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nanachanさんの蒼の彼方のフォーリズムの長文感想

ユーザー
nanachan
ゲーム
蒼の彼方のフォーリズム
ブランド
sprite
得点
90
参照数
1686

一言コメント

みさき√をラストに推奨するすゝめ

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

1 はじめに

本論に入る前にまずは本稿の目的を述べておきたい。本稿を記すに先立って多くの方々の感想を拝読させて頂いたのであるが,明日香√を諸手を挙げて称賛する声や,明日香√を最後に攻略するべきであるという意見が大多数であるという事実に気付かされた。確かに明日香√は才能のある素人が強大な敵を打ち負かしていくという,スポーツものの王道ともいうべき流れを辿っており,それ自体決して出来が悪いわけではないようには思う。しかし私が本作をプレイし終えたとき,率直な感想として明日香√を素直に褒め称える気には全くならなかったし,明日香√を最後に回してしまったことを激しく後悔してしまった。そこで本稿では,上のような現状に真っ向から異を唱え,みさき√を最後にプレイすることを推奨することを目的にし,本論もこの点に焦点を絞った記述をしていく。私自身有坂真白FCであり,本音を言えば真白ちゃんの可愛さを余すことなく伝えたかったりもするのであるが,あれもこれもと書いては肝心の主張がぼやけてしまう危険があると思い,あえてこの一点のみを述べると決めた次第である。そのため,本稿は作品全体を総括的に述べるような代物ではないということをあらかじめ断っておきたい。


2 みさき√

前置きが長くなってしまったが,本論に入ろう。まずは私が最後に回すことをお勧めするみさき√について述べていきたい。

みさき√は,みさきが自分では及ばないように映る圧倒的な壁を前にして挫折をしてしまうところから始まる。真藤とすさまじい試合を繰り広げた明日香の才能,従来のFCを根本から否定するような規格外の沙希を目の前にしても楽しいと無邪気に笑う明日香の姿。

―怖い。明日香には敵わない。FCを続けることに意味があるのか。

才能が全てだと考えていたみさきは明日香の前に為す術もなく,挫けてしまう。辛いからこそ,FC自体から目を逸らすことで無理やりにでも平気な振りを装ってしまう。そんなみさきが同じ挫折を抱える晶也と共に努力して,壁を乗り越えていくのがみさき√である。

この種の挫折は共感できる方も多いのではなかろうか。私自身にも思い起こされるところはある。昔部活でやっていたハンドボール。160㎝というハンドボールプレイヤーにしては致命的な上背の無さ,左45°というポジション柄常に自分よりも数段大きな相手と対峙しなければならない無力感,県内に存在する国体3位のチームという圧倒的な壁。個人的な才能にしても,チームとしての力にしても,限界を感じなかったと言えば嘘になる。なにもスポーツに限った話ではなく,自分よりも優れた相手を前にして,苦しみ立ち止まってしまうことは往々にしてある。そういった多くの人が経験したことがあるだろう苦さを抱えるみさきには非常に人間臭さを感じ,共感もしやすい。


しかし,挫折をしたからといって立ち止まったままではいられないということもまた多くの方が実感されるところだろう。そして,前に進むために必要なことは何か。そう,才能の差を埋めるだけの努力である。

みさきは才能の壁を乗り越えるだけの,それこそ血の滲むような努力を重ねていくことになる。体力の無さという弱点を補うための砂浜ダッシュや,FC脳を鍛えるためのシトーくんを用いたイメージトレーニング,明日香とは別に立ちはだかる沙希に対しては背面飛行という自分だけの武器を手に入れていく。さらにはこうした努力を積み重ねることで,みさきは「勝ちたい」と真剣に思うようになり,そう思える自分自身やFCという競技自体を本当に好きになっていく。そして,共感できるからこそ,このみさきの成長は見る者の心を揺さぶり,見事壁を乗り越えきったときには大きな感動を得られるのである。


世に青春物と呼ばれる作品は数多く存在するが,私の知る限りにおいては,みさき√のように挫折という点を丁寧に描けている作品はそう多くはないように思う。大抵の作品においては,壁にぶち当たったとしてもひたすら前向きに頑張る登場人物たちの強い姿が中心に描かれているような気がする。それは「楽しさ」や「清々しさ」が求められる青春物において,挫折という暗さはともすれば邪魔にもなり得るからであろう。しかし,現実には同じような強さを持っている人間はそう多くはない。そのような登場人物たちの姿を眩しいとは思いをしても,素直に共感することは難しいのではなかろうか。我々が共感できるのはむしろみさきが抱えることになった弱い部分である。つまるところみさき√はあえて人間臭い挫折を描写することで,読む者に共感をもたらし,感情移入をベースとした面白さを創出することに成功したものと言えよう。この点で私はみさき√を非常に高く評価したい。


3 明日香√

さて,翻って明日香√はどうか。この√こそまさに上で述べた「壁にぶち当たったとしてもひたすらに前向きに頑張る」典型例である。

沙希という壁を目の前にしても無邪気に笑い,FCがただ単純に「楽しい」という気持ちから飛び続ける明日香の姿は確かに眩しく,見ていて「清々しく」もなる。しかし,ごく普通の人間であれば,明日香の感覚に共感することはおそらく難しいだろう。「楽しい」という純粋な気持ちだけでどこまでも頑張れる明日香は人間離れしていると言ってもいい。明日香とみさきは作中で共に「天才」と称されるが,私は彼女たちを同じ枠組みで語ることに違和感を覚えてならない。みさきを「天才」と評するのであれば,明日香を評するのに最も適切な表現が作中に登場する。「バケモノ」である。明日香という存在はフィクションとはいえ普通の人間からはあまりにもかけ離れてしまっているために,どこかバケモノ染みた気持ち悪さを感じてしまう。そして,その感覚は人間臭いみさき√をプレイした後だと如実に現れるのだ。


明日香√の問題点は,明日香の感覚が常人離れしすぎている点だけではない。もう一点大きな問題点として,明日香√はそれまで作中で築き上げてきたものを根本から否定する危うさを備えていることが挙げられる。

まず第一に,明日香√では晶也の過去のトラウマが明日香の楽しく空を飛ぶ姿に影響されて,いとも簡単に克服されてしまう。晶也は真白√では飛ぼうとしただけで吐き気を催し,それを強い決意でねじ伏せ,なんとか数十秒間は飛べるようになった。みさき√では挫折したみさきに引き摺られるようにして何度もどす黒い感情が鎌首をもたげてきたが,トラウマ元であるみさきが挫折を乗り越えることで,どうにか昇華することができた。晶也のトラウマとはそのように非常に強度のものであったはずである。それが明日香√で簡単に扱われるということは,他のルートの重みを損なうことにもなりかねない。


第二に,確かに明日香√では努力を重ねる描写もありはした。しかし,結局は土壇場で明日香の才能が発揮されることで結末を迎えてしまう。本作ではそれぞれの個別ルートにおいて,真白も莉佳もみさきも努力を重ねることで壁に打ち勝ってきていた。また,明日香√の決勝戦の相手である沙希も,イリーナと出会ってからたゆまぬ努力を重ねることで,規格外ともいえる力を身に着けた。他の登場人物たちも才能で全てを片付けるような者は誰一人としていなかった。明日香√の結末は,そんな真白の,莉佳の,みさきの,沙希の,そして他の全ての登場人物たちの努力も無に帰し,圧倒的な才能の前では無力に等しいという身も蓋もない結論を与えかねないのである。

唐突だが,私が最も好きな漫画作品が井上雄彦先生の「スラムダンク」である。国民的なバスケ漫画であり,熱狂的なファンも数多くおり,本稿を読まれている方の中にも読まれたことのある方は多いことだろう。「スラムダンク」は,バスケのド素人である主人公桜木花道が,「天才」ともいえるべき能力を発揮していき,最後は全国優勝が当たり前である王者山王工業と対決するというストーリーで,本作にも共通するところがある。圧倒的な強さを誇る山王工業を前にして,桜木をはじめとする湘北高校の面々は,それまで培った練習の成果を全てコートに置いてくることで勝利し,まさに努力に裏付けられた価値ある一勝を手にすることになる。勝負を決めた最後の桜木のミドルシュートも,一週間で二万本という地獄のシュート練習の結晶であった。読者たちは,彼らの努力を物語開始当初から見守り続け,それが王者山王工業を打ち負かしたからこそ,熱い感動を得ることができたのであろう。

もし「スラムダンク」の結末が,桜木の才能が突如開花し,例えばハーフライン付近から練習もしていない3Pシュートを決めて勝利するようなものであったら,あれほどまでの熱狂を日本中の読者たちに与えることができたであろうか。それまでの積み重ねを蔑ろにするような結末に果たして納得することができたであろうか。明日香√の結末はそれにも等しいものであるように感じる。作中で登場人物たちが見せてきた努力を根本から否定するような結末を,少なくとも私は納得することができなかった。


作中で空を飛ぶことの純粋な「楽しさ」が何度も言及されているように,本作のテーマとして間違いなくこの「楽しさ」というものが存在するであろうことは否定できない。そして,おそらく製作陣は明日香√を愚直なまでにこの「楽しさ」を追求するものに仕上げたのであろう。しかし,それが故に,明日香というキャラクターは陰りの無い無邪気さをもった人間離れしたものになってしまった。「楽しさ」を阻害しかねない暗い部分を削ぎ落とすために,晶也のトラウマは極めて軽く扱われてしまった。敵を打ち破る「楽しさ」を求めることで,沙希という壁を高くし過ぎてしまい,最後の結末で才能に縋った展開にせざるを得なくなってしまった。「楽しさ」を描くことに傾倒するあまり色々なものを失った,それが明日香√である。


4 終わりに

以上述べたように,明日香√は,明日香に感情移入することが非常に困難であり,また,明日香の存在自体が作品の根幹を揺るがすような悪しきデウスエクスマキナとさえ言い得る。したがって,私自身は明日香√を素直に称賛することはできないし,グランドEDであるかのように最後に攻略することをお勧めすることもできない。

もちろん,みさき√を最後に回すことにも短所が無いわけではない。既にご理解頂けたこととは思うが,ラスボスは間違いなく明日香√の方が強大である。だからこそ,明日香√を攻略後にみさき√をやることで,最後の結末に若干拍子抜けしてしまう危険性があることは否定しようがない。しかし,それでもなお,晶也のトラウマの克服までの経緯,感情移入の度合い,そして努力が報われる達成感など,多くの面でみさき√の方が「蒼の彼方のフォーリズム」という物語のラストを飾るにふさわしいと断言する。本稿が明日香√を称賛する現状へ一石を投じることになれば幸いである。