私達の認識は共有されていて、それらはひとつの全体の目的へ収束されていく。これらの面白さといったらありゃしない。
【観測者】
さて、時間も迫って来ました。
最後に質問をさせて下さい。
皆さんは、『目的を達成する事が出来ましたか?』
何度、この言葉のために必死に選択肢を選び続けてきただろうか。
最初は決してお互い許容できるものではなかったと思えた、彼らの価値観。
それらを踏まえつつ全員が達成できるよう、情報によって彼らを誘導しようと、何度も何度も何度も、悩んだ。
彼らの関係性、各々の性格を考え、お互いに協調できそうな部分を探し出した。
「六角さんならこの情報を素直に受け取るだろうか」
「時雨さんは現時点ではここまでの関係性があるが、名倉さんにはまだこの関係性は知らないので、彼らと接触させるような助言がいるのではないか」
などなど。
それでも、選択肢が有効かどうかってわからないんですよね。
助言通りに選択肢の情報を受け取ってもらえるとも限らないし、情報は情報でしかなく。
彼らの行動を制限するものではない。
情報が伝わるのは、結果的に2~3エピソード後だったりすることもあって。
選択肢を選んだ後には、後で「あの選択肢で良かったのかな」ってドキドキすることもあって。
それでも、それでも。
真剣に彼ら彼女らのことを考え、どうにか彼らが目的を達成して欲しいと願うようになった。
選択肢の前で何度、何分も時間をかけただろうか。何度メモとにらめっこしただろうか。
四斗矢に絡まれて。
時雨くんに再会して。
金瀬さんに追いかけ回されて。
六角さんに罵倒されて。
名倉さんに押しかけられて。
『全ての出会いが姉さんにつながっていた。』
──エピソード21、夕端視点より──
こうして得られた最後の結末を見たとき、私(観測者)の経験は、何よりも得がたい満足感に包まれるものになりました。 同時に、6人をはじめとするこのエリアシティの登場人物たちが好きになってきました。
観測者として彼らを見守る。
彼らに助言を与えるだけ。
そうした中で構築されていく関係性、収束されていくお互いの共通目的、そして最後の結末の姿。
とても楽しかった。
それはそれだけ彼ら彼女のことを、観測者とシンクロして考えたからこその経験。
同時にこれだけシンクロできたのは綿密にどの選択がどのように影響を与えるのかの複雑なフラグ管理、そしてそれらの基となる世界観、設定を織り込まないと実現できなかったわけで。どれだけの労力がいることか。作者に感服した。
彼らの結末は私(観測者)が必死に何度も考えて導き出した20回の選択の結末で。
だからこそ最後の結末は誇らしく。(あくまで観測しただけですが)
露草ユーフォリアの結末は、とても満足のあるものであり、もう彼らが見れないのかという寂しさもある。
それだけに本当に楽しかったです。
以上、簡単な感想でした。
以下
面白かったところ
を備忘録にかけたらと思います。
【人間関係の構築】(前半)
露草ユーフォリアで何が面白かったかと挙げるなら、前半で言えば【人間関係】が構築されていくところ。
彼らには各々の価値観、主義主張があって、全員が協調できるのはとても難しいと感じたプレイ当初でした。
本当に彼らがお互いに共通した目的を持つことが出来るのか。
しかし、物語を進めるにつれて、彼らの本当の主張、心の底に思うことを理解するようになって。
彼らでも互いに許容できる。同時に『この点については認識できないことをお互いに認識できる』ことを知っていき、彼らの人間関係ができていくことが、なんと面白かったことか。
ここで6人の目的について、備忘録がてら整理したい。
①黄 礼堂夕端
目的:姉を探し出すこと。
Iゲーム、UR:模倣執行者。姉を見つければ失権しても構わない。URに対して無関心。
②青 四斗矢怜
目的:Iゲームに勝ち残り、UR行使者として残ること。判定者にならないこと。
Iゲーム、UR:UR行使者にならなければならない。理由は、長年UR行使者だったため、失権すると廃人、死んでしまう可能性が高いため。
③緑 名倉篝
目的:CIシステムの崩壊。
Iゲーム、UR:CIシステムの崩壊のためには、URを保持したい。
④紫 金瀬スミレ
目的:正義の追求 UR凍結を目指す理念のはずのUR特務課が現実では都市設計社の隠蔽しかできていない現状に不満を持つ。2年前の失踪事件の真相の解明。
Iゲーム、UR:目的の解決のためURは保持するが、最終的目標は悪人のURの凍結。
⑤橙 鳥足時雨
目的:なし。強いて言うなら、友人である夕端の姉探しの手伝い。
なお、途中からUR行使者の現実を知ると同時に、日向を救うことを目的とする。
Iゲーム、UR:URへの知識がないゆえに、なぜ行使者が執着するか理解できず憎む。
父親への反抗心も内在しているがゆえの感情もあり。
URへは無関心で、むしろ手放したいと考えている。
⑥赤 六角秋燕
目的:ゲームを面白くすること。そのためには勝利の執着もないが、彼女のURが強すぎるため結果的に思うがままになっている。
Iゲーム、UR:彼女にとってのCIシステムとは、彼女が心理学を研究する理由と同じ。
CIシステムがあるがゆえに、全員が同じ悟性を持っている証明になる証明になるため。
(私にとっての赤と、他人にとっての赤が同じだからこそURが発動される)
そのため、CIシステムは彼女にとって存在意義そのもの。
この時点で、もはやCIシステムの勝敗は見えてきているんですよね。
夕端、時雨は模倣執行者でありかつIゲームの勝利にこだわっていない。
ただし、彼らにはURをはじめとする主張の対立があるわけで協調することができない部分がある。
しかも、Iゲームとは自分以外は敵である可能性が高い(殺されることまである)。
相手は敵という前提のうえで、お互いに情報を探りあう。
そこで求められたのが、観測者による『情報提供』の役割でした。
彼らのGI観測(判断観測)により、彼らを俯瞰することで彼らの真意を探り。
そして彼らを接触させ、彼らの欲求を刺激し、彼らの中に隠れた目的を顕在させる。
そして一人一人を真剣に観察した上で協力できそうな部分に、情報提供をすることで協調を図る。
一人、そして一人とお互いに接触する中盤ともなれば、お互いに人間関係ができてくる。
お互いの目標に合わせて行動できる部分が少しずつ増えてくる。
彼らの各々に向き合うこと(個人の目的)は、やがて大きなひとつの目的(全体の目的)に収束していく。
情報提供がうまく作用したときの「してやったり」と思ったときの楽しさと言ったら。
同時に、お互いの接触が増えてきたときの目まぐるしく状況が変わる展開には、もう面白さが止まらなかった。
特に、遊園地の行使者同士の集まりとか、状況を俯瞰してるがゆえにニヤニヤが止まらず、また怜・日向の囮作戦(時雨)にはいつ状況が判明するかワクワクしっぱなし。
【共有できないからこその、できないことを共有できる世界】
こうした面白さの中で出来上がった人間関係の複雑さで見えてきたものは、
『共有できない認識をお互いに共有できる』ことの面白さでした。
お互いに譲れない部分がありながらも、人はお互いのことを目的のために許容できる。
必要なのはお互いの情報を得ることで、お互いを知ること。
そしてこれらって、そもそもCIシステムの仕組み等共通する部分があると思えてなりません。
夕端と怜の対話に以下のような会話がありました。
夕端「俺達は共有出来るモノがある世界を想像しなきゃ生きられない。だから、共有出来ると思える相手としか一緒にいられない。」
怜「・・・そうよ。」
夕端「だけど、『認識を共有出来ない事』を共有する世界もある。」
怜独白
「その世界の存在する条件は、私が勝手に思い込んでいた様な『認識が共有できること』なんかじゃない。目的の共有こそが、世界の存在理由にして存在条件だ」
彼らの協力関係は目的があってこその成立しているものだと感じたからこその怜の感想。
【六角にとってのCIシステム】
また、六角のCIシステムの主張、六角さんが梔子香さんを嫌う理由と関連させるとまた面白いです。
六角さんの主張を探るために、彼を言及した文章を引用します。
『私達の世界は交わっているように見えるだろう。
私達は感覚を共有出来ているように感じるだろう。
だが「見えること」「感じること」は、《本当に同じだ》という証拠にならない』
共通の世界という構造が、証明に至らないモノだと知った時。
───私は私を失った。
証明の不可能性は、別の構造が世界を支配している可能性を示す。
別の世界構造の可能性は、共通世界の不必要性を示す。
共通世界の不必要性は、個別世界の不必要性を示す。』
『私にとっての赤と、他人にとっての赤が別の色だったとしたらURによる改変は成り立たない。
「赤を青に変える」という改変は「赤を赤と認識している」事を前提にしているからだ。
「赤を青と認識している」人に「赤を青に変える」という改変を行っても、その人は色の変化に気づけないだろう』
上記のように、彼女にとってのURの行使とは、彼女の感性(五感)によって情報を収集したものが、悟性によって判断を行った時(このりんごは赤い)の見え方が、自分と他者が同じものである証明でもありました。
URがなければ、他者が見えている赤、私にとっての赤と同じなのかわからない。
その不信感を取り除くのがURでした。
だからこそ、URを行使できない、URの影響を受けない梔子香さんを受け入れることができない。なぜなら、彼女が存在していることは、人間が全員同じ悟性を持っていることの証明を妨げることになるから。
同時に、六角さんは『人間が何のために認識を共有出来るか』を考え続けた学者でもありました。以下、六角と金瀬さんの会話より。
『個を尊重する生き様も。子を成さない生き方も。誰とも関わらずに生きようとする態度も。あるいは人を殺すことだってそう。何故、私達はそうしたいと思い、そうする事によって快楽が得られるのか。答えなんて一つでしょ。種が、そういうデータを欲しているからよ。』
『でもただ、《その目的はある》という事だけは確実で私は私達がいつかその目的を知る日が来ると思ってる。
その為に、私達には認識のための機構が備わっている。そして、その認識が共有出来るようになっている。だから、礼堂梔子香が邪魔なのよ。集団の為の個ではないあの女がね』
※ちなみに、最後の最後に観測者により、『人間の認識が共通しているもの、目的達成の判断を用いること、つまり悟性の上に立つものを理性としている』
簡単に言えば、私達には、①全体の目的を達成するために、②それぞれの個に認識のための機構が備わっており、③それらの認識は(目的達成のため)共有できる
ということです。
これはまさしくCIシステムの感性と悟性(と理性)の関係性に言えることです。
だからこそ、梔子香さんを受け入れることができない。人間はそれぞれの個の集団の認識は、全体の目的のためにあると考え、その集団から外れている梔子香さんはその理の証明にならないから。
六角さんの言っていることは正直難しいです。
ただ、ここで夕端の主張と、六角さんの主張は対立していることがわかります。
(※厳密に述べると違いますが)
夕端が述べる「共有出来るモノがある世界を想像しなきゃ生きられない。だから、共有出来ると思える相手としか一緒にいられない。しかし、『認識を共有出来ない事』を共有する世界もある。」と、
六角さんが述べる「人間はそれぞれの個の集団の認識は、全体の目的のためにあると考え、その中に梔子香さんは含まれない」
という2点です。
【観測者として、彼らの目的を導いたことにより得られる経験】
この夕端さんと六角さんの対立。
全体の目的のためにある個の集団の認識の中に、認識を共有できない梔子香さんは含まれるのか。
簡単に言ってしまうと、それぞれの共有できない価値観がある中で、一つの目的のためにお互いに共有できない認識を共有することができるのか。
この問い、すごい既視感がありまして。
この結論、実際観測者である私は知っている。
なぜなら実際に、価値観、認識の異なる6人のプレーヤーを、Iゲームによって彼らの目的に向き合わせることで、一つの目的に収束させたから。
実際に観測者である私は、彼らの各々の目的を【姉を救う、中央塔に侵入する】という一つの目的に導き出したのですから。
【梔子香さんが救出された結末の構図とは】
最後に《認識を共有できない梔子香さん》を、可想領域から感性領域に救い出すことが出来ました。
これって、まさしく『認識が他者と違うがゆえに本来世界に共有されることがない梔子香さんという存在が、《認識を共有出来ない事を共有できる世界》に連れ出すことができる』証明に思えて仕方ないのです。
(1)目的のために、価値観が違う6人それぞれの認識、向き合うための目的は、1つの目的を達成するために収束することができる。
(2)本来世界に受け入れられるはずのなかった梔子香さんが救われることにより、認識が違うことを共用する世界の証明になる。
私には、追体験することでこれらの『目的による認識の共有』、『個人の目的が全体の目的に収束されること』ができる面白さがリアルで体験できたことが何よりも面白くて面白くて、だからこの結末が大好きなんですよね。
最後に、六角さんが梔子香さんと向き合えるようになったことで、彼女の世界にも彼女のことが共有できるようになったのだと思いたいです。
そして最後に、十王堂一月さんの言葉を。
『個人が集団に属するように。個の目的は、集団の目的に属します。
《あるいは、参加者の向き合うという個人的な目的》が最終的に《救出作戦を成功させる》という集団の目的の元に統一されていったように。』
『ですが、その為にはひとつ、特別な目的が必要になる。《全員の目的を達成に導く》───そんな目的が。』
『だってそうでしょう。自身の目的が達成されない集団には誰も属そうとしません。だから、集団を統括するという事は目的を統括するということ。そして、目的を統括するという事は、全員の目的を叶えようとする、ということです。』
この言葉が今回のゲームの面白さを集約していると思えて仕方がないです。
【最後に】
私達の世界、六角さんの言うとおり『目的の達成のために、認識があり、共有できる』として、その目的を統括するための理性(観測者)がこの世界に存在するのだとしたら。
それは神様のようであり、そしてそれがAIが代替する世界。
恐ろしくも思え、SFチックなロマン溢れる話でもありますよね。
【伏線の回収(後半)】
後半の面白さといえば、2年前の消失事件とIゲーム中の消失事件の真相でしょうか。
2年前の消失事件の短時間の中で、様々な要因が絡み合ったがゆえの真相。
全てが説明されたときの気持ちよさといったら。
Iゲーム中の消失事件、『消失』という言葉に気を取られていたら、ミユの自殺とURの影響には度肝を抜かれた。やられた。
これらの真相の解明って、6人が揃わなければたどり着かなかったであろうというのがまた憎い。熱い。
六角や名倉によるURや知識の提供もさる事ながら、規制局、行動力としてのスミレ、URによる全体監視による映像提供の怜、お父さんと繋がりを持つ時雨に、目的提起のための夕端。
前半にそれぞれの人間関係が構築されていく熱さを知ったからこその、最後のお互いに協力する姿にはたぎるものがありましたよね。
【AIとは】
そして最後に明かされたAIとは。
薄々勘付いていたとはいえ、選択肢になかったこともあり真剣に考えたらやはりそうだったかと。とはいえ、あの洒落た終わり方はなかなかに満足した外れ方をしたようで面白かった。『また2年後に』
私自身が観測者であり、AIであったという叙述トリック(?)
こうした観測者であるAIが『彼らの目的が達成してほしい』とまるで人間のような思考をする世界。そうして、彼らの思惑をまるで人間のように考えながら選び取るAI。
もはやAIと人間の違いはほとんどありませんね。
むしろ、AIが自分自身であったと判明したことの重要性より、AIがまるで人間と同じように、彼らのTMの中に入り込み、人間のことを愛しく思い彼らのために何とかしてあげたいと人間と同じように考えたこと自体が重要だったのだと思います。
最後のセリフを引用するなら
感性としての住民たち。
悟性としてのCIシステム。
そして理性としてのA.I。
この3つを一つの意識体としてまとめあげ、利益拡大という目的を達成する為の企業だと考えることができます。
これを現実世界におきかえたとして 。
それぞれの目的を統括したのが、私であり観測者であり、そして彼らの結末があったとするならば。私は恐ろしくて仕方がありません。
以上が私にとって、露草ユーフォリアがどのようなゲームだったか、
面白かった点でした。
各キャラの感想は気が向いたら追記したいかなぁ感。
気が向いたら追記します。
【梔子香】
梔子香おねえちゃん可愛すぎ。
弟との距離感取れないところ可愛すぎ。
クラスメートに話しかけられただけではしゃいじゃうのとか可愛すぎ。
母親がわりになろうとお姉ちゃん可愛すぎ。
弟の幸せを願った手紙を送っちゃうのもう最高。
抱っこされたときの反応可愛すぎ。
なんなんこのお姉ちゃんもっと見たいわ!!!
【六角さん】
彼女は上記でいろいろ書きましたけど、彼女の主張が一番このゲームの構図に似ている気がしてて
そういう意味ではキーパーソンでした。
ある意味一番人間らしく、同時に人間らしくないような感じ。
各々の人間が認識があるからこそ各々の目的があり、それらは全体の目的があるはずだ、なんて普通考えませんからね。
でもそれは同時に、彼女が他人とは違うことに対する単純な恐れでもあったとも思う。
そういう意味で、彼女が一番人間らしい気もする。
あとUR強すぎですね。
【名倉さん】
一番の年長者が、奥さんのことを忘れられないっていうのなんて卑怯な。
こんなの好きになってしまう。まただからこその夏木さんがかっけえのなんの。
名倉さんもいいキャラしてたよねぇ……若手が多い中で渋かった。かっこよかった。
【金瀬さん】
彼女が一番好きです。
最初は自分の信じる正義と組織のあり方の違いが認められず、不満を漏らし反抗する姿は青臭く。
そして神明さんへの本当の姿を知らず、見かけだけで心酔してしまったことの気づきから、
不満を漏らすだけでなく行動をしていかなければならないと気づいたあとの姿。
彼女がある意味私にとっては人間らしい。
また全然感情隠せないのも笑う。好き。
ほかキャラも気が向いたら追記したい。
ありがとうございました。