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merunoniaさんのヒラヒラヒヒルの長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
ヒラヒラヒヒル
ブランド
ANIPLEX.EXE
得点
98
参照数
492

一言コメント

死んだ人間が蘇る『風爛症』と戦う、青年医師「千種正光」と学生「天間武雄」の二人の視点を通して描かれる物語。架空の大正時代を舞台にしながらも、『誰も悪くない』社会環境の中、忌避され迫害される『風爛症患者』との社会の在り方は、あまりに自分達の生活にもあり得るような目を背けたくなるリアルさがありました。様々な視点から「どう思うか」と自分自身に問いかけられていると思えるほどの重圧さがあり、けれど心に入り込んでくるような文章です。同時に、彼ら二人の『風爛症』との物語は、それぞれの生き様のお話としてもとても丁寧に心情を描いており、社会性と物語性を同時に楽しめる作品でした。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

久しぶりに文章にハマった気分です。
大正で架空の設定ですが、この今の時代にあり得そうな【誰も悪くない】社会環境、目を無意識に背けてしまうような話を、これだけ心に入り込むような物語仕上げる今作品に瀬戸口廉也さんの凄さを思い知りました。
長文なのに、するすると読めてしまう。『風爛症』という物語で、人の心の在り方、本性、でもそこにあるはずの優しさを、わざとらしくではなく、そっといつの間にか心に入り込むように書く文章が本当に素晴らしい作品でした。

他の作品と比較するなら、目を背けたくなるような人の内面を描くという意味では『swan song』を思い出させます。
ただ自分の中で一番近いのは『BLACK SHEEP TOWN』です。(直近でプレイしてるからかもですが)
私にとってBLACK SHEEP TOWNとは、誰かの言葉1つだけ、表面上だけでは見えない【街の歴史】を、そこで生き抜いた多くの登場人物の視点を重ねれば重ねるほど、【本当の街の歴史】が浮かんでくる、【街の歴史=人の人生の重なり】と教えてくれるような作品でした。
そして、今作のヒラヒラヒヒルもその多くの視点で物語を見ていく《人の人生の重なり》という部分で共通する部分がありました。
今作は、二人の物語から見ていくのですが、『医者』と『学生』という全く違う立場でありながら、『風爛症』と共に生きてきた人生を見ていくことで、この『架空の大正時代』の歴史が見えてくる魅力こそがまさに面白さの真骨頂だと思います。
千種先生の実況調査で、歴史とそれぞれの自宅監置の現実を知り。
武雄は学生として、街の様子と、友人や愛する人を通してこの世界の在り方を知り。
それ以外にも、多くの視点による気づきや在り方を通して、この『架空の大正時代』を理解していくような、そこに生きる人々の心の在り方を理解できるようになる面白さこそ、まさに私が一番好きだった所です。
そのため、私にとっては、多くの視点があるからこそ街の歴史の重みを知ったBLACK SHEEP TOWNが近いなと思いました。


以下は自分が印象的だった部分の詳細、備忘録感想です。



〇リアルさのような面白さ
一言感想で書いた通り、私にとって『ヒラヒラヒヒル』は、架空の大正時代を舞台にしながらも、練られた設定、世界観がとてつもなくリアルであり、まるで自分の人生の中で他人事にはできないような重圧さがありました。
こうしたリアルさの中で、いくつもの『あなたならどう思うか』と考えさせられるようなお話が、この作品の面白さでした。

特にその中でも、『私宅監置』のお話はあまりにも鮮烈でした。
『私宅監置』の問題は現実にあったため、そういった『精神疾患』との厳しい時代がモデルとなっているとは思いますが、『風爛症』が古くから発症するこの世界観は、本当にこの世界でもありえそうな現実性がありました。
こうしたリアルさは、現在の身近な問題でもある『高齢看護』や『家庭内崩壊』等々、目を背けたくなるような事柄がを多く彷彿させるものでもありました。

特に千種先生の『実況調査』による『風爛症患者と私宅監置』の多くのお話がとても顕著です。
自分の息子や、妻、父といった『家族が風爛症』になってしまった様々な状況、それは平和で優しい物もあれば、あまりにも悲惨で目を背けたくなるような物がありました。
正しい知識がないため、食べ物を与えず、薬も与えられない、医者に頼ることができず科学的根拠のない迷信に頼ってしまうケース。
経済力、労働力がないため、助けることができずに、負担が大きく共に貧困になり生活が苦しくなるケース。
家族内の問題だけではなく、周りの人からの理解を得ることができずに家族単位で孤立、村八分に近い状態となってしまうケース。
愛情があるはずなのに、患者との付き合い方が分からず深刻にとらえてしまうがゆえに、自分達の愛情すらもすり減ってしまう、時には心中まで考えてしまうケース。

作中の台詞の『誰も悪くないんだ、誰も』とあるように、決して誰かが悪いわけではないはずなのに。
ただ、『正しい在り方』であるための要素が足りないがゆえに、外からの助けがないとどうすることも出来ない状況。
こうした状況の中で、人はどうするのか。見捨てるのか。愛情が暴走して終わらせてしまうのか。悲観に打ちひしがれてしまうのか。これも一つの在り方だとして、受け入れることが出来るのか。自己犠牲の精神に苛むことになるのか等々。
描かれる様子は、『どうすることもできない現状を前にしたとき』の綺麗だけではない人間性の本性、内面をありのままに描いたものであり、だからこそよりリアルに思えてしまい、これが本作の魅力としての面白さでした。


また、こうした『実況調査』のお話だけでなく、登場人物たちが『風爛症』と実際になった時の心情もあまりに考えさせられるものでもありました。
千種先生の、自分の母親が『風爛症』であったこと、身近な『風爛症』であった朝さんや惣一の存在、そして自分が医者として患者と接する人生を通して、そして自分が『風爛症』となった人生の在り方。
武雄さんの、今まで『ある意味他人事だった風爛症』。これがもし自分の身近な愛する人が『風爛症』になってしまい、愛する生活が激変してしまった時の心情の在り方。
これらのお話は、登場人物達の心情も描いた分、より人の心の弱さや、優しさが鮮明に伝わってくるものでした。
特に衝撃という意味では、やはり武雄のお話は強烈です。常見家の暖かい家庭の様子を知っていたからこそ、明子が『風爛症』にかかってしまった後の変わりようであったり。また、最後、明子が武雄のことを本当に幸せになってほしいと思うがゆえに拒絶する姿等、それでも武雄が明子を抱きしめる姿等、これらの登場人物達の姿を通して『人の心の生々しさと優しさ』とを味わえる作品なのもとても魅力的でした。


こうした『私宅監置』という患者と家族の付き合い方という問題も一つの面白さでありましたが、これら以外にも『風爛症』との過去の歴史、医者と病院の在り方等、多くの社会的な在り方が描かれた面白さがあったのが今作だったと思います。
特に加鳥博士や惣一とのお話の対立はとても印象的です。
例えば、『風爛症』の患者の多くが過去は処刑されていたという歴史が描かれていたり。
例えば、『風爛症』が病気として認知され、加鳥先生が目指す理想。多くの病院が建立され、患者を救おうとする姿は最初はとても好ましいという印象でした。
しかし、惣一はこれらの話には反対します。『病院はひひるを社会から隔絶するものだ』と、ひひる=忌避する物として決定づけるものであり、無くした方がいいと。またそこから繋がる、千種先生の『風爛症』患者を社会でも活躍できるような施設が必要でないかと提案するお話もありました。

こういった多くの設定が練り込まれているからこそ書かれる内容は、様々な視点から描かれており、よりそこで生きる人々の営み、苦しみ、温かみがより深く感じられたなというのが感想です。

現実にも繋がりそうな、社会的な環境、在り方をより鮮明に描かれているからこそ、そこで生きる登場人物達がより生々しく生きているように思える。
だからこそ、そこで描かれる心情は、よりリアルに映り、そしてそこで描かれる人の心の在り方や優しさはごまかしではない深みがあるように思いました。


〇物語としての感想
以下は、簡単に物語としての感想。

①千種先生
彼のお話は、実況調査としての面白さもありましたが、道中の辻菊さんとの絡みがとても好きでした。医者としてタフではない千種先生と、『そんなんで大丈夫ですかい?』と飄々とする辻菊さん、でもなんだかんだすごい息の合ったコンビで、お互い仕事人として信頼しているなって思わせてくれる描写が沢山あるのがすごい好きなんですよね。

またお話の内容としては、やはり母と子のお話が最初に強烈でした。
母親が『風爛症』患者として、見つかった時はとてもショックでしたし、しかしだからこそのその後の母と子の二人の優しいやり取りはとても暖かいです。
またここで何がすごい好きかって、千種先生の今までの行いが無駄じゃなかったんだなって分かるシーンが描かれることなんですよね。
野村朝さんや惣一しかり、自分の両親しかり、病院しかり。
今までの『風爛症』に対する千種先生の姿を知っているからこそ、みんな母親を迎えても優しくしてくれる。
『あぁ、僕の今までは無駄じゃなかったんだな』と呟く千種先生の姿がもうとてもとても好きです。
そして何よりも、母親の最後の言葉、『ありがとう』という言葉が聞けただけでもう、心にくるものがあります。

その後、ほっこりしたと思ったら、千種先生自身が患者となる展開はとてもショックすぎました。正直全く予想してなかった。
この時の症状の描写があまりにも怖かったのを今でも覚えています。
ひらがなと漢字が混ざる文章。どこまでが現実で、どこまでが妄想かが分からない怖さ。まさかこのまま悲惨な運命をたどるのかととても怖くなったのを覚えています。
しかし、実際にはとても優しいお話でした。
患者となった後も症状が落ち着き、その中で病院や患者、職員の多くの事に気付きがある中、また医者として復帰する姿。
その中には、母と子としてのお話でもあったように『今までの千種先生』としての真摯な姿の積み重ねがあったからこそ今があるという優しいお話でもあって、すごいほっこりします。

また、魅力的な登場人物として忘れられないのが、やはり朝さんと惣一の二人です。惣一の顔の傷のエピソードなんてもうもうもうどれだけ朝さんの事を大切にしているからこそのお話であって、好きになってしまいます。
また朝さんと千種先生の二人の掛け合いもたまらなく愛しい。特に、12章『一番大事な患者』の二人の掛け合いがもうもうもう本当にね。
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千種「……だって、きみは僕にとって、一番最初の、そして一番大事な患者じゃないか」
「僕はきみがまだ子供だった時から、ずっと尊敬しているんだ。きみが病気とうまく付き合って、自分の人生を作り上げたということが、どれだけ凄いことか。医者になってから、自分が『風爛症』になってから、ますますその偉大さを理解するようになった。だから……」
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千種先生の話では、朝さんが一番好きかもしれません。

こうした千種先生のお話ですが、一番好きな台詞は最後の章の台詞です。
それは、実況調査に出向いた時の、辻菊さんとの会話。
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千種
そういうことだよ。結局、よく知っていれば不必要に恐れたり憎んだりすることもなくなるし、共感も出来る。辻菊さんだってさっきの住職だって同じさ。
新聞に患者が起こした事件が載ったりすると、『風爛症』のことをよく知らない人は、患者全部が怖くなってしまうんだろうけれど、本当はそういう事じゃないんだ。
世間の人は患者のことをもっと知る必要があるし、患者も相手のことを理解する必要がある。お互いのことをよく知ることが出来れば、一人一人の性格や考え方がよくわかって、そのなかで嫌いな相手も好きな相手も出て来て、病名だけでその人を見るなんてことは自然としなるなるんだろう
これは、『風爛症』だけじゃなくて、人と人との争いや憎しみの、ほとんどのことに言えるのかもしれないな……
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千種、先生のお話が、この作品の本質かもしれません。
『風爛症』と戦う彼らのお話は、題材としては『風爛症』がありますが、その実は、いかに相手の事を物事を『正しく知る、知ろうとする』ことが難しく、人の心が簡単に出来ていないか、でも出来たらきっと暖かい未来が待っているのだろうというお話なのかもしれません。
特にこの言葉は、千種先生の様々な話を通じて読んできたからこその重みがあり、難しさが分かり、でもだからこそ希望もある言葉だと実感します。
だから、やはりこの言葉が千種先生の話の中では一番印象的です。

『僕はきみたちのような子供の手助けをするために生まれて来たんだ』



また、別のお話ですが、千種先生のお話は終わり方が2種類ありました。
実況調査をまとめて、社会の在り方をより良い物に変えようとする終わり方。
もしくは病院を辞めて、社会よりも目の前の患者を救う事こそが自分の使命だとする終わり方。
どちらも正解不正解ではないですが、この方向性の違いには、『選んできた選択肢』が、患者を見捨てないモノだったか、それとも見捨ててしまったのか等という方向性が、千種先生の結末を左右するものとして、一番ある意味ノベルゲームらしいなとも思います。
もし、患者を見捨ててしまったら、それを後悔してしまい、二度と見捨てることは出来ないと病院を辞めてしまう終わり方。ただ、その後の『母と子』の終わり方はあまりにも切ないとも思ってしまいました。



〇武雄さん
武雄さんのお話といえば、もう常見家と、衣川ですね。
武雄さんは、学生という立場である分、『風爛症』と関わりがあまりなかったがゆえに、愛する身近な人が変わっていく様子に、どれだけ絶望して家庭が壊れていくか、それがあまりにも辛い絶望的な展開でした。
しかしその中でも、武雄さんが、明子さんとして変わらないものがあると、その状況を受け入れていけるようになっていく描写が好きだったりします。(しかしその分敬二郎やお辰さんの、戻って欲しいと、今の状況はおかしいのだとしてしまう姿も、分かってしまうがゆえに辛い)
特に、敬二郎の自殺はもう絶望が半端なかったです。少しずつ受け入れていけると希望が見えたところでだったので本当にショックでした。

けれど、その後の北への後は幸せなハッピーエンドが本当に幸せで暖かい気持ちになります。
(武雄さんのお話のBAD、病院に明子さんを置いていくお話が強烈な分猶更ね……)
作品全体から見れば、この幸せな終わり方は、敬二郎の自殺等を含め、現実的を描く分どこか現実味がないのかもしれません。
全てが上手くいくこの終わり方が唐突感があると言われればそうなのかもしれません。しかし、北へ行く電車途中の、あの武雄さんと明子さんの、あの二人が抱きしめ合う姿を見たからこそ、二人の幸せな姿が見たいと強く想ったからこその、あの最後の終わり方はもうもうもう救いでした。泣いてしまいました。
なんなら、衣川の『そうかぁ……よかったなぁ……』という部分で一緒に泣いてしまいました。衣川は、今まで武雄の傍にいて、それだけじゃない自分の人生にも美代さんという出来事があったからこその言葉だと思うと、本当に泣けてしまいます。




また武雄さんのお話で印象的なのは、明子さんの心情です。
明子さんは、作品では、病院に連れていかれる場合と、武雄が一緒にいる場合の二つ描かれます。
前者の病院に連れていかれる場合では、武雄と再会しても、正気を失った振りをするのがあまりに痛烈です。
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もし武雄さんに会ったら、お伝えください。私はもう海外留学に行けなくなってしまいました。せっかく勇気づけていただいたのに、申し訳ないと。常見明子はもう死んだのです。
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そして、もう一つの武雄さんと一緒の場合、明子さんと武雄さんの電車での猛吹雪のやり取りと対比をするとより明子さんの心情がとても深く感じ取れます。
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武雄さん、もう本当に、私は大丈夫ですから。私のことはもういいですから。……だから、東京に戻って、学校に行って、立派な人になってください。私のことはもう気にしないで、全部忘れてください。こんな人間は最初から居なかったのだと、そう思ってください……。
……お願いですから、戻ってください。武雄さんには大切なご家族がいるじゃないですか。……大事な人を、悲しませるようなことをしたらいけません。私たちは、ここでお別れなんです……
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明子さんにとって、武雄さんの将来の足かせになることがどれだけ辛く絶望的なことか、そして大切に想っているかが、二つの√のお話を読むことで、より理解が深ります。だからこの二つの台詞の対比がとても印象的です。
こうした姿もあるからこそ、BADが辛く。
でもそれだけ武雄さんが明子さんのありのままを受け入れる、抱きしめ合う姿が、そして結婚して幸せな生活を送る最後の幸福なハッピーエンドがとても幸せな気持ちになります。
とても暖かくなる幸せな終わり方でした。大好きです。



改めて最高に面白かったです。
素晴らしい作品でした。
ありがとうございました。



以下駄文メモ

特に仕事の関係上、直接ではないものの、こうした現実から目を背けたくなるような家庭崩壊、高齢介護の実情等を多く目にすることが正直あります。
そこでは、救う手立てが少なく、聞くだけで沈鬱な物も多くありました。
本当に何も意見がでない話し合いほど、辛いものはありません。
特に、子供が被害者となるケースでは、『誰も悪くない』という状況の代表でもあり、どうにかしたいのになかなかできない歯がゆさは多くありました。
それだけではなくて、ケース当事者だけではなく、そこに関わった職員も、同情だったり責任、プレッシャーで病気になってしまうケースも多く見てきました。
こういった過去の出来事がフラッシュバックされるような作品でも、私にとってありました。

しかしだからこそ、作中の武雄にアドバイスした千種先生の言葉がとても印象的です。
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「もっと、気楽に、明子さんと向き合うんだ。
僕はこの病と闘い続けている人のことはみんな尊敬している。
患者も、看護者も、医者もね。この病気は本当に本当に恐ろしい。……だけど恐ろしいからといって、恐れすぎたり、深刻になりすぎては駄目なんだよ。思うに、この病気と闘うために一番必要なものは、特別視しないってことなんだ。
そして、患者のいる生活を完璧な日常にするために何よりも大事なことは、とにかく無駄な手間を減らすことだ。きみがいくら明子さんに対して強い愛情があったとしても、何かをしでかすたびに、汚れた絨毯を買い替え、雑巾を洗い、お祭り騒ぎをしていたら、すぐに愛情をすり減らしてしまう。……物語の真っ只中にいるきみは信じたくないかもしれないが、愛情は消耗するものだからね。
(中略)
まあね、とにかく肩の力を抜くことだね。天間君、未来ってのはさ、いつだって、誰にだって、明るい物さ」
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こうして作中では、武雄さんは、元々明子さんのあるべき姿を受け入れつつあったこともあり、この言葉を理解することができました。
もし、敬二郎さんもこの言葉をより深く聞くことが出来ていたら……と思うのは無粋でしょうか。
そして私自身も、将来こうした出来事に関わることがあるかもしれないなと思うとき、この言葉を忘れないようにしたいなと思いました。
そしてここに残します。