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motaさんの肢体を洗うの長文感想

ユーザー
mota
ゲーム
肢体を洗う
ブランド
シルキーズ
得点
85
参照数
13779

一言コメント

実話を元にしたフィクションか、それとも完全な作り話か。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

『あなたは、作者が実体験を元に著述するこの作品をプレイすることによって驚愕の世界を知ることになるだろう-日常、垣間見れない「死体洗い」という仕事を通じ「日常から非日常に放り込まれた主人公の精神的な変遷」を描く物語-それが「肢体を洗う」だ。』(「肢体を洗う」パッケージより)
この文章に目を通した人が考える事はなんだろうか?
死体洗いのアルバイトなど実在するわけが無いし、まるごと作り話に決まっていると断定する人もいれば、どの程度実話の部分が含まれているのか半信半疑になる人もいるかもしれない。

主人公八坂は大学病院の事務方のアルバイトをしながら、その病院の系列の医大を目指し浪人生活を送っていた。
だがある日主人公の面倒を見ている副院長の露崎千草に呼び出され、規則の関係でもう今の仕事を続けさせる事は出来ないと言われてしまう。戸惑う主人公に副院長が代わりに用意した仕事、それこそが“死体洗い”であった。
副院長室に入ってきた死体洗い担当の御堂悠紀が職務内容についての説明を始めた。淡々とした口調で話は進み、その終わりに彼女がこう告げた。

悠紀「最後に・・・これが一番重要なことですが、この仕事・・・ご遺体の清掃作業については守秘義務が適用されます。」
八坂「守秘義務?誰にも言うなってことですか?」
悠紀「そうです。ご友人、ご親戚、ご家族・・・親しい方々でも例外はありません。相手が関係者の場合のみ、話しても構いません」
八坂「分りました・・・でも、随分厳しいんですね?」
悠紀「当然です。この仕事で得た知識、経験、その他一切の情報は、全てなかったものとしてください。よろしいですね?」

・・・ここが実話だとしたら、この会話自体が、いやゲーム自体が守秘義務違反の自爆ではないだろうか。
でもこのゲームは今でもエロゲ売り場に並んでいます。大学病院が起訴、即日全品回収の憂き目にあったら祭りになってもっともっとメジャーなゲームになったところだが、無事にメディアミックス、もといエロアニメ化も実現している。
実際に病院がこのゲームを死体洗いの守秘義務違反で訴える可能性を考えてみた。
公に訴訟を起こすと言う事は死体洗いのアルバイトが実在するのを認める事が前提にある訳で、解剖用の死体をアルバイトが扱う事が違法とされ、病院が死体洗いのアルバイトを否定している以上まずありえないだろう。
病院での死体洗いは完全にフィクションなので、無いものを有るかのように描くのは名誉毀損なので訴えますというような可能性も、
死体洗いが有名な都市伝説として現在でも広まっているが、こんな都市伝説にマジになっちゃって訴えちゃった事例がないので、今更ありえない。
じゃあ訴えがないだけで、違法ながらそれは実際に行われていて、違法行為に対して法に基づいた守秘義務を適用すると言う無茶苦茶も、法に詳しくない作業員に内部告発防止の為のはったりで用いられている。
実話だとしたらこれが唯一の可能性だが、やっぱり守秘義務の下りは話を盛り上げるためのフィクションと見るのが自然かなと思う。

次に死体洗いの場面から話の真偽を考えてみる。
特典のオリジナル原画集の仕事場の原画の欄にこんな文章がある
『仕事場・・死体を洗う現場の資料を集めるのが難しく、シナリオライターが実際に仕事をしていた場所を具体的にアドバイスしてもらって再現しました。患者がいる病院の表と相対する、地下にある陰湿で隔離された雰囲気のする場所ですね』
「実際に仕事をしていた場所」や「具体的にアドバイス」の部分で、本物を元に描いたことをさりげない形で強調しているのが窺える。
だがその一方おまけシナリオの「肢体洗いの基礎知識」にて、
ホルマリン・・実際には、本作品のように安易には扱えない劇薬物。
とあっさり断言している。よく都市伝説で語られる「ホルマリンプールに沈められている死体を棒で突いて浮き上がらせ、プールサイドに横たわらせてデッキブラシで洗う」といった一連の作業がこのゲームでの死体洗いなのだが、
ホルマリンの項を読むと、そんなものはフィクションにすぎないんだと、死体をホルマリン漬けにするなどありえない、と原画集とは食い違った事実を匂わせている。
どっちだよって思い、少しググって調べてみると、ホルマリンプールが実在して、死体洗いに使用されているとの話はやっぱりフィクションでしかないそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%B4%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%92%E3%83%89

確かに、ホルマリンは強い殺菌作用を持ち、防腐・固定処理に用いられる事が多いそうです。
学校の理科室にホルマリン漬けにされた動物の死骸が標本になり、飾られているのをほとんどの人は一度ぐらいは見た事があると思うが、その経験から「死体の保存」=「ホルマリンに保存」という漠然としたイメージが出来ますしね。
死体洗いの都市伝説が生まれた原因は1957年に出版された大江健三郎の小説『死者の奢り』だというのが定説だが、
その本に描かれているのは「死体運び」であり、死体をプールに沈める場面にしてもホルマリンではなくアルコールで満ちたプールで作業が行われている。
都市伝説の内容が変化し、アルコールからホルマリンに代わったのは、先に述べた標本のイメージが最大の要因でしょう。

そんな妄想を打ち砕くのが、厳然たる化学的事実。
沸点100℃の水を溜めることは容易だが、ホルマリンの沸点は-19.3 ℃。
ほっておいても常温で気化し続けるこの液体でプールを作る事は不可能に近く、そもそもホルマリンとはシックハウス症候群の原因として悪名高いホルムアルデヒドの35~38%水溶液を指し、防腐・固定処理に使われる液体はホルマリン原液を3~5%に希釈したもので、固定作業の最中に蒸発する程度の量でも人体に害があり、プールから蒸発した大量のホルマリンが充満した場所で死体洗いのような肉体労働を行うのは自殺行為に等しい。
ホルマリンプールに死体を沈める理由として語られるのは、保存状態が良好な死体の腐敗を防ぎ、状態が保たれた死体を解剖実習などのかたちで使い、医学の発展に寄与するという話だが、ホルマリンに触れた皮膚はぐちゃぐちゃになるので、解剖実験に使うためには逆効果である。
よってホルマリンプールの部分はフィクションと言い切れる。

結論を言うと、守秘義務の不自然さと、ホルマリンプールの危険性から、このゲームのような病院での死体洗いは現実には存在しない。
それなら『作者の実体験を元に著述する~』の売り文句は詐欺ではないだろうか?
が、死体洗いをする必要性がり、なおかつ作業員としてアルバイトを雇う仕事は実在するのだ。

葬式屋である。

先のリンク集の2つ目に書いてある「湯灌」と呼ばれる作業が現実に存在する「死体洗い」だ。
アルバイトに扱わせる事が禁止されているのは“解剖用”の死体だけで、葬式中に行われる湯灌のスタッフにアルバイトを雇うなら法律的にはまったく問題がないのである。
なお湯灌の求人はweb上でも行われていおり、「湯灌」でググってもらえれば、すぐに見つかります。

そうなると作者がこの作品の元にした「実体験」は「湯灌」ではないだろうか。
初めての死体洗いに臨む主人公の緊張感、作業中の心理の変化、死体の容貌の細かい描写などに関しては真に迫っていて、ライターが経験者だと言われても納得出来るし、死体のグラフィックも監修を兼ねているライターのアドバイスがあって、リアルになったんだと思う。
生命活動を終え、心臓は停止し、血の気が引いた裸体は不健康な白さで染まり、全身に張り巡らされた血管が、首筋に、二の腕に、足の付け根に、うっすらと青く透けている。
イベント絵の中には、眠るなり、気絶するなり、意識を失っている状態の人間を描いた者が幾つかあるが、見比べてみると、意識を失っているが、生命活動は維持している生者と、冷たく息絶えた死者の描き分けが非常に上手い。
『作者の実体験を元に著述する~』での「作者」とは、企画・原案・シナリオを担当した本間要氏であるのは間違えないだろう。
私の予想では実際に本間要氏は湯灌をした経験があり、ちょっと妄想を入れると、氏のデビュー作がこの「肢体を洗う」であるのも、湯灌のバイトをした氏がその時期に思いついた企画をelfに持ち込んだとも考えられなくは無い。
 
シナリオについて
前述の通り、病院でホルマリン漬け死体を洗う仕事は実在しないので、本物の死体洗いをありのまま描いた作品では決してありません。
が、科学的根拠だとか法律に引っかかるだの細かい事を言わなければ、湯灌の死体洗いの実体験を元に描かれたと思われる“都市伝説の”死体洗いはリアリティーに溢れてるように見えるので、良いんじゃないでしょうか。

テキストは暗いタッチで非常に良いのだが、シナリオの大筋は意外性に富んだ展開はなく、メインヒロイン・御堂悠紀のトゥルーエンドはなんとか劇場の2時間ドラマでありふれた王道的展開で終わるし、佐伯真魚のハッピーエンドもパンチが弱く、真田美和子に至っては、本筋から外れたファンディスク的のほほんシナリオが用意されている。
本作の特筆すべき点はむしろバッドエンド系の薬物依存シナリオで、これもベタベタな展開ではあるんだけど、常に最悪の方向に選択肢を選び続けるとたどり着ける牢獄エンドは、強いストレスを感じるたびに薬物を増やす典型的ヤク中患者が破滅するまでの無限ループを丹念に描いている。
元来神経質気味の主人公が疲労と薬物の副作用から、死体洗いで疲れ果てている自分を嘲笑う幻聴に被害妄想を募らせ始める。
気絶、あいまいな記憶、幻覚も併発し、混濁していく意識は暴力性を顕在させる。
幻聴にストレスを感じるシーンで手抜かり無くヘッドフォン越しに聞こえてくる嘲笑が臨場感を高める。
目に映る全てが色彩を失い、生気のない荒廃した光景が広がり、そこで死者たちが動き回る幻覚のグラフィックは不気味で素晴らしい出来。
クライマックスの狂気の演出では専用のムービーまで作るこだわり。
文章・声・音楽・絵といった様々な表現方法を駆使して作品を作れるのがエロゲー、この作品は各要素がなすべき仕事をなした非常に手堅い作品と言えるだろう。

余談
高校の休み時間に、教科書に載っていた小林秀雄の「無常といふ事」を気まぐれで読んでみた事がある。作中で、小林秀雄が偶々傍にいた川端康成にこんな風に喋ったのを思い出す場面がある。
「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしてしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。」
公式ページでダウンロード出来る本作のデモムービーの後半に一節の文章がある。
「死とは生命の一形態であり、生とは死の前段階でしかない」
多分これの元ネタはこの小林秀雄の文章じゃないかと思う。
当時も現在もあんまり意味が分らない文章だったが、
本作の死体の絵は人間の外観をほぼ残していながら、動物の剥製に似た異質の存在感を静かに漂わせ、モノとして微動だにせず存在するゆえに、「はっきりとしてしっかりとして来る」ような重みをもって迫ってくる気がしなくも無い。「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物」という見方も少しだけ頷けるようになる、素敵な死体の絵でした。