ErogameScape -エロゲー批評空間-

nanachanさんのひまわり -Pebble in the Sky-の長文感想

ユーザー
nanachan
ゲーム
ひまわり -Pebble in the Sky-
ブランド
FrontWing
得点
76
参照数
358

一言コメント

原作(PSP版)をプレイした当時とは本作に対する見方が結構変わりましたね。こういう読ませるタイプのエロゲーを時間を置いて再プレイするのも面白いものです。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

えー、突然ですが、この感想を読んでくださっているオタクの皆様の中には、ここ批評空間やご自身のブログ等でエロゲーの感想を書いているって方がそれなりにおられることと思います。そして、中にはご自身が書かれた過去の感想を読んで「へったくそな文章やなあwww」とか「うわっww何こいつ恥ずかしいこと書いてんだよwww」とか思われたことのある方も多いのではないでしょうか。

ぼくも思ったことがあります。というか、ぶっちゃけ自分の昔のエロゲー感想を読み返すと3回に1回くらいはこいつ書き直してやりてぇ……(めんどくさいので書き直さない)くらいのことは思います。いやほんと、後から読み返すと、自分の作品に対する見方が変わっていたり、感想のツッコミどころに気付いたりっていうことって意外と多いんすよ。

…で、この『ひまわり』という作品、今回はリメイクのPC版をプレイしたわけですが、実はぼく、リメイク前の原作PSP版を既にやっているんですよね。天才ぼくは思いました、「これいい機会やん!あんとき書いた感想にセルフツッコミしてみよww」と。

はい、というわけで、今回は、ぼくが4年前に書きました『ひまわり』PSP版の感想(https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13526&uid=nanachan)を叩き台にして、色々ツッコんで遊んでみようということでお送りいたしますので、どうかよろしくお願いします。



では、まずは引用から。


―私にとって「ひまわり」という作品は,アクアの物語と同義である。そして,その物語は,これ以上ないくらいに人間という存在の本質を突いているのかもしれない。


前面に押し出されているSF要素は,物語に味付けをするためのスパイスでしかない。
他のルートやストーリーは,はっきり言って蛇足でしかない。
個性的な他の登場人物たちも,物語を成立させるための舞台装置でしかない。

アクアの物語こそが「ひまわり」という作品の本質であり,私にとっての「ひまわり」という作品は,アクアの物語がその全てである。
そう思えて止まない程に,アクアの物語は圧巻であった。


2章。2048年。
外界とは切り離された宇宙ステーション「ひまわり」で生まれ,生きる理由さえ分からなかった,いや,そうやって心を凍てつかせなければ宇宙という暗く閉ざされた世界で生きていけなかった彼女は,「大吾」と出会う。
心を凍らせて,孤独に身を置くことで自らを守っていた彼女は,彼と過ごす日々の中で,人と触れ合うことの暖かさを知っていく。
そうして,彼女は,恋に落ちていく。
彼女にとって初めての経験であったその時間は,彼女の生の中で最も幸せな時間であったのかもしれない。

しかし,その幸せの時間は終わりを迎える。
大吾は,彼が愛した「明香里」に囚われ,ついにはアクアを見失ってしまう。
そして,そのままアクアの腕の中で息を引き取ることになる。
深い悲しみと絶望に苛まれても,それでも彼女の生は終わらない。


3章。2050年。
アクアは初めて地球の大地を踏み,陽一と出会う。
陽一は,「アオイ」を今でも想い続け,アクアも大吾を今でも忘れられない。
過去に縛られ続ける二人は,それでも互いに惹かれあい,心にポッカリ空いた穴を埋めようとする。
前を向いて歩いて行こうとする。

おそらく,作中の時間上での二人にとっての一番幸せな時間は,アオイと過ごした時間であり,大吾と過ごした時間であるのだと思う。
この先の未来で,それ以上に幸せな時間が訪れるのかなんて分からない。
そんなものは,永遠に叶うことのない夢なのかもしれない。
それでも二人は共に進んでいく。
いつか夢が叶う,そんな「奇跡」を信じて。


今が一番幸せだと,胸を張って言える人間がどれだけいるだろうか。
人間だれしもが,今以上に幸せだったと思う時間を過去に持っているのではないだろうか。
これから先の未来にそれ以上の幸せが待っているかなんて,誰にも分からない。
そんな不安を,誰もが大なり小なり抱えているのではないか。
それでも,生きることは辞められない。
過去に縛られ続けたままではいられない。
だからこそ人は,そんな不安を抱えながらも,その先にある幸せを信じて,周りの人間と手を取り合って生きていく「しかできない」のではないか。
人は一人では生きていけないとはよく耳にするが,それはそんな不安を一人で抱えきれるだけ人は強くないからなのかもしれない。

エロゲーに限らず,世の中にはハッピーエンドを描いた物語が溢れかえるほど存在している。
そして,その結末では,ほぼ全てといってもよいくらい,作中での「最高の幸せ」の状態が描かれている。
しかし,「その先」の未来で,彼らが幸せでいるかは誰にもわからない。

アクアの物語は,「その先」を描いているのである。
彼女にとっての「最高の幸せ」が2章にあるとすれば,3章は「その先」の物語。
彼女の物語は,他の物語のように「最高の幸せ」で終わってくれることはなく,彼女は「その先」を生きていかなければならなかった。
そして,我々の人生も,物語のように「最高の幸せ」の状態を切り取ってくれることはなく,長い「その先」が残されることになる。
「最高の幸せ」以上の奇跡を「その先」に信じて歩み続ける彼女の姿は,長い人生を生き続ける我々の姿そのものなのではないか。
もしかすると,本作のアクアの物語は,人間という存在の本質を限りなく鋭く突いているのかもしれない。

そうしてみると,陽一と手を取り合って,奇跡を信じて歩いていく彼女の姿は,ライターの人生観そのものであり,我々へのメッセージであるのであろう。
そして,そのメッセージ性は,人間という存在の本質に向けてのものである分,恐ろしく強い。
このような作品が同人から出て,いや,同人という自由な畑であるからこそ出たのかもしれないが,何にせよ圧倒された。


日常の描写が退屈気味であったり,展開・進行が冗長であったり,蛇足部分が多く含まれていたり,全体としてみれば不満点は多々ある。
しかし,少なくとも私にとっては全てであったアクアの物語だけは,傑作であると迷いなく言い切ることができる。

(nanachanさんの「ひまわり -Pebble in the Sky-」の感想 2013年10月14日)



……うん、まあ、あれっすね。すでに一言感想から、「こいつこれ書いてるうちに自分に酔っちゃったんじゃねえの?w」って感じできついっす。内容的にも、なんだか堅っ苦しい言葉遣いしてやがるし、人間の存在とか人生観とかそういう高尚風な話に絡めて理解しようとするっていう、エロゲーオタクが割とよくやりがちな感じにカッコつけて纏めてて、顔から火が出るほど恥ずかしいですね。

でもぼくが赤面したところで微塵も可愛くないので、そういうのは内気なエロゲーヒロインにでも任せるとして、ぼちぼち見ていくことにしましょう。



>前面に押し出されているSF要素は,物語に味付けをするためのスパイスでしかない。
>他のルートやストーリーは,はっきり言って蛇足でしかない。
>個性的な他の登場人物たちも,物語を成立させるための舞台装置でしかない。

>アクアの物語こそが「ひまわり」という作品の本質であり,私にとっての「ひまわり」という作品は,アクアの物語がその全てである。


冒頭のこの部分、ここについては今でも基本的に認識は変わっていないです。

形式的にみても、Restart編の2048年から現代編アクア√の2050年までという、作中時間的にもプレイ時間的にも他2ヒロインに比べ長い時間アクアは主人公として描かれます。加えて、アクア編後の物語を描いた『ひまわりアクアアフター』(未プレイなのでやらなきゃ…)なるものが発売されてもいます。

また、実質的にみても、アリエス√は1周目としての導入と伏線を張り巡らせることがその役目でしょう。明香√の主な役割は、アクア√まででおそらくプレイヤーの中での株が下がりまくっている西園寺明くんの名誉を挽回してあげることにあるのではないかと考えています。要は、この2人の√には、特にヒロインとして攻略をすることに特別な意味を見出せないんですよね。あぁ、アクア√だけじゃエロゲーとして不味いからねー暗いな感じで。本編クリア後の追加ストーリーも舞台裏の補完的な内容ですしね。というわけで、この作品の本質、ごぉさんが書きたかったことが詰まっているとしたら、それはアクア編だといって差し支えないと思います。



>エロゲーに限らず,世の中にはハッピーエンドを描いた物語が溢れかえるほど存在している。
>そして,その結末では,ほぼ全てといってもよいくらい,作中での「最高の幸せ」の状態が描かれている。
>しかし,「その先」の未来で,彼らが幸せでいるかは誰にもわからない。

>アクアの物語は,「その先」を描いているのである。
>彼女にとっての「最高の幸せ」が2章にあるとすれば,3章は「その先」の物語。
>彼女の物語は,他の物語のように「最高の幸せ」で終わってくれることはなく,彼女は「その先」を生きていかなければならなかった。


この部分は、アクア編の客観的な構成面の話なので、その通りだなって思います。ただ、アクアの物語の「その先」についての捉え方が、この当時と現在では変わっているんですよね。だから、結局、『ひまわり』という作品に対する印象も結構変わっていますね。下に続きます。



>おそらく,作中の時間上での二人にとっての一番幸せな時間は,アオイと過ごした時間であり,大吾と過ごした時間であるのだと思う。
>この先の未来で,それ以上に幸せな時間が訪れるのかなんて分からない。
>そんなものは,永遠に叶うことのない夢なのかもしれない。


ぼくが今回、再プレイにあたって最も感じ方が変わったのがここなんですよね。

確かに、アクアが大吾と、陽一がアオイと過ごした時間が幸せだったろうってのは揺るがないと思います。でも、アクア√のエンドのアクアの笑顔、「…今、すっごく幸せ。信じられないくらい幸せ」っていうセリフが偽物や妥協の産物であるようには思えないんです。あぁ、この子は大吾と過ごした時間と同じかそれ以上の幸せを手に入れたんだな、良かった良かった…って素直に思えてしまいます。

こうして今振り返ってみると、このエンドを見ても大吾との時間には敵わないっていう趣旨の感想を残した当時のぼくはすごく穿った見方をしていたんじゃないかって。じゃあ何が原因でそう思ったのかって考えてみると、まず一点が、キャラクターとして陽一があまり好きじゃなくて、逆に大吾は好きだったってこと。二点目が、エロゲーにおける「初恋偏重主義」に囚われ過ぎていたのではないかってこと。この二点から、アクア→大吾、陽一→アオイという二つの矢印をある種神格化してしまっていて、アクアと陽一の間の双方向の矢印を素直に受け止めきれなかったのではないかと思います。



>それでも,生きることは辞められない。
>過去に縛られ続けたままではいられない。
>だからこそ人は,そんな不安を抱えながらも,その先にある幸せを信じて,周りの人間と手を取り合って生きていく「しかできない」のではないか。


そうしてみると、やっぱり本作の主題についての見方も変わってきちゃいますよね。

当時のぼくは、「しかできない」という文面からもわかるように、この作品をどこか後ろ向きに捉えていました。でも、上のような見方をすると、アクアの物語はまさに「最高の幸せ」を切り取った段階で終わっているんですよね。そうすると、生まれも育ちも不幸で、初恋も実らなかったアクアちゃんが、遂に最高のハッピーエンドをその手に掴み取るまでを描いた物語というふうに見ることができて、なるほど今回はアクア編については読後感もすっきり爽やかで、読み物として率直に良かったなあと思えました。

けど、それはそれでどうなのかなあっていうところがありまして、要はこれハッピーエンドと捉えちゃうことは、ぼくが当時感じた強いメッセージ性を打ち消すことにもつながるんですよ。だって、「最高の幸せ」の状態で終わるハッピーエンドなんて、それこそそこらに溢れかえっているモノと同じじゃないですか。

この辺のことについて、feeさんが非常に巧いこと纏めておられます。feeさんは本作のテーマの最終結論として、「人は生きていく。素晴らしい時間が永遠に過ぎ去ってしまったとしても、生きていればきっといいこともある。【その「いいこと」が、かつての時間に匹敵するほど素晴らしいかどうかは別にして】」(feeさんの「ひまわり」の感想 https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=10550&uid=fee 2017年7月22日にアクセス)とされています。

これ、ぼくが今回プレイして感じたように捉えますと、「人は生きていく。素晴らしい時間が永遠に過ぎ去ってしまったとしても、生きていればきっといいこともある。」となるんですよね。要は全肯定。でもそれって人間の本質をついているかっていうと疑問で、やっぱり「【その「いいこと」が、かつての時間に匹敵するほど素晴らしいかどうかは別にして】」っていうある種後ろ向きな部分こそが本質をついているんじゃないかと思うわけです。そして、そう捉えたからこそ、アクアの物語に他とは一線を画する凄みを感じて圧倒されたわけです。それが感じられなくなった今、昔のように傑作とまで言えるかというと、ノーと言わざるを得ないかなあと。

ただ、いまだ未プレイの『ひまわりアクアアフター』がアクアちゃんの幸せをまるっきりひっくり返すような代物だっていう話を聞いてもいるので、それをプレイした後ではまた感じ方も変わってくるのかもしれませんね。そのときはまた改めて感想を書き直したいと思います(書くとは言ってない)。



というわけで、完全に見切り発車でやり始めたことでしたが、やってみると自分の考え方や感じ方の変化が見て取れて案外面白かったですね。あ、最後に一つだけ。絵のロリロリしさが失われたのは由々しき事態です。許しがたいです。それでは今日はこの辺で。