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okjさんの大図書館の羊飼い a good librarian like a good shepherdの長文感想

ユーザー
okj
ゲーム
大図書館の羊飼い a good librarian like a good shepherd
ブランド
AUGUST
得点
85
参照数
4769

一言コメント

親指と人差し指を広げて、くぱぁ。『大図書館』は羊飼いによってくぱぁされた作品なのだぁ!

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

もし魔法の図書館が電子図書館だったら本は紙媒体ではなく電子書籍になるはず。となると羊飼いが玉藻ちゃんや佳奈すけや千莉ちゃんたちを調べるときに表紙にある彼女たちの画像を、くぱぁ!くぱぁ!くぱぁ!しちゃってるってことに、ナンテコッタイ!!

彼女たちの大事なところに親指と人差し指を押しつけて、くぱぁですよ!全くもってうらやまけしからん話になる最悪の事態が避けられたのは本のおかげである。本バンザイ!紙最高~!!作中で主人公である京太郎も言っていたように本は香り(普通はにおいだよね)や手触りなど五感で楽しめるのがいいですよね~。えっ、味覚?それは言わないお約束(ペロペロしちゃう?)

誰得な話かもしれないけれど一応くぱぁされたことについての説明をしますね~。でも超ネタバレになってしまうのでプレイ予定の方は演出の話がでたらすぐに逃げて下さい、お願いしま~す。(ところで今くぱぁ何回目だっけ?罰ゲームで最低15回は使わないといけないんだよね。)

まずは『大図書館』の演出に関するお話。過去のオーガスト作品と比較して一番目に見える変化は演出面だと思う。光を意識した背景・立ち絵CG、豊富な種類の漫符やカットイン、ボケ味などによる演出は素晴らしい。ただシステムの一部に強い不満を感じたので演出としての加点評価はしていません。不満はすばりフェイスウィンドウ!背景・立ち絵CGがいいだけにある演出をしたときフェイスウィンドウの存在がせっかくのシーンを台無しにしているのだ。

ある演出とは……立ち絵にくぱぁである。具体的な例としてトゥルールートと呼ばれている中の一つ、つぐみルートの終盤に会長選が終了して自宅にもどる京太郎。つぐみからのメールをもらい駅前で会って話をしてから住宅地に移動した後のシーンで立ち絵にくぱぁする演出が何度も使われる。

つぐみが京太郎から好きだと告白された直後のセリフ。『筧くんの家に走っていったときのこと、わたし、あんまり覚えてないの』このセリフと同時に立ち絵のつぐみはくぱぁされ、頬は涙が流れているのだけど、フェイスウィンドウ上のつぐみはセリフに伴って表情が3種類変化するがどの表情でも涙を流してはいない。立ち絵とフェイスウィンドウが喧嘩しちゃってますよ~。せっかくの演出がもったいない……。

もともと立ち絵にくぱぁする時はユーザーの目線をくぱぁした立ち絵に注目させたいわけで、フェイスウィンドウは不要だと思う。先ほどの告白シーンで画面に表示されているのはつぐみの鼻下からバストまでの部分。あえてつぐみの目を画面外にしたのは、つぐみに手を握られて照れくさい気持ちや泣いているつぐみを直視できない京太郎の感情などを想像させるためだと思うので、このときに表示されるフェイスウィンドウははっきり言っちゃうと、邪魔だよねっ!

オーガストのフェイスウィンドウはメッセージウィンドウからはみ出ている豪華仕様なので余計そう感じるのかもしれない。さらに言えば現在のオーガストのような立ち絵の演出だったらフェイスウィンドウは無い方がスッキリしていいと思う。立ち絵CGとフェイスウィンドウの表情を同調させることに意味があるのかなぁ?立ち絵でなく1枚絵でCG中にいない人物がしゃべるときはフェイスウィンドウの価値はあると思うけど……。ADVより立ち絵の演出の少ないRPGやSLGの方がテンポアップにもつながるしフェイスウィンドウの必要性は高いと思う。

さて本題のシナリオですが、大図書館のシナリオ構成は大きく分けると2段階分岐構造になっている。1段階目はつぐみ・玉藻・佳奈・千莉ルートと初回ルートロックされている誰とも恋人にならないルートの5つ。※正確にはつぐみ・佳奈・千莉ルートはサブヒロインとの小分岐があります。(つぐみor真帆、佳奈or紗弓実、千莉or水結)誰とも恋人とならないルート(一部でトゥルー呼ばれているルート)から派生したのが2段階目で、つぐみ・玉藻・佳奈・千莉と凪の5つに分岐します。

よく聞く不満は凪以外(図書部ヒロインたち)のトゥルールートでほとんど共通の内容が多くシーンスキップもないため繰り返しプレイがつらいところだ。確かに私もそうだった。ユーザーには少々苦痛であったが、つぐみ・玉藻・佳奈・千莉の誰を選択してもあまり変わらない過程を示すことに意義があったのではないだろうか。

大図書館の表主人公は筧京太郎であり、裏主人公は京太郎を見守る羊飼いナナイである。大図書館のエンドはどのルートでも京太郎は羊飼いにはならない。そして必ず誰かと恋人になりエンドを迎える。バッドエンドはないし京太郎が羊飼いになることはない。それは何故か?

家族を幸せにしたくて羊飼いになったナナイ。京太郎の子供の頃に渡した栞(魔法の図書館にあったナナイ自身の本の欠片)に文字が書かれていることから、少なくとも記憶の一部は失っていないと推測できる。(羊飼いになったナナイが自分の本を焼く前に大事なところだけを切り取った?)またナナイの行動(京太郎の前で歩く姿を見せないこと等)から京太郎が自分の息子であることは知っていたはずだ。京太郎を幸せに導きたいと願うナナイは魔法の図書館で京太郎の本を見たことだろう。そして知ることになる、京太郎が羊飼いにならない未来の方がより幸せになることを。

ある時点における京太郎の未来がAからZまであるとして半分のA~Mを羊飼いにならない未来としN~Zまでを羊飼いになる未来と仮定する。

★イメージ図
ABCDEFGHIJKLM(境界線)NOPQRSTUVWXYZ
(羊飼いにならない)       (羊飼いになる)



                ↑
              京太郎

時間が経過することによって京太郎はA~Zの未来に近づいていく。直前での京太郎の場所がA~Hしか選べないのなら羊飼いにはならないし、J~Qまで選択できるなら羊飼いになる/ならないは五分五分である。逆にS~Zしか選べない場所なら羊飼いになる未来しかないのだ。であるならば、ナナイは京太郎が羊飼いにならない未来しか選べない絶対安全領域に導けばいいのだ。

だがこのイメージ図には大きな間違いが少なくとも二つある。一つは羊飼いになる/ならない確率はきれいな五分五分ではないし、もう一つは実際のフローチャート図では羊飼いになる/ならない未来はごちゃ混ぜになっているからである。残念ながら絶対安全領域なんて存在しないのだ……。

ただ本に書かれているフローチャート図を見ると羊飼いにならない確率の一番高い場所は存在する。ナナイは京太郎をそこに導くために子供の頃の京太郎にキーアイテムの栞を渡し、さらに不安要素をなくすために羊飼いの試験監督という立場を利用して羊飼い見習いの凪に京太郎を監視させたのだ。キーパーソン凪の行動によって図書部という頼もしい味方が誕生することを知っていたから……。これで大部分の不安要素は消え、あとはナナイ自らの手でサポートしてやれば京太郎が羊飼いにならない未来に導けるはず。

『大図書館』は羊飼いナナイの導きにより京太郎のフローチャート全体図をくぱぁした京太郎が羊飼いにならない未来だけを取り出した物語である。だから羊飼いになるエンドもバッドエンドも存在しない。京太郎が羊飼いにならない未来の必要条件は図書部が存在することである。そしてある時点で京太郎が誰かを好きになっていれば羊飼いにならない未来が確定するので、導きの役目を終えたナナイは強制的に栞を紛失させる。(この時京太郎が好きになる人は、つぐみ・玉藻・佳奈・千莉・真帆・紗弓実・水結の7人)おそらく栞を紛失させたのは栞が京太郎の手元にあると羊飼いになる未来が残ってしまう為だと推測される。これが通常ルート(1段階目)である。

ある時点で誰にも好意を抱いていない場合トゥルールート(2段階目)に進む。こちらのルートに来た場合、1段階目と比較すると目的地にたどり着く時間は少なくなっている。その影響か京太郎が羊飼いにならない未来に導くためには京太郎が凪を好きになるか、図書部ヒロイン(つぐみ・玉藻・佳奈・千莉)の誰かが羊飼いになろうとする京太郎を止める未来しか残されていなかったようだ。羊飼いになる/ならない未来が決定されるまでに図書部ヒロインの誰かと恋人になることができない(時間的余裕がない)ため、ヒロイン側が京太郎を止めなければいけなかった。凪だけは例外で過去のイベントというアドバンテージがあるため、残された時間でも京太郎と恋人になれたのだ。

図書部ヒロイン(つぐみ・玉藻・佳奈・千莉)のトゥルールートがほとんど同じ過程をたどるのは、京太郎が羊飼いにならない未来こそナナイの最終目的地だったからである。ナナイにとって京太郎が好きになるヒロインは誰でもいいのだ。それは京太郎自身(ユーザー)が決めること。誰と恋人になっても幸せな未来につながるはずだから……。京太郎が学園生活を楽しんでくれれば、それだけで十分なのだ。

家族を捨てたことは許されない、だがどんなに嫌われても京太郎を幸せにしたいというナナイの気持ちだけは信じてやりたい。人ならざる羊飼い。人と一緒に生きることはできないけど、そばで見守りつづけることはできるのだから。