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nezumoさんの恋×シンアイ彼女の長文感想

ユーザー
nezumo
ゲーム
恋×シンアイ彼女
ブランド
Us:track
得点
97
参照数
5195

一言コメント

新堂彩音

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

恋が芽生える瞬間は分からない。恋というものは、気が付いたら心の内にあるものである。
それを思考錯誤して、本当に恋心かどうかを判断する。それが、青春という作業である。

同時に、失恋というものは、唐突に起こるものである。
ラブレターを渡して返事が返ってきて振られて失恋することもあれば、そもそも返事が返ってこないという形で失恋することもある。
どちらかというと、後者の方が辛いと思う。自分の問いかけに対して是か非で答えてくれればいいものを、そもそも答えすら帰ってこないというのは、非常に酷な話だ。
そんな回答をもらってしまった暁には、そもそも恋というものがどういうものだったのか分からなくなる。
自分は本当に恋をしていたのか、そもそもそれは本当に恋だったのか。
恋が書けなくなる。恋が分からない、恋を見失ってしまったということだから。
だが恋を探すことはできる。恋×シンアイ彼女は、主人公が恋を探すという所から始まる。
それに対してどういう結論を出すかは、それぞれの√で異なっている。主人公がどういう結論を出すとも、それが恋というものに対する結論なら、それでいい。


ゆい√


この√はこの作品の中でも少し気色が違っていた。
というか、やっぱり全然違う。
他のヒロインは基本的に、一緒にいる中で恋人としての関係を育んでいく。
それがどういう形かは勿論違う。ある時はドラマチックだったり、ある時は現実味を帯びていたり。

ゆいはそれなりに一途な女の子である。
一緒にいる中で恋心が成長していく…ということもなく、どちらかというと、出会ってから少しで恋に落ち、積極的にアプローチをかけてくるタイプ。
勿論主人公は気づかない。鈍感なのではなく、恋というものを見失ってしまったから。
だから、言われて初めて気が付く。好きですと告白されて、そこから考える。
ずっと一緒にいたこと、なんだかんだで気にかけてきたこと、そういうことを思い出しながら、これが恋心なんじゃないかなって気づく。

けど、そんなこと以上にゆい√で心に響いてきたのが、ゆいが非常に一生懸命であるということ。
花壇の取り壊しが決まってから、必死にゆいは考え、自分で行動した。自分で署名を集め、その間も他の策を考え、また、花壇の世話も怠らない。
母親から受け継いだ花壇である以上に、ゆいはこの花壇が好きなのである。
作中の言葉を借りるならば、「ただ好きなのではなく、三度の飯よりも好きで、息を吸うように好きなもの」
ゆいは無意識のうちに、花壇をそのくらい好きになっていた。花壇のために、出来ることをした。

勿論結果はダメだった。でも最後まで花に水を上げ続けた。それが最後に自分がするべきことだから。
ゆいは最後まで一生懸命だったと思う。勿論、花壇がなくなるからといって、花が全てなくなるわけではないし、また新しく始めればいい。
でも思い出の場所は、新しいものでも、似たものでもない。それしかないから思い出の場所なのであり、それがなくなることを思って、ゆいは泣いた。
ゆいの涙は非常に美しかった。一生懸命同じ場所を守ってきたこと、そしてその場所に対する感謝の気持ち、そういうのもすべてひっくるめて、あの涙には大きな意味があったと思う。

とは言っても理性的に見れば非常に素晴らしいドラマに見えるけれど、自分はあまり感傷的になることはなかった。
一番には、やっぱりゆいというキャラクターがそれほど好きではなかったということ。
共通パートをプレイするに、やはり星奏と彩音に目が行ってしまうし、特に彩音のエピソードはこのあたりから非常に気になっていた。
でもこの√の妹は本当にいい働きをしていた。ゆいの恋を後押ししたり、相談に乗ったり、そういうのが友達なんだって、上手く言い表せないけれど、良く感じることができた。


凛香√


一見何でもできるように見える、「この人ならなんでも知っている」を感じるような人は、意外と素朴な悩みを持っていたりする。
むしろ、その悩みを解決するために何でもできるような振る舞いをする。
人間だからなんでも出来るわけじゃない。けど、目立つことで得られるものはある。そうやって人に注目してもらって、自分を満たそうとする。
別に注目を浴びることも、自分を満たすことも悪いことじゃない。
ただ、そういう人は、少し踏み込まれた時に、どうしていいか分からなくなってしまったりする。

凛香の人間像は、大体こんな感じだ。
仲間を頼るという感覚が分からない、応援されているという感覚が分からない、でも何らかの成果を出さなければならない、自分が注目されたいから。
だから、他人に深く踏み込まれるのが「怖い」のだと思う。信用した他人なら話は別かもしれないが、それが出来るなら、仲間は皆信用できる。
他人に深く踏み込まれたくないから、自分を精一杯出すことができない。必ずどこかで疑って生きている。生徒会長の凛香は、そういうタイプの人間だった。

ただこれは主人公も同じである。
5年前の失敗を抱えた主人公は、どうしていいか分からない。深く踏み込まれることを恐れる凛香にどう接したらいいのか分からない。
過程はどうあれ、一度信じた恋を打ち砕かれてしまった主人公がもう一度踏み出すのはやっぱり「怖い」と思う。踏み出すのが怖い。でも、このままでは永遠に恋人になることができない。
心の中では通じ合っているはずなのに、お互いが何故か拒絶する。一歩踏み出すだけの勇気を、お互いが持たない。
気持ちを伝えるのって、難しい。自分の心は自分のものでしかないから、ちゃんと理解されるなんて限らない。だから、何を言っていいか分からない。

でも主人公は、最後には迷わなかった。決断した。
自分で成長したとも言えるし、凛香と話す中で成長したとも言える。自分の気持ちを伝えるのは難しいけれど、そんなことはもう考えなかったのだろう。
そうやって、似た者同士だった2人の関係が進展する。お互いに怯えて引いたままの関係は、どちらかが変えなければならない。
そして、踏み込むのが怖い主人公が、考えて考えて、やっぱり踏み込もうと決意する。そして、ようやく付き合い始める。

「俺も、同じこと思ってたかも。本当に付き合ってるって言っていいのかって」

それでも2人はやっぱり悩む。お互いが根っからそういう性格だから、告白という一大イベントを乗り越えた後でもそれは変わらない。
だからこそ、2人で手を取り合って、日常を謳歌していく。青春ってのはそういうものだろう。
早朝の電車に一緒に乗って寄り添ってみたり、犬の飼い主探しを手伝ってみたり、そういう恋人っぽいことをしながら、付き合うということを実感していく。
付き合うって、正直たいそうなものではない。いわばただの感覚で、口約束。
でもそうやって時間を共有しているうちに、お互いを知り、お互いがなくては存在になる。付き合うことが楽しくなってくる。恋の実感というのは、そういうものである。

髪留めの件とか、旧校舎の話とか、生徒会長の話とか、色々あったけれども、やはり2人が段々付き合うことを実感していくような日常会話に一番心を打たれた。
凛香√は、2人の「あと一歩の想い」から、付き合い始め、そして段々と恋を知っていくまでを丁寧に描いた、名作だと思う。


凛香√は、理性的に見ても感情的に見ても、やっぱり名作だった。
けれども、凛香と付き合い始めた後の、彩音の行動を表すたった一文のテキストが、そこから先の意識の半分を持って行ったのも事実であって、

「そればかりか、席についている間ずっと、新堂は窓の外を向いて俺の方を一度も見なかった。」

ずっとこれを引きずった。この一文に、彩音の想いの全てが含まれている。
主人公をおめでとうと祝福し、話聞かせてと迫る彩音も、悲しかった。普通科に戻ってきてもう一度主人公と出会って、友達みたいな関係に戻って、
けれども、結局主人公の隣にいるのは自分じゃなかった。予想通り自分じゃなかったって表現する方が正しいのかもしれないけど、このテキストを見てからずっと彩音が頭から離れなかった。
彩音を意識してこの作品をプレイするようになったのも、これが原因だと思う。
普段は明るくて、基本的に主人公を引っ張っていく立場の彩音も、失恋したときの強がりは、やっぱり女の子なんだなって。
そういう彩音の繊細さみたいなものを、もっと見てみたいと切実に思った最初だった。


彩音√


一言で言えば、本物だった。
自分がこの作品に求めていた、恋愛の姿だった。
多分これから色々な作品をプレイするにつれてこの作品を忘れそうになっても、これだけは絶対に忘れないと思う。
自分はこういうシナリオが好きで、絶対的にこういうシナリオを求めているんだなって、確信できた。
ポエム調で長々とくだらないこと書きますけど許してください。

彩音は、眩しかった。
これが初恋だってちゃんと考えて実感して、その後もずっと主人公のことを追い続ける。
普通科に戻ってくるとか、ラブレターが今更帰ってくるとか、文芸部に誘われるとか、色々あったけれど、絶対にチャンスを無駄にしないって決心して行動してる。
彩音がこの上なく輝いて見えた。彩音は自分が恋をしていることは絶対口には出さないけれど、恋愛に凄く一生懸命なんだって思った。
「彩音が一番報われないといけないし、主人公の隣にいないといけない」この時から自分は、こう考えるようになった。
だから、自分の中での正解は、彩音√しかあり得ない。言ってしまえば、新堂彩音に対する固執である。


「がんばるべき時にがんばらない人が、私は嫌いなんだ」

嫌いという気持ちは確かにマイナスの感情だが、裏を返せば興味が沸いてきたという意味でもある。
主人公の行動は確かに彩音には癪に障るし、コンクールに向けて一生懸命練習しようと頑張っている自分の嫌いな人の一人だった。
新堂彩音は他人に流されることが嫌いである。流れに身を任せたくない。やるならやれるだけやりたい。自分がやりたいことをしたい。
いや、やりたいことじゃなくてもいいのかもしれない。
頑張っても頑張らなくても、青春という時間は有限で、いつかそれを思い返す日が来る。
だったら一生懸命頑張った方が、ふと自分の青春を振り返った時、心地よく感じられるのではないか。そんなことを考えながら、彩音は生きている。

じゃあなんで主人公みたいな人を好きになったかというと、分からない。
ただ、あの時に大声で歌い始める主人公が滑稽だった。でもなんかかっこよかったし、気になった。気が付いたら恋をしていた。
彩音の言う「好き」って気持ちは、いつ芽生えてきたかなんて、自覚してないと思う。
自覚してないけど、気づいた時には既に好きだったし、その気持ちについてよく考えた。
考えて考えて、やっぱり主人公のことが好きだった。その気持ちはやっぱり気の迷いなんかじゃなくて、本当の恋心だった。

だから手紙を出した。だけど返事は来なかった。
読んで貰えたかどうかなんて分からないし、単に忘れてるだけかもしれない。
でも、返事が来ないということは、つまりはそういうことなんだなって、誰しも思ってしまうものである。
勝手に恋をして、勝手に失恋をした。これは、5年前に主人公が星奏に対して抱いていた感情と、全く同じ。

いわば彩音というキャラクターそのものが、主人公の投影でもある。
主人公の初恋の向かう先は星奏だったけれど、彩音の初恋の向かう先は主人公。ずっと初恋を引きずって、友達という関係を保って、割り切れないまま生きていく運命もある。

告白のシーンは、本当に輝いて見えた。
こんな言葉を繰り返して使うと非常に陳腐なものに見えてくるけれども、自分はこういう風にしか表現できない。
「私、ちゃんといっぱい考えて」「ちゃんとあなたが好きだった」
これが彩音が出した結論であり、2年間ずっと、初恋を自覚したその日から抱き続けてきた恋である。
言い方を変えると、「自分探し」 自分の知らない恋する自分を見つけて、その自分について必死に考える。そしてそれを自分として自覚する。
そして、「今回は待つから」とも同時に言う。あの時の後悔を繰り返さないために、自分に言い聞かせる意味も込めて。

告白された主人公も、主人公もちゃんと考えた。考えて考えて、考え抜く。
告白されたことには放心せざるを得ないし、でもすぐに答えなんて出すことができない。時間の経過は早く感じる。
真面目に答えたいから、真面目に考える。でもますます分からなくなる。

彩音は、なかなか返事が貰えないことが、とにかく辛い。
告白した相手と一緒に日直をするのも、気まずい。相手がどう思っているか分からない、いわば人生の境目で、迷っている主人公の姿を見続けるのが辛い。
それが、自分の大好きな日直のシーン。
「つらいよ」
その一言が、胸に突き刺さる。

だから書いてみる。とりあえず書いてみる。
すると途端に言葉が感情になる。モヤモヤと渦巻いていた感情が鮮明になっていく。好きという気持ちを自覚する。
伝えることは難しい。だから形から考えることもまた「自分探し」であるし、それから見つかる自分もいる。つまりはそういうことなのだと思う。
ちゃんと答えるということは、時間も必要だ。だから主人公は別にウジウジしていたわけでも、ヘタレなわけでもない。
ただ彩音に、自分の納得のいく形で、自分の気持ちを伝えたかっただけ。伝えることは難しいことだから、真面目に考えて、真面目に答えたかった。
物凄くロマンチックで、現実ではありえないような、でもどこかにありそうな物語だけれども、ただ一言綺麗だったと言いたい。
だから自分は、彩音を追いかけることをやめられない。

この先のことは、基本的に語るまでもない、いわば恋人として少しずつ恋を深めていく物語である。
凛香√と変わらない、付き合い始めの戸惑いから、一緒にいることの楽しさを感じるようになり、その一つ一つが思い出になっていく。
後半に行くにつれて展開の唐突さが見受けられる部分こそあるが、それも彩音が主人公と付き合う中でまたやりたいことを取り戻せたような気がして、ひとつの青春の在り方としての美しさを感じる。
学生時代だからこその思い出作りとか、それこそ頑張らないことはもっと恥ずかしいという台詞に繋がるような展開で、一日限りの夢のような出来事を、彩音は噛みしめることが出来たのだと思う。
いつまでも幸せそうな彩音を眺めていたいと思った。この作品は彩音がメインなんだなって、確信した。

ついでに捕捉すると、初体験の後の描写は本当に良かったと思う。

「でも今、彼女は確かに、俺に全てをさらけ出すような、無防備な笑顔を向けてくれている。」

焦らして焦らして焦らせれた初体験だったけれど、やっぱり彩音は嬉しくて、主人公も嬉しかった。
初体験を迎えて初めて、心の底から2人が繋がり合えたような気分になれる。
たとえ相手の全てを理解することが出来なくても、ちゃんと心も体も繋がってる。そんな風に実感する。繋がっているという実感が、安心させる。
この人になら自分の全てを見せてもいいかなって、そんなことを考えながら、どこまでも無防備になれる。
だから自分はこの初体験の後、感動した。彩音√は、エロシーンさえも物語の一部だった。


星奏√


彩音√を引きずって星奏√に突入したわけだが、この√はこの√でやりたいことは出来ていると思うし全然悪くないと思う。
ただ自分がこの√とtrue√をプレイして感じたことが、結局彩音に繋がってしまうのは、条理なのかもしれないけれど。


5年越しの告白を叶えて付き合い始める物語としては、あたかも王道で、そして理想的な√である。
ちなみに、この時の自分は星奏が手紙を読んでいないだけだと思っていたので、真面目な形で告白を受けるのは、これが初めてなのだという偏見があった。
終わってみれば実際はそんなことはなく、「読んで返事を返さなかった」という星奏の自分勝手な話だったが、これで星奏というキャラクターを掴めなくなってしまった。

音楽を取るか、恋愛を取るか。

作曲のことなんて何も知らないし、作曲家の気持ちも全く分からない。でも気の持ち方とか周囲の環境とか、そういうものが絶対的に大切なことは分かる。
音楽を作るということは、非常に繊細な作業で、かつ才能がいる。いくら努力したところで、天才的なフレーズが思いつかなければ、天才的な音楽家とは呼ばれない。
そして、音楽を作ることは、「楽しい」のだと思う。どう楽しいかは上手く説明できないが、とても大きな充実感があるのだと思う。

「ごめんなさい」

最後のこの言葉に込められた想いはなんだったのか。難しい。伝わってこない。だけど思考が混乱する程に色々思いついてしまう、そんな文字列である。
星奏は主人公を利用していた?作曲のヒントを探すためだけに戻ってきて、本当は恋なんてしていなかった?
そんなことはない。だったら星奏が真剣に悩むことはない。星奏は星奏なりに悩んで、こういう結論を出した。
ただ、この時点では何を悩んだのか分からないし、星奏というキャラクターがどんどん掴めなくなっていく。分からない。
気持ちと行動が全く釣り合っていない。歪んだ愛情なのか、それとも恋なんてしていなかったのか、本当の意味で音楽を選んだのか。

だからtrue√がなくてはならなかったし、true√がなければ、星奏というキャラクターは掴めない。いや、あっても掴めなかったけれど。
けれども、true√で報われて欲しいなんて思わなかった。
5年前に一度失恋し、5年越しの願いを叶え、ついに恋人関係となった人に、今度こそ本当に振られてしまう。
本当は必要だった。けれども振った。良い音楽は作れた。けど失った物もあった。これは星奏が本当の自分の気持ちを探しに行く物語なのかもしれない。

そしてここでも自分は、彩音に魅せられた。
星奏は彩音に付き合い始めたことを話す。ここでもやっぱり彩音は応援する。
辛かった。結局最後まで他のヒロインと付き合った時の彩音の本音を見ることは出来なかった。
心の内は辛いはずなのに、本音だけは絶対に言わなかった。でも、それも彩音というヒロインの姿である。仕方がない。


終章


主人公は小説を書く。いつもの如く、独りよがりの小説である。
アルファコロンの小説が何を意味しているかについては、自分は良く分からない。十中八九星奏のことではあろうが、具体的にどうかと言われたらやっぱりわからない。
でも星奏はその小説を読んでくれたし、面白いと言ってくれた。やはり主人公は星奏に尊敬されている。

3度目の告白、そして同棲。
ここまでは良かった。正直このまま結ばれてもいいのではないかと思った。これが本当に普通の等身大の恋愛物語ならば、ここで結ばれるのが順当なハッピーエンドである。
ここでのエロシーンで、いつも主人公のことを考えていたという台詞を目にすることができる。
これを見て正直安心したし、やっぱり振られてはいないんだなって思った。でもそれはあまりにも都合が良すぎる妄想だった。
音楽の為にいなくなって、音楽の為に主人公と恋愛をして、音楽の為に主人公の元を去ってしまうのか。
タチが悪いのは、恋愛自体は全くもって普通であるという点だ。ここでの普通というのは、「相思相愛である」ということである。

どうしてこのタイミングでいなくなってしまうのか、分からない。
結婚指輪を受け取ることなく、一言だけ残して去っていく様は、まさに学生時代の時と同じである。
ただ、今回違うのは、この先絶対に会うことはないという確信であり、指輪を受け取ってもらえないだろうなという確信が当たったことである。
別に主人公が何か悪いことをしたわけでもない。星奏のことはずっと好きで、ずっと追いかけてきた。追いかけてきたものが手に入りそうな、そんな瞬間だった。
そして、星奏が主人公を嫌いになったわけでもない。主人公の姿はずっと星奏の中でこれからも生き続ける。しかし良い曲はもう絶対に作れないのだろう。

星奏は自分が嫌いだと思う。そして、主人公にいつまでも憧れ続けていると思う。
それは才能だとか作曲だとかそういう次元の話ではなく、星奏が人生の中で、ずっと持っていた目標であり、憧れであった。
星奏は自分を表現することが苦手である。だから、小説という形で自分を表現する主人公を、羨ましく思う。
星奏には確かに音楽がある。けど音楽は違う。音楽は万人に伝えるものである。たった一人に届くことを想定した主人公の小説とは根本的に何かが異なっている。

主人公から見れば、星奏はこれまた憧れであった。裏を返せば、本当に憧れでしかなかった。掴めそうで掴めない、そういう対象である。
最初の告白は意図的に見放され、2度目の告白を成功させるも、やっぱりいなくなってしまい、3度目も同じことを繰り返す。
むしろここまで行くと、星奏に対する屈辱とか恨みとか、そんなものは一切感じなくて、ただ自分の人生の意味を星奏という存在に見出し始める。

ルポライターになって例の記事を書こうと思ったのも、最後に小説を書こうと思ったのも、全て星奏に対する憧れの表現。
全てを星奏に費やす覚悟で、主人公は文章を書き続けた。それが星奏に届いたかどうかは分からない。けれど満足はしたのだろう。
だが、その表現は、星奏の物語を書くという意味で、星奏の願いも達成される。一般的に見て可もなく不可もないはずの小説を星奏が面白いと感じるのは、自分のことだからである。
2人が見つけたのは、それぞれの人生の宝物、すなわちお互いのことを想う心であり、必要以上にそれを追い求めることもしない。
独りよがりで人間らしくない、性格のひねくれた2人がたどり着いた答えを、自分は否定することはできない。

最後の一枚絵は現実のものではないのだろう。しかし主人公の確かな成長を感じさせる一枚でもある。
ただ、星奏だけを追いかけて文章を書き続ける中で、ようやく星奏の表情を想像することができるようになった。それが最後の場面でのCGの意味となってくる。
今までは全く星奏の表情を想像することもなかったし、むしろ想像することができなかったのだと思う。それが何故なのかは分からないが、文章を書き続ける主人公は非常に不器用な生き物なのである。
全てをやり遂げたからこそ、清々しい表情で星奏との別れを受け入れ、同時に相手のことを考えるという最高の成長をしていく。
恋とは2人の登場人物の繊細な作業で、ラブストーリー相手のことを考えられなければ書けないのだから、ここでようやく小説家として完成したとも言えると思う。
これは小説家として1人の少女を追いかけた主人公が、本当の意味でやりきるまで文章を書き続ける物語なのである。
伝わったか伝わらなかったという話ではなく、伝えようと必死に足掻く姿こそが美しい。不器用でも上手く伝わらなくても、最後までやり遂げることに意味がある。
主人公と星奏との最後のさよならは、決して無駄なものではなく、むしろお互いにとっての必然の結果だったのかもしれない。
2人が口を揃えて「最高の人生だった!」と言うかどうかは微妙だけれど、最後のCGの笑顔なんて見てたらそんな未来も嘘にはならないような気もして、気分的には非常に清々しい。




……というのが自分の理性的な感想で、感情的になってこの作品を考えると、見方が変わってくる。
彩音に固執してしまった自分が本当に目指したエンドはこちらの方だ。
だが、確かに星奏√をプレイしているときは主人公のようになってのめり込むことができたし、先程の結論も、これはこれでまた自分の結論である。


感情面での自分の結論を言うなら、「2人が結ばれなくて。安心した。」
終わった後、内容を整理できない混沌とした感情の中で、何かもやもやするものを見つけた。それが安堵感である。

恋×シンアイ彼女はtrueエンドで完結し、その先の物語を見ることはできない。
彩音はtrue√では別の道を進んでいるし、ここで再び恋人になることはあり得ない。
true√はたった一つの物語であり、他に正解は存在しない。
勿論、星奏と別れた後の主人公が、再び彩音に恋することもない。
これはこの作品をプレイする自分の、勝手な結論である。

彩音が一番眩しかった。一番一生懸命恋と向き合って、一生懸命に生きているように見えた。
見ているだけで心が惹かれた。彩音√のテキストの一言一句が心に響いた。気持ち悪い話、恋みたいなものだと認識している。
だから自分は彩音に固執し続ける。眩しく輝く青春を自分の望むような姿で見せてくれたヒロインが、一番であってほしいと願う。
そして、星奏√の終わり方を利用して、書き換えた。

ゆい√は無難に追えた。この時点では、あまり彩音は出てこなかった。
凛香√では凛香との恋愛描写に感情移入しつつも、彩音の影を追った。失恋した彩音の描写を見ると、やっぱり胸が苦しかった。
彩音√をプレイした自分は完全に確信した。自分にとってのこの作品のメインヒロインは新堂彩音である。
そして星奏√を終え、プレイ中は怒涛の展開に思考を飲まれたけれども、結局は彩音への固執に回帰した。
星奏と形的な意味で結ばれなかったことで、自分の中で「星奏√が正解である」ということそのものが否定された。
だから、自分の中の「恋×シンアイ彼女」は、彩音√で完結している。星奏√は星奏に憧れ続けた主人公が「恋愛成就」を成し遂げることができなかった物語である。
新堂彩音は、「恋×シンアイ彼女」の、自分にとってのメインヒロインである。












雑記


自分が「新堂彩音がメインヒロイン」という考え方を持つにあたって、自分が以前から大好きな、一つの作品の影響を受けている。
「ヒマワリと恋の記憶」という作品である。以下少しだけこの作品のネタバレを含むので、見たくない方は回避推奨。






ヒマワリと恋の記憶(以下ヒマ恋)という作品は、恋カケの逆である。
具体的にどのように逆かと言うと、ヒマ恋におけるグランドヒロインが恋カケの彩音で、ヒマ恋の初恋ヒロインが恋カケの星奏である
こういうと非常に分かりにくいのだが、要するに、立場が違う2人のヒロインが2つの作品に同じように存在していて、そのヒロインが取るエンドが逆であるということ。

ヒマ恋
・最初に主人公が恋をした、憧れのヒロイン→踏み台
・恋愛同盟を結ぶ中で仲良くなったヒロイン→メイン

恋カケ
・主人公の初恋の相手→メイン
・主人公のことを愛し続けた、一途なヒロイン→踏み台

ヒマ恋という作品は、途中までの価値観をシナリオ上でひっくり返し、メインヒロインと結ばれる作品である。
憧れの恋をした相手への恋愛を成就させるために、男女で恋愛同盟を結ぶ。だが最終的には恋愛同盟を結んだ男女が結ばれることが正しく、自分はそれを祝福する。
自分はこの作品がたまらなく好きである。自分の求めた恋愛物語の理想形であり、真のヒロインの恋が成就するためなら、ヒロインを切り捨てることも厭わない。
厭わないと言ったら少し語弊があるけれども、「その真ヒロインがメインでなくてはあり得ない」と思うようになってしまう。
先程書いた、彩音に対する固執のようなものである。
ヒマ恋をプレイした自分は、好きな声優の演じるヒロインでさえも認めることが出来ず、真ヒロインを好きになった。
後悔はしていないし、それが自分の求めた青春物語であったし、むしろそれを支えてくれたそのヒロインには、感謝さえもしている。

今作では、そのヒマ恋の方程式がちゃんと嵌ることはなかったが、逆向きにしたらすっぽりと嵌ってしまった。
だから自分は彩音をメインヒロインとしか見られなくなり、彩音以外のヒロインをプレイする時にも、彩音のことを考え続けた。
先程も同じことを書いたが、星奏√が最終的に結ばれないというのは、自分にとっては都合が良かった。おかげで自分の中で物語の最後を書き換えられる。

これはただのヒマ恋が好きすぎて色々とこじらせてしまったオタクの見方でしかなく、別に理解してもらおうなんて思っていない。
ただこういう考え方があるということは伝えたかったし、恋カケの物語を自分の文章で更新したかった。だから自分はこの考え方を書いた。それだけの話である。
結局は自分も、國見洸太郎の生き方に憧れた一人なのかもしれない。


参考:自分の「ヒマワリと恋の記憶」の感想
http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=20396&uid=nezumo