私にとって「ひまわり」という作品は,アクアの物語と同義である。そして,その物語は,これ以上ないくらいに人間という存在の本質を突いているのかもしれない。
前面に押し出されているSF要素は,物語に味付けをするためのスパイスでしかない。
他のルートやストーリーは,はっきり言って蛇足でしかない。
個性的な他の登場人物たちも,物語を成立させるための舞台装置でしかない。
アクアの物語こそが「ひまわり」という作品の本質であり,私にとっての「ひまわり」という作品は,アクアの物語がその全てである。
そう思えて止まない程に,アクアの物語は圧巻であった。
2章。2048年。
外界とは切り離された宇宙ステーション「ひまわり」で生まれ,生きる理由さえ分からなかった,いや,そうやって心を凍てつかせなければ宇宙という暗く閉ざされた世界で生きていけなかった彼女は,「大吾」と出会う。
心を凍らせて,孤独に身を置くことで自らを守っていた彼女は,彼と過ごす日々の中で,人と触れ合うことの暖かさを知っていく。
そうして,彼女は,恋に落ちていく。
彼女にとって初めての経験であったその時間は,彼女の生の中で最も幸せな時間であったのかもしれない。
しかし,その幸せの時間は終わりを迎える。
大吾は,彼が愛した「明香里」に囚われ,ついにはアクアを見失ってしまう。
そして,そのままアクアの腕の中で息を引き取ることになる。
深い悲しみと絶望に苛まれても,それでも彼女の生は終わらない。
3章。2050年。
アクアは初めて地球の大地を踏み,陽一と出会う。
陽一は,「アオイ」を今でも想い続け,アクアも大吾を今でも忘れられない。
過去に縛られ続ける二人は,それでも互いに惹かれあい,心にポッカリ空いた穴を埋めようとする。
前を向いて歩いて行こうとする。
おそらく,作中の時間上での二人にとっての一番幸せな時間は,アオイと過ごした時間であり,大吾と過ごした時間であるのだと思う。
この先の未来で,それ以上に幸せな時間が訪れるのかなんて分からない。
そんなものは,永遠に叶うことのない夢なのかもしれない。
それでも二人は共に進んでいく。
いつか夢が叶う,そんな「奇跡」を信じて。
今が一番幸せだと,胸を張って言える人間がどれだけいるだろうか。
人間だれしもが,今以上に幸せだったと思う時間を過去に持っているのではないだろうか。
これから先の未来にそれ以上の幸せが待っているかなんて,誰にも分からない。
そんな不安を,誰もが大なり小なり抱えているのではないか。
それでも,生きることは辞められない。
過去に縛られ続けたままではいられない。
だからこそ人は,そんな不安を抱えながらも,その先にある幸せを信じて,周りの人間と手を取り合って生きていく「しかできない」のではないか。
人は一人では生きていけないとはよく耳にするが,それはそんな不安を一人で抱えきれるだけ人は強くないからなのかもしれない。
エロゲーに限らず,世の中にはハッピーエンドを描いた物語が溢れかえるほど存在している。
そして,その結末では,ほぼ全てといってもよいくらい,作中での「最高の幸せ」の状態が描かれている。
しかし,「その先」の未来で,彼らが幸せでいるかは誰にもわからない。
アクアの物語は,「その先」を描いているのである。
彼女にとっての「最高の幸せ」が2章にあるとすれば,3章は「その先」の物語。
彼女の物語は,他の物語のように「最高の幸せ」で終わってくれることはなく,彼女は「その先」を生きていかなければならなかった。
そして,我々の人生も,物語のように「最高の幸せ」の状態を切り取ってくれることはなく,長い「その先」が残されることになる。
「最高の幸せ」以上の奇跡を「その先」に信じて歩み続ける彼女の姿は,長い人生を生き続ける我々の姿そのものなのではないか。
もしかすると,本作のアクアの物語は,人間という存在の本質を限りなく鋭く突いているのかもしれない。
そうしてみると,陽一と手を取り合って,奇跡を信じて歩いていく彼女の姿は,ライターの人生観そのものであり,我々へのメッセージであるのであろう。
そして,そのメッセージ性は,人間という存在の本質に向けてのものである分,恐ろしく強い。
このような作品が同人から出て,いや,同人という自由な畑であるからこそ出たのかもしれないが,何にせよ圧倒された。
日常の描写が退屈気味であったり,展開・進行が冗長であったり,蛇足部分が多く含まれていたり,全体としてみれば不満点は多々ある。
しかし,少なくとも私にとっては全てであったアクアの物語だけは,傑作であると迷いなく言い切ることができる。
世界観・雰囲気 15/15
シナリオ 23/25
キャラクター 12/15
サウンド 7/10
グラフィック 7/10
システム 4/5
個人的補正 18/20
総合 86/100