水面に映った月。ゆらゆらと揺れる不確かな月。
「世界は観察するまで確定されない。人間が知覚できるのは脳に認識できる存在のみである」
人間には、世界のすべてを知覚することはできないのでしょう。
見ているのは、あくまで認識の範囲内だけ。
人の目には、世界はひどくぼやけて見えているのかもしれません。
夢と現の境目さえも曖昧になってしまうほどに。
夢を見ているとき、本当にそれが現実ではないと言えるでしょうか。
起きているとき、本当にそれが夢ではないと言えるでしょうか。
それでも彼らは、夢と、現実と、向き合い続けなければなりませんでした。
「それじゃあ現実と夢の境目って、なんだろう?」
「今この瞬間、見聞きし、感じている夢。それが現実なんだと思いますわ」
「じゃあ、僕らが夢だって言っているものは……」
「夢を見るという、夢ですわ」
そして、夢を見るという夢は、夢を見るという夢という夢になって……という無限退行。
しかし、夢はいつか見た過去に変わって、過去はいつか見た夢に変わる。
そうやって、すべてがつながっていく。
エピローグ。
主人公は、目の前の世界でいっしょうけんめい生きられたらそれでいいのだと言います。
それが、この不確かな世界に対する彼の解答なのでしょう。
刹那的に思えるかもしれないけれど、そうではありません。
なぜなら、現実も、夢も、あるいは別の可能性も、すべてはつながっているのですから。
水月のような世界に生きているのは、なにも登場人物たちだけではなくて、プレイヤーである私たちの世界にも同じことが言えるのではないでしょうか。
だからこそ、この作品は私たちに向けて、こう問いかけているように思います。
『水に映った月のように不確かな世界だけれど、それでも、この世界が好きですか?』