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merunoniaさんのChild of Doppelgänger -Prequel-の長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
Child of Doppelgänger -Prequel-
ブランド
万年筆と神経毒
得点
90
参照数
238

一言コメント

まるで麻薬のような物語でした。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

Child of Doppelgänger -Prequel-
柊理香子 という女性を主人公とした物語。
自閉症の妹と一緒に暮らす、姉妹の物語。
柊理香子の元に、様々な人物が関わっていく中で、
彼女の暗い暗い水底のような内面を掘り下げてえぐっていくような物語。



①本作の特筆すべき魅力
まるで、麻薬のようなノベルゲームでした。

何よりも特筆すべき特徴は、文体、テキストだったと思います。
柊理香子さんという主人公視点を中心に語られる文体は、衒学的であると同時に、どこか心の奥底にじっとりと馴染んでくるようなリズムがありました。
柊理香子さんを主体にしながら、彼女(と彼女の周りの登場人物)の、思いと思いの相反する姿。その本来であれば言葉で形容しがたい心の奥底内面を、残酷なほどにまで言葉の限界を超えて表現してしまう文章力が本当にすごい。それがするすると読めてしまうから、ある意味恐ろしいまであります。
これ以上直視できない、なのになぜか目を逸らすことが出来ないような蠱惑的な魅力のある文章と言いますでしょうか。登場人物を通じて、作者様の心の奥底をこれでもかと絞り出したような文章の数々。
読むほどに頭がくらくらするのに、それでも最初から最後まで読み進めてしまうような魅力、まさに麻薬のようなノベルゲームであったと思います。
こればかりはこの作品を実際に読んでみないと味わえない魅力であったと思います。ぜひ味わってもらいたいです。

②summertime様の作品と比べて
また(感想で他の作者様の作品を出してしまうのが申し訳ないですが)私がこのノベルゲームをプレイしてまず思い出したのは、summertime様の作品でした。
代表作として『真昼の暗黒』等がありますが、タイトル画面からの不気味さといい、どこか世界の歪さに調和するようなBGM、そして本編の破滅的な陰鬱的、暗い関係性の中での美しさを描くのがまさにsummertime様の作品の真骨頂であると思います。

今作品もまさにその類の魅力がこれでもかと詰め込まれた作品であったと思います。タイトル画面の「何かが違和感がある」となる起動画面といい、本編中の柊理香子とその周りの人物との関わりを描きながら、BGMと陰鬱的な内容との調和の諦観的な美しさといい。summertime様の作品以来でここまで同じような諦観な快感を味わうことになるのは久しぶりでした。

ただ、やはり中身は(当然ですが)全く同じではありませんでした。
summertime様の作品では、同じような雰囲気を纏いながら、描かれるお話として特徴的なのは、『ミサと計』をはじめ共依存や破滅的関係性のような登場人物同士の関係性による陰鬱さや地獄的な中での美しさを描くような作品だと思っています。

これらに比べて、今作の『Child of Doppelgänger -Prequel- 』では、どこまでも『柊理香子』という主人公の内面を、これでもかと描き切る魅力だったと思います。愛されたいのに愛されることを憎む、孤独が怖いのに相手を否定する、相手と同化したいのに言葉の限界に絶望する、全てが決められている運命を憎むのにその運命に諦観しそうになる。
柊理香子さんの周りには様々な登場人物(の思想等)が登場しますが、それらは関係性を描くのではなくあくまで『柊理香子の脇役』であり、物語中ではこれでもかと彼女の内面を掘って掘って文章にしきる。それらはあまりにも陰鬱でありながらも、ただどこかあり得そうな、ありふれた絶望だからこそ、彼女にこの作品の諦観のような美しさに溺れてしまいそうになる魅力といいますか。
これらが『Child of Doppelgänger -Prequel-』の唯一の魅力であったと改めて思います。

ただsummertime様の作品が好きなら、似たような魅力を持つ今作品も好きになれるのではないでしょうか。とも思います。

③柊理香子さんについて
この作品の主人公であり、彼女自身の、彼女のための物語でありました。
こうした柊理香子さんについての感想も備忘録のために書いていきたいです。
(でも彼女への感想は上手く言葉にならないんだろうなと思いつつ)

彼女を表すなら『相反的』だと思いました。
何に置いても、二つの思惑が内在していると言いますか。

例えば、柊理香子さんは、過去に母親からは疎まれ、父親から強姦されたという壮絶な過去でした。こうした過去による父親への憎悪は、セックスを男を憎らしく思う。しかし同時にセックスを性を憎むとはずが同時に行為に快楽を求めてしまう。それは体の快感だけではなくて、『特定多数の人間』と交わることでさらに『自分が惨めな存在、孤独である』ことを深くして自分が惨めな存在である快感を求めてしまう部分。
人が怖いのに人を求める姿。

また、運命を憎む否定する姿もありました。例え運命という物があるのだとしても、『自分の自由意志で選んで』来たのだと。それが楽な選択肢であるとしても。
同時に、運命でここまでの過程が全て決まっているのであればそれはどれだけ残酷であると同時に、『諦観』で自分を赦してくれる慈愛でもあるのかとも。
廊下と扉のイメージはとても印象的です。

誰かと同化したいと願うと同時に、『本当の意味で分かり合えることは出来ないのだ』と言葉の限界に絶望してしまう。
ただ他人との接触に精神が摩耗してしまうがゆえに孤独も必要であると。

根岸等への言葉。彼女を傷つけると分かっていながらも、快楽がゆえに相手を追いつめてしまう。その快楽が気持ちいいから。

終盤では水瀬との会話も印象的です。
異性的な恋心を抱く水瀬の言動や行動が、理香子さんにとって喜ばしい物であるのに、同時にそれが苦しくなってしまう。涙があふれてしまう。その優しい物を享受できない。

自分自身が不幸で惨めであればあるほど、それが自分だと肯定できてしまう。
壊れたくない(救われたい)のに、壊してしまいたくなる(そして救いたい)。

作中を通して最初からずっと大切にしていたくるみの存在。例えくるみが重荷であるという事を自覚しようとも、たとえくるみという存在が『自分への罰であり快楽である』代替であったとしても、どのような形であれ大切な存在だった彼女。
くるみの『自閉症がゆえの完全な無垢』を純粋に羨み、(いつかは殺してしまうかもしれない恐ろしさを抱えつつ)それでもずっと大切に幸せを願った存在。ただそれでも『あらゆることが憂鬱だから』、もうどうしようもないほどだから。(壊して・救って)
そしてそこまでした理香子さんは自分で自分自身をもう赦せない。
でも最後まで運命の望み通りになんてなってやりたくもない。

自分では望んでいない(望んでいる)のに、自分の意志とは異なる(正しい)行動をしてしまう。そしてその姿にどこか客観的な見方をしてしまう。
苦痛と快楽は表裏一体か同一か。希望と絶望とは表裏一体か同一か。
諦観は慈愛でしょうか。
理香子さんの、急に、不意に泣きたくなるその姿にはどこか何か親近感を覚えてしまうのはなぜでしょうか。
まるでその相反的な姿は、自分ではない自分のようなタイトル通り『ドッペルゲンガー』の姿を見ているよう。
それでも生きるしかなく生きる彼女の姿がある意味眩しい。
それが自分にとっての柊理香子さんの姿でした。

そしてここまで書いて、柊理香子さんに「知った気になるな。こっちを見るな。黙れ。死ね」
と言われるのだろうとも思いつつ。

④さいご
ここまで感想をまとめてみて、改めてなぜここまでこのノベルゲームを読んでくらくらするほどの読後感があったんだろうなと考えてみると。
もちろん最初にあげた魅力的な文体もあるのだろうと思います。
ただ、それ以上に理香子さんをはじめとする思考が、『毒』のようだったのだと思います。
理香子さんの破滅的か諦観的な姿その全てに共感ができる訳ではありません。
ただそのドッペルゲンガーのような『相反的な行動』をしてしまうその姿に、自分の奥底にもあるような何かに触れられてしまうような気がしてしまいました。

笑いたくないのに、なぜか笑う自分。
相手を傷つけると分かっているのに、快楽に向かって勝手に動いてしまう口。
その時の快楽だけで繰り返して行動してしまうような依存性。
頭の中に靄がかかり、不意に泣いてしまうようなじとりとした気持ち。
熱中しているはずなのに、本当にそこに熱はあるの?と不意に正気になるような感覚。
どこか現実的なように思えない現実。

物語中ほど極端ではありませんが、『非現実的なように見えてどこか現実的』にも思えるようなこの思考回路が、自分の中の何かに触れるような、まさに毒のように沁み込んでくるような内容に、どこか頭がくらくらしてしまうのだろうと思います。
ただ、同時に二つ、それ以上の気持ちが一緒にあっても通常(通常ってなんでしょうね)なんだとも思えるような不思議な気持ちも事実です。諦観の暗い優しさに触れられたような気もします。
もしかしたら、作中のマエダのように『自分はなんてまだマシなんだろう、幸せなんだろう』という見方で読んでいたのかもしれません。否定ができない自分がいます。

私は、作品を作り上げたことがないので、苦労は想像するしかありません。しかし、ここまで形容しがたい内在する何かをここまで表現して、形にしきるのは本当にすごいことだと思います。ここまで絞り出されたような作品が凄すぎて怖いです。読む人によっては危険なのではとも思わないでもないです(大変失礼しました)

何が恐ろしいかって、これが一つの作品として完成されながらも、タイトル通り『前日譚』であるという。
次回作が楽しみであると同時に、怖さもあります。
とても唯一性のある作品に出会えたと思いました。
ありがとうございました。

PS
書くところがなかったのでここに。
何気にパッケージもすごい好きでした。こういうこだわりのパッケージが、同人ならではってのがあってすごい好きです。