エロコメディの傑作の一つ。「萌え」と「エロ」を主軸にすえながら「シナリオ」を損なわず、「エロ」によって「キャラクター」を表現しきった素晴らしい作品だと思います。
プレイしてから少し時間がたってから書いているので、少しテキストに対してうろ覚えなところがあるのをご容赦ください。
自分は体験版至上主義で、本作もきっちり体験版からプレイして、本編をプレイさせていただきました。
はじめの興味は絵が好きでプレイし始めたのですが、意外にもこの手のエロコメディものでしっかりとしたテキストを書かれていたので、結構に期待しました。そしてそれは、まったく裏切られることなく、予想をゆうに超える作品でした。
物語冒頭からとにかく目を引くのは、センターヒロイン?である朝比奈さんの「常軌を逸しつつあるストーカーっぷり」であり、そしてその「行動力」であり、彼女の「ヤバさ」によってとにかくこの作品は普通じゃないぞ……という期待を抱かせます。
作品全体を覆っているのは割と凡庸な感じのキャラゲー臭ですが、とにかくこの朝比奈というヒロインが「あぶのーまる」をけん引していく。
……というのは、きっと誰しもが思ったことだと思います。
自分がすごいな、と思ったのは、本作の主人公のクオリティです。
ぶっちゃけ、本作の主人公が叩かれている理由もなんとなくわかります。時折フィクションラインのとても高い、つまり「キャラクターとして嘘のような台詞を吐く」ことは何度かありましたし、ルートごとによって多少態度が異なるのも気になるところだとは思います。
が、です。
『あぶのーまるらばーず』における【ウリ】である、アブノーマルという要素。
実は、これを作中世界で規定するのはかなり難しく、つまりは例えば「オナニー狂いのドMのねえさん」という文字列は、ぶっちゃけたところ、性癖の飽和した今の時代、アブノーマルとして捉えることはすでに難しいと考えられます。
なぜか?
エロゲにおける、アブノーマルという要素は非常に「フィクションライン」が高いからです。
つまり、「オナニー狂いのドMのねえさん」は可愛いのか?可愛くないのか?という話をしたとき、「主人公のことを思ってオナニーしてるえっちなおねえさんはかわいい!!!!」というのが一般的な「性癖」の話で、これはかなーーーーりデフォルメ化された認識である、と言えると思います。
まあ、恋愛の延長線上でそうなるのはいいですが、いかんせん本作のねえさんは「緊縛趣向」なうえに、生徒会長できっちりしている人で……という真面目なキャラの前提があったうえでの話なので、ちょっとズレはしますが。
ただ、ここで重要になるのが主人公の反応です。
自分が慕っていた姉が、実は緊縛趣味のドMで、夜な夜な自分で身体を縛ってオナニーしていた…………
どう、思うでしょうか。
ここで、悶々としてどうしようか迷ったり、なんならちょっとそのせいで気になっちゃう……と思うが、フィクションラインの高い主人公です。汎用的なエロゲの主人公と言えるでしょう。
ですが、『あぶのーまるらばーず』の主人公は、
「怖い」
という感情をあらわにしました。
朝比奈さんのストーカー行為に対しても、まったく良い感情を持っていません。
何なら彼は、朝比奈ルートでは彼女に対して「怒る」ことさえします。
説教じゃないんです。怒るんです。はっきりと。
この、ヒロイン勢のフィクションライン高めの「エロコメディ的アプローチ」に対して、主人公が取る反応は非常にフィクションラインが低い、つまりは「現実的な反応をする」のがあぶのーまるらばーずの素晴らしいところだと思います。
これによりどういうことになるのかと言うと、先述した「アブノーマル」という【ウリ】が、いわゆるエロキャラゲーの「汎用的要素」ではなく、「アブノーマルをテーマとして扱った、一本筋の通ったエロキャラゲー」として本作が降臨するに至ったわけです。
いや、朝比奈さん可愛いけど、怖いでしょ?????????
という領域に、読者の意識を持って行ったわけです。
恐ろしいことに、この前提だけでは飽き足らず、朝比奈ルートでは彼女のサイコパス的思考の本質にまでせまるストーリーが展開され、
「ストーカーってどういう思考でそんなことしているの??」
という疑問への一つの答えさえ見た気がします。
普段なら「エロキャラゲーは可愛い女の子が見たいだけだからシリアスいらねえよ!!」みたいな感想も沸いてきそうなものですが、主人公のこのフィクションラインの低さが、彼女のシナリオを良質なものへと仕立て上げていったのかな、とも思いました。
ルートごとの簡単な感想。
●朝比奈ルート
上記の要素から、とにかくオリジナリティの高い作品。ガチストーカーの朝比奈さんの苦難の道が描かれる。
ほんもののサイコパスで、ぶっちゃけ作品が変わっていればヤバイやつとして描かれていてもおかしくないレベル。
ただ、このルートが「エロコメディ」で読めたことがとにかく重要なことで、
「特殊なキャラが出る」「そのキャラの本質に迫る」ことをしながら「エロエロでデレデレ!!!」なキャラゲー要素を完全に満たしていた、ハイブリット感がヤバい。
これは本当に簡単にできることではなく、言えば、「セールスポイントを確保し、それを作中でちゃんと期待値を満たしながら、キャラクターのシリアスもちゃんと書ききるよ?」というもので。
え、それって完ぺきな「面白いシナリオ」じゃないですか。
中盤のストーカー返しによる恋愛マッチポンプに関しては、なぜか主人公からの弁明も謝罪もなかったので非常にもやもやするものの、その他は水準以上。
解決の仕方も妙に中庸的で、お互いの「中間点」を探っているようなシナリオ運びは見事の一言。
これで朝比奈が改心したらまたフィクションラインが高まるので、よく我慢して「朝比奈」というキャラクターを描き切ったな、と素直に感心します。すげえやこいつは。まじで。
●姫兎ルート
実はもうあんまり覚えていないのですが、感想としては「そこまででも?」というわけでもなく、「いや、なんだかんだ良かったわ」くらいだったと思います。
彼女、あぶのーまるらばーずの中でも最も「アブノーマル」な部分が存在せず、彼女が一番「変化」を余儀なくされたキャラクターだったのかな、と。
本編でも語られますが、姫兎は幼馴染という立場に割と甘えている節があり、それが朝比奈と鏑木の参戦によって揺るがされていきます。
そして、これはライターのメタ的発言でもあるのかな?と邪推もしましたが、「一番自分がなにもないから」と姫兎自身が語っており、そのため「攻め」に行かざるを得なくなった、というルートになっています。
「本気で主人公を取りに行きたいのならば、戦わなければならない」
このことを姫兎は自覚したわけです。
このある種の成長を「良し」とするか「悪し」とするかは個人差があると思いますが、自分はよかったと思います。
まあただ、それが「ベスト」な書かれ方をしたかのと問われればちょっと疑問は残るので、やはり印象としてはあんまり覚えていないんですが、、、、
●暁乃ルート
用意された題材を、ただただ丁寧に料理すること。
彼女のルートに求められたのはそれだけで、そして満たされていたと思います。
小さなシリアスが基盤を支えていることは大前提ですが、彼女のルートがエロを優先して進行するのは誰の目が見ても明らかで、あとはその「質」が問われていた感じはします。
完全に好みの問題でしかありませんし、ライターさんのことはよくわかりませんが、「熱意」は凄かったように思います。とにかく「調教」に対して、甘えが見られない。
モノホンの調教ist様から見るとどう映るのかはわかりませんが、エロシーンの運びかたにおいて「もっとやってくれればよかったのに!!」という不満はまったくなく、「おぉ、焦らしに焦らしおった……」と感心したものです。
シナリオの基盤を支えていたものもちょい狂気的で、彼女の「縛られる」とは、肉体的なことでもあり、また精神的なことでもあった、というのは本来「シリアス」な設定になりがちですが、これが「気持ちいい」に変換されてしまった暁乃は、本物の「アブノーマル」と言えると思います。
このタイプの「本来であればシリアスであったもの」を「コメディ」に変換してしまう技術というのは、エロゲ業界にとても大切な技術だと思うので、本作のライター陣はみんな頑張ってほしいです。
●鏑木ルート
もっとも「こいつ、どうするんだ???」と不安に駆られたルート。
結果的にはもっとも「安定感のあるルート」を読まされました。正直びっくりしました。
鏑木ルートのうまさというのは、共通ルートにおける鏑木はぶっちゃけまったく可愛くなく(主観ですが)、ほかのアブノーマル陣営と比べて「音」という要素は非常にビジュアル化しづらい上に可愛さに直結する案が難しい話で、これをどーするのか?といった疑問に対して、
「主人公のケツを夜這いで狙いに来た」
というぶっ飛んだ回答と、さらなる疑問をぶつけてきた構成だと思います。
これは単純に絵面のインパクトがヤバいというのもありますが、「鏑木という、唯一アプローチしてこなかったキャラ」が思いもよらぬアプローチをかけてきたことと、「そもそも、どういう目的でケツ狙いにきたんやおまえ」という疑問が浮かび上がることです。
主人公が好きだからケツ狙いにきた???そんなわけあるかい!!!!!
読者と主人公がリンクするのも面白く、鏑木が何を考えているのか、読者にもぶっちゃけわからない。
これがだんだんと理解できていく、何なら鏑木にさえ分からなかったその行動の真意が見えてくる、それが非常に面白く書かれていたルートだと思います。
夜這いした上に断られて泣き始めたあのシーンで、「自分でもよくわからない」と口にした鏑木の「本気さ」はなかなか心に来るものがあり、鏑木の株はぎゅんぎゅん上がっていってました。
音、ということに関しても、単に「音」ではなく、その場の空気感というか、雰囲気というか、そういうものを漠然と感じること、というものへ変換して捉えていたのは印象が良いです。
総合すると、褒めるところがとにかく多く、キャラクターの内面性に迫ったシナリオを構築しながら、「アブノーマル」という企画をおじゃんにしない作品全体の質は、傑作と呼ぶにふさわしいと思います。
非常に多くのキャラゲーにみられるのですが、「メインプロット」、つまり作中における「事件」や「出来事」によって物語を進行すると、どうしてもキャラの内面に迫れず、「かわいい」シーンと「面白いことをしている」シーンが別のものになりがちです。
個人的にはキャラゲーの理想は「キャラクター」を描くことであり、「事件を解決すること」ではないため、そういう意味で見ても本作は良質なキャラゲーであるといっていいと思います。
エロゲって、こういうのでええんやで。