本編とあわせて加点式での点数。ダメなところも多いが表現しきったものの出来はよかった。中途半端な部分も多く、減点式なら70点くらいまでさがる。
まず本作は2つのテーマがあることを思い出して頂きたい
「他人の思考が分からない」
「アイ(愛、i)はどこからきてどこへいくのか」
これを受けて無印では
「いくら考えても解けない問題に対して、歩みをとめない君が好きです」
という答えがだされた。
要は だからよ、止まるんじゃねぇぞ……である。
これじゃ意味がわからない。
そこでアポロクライシスではさらに踏み込んだ描写をしたのだと思う。
まず、「他人の思考が分からない」という問題について。
これは分からないことが問題なのではなく、
他人とは分かりあうべきだ 理解しあうことが最善なんだ なのに「他人の思考が分からない」という問題だった。
だがそもそも理解しあうことは最善だろうか? 意思が1つになることは素晴らしいことだろうか?
それは仕向けられたものではないだろうか?
劇中で周太が抗ったように、むしろ他人からの理解を拒絶することで、自我は成立している。
野上が激昂したように、勝手に他人のからまった想いをほどくのは暴力でさえある。
つまり。
他人の思考が分からない、というのは、相手の自我を認める以上当然の現象なのだ。
では、私たちはそれぞれ一人でいることが正しいのだろうか?
他人を理解しようとすることを、愛を放棄していいのだろうか?
それは危うい。
一人でいるということは、他人との関係性を放棄するということだ。
街に灯りをともさない、ということだ。
周太のいう、「自分を守るための力」はその中にこそある。
じゃぁ「アイ(愛、i)はどこからきてどこへいくのか」
他人を理解できないことを肯定しつつ、それでも理解しようとする矛盾した態度。
「いくら考えても解けない問題に対して、歩みをとめない」
そんな非生産的なことの繰り返しで、どこへ辿り着けばいいのだろうか。
エピローグでの周太とロミは、そのひとつの答えであるように見えた。
互いに追い求め、手を伸ばす。
いつすれ違って、崩れてしまっても不思議じゃない。
そんな不安定さが、こわくて、逃げたくても。大切なものの傍にいようとすること。
そんな険しい道がきっと、しあわせをうんでいくのだろう。
すばらしいENDはすべてのマイナスを覆す。
終わりよければすべてよし。
名作の域だと考える。
「新世界のα」という名曲によってうまれた物語。それにふさわしい結末を描いた点で、80点。
そこに語られたテーマ自体の魅力、という点で+5点。
シグマかわいいよシグマ+1点。
合計86点とします。
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追記
「フィクション」と現実へ帰ることの是非について。
無印の開始時点で、周太は2つのフィクションに囚われていた。
有村ロミの演じる、本来は存在しない「比村茜」というフィクション。
シグマがもたらした、「継承こそがあなたの望む新世界」というフィクション。
このフィクションはどちらも、放置すれば、彼の未来を強烈に決定付けてしまう。
そこで有村ロミは決意した。
周太からすべてのフィクションをとりはらい、周太自身に彼の未来を返すべきだと。
その方法として「街に明かりを灯せ」「人と交流しろ」、フィクションから現実へ帰れ、と周太に促したのだ。
だがアポロクライシスで、周太はそのとおりにはしなかった。
シグマは拒否しても、有村ロミには手を伸ばした。
あれだけ周囲と交流したのに、結局すべて捨ててロミだけを追い求めた。
現実に帰らずフィクションにどっぷりとつかってしまった。
これじゃ物語のテーマが崩れてるじゃないか、ご都合主義のハッピーエンドである、という批判を見かけた。
だけど、それでもいいのではないか?
矛盾しながらも、ひとつの観点に固執せず、見たい景色を見に行く。
周太はロミの与えてくれた手段にすら、完全には囚われなかった。自分で判断する道をえらんだ。
ロミが好きだといった、歩みをとめない、というのは、そういうものだと思う。
そして、アポロクライシスの結末のそれは、たしかに美しかった。