新しい展開にいちいち驚かされ、そのことについて深く考えさせられる。最後に残るのは単純な真実。こういうシナリオに特化した作品を心から望んでいた。それにしても、最近はこういう「人を選ぶシナリオゲー」とか「挑戦するシナリオゲー」というのがめっきり減ってしまったなあ…ちなみに自分はtrueENDが一番だと思ってます。
この作品、ネタバレが非常に致命的なので、未プレイの方は下に下がらないことを推奨
体験版をプレイした直後から、自分はこの作品を期待して止まなかった
結論から言うと、どうしようもないくらい素晴らしいストーリーではあった
ただし、誤字が非常に勿体ない 大切な部分の誤字はやはり目についてしまい、興ざめしてしまうというのが事実である
これが同人ゲームなら自分が好きで買っているわけだから何も言わないが、商業作品なら、と思わずにはいられない
あくまでも、商品として売り出す以上、誤字は正すべきである 今作について批判する部分があるとしたら、ここだけなのだろう
さて、話題を変えて、シナリオゲーとはどういうものなのか、ということについて考えてみたい
伏線を綺麗に回収するゲーム、どうしようもなくテキストの表現が上手いゲーム、圧倒的な展開で泣くことを強いるゲーム、色々あると思う
そして何より大切なのは、読んでいて面白いということ
個人的には、最後にどんなに泣ける素晴らしい展開が待っていたとしても、それまでの過程がおざなりでは作品全体としてはまずまずに感じてしまう
作品全体でシナリオを作り上げている、という感じがまるでしないからである
そういうゲームは、良作にはなれても、名作にはなれないというのが持論だ
今作の場合は、読ませる過程と、読みがいのある結論から構成されているように思える
結論が今までの前提を根本からひっくり返してしまうこともしばしばだが、それはこの作品の良さの1つと言える
伏線回収によるどんでん返し、そういうシナリオが、自分はたまらなく好きだ
読ませるシナリオと言えば、選択肢も非常に印象的である
√分岐にしか選択肢を設定しない、しかも非常に分かりやすいという有様である
エロゲの選択肢は何のためにあるのか?と聞かれたら、√分岐するために他ならない
(中出しと外出しの選択も、一種の√分岐と考えても良いと思う)
シナリオを読むにあたって無駄と思える選択肢を全て排除し、シナリオを読ませることだけに注力した
そしてそのシナリオはしっかりと期待に応えていく どうしようもないくらい素晴らしい作品である
ただし、シナリオ以外で勿体ない部分もあった
主題歌が無いこととED曲が無いことである
これに関しては決して責めるわけでも、批判する訳でもない
あれば絶対に盛り上がったのに、もっと作品の世界にのめりこむことができたかもしれないのに、余韻を楽しめたかもしれないのに
こう思わずにはいられないからだ
発売前に何度も見返して、ずっと楽しみにしていたPV あれ自体はPVとしてはダントツの完成度だと思うし、間違いなく欲しくなる
でも、終わってから楽しむものでもないなと感じてしまう
終わってから余韻として楽しむなら、やっぱり主題歌とED曲だろう
CGを見返しながら、「こんなシーンもあったなー」なんて思い返しつつ、曲を聞く 最高ではないか
まあこれに関してはBGMで代行は出来るのだが、それでもあって欲しかったと思う
ここからはとりあえず章毎の解釈と感想
結論は後にまとめたので、ここは読み飛ばしていただいても一向に構わない
1章(ヒスイの排撃原理)
興味本位で開かれた本の、効力を示す物語
体験版を初めてプレイしたときは、ここで本当に魅せられたものだ
これをプレイしただけで次の瞬間には心の中が買う前提で動いているのだから不思議なものである
本はどこまで人の行動を変えられるのか
確かに台本通りに動いているはずなのに、当人たちは自分の意志で行動していると思っている
実際、この2人は本が開かれているという事実を知るまで、自分たちは自分の意志で行動するものだと思い込んでいたわけだ
これについては非常に答えを出すのが難しい 個人的には、本は完全では無いという言葉でまとめておきたいと思う
実際この作品の先の展開でも、本の効力は完全では無いことが証明されてしまう ある程度の自由は聞くのである
場合によっては設定すらも書き換えてしまうなんていう事案もある 本の効力なんてのは、そんなものなのかもしれない
抗おうと思えば抗える 身を委ねれば台本通りにことが進む 何とも単純ではないか
それにしても、この章の結末には見事にやられた
妃があれだけ言ってくれたのに あれだけ「一番登場してる人物が犯人だ」と言ってくれたのに
まさか目の前にいる本人が犯人だなんて、自分には思えなかった
(推理小説を日頃から読んでいれば推測することも出来たのだろうか 案外身近な人が犯人というケースは珍しくないのかもしれない)
2章(ルビーの合縁奇縁)
本が開かれなくても、思い込みでどうにでもなることがある
この章を一番楽しめるタイミングは、やはり1章が終わった直後であろう
本は開かれた、その効力を確かめるのがルビーの合縁奇縁の物語だと思い込むことができれば、それが一番幸せである
(自分のこの感じだった 時間が空いてしまうと無駄に考察が働いてしまい、つまらなくなってしまうかもしれない)
この作品に楽しみ方があるとすれば、物語を読むのではなく、物語に読まされるのが一番正しいのではないかと思う
物語を分析、考察しに行くのではなく、あえて物語に読まされてみる
ライターによって言い尽くされたこの作品には、そういう読み方が一番お似合いだ
(勿論自分も考察はする これはあくまで、やられるところはやられていけ、驚かされていけ、そういう意味である)
さて、この章での夜子はとても柔らかいキャラクターだった
本が開かれている、だから自分がコレを演じたところで本の台本通り、全く違和感はないと、本人はそう思い込んでいたのかもしれない
こんなの、バレバレではないか ルビーの合縁奇縁が空想の物語だと分かってしまった時、夜子が瑠璃に恋をしているのが、バレバレになってしまうではないか
これは、何かに条件を付けて瑠璃とイチャコラしたい、一人の少女の夢物語と形容するのが正しいのだろう
結果的に夜子はしばらくの間ツンツンした姿勢に戻ってしまうが、この一時の夢物語は、今後の夜子に大きな影響を与えたに違いない
ここから分かるのは、思い込みは人を相当動かせるということである
ルビーの合縁奇縁が開いているという思い込み、それだけで瑠璃と夜子の距離が、限りなく近づいた
これは本の効力ではない 紛れもない本人たちの意志で近づいているのである
楽しんでいたのは、思い込みに騙される瑠璃と夜子を眺める傍観者だけではない
彼らもまた、本を言い訳にして距離を縮めるこの状況を、楽しんでいたはずだから
3章(サファイアの存在証明)
開かれた本がサファイアの存在証明だと決めたのは誰だ?紛れもない自分である
妃の本来の姿、兄弟愛の姿が見れただけでもこの章の価値はある
家族から迫害されることによって歪んだ2人の愛は、どこまでも理解不能だ
何故彼らは、世界から忘れられた2人だけの愛を望むのか 誰に認められる訳でもない、2人だけの愛を望むのか
妃は本当に謎である 瑠璃の前では本性を見せてくれているはずなのに、自分の前では見せてもらえていないような気がしてしまう
勿論、謎だからこそ楽しめるという部分は少なからずある 謎な少女は最後まで謎であり続けるのだ
さて、開かれていた本が、「サファイアの存在証明」ではなく、「オニキスの不在証明」だったという件
この時点では黒い本が開かれ、そのせいで物語は中断されてしまったということになっているので、ここではそれで納得しておきたいと思う
最後の方にいけばまた謎が解け、語りたくもなる部分だが、ここだけでみればとりわけ語ることもない
ただ、開いている本が自分の思い込みと全く異なっていた そして、続きが異常なまでに気になった
それだけで十分すぎるほどの面白さだと思う ここまで感化させてくれるテキストが他にあったかという話である
体験版部分ではここまで収録されているが、購入動機としては十分で、すぐに予約に走ろうとするレベルだった
まあ、当時は店舗特典も出ていなくて、今か今かと店舗特典に色がつくのを待っていたわけだが
4章(アメシストの怪奇伝承)
ヒスイとアメシストの物語は交錯し、オリジナルの(台本通りではない)物語を作り出す
ヒスイの物語について振り返ってみよう
あの物語は、好きな人に愛されるために自らいじめられること、不幸になることを望み、結果的にそれが暴かれてしまうという物語である
とは言っても、あの物語は確かにあの時に閉じられた
日向かなたも正常に戻り、普通の日常が戻ってきたはずなのである
ではなぜ今更ヒスイの排撃原理の物語が出てくるのかという問題である
魔法の本は一度閉じられてしまえば、その間の記憶は無いはず
そのような描写は確かに1章の終盤にもあったし、そういうものだと思い込んでいた
投げやりな考察になってしまうが、「日向かなたはイレギュラーな存在である」この時点ではこう考えるしかないのではないか
この時点ではという言葉を多用するハメになったのも、この作品の構造上、終盤に一気にネタバレが下るからである
(なんとも感想の書きにくい構造だ だからこそ当時の自分が思ったことをそのまんま書いていきたい)
ヒスイとアメシスト、2つの物語が交錯した時、魔法の本はたちまち整合性を失ってしまう
つまるところ、台本通りに動かなくなるというなんとも魔法の本らしくない展開である
ただ、らしくない展開とは言えど、「魔法の本は生きている」この言葉に基づいて言うなら、これはあっても良いことなのだ
生きているならば、その場の状況に合わせて都合よく物語の展開が変わったとしても不思議なことではないのである
ただそれが、3章までの展開の中では起こらなかったというだけだ
都市伝説のような魔法の本の物語、最後にはしっかりと答えを用意しているのだから、舌を巻かざるを得ない
同時に、魔法の本はどこまでも忠実な不可侵の存在という概念が覆った 魔法の本も生きている 私たちと同じように、自由を持っているのである
5章(アパタイトの怠惰現象)
語られることのない偽りの魔法の本
ではその偽りの魔法の本がまるで本物の魔法の本であるかのように、振る舞ってみるのはどうだろう
この章に動きがあるとしたら、汀と奏さんの対立くらいなものだ
黒い本を壊すか壊さないか、それだけの対立である 何ともつまらない
とはいっても、汀は汀で、理不尽に屈するだけの人間にはなりたくないという自分勝手な決意をもって黒い本を破壊する
奏さんは、黒い本は黒い本でも、あの本は非常に思い出深いものだったから壊されたくなかったと、自分勝手な決意の下で汀を恨む
何が正しくて、何が間違いなのか そんなことは誰も決められない
ただ、2人は正しく交わらない、すれ違ってしまっている、それを正したいと思う当然の感情、それだけの物語だ
章全体で見ても回収という回収も行われず、展開もあまり動きがない
全体的にも、一番退屈だと感じる章はここなのではないかとも思ってしまう
ただし、ライターは確かに、上質なプロットには無駄は一切ない、つまるところこの作品に無駄はないと確かに言った
自分も勿論それを信じているし、この章が無駄ではない理由について自分なりに表現してみたいと思う
「アパタイトの怠惰現象」タイトルから分かる通り、これは怠惰で平和な日常を過ごすだけの物語
そして、同時に妃が何よりも望んでいた日常
1年という時を経て、幻想図書館にはもはや暖かいと呼べるような日常はなくなってしまっていた
だからそれを無理やりにでも取り戻してあげよう
こうして強引に引き戻して平和を演出しようとしなければ、あの時の日常は戻ってこない
これは本当に平和な日常を取り戻そうと尽力するだけの物語 たったそれだけのつまらない物語だが、瑠璃の内側には確かな決意がある
自分は感情ベースで読む、という言葉が好きだが、ここでもそれを使っておきたい
あくまでも事件ベースで楽しむ章ではない 感情ベースで楽しむべき章なのだ
6章(ローズクォーツの永年隔絶)
せめて、せめて魔法の本のヒロインを演じている時くらい、幸せになっても良いですか?
体験版でも散々迫害され、一体どこで活躍するのかと楽しみに待っていた少女、伏見理央の物語
人気投票で敗北するのは必然と言うかなんというか 見せ場は平等に作ってほしかったものである
一応ツイッターでは理央アイコンにして応援したが、妃と夜子の人気には敵うはずもない
(ちなみにQ&Aに関しては完全に浮気した 理央ちゃんごめんなさい あと今も絶賛浮気中です)
そして、本編でもどうしようもなく救われないのが理央である
命令によって完成された、夜子のための存在
その存在は夜子のために生きることを強要され、瑠璃に恋をすることすら許してもらえない
つまるところ、永遠に孤独な存在である 大好きな少年に恋をすることも出来ない、自由に生きることも出来ない
だが、本のヒロインを演じている間だけは、例えそれが本のシナリオであったとしても、瑠璃に恋をすることができる
一生命令に縛られて生きるか、刹那的な快楽に身を投じるか 彼女が選んだのは後者だった
さて、理央は本当に辛いだけだったのかという部分について考えてみたい
権力者によって生かされる存在であると言うことは、言いかえれば選択をする必要がないし、自分の生涯も確保されているということだ
しかし、そこには自由は存在しない 決めたい時に決められない束縛を背負う代わりに、選択を権力者に委ねる、それが理央の生活の形である
では、自由に放り出され、全ての選択を自分で出来るようになったらどうか
確かに見かけ上は自由で開放されている しかし、全てが自由だということは、選択も全て自分の手で行う必要がある
あまりにも決めなければならないことが多すぎる そんな状況に耐えられるのだろうか
これが俗に言う、サルトルの自由の刑というやつなのかもしれない 理央の生活は必ずしも悪いことばかりではなかったと自分は思うのである
閑話休題、理央は血が出ない吸血鬼、そしてしまいには死んでしまうという未来を背負った本を、自らの手で開いてしまう
いや、開いた、というのが正しいか 紛れもない理央自身の意志であるし、理央自身がそれを望んだ
例え瑠璃と結ばれようが、結ばれまいが、シナリオ上消えてしまうことは避けられない
いや、理央は夜子よりも幸せになってはならないのだから、失恋しなければならない
その辛さは、理央自身が一番良く分かっていると思う 失恋しなければならないのに告白しなければならない
だが失恋は人を成長させる 世の中は自分の思い通りにはいかないということを身をもって体感できる貴重な経験なのだ
理央√(ローズクォーツの終末輪廻)
個別というよりかは、if√と称するのが正しいと思う
物語的には瑠璃と理央が結ばれることは禁忌である これは推奨ではない、命令であるから
禁忌を犯して結ばれてしまった者が正しい幸せを勝ち取る権利は、ない
だから毎日のように理央は記憶を飛ばすし、瑠璃はそれに寄り添い続けなければならない
2人はどこまでも堕ちていく これが間違った選択だったわけではない ただ、堕ちるしかないのである
この√の最後をハッピーエンドとするかバッドエンドとするかだが、自分はこの物語をハッピーエンドとしたい
このifストーリーは誰のために用意されたものであったか 紛れもない理央である
その理央自身が、刹那の快楽に身を投じ、その中で少しでも幸せな瞬間を得られたというならば、理央は幸せだったに違いない
むしろ、自分にとってはこれをバッドエンドとしてしまうことの方が気が引ける
バッドエンドなんて言ってしまったら、理央が抱いていた満足感を、完全に否定してしまうことになるではないか
とは言っても、やはり理央好きからするとどうしても悲しい扱いをされていることに対する不満は募ってしまう
そもそも理央という存在自体不遇だったのは言うまでもないが、紙の上のヒロインとして、もう少し、あと少しだけでも他のヒロインに肩を並べるくらいの綺麗な展開を、妄想でもいいから用意してあげて欲しかったと思う次第である
7章(ブラックパールの求愛信号)
魔法の本は、人間の姿さえも再現してしまう
ブラックパールの求愛信号という物語は人を生き返らせる、その思い込みがこの章の面白さだ
妃を生き返らせるためなら何でもしようとする汀と、その周りのやり取りが非常に魅力的
特にかなたの活躍には本当に目を見張るものがある
この章でかなたは言った
「瑠璃さんは私のことを雑に扱って、私は瑠璃さんで楽しく遊ばせてもらいます」
2人の関係はこの程度の関係、されどこれ程の関係である
何とも思っていないはずなのに、そこにいるだけで安心してしまう、気を許せる関係
いつの間にこうなってしまったのかは分からないが、自分がかなたに好感を持ち始めたのもこの頃だった
(正直、ヒスイやアメシストの時にはウザキャラくらいにしか思ってなかった スマン)
なのになぜあそこまでかなたは強く汀に立ち向かえるのか、それが不思議でならなかった
何があっても所詮は気を許せる程度の関係なはずである なのに体を張って瑠璃を守ろうとする
まさか、かなたはまだヒスイとアメシストを背負って恋をしているのか これを確信づけてくれる場面でもあった
ブラックパールの物語の真実が語られた時、またしてもやられたなあと思ってしまう自分
本当にテンプレのようなやられっぷりであるが、何度も言うがこの驚きが面白い
ブラックパールの物語は、理不尽への不満を誰かにぶつけるだけの本当に何もない物語である
だが、これが本のシナリオとは言えど、汀がどうしようもないくらいに妃を愛していたのは事実なのだと思う
本に取りつかれてしまうくらいの深い愛情は、現実によって一蹴される 世界は何とも理不尽なものだ
余談だが、7章の汀のこの台詞
「シスコンは、卒業するようなもんじゃねえんだよ 貫き通すものなんだ」
とてもかっこいいと思ってしまった 彼のシスコン道に自分のシスコン道は敵わないだろう…
8章(フローライトの時空落下)
魔法の本が描くのは、何も物語だけではない 登場人物さえも描くのである
今作最大級の爆弾 コレを言われたところでピンと来るか来ないかは個人に依存すると思うが、確かな驚きは感じられるはずだ
と言うのも、6章の物語の裏付けになるからである
理央が命令に逆らえなかったのは命令が厳しすぎた故ではなく、描かれている設定の為だったと考えれば納得が行く
命令は言葉だから、背徳感はあれど破ることは可能だ
だが、物語の登場人物が設定を破ることはできないのである
設定を破るというのは、私たちに換算してみれば自分の性格を根っこから否定することに他ならない 勿論、そんなことは絶対に出来ない
奇跡の章と公式では言い表されているが、これは本当にしっくりくる言い方だ
妃が生き返る奇跡、理央が生き返る奇跡、たとえそれが本が描いた物語の登場人物であろうとも、今目の前に、確かに2人は存在している
これを受け入れずして何を受け入れようか 事実は黙って受け入れて、それから考えるべきなのだ
この章でもかなたは健気なキャラを貫き通す
本当にこの子はどこまでも自分の心を揺さぶり続けた 理不尽に屈せず頑張る女の子が、自分は好きらしい
PVで見た、「スマイル、スマイル、にこー」という台詞、この章のものであったが、この中に込められた気持ちを想像すると少し涙が出てしまう
理不尽だと分かっていても、何も変えられないと分かっていても、それでも事実が決まるまでは抗いたい、そういう気持ちが込められているのである
どんな時でも笑い続けるかなたというキャラクターの裏には、設定にそぐわない葛藤があるのだ
妃が紙の上の存在として現れた理由は、瑠璃を失恋させるためである
勿論、妃は長居するつもりはそもそもなかったのだろう 妃はそういう性格ではない
自分自身以外の自分自身を許さない オリジナルは既に死んだ しかしやり残したことがあるから仕方なく紙の上に出てきただけである
月社妃というキャラクターは、生と死を軽んじる物語を絶対に許さない
つまるところ、今自分が紙の上で存在しているという事実そのものを許せない
だから妃はやるべきことだけを遂行する 彼女は決して曲がらないはずだったのだが、その信念を一時的に曲げることで妃√に分岐する
これまた余談だが、過去回想の部分で、吟遊詩人と人形の物語、つまるところライターの過去作であるminstrelを引っ張り出してきたところはテンションが上がった
よく見ればネタバレに見えなくもない?が、ファンとしてはとても心が揺さぶられる場面である
実際この物語はシナリオゲーとしてはとても完成度が高いので、この作品をプレイして作風が気に入った方はプレイして損はしないだろう
(自分がプレイしたときは、DMMとDLsiteの合計数を合わせても50ダウンロードも行ってないものだった 果たしてこれから伸びるかどうか、見物である)
妃√(フローライトの怠惰現象)
これまた存在してはならないシナリオだ
妃というキャラクターは絶対に自分の信念を曲げないはずだったのに、瑠璃に言い寄られて負けてしまった
結局この作品における個別とは、全てif√に他ならないのかもしれない
あくまでも共通にメインシナリオが敷かれ、脱落方式でヒロイン√が設置される
エロゲとしてはどうなんだという部分だが、ヒロインに対する理解は深まるので、今作に関しては少しだけありがたい
「フローライトの怠惰現象」
アパライトと時空落下を抜いて組み合わせたかのようなタイトル
このタイトルの意味は推測するに、アパライトの怠惰現象のような平和な日常を、フローライトの時空落下の紙の上の自分で行う、という意味なのだと思う
さて、この√で2人の兄弟愛はどういう方向へ向かったか
とにかく不幸になろうとしたのである
ただしそれは、お互いを全力で愛そうと決めた結果だ
不器用な2人が、お互いの幸せを願ってそれぞれを全力で愛そうとする、その結果落ちてしまったものが不幸だったとしても、彼らはきっと満足している
しかし、最後にはきっちりと目的を果たすのが妃というキャラクターだ
まるで思い出したかのような瑠璃の失恋 本編では一瞬で行われるこの描写も、ここまで感情移入させられてしまうと、少し悲しさも感じる
最後まで内面が分からなくあり続けた少女も、目的だけははっきりしているのである
本当に本当に、分からないキャラクターであった
9章(ホワイトパールの泡沫恋慕)
時に魔法の本の物語は、ノンフィクションを紡ぐ
いや、この章に関しては殆どが夢物語なのかもしれない
だが微妙に真実が混ざっているという、なんとも意地悪な章でもある
真実と虚構の分別をユーザーがする必要はないし、その分は後々明かされるわけだが、どうにも納得が行きにくい
だったらいっそのこと全部真実と受け入れて読んでやろう、自分はそう思った
紛れもない事実である、夜子の過去編
白い髪と赤い瞳を持って生まれただけで家族からも迫害される存在
生まれただけで迫害される なんて悲しい話なのだろう
だから夜子は人と会いたがらない 自分の髪を、瞳を、貶されるのが怖いから
紛れもない虚構である、瑠璃と夜子の最初の出会い
これを現実として読んでやろうと思った 結果的に後の展開で驚くことができたので良かったと思っている
少年は初めて会った時から、少女の白い髪に一目惚れ、つまるところ、夜子に惚れたのである
そして夜子も自分を受け入れてくれる瑠璃のことを次第に好きになり、最終的には体を重ねてしまう
だがそれも闇子さんのシナリオによって壊される 何とも理不尽な虚構だ
そして泡沫の物語とは裏腹に、現実は動き出す
夜子の幸せのために物語の一部を返すか、自分を知るために物語を読むか
勿論、夜子に返すなんてことはあってはならない
瑠璃は、妃が託した物をおいそれと渡せるはずはないのである
夜子√(ファントムクリスタルの運命連鎖)
個人的にはこれもif√ 紛い物の恋である
ファントムクリスタルの幻想に魅せられ、それに一時的に恋をしてしまう瑠璃
夜子にそのことを追求されても、それでも尚夜子のことを好きだと言い張る瑠璃
瑠璃を嫌うことを強いられた夜子という存在は、自分の気持ちに嘘をつき続けるしかない
それが崩壊するとしたら、瑠璃が全身全霊で言い寄ってきた時か、自分を真摯に見つめることが出来た時である
だから、告白されても、大っ嫌いと言い続けなければならなかった
たとえそれが本心じゃなくても、言うことを強いられているのである 本当に可哀想な存在だ
だが、瑠璃の気持ちが本当だと分かった時、それを撤回せざるを得ない
「言葉は本に書いてあっても、意味は自分で見つけるしかない」
偽物の恋ではこの台詞は出てこないだろう だからこそ夜子は受け入れる他なかったのである
そして2人は堕ちていく ただそれだけだ
ちなみに、9章で体を重ねて夜子が処女でないと思い込んでいれば、ここでも驚くことができる
泡沫恋慕での性交は空想だったと初めて分かるからである
10章(オブシディアンの因果目録)
過去を語る物語
正直情報量が多すぎてこの辺からメモでも取っておかないとこんがらがる上に理解が辛くなってくる
自分もメモとキャプを取りながらプレイしていくことになった
この過去編に今までの殆どの正しい解釈が詰め込まれていると言っても過言ではないので、見逃せないのも問題だ
重要度からすると、瑠璃もまた魔法の本が語る物語だった、これが一番の爆弾である
確かに3章から4章まで1年の空白が空いたのは不自然だったし、そう考えれば辻褄は合う
正直かなり驚いたものだ こうだと言われるだけで今まで瑠璃=人間を前提としてきた殆どの考えが打ち砕かれてしまうのだから
他は大体1年前以前の補完になるわけだが、オニキスの不在証明の話題にも触れておきたい
妃が死んだのはオニキスの不在証明のシナリオ上の展開ではなく、オニキスの寝とられの展開を嫌った結果の自殺だったという事実だ
ここからも妃の瑠璃に対する愛の深さと真摯さが伺える 彼女は死を選んででも、その愛情を守りたかったのだ
やっぱり分からないキャラクターだが、ここからは確かな愛情が伝わってくる 妃シナリオの補完としても素晴らしい過去編だったと思う
11章(サファイアの存在証明?)
なんかタイトルが分からんので分かったら直します
サファイアが開かれていたのは妃ではなくかなただったという爆弾
かなたへのクラスメイトの態度からも納得が行く コミュ力がある女の子がクラスで浮くわけがないのである
そしてかなたはずっとサファイアが開かれたまま、瑠璃のことを愛していた
ヒスイとアメシストが交錯したのも本が重なっていたからだと考えれば納得が行く
あくまでもヒスイもアメシストも、サファイアの中の物語に過ぎない だから物語の中で記憶は受け継がれ、かなたはそのことを覚えている
これは4章の謎だったが、ここに来てようやく溶けるという訳だ もどかしいけどスッキリする
ついでに、かなたとはどういう女の子であったか
何処までも一途に瑠璃を愛し続ける、今作のヒロインとしては一番相応しいキャラクターなのだと思う
唯一失恋の儀を表向きに賜っていないのがこのかなたである
後述するが、作品全体としてはどうしようもない夜子の物語 だが、瑠璃に一番近かったのは間違いなくかなたなのだろう
正直、かなたは1章と4章をやった感じでも、最初、もしくは2番目に切り捨てられるキャラクターだと思っていた(自分の中では理央といい勝負してた)
それで妃と夜子がどう物語を広げていくか、という部分に注目していたわけだが、これには本当に驚きである
かなたちゃんマジメインヒロインだな…最後にノーマルエンドとしてかなたちゃんと結ばれるエンドも用意されてるし、なんかもう完璧
いや、それでも自分は夜子ゲーだと思っていますけど
12章(ラピスラズリの幻想図書館)
夜子はどうして、魔法の本を開き続けるのか
ここまで来て、ようやく自分は気が付いた
これは夜子が失恋を受け入れて引きこもりを脱却し、成長するための壮大な物語であったということを
ラピスラズリの幻想図書館という題の通り、夜子は自分の殻に閉じこもり、瑠璃のいない世界を作り出そうとする
勿論弱い夜子がそんなの受け入れられるわけがないし、すぐに崩壊する
次にするのは、幻想の瑠璃が近くにいる世界
だが、本物が近づけばそれも崩壊してしまう 一蹴される程度の決意の妄想など、意味がない
ではどうすればいいのか それはもう、現実を受け入れるしかない
他の女に恋をする瑠璃が憎いから本を開き続ける?
それはただの逃げの選択である
キッチリ失恋してそれを糧にして生きていく それが出来ない夜子に、強くなることは絶対に出来ない
これは、夜子が失恋を乗り越え強くなるための壮大な魔法の本の物語だった
開かれた本物の魔法の本は、殆どが夜子の思惑通り
いや、夜子の思惑をくみ取って、クリソベリルが上手い具合に事を動かしてくれたと表現するのが正しいか
今までの滅茶苦茶な業も、全部背負って夜子は生きていかなければならない
そんな現実に戻ることを、妃、及び他のヒロインたちが全力で後押ししてくれる 夜子は本当に幸せ者だ
ついでに、物語の不完全性をここで提示してくれる
四条瑠璃は物語であるから、設定を書きこんでしまえばその通りに動かざるを得ないはずである
それなのに瑠璃の決意は物語の設定を吹き飛ばし、自分から生きることを可能にした
うーむ、これを超展開と称すか決意故の現実と称すか、悩みどころではあるが、「本は生きている」という可能性から考えると、現実と称するのが妥当なのではないか
魔法の本の意志が、瑠璃の意志に負けた、事実はたったこれだけのことなのかもしれない
13章(煌めきのアレクサンドリア)
物語が最後に紡ぐのは、紙の上の魔法使いの過去の出来事
白い髪と赤い瞳を持った少女は父親に神の子と称され、儚き人生を送る
現実は理不尽の連続だ だから少女は、恨むことによってその意識を繋ぎとめようとした
ああ、やっぱり夜子のためのゲームではないか、そう思わずにはいられない
結局クリソベリルも夜子も境遇は同じで、見た目だけで差別され、周りから迫害されることを通して育ってきたのである
その中でクリソベリルは紙の上の魔法使いとして恨みを晴らす道を選び、夜子は図書館に引きこもって自分の思い通りに現実を運ぼうとした
たったそれだけのことだったのだ
酷いことをされたからやり返す ただそのやり方があまりにも理不尽で、やる相手を間違えただけだったのである
それでも、この作品全体を通してクリソベリルというキャラクターはプレイヤーに多大な恨みをイライラを植え付けてきた
特にこのCV 印象に残った人も多いはずだ
小倉結衣という声優はこれが自然にできてしまうのが凄いと思う
こればかりは声質の問題だとは思うが、怒ってても怒っているように聞こえない人が世の中にはいるものだし、逆に何話しても怒っているように聞こえる人だっているものである
この声は何かの感情を抱かせることを意図して話せば、声質が上乗せされてそう感じやすい部類に入るのではないかと思う
流石のキャスティングである クリソベリルが他のCVだったらこんなにイライラしなかっただろうなあと思わされる
クリソベリルはどこまでも理不尽に現実を突きつけてくる 全ては夜子の為、似た者である夜子のための自己満足の復讐劇だ
そこには情けなど存在せず、自分がやられた時と同じように全力で恨みを買わせてくる 柔らかくなるのは最後だけ
つまるところ、満足するまで絶対に信念を曲げないキャラクターだったのだ
この章においてクリソベリルが満足してしまうのは、似た者である夜子が現実を受け入れてしまったからに他ならない
物語は紙の上の魔法使いの業を受け入れることによって終結する
クリソベリルは生きることを通して、やり場のない恨みを赤の他人にぶつけたことを償っていかなければならない
だが、クリソベリル自身は救われるべきである
確かにやったことはどう考えても重罪だ だが、その裏には確かな覚悟があったことを忘れてはならないし、理不尽を背負わせた人間の存在も忘れてはならない
クリソベリルにとっての一番の救いは、当たり前のように愛されることなのだと思う
彼女は生涯を通して全くと言っていいほど愛されなかった だから愛というものを知らないし、どういうものなのかが分からない
だから、図書館の住人はクリソベリルのことを認め、これから精一杯愛してあげる必要がある
それがクリソベリルにとっての一番の救済になるのだ 彼女が贖罪を決意できるのも、これがなければ絶対に成り立たなかっただろう
この物語が終結するときには、ヒロインは全員失恋を強いられる
だが、クリソベリルのみ、愛されることを知り、これからも図書館の住人たちに愛されていく
1人だけ真逆のハッピーエンドを辿るのである
ヒロインメインで見れば圧倒的にバッドエンドにしか見えないこの作品も、クリソベリル視点で見れば、ハッピーエンドにしか見えないのだ
とは言っても、ヒロインズに関しては完全なバッドエンドなわけではない あくまでも納得の上の失恋 物語的には綺麗な終わり方をしているのである
だが、失恋は正しい終わり方であっても、幸せな終わり方ではない
そういう意味で、最後に本当の意味で「愛」を感じることができたのは、クリソベリルだけだ
これは失恋を大きな「強さ」に変えて現実と向き合い始める夜子と、憎しみの塊であった心が浄化されて愛を知り、贖罪を決意するクリソベリルの物語である
そして夜子とクリソベリルは似た者同士 夜子があってクリソベリルがある
夜子の納得はクリソベリルの納得 夜子の満足はクリソベリルの満足 つまりはそういうことなのだ
(夜子がいなければクリソベリルは魔法使いとして魔法の本を運んだりはしなかったはずである)
そう考えると、ヒロイン的には夜子の物語と呼ぶのが一番正しいだろう
総評
さて、ここまで章毎の感想を書いたものの、これはあくまでプレイ中の雑記が殆どである
今クリアした現在、自分の中に残っているこの作品に対する印象は、「どこまでも夜子のためのゲームだったな」本当にこれだけだ
本当に、悔しいくらいである あれだけ頑張って考えて、でも事実は覆されて、結局行きつく先にあるのは夜子が全てだという単純な事実
(クリソベリルは夜子である 夜子もクリソベリルも本質は同じ ただ他人の幸せが憎い 自分の思い通りにしたかっただけなのだ)
つまるところ作品全体としての事実を知るだけなら後半だけを読めばいい 本当にそういうシナリオなのである
だが、プレイしている途中の自分は、確かにこの物語を大いに楽しんだ
回収される伏線に一喜一憂し、驚き、涙を流す 今までの前提が覆されることを含めても、この物語が面白かったことには変わりがないのである
ただ今作、非常に癖が強いのだ 恋愛ものである癖に、キャラクターの恋愛感情を問う癖に、恋愛を肯定しない
どういうことかと言うと、まずキャラクターの恋愛に対する掘り下げはあまり深くないということ
好感度は常にマックスであると言ってもいいだろう キャラクターの濃さという意味ではそれぞれが独特の恋愛事情を抱えてはいるが、垣間見ることしかできない
そして、基本は失恋の物語だということ
恋が成就するのは全てif√だと思っている 成就しない恋を追い求め、失恋することが主軸に置かれる今作は、既存のエロゲとは大きく異なるし、人を選ぶ
trueエンドであるクリソベリル√?は、皆が失恋に成功した物語 分岐でかなたよりもクリソベリルだったので、おそらく切り捨てられているはずである
(クリソベリル的には愛を手に入れる物語だというのは先述の通り だがあくまでもクリソベリルはヒロインではない)
恋を描きながら失恋を描く エロゲとしては本当にやってはならないシナリオである
まあ、エロゲの定義と言えばエロがあることなのだが、それは抜きゲーに限った話だ
今作はあくまでもシナリオゲーとして展開されている これはどう考えてもエロゲではない
という訳で、自分はコレを「失恋ADV」と称したいと思う
でも失恋ADVだからと言って、イチャラブ成分が薄めなのはとてもつらい
恋が成就するif√の内容を、もうちょい充実させる方向もあったのではないか
凄く申し訳ないのだが運命予報、minstrelと比べてもキャラクターは遥かに魅力的なので、キャラ目的としてはとても惜しく感じるのではないかと思う
過去作minstrelと比較すると、あちらは短さを最大限に生かしテーマを表現することに全力を費やした
対して紙の上の魔法使いは、話が複雑である故、情報量がどうしても多くなってしまい、読み物としてもついていけない部分が多少見受けられてしまう
事実自体は単純だ だが、そこに行きつくまでに多くの情報があるので、それを上手く管理して結論を導き出せるか
考察ゲーじゃない癖に、考察ゲー並の情報量 読み手に依存する、評価の別れる作品である
ああ、不満点がいっぱい出てきてしまう あげてしまえばきりがないのがシナリオゲーと言うものだろうか
だが不満点が目立つということは、他が完璧であるからに他ならない
もう少しやりようがあったのではないか ライターとしては珍しく、無駄な情報も含まれていたように思う
とは言っても、面白い 昨今のエロゲ業界に足りないのはこういうシナリオ1本で勝負する成分だ
人を選ぶかもしれない それでもこのライターは、紙の上の魔法使いという作品を書き上げて、世に出すことを選んだのだ
ウグイスカグラという会社、及びルクルというライターには、今後もこういう物語を書き続けてほしい
エロゲ業界全体に、良い刺激をもたらしてくれることを期待している
(14/12/23追記)
以下は他の方の感想を読んで、自分の思いをはっきりさせておきたかったので追加した次第である
先に書いた感想と被っている部分は多々あるが、その辺は見逃して読んでいただけるととても嬉しい
今作における正解について
(ハッピーエンドであるとは限らない)
語るところがあるとすればここだろう
殆どの事柄は作品内で正解が明示されてしまっているため、考察する隙を与えない
何度も言うが、作品内の疑問については、基本的に言い尽くされてしまっている
だが、何が正しくて何が間違いか、それだけはこちら側が考えなければならない部分だ
それが個別√、及びtrueENDが正解か否か、という問題である
こればかりは誰もが違う意見を持っていいはずだ
妃√が正解だと言う方もいれば、かなた√が正解だと言う方もいるし、場合によっては理央√が正解だと思う方もいるかもしれない
さて、あくまでも自分はクリソベリル√が正解だと思っている
誰が何と言おうと、自分にとってはこれが正解である その理由について話しておきたい
①クリソベリル√は作品としてもtrueENDである
「何言ってんだこいつ、そりゃそうだろ」そう言われても言い返せないが、これは事実である
ライターはクリソベリルを受け入れる√こそが一番正しいとした その事実は曲がらない
②他の個別√は全て存在してはならないif√である
これも自分がこの感想において強調してきた部分だ
それぞれの個別が何故間違いであるかについて振り返っておきたい
理央√
理央は紙の上の存在であるが故、設定を破ることは絶対に許されない というか、絶対に設定を破れない
「四条瑠璃に恋をしてはならない」だったか、その設定を守り続けるのが紙の上の存在である
登場人物が設定を破っては物語は成立しない エロゲの主人公だとかヒロインが急に性格を変えたら意味が分からんのと一緒だ
妃√
実際にはこれが正解だと思う方も多いと思うが、自分としては否定しておきたい
と言うのも、妃が紙の上の存在として再び現世に(形を変えて)戻ってきた理由について考えることで見えてくる
妃は紙の上の存在であることを誰よりも望まない 理央のように受け入れることもなければ、早く目的を果たして消えてしまいたいと思っている
つまり妃にとっての最優先事項は、「瑠璃の自分に対する想いを断ち切ること」これに限られる
ここでの妃はあくまで紙の上の存在だと言うことを忘れてはならない 本の登場人物であってオリジナルではない
そして月社妃はオリジナルではない紙の上の存在である自分を認めないし、それに恋をする瑠璃も認めない
絶対に自分を曲げないキャラクターである妃が、この最優先事項を後回しにしてまで瑠璃と結ばれる時間を作るとは考えにくい
月社妃は、こんな簡単には曲がらないのである
夜子√
言うまでもないだろう
夜子が結ばれてしまったら何も解決しない
「紙の上の魔法使い」という、この作品自体を否定することになってしまう
「夜子が失恋する物語」であるという事実 これは自分が介入することはできない、作品内で言い尽くされた領域なのである
かなた√
これはあまり否定したくはないのだが、否定しなければならない
夜子が失恋し、かなたと結ばれたままこれからを生きていく
文句のないハッピーエンドであるが、肝心の元凶を完全に忘れ去ってしまうというのは如何なものか
これこそ超展開、理由のないハッピーエンドになってしまう
ハッピーエンドならそれでいいという問題ではない 全てを根底から解決して謎を残さない、これが本当のハッピーエンドの形だと自分は思うのだ
以上のように、全ての個別が(自分にとっては)存在してはならないif√として位置づけられているので、消去法的にもtrueENDは正解である
勿論消去法ではないのだが 自分がそうだと確信する理由を今から説明したい
③クリソベリルの贖罪
13章は紛れもない最後の章であり、ここでクリソベリルの贖罪が約束されることで物語が終結するのは事実である
だが、クリソベリルが今までしてきたことは非人道的な行為であり、到底許されるものではない
だからクリソベリルが許してもらえるような理由付けを13章でしておこう、確かにそういう意図はあったのかもしれない
問題は、クリソベリルが現世において働いた罪の重さと、アレクサンドリアが生きている時代に大衆が人々に働いた罪の重さが釣り合うかどうかという問題だ
確かに、クリソベリルが犯したのは1人にとどまらないし、その数も圧倒的である
もし13章がなければ一生恨まれ続けて今度こそ殺されるレベルの内容であるし、罪の重さが甚大であることに変わりはない
だが、その昔アレクサンドリアが受けた理不尽について考えてみよう
それを犯したのは複数の人間である(一番大きな罪をはたらいたのはおそらく父親であるが、ここではまとめておきたいと思う)
被害を受けたのはアレクサンドリア1人 他に被害者はいない
だって父親は最後にアレクサンドリアを裏切って逃げたから 最初からそうしておけばいいものを、最後の最後に裏切るというのが都合の良い人間のすることである
白い髪と赤い瞳を生まれ持ったそれだけで父親に忌み嫌われる
だが父親はその自分の気持ちを否定し、神の子として崇めることで儲けようとした 自分の気持ちに平気で嘘をついてそれをやり遂げる
そして疑われたら捨てる こいつは魔女だ、だから俺も騙されたのだと なんて都合の良い嘘なんだろう
個に対する理不尽の圧倒的な重さ、生まれただけで迫害される理不尽さ、全ての人に嫌われ、味方のいない孤独さ
クリソベリルが感じたこのどうしようもない悲哀に、完全に同情できる人はいるだろうか?
自分はいないと言い切れる クリソベリルの心中を知っているのはクリソベリルだけである
「お前が受けた理不尽はお前が現世で犯した罪と釣り合わない だからクリソベリルは許されるべきではない」こう思うのは少し早計ではないか
つまるところ、クリソベリルが現世で働いた罪と、過去に受けた罪が釣り合わないとは言い切れないのである
個人だからとか、規模が違うからだとか、そういうことを言いたいのではない
1回の罪の重さが、複数回の罪に並ぶこともあり得るし、超えてしまうこともある 現代日本にも同じことが言えると思う
彼女は恨みだけを糧に生きてきた だから恨みしか知らないし、初めて愛を知るのが13章なのだから、それまでは恨みが原動力となる行動しか出来なかったのだ
悪いのは全て過去の人間である 恨みだけを持ったクリソベリルを作り出したのも過去の人間だ
そしてその過去の人間がクリソベリルに与えた罪は甚大である 本当に恨むべきなのは、罪を犯した夜子の先祖及び罪を犯した大衆なのである
(これで意見を完結させれば楽だが、過去の人間は戻ってこないから、それは出来ない)
そういう訳で、「必ずしもクリソベリルの罪が許されない訳ではないし、一生かけて償っていけば問題はない」自分はこう思う
(妃スキーと瑠璃スキーの方には本当に申し訳ない)
とは言っても罪は確かに重い 死んだ人間は二度と戻ってこない だから一生かけてそれを償っていくことは絶対だ
「人生とは知らないことを学ぶことである」とすれば、クリソベリルはこれから愛されることを学び、罪を償うことを学ぶのだろう
恨みという感情の他に何もわからないクリソベリルに何を言っても通用しない 必要なのは、間違っていることを正してそれを正しく実践させることなのだ
以上の理由で、自分はクリソベリルに必要なのは幸せを知ることであると思う
彼女に幸せを与えてあげないことには何も始まらない そこで物語は停滞してしまう
「紙の上の魔法使い」の謎が全て解け、彼女が満足するまで、この物語は終わらない
だからtrueEND、つまるところクリソベリルを受け入れて愛を与える終わり方は、この作品の締めとしてこの上なく相応しいのだ
※これは全て自分の妄想です
余談(夜子ちゃんのお尻について)
自分はトレーダーでこの作品を購入した 何が目的か?勿論お尻タペストリーである
では、あれがどういうものかについて考えてみよう
まず背景…はどうでもいいだろう どこでもいい
推測するに夜子の部屋の本棚の前だろうか まあいいや、どうでもいい
次に衣装 どうやら黒猫のコスプレをしているご様子
ネコミミに尻尾 尻尾の先にはリボンがついていて何とも可愛らしい
ネコミミの後ろにこっそり髪飾りもついているっぽい ん、中々凝っているな…
注目すべき点はそこだけではなく、服にもある この露出度の高さ 乳首がチラっと見えている感じ
昨今のタペストリーはこういう微エロ成分が足りない がっつりじゃない!チラっとだ!
そしてパンツ!もうこの食い込み具合がたまらない 黒いパンツが良い感じに食い込み、夜子ちゃんの白いお尻が露わになる
尻フェチがこれに興奮せずして、何に興奮しようか
次に状況
体は本棚の方に向けつつも、顔はこちら側へ向いている 何とも恥ずかしそうな顔をしてこちらを向いている
ただこちら側を向いているだけではない 尻を強調するようにしてこちら側を向いているのである
もう誘っているとしか思えない 恥ずかしいのに尻を見せてくれるのか?俺の自由にしていいのか?
ここまででも十分お分かりいただけたと思うが、微エロなのに実にエロい素晴らしい絵柄だと思う
微エロなのにがっつりしたエロに負けないこの何とも言えん素晴らしさ
いやもう本当にたまらん という訳で少しだけ妄想劇場にお付き合いいただきたい
夜子ちゃんのキャラクターは、瑠璃のことがとにかく嫌いなツンツンした性格
いや、実際には心から嫌っているわけではないのだが、嫌いと言わざるを得ないような、そんな複雑な距離感である
見ている側は主人公視点だから瑠璃としよう いや、あえて自分を重ねて夜子ちゃんに嫌われている状況を楽しむのもアリかもしれない
さて、夜子ちゃんは自分のことを嫌っている なのにお尻を向けて恥ずかしがりながら誘っているようにも見える
いや、この状況は自分が夜子ちゃんの弱みを握って強要させたものなのかもしれない そうだとしたらますます滾る
そして夜子ちゃんの期待を裏切ってはならない 今ここで、お尻を一発叩く
ここで夜子ちゃんが感じているのはどういう気持ちか プライドは無駄に高い夜子ちゃんだから相当の屈辱を感じているに違いない
お尻を見てただ興奮しているだけのキモオタにお尻を叩かれる気持ち 想像するだけで高まってくる
つまるところ、嫌がる夜子ちゃんにお尻を見せることを強要させ、それを叩くという何とも高まる妄想が出来上がってしまうのである
確かに自分は尻叩きが好きなのでこういう状況がたまらなく好きだが、人によってはウサミミをつけて恥ずかしがる夜子ちゃんが好きだったりもするだろう
(勿論、エロさ全開の裸ワイシャツもアリだと思う あれもたまらなくエロい)
尻を取るか、ウサミミを取るか、裸ワイシャツの純粋なエロさを取るか 夜子妄想はとどまることを知らない