時間跳躍モノとしては非常によく練られていて優秀。 しかし人間ドラマとして見た場合、「あまりにも」同じ過ちを繰り返し流されすぎる主人公にイライラ&魅力を感じないかもしれない。 耐えて最終ルートまで見て、全体の構成を俯瞰で評価したい作品。 以下、とりとめないネタバレ感想やら自分なりの考察やら
時間跳躍モノとしては非常によく練られていて優秀。
しかし人間ドラマとして見た場合、「あまりにも」同じ過ちを繰り返し流されすぎる主人公にイライラ&魅力を感じないかもしれない。
耐えて最終ルートまで見て、全体の構成を俯瞰で評価したい作品。
以下、とりとめないネタバレ感想やら自分なりの考察やら
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■【感想】人は過ちを…くり返し過ぎw■
「人は過ちを繰り返し、経験を重ねながら少しずつ前進していく」
「人間は見当違いの理論で自分を納得させる愚かな生き物だ」
この二つがテーマとしてあると思われ、
主人公はまあ本当に見当違いの過ちをひたすら繰り返す。
時間跳躍モノとして試行錯誤はアリとは思うのだが、
あまりにもその過ちが多すぎる点、
そして(特にルート分岐以降)、主人公が無力で流され過ぎなのがイライラを誘発する。
特にヒロインに対する接し方は試行錯誤の楽しみもなく、
短い期間でひたすら同じ過ちを繰り返す姿にイライラ。
このへんが玉にキズ。
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■【感想】紗羅ルートのバッドエンド地獄■
ことごとくハマりまくりましたwww
自分が物語の主人公になれないということがよ~くわかった。
しかしとある選択肢でバッドになるのに、
その後別の場面で同じような行動を主人公が自発的に起こしても
正解として話が進んでいくのは納得いか~んw
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■【感想】最後の選択肢~ライターとプレイヤーのガチンコ勝負~■
思いつく様々な手を尽くしても最後のルートに入ることができず、
結局掲示板で正解の選択肢を見てしまった。
しかし見た時もそれがどうしても「正解」と思えず、「バグじゃねえか?」と疑う始末。
要するにカンニングや総当たりを含め地力で最終ルートに入れない人は、
自分と同じようにまんまとライターのミスリードに引っかかってしまってるのだ。
それまでの数十時間のプレイをかけての誘導、選択肢を選んだ際に出るモノローグ、
容易に総当たりで割り出されないようにいくつもの選択肢を組み合わせた手法、非常に凝っている。
いわばライターが我々に挑んできたガチンコ勝負。
やはりギャルゲも「ゲーム」である以上、こういったゲーム性が無きゃ!
思慮浅くまんまとやられたクチになってしまったが、
「やられた!」という感想とともに得られる心地よい敗北感は名作ミステリーに通じるものがある。
ま、負け惜しみじゃないぞ?w
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■【感想】いたるところに散りばめられた伏線=考察の材料■
全てを把握して読み返してみると「ああ、このセリフってそういうことだったのか!」という伏線がまさに至るところに散りばめられている。
構成をよく練られた作品は多いが、自分が本腰入れて読み返そうとまで思えた作品はなかなか稀である。
また、「あれ?でもあの時こういうこと言ってなかったっけ?矛盾じゃん?」と思って読み返してみると、
言い回しの妙と、主人公の主観を通した印象誘導によって別の意味に取り違え記憶した結果であることを思い知ることが多々。
ヒュ~人間って怖ェ~!
伏線=材料を与えておきながら一から十まで解説しきらず、プレイヤーに考察の余地を残しているのもまたよし。
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■【感想】時を駆けるCD■
個人的に特にCDの持ち主の変遷と、その受け渡しの際に交わされる言葉を照らし合わせると非常に感慨深いものがあった。
「冬の頃にキミのものになる」と駐在さんに言われたCDが冬編で切那の手に渡り、
タイムマシンを求めてコールドスリープにつく際に「玖音に渡してくれ」と凛音に渡し、
凛音から何代も受け継いでリンネ(玖音)の手に辿り着き、
「わたしが迷子にならないように工房に届けてあげて」とセツナに渡され、
二万年の時を経て、確かに玖音(リンネ)の研究室にCD(の中の正しい設計図)が届いたのだ。
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■【考察】おさらい~作中明言されないがほぼ確かであろうと強く推測される事実~■
・凛音はアイランドで一夜の関係を持った切那(セツナ)と玖音(リンネ)の子である。
「わたしは1回です///」 「あのときは痛かった><」 「どうてい?」
「100回くらいこなしている」という切那の見栄もループを考えればあながち嘘ではなかったという。
・世界は四万年周期でループしている
1999年浦島→(二万年)→22016年アイランド→(二万年)→1999年浦島→(二万年)→22016年アイランド……
ただしコールドスリープマシンに彫られた相合傘の中に日本語でないものも混じっていたことから、
どの程度の範囲で「同じ」世界であるのかは考察を要するところ。
文明をリセットしている存在(神?)からしてみれば一定以上の文明(たとえばタイムマシン完成)に
到達させないことが一番の目的と推測されるので、彼にとって細かいところはどうでもいいのだろう。
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■【考察】切那と凛音との子に煤紋病の兆候が見られたことについて■
このEND「未来予想図」が入るタイミング的にも、近親相姦の示唆ではなかったか?
切那も凛音も煤紋病患者ではない。よって二人の子に遺伝することもない。
たしかに煤紋病は遺伝子によって遺伝するが、
忘れてはいけないのは、遺伝ではない一番最初の患者がいたということである。
閉鎖された環境、少人数の社会であるアイランドと浦島で発生し、蔓延した煤紋病。
遺伝でない一番最初の煤紋病の発生原因は、何かを切っ掛けにした遺伝子の損傷ではなかったか。
たとえばそう、生物の禁忌を侵したことに対する罰のような。
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■【考察】タイムマシンとRe:の結末■
世界が四万年周期で完全にループしているのだとしたら、
「タイムマシンは永久に完成しない」という残酷な現実が見えてくる。
(あるいは見方を変えれば既に完成しているとも言えるのだが)
つまりリンネが最後に提唱した理論もしょせん机上の空論なのだ。
「人間は見当違いの理論で自分を納得させる愚かな生き物だ」というのがテーマの一つにあると思うのだが、
そのテーマから逸脱しない範囲でループさせつつ鬱エンドに見せない、まあ妥当な落としどころではあるのかなと。
ただまあ「どのリンネを愛してあげればいいの?」という困惑はごもっともw
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■【考察】一番最初のCD-R■
「卵が先か鶏が先か」で完結している作品に結論を求めるのは無粋と分っている上で、
自分を納得させる考察をせずにはいられないのが人間の性。
つまり「ループが始まった起点はどこなのか」、である。
切那を中心とした考察は他の方が実によくまとめられているので、
自分はセツナとリンネとは別に、もう一つ時を超えた存在…タイムマシンの設計図が収録されたCDに注目してロマン路線で考えたい。
ゲーム起動直後、主人公が見る面影は凛音ではなくリンネである。
そして目を覚ました時に近くにCDがあった。
このことから、この時点で彼は最低一度はアイランドを経験していることが分かる。
(そこで起こったことが我々の知っているアイランド編と同じであるかどうかは別として)
そして一周目の凛音ルートの暴龍島において、CDは「役目を終えたように」割れてしまう。
つまりプレイヤーがゲームを通して見る範囲において、
ゲーム起動~一周目凛音ルートに存在する「最初の一枚」は、中身を確認していない唯一のCDである。
たとえば、その中身が夢見がちな女の子が描き連ねた妄想の設計図であったとしても、我々には確認しようのないことである。
そしてそれは最初のコールドスリープマシン使用から未来へ向かう物語には必要がない。
なぜなら1999年の玖音が、そしてその意思を受け継いだ人々が、二万年かけて本物の設計図を作り上げ、以降はこのCDが時を循環するのだから。
あるいは、最初の一枚に入っていたのは「子供の落書きのような他愛のない夢」だったのかもしれない。
あるいは、我々がゲームで初めて目にする光景の二万年前、タイムトラベラー≒プレイヤーが介入する前、
我々の知るものとは事の起結が微妙に違う、アイランドでの物語があったのかもしれない。
あるいは、それこそがこの嘘の科学に塗り固められた世界の唯一の救い。
プレイヤーが目にする一番最初の切那は、
リンネの面影と「セツナを殺す」という使命感だけを抱いて目覚め、
御原切那の記憶の断片を合わせ持つ彼は、
本当にセツナと御原切那のただの「生まれ変わり」だったのかもしれない。
紗羅「……なんて、言うわけないじゃないですか」