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nanachanさんの恋×シンアイ彼女の長文感想

ユーザー
nanachan
ゲーム
恋×シンアイ彼女
ブランド
Us:track
得点
87
参照数
5572

一言コメント

星奏√及び終章のメッセージ性とその伝達を阻害する要因について

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

※この感想中には、「WHITE ALBUM2 ~closing chapter~」、「ひまわり -Pebble in the Sky-」、「はつゆきさくら」の三作品についての言及があります。

1 はじめに

まずはじめに私のこの作品に対するスタンスを述べておくと、星奏√及び終章が全て……とまでは言わないまでも、9割くらいはそれらによって占められている。星奏以外の3人の√は私にとって殊に何かを感じさせられるものではなかったし、おそらく近いうちに風化していくのだと思う。そのため私が以下に記していくことは大部分が星奏√及び終章についてのことであり、作品全体を総括的に述べる類のものではないことはあらかじめご了承頂きたい。


2 星奏√及び終章の性質

唐突だが、エロゲーというジャンルはその大半が恋愛ADVであり、恋愛というものは必然的に1人では出来ないものであるため、エロゲーにおける個別√というものはその大部分が主人公とヒロインの2人のための物語であるように思われる。しかし、稀にではあるが、他の誰のためのものでもないある特定の人物のための物語が存在する。これは何も「私はこのヒロインが好きだからこのヒロインのための物語だと考える」などという主観的レベルの話ではなく、その構成上客観的に見てある特定の人物のための物語だといえるものが存在するということである。例を挙げるとすれば、「WHITE ALBUM2」がヒロインの一人である雪菜のための物語となっていることであろうか。この点については、kurobekoさんと議論を重ねた結果、かずさ派から見ても「WHITE ALBUM2」は雪菜のための物語であるとの結論に至ったので、本論の補強のために併せて引っ張っておく。
(筆者の「WHITE ALBUM2 ~closing chapter~」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13255&uid=nanachan)
(kurobekoさんの「WHITE ALBUM2 ~closing chapter~」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13255&uid=kurobeko)

そして、本作の星奏√及び終章に対する私の立場を明らかにすると、私はこれを他の誰のためでもない主人公國見洸太郎のための物語であると解釈している。これは星奏以外の3人の√が洸太郎と√ヒロインのための物語となっていることと対照的である。この点に関する詳細な理由については本論から逸れるために割愛するが、端的に言えばこの3人の√は「あたたかくて甘酸っぱい初恋物語」という本作のコンセプト通りの、主人公とヒロインの恋愛模様を綴ったストーリーとなっているからである。この時点で既に星奏√及び終章は他の3人の√とは異質なものであり、また作品のコンセプトとも齟齬が生じている。その齟齬の是非についてはここでは一先ず置いておくが(この点については後述する)、とりあえずはそういうもので、星奏√及び終章の主題は他の3人の√とは主題が本質的に異なるということにして論を進めたい。


さて、それではまずは、私が星奏√及び終章を洸太郎のための物語であると断ずるに至った理由を述べていこうと思う。それは以下の4点によるものである。

①星奏√及び終章の核となる部分は終章である
②終章から洸太郎にボイスが付される
③洸太郎以外の一切の視点が登場しない
④ヒロイン星奏に関する描写が非常に薄い

①は終章が星奏√から連続するお話であり、また終章が4人の√を攻略後に開放されるオーラス√に位置づけられる重要性を有しているという事実から明らかであろう。そして、核となる終章が洸太郎のための物語であるということになれば、前部分である星奏√もそれに準ずることになるということも言って良いであろう。②はボイスを付すことによって聴覚の面からプレイヤーの意識を洸太郎へと誘導するとともに、終章に入ってはっきりと何かが変化したという印象を持たせることを意図したものと考えられる。③はこれまで時折挿入されていた他キャラクターの視点を排除することでプレイヤーに完全に洸太郎視点から読み進めさせることを狙っているといえる。④は③にも関連することではあるが、まず星奏視点から物語が進められることは一切なく、視点とまではいかないまでも、洸太郎が知覚しない星奏の独白などといった細かいものも全く登場しなかったように記憶している。また、外側から第三者的に星奏の状況等が説明されること(例えば地の文で「星奏は〇〇であった」など)もなかった。これが洸太郎のみならず星奏のための物語でもあったのなら、彼女が何を考えどのような行動を事実としてとったのかということをプレイヤーに情報として与えるのが通常であろうし、少なくとも他の4つの√では主人公が知り得る以外の他キャラクターの情報を多少なりとも伝えてきたのであるから、ここに至ってあえてそれを切る必要性はまるでない。

以上から、星奏√及び終章は洸太郎のための物語であると考えられるが、そうするとここで製作陣、いや、ライターである新島夕氏が既にTwitterで星奏√を担当されたことを明言されているので、新島氏としましょうか、が最も力を注がれたことが洸太郎の姿であったということが言えよう。そうすると次に、彼が洸太郎の姿を通して何を描きたかったのかという話になるわけであるが、それは星奏との恋愛模様だったのであろうか。いや、それが全く無いというつもりは無いが、後にも述べるように、この√が非常にメッセージ性の強いものになっていることからすれば、その内容を主題としていると考えるのが自然だろう。要するに、この√は恋愛を題材にしつつも、その恋愛自体を描くのが主目的ではなく、テーマは別のところにあったということが言えるわけだ。


3 星奏√及び終章のメッセージ

それでは次に、このテーマが何であったのかという点に移りたいのであるが、その前提として星奏√及び終章において洸太郎がどのような状況に置かれたかについて概観していこう。

小学校時代、星奏と仲良くなり幸せな日々を過ごしていた彼は星奏に告白の手紙を渡すが、返事を貰えないままに星奏は転校してしまう。これがトラウマとなり、彼は恋愛に対する拒否反応を示すようになる。
学園生時代、彼は星奏と再会し、トラウマに打ち克ち星奏に再度告白し、晴れて付き合うことになる。しかし、星奏の転校により彼は再度振られることになる。悲しみの中でも彼は去りゆく星奏に追いつきたいとの想いから小説を書く。
教師時代、彼は再度星奏と再会し、当初は自分を振り回した星奏に対しきつく当たるも、彼女への想いは捨てきれず告白し、三度付き合うことになる。しかし、結婚を申し込んだ翌日に「もう二度と会わない」という手紙を残し、彼女は彼の前を去った。悲しみに暮れ一時期は停滞するも、ルポライターとして姿を消した彼女の痕跡を追いかける。そうしていくうちに彼は彼女を全力で追いかけるも追いつけなかった日々は決して無駄なものだったのではなく、輝いていたということを噛みしめていくことになる。

つまるところ彼は、幸せと絶望を繰り返しながらも星奏という少女を全力で追いかけたのだ。時には失意に沈み停滞しながらも、彼女に追いつこうと必死になったのだ。


「ひまわり」という同人作品がある。サークル「ぶらんくのーと」が生み出した作品で、壮大に作り込まれたSF世界観と読み手の胸を打つシナリオにはファンも多いことだろう。私はこの作品のPSP移植版をプレイし、ヒロインの1人アクアの物語に感銘を覚え、過去に批評空間においてもこの点に焦点を当てた感想を投稿しているのだが、本作をプレイし終えたときにこのアクアの物語がふと頭をよぎった。恥ずかしながら感想の一部を引用したいと思う。

―エロゲーに限らず、世の中にはハッピーエンドを描いた物語が溢れかえるほど存在している。
そして、その結末では、ほぼ全てといってもよいくらい、作中での「最高の幸せ」の状態が描かれている。
しかし、「その先」の未来で、彼らが幸せでいるかは誰にもわからない。

アクアの物語は、「その先」を描いているのである。
彼女にとっての「最高の幸せ」が2章にあるとすれば、3章は「その先」の物語。
彼女の物語は、他の物語のように「最高の幸せ」で終わってくれることはなく、彼女は「その先」を生きていかなければならなかった。
そして、我々の人生も、物語のように「最高の幸せ」の状態を切り取ってくれることはなく、長い「その先」が残されることになる。
「最高の幸せ」以上の奇跡を「その先」に信じて歩み続ける彼女の姿は、長い人生を生き続ける我々の姿そのものなのではないか。
もしかすると,本作のアクアの物語は、人間という存在の本質を限りなく鋭く突いているのかもしれない。

そうしてみると、……彼女の姿は、ライターの人生観そのものであり、我々へのメッセージであるのであろう。
そして、そのメッセージ性は、人間という存在の本質に向けてのものである分、恐ろしく強い。―
(筆者の「ひまわり -Pebble in the Sky-」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13526&uid=nanachan)


洸太郎にとって作中での「最高の幸せ」の時間は、小学校での星奏と仲良く過ごした時間や、彼女と恋人となり過ごした時間であろう。しかし、彼の物語もアクアの物語と同様にそこで終わってくれることはなく、彼は彼女に振られ「最高の幸せ」を失った「その先」を歩いていかなければならなかった。二度ならず三度までもである。そして「その先」で彼がどうしたか。上で述べたように、星奏という少女を全力で追いかけた。二度目の告白での「好きだ」という叫び、三度目の告白で振り絞った勇気、それらは私の心に確かに響いた。

何度挫けようと全力で。それが新島氏が星奏√及び終章に込めた想いだったのではないか。洸太郎の姿は我々プレイヤー、彼が追いかけ続けた星奏は全力の対象たる目標の象徴だったのではないか。人間という存在の本質に向けられたメッセージ。「ひまわり」のライターであるごぉ氏は「その先にある幸せを信じて,周りの人間と手を取り合って生きていくしかないんだ」という想いを込めた。本作のライターである新島氏は「挫けようと全力で立ち向かっていくしかないんだ」という考えを示した。どちらのメッセージ性も恐ろしく強いものであると感じる。


また、同じように脳裏に浮かんだのが、新島氏の過去作である「はつゆきさくら」である。「はつゆきさくら」においては主人公の初雪は、想い人であったヒロイン桜の想いを受け取り、過去に縋り続けるための復讐を卒業し、桜のいない世界へと歩き出した。その彼の独白に次のようなものがある。

―前に進んで振り返ってみたときこそ、当時は何かに曇っていた風景がやっと、
明晰に眺めることが出来るのかもしれない。
だから進まなければならないのかもしれない。―
(『はつゆきさくら』「Chapter29 GhostGraduation」より)

星奏との三度目の別れの後、ルポライターとして彼女の痕跡を追い求める中で、彼女を追いかけた日々が輝いていたと振り返るようになった洸太郎の姿は、まさしく初雪が桜のいない世界を歩き出した未来の姿と重なって見える。全力で日々を駆け抜けるからこそ、その結果がどうであれ、後になって良かったと振り返ることが出来るというメッセージが込められているように私には感じられた。だから進もうと。

これらの未来志向な強いメッセージを、主人公國見洸太郎の姿を通し、新島氏の絶妙な間合いで畳みかけるような独特なテキストに乗せてぶつけてくる星奏√及び終章に、プレイ直後はまるで抜け殻のように放心状態にさせられた。この√は間違いなく私の心に永く残り続けていくことと思う。


4 星奏√及び終章の問題点

もっとも残念なことに、この星奏√及び終章はその有する非常に強いメッセージ性を伝達する前段階での数々の阻害要因が存在することも確かなのである。それは大きく分けて本作のキャラクターから生じる要因と本作へのプレイヤーの期待から生じる要因があると考える。ここからはこれら本作の問題点というべきものについて述べていきたい。


4-1 本作のキャラクターから生じる阻害要因

本作のキャラクターから生じる要因には主に二つのものがあると思われる。

第一に、√ヒロインである星奏のキャラクター性による要因である。既に本√が洸太郎のための物語として構成されているという点については述べたが、その割を完全に食うことになってしまったキャラクターが存在する。誰を隠そう星奏である。

本√が洸太郎のための物語となっているということは、すなわち本√では洸太郎の姿を描き出すことが何よりも優先される目的となるということを意味し、彼以外の人物のキャラクター性等その他の要素については度外視までとは言わないまでも、一歩後退せざるを得ない。極端な言い方をすれば、彼以外の人物は彼の物語を成立させるための舞台装置に過ぎないものといえる。彼の物語にとってある程度都合のよい役割を演じさせられることも、本√を上述までのような構成とするためには致し方なしというわけである。そのことは新島氏の側でも割り切られていることであろうし、その前提に立った上で本√は描かれているものであると思われる。そして、本√では洸太郎に対して何度も繰り返し挫折を味合わせるということが、ストーリー上必要不可欠であった。この挫折という要素は、例えば青春部活物ストーリーであれば強大なライバルの出現や大会での敗北であったりと、メインキャラクターとは関係のないところに壁を作出することで与えることが可能である。しかし、本作が題材とした恋愛においては、<恋愛における壁=想い人に振られる>という図式以外にまず成り立たせようがないために、必然的に星奏がその役割をこなさなければならなかった。その結果が洸太郎を何度も振ることになったという星奏の行動であるといえる。

もっとも、なるほどいくら新島氏の側で割り切って描かれたものであるとはいえ、プレイヤーの側は同じ前提に立つことを強制されるわけはないため、彼女のその行動がプレイヤーにとって不快に映り、非難の的となる危険性が大きいことは火を見るよりも明らかである。曰く「洸太郎よりも音楽を優先する女」、曰く「身勝手な女」、曰く「自己中な女」。いくら洸太郎のための物語とはいえ、立ち位置的には√ヒロインである彼女を不快に感じてしまったら、物語に入り込むどころの話ではないだろう。こうして見ると、本作の題材である「恋愛」と「挫折」という要素はそもそもミスマッチを生じる危険性を多分に孕んだものであったのかもしれないものであり、この食い合わせが悪かったという点も併せて問題点として指摘し得るだろう。

さらに言えば、彼女に同じ行動を取らせるとしても、その行動が多くのプレイヤーにとって納得の出来るものであったならば、彼女に対してプレイヤーが抱く不快感は幾分かは軽減されていたであろう。すなわち、彼女がかかる行動を取るに際して彼女の側から心情を描写したり、または第三者的視点から彼女の窮状をより子細に説明したりするなどすれば、彼女に対する非難はある程度抑えられていたのかもしれないのである。しかし、本√を洸太郎のための物語と構成し、プレイヤーの目を可能な限り彼に集中させるという選択をした以上、星奏についてこのような描写や説明をすることは本√の目的から逸れてしまう結果をもたらす可能性がある。このあたりの本√の目的と星奏に対するプレイヤーの感情との調整のバランスを、新島氏はほぼ100:0で前者を優先するという形で割り切ったのであろう。この純目的適合的というべき姿勢を私自身は評価したいが、プレイヤーが彼女に対し理解を示すための下地作りを後退させたことにより、彼女に対する印象はプレイヤー個々人の感性に依存する部分が大きくなり、いわゆる「人を選ぶ」結果となったことも事実であろう。


とはいえ、作中でなされた描写から読み取ることの出来る情報に基づいたとしても、私自身は星奏というキャラクターをどうしても嫌いにはなれなかった、というよりもかなり好意的に捉えていたので、彼女に対する擁護はしておこうと思う。

彼女は上述のように都合三回に渡り洸太郎を振ることになるが、一度目はまだ幼く、また頼りとなる洸太郎と離ればなれになったという状況下で、バンドメンバーに音楽に専念しろと叱られたという経緯がある。このような状況下にあっては彼女が手紙の返事を出せなかったことを殊更に責め立てるのはあまりに酷なように思う。二度目についても、彼女が何年にも渡ってバンドメンバーとして活動してきたということを考えると、簡単に洸太郎を選択するということは出来ないであろうし、バンドメンバーに詰め寄られ選択肢を奪われるという中では、その選択はより困難なものであっただろう。また、三度目も、バンドメンバーが自殺未遂までするという切迫した状況にあり、多額の補償を背負うともなれば、洸太郎に頼ることが出来なかったという彼女の心情は良く分かる。そして、洸太郎自身は終章で彼女を「意志が強い人」と評しているが、私が読み取る限りむしろ弱さを抱えた人間であったように思う。そのため私は、彼女の選択については同情できる部分が大きかった。そもそも恋愛と音楽というものは二者択一で割り切れる類のものではないと思うし、そんな彼女を捉えて「洸太郎に全力ではなかった」と見ることは私には出来なかった。星奏√において言葉にするのが苦手であった彼女が「好きです」と洸太郎に伝えた手紙、彼女は彼に対して十分に全力であったように感じられたのだ。


第二に、本作は決して星奏一強とはなっていないのである。他の3人のヒロインたちはそれぞれ魅力的であるし、特に星奏と対になるヒロインともいえる彩音は、そのまっすぐさや一生懸命さが眩しく映るほどであり、洸太郎に対する想いも非常に強く、星奏を食わんとするヒロインであったと思う。このように魅力的な他のヒロインに感情移入してしまった場合、プレイヤーが「この子は絶対に幸せになるべきなんだ」という具合に肩入れしてしまい、星奏√及び終章に対する受け止め方に影響が出るということも十分に考えられる。


4-2 本作へのプレイヤーの期待から生じる阻害要因

続いて本作へのプレイヤーの期待から生じる要因について述べていきたい。こちらも主に二つのものがあるように思われる。

第一に、本作のコンセプトとの齟齬によるものである。平たく言えば「そんなの求めて買ってねえよ」ということである。本作は公式で謳い文句が出されており、その大要は「あたたかくて甘酸っぱい、極めて王道な初恋物語」である。このコンセプトと本√との間に齟齬が生じているということは既に述べ、その際是非は置いておくとしたが、この点に関して私の意見を述べると、はっきりと問題であると考えている。公式ページは多くのプレイヤーが購入判断の際に参考にするものであり、体験版では個別√の内容は判断できない以上、コンセプトというものはその判断において非常に重要なウエイトを占めることは言うまでもない。プレイヤーは「こういうコンセプトならこういう内容が期待できそうだ。だから買おう」という思考を辿り、約1万円という決して安くはない金銭を注ぎ込むのである。そのような期待が裏切られた場合に、「面白いからこれでもいいか」となる場合もあろうが、「裏切りだ!金返せ!」となる場合もまた同様にある。そしてこれはその裏切った結果の内容が例えどんなに出来が良かったとしても、それが自分にとって許容できないものである場合には起こり得るのである。私自身、例えば良さ気な兄妹物と思って買ったものが、妹に対して兄が「兄は妹を女としては愛さない」とか意味不明なこと言い出したら、仮にどんなに出来が良かろうと当然怒る。そんなん兄妹物じゃないじゃねえかクソがってな。


第二に、本作は星奏√及び終章とその他の√とで全く質が異なるということによるものである。これは平たく言えば「いきなりそんなんが来るのかよ」ということである。本作は他の3つの√においては普通に初恋が実ってハッピーエンドってなるもんだから、星奏√及び終章もそうなるんだろうってプレイしていく中でも期待させてしまうおそれがある。これはすなわち、たとえ本作のコンセプトによってあらかじめ期待をしていなくとも、プレイする中で自然とコンセプト通りの期待を抱く可能性があるということである。そして星奏√は明らかにメインヒロインっぽい子の√であるから最後に回そうかって人も多いだろうから、そこに辿り着くまでに期待を重ねてしまうプレイヤーの数も増えてこよう。


そしてこの二つが合わせ技にはまってしまった場合どうなるかというと、本作のコンセプトに期待して買って、プレイしていてもコンセプト通りで安心だぜ!ってなってからのいきなりの突き落としとなるおそれがあるということである。それは例えばラーメン屋に入ったらハンバーガーが出てきたとかいう甘っちょろいものじゃなく、ラーメン屋に入ったらラーメンが出て来て美味い美味いって食って、さあ替え玉すっかって頼んだらなぜかハンバーガーがどんぶりに入って出て来たとかいう考えたくもない状況のようなものである。


5 結び

そういうわけで、本作には星奏√及び終章についての以上のような阻害要因が存在するために、そのメッセージをプレイヤーが受け止めることが出来ないという事態が往々にして起こり得るものと考えられるのである。そのあたりがおそらく本√に対して賛否両論がある、いやはっきり言えば現状(11月2日現在)明らかに「否」の方が多い所以なのだろう。この点については、本√を非常に肯定的に受け止めている私であっても擁護出来かねるところであり、プレイヤーに対する配慮に欠けていたとの誹りを免れ得ないものであり、メーカーサイドは真摯に受け止めなくてはならないと思う。

とはいえ、私自身は本√に非常に胸を打たれた身であるため、本作が「否」の波に埋もれてしまうことはあまりに惜しいと感じている。そのため、長々と書いてしまいはしたし、最後は批判のようになってしまいもしたが、本√に対する肯定的な声を少しでも伝えることが出来たのであれば幸いである。本音を言えばもっと評価される日が来ることを期待して締めとさせて頂きたい。


6 その他雑記

結びとした後にどうかとは思いますし、本論からは完全に逸れることではあるのですが、最後に私が本作をプレイ中に感じたことをつらつらーっと書いていきたいです。

・凜香√とゆい√について。この2つの√については共通の時点の雰囲気からそっちの側に進めば私の趣味じゃなくなりそうだなあとは思っていたのですが、その危惧が現実のものとなった感じですね。これらは私が「綺麗な萌えゲー」と呼んでいるタイプのものなんですけども、まあ簡単に言えば「この子とイチャイチャしたるでえ」っていう内からくる欲望以外にモチベーションを保つための外部的な牽引力に欠ける物語群のことなんですね。この点についての関連する記述は私が過去に書いたこの辺にありますので、一応置いておきます。
(筆者の「アマカノ」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=20842&uid=nanachan)
(筆者の「ゆきこいめると」の感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=20489&uid=nanachan)
 それで、凜香√とゆい√は「俺はこの子と別にそんなにイチャイチャしたくない」って感じだったんですね。そこまでの好感を彼女たちに抱くことが出来なかった。だからはっきり言って退屈に感じてしまいました。ゆいちゃんなんて私好みのソフトロリのはずなのに何でなのかって割と不思議なんですけれども、やっぱり星奏と彩音が強かったからなのかなあ。彼女達に意識を持っていかれていたっていうのはおそらくあったと思います。

・彩音√について。彼女はかなり魅力的なヒロインだったと思います…ってのは既に書いたことではあるのですが、とりわけ彼女が勇気を振り絞った告白シーンなんて特に良かったですね。くらっと来ました。後はこの√、新島氏のイチャシーンの独特のテキストが楽しめた√でもありましたね。私元々新島氏のイチャテキストが大好きなんすよね。だから存分にニヤニヤさせてもらいました。「カミハミの美海√って名作だよな…」とか「初雪邸で初雪と桜がイチャイチャしてるあたり最高じゃね?」とかって真顔で言い切れる方は似たような感想を持たれたんじゃないですかね。まあそんなん何人いるかも分からないんですけれども、少なくとも私はそういった人種なんですよね。

・CVについて。強い。圧倒的に強い。安玖深音さん、車の人、秋野花さん、遥そらさんと、私が大好きな方々が目白押しでしたし、配役もバッチリでした。本当に耳が幸せで、本作をかなりゆっくりめにプレイしたのも、じっくりとお声を拝聴していたというのが大きいです。中でもグッジョブは安玖深音さんを星奏役で起用したということですよ。彼女は妹キャラや後輩キャラなどの年下のイメージが割と強いかと思いますし、もちろん私も大好物なんですけれども、同年キャラもかなり強いんすよねえ。良く考えてみると星奏に好感を持てたって言うのも彼女のおかげっていう面も大きそう。正直なところ、他の方が星奏を演じられていたらどうだったのかっていうのはかなり危ういところではあるかもしれないですね。

・音楽について。本作の雰囲気に非常にマッチしていて素晴らしかったと思います。ゆったりと浸っていたくなるような世界観を創り上げた立役者でもあると思います。ボーカル曲はどれも素直に良い曲だなあと感じましたが、とりわけ「GloriousDays」が秀逸でしたね。本当にリピートが止まらなくて、もう何十回と聴いています。

・菜子ちゃんについて。攻略させろ。

・精華ちゃんについて。マジで本当に切実に攻略させてください。お願いしますなんでもしますから。……というか一瞬でも攻略できるかもと真剣に期待した俺がいたよ。実は星奏√及び終章をプレイしながら一番先に頭をかすめた作品ってのが「StarTrain」だったんすよね。「初恋」というキーワード、彼女に振られて停滞する主人公、振った女がCV:安玖深音、とくれば、これはもう仕方ないっすよ。そんで終章で可愛げな年下の女の子が出てくるじゃん。「これは…!」って思っちゃうじゃん。……俺だけ?

・点数について。個人的な感触として√格差がかなり大きかった作品なんで、一応各√に大体こんくらいの点数あげたいなってのを書いときます。プレイ順に、共通85点、凜香√65点、ゆい√65点、彩音√80点、星奏√&終章100点。まあこんな感じですね。星奏√&終章については上で阻害要因として問題点を指摘もしたわけですが、私自身には何の阻害にもならかなったので心情的に点数を付けるとすれば満点上げてもいいくらいです。


世界観・雰囲気 13/15
シナリオ 20/25
キャラクター 12/15
サウンド 10/10
グラフィック 10/10
システム 4/5
個人的補正 18/20
総合 87/100