ハイファンタジィを日常でデコレーションした物語。夏らしく、軽やかでキラキラに光るそれは、どこまでも透き通る。
この作品はテンポがすごくいい。
それは多分エピソードの間につなぎの描写を一切入れないから。
「そこ切っちゃうんだ」ってくらいバッサリ描写を省いてくる。
そのおかげで、まったくだれない。
連作短編を読むように、スピーディ。
この会社は総じてそうだけど、とりわけこの作品はその傾向が強い。
このコンパクトさは大きな武器。
キャラクタ。
委員長がいい。あーゆー真面目なんだけど、うまくいかない。
みたいなキャラクタには毎回やられる。
あの健気さが素敵。ついつい困らせたくなるのはわかる。
とてもかわいかった。
さて、面白かったのを前提にして以下面白くなかったところ。
(ネタばれ気味)
鈴の話で気に入らなかったところ
実にアンフェア。
いや、アンフェアだって面白ければ文句はないけど、
いかんせん面白くない。
長くは書かないけど、先天的な問題をポンってだして
それを散々重く重く(多少オーバか)描いといて、
ポンって終わるのはどーなんだ。
ポンっていくのはいいんだけど、そういくんであれば、
もう少し重い描写を省いてほしかったなぁ。
小羽の話で気に入らなかったところ
彼女のルート後半で
彼女が天使であることへの反発がある。
そこで主人公は「小羽のことを何も知らないくせに」と
一般の生徒(語弊がある表現かな)を非難する。
でも、これはどうだろう。
何も知らなかったら悪く言ったらいけないか?
むしろ知らないからこそ、悪口って出てくるものなんじゃないか?
さらに言えばかの悪口は小羽の一面を間違いなく捉えてるわけで
その部分を見ずに、ただ自分の価値観のみに基ずく主人公の発言はいかがなものだろう。
だいたい小羽と実際に付き合えば、彼女を嫌うはずがない、
的なスタンスも大いに気に入らない。
(もちろん主人公の心情として理解できる範囲ではあるけれど)
そして、さらにこの《知らないものは悪》という批判は続く。
裁判後、重久が「(小羽を知らない外野は)壇上に上がる勇気がない。」
という旨の発言をする。
彼にしては人のことを考えない無責任なセリフのように感じられる。
ここで大切なのは、小羽との親交のあるもの、ないもの
という明確な線引きがあることだ。
小羽と実際に仲のいい人間が真っ先に壇上で演説をした後、
本人をたいして知らない人間が、どうして壇上にあがれようか。
ここで壇上に上がり、演説のできるような人間に、小羽の悪口をともに言い合えるような友達はいないだろう(遠まわしすぎる表現か)。
人の悪口というのは、実際のところとても盛り上がる。
ただ、仲間の悪口だけは言うべきではないだろう。
なぜなら仲間だからだ。仲間というのはそういうものだと思う。
生徒会や主人公をはじめとする生徒も仲間だから彼女をかばった。
これはとても真っ当で美しいことだけど、仲間でない、つまり
小羽から距離が遠い人が彼女の悪口を言うのもまた真っ当のように思える。
自分の気に入らない人とは付き合わなければいい(それができなければそれに準ずる対応をすればいい。怒るだけ無駄だ)し、
距離が遠い人なら、悪口で盛り上がるのもいいだろう。
詰まるところ、この話では「小羽と親交がない」というだけで
生徒を悪者に仕立て上げるのだ。
個人ユーザとしては、小羽はすごく好感がもてるが、
この描写をされては他の生徒があまりに不憫だ。
まったく余分なおまけ。
天使が普通にいる世界。
この話の中心は実はこの世界観そのものなのかな、とも思う。
この作品の中では、そう大きく語られなかったけど、
この「天使」っていう存在は、自分以外の人間のメタファーか。
天使が実際にいるわけではないけど、この作品内で語られる
天使とそうでない人の差は現実に還元できる範囲のものかと思う。
作品内で天使が差別されるのをみると、嫌悪するけど
自分がそれをしていないかと問われると、ちょっと考えてしまう。
何も進んで天使と仲良くなろうとはしなくても、
近寄ってくるのを邪険にするのだけはやめようと思った。
余談だが、鈴の影響でナボコフの「ロリータ」読んでみた。
最高にクールな小説だった。