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minamo3さんの恋×シンアイ彼女の長文感想

ユーザー
minamo3
ゲーム
恋×シンアイ彼女
ブランド
Us:track
得点
97
参照数
725

一言コメント

つまり、どういうことだってばよ? 『恋×シンアイ彼女』編

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

「何が疑問なんだい?」

そう、あなたは思うかもしれない。
特に難しい単語があるわけでも、独特な世界観があるわけでもない。
ただ男女が恋をするお話。もしかしたら同じような恋路を歩んできた人もいるかもしれない。

『等身大の恋愛劇』『極めて王道で恥ずかしいほどド直球。思わず目を覆いたくなるような恋愛ADV』
公式のうたい文句通り、多くの人がその内容に頭をたれて、思わず目を覆い、そして公式は大炎上しました。
いわく「ヒロインが音楽に寝取られた」そう。

物語の力とは不思議なもので、一方で、この作品は少なくない数の人の心をとらえました。
桜の花びらのようにファンを積み上げてきたこの物語は、根強いファンによって今なお推されています。
8年の時間を経ても、逆風のなか語り継がれる力がこの物語にあったのは確かなのではないでしょうか。
その理由をヒモ解いていきます。

つまり、好きな理由を語りたい。



■ まず初めに

私は、この結末をハッピーエンドだと思っています。

あなたが「つまらない」と感じたのなら、それはきっと間違いではない。
本作品は人によって解釈が分かれています。他の感想を読んでみてください。まったく違う。同じ内容を読んだにもかかわらず。
けれど、それは普通なこと。あなたと私の人生が交差しなかったように、本来同じ思考をたどる人はいません。
同じものを読んだとしても別の解釈・感想をいだくものです。

では、なぜ物語を読み、人は同じ感じ方をするのか。
作者が誘導するからです。情報を与え、特定の人物に特定の感情をいだかせる。歩むべき道を書き手が示す。

本作はそのセオリーから逸脱しています。
まるで等身大の恋愛劇を体験させられているかのように、姫野星奏の気持ちがわからない。
答えが明記されていないのだから、人はその思いを悪意にも善意にもとらえることができる。
だから、あなたがその恋に嫌悪したのなら、それがあなたの導き出した答えであり、たどり着いた恋路の果てということです。

どこまで行っても相手の気持ちがわからない。

それが本当の恋というもので、すべて丁寧に語られる恋愛は物語にしかありません。
好きな相手の心や葛藤は本人にしかわからず、私たちが把握できるのは目に見える事柄のみ。
主人公は、その恋心とどう向き合うか、というのが『恋×シンアイ彼女』のお話です。



■ 國見洸太郎の物語

半端な詩は滑稽で、半端でない詩は、人の心をうつほど尊い。
それじゃあどうして、俺は俺のラブストーリーを恥ずかしく思うのか。
俺の恋愛観ってやつが、中途半端だからで、俺はそれを自覚しているからだ。
恋や好きって言葉が、ウソにしか思えない。

國見洸太郎は恋愛小説を書けません。
真剣に書いたラブレターの返事をもらえなかった幼少期の記憶が傷となっているからです。
あの出来事から、彼は恋に対して本気で向き合うことができなくなっていました。

たとえばそう、誰かを本気で追いかける、そんな恋ができなくなっていたのです。


最初の星奏エンド。2度目の別れを経た洸太郎は、星奏を思って『それからアルファコロン』を書きました。
ですが、それは彼の恋愛観どおり中途半端なものでした。

「鳴かず飛ばず」
「良い評判も、悪い評判もなかった」
「もしも何の反応も得られないとしたら、人は何を目的に本を書くんだろう。手応えのない、形のないもののために心を削って、それでも人は何かを書くんだろうか」

他人の目を気にして、行動の意味を考えて、そんな中途半端な想いが誰かの心を震わせることはなく。当然、本は売れずに終わります。
星奏の心に届かなかった洸太郎は、自分の恋心を否定します。
真剣に恋と向き合った先に何が待っているのか、知っていたからです。

「俺は君のことが大嫌いだ」

恋心から目をそむけるために、自分に言い聞かせるために発したその言葉は、しかし自分を騙すこともできませんでした。
大人になって再会した星奏の寂しそうな後ろ姿を、彼は放っておけなかったのです。
再び結ばれます。しかし、彼女は姿を消してしまいます。そこでようやく洸太郎は気づくのでした。涙を流して傷つくほどに、星奏が好きなのだと。本当に好きなのだと。

「がんばるのは恥ずかしいけど、がんばらないのはもっと恥ずかしい」

恋というささやかなものに翻弄されることを恥じていた、がんばらなかった主人公。
他人から笑われることを怖がり、いつも格好をつけて、恋にがんばれなかった主人公。
恥も外聞も捨て、彼は彼女を追うことを選びます。がんばる恥ずかしさを選んだのです。

「ただ、才能がなかったんだ」

2度目の出版で彼は小説家としての現実を知っていました。

「表現するってもっと切実なんだ。そうしなければ生きられない、身の内から正体不明の炎によって焼き尽くされてしまうような。そういう人間が、そういうエネルギーを解放するために、創作活動に打ち込む。俺は、違う。そんなエネルギーを感じたことがない」

大衆に向けて執筆する彼は本物の創作家ではありませんでした。

「ただ一人で書いたものによって大勢の人と通じ合う。そういう幻想が欲しかっただけだ」

ですが、今の彼は違います。大勢ではない。ただ一人のために――――恋した女性へのラブレターを小説にのせて届けたい。
そこにある炎は本物の表現者が持つそれ。決して消えることはありません。

こうして彼は本当の恋を知り、本物の小説家に至りましたとさ。



■ 所感

バッドエンドでしたか?
再会できたかどうかは解釈する人によって違いますが、自分は再会派ですね。
なんなら理系ver『アインシュタインより愛を込めて』でこの先が描かれているとも思っています。

ただ、再会しようとしなかろうと、それは重要ではありません。
『恋と創作』というテーマにおいて「彼女のおかげで恋を知り、本物の芸術家に至った」ということが大切です。
つまり、再会という要素は些末な事柄で、どちらだって同じ。だから、テーマが最も際立つあの場面で締められているわけです。

むしろ星奏エンド以外が自分にはバッドエンドに感じました。
確かにヒロインと結ばれますが、本物の小説家にはなれず普通の家庭を築くことになるでしょう。
幸せな家庭を築くのでハッピーエンドとも言えますが、それは受け手しだい。

注意したいのが、ライターは別に大衆に向けた作品を否定はしていないということです。
そういう怪物をうらやましくすら思っている。

「俺は大勢の心に響かせるものは書けなかったけど、生徒一人をじんとさせられるものは書けると思って……書いてみた」

森野精華に小説を送るときの一文。
洸太郎、あるいは作者が、そういう人間でなかったゆえの創作論です。
大勢に届けば素晴らしいが、ただ一人を思って書いたとしても、それに近い境遇の人の心を震わせる。それも表現の素晴らしさで、小説も手紙も根底にあるものは変わらない。
まさに新島夕らしい考えですね。

恋を知らずに無邪気でいられた1作目。
恋に向き合えず大衆を気にしていた2作目。
恋と向き合い、本物の小説家に至った3作目。

2作目で「鳴かず飛ばず」「良い評判も、悪い評判もなかった」「もしも何の反応も得られないとしたら、人は何を目的に本を書くんだろう。手応えのない、形のないもののために心を削って、それでも人は何かを書くんだろうか」と自問していた洸太郎。
3作目で「反応や評判は、よく知らない」それよりも「あの本を彼女は読んでくれただろうか。そうして何かが、彼女に届いただろうか。届いてたら、いい」と心境が変化しているの象徴的ですよね。

彼が幸福な時間を過ごしているのがうかがえます。

「ここはあらゆる時間から切り離されているんですよ。ここではずっと時間が止まってるんです。なにも変わらない場所なんです」
「森野は、そういう場所が欲しいのか?」

まるで季節外れの桜が咲くあの場所のような。星奏との思い出のあの場所のような。
枯れることのない永遠の思いを彼は手に入れたのです。



■ 姫野星奏の物語

昔から無口な子供だった。
人より言いたいこと、伝えたいことがなかったからじゃない。
どうしても譲れないものが、いつでも胸の中にあって、本当はそれを伝えたくてたまらなかった。
だけど口にはできなかった。それを言葉にした瞬間、何か別のものになりそうで。
言葉はいつだって、本当に大事なことを、そのままちゃんと伝えてはくれない。
だけど、伝えることは諦められなくて……俺は、何かを書こうとした。
彼女もそうだったのだろうか?

星奏に近づけるプロローグの重要な文章です。
『恋』というテーマなので彼女の心情については明記されていません。
けれど、本文に散りばめられた断片は拾えます。

なぜラブレターに返事をしなかったのか。
内心を伝えずに去るのか。

「言葉にした瞬間、何か別のものになりそうで」
「言葉はいつだって、本当に大事なことを、そのままちゃんと伝えてはくれない」

では、彼女の気持ちはどこにあるのか。

「だけど、伝えることは諦められなくて……俺は、何かを書こうとした」

同じ思いをいだき、洸太郎は小説を、星奏は音楽を始めました。
ということは……分かりますね、彼女の気持ちは曲の歌詞に込められているわけです。
たとえば、最後に流れ、バンド名をもじったED曲『GLORIOUS DAYS』に。


もうひとつ注目してほしいのが、森野精華という存在。
性格は似てなく作曲もしていませんが、彼女もまた、星奏や洸太郎と同じように「お芝居」という芸に精進する芸術家です。
さらに、星奏を思って書かかれた『それからアルファコロン』の主演もつとめます。立ち位置がまんま星奏なんですよね。

「先生に文芸部に誘われて。先生と話してるうちに……なんだか少し、自分を取り戻せたような気がしました。取り戻す自分が、なんだったのかすら、分かってない私ですが」
「私、先生だけなんです。自然にいられて、自然に笑えて……楽しいの、先生の近くにいるときだけなんです」
「仕事中だけじゃない。私は誰の前でも、別の誰かを演じていて、きっと東京に行ったら、もっとそうしなくちゃだめで。きっと、私が私でなくなる……怖いんです」

それに対する洸太郎の返事はこう。

「お前は言ってたよな。東京に行くのは怖いって。自分が自分でなくなっていくような気がするって。俺の前では自然にいられたって」
「だけどさ、もし俺が行くなって言っても、森野は行くんだろ。じゃあ、きっと振られたのは、俺だよ。自分の正体が分からなくなったら、これを読んでほしい。ちゃんと俺はお前を見ていたから」

星奏も、東京で一人はつらいと言っていました。
洸太郎の近くでは自然でいられた。洸太郎の小説には失いそうな自分が詰まっている。
だから、星奏に届いていないということはないんですよ。届いているから、逆に彼女は頑張れる。小説を書かなくなったから彼女は押しつぶされて戻ってきた。
皮肉な話ですが、洸太郎が星奏を思うほどに二人の肉体は離れていく。そういう運命にあるわけです。



■ 『記憶×ハジマリ』と『GLORIOUS DAYS』

主題歌『記憶×ハジマリ』、ED曲『GLORIOUS DAYS』にすべて書いてあります。
前者に洸太郎、後者に星奏の心情を匂わせているので、終わったあと目を通してほしい。
結局、二人は似た者同士で、洸太郎は小説、星奏は音楽でしか本心を伝えられない不器用なバカップル。
百の言葉を並べても心は正確に伝わらないと分かっているから、芸にのせて吐き出しているわけです。

まず主題歌『記憶×ハジマリ』から。こちらには本編の本筋が書かれています。

「ぐるぐる巡る感情に振り回されてしまう 素直が一番難しくて」
「伝えたかった本当の気持ち やっと届けられるラブレター 夜空見上げ心のなかで何度も叫んでた」
「思い出なんてもういらないから 痛くて甘い思い取り戻そう」

がんばるのは恥ずかしいけど、がんばらないのはもっと恥ずかしい。
恋に翻弄されることを恥じていた少年が、恋と向きあい、美しい思い出よりも痛みを選び進んでいく場面。
最後のシーンへとつながっていきます。


一方、ED曲では星奏の気持ちが洸太郎に届くようにつづられています。

「目を閉じたまま何も見えない不安の中で今 たったひとつ見つけた夢」
「変わらないものなんてないはずだと君が教えてくれた」
「晴れた空は歌い出すんだ 時間を越えて 何度繰り返してもきっと出会いたいから Grow up いつか手にしたとき広がっていくよ 本当の明日の空まで続いていくから Shiny Days」
「かけがえのない日々だといつかは笑い合えるように 今日も少し歩いていこう」
「何処かで聞いたメロディ 誰にも届かなくてもいい たった一人君のために」

締めの曲について語るのは無粋かなと思います。
最後の場面で聞いて、歌詞を見て、感じたことがすべてではないかと。

ただ参考程度に記すなら、夢を選んだというより、洸太郎と「何度繰り返してもきっと出会いたいから」。
彼との時間、彼の教えてくれたものを、価値のないものだったと誰にも言わせたくないから、彼女は進んでいるのかなと感じました。
洸太郎は「思い出なんてもういらない」といい、星奏は「何度繰り返してもきっと出会いたい」と言う。
二人は似た者同士で、小説や音楽でしか本心を伝えられないほど不器用で、相手のことが好きという気持ちも同じで、けれど、星奏との未来を大切にしたい洸太郎、洸太郎との過去を大切にしたい星奏、この部分で分かり合えないために一緒にはいられない。
……どちらが正しいか、なんてないですよね。両方正しい。だから始末に負えない。度しがたい。

そうして再び一緒の時間を歩めば、洸太郎への思いがつのり別れがやってくる。



■ さよならアルファコロン

肉体的な永遠を求める洸太郎、精神的な永遠を求める星奏。
こじれっぷりがすごい。どちらが相手をより好きかでケンカしているようなもんですよね、こいつら。

これでは永久に二人は分かり合えない。

そこに気づくと、洸太郎の小説『アルファコロン』の内容がおもしろい。
あれは洸太郎から星奏に向けたラブレター。そして『さよならアルファコロン』『それからアルファコロン』に次いだ3作品目タイトルで『お前はアルファコロン』だと星奏に訴えかけています。
自分の音色がどれだけ星奏に影響を受けたか、その大きさで恋心を示しつつ、突然「さよなら」と別れを告げる星奏への怒りを含ませている。
でありながらも「(アルファコロンは)路地裏に、夜空に。誰かが見た、浪漫だよ」と星奏を称している。

さらに最後にこう書かれています。
「今まで想像してみることがなかった。星奏はあの手紙を実際のところ、どんな顔をして読んでいたんだろうって。返事があったか、なかったか、ばかりにこだわって。その瞬間をイメージしてみようとしなかった。俺が願ったような形でなくても、ちゃんと届いていて。彼女が一時でも、それで慰められたとしたら、全ては何も無駄じゃなかった」

――――星奏は自分にとって憧れだよ。だから負けるな。

過去より未来を大切に思う洸太郎が、2作品目では戻ってくることを願っていた彼が、星奏の背中を押してるんです。
過去を大切に思う星奏、未来を大切に思う洸太郎。二人がまじりあい一緒に進む、そのきざしが描かれています。

洸太郎は星奏に会いたいし全力で追いたい、けれど一緒にいることを無理強いはしていない。
彼女が全力で走り終わったあとに戻ってくる場所であればいいと思っているんですよね。

もしかしたらお爺ちゃん、お婆ちゃんになってからかもしれない。それでもいいんですよ、洸太郎は。
その意味を込めた言葉が「さよならアルファコロン」。

理想の星奏と決別し、現実の星奏と向き合っていく決意の言葉。
未来<洸太郎>と過去<星奏>をつなぐ星の音。

眠っている洸太郎のそばに星奏が寄っていく最後の場面。
二人の心の距離、未来を暗示しているのだと思います。おそらく、あの場面で星奏と洸太郎は再会していない。けれど再会は確実かと。
いつか、全力で駆け抜けた二人は再会して、全力だったあの頃を笑い話に昇華させるんじゃないかな。
ED曲の最後に、まるでメンバーと再会して笑いあっているかのような星奏のCGが挿入されています。
「一人はつらい」と言っていた彼女も、洸太郎がいてくれれば再び立ち上がれるのです。

さてさて、これから二人はどんな道を進むのでしょうか。
それはまた別のお話。



■ 新島夕の作家性について

新島夕の描くテーマは一貫しています。
洸太郎が、創作家の星奏にいだくイメージ「言葉にできない何かを求めて旅を続けるような」ライターというのが自分の新島論です。
ひたすらそれを求めて自分のなかを掘り続け、目に映った景色を記していく。
前作ではここまで、次作ではもっと景色が広がった、そうして自分でもわからないその在りかを探している。
そのため、旅の記録である彼の過去作はつながっていて、連作というイメージを持っています。

彼は何を求めているのか。

すべての物は時間とともに変化していきます。
あなたが読み終えた最高のハッピーエンドも、その先を語れば、いつしか老いて二人の心は離れてしまう。
作者が語らないだけで、そこに本当のハッピーエンドはないんですよ。
だから彼は探している。消えないものを。永遠に枯れることのない思いを。ないと理解しながら旅をしている。

似たような価値観のライターに麻枝准がいます。
「喪失の中にある輝き」を書く作風は同じで、根底にある「永遠はない」という考えも共通しています。
彼の考えはCLANNADの冒頭「なにもかも変わらずにはいられない」という渚の悲しみに対し、岡崎が「見つければいいだけだろ。次の楽しいこととか嬉しいこと、見つければいいだけだろ。あんたの楽しいことや、うれしいことは、ひとつだけなのか?」この言葉に集約されています。
過程は似ていますが、ああ見えて新島夕と書いている内容は正反対となっています。

麻枝准は喪失に対する反骨心。喪失を受け止めて前に進んでいく強さを描きます。――――永遠はない。だから人は強く進まなければいけない。
新島夕は喪失に対する昇華。喪失したことで得られるもの描き永遠に近づけます。――――永遠はないと知っている。それでも自分は永遠の存在を信じている。

麻枝准なら間違いなく星奏に向けて小説を書く行為は選ばない。思い出にして、洸太郎は明日に向かって進んでいく。
新島夕は違う。失うことで過去を確かなものとして輝かせ、成長して、欠けることのない永遠を描きます。
星奏との別れを経験して 洸太郎は本当の恋を知り、本物の創作家に至る。なにもかも変わらずにはいられない時間の中で、変わることのない物もあると信じて探し続ける。それが新島夕です。

恋に駆け、彼女を信じて愛す男の物語。恋が欠け、それでも彼女を真に愛す男の物語。
恋を架け、恋を書け、親愛なる彼女に向けて。『恋×シンアイ彼女』ふたつが織りなす恋物語。

両想いの愛を語る作品は数あれど、片道切符の恋を、ここまで深く謳った作品はそうないのではないでしょうか。



■ 恋×シンアイ彼女

相手を愛するがゆえに一緒に歩む彩音ルート、相手を愛するがゆえに一緒に歩まない星奏ルート。
彩音と星奏、恋のあり方として正反対に描かれていて、綺麗な対比ですね。
『恋』と『創作』というありふれた題材で、ここまでの作品にしたのは率直にすごいと思いました。

恋駆ける物語。恋が終わり、愛へと至る物語。『恋×シンアイ彼女』のラストにふさわしかったのは、やはり星奏ルートだったと思います。
合わなかった読者に謝罪しつつ、炎上中の恋カケについて振り返ったとき、良い作品だと言い切った新島夕はまさに洸太郎の境地ですね。
彼が探している永遠に一番近づけた内容だと自分も思います。良い作品ですよ。
ただひとつ。ブレることなく同じテーマを書き続けている彼が、作品を届けたい相手、星奏の存在が誰なのか気になりますけどね!

新島君「恋カケは『遠く遠く』をリピートしながら、 ラストほろほろ泣きながら書いていたのを覚えてます。発売後別の意味で泣いたが。桜の季節ですね」
『遠く遠く』の歌詞が恋カケとすごくリンクしているので読んでみると理解がより深まるかもしれません。


最後に。

音楽鑑賞モードのコメントから飛躍して、『GLORIOUS DAYS』を彩音の曲だと新島夕は公言していると嘘バラまいてるやつ許さんからな。
「彩音にとってとても大切なシーンで流れる楽曲」だから彩音に合う編曲にしましたという話でしょうに。(編曲者談)
わざわざ星奏のバンド名と同じ曲名で、わざわざ締めに置いて、それで星奏にまったく関係しない曲ですは無理あると思うよ。
解釈は好きにすればいい。公式風吹かせて同人批評本を出すのもかまわない。けど、相手を貶めるための嘘はいかん。