全体的にあっさり終わっていてもうひと押し何かあればといった印象は否めないが、個々の要素を見れば、優しく可愛らしい絵柄ながらも中身は現実的で苦味のあるシナリオ。ミステリー物としてのお約束を外したミステリー、二面性を持った登場人物、美少女ゲームと箱庭世界というメタ的テーマへの切り込み等々、語りたくなる点が幾つもあって、非常に奥深い作品に仕上がっていたと思う。
謎に満ちた館を舞台にしたサスペンス的シナリオを描いた処女作『翠の海』。
優しい雰囲気の中に死生観ならではの切なさや厳しさを盛り込んだ前作『キミへ贈る、ソラの花』。
このブランドの作品は萌えゲーを彷彿とさせる絵柄ながらも、それにそぐわないシビアな一面が含まれている印象だが本作は特にそれが顕著だった。プレイ後に爽やかな読後感を残してくれるのではなくどこか苦々しく現実的で、前作のような皆が幸せで終わる結末が用意されているわけでもない。今風の可愛らしい萌え絵で描かれたキャラクターが迎える結末としては酷くシビアで、そういう意味で昨今の萌えゲー(美少女ゲーム)という箱庭世界が迎える結末とは一線を画している。
◆ミステリー物としてのお約束を外したミステリー
主人公・和久井新は作られた街・千羽市で発生する連続少女行方不明事件の捜査を依頼される。そこで新は入谷瑚子と前園霧架のどちらかをパートナーに選択し、学園の内部から調査することで/学外から街の秘密を探っていくことで真相へと迫っていく。
ジャンルとしてはミステリーADVと銘打たれているが、純然たるミステリーを期待していると肩透かしを食らうかもしれない。ミステリー物でありながら捜査する事件にストーリーを牽引する力が不足しているのだ。ミステリー物の定石としてはまず主人公の周辺で奇怪な事件を発生させ、緊迫感を煽ることで読み手をぐっと引き込むが本作にそのような展開は皆無である。(もう一つ付け加えると本作で発生した事件にトリックらしいトリックは存在しない。全貌を紐解いて見渡してみると実に単純明快で、特別な推理やひらめきを要求しない。)
主人公は事件から遠い人物であり(実はそんな事はないのだが)、軽い気持ちで捜査を開始するので緊迫感に満ちた雰囲気とは無縁で、霧架や瑚子とわいわい騒ぎながら手探りで捜査していく。連続失踪事件という重い事件を扱っているのにシリアスではなくコメディ調にストーリーが進行していくのには好みが分かれるかと思うが、自分は一介の学生が現実的かつ等身大の歩みで事件の真相に迫る姿を上手く描いていると思う。
この作品には華々しい活躍で全てを解決に導く探偵なんて存在しない。あくまで主人公とヒロインは一介の学生で、探偵の真似事をしているだけに過ぎない。学生らしく宝くじが当たれば喜んで捜査をほっぽり出すし、探偵としての挟持もないので大人しく身を引いて警察に任せることもある。選択を誤れば悲惨なバッドエンドを迎えてしまう。瑚子ルートと霧架ルートで手にした情報に差があるように、主人公の視点では全てを知り得ることは出来ない。
彼らは学生らしい歩みでその時に出来る最善を考え選択し、真相へと迫っていく。
そんなスーパーマンではない彼らだからこそ、手にする結末もそれ相応のものになる。綺麗で誰もが幸せに終わる結末なんて一つもない。万能ではない主人公だからこそ救える人数に限界がある。誰か一人を選択しなければならない。真奈・莉瑠・雫・萌美ルートは真相解明と引き換えに彼女たちとの未来を獲得した。
そして、いざ真相に辿り着いたところで何かを変えることが出来たわけでもない。むしろ辛い事実だけを浮き彫りにした。街で秘密裏に行われていた人体実験に主人公の母親や霧架の兄が関わっていたこと、瑚子は父親にお金と引き換えに売られたこと、そのどちらもがこれから先も辛く厳しい現実として付き纏う。事件を解決・街の秘密を解明したのでハッピーエンドなんてありがちな分かりやすい終わりなんて用意されていない。我々が生きる世界と同じくどこまでもシビアで現実的で、彼らはその中で生きていかなければならない。
◆二面性を持ったヒロインと主人公
本作のヒロインはみな性格に二面性がある。明るいウェイトレスとしての姿とお金を稼ぐために危険なバイトを斡旋する真奈。子供らしく感情表現が幼稚な一面と人を傷つけることに無頓着な残虐な一面を併せ持った莉瑠。紅鶴会会長としての凛とした姿と妾の子としての境遇に苦悩し秘密を維持することに疲れている雫。誰もが親しみを覚える優しくおっとりした性格と研究者としての孤独で冷めた性格を使い分ける萌美。SM趣味で明るくお気楽な性格ながらその裏で両親からの愛を強く求め、似た境遇の相手には強く入れ込んでしまう瑚子。探偵然とした利発な一面の裏に過去に対する負い目や誰にも言えない使命を抱えている霧架。
真相に迫る中で主人公はこうした彼女たちが持つ二面性にも触れていく。次々と事件が発生しそれを捜査して真相に近づいていく事件ベースの構成ではなく、ヒロインとの対話や触れ合いに重きを置いてストーリーを進行させているので、やはり一般的なミステリーとは少し趣が違うものになっているのかもしれない。
萌美の二面性が象徴的だが、知っていると知っていないとでは一つの発言やヒロインの行動に対する印象が大きく変わってくる。つまり二周目では一周目では見えてなかった部分が見えてくる可能性がある。自分が見過ごしていただけで、彼女たちの二面性を理解した今では何気ない発言から多くの意味を見つけることが出来るのかもしれない。この辺りの作りは良く出来ているなと思う。
そうした二面性を抱えるヒロインとは対照的に、主人公は裏表がない真っ直ぐな人間として描かれている。だからこそ新は本作の主人公に相応しく、ヒロイン達から好意を持たれた。雫は新といることで心地よさを感じ、自分を偽っていた萌美は彼の一心な姿に惹かれていく。
また作中で明言されていないが、瑚子のSM趣味は母親からの虐待で受ける痛みを愛情と信じたい無意識の現れかもしれない。霧架の一人称が「ボク」で探偵気取りの口調も、幼少期の主人公への憧れともう二度と過ちを繰り返すまいという決意の現れなのかもしれない。こう考えると萌え属性としてのヒロインの特徴により深い意味を見出すことができる。
◆美少女ゲームと箱庭
美少女ゲームで繰り広げられる物語はどこか箱庭的である。現実の日本とは似て非なるとある街を舞台にし、登場人物や背景の数も限られている。異なる日付の同じ背景・同じ人物の場面を比較した時に、テキストを除いてしまうと違いを区別することができなくなる。
描かれる物語には主人公とヒロインの一対一の恋愛が付き纏い、読み手は登場人物と向かい合うこと(主観視点)で物語を読み進める。そこに空間的な狭さ――箱庭感を感じたことはないだろうか。
別にこの箱庭感の良し悪しを言いたいわけではなくて、これは美少女ゲームならでは魅力にもなっている。現実の荒波から隔絶した理想郷の中(その多くは過ぎ去りし青春への憧憬を満たしてくれる“学園”という舞台)で描かれるヒロインとの馴れ初めやイチャラブは、読み手に甘い充足感を味あわせてくれる。萌えゲーが好まれる理由はここにあるのだろうし、昨今のエロゲ市場を鑑みるに、そういった箱庭世界を演出している作品の割合は多くなっていると思う。
では本作はどうだろうか。爽やかとは全くもって言い難い、どこか苦々しくてシビアな結末。誰もが救われる分かりやすいハッピーエンドなんてない。昨今の美少女ゲームで描かれる箱庭世界が迎える結末とは一線を画している。
ビターエンドで終わる作品は特別珍しいわけでもないが、本作のような萌えゲーを彷彿とさせる可愛らしい絵柄でそれを表現したことは作品の価値を高めていると思うし自分は評価したい。
そしてもう一つ。これは本作の感想とはあまり関係ないが、美少女ゲームは構造的に見ても箱庭的であると言えると思う。まず、美少女ゲームでは流動的で連続的な時間変化を表現することが出来ない。例えば朝から夜へと時間が変化する時に、それを背景の切り替わりという瞬間的な変化でしか表現することができない。そして先に述べたように、その背景パターンは有限であるので、必ず同じものが存在してしまう。
また、その背景で表現される範囲にも限界がある。
例えばある背景(http://blog-imgs-44.fc2.com/o/k/u/okubswa/20141102023616d79.jpg)
のすぐ隣に大きなビル建っていたとして、プレイヤーがその存在を実際に知覚することは決して叶わない。その隣がコンビニだったとしても、或いはこの背景の周りが実は一面廃墟だったとしても決して辿り着くことはできない。つまり我々にとっては、背景の外に何があってもなくても同じと言える状態になっている。この点で背景とその周りの世界は断絶しており、認識的な意味で壁が存在している。
このように美少女ゲームは静止した、切り取られた限定的な世界でしか表現する術を持たない。
本作のキャッチコピーである「それは、誰の、箱庭?」という問いに対して、自分は自律した箱庭は誰の物でもないと答えたい。千羽大学の研究者によって作られた街・千羽市は内部にいる主人公とヒロインの意志によって真相を暴かれ、創作者の意図しない結末を迎えた。この時点で千羽市という箱庭は創作者だけのものとは言えなくなった。また真相を暴いた彼らが千羽市のシステムそのものを変えるまでは至らなかったように、自律して動き出した箱庭は個人が自由に変革できるものでもない。強いて言うならば箱庭は箱庭のものだ。
そして、それは美少女ゲームという箱庭であっても同じことではないだろうか。物語の終焉が箱庭の終焉なのだろうか?物語の幕が閉じたらそこにいた彼らの意志は消えてしまうのだろうか?…自分はそうではないと信じている。
全ての鍵を使用し最後に辿り着いた霧架エンドの章タイトルは「全ての終わりとそして始まり」。確かに物語はここで終わる。だけど彼らにとってそれは始まりでもあり、ここで終わってしまうものではない。自律した箱庭は創作者の手を離れても生き続けるのだ。
これこそが本作が伝える箱庭ロジック(The logic of the miniature garden)なのではないかと思う。