ErogameScape -エロゲー批評空間-

merunoniaさんのハルカの国 ~大正決戦編~の長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
ハルカの国 ~大正決戦編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
95
参照数
46

一言コメント

今までの積み重ね全てを繋げていくようなお話に圧倒された。夢を見たかつての者と、これから夢を見始める者の、生きて老いていく時代の移ろい。その中で人から人へ覚えられて様々な小さな墓が作られていく。国になっていく。その在り方を、4作目に来てここまで描き切るのが本当に凄かった。好きが多すぎるほどに詰まった今作ですが、私は特に風子の在り方に最後に心が打たれました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

読み終えた今、興奮が冷めやらずな状態です。
特に今作は、様々な好きが多すぎて上手く感想がまとまる気がしません。
けれど好きだったという想いを留めたいので感想に残します。

序盤からは待望のハルカとユキカゼの再会という、ただでさえ嬉しい展開なのに、ハルカ視点から繰り広げられるお話は、『ハルカにとってどれだけユキカゼが大きくて『痛みを実感するほど』に必要な存在なのか』が分かる描写がたまらなく嬉しくてしかたありませんでした。嬉しくて涙が出てくるほどでした。

ハルカ視点。ユキカゼとの再会シーンより。
──────────────────
声が、出なかった。
動くことも出来ず。
ただ白熱と、痛み。
身体の中よりわき上がる凄まじきものに震え。
喉が潰れ、苦しく。
息も出来ない。
全てが、白熱し。
全てが、痛んだ。
激しい痛みだった。
今、ここにいるという痛みだ。
確かな痛みだった。
その痛みの名を。
その名前を。
その名前をもつ相手に向け。
半世紀の時を経て、か細く。
震えて。
ハルカは呼んだ。
──────────────────

ここの振り返った時のハルカの描写がもう……。
なんでこういう言葉にならない大きな衝動を描くのが本当にすごいセンスがあるんだろうって。
国シリーズを通して何度思わされただろう。
今回もその1つに数えられるほどに、大きな熱を感覚を与えられたシーンでした。
泣きました。
その後、ユキカゼに再会してからのハルカのはしゃぐ姿、「忙しくなるぞ~~~」と忙しいと言いながら笑顔な姿や、特産物をたくさんユキカゼに食べさせようとする姿はこちらも嬉しくなるほどでした。

また、対照的なユキカゼ視点。今まで憧れていた正体は、ハルカとはどのような存在だったのか。
自分の中にあった『強さが、私の中にも何かがあってほしかったのだ』とする想いの果ては何だったのか。
『ハヤとハルカ』の二人から半世紀を経て『ユキカゼとハルカ』になった二人の形。
──────────────────
ユキカゼ
「貴方は私の憧れだった」
──────────────────
ハルカ
「強くなったな」
──────────────────
越冬編から見てきた二人だからこそ。待望していた二人だったからこそ。
その二人の姿に、言葉にならないほどの胸を打たれる熱さ、声にならない叫びがありました。

特にこの『ユキカゼとハルカ』の部分の感想は、gggrrrさんの長文感想がとても共感できる素晴らしい感想でしたので、ここでご紹介します。
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=33080&uid=gggrrr

──────────────────
ハルカ
「刻んだの、飯にかけるのが好きでさ。
覚えていたか?
……。
覚えていたんだね……。」
──────────────────
二人で一番好きなシーンを選ぶなら私もここです。
その後のユキカゼとハルカが、二人で寝そべりながら過去を語らう姿しかり。
ユキカゼが、ハルカの、他人から見ればなんてことは無い大好物を覚えていたり。
半世紀を超えた積み重ねがあるからこそ、このシーンにどれだけの重みが込められているのか。
ハルカにとって、ユキカゼにとって、互いの存在がどれだけ大きな物だったのか。
歴史を持たない化けにとって、『覚えてくれている』存在、縁の在り方がどれだけ大きくて暖かいものなのか。
このやり取りで分かるこのシーンがもうたまらなくて仕方ありません。
独りで夢を見続けて、そして見終えた八千代という存在がいたからこそ、共に居た二人の存在がより際立つようにも感じられたのが、私にとってのこのシーンでした。


またユキカゼ視点で外せないのが、決戦編後に語られる、五木やクリ、おトラのお話でした。
特に、風子の手紙で語られるクリの凄さであったり、おトラは本当に賢くてすごい人なんだと語られる度に、嬉しくて、それでも寂しさもあって、何度も心に来てしまう物がありました。
それでも、クリは屋台を出して立派に営んでいるのが本当に嬉しくて。
特に、最後の最後、風子がクリと一緒に写真を写っているシーンはもう言葉にならないほどの嬉しさがありました。風子とクリが出会ったサブエピソードが読みたくて仕方ありません。
読みたくないですか????????

クリとおトラ、五木と彼等が話として登場するたびに、かつての姿に泣いてしまって、それでも本当に彼彼女達が大好きだったと実感する嬉しさがありました。


また今作は八千代もとても大きな登場人物でした。
狐を存続させるために、長が生きていると独りで芝居をして隠し続けた者。
夢を見続けた者。仲間を欺き、敵を庇い、それでもかつての夢を独りで見続けた者。
そして、その夢を終えた者。
──────────────────
それぞれの夢と、それぞれの時代があった。
幻想が終わる時。
新しき者たちは、新しき夢を見て。
老いたものたちはもう、夢は見ない。
共には歩めぬ方角が、我々にはあるのだ。
──────────────────
八千代の孤独がどれだけの暗さを抱えたものであったか。
少しでも違えば、ハルカも同じような存在になったかもしれない。
それでも二人は違うのだとする、間違いなく八千代も大きな存在でした。


と、それぞれに好きな所を思いつくままに書きましたが、やはり今作で一番好きなのは風子の存在でした。
最初は、風子の『役に立つよ!』とする姿は、可愛いと思いながらもどこか必死な姿に、どうか幸せになって欲しいと思う存在でした。
そんな彼女の特徴的な台詞は『私もハヤさんみたいになりたい』という言葉。
作中に必死になる姿に何度心を動かされて。
そしてこの言葉に最後、心を泣かされにくるとは。
──────────────────
風子
「私の事を、覚えておいて」
「忘れないで欲しいよ」
「ハヤさんが話す先生も。クリさんの手紙のおトラさんや、ハヤさんもとても良くて。
ああいうのに、なりたい。私も誰かに、思い出して欲しい。
誰かに、あの子こんなだったね、あんなだったねって話してほしい……!
必死にやってみるから、私のこと忘れないで。
頑張ってるかなって、時折思い出して。
私、それを力にして頑張ってみよう。
ハヤさんのように、歩いてみよう……!」
──────────────────
ユキカゼ
「とてつもない寂しさが、お前を襲うだろう」
私は教えてやる。私が歩いてきた道を。
役に立つかは分からないけれど、私のなかにあるものを。
「寂しくてどうしようもない時は。
何か旨い物を食べるんだ。
そうやって寂しさを紛らわせて、なんとかかんとか生きていけ。
そうしている内に、段々と強くなっていく。
なんとか、やっていけるものだから」
──────────────────
きっと──。
何かが。本物や、美しいものが。
この先に、あるのだろうか。
この子の本物は、何か美しいものは、あるのだろうか。
私にはもう言えないのだと気付いた。
もう私には分からないのだと気付く。
ここからはもう、私の時代ではなかった。
──────────────────

かつて、ユキカゼが御仁に憧れたように。
強さを求めて、『何かが自分の中にもあって欲しい』と願ったかつてのユキカゼのように。
今度は、風子が「ハヤさんのようになりたい」と願う。駒場や木人形を弔い。そして新しい夢を見る。
そして、ハルカ、五木、おトラと、ユキカゼの背中を色んな夢が押してくれたように、今度はハヤが風子の背中を押していく。きっと、ハヤ自身も、様々な夢から背中を押されていく。
こうして、生きて、老いる、夢を見て、終える、時代が移ろう中で、小さな墓が多くつくられ、国が作られていく。
その、生きて老いる一つの在り方を描かれた、風子の存在が、今までのユキカゼ、ハルカとの物語を見てきたからこその、この駆けだしていく風子の存在の描かれ方が堪らなく好きで好きで仕方がありませんでした。
頑張れ、頑張れと応援するユキカゼの姿が、たまらなく愛おしく感じてしまいました。



主要な登場人物の好きな部分を挙げましたが、それ以外にも好きが詰まっていました。
例えば、自然現象の描写は今作もさすがです。
天空回廊の雷の嘶き、夜空の星が空一面に広がり魅了される風子の姿等、その圧倒的な描写は今作も魅入るほど。
また、山を越え、村に降りた時の『命の限り生きる』村の女性達の描かれ方。キリンの国の郷の描かれ方を思い起こさせるような、あまりに眩しすぎるほどの強大な生きる輝きの描かれ方に圧倒され。同時にこの圧倒さも30年の役目替えによって強制的に失われるあまりの残酷性の描かれ方であったり。
その一つ一つの文化や営みがあるからこその描かれ方は、もうさすがすぎました。一番キリンの国に近かったものを感じる者でした。

また、今回は天狗の国中心であったからこそ、過去作品に繋がりを感じられるのも嬉しさの一つでした。
例えば、八千代と長が秘術として編み出したとする『火牢牡丹』は、雪子の国で美鈴がシロッコと対峙するときに出てきた技だったり。
また、カヤ姫の登場は、キリンの国以来で衝撃でした。
そのほかにも、キリンの国で化けと対峙した圭介の言葉から出てきた『天狗解体計画はフウコとイカヅチ丸の反乱によって失敗している』という言葉は、風子とイカヅチ丸の関連性が示唆されるもので、この先の繋がりにワクワクさせるものがありました。
また、ハルカの口から語られた『国とは何か』という言葉には、みすずの国等に繋がっていく、なぜハルカが愛宕の国にいるのかという一つの筋が描かれました。
そのほかにも繋がりがありそうなものがいくつかあって、今までの国シリーズが本格的に時代が近づいてきたのだとする、嬉しさがたくさんありました。




今、作品を読み終えた興奮したままに書いているので、沢山の好きが零れ落ちているような気がします。
また2周目を読み終えたら書き加えたい……と思いつつ。
私にとって『大正決戦編』とは、一つの時代の夢の終わりと、新たな夢の始まり、生きて老いる、その移ろいを描き切った傑作の一つであると実感します。

また、2024年12月の今、ハルカの国の作品に追いつきました。
知人におすすめされて読み始めたわけですが、正直ここまで傑作のシリーズだとは全く思ってもいませんでした。
もう少し早く読んでいれば良かった、同時に今読めて良かったという思いでいっぱいです。
ここからは、次回作を待たなければいけない嬉しさともどかしさを抱きつつ。
イカヅチ丸の話、きっと風子のお話にも繋がっていくのだろうお話が楽しみで仕方ありません。
ここまでを含めて、少し時を置いたあと、改めてみすずの国から読み返したいなと思います。

以上です。
ありがとうございました。