすらある
春編での外部からの不確定要素は……宝くじ大当たりか。葉月にとっては引っ越しもそうか。不登校の原因は詳しく明かされていないけれど、いじめとかであればそれも含まれるか。そして、それに対してサクラは「計画」を立てて「社会的脱出」を目指す。宝くじ当たったのに以前よりも質素というか貧相な暮らしをしているのは意味がわからないが…… 葉月もまた、(いま押し付けられている)社会から逃避して自分なりの居場所を見出そうとしている。
うおおお 白の神々しさ
>サクラ「だからさあ…早く、早く大きくなってくれよ…」
これは軽犯罪では収まらないキモさ  子供の健やかな成長を願う大人……といえば聞こえがいいけれど。ちょっと感動的にも思えてしまうのがおそろしい。まぁ少なくとも「大人にならずにいまのままでいてくれ」と願うロリコンではギリなかった……のか?これ。
中村葉月 フルネームまで判明した
健康上の理由で不登校だったのか それだと単なる病弱ヒロインに……
喘息の転地療法で田舎に越してきた じゃあ葉月にとって最大の「法則」は自身の身体の具合ってことか。サナトリウムもの
小3, 4の10歳くらいか。まぁたしかにそんなもんか(ホントに小学生だったのか……)
クレープ屋バイト要素を活かしてきて草
!?!? びっくりした~~ 
えっまだ続くんかい やっぱラストの話だから長めなのか
もう秋じゃん てことは四季一周して春で終わる気だな?
サクラはいうなれば葉月の親代わり、保護者代わりをしている。「両親が仕事で忙しくてなかなか家にいない」のは、ヒロインの可哀想さを増すと同時に男主人公が親代わりとして交友を深める口実にもなって一挙両得だ。尚且つ家事を手伝ってもらってもいるし、同棲している恋人か妻のようでもある。《理想》ですね。
ブルマだ~  現代だったら事前に親の許可をとって学校に話付けとかないと不審者通報されるだろうな、運動会で謎の独身成人男性がブルマで踊る女子児童を熱心に撮影する……

>そんな些細なことばかりだった。少なくとも、俺にとってはどうでも良いようなことばかりだった。
でも葉月は、楽しそうに話してくれた。俺に聞かせてくれていた。

どうでもいいような些細なことのなかに輝きを込めた物語。日常系
画面のなかの「サクラ」を客観視しながら、「俺はこの子とは違う」と必死に言い聞かせる。「馴染めなかった奴」としてのアイデンティティを案外こじらせていたのか。いや、ここは単に葉月とさっぱり別れるための方便か。
宝くじを当てての望んだ引っ越しと転地療法での一時的な引っ越しの違い。大人と子供の違い。
さいしょの冬編も「大人と子供」が主題だったけれど、どういう差異があるかな。冬編はたった1日間の電車旅を通じて「違うけど同じ」に辿り着いた。春編は約1年の共同生活を通じて「似ているけれどやっぱり大人と子供は違う」ことにしなければならない、と認める話? 最終盤でどう落とすかだな。
葉月のためを思ってとかじゃなくて、マジでお前がコンプレックス刺激されるのが嫌なだけかよ! 正直サクラのこれまでの来歴が(不真面目クレープ屋バイト以外)明かされていないので、「そんな拗らせてたんか……」と引くことしかできない。宝くじ当たって社会隠遁生活に入るのも実は本当の願いじゃなかったってことか。素の自分の「馴染めなさ」を、一山当てた幸運ゆえのお引越し、という名目で隠蔽しようとしていたわけね。
世界/社会からつまはじきにされている感覚。ここは俺の居場所ではない、と根拠なく思い込む性質。他3編の男主人公たちはここまで拗らせてはなかったよなぁ。一攫千金したことでむしろ歪みが顕在化して先鋭化した節もありそう。
幼い少女の形象をとった「自分」に、健やかに成長して社会に馴染んでいかないでくれ、自分を置いていかないでくれ、と痛切に願うサクラ。
看病してもらったときは「はやく大きくなってくれよ」と言ってたのに…… あれは、自分と同じくらいのベッドサイズになるように身体が成長することを希望していただけで、精神的・社会的にも健全に成長してくれ、という意味ではなかったのか。「もっと俺と同じようになってくれ」と、蜘蛛の糸で絡めとるように身勝手に自己像を押し付けていただけか。やはりこれまでのエピソードとは反対に「同じだと思い込んでいたかったけれど違った」という流れなのかな。醜悪だけど、サクラはそんな自分の身勝手な欲望にようやく気付いて、なんとか「葉月」を「自分」から切り離そうとするのはまぁえらいか。
それぞれが「つくる」居場所、葉月の割り箸のお城(葉月城)と、サクラのネトゲでの鍛冶屋キャラの違いも考えようか。サクラはオンラインゲームという、もともと存在してみんなに共有されている社会(世界)のなかに「自分」を組み込んでレベル上げして家を建てるなどして自己実現していく方向だ。一方で葉月はそもそも居場所(世界)そのものを自らの手で作って、そこに自分や大切な人たちを住まわせる、という順番をとっている。世界が先か自分が先か。この順序がサクラと葉月では異なっている。ただし、現実はこれが反転している。サクラは社会から逃げて田舎に自分の「城」を作って引きこもったが、葉月は(サクラの助けもあって)次第に社会のなかに自分の居場所を見つけて馴染んでいっている。これを鑑みると、両者の箱庭的な創作(フィクション)は、それぞれの深層心理の願いが結晶していると読むべきか、それとも、かつて抱いていた願いの残滓であると読むべきか……
社会から隠遁してもネトゲ、オンラインゲームをやっている時点で、どこかで他人と繋がって社会のなかで承認されたい面は残っているんだよな。現実の引きこもりネトゲ廃人にもいえることだけど。ネトゲすらやらなくなったらおわり。ノベルゲームよりも遥かにまだ救いようがあると思う……。
露骨にメタな目配せしてくるやん。ようは、田舎の丘の上に建ったファンシーなお城(1Fはクレープ屋)、というフィクショナルな「城」は、そのまんまこの作品の隠喩だとしている。社会のなかで生きて、自分の「田舎」のなかに居場所をもっておいて、たまに扉を開け、また「街」=現実へ還る…… 現実をやっていく応援歌であり、やさしい虚構賛歌だ。
収支が……合った! 気持ち良いですね、物語の最後に収支がぴったり合うと。
きらら作品がはじまりそう
めっちゃまとめてくるやん
やっぱり原画3人か。秋春の担当者を知りたい。それともCG彩色のほうかな?
ほかの3人にも名前あるんかい! エンドロールで初めて知る。小雪、なつみ、秋さん(?)
・・・ってか能登さん!?!? そりゃあいい声なわけだ。気付かなかったの不覚すぎる。
8:20 おわり~~~!
冬編もさいごはこれまで通り、あっさりとあたたかな大団円を迎える。ネトゲの鍛冶屋スキルが現実にも活かせるのか…… 虚構と現実の融解。

「社会」から降りた男主人公が、自分と少しだけ似た境遇(だと思える)美少女と出会い、彼女の社会復帰に触発されて自分もまた「社会」で生きていくようになる・・・という、骨格を書き出してみればこれ以上ないくらい王道のシナリオだった。最終的には大人と子供の関係・差異はあんまり主題じゃなかったな。冬編では過去(子供)と現在(大人)の断絶と連続というかたちで扱われていたけれど、この春編では単にヒロインと半同棲して仲を深めるための設定だった。男主人公が自己鏡像的なヒロインと出会って幸せになる、という四季で一貫した構造に関しては、春編もほぼ引き継いでいたと思う。(こうして振り返ると、最初の冬編がいちばん「目の前のこの少女は果たして《自分》なのか?《他人》なのか?」という問題系にいちばん誠実に取り組んでいたシナリオだと思う。子供と大人の連続性と不連続性というテーマをうまく対応させながら……。)

こういう作品では「街」が現実社会の隠喩で、「田舎」が虚構世界の隠喩なのはもはや定型だけれど、こういう想像力はどこから来ているんでしょうね。近世と近代のギャップ? 研究は続く……

え~とにかく、シナリオ自体はまぁそんなに……だが、葉月というヒロインの魅力がすごい。なによりまず立ち絵の素晴らしさよ。「立ち絵」っていうとふつう何となく平べったい(ペラい)印象がともなうが、葉月の立ち絵は影の付け方や姿勢によるものなのか、絶妙に立体感・厚みがあって…… ボロ小屋の窓から光が差し込む背景美術なんかと組み合わさるとよけいに神々しかった。あとCV能登麻美子さんの魅力はいうまでもない。キャリア初期の能登さんの声をあんまり聴いたことなかったな。『北へ。~Diamond Dust~』(2003)の2年後か……

そういう葉月というキャラはかなり良かったが、小4?の年少ヒロインに成人男性の主人公が庇護という体裁でベタベタくっついたり「はやく大きくなってくれ」と言ったりするのはちょっと…… 素直に「萌え」られはしないです、自分は。これが小学生同士とかだったら全然いいんだけどな、どうしても大人と子供の非対称性につけこんでアレコレするのが気になってしまう。エロゲじゃないだけマシなのか、健全なふりをしてる点でいっそう卑怯なのか。

それから、着地点が「例え、社会に馴染めなくて自分ひとりが置いてけぼりにされてしまっていると感じても、この世界は案外捨てたもんじゃないから大丈夫、なんとかやっていけるよ。あなたは幸せになれる」というあたたかな励ましだったけれど、正直いまの自分はこういう悩みをとくに抱いていないのでピンとこなかった。時期が違えばぶっ刺さったかもしれない。もう「大人」に、「社会人」になってしまったんじゃ儂は…………  こういうストレートなメッセージ性を打ち出すこと自体は別に嫌いではないし、需要があることは理解している。
演出面も含めて、古典的な短編ノベルゲームの風格はすさまじかった。
79

【おまけ】 9:15~
秋編のスピッツか緑黄色社会っぽい曲、「ノエル」だった。

・番外編
夏編の続きだ。
「主人公」って出るのやっぱりおもしろすぎる この時代の美少女ゲームでは一般的だったのか
また明らかに絵柄の違う過去作キャラっぽい人が……
お~ヒロイン視点パートがある
あっ意外と長そう……
夏編ヒロインのなつみは3姉妹の次女なんだ。姉はカンナ
妹おまえか~い!! 狭い世界だ
なにげに選択肢が多い。しかも選択しているプレイヤーの存在を察するメタネタまで
秋編に登場したギター弾きのお姉さん、なつみと小雪の姉だったのか…… じゃあ過去作のキャラではないってこと?
人称かわっててわろた こういうノリ、時代やなぁ……
最初の選択肢でキスを選ばなかったら即バッドエンドだった。
番外編って夏編の続編だけでおわりなんだ

・夏休み
まだまだカンナ-なつみ-小雪3姉妹の物語は続く なつみの一人称視点
なんでカンナは妹たちをさん付けで呼ぶのか
カンナお姉ちゃんは大ボケと頼りになる妹想いなところ(とツンデレ属性)を併せ持つキャラ
姉妹愛・家族愛のはなし  3姉妹だからか、時代柄なのか、今どきの百合・シスターフッド感は薄い

・カンナねーちゃん
カンナの一人称視点 なんで番外編はこの3姉妹ばかりなんだ。他の季節は?
図書館勤め  これあれだ、既にお相手(男主人公)がいる妹ふたりと違ってまだ独り身のカンナと誰かとくっつけるための話か。
ほらぁ~ 「Site 主人公」って。
このゲームで初めて「主人公」の顔がガッツリ出て草 (秋編でのクレープ店員は前髪で目が隠れていたし)
ゲーセンでセガネタ。こういうネタ要素にことごとく古めかしさを覚えて気恥ずかしくなる
カンナも普通に社会人なのね
3姉妹の名字は日月(たちもり)っていうんだ。『化物語』の阿良々木一家みたいな名前だ。暦、月火、火憐……
「主人公」の名前は当然ながらぼかしたまま

・ボイスドラマ
3姉妹の茶番がずっと続くので、~略~

いまクレジット見てて知ったけど、小雪となつみってCV同じなんだ…… まったく気付かなかった
原画は、おそらく冬夏(3姉妹)が[オダワラハコネ]さんで、すごく好みだった秋春が……[蜂矢]さんだろうか。PS2版とPC版でえろすけの原画クレジットが異なるので分からない。

https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=20344&uid=amaginoboru

ただパッケージがなぁ...書き下ろしとはいえ、小雪に桜はアンマッチでしょう。蜂矢さんが亡くなられたので仕方なくもあるのですが。
PC版の頃には亡くなっていたらしい。だから情報が少ないのか


https://www.gungho.jp/cgame/game/120/ps2/index.html

キャラクターデザインはねこねこファンにおなじみのオダワラハコネ氏と蜂矢氏。
キャラデザは蜂矢さんで確定か。