「好き」と自信を持って言える作品でした。ラプラシアンのノリが自分に馴染む!
自分のブログからの転載になります。 http://nanigashitaino.blog6.fc2.com/blog-entry-816.html
2016年に『キミトユメミシ』でデビューした新規ブランド・ラプラシアンが世に放つ2nd project『ニュートンと林檎の樹』。独特の告知や宣伝を取っていたため、「ニューリン」「ぜんぶ童貞のせいだ」など聞いたことがある人は多いのではないでしょうか? 公式のページを見てもらえばわかるように、なかなかに突っ走ってる感あります。作品紹介のノリが既に作品のよう。
端的すぎるほど端的な感想を言うならば、とてもいい作品だった。プリンキピア(ニュートンが書いた万有引力の法則などについて書かれた書籍)を読みたいと思ってしまいました。
最初から脇道にそれますが、ラプラシアン処女作の『キミトユメミシ』の世間的評価といえば、萌えゲーアワード堂々落選し、話題になったとも、評価が高かったとも言えず(ゲームが起動しないという悪い意味では部分的に話題となりましたが)、民安ともえさんが歌唱したトンデモ劇中歌である『時雨Dictionary』の一発屋にならないか心配という声が聞こえてくるなど、あまりあまりな感じだったように自分には見えました。ただ、私の感想を言うならば「自分は好きだよ」と答えます。実際、全体の構成やシナリオは「普通」の域を抜け出さないという感はありましたが、テキストやネタに光るものがありました。「普通」のなかでは確実に面白いです。特にエロゲによくいる親友キャラポジションであるところのモモケンの存在は素晴らしい(ヒロインじゃないんかーーーーい!)。ということで、ニューリンのノリが面白かったという人はプレイする価値はありますよ。普通に恋愛してエッチしてというタイプのエロゲはあまりやらない私が最後まで楽しく出来たという時点で、自分の中の評価は高いです。
ニューリンの話に戻りますが、この作品がオススメなのは、とりあえずはラプラシアンのノリが合う人ですね。ティザームービーだったり、カウントダウンムービーを見て面白いと思えるのならば、たぶん大丈夫。本編でさらに酷いネタもぶっこんできたりしますが……。それと、ある程度は硬派ですが、タイムスリップものとしてはちょっと突っ込みどころが多いので、そこら辺ある程度スルー出来る人でしょうか。自分の場合、突っ込んでいましたが途中からは面白いから別にいいやと投げたタイプの人です。
四五→ラビ→春→エミー→アリスが推奨攻略順でしょう。明らかにこうなるように作ってます。
ちなみに、各店舗特典に5分、10分程度の追加シナリオが入っていますが、公式通販特典のものがオススメです。おそらくまだ買えるはず。ラプラシアンのどうしようもないノリが詰まっているので、ラプラシアンが好きな人は、おそらく好き!w
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『ニュートンと林檎の樹』自体の魅力というわけではないのですが、決して見落とすことが出来ないのは「リアルタイムの面白さ」でしょう。既に上でも書きましたが、宣伝・告知がとにかく面白い。宣伝一つ一つがラプラシアンらしさを持った作品の1つと捉えても良いんじゃないかと思ってます。秋葉原に飾られた「ぜんぶ童貞のせいだ。」看板。看板が飾られていることをステータスとして、関係者やファンが写真をとりSNSにアップするというのは他でも見られる行為ですが、ニューリンの場合はそれに加えあのキャッチコピーを面白いと思った人も話題にして、いろいろなところを巻き込んでいたように見えます。それだけでなく、エミーのこれがフリー素材として使っていいと公式から提供された時に、ファンたちが揃って悪ふざけをしているんですよ。そういうブランドとユーザーの信頼関係(?)というのも魅力なのでしょう。
ニューリンのコラムではラプラシアンというブランドは生モノだというような表現が出てきていました。「制作発表から発売、ゲームプレイ後まで、Laplacian自体をイチパッケージとして遊び尽くしてくれたら本望」とまで書いているあたり、自分はもろにターゲットにされてしまっているな、と思うばかりであります。
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ラプラシアンの分かりやすい特色の1つである、挿入ムービーという演出。『キミトユメミシ』では『時雨Dictionary』という楽曲の力もあり、インパクトは100点満点。ニューリンではインパクトなどは前回を下回りましたが、ムービー単体としての評価ではなく作品の中で流れるムービーとしては、可能性を強く感じるものでした。
四五では万有引力の法則が失われてしまったことに対する説明。普通に説明するだけならば冗長になる内容をインパクトで押し切ってしまうという、強引でありつつもスマートな方法。ラビはその特異なキャラクター性を前面に押しだしたギャグよりのもの。春さんは、春さんの中にあるイメージ、ひいては春さんがどういう人なのかが伝わり、主人公の気持ちが動くという転換点。エミーはギャグ、完璧にギャグ。アリスはデートという1つの見せ場を、短時間ながらも想いが詰まった代えがたいものとして。それぞれムービーを用いていろいろな種類の演出を提案されたかのようでした。公式HPが公開になった時に「全ヒロインに挿入ムービーあり」という文字を見たときには全部ネタ方向に振り切れたものになると思っていましたが、そんな自分が浅はかでした。強制オートモードのような演出は他のエロゲでも見ますが、挿入ムービーのような独特なものはほぼ見ないというか、知らないので、これからも上手く作品に組み込んでいければ最高ですね。(ムービーなだけに、再生までと再生後のラグはどうにかして欲しいという難しい要望はあるんですがw
少しキャラクターについて触れていこうと思います。『ニュートンと林檎の樹』におけるセンター、メインであるアリスと対になるラビという存在。見た目や立ち位置など事前情報からも対になっているということには触れていましたが、作中でもこの二人は表のヒロイン、裏のヒロインとして扱われていたように見えます。アリスにたどり着くには、修二たちがプリンキピアの出版へとたどり着くためには、ラビの協力、自己犠牲が不可欠。
私がプレイしていた時は、なかなか衝撃的なラビシナリオが終わったところで一回休憩をとりました。ラビのことだから、過去に飛んでも、なんだかんだで修二たちがやろうとしていることをサポートして、うまくやっていくんだろうな。また修二と恋人になったりするんだろうな。とか思ってたんですよ……思ってたんですよ! そして、プレイ再開したらどうですか! 頭抱えて「ラビィィィィイイイイ!」としか言えるわけないじゃないですか……。その状態で、春さん、エミー、アリスのシナリオは進んでいくので、必然的にラビの存在感は強いですね。
シナリオもそうですが、どうしてもラビのいい人感がにじみ出ています。マッドサイエンティストであり、気の向くままに生きる人間であり、自分の意志は通すタイプであり、扱いづらさという意味では1番でありつつも、常識人であり、誰かを思う気持ちで言えば作中で1番でしょう。自分の幸せも重要視しているけれど、それよりも大切な誰かのことを想えるキャラクター。母を失い、信頼できる彼氏を失い、居場所を失い、それでも自分の道を生きていく強いキャラクター。アリスシナリオでも修二との別れというものを既に経験している立場からの言葉が染みます。ラビシナリオは2周目だとテキストが多少変化するので、プレイしてない人は是非プレイを!
春さんはお姉さん感好きでした。こうエロゲの姉属性キャラ?はグイグイくる印象があって苦手としていたのですが、ちゃんと主人公との距離感をとりながら年上の余裕を見せてくるあたり素敵でした。修二の呼び方が普段と変わる時だとか素敵だなって、なんか普通の萌えゲーで抱くような感想をちょこちょこ抱くんですよね。萌えゲーだとそういうのあんまり思わないのに!w そして、小倉結衣さん好き好き~。
四五は……うーん。恋愛に関してとまどう仕草であったり、修二の言葉に喜ぶあたりであったり、いいキャラはしてるんですよ。可愛いんですよ。ただ、シナリオでエロゲによくあるパターンである、告白→エッチ→仲違い→トラブルなり何かが起こる→仲直りという流れを悪い意味でやってしまった部分があるように感じます。そして、ペストの流れは特急でタスクをこなすかのようで、シナリオの勢いに自分の心情が付いていけませんでした。二人で罪を背負い、ただそれだけではなく前向きに歩いて終わるというのは、いいENDなので、そこに至るまで何かがあれば……。シナリオで足を引っ張られてしまった印象でした。
エミーはまったく隠れていないシークレットでしたが、可もなく不可でもないようなふわふわしたシナリオなどではなく、ちゃんとアリスの流れからの可能性を描いているあたりやっぱりヒロインじゃないかとw ラビとは別の意味で対になっているキャラクター。それぞれのシナリオでのあのSD絵による出番だったり、『ニュートンと林檎の樹』における最高の盛り上がりの1つである月が落ち続けていることを発見するシーンであったり、優遇されすぎててやっぱりヒロ(ry
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アリスシナリオラスト、修二が元の時代へ帰るという決断をします。タイムスリップものとしては元の時代に帰るのか、帰らないのかは逃れられないポイントであり、ここを如何に見せるかというのはライターの実力でしょう。最初にプレイしたときには自分の中で妄想しつつ納得してプレイ出来たのですが、2周目やっていたらその考えが間違ってた(というかズレていた)ことに気がついてモヤモヤしていました。ということで、自分なりに整理してみます。
前提として、修二たちは別に帰る"必要"はないんですよ。そもそも修二たちが過去へ来てしまった事によって未来は確実に変わってしまったわけです。「ニュートンがプリンキピアを書く」という大きな部分については修正しましたが、細かな部分は修正できるはずもありません。一例を挙げれば、プリンキピアにフックの名前が載ることはないように思えます。未来に帰ったとしても、元々の未来とは細かな部分で違った未来になっているかもしれない。もしかしたら自分の存在が消えてしまっているかもしれない。逆に過去に残ったとしても、自分たちの存在が消えてしまうというようなこともない(作中ではそのような兆候はなし)。反則かつリスクがありました、修二と四五、修一郎の三人の未来の知識を使えばよりよい未来を作ることすら可能かもしれなかったわけです。
ちょっと話は逸れて、作中で何度も出てきた『居場所』という単語。『ニュートンと林檎の樹』という作品を見渡した時のテーマの1つが『居場所』だったんだろうと思っています。テンブリッジに居場所がないと感じていた修一郎。自分にとって大切なもののために、世界との繋がりという居場所を失ってしまったラビ。物語開始時点では、どこにも居場所がなく、ふらふらとあてのない生活をしている修二。修二の場合、過去で時間を過ごすにつれ、アリスたちがいるあの寮が、過去が途中から修二の居場所へと変わっていきました。では、なぜアリスシナリオではアリスの隣が最終的な修二の居場所にならなかったのか。アリスと修二の出会いは不幸な偶然(?)でしたが、そこからの道のりは歴史を出来る限り元の通りに修正するという目的からくる関係となりました。元に戻すことを目的としたところから始まった関係。だからこそ元に戻ったことによって、プリンキピアが完成したことによって別れが決定づけられる。元々出会うはずではなかったから、別離を選んでしまう。そして、一人きりではないアリスにとってあの時代が居場所であったように、修二も元の時代に帰っても一人きりではなかったんじゃないかと。アリスの過去との繋がりを断って未来へとついてくる選択を否定したように、修二も元の時代の繋がりを絶つ選択を自身で否定していたんじゃないかと。そして、修二の選択は未来へと帰るというものになったのではないかと。もちろん先に「元の時代に帰るべき」という前提があったということも理解はしています。
アリスEDでは、じいさんVerの修一郎から「この世界は修二が救った世界。この世界のすべてが修二の居場所」といったような言葉を受け取ります。どう考えても励ます目的で、なんとも都合のいい解釈ではあるんですが、この言葉をそのまま修二は受け入れたのかは疑問です。ただ、その後描かれてはいないED後の展開の答えは修一郎が持っているように見えました。過去に行った修一郎と修二は、最初の時点では似た者同士です。元の時代ではコンプレックスを抱えていて、居場所がなく、認めて貰える人もない。同時に過去では繋がりや、大切なものが出来た。そんな修一郎は自身のダメなところは認め、信条は曲げず、おそらく元の時代へと帰った後は、居場所を勝ち取りノーブル賞を取るまでの人間になっているわけです。修二はそんな自分と鏡写しのような祖父を見て何を思っていたのでしょう? 結局、修二も修一郎と似たような人生を歩んでいくんだろうと思います。ただそうなると、アリスEDムービーの修一郎の姿が思い浮かんでしまい、なんとも言えない。ちなみに、アリスEDムービーの修一郎の一枚絵は絵で語る感があってとても好き。ああいうタイプはテキストで書かれるよりも、一枚の絵で済ませるほうが圧倒的に好き(SAOの赤鼻のトナカイとか)。
居場所というのは大切で、休む場所、安心できる場所がなければ疲れ切って、いつかは倒れてしまうでしょう。アリスの"隣"は修二の居場所にはなりませんでしたが、アリスとともに過ごした日々は修二の居場所になりました。その日々の思い出も、その延長線上にある世界も、修二の居場所というのは間違いではないです。そして、春さんが星空を観測することで、見たこともない場所に繋がりを感じられたように、修二と別れたアリスも自分の研究の先にある修二の居場所を感じようとしていたでしょう。
アリスルートは帰ることを選択しましたが、ではなぜエミールートでは帰らなかったのか。エミールート中でプリンキピアが完成することはありませんでしたが、歴史の修正は完了しました。にも関わらず、修二が帰らなかったのは、歴史の修正は成功しても、エミーの居場所を消してしまった、変えてしまった責任をとるというルートに見えました。ここがアリスとエミールートの違いだったんじゃないかと。そして、「やるべきこと」の違いでもあったんじゃないかと思います。修二にとってエミーの隣にいることが自身のやるべきことだったルート。アリスがプリンキピアを書き上げることがやるべきことで、それが完了した時、その次のやるべきことは過去にはなかったんじゃないかと。アリスにとってはやりきったがゆえの別れというのが物悲しい。元あった流れに戻るほど別れは決定づけられていくところが歯がゆい。
自分の推測多めですが、そんなことを考えてプレイしていました、という紹介。7割がた妄想。でも、この形で作品として世に出たのは事実ですし、この形で自分は良かったと思います。あの「強くてコンティニュー」はおまけでしかないので、完全に横においておいて話してます。あちらも「ラプラシアンだ!」としか言えない面白さに満ちているものでした。EDで出てくる使われてないSD絵が、「こんなの使うやろ」と指定して作っておいたけど、使いみちがなかったからあそこで供養した絵に見えてしかたがないwww キミユメであった制作陣からのコメントがなくなってしまったのは残念だったけれど(キミユメ既プレイ組は『強くてコンティニュー』の後、絶対ラプラシアンのロゴ押しにいったでしょ?)、ニューリンコラムがその役割を果たしていたと考えれば納得。
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Twitterに感想で「ボロ泣きした」と呟きましたが、別にアリスとの別れが辛くて泣いたというわけではありません。本当に本当に好きなキャラとの別れならばそれもあったんですけど、そういう展開に慣れてしまったこともあり、今回は泣きませんでした。「じゃあなんでおまえは泣いたんだ?」という話ですが、元の時代に帰って知る、アリス、エミー、春さん、ラビの生きた証、生き様とでも言うのでしょうか。あの過去で出会った4人があの時代で生きていたことが形となって残っていた。もう二度と会うことがない戦友が戦い抜いた証がそこにあったんですよ。過去の出来事が今に繋がっていたんですよ。身の回りにあるものに、自分たちが学んできたものに、彼女たちの影があったんですよ。今の自分を形作るものの一部に彼女たちがあったんですよ。泣く……。
自分の中では、これがプリンキピアを読みたいという1番初めの感想に繋がります。プリンキピアを通して『ニュートンと林檎の樹』という作品を、プリンキピアの中にあるはずの『ニュートンと林檎の樹』を感じたいというものです。聖地巡礼と似たようなものでしょうか? 自分の場合、場所だけでは作品との繋がりを感覚で得ることが出来ないため、聖地巡礼はあまり積極的にはしませんが。
ちょこちょこ自分のTwitterで触れていたラプラシアンとKeyの類似性については、具体例を上げたことがなかったので、ここで触れておこうと思います。箇条書きで上げていくと、「本筋とはほぼ関係ないギャグでしかない選択肢(なのにたまにシナリオに影響する)」「立ち絵で遊び出す(紙袋をかぶらせる)」「食べ物によるキャラクターの性格付け」「ギャグの天丼」など。要素を上げてみると他の作品でも見られることは多いのですが、なぜか自分には似ているように見えて仕方がない。やった人にしか伝わらないことを承知で言いますが、『ニュートンと林檎の樹』の場合、特に『智代アフター』と似ています。エミーの「カッ!」と智代の「orz」の扱い方とか、すごい似てないです??? ニューリン発売前は智代アフターのD&Tと似てる結末だったらどうしようかとか考えていました。で、やってみたら、やっぱり似ている……。これだけ似ている連呼していますが、雰囲気とか細かなところは似ていますが、全体としては別に似てないですw 私個人の感覚として「似ている」。
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だらだらと、ながながと書いてしまいましたが、『ニュートンと林檎の樹』はとても好きな作品でした。ラプラシアンの次回作も当然のように楽しみにしています。
ラプラシアンと言ったら緒乃ワサビさんなのですが、どう見ても取扱い注意な爆弾ですw いい意味でも悪い意味でも独特! 登場キャラクターの言動が唐突にワサビさんのものになるあたりとか。でも、それがワサビさんの言動だって分かる人はラプラシアン好きでニコ生とか毎回チェックしてる人間ですよね。そんなこんなで、確実に魅力ではあるので、自分の中ではこのままいったれ!って感じですw 次は何をするのか、楽しく追いかけて行きたいですね。