青く、青い夏
いつものように自身のブログからの転載です。
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老舗ブランド戯画より発売されたシネマチック学園アドベンチャー。公式で大きく打ち出しているように『青春』をテーマにした夏の物語です。アオナツ=青夏=夏の青春ですね。「青春」は手垢のついた題材ではありますが、それだけ王道であり普遍的なもの。その分やりたいこと、やることが明確なので、合う合わないも明確になるのではないかと思います。青春という時間に宝石のような輝きを見るような人間は、私のような人間ですが、やって損はないと言えるものになっています。ちなみに、発売時期もあって『平成最後の青春エロゲ』なんて言われていたりもしますね。さらに言うと、移植版が『Vita最後の青春美少女ゲーム』になりそうです。
青春とはなんでしょうね? 甘く苦い恋の時間。他のことなんて気にせずに何かにひたむきに打ち込むことが出来る時間。大人と子供の中間地点。いろいろなことを諦められるわけでもなく、子供のように無邪気に生きる事が出来るわけではない時間。青春と一口に言ってもいろいろあると思います。『アオナツライン』の持つ青春についてはやった人の心の中にあるとして、ざっくりと表面をなぞるならばストレートな学園恋愛青春ものとなっています。ファンタジー要素はなく、SF要素もなく、かと言って部活動を中心としたものでもない、本当にすぐ隣の日常にあるようなものをテーマにしたただの学園恋愛ものです。ぜひ『青春』の物語が好きだという方は体験版をチェックしてみてください。もちろん『青春』にも種類はありますが、体験版が楽しめたら、間違いなくそれ以降の展開も楽しめるはずです。大抵の物語はそうだと言ってしまえばそうなのですが、この作品ではいかに作品世界・日常にのめりこめるかが重要なので、共感を得られた方は是非! 誰もが経験したようなこと(自分の場合は失敗関係)を丁寧に描いているおかげで、身近に感じられる部分があるんじゃないかと!
私の率直で簡潔な感想としては、久しぶりに自分が「出会うべき物語」に出会うことが出来た気がします。「出会うべき物語」という表現は私にとって最高峰の褒め言葉で、実際に私のエロゲ史に刻まれる一作であることは間違いありません。シナリオ、絵、音楽、UI、演出等すべてが丁寧に作られた作品でした。その丁寧さが作品の魅力を底上げしていたと思います。シナリオとしては「海希」、キャラクターとしては「ことね」が好きです。ことねに関しては、タメ口で「○○君」って呼ばれた過ぎてダメになってしまいます……。
青春という眩しい時間。眩しさと言っても楽しいだけではなく、ぶつかり合うことも、悔しさが滲むことも、そんなマイナスなことも含めての眩しい青春です。言葉にしてみればなんてことはないことを、ただただ丁寧にやっていたからこそ名作となった、そんな作品です。プレイ後には虚無感に襲われましたし、それと同時にアオナツラインの日常がどれだけ眩しく、煌めきに満ちていたのかという思いが涙となって溢れていきました。
この作品を好きになることが出来た人は、おそらく私のように終わった後の余韻がすさまじいことになると予想しています。ですが、特典ドラマCDのようなものもなく、おそらく続編・FDも出ないでしょう(そもそもそういう作品ではないです)。なので、終わった後には、公式HPのコンテンツ、特にプロダクションノートを読んでみるといいんじゃないかと。製作陣が何を成そうと考え描いていたのか、作品に対しての熱、その一端を感じるが出来ます。私も作品を終えた後、公式HPにあるIntroductionのページからじっくり読んでみました。すると自分が感じたことに近いことがそのまま書かれていることに驚きがありました。なによりも「等身大」というキーワード。物語と現実は違いますが、アオナツラインには物語なりのリアルを感じることが出来ました。
続編・FDなどがないと言いましたが、原画を担当された、うみこさんが『アオナツライン ArtWork』というアオナツライン関係のイラストをまとめた同人誌を出しています。その中にはシナリオを担当された大地こねこさんが提供したショートショートもあるので、今となっては入手困難品ですが是非読んでほしいです。もちろん必読というようなものではありません。ただの日常の1ページを描いたものです。そしてそれが素晴らしい。
以下、詳細感想
・椎野ことね
ドヤ顔、泣き顔、全部可愛いクソ生意気な後輩。いいね!!! 私的2019年ナンバーワンヒロインです。
共通から明らかに口が悪く、売り言葉に買い言葉でいろいろ言ってしまう不器用な女の子。人との付き合い方が下手だったからこそ、序盤で千尋と衝突してしまうのもらしかったです。千尋と衝突して多少は丸くなっても、正直に言葉に出してしまう点は変わっていないので、それが素なんでしょうね。5人の中では1人だけ後輩なのですが、その立場にも関わらず一番自分の気持ちに素直なキャラでした。素直だからこそ、一年生のグループで自分を作っていた時に無理が来てしまったんですよね。ありのままの自分、無理をしないというのは大切ですが、「ありのまま」をいい方向に変えていくのも一つなんじゃないかと。
ことねルートに入って早々、主人公の呼び方が「達観くん」になり、話し方もタメ口になり、達観との距離が近づいたことに対して1人ベッドの上で言葉にならない言葉を発することね、という流れにやられたプレイヤーは多かったんじゃないかと。私もその1人です。ことねの「好き」という気持ちが至るところから溢れ出てるのはヤバイ! 好意をダイレクトに向けてくるのが本当に好き。
場面としては海希ルートで描かれた残念会で千尋と口喧嘩しているところが好きです。男女が話していると、すぐに恋愛的な頭になってしまうのは悪いところですが、ことねと千尋が付き合っても面白いなーとは思ってます。
ことねルートではなく結ルートの場面から一箇所。ことねが5人のグループではなく、今までの一年生のグループへと戻っていくような流れが差し込まれた点に、非常に思うところがあります。作中の言葉の引用ですが、「巣立ち」と表現するか、「元に戻る」と表現するか。ことねにとっても間違いなく5人でいた時間は楽しかったでしょうし、大切だったはずです。それがあっても、ことねは自分がいるべき場所、未来、「線」を見つけていった。実は海希ルートと通ずるものがあるんじゃないかと思っています。
「これが私の、歌なんだ――!」
・仲手川結
恋に恋する女の子というフレーズはたまに聞きますが、青春に恋する女の子というのは聞かないですね。達観の善意の撒き餌に引っかかって転校までしてしまうような行動力、のほほんとしているようで5人の中では一番全体を見ている視点、育ちもあって浮世離れしている不思議さも持った、仲手川結はそんな女の子でした。
全体を見ているという点についてもう少し突っ込んでおくと、5人の中で誰かが衝突した時、どの場面でも自分の立ち位置を決めて緩衝材のようになっていました。そして、千尋は横に置いておくとしても、海希の気持ちに一番に気がつくのは結だったというのは当然の話。海希ルートでは海希の告白の後で千尋に釘を刺し、自分にも釘を刺す。周りが見えているからこそ、この先を見据えた行動。そんなことを考えていると、この作品を回していったキャラは間違いなく結、というのが私の見方です。ちなみに、周りが見えても自分を見ることが出来ずに、それによってどんどん周りも見れなくなって歪んで暴走してしまったのが結ルートという解釈だったりします。あれが自分ではない誰かのことだったならば、ちゃんと行動出来ていたんだろうな、と。
個人的にイチオシの場面は結ルートの音島フェスで「み゛な゛ざん゛、ごめんなさああああああああぁぁい!」と泣き出すシーン。大好き。ギャグ入りつつの大泣きするシーンが好みだということに、比較的最近気が付きました。こういうシーンでは人に見せられないようなニヤニヤ顔をしながらプレイしております。(しかし、あの場面でも千尋の不器用さが発揮されてるんですよね)
それと、ことねと同じく海希ルートの残念会。千尋に「すねたんですか?」とズケズケ聞くことねを窘めつつも、自分も気になってることだからと結局「すねたんですか?」と聞いちゃうシーン。ここの聞き方が可愛らしかったです。
ヒロイン3人の中では一番声がハマっていたと思っています。のほほんとズレつつも、包容力があり、暴走特急にもなり、楽しそうな場面では本当に無邪気に語りだす声が、まさしく仲手川結でした。シナリオ執筆段階から当て書きされていたはずの、ことねよりもハマっていたように私には感じられました。
「あなたこそ、私の青春です」
・向坂海希
圧倒的面倒くさいヒロイン。そしてシナリオも圧倒的だった海希ルート。5人の関係、3人の関係、現在・過去・未来の関係、それぞれがとても丁寧で、かつプレイしていて楽しい作りでした。三年前の流れ、そしてその三年前の物語から繋がる、現在の告白シーンでは、そこで物語が終わっても良かったレベルの満足感を得られました。告白シーンで思わず涙をこぼしてしまったのは、今まで触れてきた作品を見渡しても海希ぐらいだったかと思います。
海希の面倒エピソードとしてあげたいのは、共通ルートの『変な意地』。達観が結のためにスリーポイントを決め、ことねのために連続スリーポイントを決め、そしてそれを受けた海希がとった行動のエピソード。自分のためにもスリーポイントを決めて欲しいという海希のワガママではあるのですが、達観の中で(恋愛的な意味での)自分の立ち位置を確認したい、スリーポイントを決めてくれることで結とことねと同じ立ち位置にいるんだと信じたいというイベントです。穿った見方をすると、確認から一歩踏み込んだ、自分がいるということを達観の心の中に打ち込むという要素まで絡んでいたようにも思えます。そしてさらに海希自身の心の確認という要素まで。
海希のことを面倒と言ってはいますが、人間って大抵面倒な生き物ですよ。面倒なキャラクターだからこそ、海希は人間らしいと思います。実際のところ、作中では気分屋とも表現されてもいましたが5人全員面倒な面を持っていますし、人間らしいです。欲があり、感情があり、理屈があり、極端なところがあり、それらがゴチャまぜになってこその1人の人間です。
ここからはシナリオの流れを確認しつつ、いろいろ書いていきたいと思います。海希ルートの場合、過去と現在を交互に進めていく形式。現在では夏休みの計画がナイトプールに決まり、実現のために動き出すも千尋が早々に離脱してしまう。千尋が抜けてしまったことで残された4人、欠けてしまったものは大きく、だんだん噛み合わなくなっていき、達観と海希が衝突してしまう。意見の衝突が続くうちに達観が踏み込んではいけない一線、3人でいつづけることが出来た一線を誤解と共に超えてしまい、自分の傷を抉るとともに海希を傷つける。
達観と海希の2人が衝突してしまったのは、2人にとって千尋が大切な友人で、5人(3人)でいたいという気持ちが強かったからのシーンだったと思います。これからも一緒にいることが当然だと思っていたから、だからこそ千尋の行動に戸惑い不安になり、お互いにどうしたらいいのかわからなかった。不安定な環境になったことで、今まで思っていたことが漏れてしまった。3人でいたからこそ安定しているように見えていた、本当はいびつだった関係がここで前に出てきました。
過去では、達観と海希は幼なじみとして成長し、同じ穂谷南に入学するも、違うクラスになってしまう。そして時間は過ぎ、二年生で同じクラスになれた時、達観と海希の距離は自然と開いてしまっていた。昔のような関係に戻りたい達観。周りの目を気にし達観との距離感に悩む海希。そんな、まだまだ子供だった2人の過去。
学校からの帰り道での会話では、達観の気持ちをなんとなく察することが出来る海希と、海希の気持ちを理解していない達観。その時点での達観と海希のあり方が短い時間でも、はっきりと描かれていました。そして、そのすれ違いが出ていました。
偶然から生まれた達観、海希、千尋の3人がゲームセンターで遊ぶ時間。少しだけ前のような関係に戻れた時間。その帰り道、海希が達観との今までの関係、幼なじみでいられたことを壊す決定的な言葉を発してしまい、どうしようもなく達観を傷つけてしまう。考え方も、価値観も違う、互いに合わせることが出来ない二人が、近づきすぎてしまったために起こってしまった事件。
現在では達観が海希を傷つけ、過去では海希が達観を傷つける。そして同時に傷つけた側も傷ついている。
少し違う話とはいえ、強い感情を表に出すと涙が勝手に出てくるという経験が私にもあるため、ゲーセンからの帰り道の場面は共感し、ひたすら辛かった。海希が一人、家のベッドで後悔の涙を流す痛み。傷つけてしまった、間違えてしまった、理不尽だと自分でも理解しているからこその悔やんでも遅い苦しみ。そして同じ時に、達観も部屋で一人、自分が子供だった事に気が付きm悔やみ涙を流しているというのが更に辛い。けれど2人とも、これがあったからこそ自分の抱えている気持ちが恋だと気がつくことが出来た大切な時間。気持ちとしては見ていて辛いのですが、作品としては好きです。この『決定的な言葉』があったからこそ、他のルートも含めて達観と海希の行動に圧倒的な説得力が生まれました。なぜ達観は自己評価が低いのか。なぜ海希は達観に対してどこか遠慮している部分があるのか。
過去では『線がつながった日』、病院のシーンで、達観が傷を乗り越えてきてくれた。よくある台詞ではありますが、達観は誰かのために動くことが出来る人間だったということです。達観が千尋と千尋母の仲裁に入る時には、プレイしながら自然と涙ぐんでいました。あの展開を見せられては千尋が達観のことを大切に思っているのも当然にしか思えません。既に一度家族がバラバラになるという傷を負っていた千尋が、また同じ傷を重ねようとしていたところから救ってもらった。「これから」をくれた。もう……、これは……。立ち絵でも、千尋が今まで全く見せてこなかった目をうるませたような笑顔を見せてくれるのが……。
海希は達観に話しかけることが絶対怖かったと思います。その場の勢いもあったとはいえ、達観が恐怖を乗り越えてくれたから海希はちゃんと話すことが出来たし、謝罪し、友達でいたいという気持ちを伝えることが出来た。謝罪も達観が先だったのは、ここでも海希のプライドのようなものが邪魔していたのでしょう。
過去だけを見てみると、達観と海希はちゃんと仲直りし、千尋とは友人になることが出来て一件落着ではあるのですが、口に出してしまった言葉は変えられないし、既に起きてしまったことは変えられないという当然のことが現在という『未来』へと繋がっていきます。
現在では衝突したまま迎えるプールの日。夜のプールという、海希の告白が中断され、時間が止まってしまった場所。そこで迎える達観からの告白。ここに至るまでに、本当にいろいろなことがあって迎えた告白ですよ。絡み合った線を乗り越えて、正直な気持ちで向かい合う二人でボロ泣きでした。なんてことはない告白シーンでも、それまでに積み上げてきたものが素晴らしすぎました。いい場面というものは、その場面自体も大事ですが、そこまでに何をどれだけ積み重ねたかも大事なんですよ。
場面は少し戻って告白前にプールサイドで海希と手を繋ぐところ。ここでさらっと達観が「フィジカル、コンタクト」という台詞を挟んできます。バスケでは海希に決して触れようとしなかった、フィジカルコンタクトを避けてきた達観。気持ちの面でも触れてこなかったものに触れるという、これから一線を超える達観なりの覚悟の台詞ですよね。こういうところが上手い……。
海希シナリオの中心人物である3人の感情を整理してみると
達観:海希のことは意識しているが、両思いであるはずの海希と千尋の二人がくっつけばいい。三人の中で浮いている自分が邪魔者だと思っているが、それでもこの3人の関係を大切に思っている。
海希:達観のことが好きだが、三年前に投げかけてしまった言葉が後を引き、二年前に告白出来なかったことも後を引いている。そして3人でいる時間が好きで、この関係が壊れてしまうことを怖れている。
千尋:達観と海希の思いに察しが付き、2人が結ばれるべきだと思っている。けれど、2人といる時間が心地がよく、このままが続けばいいとも思っている。
「こうなりたい」「変わりたい」という思いは持ちつつも、全員が3人の時間が続けばいいと思っている。さらに3人の時間が三年も続き、3人の時間をより強固に動きにくくしてしまった。動こうとしても動けない膠着状態のようです。ただそんな中でも三年前ではプライドもあって自分からは動かなかった海希が、夜のプールという覚悟を決めて、受け身ではなく自分から動こうとすることが出来たというのも「変わること」が出来たことなんじゃないかと。
・榊千尋
まだ海希ルートのラストにまで辿り着けていないですが、休憩の要素もいれつつ、一旦アオナツラインという作品で外すことの出来ないキャラクター、千尋についての話です。よく聞く話ですが、彼がメインヒロインだったという意見は否定できない……否定できないどころか完全同意……。千尋にとって達観は親友であり、どうしようもない現実を少しだけ変えてくれた、自分を救ってくれた存在。この要素だけ拾い上げても、まるでメインヒロイン。
共通ルートの『傷跡』。達観と千尋が電話しているシーン。物語が深く潜っていくことになる、その序盤のシーン。細かいとこですが、初めは千尋の声に電話越しとわかるようなエフェクトがかかっていて、達観と千尋2人の絵が表示され「俺の両親が離婚したの~」のセリフからは声にかかっていたエフェクトが消えるところ。演出のうまさですよね。ここで話題が転換し、真面目な、大切な話になることが一発でわかるという、演出を伴ったいいシーン。そして同時に、あそこは千尋を担当された声優の方の力によって昇華されたシーンだと思っています。千尋の持つ後悔を中心とした、ドロドロとした感情がにじみ出る素晴らしい演技でした。そこに限らず、笑っている場面、泣いている場面、怒っている場面、それらすべての演技が千尋というキャラクターにきっちりとハマっていて、この重要なポジションを演じられる人を見つけられたのは幸運なんじゃないかと。
海希ルートで1人になった千尋は、バスケットボールを再開することになります。これもすごく好きな展開でした。三年前のゲーセンではバスケに対して「一生懸命やっても、どうせプロってほどにはなれねーし……やってて意味あんのかなって、ふっと思ってな。俺がやってることは、全部無駄で意味がない……そんなこと考えたら、急にやる気が失せたんだよ」なんてことを言っていた千尋。そんな千尋がバスケを再開出来たということは、本人が気がついているのかはわからないですが「変わること」が出来たということに繋がっていると思います。
穂谷南時代、バスケ部の三年部員や顧問と衝突していたという簡単な描写はあったのですが、実際三年前の千尋は部の中でも浮いていた可能性が高いと思います。あの時の千尋は基本的に他人に関心を向けてないですし、多くのものに興味を持てていません。それもあって部活内ではバスケの上手さに嫉妬されていたなんてこともあったのかもしれません。バスケはやっていたけれど、バスケだけしかしていなかった。バスケで生まれる交流などをしていなかった。というのが自分の想像です。交流を拒否していたと言っても、表面的にはある程度会話するけど、相手のことをちゃんと見ていないというような感じかと。
それから三年という時間が経ち、現在の千尋はちゃんと周りを見ることが出来、協調性も昔よりはあるので「同じ目的を持っている仲間がいるってのは……いいもんだな」と言えるようになったのでしょう。達観と海希が変わる中で、千尋もバスケという線、進むべき未来を見つけることが出来ました。5人でいなくてもやっていける未来を手にすることが出来る変化が三年間で生まれていました。
・「海岸線」という夏の終わり
共通ルート後半からそうなのですが、海希ルートでは物語が一つ一つ丁寧に階段を登っていくかのように進んでいきます。夜のプールの告白で頂上へと辿り着いたと思いきや、そこからさらに登っていき『海岸線』で登りきった先が見えるという感覚です。プレイしているときには、明らかに最後に爆弾のような何かが来ると身構えてしまうほどに丁寧な作りでした。その爆弾も、千尋のバスケ復帰、海岸線と連続で来るからもうお手上げです。
達観が、海希が、千尋が、それぞれが悩み、苦しみ、決意し、踏み出し、その結果迎えた夏の終り。3人でいた三年間という時間が無駄じゃない、今へと至り、未来へと繋がる大切なものだったと確認する時間。今までの暖かではあるが、いびつだった、絡み合った関係が一度紐解かれる。けれど、いびつだったとしても今まで過ごしてきた日々は間違いなくそこにあったし、その日々の楽しさや幸せも間違っていなかった。そして、またあそこから始められるからこそ、「この三年間は、絶対に、無駄じゃない」。3人じゃ迎えることの出来なかった、5人だから迎えることが出来た結末。5人はこの夏を決して忘れることはないでしょう。千尋が達観に救われたことを忘れず、助けになってやりたいと思い続けていたように。この5人で過ごした青夏という日々が過去へと変わっても、変わらないものはあるから。
描写としても、BGMが消え、波音が聞こえる時間も終わり、声だけが響く中で完璧のようなタイミングで入ってくる『海岸線』。そこから始まる三年という時間の振り返り。言葉にならないような感情を内包した涙を流す3人の絵。心に迫る声優陣の迫真の演技。一つの物語が終わる瞬間としては完璧に近いのではないでしょうか。
一歩引いたところから見ると、『夏が、終わる』は学園モノでは定番とも言える、「卒業式」のようなイベントだと私は捉えています。卒業式というのは一つの区切りであり、今までの関係が変わり、その上で先へと向かって歩きだすものです。ただ、普通(現実)の卒業式は何もしなくても時間とともに訪れ、勝手に関係や立場が変わっていくもの。けれど、アオナツラインでは、周りの後押しや互いに影響しあったことはあっても、一人ひとりが自分で変わることを選びとり辿り着いたシーンというのが何よりも尊い。大人というものがいいものなのかは横に置いておくとして、5人にとってこの夏、青夏は一歩大人に近づく、変わることが出来た時間だったと強く感じます。
3人の夏が終わった9月1日から始まる時間というのは今までとは違っていて、きっとそれでも変わらない日常。もしかしたら海岸線をきっかけに、3人が、5人が疎遠になった学園生活を送る可能性もあります。さらに未来に目を向けてみるれば、学園を卒業してから社会人として日常を過ごしていく時には、気軽に何度も会うような関係ではなくなってしまう可能性が高いでしょう。けれど、同窓会でも、何かがあって集まった時でも、電話をした時でも、会話が始まれば一瞬で学園時代に戻れるような関係であることには間違いないと思います。これは自信を持って言えます。夏が終わっても、それでもまだまだ人生は続いていく。だからこそ「無駄じゃない」ことなんだと思います。
知らない人にとっては爆弾情報なのですが、9月1日は千尋の誕生日です。5人はどんな一日を過ごすのでしょうね。
・「Blue, Summertime Blue.」(楽曲)について
圧倒的。好き。無理。感情。語彙力のないオタクと化す一曲です。
普段だと、サビが好き、間奏が好き、ブリッジ(Cメロ)が好きという場合が多いのですが、とても珍しいことに好きなのはBメロ。特に「見上げた空は一面の青で」の部分。ボーカルの紫咲ほたるさんの歌い方が最高です。
3人のルートが終わり、アオナツラインという物語がスタートする少し前、四月の時期の話の後に流れる最後の曲。アオナツラインという物語を締めくくるエンディング。「あたしたちの未来は、」。歌詞にヒロイン3人の挿入歌のタイトル「海岸線」「明日のこと。」「結び目」が組み込まれていることが特徴的です。アオナツラインを総括する楽曲であると同時に、まだ現在の時点では未来は決まっていない、何にでもなれる、どんな風にもなっていくという可能性を持った楽曲だと私は解釈しています。
この曲を聞くときには、キャラクターたちが日常をすごしている様子や舞台となった穂谷野市の様子が勝手に脳内再生されていきます。
夏の日差しの中、海辺を裸足で楽しそうに歩いていく「海希」
朝、学校へと続く道を1人緊張しつつ歩いていく「ことね」
靴紐を結び直して、ふと見上げた空の青と太陽の眩しさに目を細める「結」
アオナツラインの持つ日常の眩しさです。それが詰まっています。そしてサビではアオナツラインという物語の抱えた「現在」「過去」「未来」の関係性を端的にまとめ、これからを歌い上げていま。この曲を聞けば一撃でアオナツラインという世界に戻ることが出来る一曲です。だからこそ、この曲はゲームのEDとして流れる場面よりも、プレイが終わった翌日に聞き、曲とともにアオナツラインという作品を思い返す時に一番クるものがある楽曲です。
昨年、2019年のEVI∞HABARAという美少女ゲーム楽曲中心のライブイベントで紫咲ほたるさんの生『Blue, Summertime Blue. 』を聞きましたが、大真面目に記憶が飛ぶレベルの衝撃でした。発売後でしたし、紫咲ほたるさんのツイートに歌うことを匂わせるものが多かったので、期待と緊張を持って行きました。絶対歌ってくれると覚悟して行きました。それでも、MCで作品について語られ、イントロが流れ出してからはもう、いろいろな感情が襲いかかってきて無理でした。こう言ってしまうと怒られるかもしれませんが、ワンコーラス目は殆どまともに聞くことが出来ませんでした。まともにステージすら見ることが出来ませんでした。そんな中で何よりも行ってよかったと思えたのは、紫咲ほたるさんに直接感想と感謝の言葉を伝えられたということもそうなのですが、『Blue, Summertime Blue.』歌唱後フロアのいたるところから、すすり泣く声が聞こえてきたことでした。アオナツラインという物語に、それだけ心動かされた人がいたんだと、あの物語に共感する人がいたのだと、その想いに制作者でもないのに胸が熱くなってしまいました。
もちろん紫咲ほたるさんの歌声は素晴らしかったです。まともに聞けなかったとか、記憶がないとか言っていますが、そんな状態にまでなったのは、何よりも素晴らしい歌声だったからです。アオナツラインが好きな方は、ぜひ紫咲ほたるさんが出演するライブに行ってみるといいのではないかと思います。
・まとめ
年相応の不器用さ、感情を持った若者たちの一夏。笑い、怒り、泣く、そんな青く青い時間が素敵な一作でした。これだけ文字数費やしていますが、特別ではない、けれど特別な時間、そんな時間を大切に大切に描いた一作だったという、最初の方に出てきたような言葉でまとめられます。物語として目立つ部分にばかり文字数を割いていますが、実際のところはここで語った部分以外もとても大切な作品です。間違えて、喧嘩して、仲直りして、笑い合って、泣き合って、羅列してもなんでもないようなことが、ただただ眩しく感じられたというのが、この作品では何よりも素晴らしいことだったと感じています。
作品としてちゃんとまとまっているため、これ以上の続きなどはいらないのですが、7月の関係性で5人を描いたショートショートやイラストをみたくてみたくてしょうがない……→『アオナツライン ArtWork』
あるんだけど、あるんだけど、やっぱりもっと欲しくなるやつです。
・おまけ
感想自体は上のまとめで終わりです。ここからはおまけです。感想はどうしてもシナリオ中心に話してしまうので、それ以外の要素について上手く文章の構成に組み込むことが出来なかったものを受け止めるという役割も持った、おまけです。
まずはOPムービーの話から。やはり本編をしっかり踏まえたものになっているのが最高です。序盤のヒロイン紹介パート、海希では3本の線が伸びていき、結では追加で一本、ことねで追加でもう一本線が絡まり合っていく。結の場面だけでしか出てこない電車のレール。結ルートでちゃんと「レール」という表現が使われていますし、結の始まりは電車での出会いだったということも繋がってきます。それになによりも、1:22~の思い出の連なりが線となり、重なりあっていく描写が本当に『アオナツライン』という感じがして好きです。
制作はSyamoさん、立花詩穂さんのお2人。美少女ゲームの世界では、新時代の動画作家さんたちですね。
「きみの望む未来へ、線をひこう。」
この感想を書く上で、プレイ中に撮ったスクリーンショットを見返していましたが、アオナツラインが持つプレイしやすさ、読みやすさの謎の答えが一目瞭然でした。
こちらは一例なのですが、注目したいのは改行の位置です。一行を最後まで使ってからの改行ではなく、句読点の位置で改行されていること。句読点を使わず、意味の違いとも言えるような位置で改行されていること。こういった細かなところに気を使われているからこその読みやすさだったんだと、非常に納得がいきました。他の作品でもこういった改行をされているのかもしれませんが、それなりに美少女ゲーム、ノベルゲームをプレイしているにも関わらず、今回初めて意識しました。きっと私が気がついたこれも一要素でしかなく、読みやすさに繋がる工夫や、ノベルゲームという媒体だからこその文章の構成というものが詰まっているんだと気がついた時には唸っていました。
千尋のあたりで入れようと思っていたけれど、どうにも構成的に入れられなかったことです。
5人のうち誰かがふざけたり空気を読まないことを言ってしまい誰かに注意される、プレイした人はそんなシーンに覚えがないでしょうか? 何度も出てくる要素なので、確実に狙って差し込まれた描写でしょう。ただ周りに流されるのではなく、ちゃんと意見を言い合える関係だということの強調だと思います。恋愛が絡まないところだと、ちゃんとしてる。
原画を担当された、うみこさんが描く「夏の彼女たち」は素晴らしいものがありました。眩しさ、透明感、そんな言葉で表現されるもの。うみこさんのイラストを活かすための企画だった部分もあるので、当然といえば当然なのですがアオナツラインという作品にガッツリハマっていた原画家さんでした。
アオナツラインの一枚絵で特に好きなのは、5人のプール掃除、ことねルートからカフェでのデートシーン、結の浴衣、海希ルートラストの海岸線の3人。笑顔が素敵というのは、やはりある程度の絵を描かれる方の必須要素のようなものですが、それはもちろんのこと泣き顔と怒り顔が良かったな、と。海希ルート過去の夕方の絵がその両方要素を持つものなのですが、シナリオと合わせて海希も達観もプレイヤーも「辛い」と思わせるだけの力がある絵でした。説得力の塊でした。海岸線も言わずもがな。
いい作品だったがゆえに出てくる要望として、もっと5人が一緒の絵が見たかった。私服の種類を増やしてほしかったと大きな声で言わせていただきます。そんな簡単なものではないのはわかっていても、言いたくなることはあるのです!
おまけの中のおまけの話になります。キャンペーン系はいろいろ事情があり滅多に送らないタイプなのですが、アオナツラインに関しては一つの決意が持てたため送ったところ、なんの因果か当選したため、我が家にはうみこさん直筆サイン色紙が大切に飾られています。額縁ではなく、夏の爽やかさを感じられるようなアクリルスタンドが良いと思った結果がこちらになります! 特典CDも透明スリーブケースですし!!!
最後の余談です。プロダクションノートの大地こねこさんの文章、「彼女たちはあの海辺で、それぞれの想いを抱え、確かに生きている」。この感覚を自分も持つことが出来たので、夏のうちに舞台のモデルとなった青春の地、湘南へと遊びに行こうと思い、実際に行ってきました。2019年8月31日、夏が終わるあの日。
私は普段、モデルになった建物や場所はモデルになっただけであって、そこに行く価値を自分は認められないだのなんだのと言っているような偏屈な人間です。ですが、アオナツラインの場合、舞台が明確ですし、実際の作中の雰囲気と現実の雰囲気もある程度一致しそうということで行くことに決めました。登場人物たちが、そこで過ごしたその時間と空気を感じ、思いを馳せる、それを目的の一つとして。
実際に湘南に遊びに行くという方は、行った人のまとめを見るのもいいですが、アオナツライン公式のWorldのページをそのまま地図と照らし合わせて適当に歩いてみるのもいいんじゃないかと思います。