そうです。あの方こそが、わたくしの畏敬する天使さまなのです。
三大電波ゲーと恐れることなかれ。実際はもっと深刻な狂気なのだ。
このゲームのヒロインは実質1人だけです。
ぶっちゃけ、主人公が統合失調症じゃなければ成立することのない力業の作品。
私のとった本作へのアプローチは、思考が正常な人と統合失調症を患った状況では世界の見方がまるっと
変わるという比較の領域です。正直いって、書いている自分でも稚拙な考察と言わざるを得ない。
まだまだ納得のいく解釈でないのは重々承知だが、とりあえず自分の思考のメモということでここに残すことにする。
まず、統合失調症を抜きにして考えられる主人公の性格は
・物事を善か悪の両極端な物の見方でしか区別出来ないこと
・今までの人生で自身の尊厳を揺るがしかねないほどのコンプレックスを抱えるまでの神経症的傾向を持っていること、
という大まかな2点に分別可能であると思われます。
ここに、統合失調症という精神疾患が加わることで
・彼の眼には多種多様なキャラクターが映し出される
という設定が付随します。
そう。本作の魅力たる主人公の数々のヒロインへの暴行やなんらかの目に見える(ヴィジュアル)
リアクションは、すべてこの設定によって成り立っているということは明らかです。
そして、本作の最大の魅力はここには見当たらないということに私は気づいた。
つまり、主人公の本来持っている性格のほうが、物語の主軸にあてがわれているという事です。
なので、本作に登場するヒロイン達は主人公の内面を映し出した存在に過ぎないという解釈です。
主人公の性格をイデア(理想や空想)として生み出されたヒロインズ
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象徴人物 主人公内面の葛藤
・巣鴨睦月 (実在) ⇔ 現実への扉(起死回生)の役割 (恐れ、畏敬、現実との直面)
・高田望美 (空想) ⇔ 高みを目指す (届かぬ目標)
・田町まひる(空想) ⇔ 自分と対等な女性像 (不確かな女性像)
・目黒御幸 (空想) ⇔ 歪な自己像 (過去、忌まわしき幼少時代)
・上野こより(空想) ⇔ 自分よりも上な女性像 (母、姉なる存在)
・精神病棟(教育実習)⇔ 終わらない日常
・高島瀬美奈(実在) ⇔ 現実とのしがらみ
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全てが彼の作り物(ペルソナ)。言わばここが彼が自分自身の性格の矯正のために
自ら用意したリハビリ施設と言えます。
いいや、引きこもりのための現実逃避です。
その設定の裏付けのために、統合失調症が用いられたに過ぎないのです。
しかし、彼のリハビリ施設はあえなくして大きな危機に瀕します。
天使、巣鴨睦月という現実の存在がここに邪魔をしてくるのです。
この妨害が無ければ、彼は自分の中にいるキャラクター達と永遠のピエロを演じ続けることが
出来るはずだった。
現実へ戻るためのリハビリ施設なのに、現実の存在である彼女が邪魔をするとは
まさしく皮肉なものです。
事実、物語終盤で巣鴨睦月がいなくなってからは彼は本格的に狂い始めます。
もはや、すがってもいいかと思えていた現実の存在が消えてしまったので(退院)
彼の現実への縁は内面の葛藤だけになってしまったのです。
そうして、ラストのシーンに繋がる。
彼はこの終わらぬ空想の世界に生きることにしたのです。
さぁ、ここまでくれば何となく察しが付くでしょう。
実は、この物語の主人公のイデアは統合失調症患者や人見広介という空想の存在ではなく
私たちプレイヤーの事だったのです。
そして、この物語には救われる存在がいます。
それは巣鴨睦月(現実)と私たちプレイヤーだけです。
くしくも、巣鴨睦月(空想)は主人公たる私たちの物語への拘束によって
幕引きまで登場します。
ではなぜ、主人公のイデアがプレイヤーであるのかと言いますと、
それはこの物語の開発秘話をたどれば判明します。
プロデューサーの長岡建蔵氏はこのゲームをKanonのようなゲームに似せて作ると発表している。
これだけでも驚きものだが、まだ終わらない。
そして彼はこうとも言っている。
Kanonの「永遠」「ちょっとアレな女の子」「感動する」を再構築すると。
これがこのゲームの影に潜むテーマだ。
永遠とは果てなき美少女への欲求だ。
ちょっとアレな女の子というのは、現実にいない空想の存在のこと。
感動するというのは、多義的な解釈が出来るため推察の域を出ないが、本作全体から滲み出る
狂気や美、白や黒というナンセンス的な存在までも包括し、
この世のありとあらゆる感動が詰まっているということだ。
そして、彼は作り上げた。
この永遠に終わらない感動と空想の存在が住まう環境を。
それこそが、『さよならを教えて』である。
彼は私たちのイデアから派生した人見広介という人物を疑似的にこの世界に住まわせることによって
ヒロインズの永遠を見事に作り上げたと言える。
やがて、私たちは渇望する。この永遠の世界から出たい!!
さよならをしたい!!と。
これは疑似的に二次元から卒業することの出来ない私たちの量子力学的存在であり、
重ね合わせのトリックだ(白と黒などの2項対立はシュレディンガーの猫の象徴であるという解釈をもった)
そこまで到達することで、やっとこの二次元は成就する。
人見広介のイデアは二次元の世界に留まり続け、替わりに私たちのイデアが
二次元からの「さよなら」を成し遂げる。
彼のリハビリ施設生活は終わらない。
結局、最後まで「さよなら」を教えてもらえなかったのだ。人見広介は。
本作は、そんな幾重にも重ねられたトリックによって誕生した、極めて狂気的な作品である。
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補足:Comment te dire adieu ?とはフランス語の言葉で日本語に直すと
「あなたとは別れたいけども、その方法がわからない(決別の意)」となる。
これは、元々フランソワーズ・アルディの曲のタイトルである。そこに目を付けた制作陣が
この言葉がこの作品には適切だという判断で、恐らく今のタイトルの形になったのだろう。
そして、この歌の歌詞を掻い摘んで説明すると、
「わたしはあなたにどのようにさよならと言えばいいのか分からない。
だから、あなたの口から私を説得して」
そう、失恋の歌なのだ。
重ね合わせの一方のイデアたる人見広介はもはや、自分の空想から呆れられてしまい、遂には女の子から別れを持ち出される事となる。次第に、彼の世界は崩壊を始める。
その度に人見広介は自分を維持していた空想すらも失い、もはや新しいイデアを求めるほか無くなった。
そして、私たちの手元には1枚の禍々しいディスクが鎮座している。
別れを認めることの出来ない哀れな彼らは、またゲームの世界へと入り自らのイデアと人見広介を重ね合わせる。
人見広介の性格特徴2点は、人が成長する上で経験する思春期的な葛藤と同じだ。
物語に既に搭載されていた人見広介の空のイデアと、私たちの極めて等しいイデアが同調することで
【adieuプロジェクト】が始動する。
永遠の楽園。作者が目指したのは、そんな世界なのかもしれない。
たとえ、私たちの狂気に塗れた世界であったとしても…
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Répéter en même temps.?
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Même si tu souffres.
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adieu...