断言する。私が2010年12月にプレィした作品の中でこの作品は‘いちばん’だ。
「いちばん」という言葉の意味って結局そういうことなんだと思う。
たとえば、「君のことを世界でいちばん愛してる」って言うけども、
じゃあ、世界中の人を全員見てきて、
そのうえで判断しているわけではたぶんない。
それが悪いのではなく、自分が知っている世界で「いちばん」なんだからいいと思う。
ただ、このあたりから見えてくるのは、
「いちばん」ということがミクロ的な意味だということ。
世界でいちばん、がつくともっとその視点はミクロになっていく。
そして「いちばん」という言葉はとても主観的な言葉だとも思う。
だれにとっても「いちばん」であるものはそう多くない(個人的にはないと思う)
ナンバワンじゃなくてオンリィワンでいいじゃん、という歌があったが、
オンリィワンこそが、ナンバワンなのでは?
主観的にオンリィワンになることこそ、価値がある。
なぜならそれが本質的なナンバワンだから。
「世界でいちばん」というのは、つまるところ
どこかのだれかのオンリィワンなんだと受け取ることができる。
ということで、タイトルについて考えてみました。
本編が最高なのは、もういいでしょ。
ドラマ化、なんかこの作品をなにひとつほめてないよ。
ということで、何故こんなタイトルなのでしょうか・・・
さてさて、ではこのお話をみてみよう。
「世界でいちばんNGな恋」
この作品で表現されている話が、誰の目から見てどうNGなのか、
というのは、実は明記されてない。
(実は麻美がミトコの話のラストで言うけど、
この作品の本質が麻美の目から見て、ミトコの恋が
「世界でいちばんNG」であることには違和感を覚える。
というのも、麻美は脇役だから。
主観者は主役でしかあり得ない。つまるところ、
ミトコルートの主観者はオサムかミトコでなくてはならない。ユーザでもいいけど。
オンリィワンでないならば、その言葉には重さがない。よって彼女の言葉は
このタイトルになるまでの言葉かというと違和感がある。)
じゃあ、誰の視点でどの恋が「世界でいちばんNG」なんだろう。
一般的な解釈をするなら、ミトコの恋こそNGでしょう。
年の差だけじゃない、明らかな年齢的な問題。社会的には間違いなくNG
(麻美が言うのもここでしょう)
しかし、「世界でいちばん」だといえるのか?
いけないけど、社会を見ればあるでしょ。それは。
ミトコ、オサムどちらの視点で物語を振り返っても、NGだとは言うが、
「世界でいちばん」かと言われるとどうなのか。
先ほどの「世界でいちばん」の定義通り、それをオンリィワンだと考えるのならば、
このセンはなさそうな気がする・・・
じゃあ、麻美?
すれ違う2人の気持ち。
お互いがいろいろなものに縛られている恋愛。
愛する人に身を引かれ、背中を押させてしまう恋。
なるほど。これはオンリィワン的に「世界でいちばん」かもしれない。
いやいや、しかしちょっと待て。
この二人は、これまでの道のりに後悔していない。
それは描写されているので、このセンもなさそう。
オサムももちろん同様で。
姫緒はどうか。
これはNGじゃないでしょ。
まぁ強いて言えば身分違いの恋かな。
人によっては抵抗を感じる人もいるのかもね。
主に上の階級にいる人たちはね。
でも、一般的にはナシ。
最後は夏夜。
これはNGかもね。このルートオサムのNGさが際だつ。
あの嵐の夜の選択は、もう人としてNGでしょ。
いろいろなものをカヤには捨てさせて、
その恩恵のすべてを与るオサム。たしかにちょっとNGかもね。
けど、ここで考えなければいけないのは主観性。
この2人はどう考えても幸せなんだよ。
それを考えると、オンリィワン的なNGさと言うには弱い。
あれ?ないじゃん。NGな恋が・・・
一応考えるべきなのは、主観者がユーザである場合。
でもこれもナシだと判断していいでしょ。
だってどこもNGじゃないもん。むしろスゲェアリ!って感じ。
さらに、佐藤氏とホノカさんの恋はどうか?
いや、これは恋ではないので却下。
主観者をホノカさんにおいても、これと同じレベルでの恋愛を
たくさんしてきているらしいことは伺えるのでナシ。
おいおい、じゃあこのタイトルは何なんだ!?
どこもNGじゃないじゃんか。
って考えたときに思い当たるのが、
このタイトルって内容を表現してないんじゃないの?っていう疑い。
この作品に描かれている恋で「世界でいちばんNGな恋」なんてない。
じゃあ、なんでそんなタイトルをつけたのか。
あえてタイトルと内容をあわないようにすることの意図とは?
考えられるのは先入観を利用する、ということ。
これから自分が読むのは、NGな恋の話なんだなぁ、と思って読んでもらうこと。
読んでみると、確かに主人公はNGな人。
なるほどね、と。コイツの恋だから、NGなのか、と納得する。
しかし、このオサムという男。化ける。
かっこいいんだよね。本質的には。ぜんぜんNGじゃない。
大切な人のために、がんばれる人間ってそう多くない。
受けた恩義に報いようとする人なんてそう多くない。
つまり、このタイトルが機能しているのは序盤の序盤、ほんの一瞬だけなのだ。
この主人公、オサムがいかにNGな人間であるかをプレィ前から印象づける。
そのためだけにこのタイトルを付けたのではなかろうか?
この話のキィはNGなオサムを再生させるけなげなヒロインたちの存在の「描写」
オサムは立ち直る必要があったのだ。
そして立ち直る前の挫折は深ければ深いほどいい。
その方がヒロインが際だつから。
じゃあどうすれば、深く沈んでくれるのか。
設定?性格?もちろん大切。だけど、限界まで落とすためには他にどんな手がある?
って考えたときに、じゃあタイトルも使っちゃうか。
っていう展開があったんじゃないのかな。
そういう意味で、この「世界でいちばんNGな恋」というのは実態なきタイトルだといえる。
そして、オサムのNGさを表現するためのトリック的なタイトルだったのだと思う。