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nanachanさんのアステリズム -Astraythem-の長文感想

ユーザー
nanachan
ゲーム
アステリズム -Astraythem-
ブランド
Chuablesoft
得点
93
参照数
1366

一言コメント

アグミオンゲーだと思ってプレイしたら、想像以上にツボに来たのでこんな長文に…。「タイムトラベル」と「一途な愛」に独自に挑戦した意欲作。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

―これは、時を超えても変わらない、一途な愛の物語。(抜粋)


1 時を超える

本作の作品設定の核をなすのが、「時を超える」すなわちタイムトラベルである。非常に人気のあるジャンルなのであろう、これを題材にする作品は非常に多く存在する。また、そもそもが「空想」科学と言われ唯一無二の理論が存在しない題材であり、作品の数だけ書き手固有の構想が見られる面白いテーマでもある。

本作は、それらの中でも特に書き手の独自の見方が表現されており、タイムトラベル物としての理論的側面だけでも十分に読む価値のある作品であるといえる。

まず、最初に断っておきたいが、「理論」というが、「時を超える」理論については、本作は全くもって説明はしていない。例えば「シュタインズ・ゲート」のように時の超え方についても深く考察しているものではない。本作の時の超え方は、なぜか存在するタイムマシンによって時を超えるというものである。「時をかける少女」や「未来ノスタルジア」のように超能力を何故か持っています、というものや、「ドラえもん」で22世紀になったらなぜかタイムマシンができています、というのと大差ない。その点を捉えて、本作を「SF物として不十分である」と一蹴することは簡単であろう。

しかし、本作は、「時を超えた後の」理論、つまりタイムパラドックス等が問題となる段階についての理論については、書き手なりの組立てがしっかりとなされている。

まず、本作は、未来人の手によって過去の事象が変えられた後の世界について、並行世界型の考えをとる。これと対をなすのが歴史改編型の考えであるが、この考えでは有名な「親殺しのタイムパラドックス」が生じてしまう。本作はまずはこの矛盾を回避している。

そして本作はこれに加えて、過去の事象を変えた者、その時代から見れば異物である者は、分岐した世界に固定化されるという考えをとる。仮に未来へと再度タイムトラベルを行ったとしても、分岐後の未来へとジャンプするだけであり、並行世界間の移動は不可能とされている。つまり、並行世界間の移動という新たな理論的問題を生じさせず、あくまで時間移動という枠の範囲内で終始するように構成されている。

あとに残された問題は、分岐以前の世界へと再びタイムトラベルした場合にどうなるかという点である。作中で第三章の主人公である白雲(=「お兄ちゃん」、以降「白雲α」)が1999年に戻り姉さん(以降「名月α」)を助けたにもかかわらず、白雲αが1996年に戻った分岐世界では再び姉さん(以降「名月β」)は2012年で死ぬことになっている。これは、世界の分岐はその時点より未来の分岐による影響を受けないということであり、結局は分岐以前の世界にタイムトラベルすると元々辿り着くはずであった未来へと世界が収束していく(時空分岐図C1)ことになる。(これと対比されるのが「マブラヴオルタネイティブ」の因果が流れ出す理論であろう。)つまり、世界には元々正史ともいうべき経過(時空分岐図A1)が存在しており、過去を変えることは、IFの並行世界をそれだけ生み出すに過ぎないのである。

以上のように、本作の理論を分析してみると、少なくとも私は明らかな矛盾点を発見することはできなかった。

さて、ここから先は作中で描写されていることではないので、私なりの解釈に過ぎないが、おそらく本作の書き手は、自らタイムトラベルを題材にしながらも、タイムトラベルについて否定的な立場をとっているのではないか。いや、否定的というよりは、タイムトラベルを盲目的に肯定することへの疑問を投げかけているといった方が良いだろうか。

タイムトラベル物においては、起きてしまった事象に納得のいかない主人公が、それを変えるべく過去へと旅をする。そして、最終的には望み通りの結果となり、得てして大団円を迎える。そこでは、タイムトラベルという手段が万能の物として、非常に肯定的に描かれる。

しかし、タイムトラベルを肯定的に捉えれば捉えるほど、大団円に近づければ近づけるほど、その理論は矛盾を孕んだものになっていしまっているように感じる。タイムトラベルによって誰もが認めるハッピーエンドを目指そうとすると、どこかがおかしくなってしまう。本格的SFアドベンチャーとして名高い「シュタインズ・ゲート」でさえ、矛盾点を孕んだものであることは、私は過去に本サイトにおいて述べている。逆側から見れば、ハッピーエンドを迎えさせようとするのであれば、どこかを歪ませなければならないのがタイムトラベルの概念であるとも言い得る。要するに、タイムトラベルとは、本質的にハッピーエンドとは相容れないものなのではないか。もし将来これが実現したとしても、人類に幸福をもたらすような技術ではないのではないか。(もちろん私はタイムトラベル物の全てを把握しているわけではない。以上は私の不十分な見識からの印象であるため、矛盾のないハッピーエンドを迎える理論や作品があれば是非とも教えていただきたいところである。)

本作は、一見するとエピローグにおいて第一章・第二章の主人公である白雲(=凪九十九、以降「白雲β」)が救った姉さん(以降「名月γ」)と、白雲βと世界分岐図C4の白雲が融合した白雲(以降「白雲γ」)が結ばれ、ハッピーエンドを迎えたと取れるかもしれない。しかし、白雲αについては震災の犠牲になり、また他の並行世界の多くの白雲・名月についても救いがあるとはいえない。その意味で、本作の結末は誰もが認めるハッピーエンドとはいえないであろう。むしろ、作外の視点を持つプレイヤーからすれば、多くの方々にとってしこりののこるエンドであったのではないだろうか。

書き手の方も、プレイヤーがこのように感じるだろうことを意図したのではないかと考える。他の多くのタイムトラベル物が、主人公を一人に定め、彼の時間を超えた頑張りを描いていることとは対照的に、「桜塚白雲」という同じと思える存在ではありながら、α、β、γという複数の個体の視点を通して物語を進行させている点(換言すると、他の作品の多くではプレイヤーにとって「彼」が幸せになるか否かだけが問題となってくるのに対し、本作では全ての「桜塚白雲」について問題となるという点)、佳境である第三章に救われなかったαの視点を持ってきている点、更にはエピローグ後の幸せになるであろう白雲γと名月γの様子を全く描かない点などからは、本作をハッピーエンドたらしめない構成を練った姿勢が伝わってくる。

また、タイトルからもタイムトラベルに否定的な姿勢が読み取れる。本作のタイトル「アステリズム」は作中でも述べられている通り「星群」という意味を持つ。しかし、これはえびさんの感想を拝見して気が付いたことなのだが、「アステリズム」の本来のスペルは“Asterism”であり、本作の“Astraythem”は造語なのである。ここには、書き手の意図が間違いなく盛り込まれている。そして、それはおそらくこういうものではないか。

“Asterism”すなわち「星群」には、一般的な意味と、作中で明らかに分かるように、α、β、γ……の全ての白雲を包含する「桜塚白雲」という意味がある。この「桜塚白雲」という“Asterism”が“them”(=「彼女達」すなわち「姉さん達」)を守ろうと救おうと時間を超えて奔走するわけである。しかし、そんな彼らの行動は“Astray”すなわち「道から外れた」もの。先にも述べたように、世界には正史ともいうべき経過(=道)があり、それを変えようとすることは、道を踏み外した、いわば道理から外れた行いなのである。そこには、タイムトラベルを肯定的に捉えることに対しての、一種のアンチテーゼが提示されている。

幼少時代に見た「ドラえもん」の数々の秘密道具は我々の幼心に夢を与えるものであった。その中の「タイムマシン」も他の道具と同様、我々にタイムトラベルに対する憧れを抱かせた。年を重ねてからは、より具体的にタイムトラベルの素晴らしさが描かれた映画や小説等の多くの作品に触れる。我々がプレイするエロゲーもその一つであろう。もしタイムトラベルが可能であればしたいか否かと問われれば、したいと答える人がおそらく大多数であるはずだ。タイムトラベルは全人類の夢であると言ってもあながち的外れなことではないのではないか。しかし、ちょっと待てよと。タイムトラベルは本当に人類を幸福にするものであるのかと。そこに潜む歪さや問題に目を向けているのかと。

タイムトラベルという「空想」に限った話ではない。我々人類はある事物の片面的な素晴らしさに目を奪われ、他面の問題点に盲目になりがちである。例えば、自動車は我々の行動範囲を大幅に広げてくれる素晴らしい技術である。しかし、その裏側では、自動車の排気ガスは大気汚染や地球温暖化等の自然破壊の要因となっている。だが、日常的にそれを意識する人はほとんどいないであろう。また、例えば、原子力発電は自然への影響が少なく、多くの電力を供給することができる素晴らしい技術である。しかし、チェルノブイリやスリーマイル島の事故があったにもかかわらず、日本では昨年の震災を機にようやくその安全性が広く問題視されるようになった。本作は、我々に事物を多面的に捉える視点を、タイムトラベルという空想の事象を媒介にもたらしていると見るのは深読みしすぎであろうか。

前段の話はさておくにしても、本作は多くのタイムトラベル作品が目を瞑ってきた部分に触れ、他作品とは異なる視点を投げかけている点を、私は非常に評価したい。タイムトラベルという題材が好きであるならば、一度はやっておいても良い作品ではないだろうか、というところで、「時を超える」という点に関しての話を締めくくろうと思う。


2 一途な愛

本作は、一途な愛(純愛と言っても良いだろうか)を謳い文句としている。しかし、本当に純愛であったのかという点については、プレイヤーごとに評価が分かれるのではないかと思う。

一途ではなかった、という評価がおそらく最も素直に抱かれる印象ではないか。それは、白雲と名月の想いが他人へとブレているように見える故である。

今一度整理してみると、白雲と名月の恋愛感情の対象は以下のようになる。
(作中で明確に語られたもののみ対象 前記のα、β、γに加え、名月については1996年時を「小」、1999年時を「中」、2012年時を「大」と表記、白雲については「お兄ちゃん」時を「兄」、「九十九」時を「九」、「弟」時を「弟」、「第三章中で名月α(中)にストーカーと言われた」を「ス」と表記)

白雲α→名月α(大、中)、名月β・γ(小、β・γは1996年時点では同一人物)
白雲β→名月β(大)、美々、名月γ(中)、九厘
白雲γ→名月γ(大)
名月α→白雲α(ス、弟)
名月β→白雲α(兄)、白雲β(弟)
名月γ→白雲α(兄)、白雲β(九)、白雲γ(弟)

白雲は名月を全て「桜塚名月」として認識しており、名月はそれぞれの白雲を同一人物とは認識していないという違いはあるものの、表記がある者それぞれを別人として捉えた場合、白雲と名月はこれだけの人間を好きになったということになる。そのため、例えば名月βが「お兄ちゃん」を好きだったのに、「弟」も好きになったというように、一途とは見えないような状況が生じてくる。

しかし、ここで視点を変えてみる。先にも述べたように、“Asterism”とは全ての白雲を包含する「桜塚白雲」という意味がある。これは名月にも当てはまり、同様に全ての名月を包含する「桜塚名月」という意味もあるといえるだろう。するとどうであろうか。美々と九厘というイレギュラーを除けば、白雲は「桜塚名月」しか好きになっておらず、名月は「桜塚名月」しか好きになっていない。

更に言えば、白雲は2012年の名月とは違う人物であると知りながらも、それでも過去の「桜塚名月」を好きになるのである。また、名月は好きになった相手が全て白雲であるということを知らずに、それでも「桜塚白雲」を好きになるのである。両者とも、その年齢や姿形、自分との関係性といった属性に関わらず、互いに「桜塚名月」「桜塚白雲」という存在それ自体を求めているといえる。

以上のように、二つの異なった見方が可能なため、本作が純愛か否かという点でプレイヤーごとに受け止め方が違ってくるのは当然であろう。私個人としては、その存在自体に対し根元的に惹かれるというのも、純愛の一つの形として十分に成り立つのではないかと思う。

しかし、一途な愛、純愛という面でどう受け止めてもマイナスにしかならない点がある。それは、美々や九厘とのことである。この二人と白雲が肉体関係をもったり、個別エンドを迎えたりすることは、一途という点とはどうしても相容れない。しかも、二人のエンドは、言い方は悪いかもしれないが、取ってつけたようなものであり、内容面でプラスを生みだすものではなかったように感じる。

おそらくは、二人のエンドはユーザーサービスと保険の意味で用意したのではないかと思う。プレイヤーごとにやはり好みがあるため、個別エンドがあった方が嬉しいと思う方もいるだろうし、また攻略対象を一人に限定することでなされる批判からも逃れうる。

それでも、本作においては、個人的にはオマケ程度な二人の個別エンドを用意するくらいであれば、白雲は名月だけを好きであって欲しかったし、客観的に見ても、二人のエンドがあることが、一途な愛というテーマに対して与えるマイナスの方が大きかったように思う。どうにも中途半端である。

以前「きっと、澄みわたる朝色よりも、」が発売された際、攻略対象が「与神ひよ」一人であったことに対して、批判の声が上がった。しかし、それと同じかあるいはそれ以上に肯定的な意見があるのも事実であり、未だに神ゲーであったとの声も聞く。私自身も、他に魅力的なキャラクターがいるのにもかかわらず、敢えて一人で勝負した製作者側の姿勢を高く評価しているし、一人に絞ったことで、他作品とは一線を画す物語性、純愛性を持たせることができたと思っている。

本作は、純愛の一つの形として素晴らしいものを持っていたと思うだけに、この点は非常に残念な点であった。


3 総評

私個人の感想から言うと、非常に素晴らしい作品であった。しかし、タイムパラドックスの問題については矛盾なく論理が組み立てられているとは思うが、その他の点に関しては、説明不足であったり、唐突であったり、都合が良すぎではないかと思う部分もあった。そういった意味では、万人に受け入れられる優等生的な作品ではない。もっとも、当たり障りのない作品に接した時にではなく、書き手が作品に込めた思いに共感したり、書き手の主張に感服したりした時に、「個人的な」名作は生まれるのであると思う。私にとっては、本作はまさにそれであった。


4 その他雑感

・選択肢が効果的であったように感じる。要所のみに挿入され、しかも、主人公の運命を大きく左右するシビアなものであった。プレイヤーに緊迫感を持たせる役割を上手く果たしていたと思う。

・一枚絵は、決して上手いとか、綺麗だというわけではないが、キャラクターの表情が生き生きと描かれていた気がする。また、一枚絵を用いた演出も良かった。細かいところではあるが、一枚絵をただ漫然と見せるメーカーが多い中で、アップや切り替えを効果的に用い、アニメ等と同じとまではいかないが、視覚的にもプレイヤーを引き込もうとする姿勢が感じられた。

・ボーカル曲は、曲数は結構あったが、特に印象に残るものは無かった。BGMは総じてレベルが高かったように思う。特にシリアスな場面で流れるオルゴールにそのまま出来そうな数曲にはとてもしんみりさせられた。

・サブが光った。明乃は可愛い。沼淵はただのチンピラだと思っていたら兄弟共に重要だったし、憎めなかった。高島さんはイケメンすぎる。博士は第一章ではまさかあれほどの重要人物だとは思わなかった。彼と奥さんの物語は本作のもう一つのストーリーと言っても良いかもしれない。

・アグミオン好きにはたまらない。姉と同級生と妹(的存在)が一度に楽しめるとは、何という俺得ゲー。名月はアグミキャラの中でも個人的にかなり上位に。特に(中)の可愛さは異常。萌えだけ見ても十分。


※ 文章中でも述べましたように、本感想を書くにあたり、えびさんの感想を一部参考にさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げたいと思います。