ノベルゲーの最高峰の一つ
感想は多くの方が述べているので特に書くことはない。
よく問題にされる、アル√のアルはトルタではないかという考察について。
結論から言えば、あれはアルであってトルタの変装ではないと思う。
理由1
懐疑派の主張の一つに、フォーニはクリスの妄想という主張があるが、これは間違っていると思う。フォーニは物語中でタオルを運んだり文字を書いたりといったことで現実世界と物理的干渉をもっており、またフォーニ√では作詞までしている。ここまでならクリスが妄想の中で自らタオルを運んだり作詞をしたりしてそれをフォーニがやったことにしているということもできよう。しかし卒業発表でフォー二の歌声が聞こえたのはさすがにクリスの妄想では片付けられないし、そこまでクリスの妄想で片付けてしまえば、このゲームの主題は「さよ教」のように狂気ということになってしまう。そこまでしてフォー二の存在を否定することはないだろう。大体世界観からして「魔道楽器フォルテ-ル」などの超常現象を認めているのだから、そこまでしてフォーニという超常現象を否定する意味はない。
理由2
アルエンドの後日談で、アルがフォーニであったころの影響を受けてすこし口うるさくなったという描写があるが、もしこのアルがトルタの変装であるならば、トルタはフォー二の存在を知らないはずなのだから、このような変化があるはずはない。
理由3
だいたいアルが目覚めたあとに、アルとトルタが一回も顔を合わせないなど普通は考えられない。アルとトルタが顔を合わせれば、アルはトルタの変装したものでないことは明白となる。アルエンド否定論は少しうがった見方をしすぎだ。
最後に
このゲームの真エンドはトルタエンドかアルエンドかについて。
このゲームのメインエンドはトルタエンドであるが、真エンドはアルエンドであるとおもう。
トルタ、リセ、ファル√では、クリスが音楽に向き合う理由、ヒロインを愛する理由は、すべて相手のため、相手に求められるからである。しかしアルエンドは、クリスが音楽に向き合うために特に理由を必要とせず、単純に楽しいから音をかなで、自らの意思でアルを愛しているという点で他のエンドとは異なり、このゲームの真エンドにふさわしいと思う。