「生まれ変わっても君と結婚したい」っていう科白が、すごく寂しい科白の様に思える。(長文はネタばれなし、プレィ済み前提で)
行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。
時代はずっと流れるけど、時代を構成する人間は一人ひとりぜんぜん違う。
もし昔の自分が今に生まれても、かつて好きだった人を好きに
なることはないだろうなぁ、と思った。
自分を構成するのは、器や魂だけじゃなく、他にもさまざまな要素がある。
そんな中で、思いが時を超えることはたぶんない。
それは、「思い」というものがそのときの自分で完結するから。
自分を構成する要素が時代ごとに変わるから、思いの方向ももちろん変わる。
でもそれは「思いが軽い」ということでは全くなくて、むしろその逆。
自分に対して誠実であればあるほど、「思いの方向」には敏感になる。