ErogameScape -エロゲー批評空間-

merunoniaさんの紙の上の魔法使いの長文感想

ユーザー
merunonia
ゲーム
紙の上の魔法使い
ブランド
ウグイスカグラ
得点
90
参照数
1295

一言コメント

BADENDなんて呼ばないで。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

※ネタバレ全開です。

 今作品はネタバレが致命的なため、未プレイの方は回避してください。





















『紙の上の魔法使い』
発売当時からよく話にはあがっていた印象。
結論から言えば、なるほどなと、面白かった。
予想外な展開、何度も繰り返される前提条件の覆し。
何度も何度も感情が揺れ動かされ、最後まで楽しませてくれた。
同時に読み手側の価値観に委ねられる設定等は、人によって見方が十人十色になるだろうなと思った。
以下はどうして、十人十色の感想になるかを踏まえつつ、感想を書いていきます。



以下

①私にとって『紙の上の存在』は偽物だったのか、どのような存在だったか
 (瑠璃の恋心について)
②私にとってクリソベリルは許される存在だったか
③エロゲのタブー 伏線、ミステリーゲーとして
④各キャラの感想
で、記憶保持がてら書いていきます。

ちなみに①、②に対しては、この『物語』に対する私の願望であり、根拠はないです。
どのような解釈でも正解なのがこの物語だと思います。
当時の想いを残すということで書いていきます。





①私にとって『紙の上の存在』は魔法の本の設定、偽物だったのか
 同時に、現実で死に『紙の上の存在』となった『瑠璃』をはじめとした存在は
 本当に本物と同じ存在であるのか 彼らはクローンであり本物と別なのか

A.結論から言うと、彼らは本物と同じ意思を持った存在である。
 というか本物だと思いたい。

 なぜなら、そう思わないとやりきれなく、同時に楽しむことができないから。
 無意識にそう言い聞かせていたのかもしれない。(と言ってしまうとおしまいですが)



読み手にとってそもそもこの議題1つ目
『紙の上の魔法使い』の感想を語る上で、分岐点ですよね。

○もし紙の上の存在が偽物であった場合。

 ⇒4章からの物語は、夜子といった人間以外は全て偽物。
  4章以降の彼らがいくら語られようと、それは魔法の本によって『誰かに形作られた』人格。
  あるいは設定によって形作られた物語。なので、全て偽物。
  (オリジナルの意思とは別の人間)
  極論を言えば、この物語は3章で終わっており。
  妃が死に、瑠璃が首を吊り、クリソベリルが夜子を幸せにすることができず。
  BADENDしかない。(ある意味妃と瑠璃にとってはハッピーエンドかもですが)
  オリジナル瑠璃が最後まで好きだったのはオリジナルの妃である。
  (サファイアが開いたままで終わるから)


○もし紙の上の存在だとしても、かつてのオリジナルのように本物と同じ魂を持つのなら。
 ⇒4章以降の登場人物の言動は全て彼ら自身であり。(全部ではないが)
  (オリジナルと同質)
  全てのルートはありえた可能性が語られる。
  だから、そこにTRUE ENDは存在する。
  瑠璃が最後に好きだったのはかなたちゃんである。
 (紙の上の存在の瑠璃が真実を知り、紙の上の存在として瑠璃と結ばれるから)

なぜこのような議題が出るかというと、この作品の設定で
『紙の上の存在とはどのようなものか』
『魔法の本とはどのようなものなのか』  を決定づける話がないからです。
同時に『紙の上の存在は本物と同じなのか』についての議論があまりされず
物語の焦点はそこを語っていないから。

だから読み手にそこの解釈は任せられ、ここで価値観が分岐します。



そこで、ここの価値観についてどう考えるか。
完全に根拠もなく解釈を選ぶのも一つの方法、
といいますか、もう私はそれを選んで本物と思って読んでいましたが
それだとあまりにもあれなので、物語中から解釈の何かヒントを拾っていきます。

考えとして
『妃の自分は「偽物である」という意見』
『魔法の本による「設定」』
『理央ちゃんという存在』の3つです。

ちなみに決定的な根拠はありません。読み手である解釈による私の願いです。
論破当然されると思います。ただどのような思いで読んでいたかを記録したいので残します。



○もし紙の上の存在が偽物であった場合

この考え方のヒントは章の妃の考え方。
8章『フローライトの時空落下』
妃「死んだ人を都合よく現実に描きだすなんて、死者を冒涜しているようなものですから」

 「それに、究極的には紙である私は、あなたの寂しさを癒すことなんてできないのですよ。
  所詮、紙は紙───塵芥です」

 「それに、死というものが絶対不可避の存在であるからこそ、生きるということがこんなにも素晴らしいのです。
  台無しにしてはいけませんよ」

「私は、瑠璃の知っている月社妃ではありません。貴方がかつて愛していた、可愛らしい妹とは別の存在なのですよ」

 「私は確かに設定に縛られてはいませんが───それでも、紙の上の存在は、
  本が見せる夢現なのですよ」


8章の妃は紙の上の存在でした。
だからこそ、

「本来の自分ではなく、紙の上の存在である『偽物』の自分を愛そうとする瑠璃を許せない。」

まさに紙の上の存在とはどのようなものなのかを言及する章。
ちなみに、闇子から妃にかけられた設定は
「瑠璃に失恋をさせ、その後消滅」することで、夜子の障害をなくすこと。

求められる、やり直される告白、選択肢。
「大嫌い」「大好き」
非常に辛い場面でありました。



この妃の解釈のとおりに読み手も読むのなら『紙の上の存在』は偽物という解釈でしょう。
少なくとも、オリジナルとは別の存在に成り代わっている。

ただ、ここからが妃の真意を読み手(私)がどこまで解釈をするかだと思います。
それは『妃がどのような真意で瑠璃に失恋させたのか』
・本当に言葉通りに、自分が偽物の存在であることが許せずに失恋させたのか
・設定がそのようになっているから、「妃自身」が自分に最もな理由で納得させ失恋させたのではないか。

私は後者だと思います。
今後作中にも出てくる胸中にあるように
あくまで妃は「兄妹として結ばれることはない」、2番手であると自覚しているからなのか。

いやそれもあるかもしれないが、それよりも。

かつての夜子へ恋愛という綺麗ではない感情を伝える場面で
「恋に敗れて、死んでしまえ」と言い切った彼女には。
瑠璃に停滞して欲しくないからこそ、結末を知っているからこそ
瑠璃に、『偽物の存在だから私を選ばないで』とさせることで理由付けをして
失恋でしか進むことができない設定のされた『告白』をさせたのではないかと思うのです。

そうでないと、瑠璃が妃に大嫌いとする告白ができないから。
瑠璃がそこで止まってしまうから。

どうしても避けられない失恋があるならば。

夜子のように告白もせず停滞してしまうことを望まず、ただ過去にして欲しいと。
そう願ったからこその思いであったのだと思うのです。

そうでなければ、妃ルート(紙)のあの感情、予約特典のシナリオの裏で泣いていた、本当は弱い妃さんの思いが、自分が偽物だから選ばないで、とだけ思うようには、私にはあまりにも思えないのです。


ちなみに、妃さんについての恋について一緒に考えをまとめると。(話がずれます)
サファイアによって主人公はかつてのかなたちゃんへの告白の恋心を思い出します。
この時、サファイアが開く前の告白された瞬間は、まだ生前のオリジナルの瑠璃のため、
主人公の初恋(自覚)はかなたちゃんです。
妃でも夜子でもありません。サファイアによって忘れ去られているだけです。
(ここでサファイアによる忘れられていた、ということですら設定とされるともう話が進まないので割愛します)

しかし、妃については、好きの少し前段階(理性)まで行っていたのは事実です。
兄妹なので結ばれてはいけない、という理性がとどまっている状態。
それをサファイアによる記憶齟齬で『妃に告白をしてしまった』状態となることで、もう理性がなくなり、
妃と恋人同士になり両思い。そしてあのざまあみろ&首吊りへと辿ります。

さて、ここで話にあがるのは『瑠璃は誰が好きだったのか』
まだ他の方の感想を読んでいませんが、きっと妃派の人は、かなたちゃんの告白を思い出す「サファイア」を『設定』としてしまう気はします。

私は、どちらも好きだった恋心が芽生えていたのではないか と優柔不断の答えになります。
恋心は必ずしも1人ではありません。夜子の失恋時の話のように、1人だけを想うような綺麗なものではないと思うのです。同時に妃のようにあまりにも一途な思いの恋心もあります。

それが、告白という現象により「かなたちゃんが好きだ」と自覚したことで、好きという感情になる。
それが、「告白した」という記憶齟齬により、妃を好きだという感情になる。

恋心とはそのようなものではないでしょうか。
ただ同時に、妃が死んだあとの首吊りには、そこまで一途な思いを辿る主人公の思いの大きさ。
それも事実です。(この時の瑠璃は妃と両思い状態(サファイア継続状態))

恋心とはそれまで、綺麗ではなく衝動的であり、欲望であり、素直な感情だと思うのです。
この『紙の上の魔法使い』の厄介なところは、主人公や登場人物の恋心等も、魔法の本により右往左往させ、じゃあどこからどこまでが登場人物の本心なのか、を読み手に任せるのが厄介な点です。




話を戻します。

同時にこの「紙の上の存在は偽物か」という議題に影響があるものといえば、『設定』
まず今作品で描かれる魔法の本によるシナリオの影響力、これはあまりにも大きいものでした。
登場人物の感情すら簡単に上書きされ、物語は結末を語るまで終わらない。
かつて夜子が描いたラピスラズリの幻想図書館での、理央ちゃんの冷たい対応。
魔法の本とはここまであっさりと変えられてしまうのかと絶望しました。
このように設定を簡単に変えられてしまう存在、しかしこれは実の人間(かなたちゃんを含む)ですら影響力があるのが魔法の本です。
なので今回の議題の紙の上の存在関係なくどうしようもないので、これは話から外します。


魔法の本の種類にはもう一つあります。それは人物を描き出した『伝記』
本作の『理央』『妃』『瑠璃』であり、彼女たちの姿から『設定』をつけることで縛ることができるものでした。
ここで考えられるのは、4章以降の物語は、全て「誰かに書かれた設定」であり、登場人物は設定通りにしか動けず、本物に見える彼女たちの言動も、所詮クローンと同じ偽物ではないか。

それに対する私の考え。
A.彼らの存在は偽物であったとしても、彼らの想いはオリジナルと同じ本物である。
その考えのもとになるのは、『伏見理央』という存在、そして『瑠璃』の存在です。

理央ちゃんは登場人物の中で、唯一設定に雁字搦めにされ。
ローズクオーツでは、他の本で自分の設定を上書きされないと、恋心すら伝えることができない
不遇の存在。しかし、彼女は恋心を持つことはできたのだと、私は思います。

かつての木にもたれかかるシーン。理央ちゃんの感情の発露。

『紙の上の存在の、理央でしたけど。
 紙の上に縛られ続けた、理央でしたけど。
 それでも、伏見理央の初恋は──紙の上ではなく、この現実世界に咲いていたと
 信じさせてください』

確かに、紙の上の存在である、『彼ら自身』は偽物であったかもしれないけれど。
彼らの設定で縛られない部分の『想い』については、彼ら自身の本物
と変わりないものです。

かつてのそこにある理央ちゃんの失恋の痛みと、幸福の気持ちは本物です。


ラピスラズリの幻視図書館でも、設定されていない部分による登場人物の自覚、感情が物語の開放へと繋がりました。
偽物である彼らでも、設定されてない部分については、彼らが本物であるときと同じ気持ちが持てる。
だから、私は、紙の上の存在である彼らは、偽物ではない と思いたいのです。
同時に、オリジナル(人間)が死に、コピーとして紙の上の存在となった『瑠璃』『妃』の存在も
彼らもまた、オリジナルと同じ想いを持つことができる本物と同じなんだと思いたいです。
本と恋する物語。

たとえ設定されてしまったり、魔法の本が壊されると死んでしまう『化物』だったとしても。
彼らの想いは、設定に縛られず生きていたのだと『信じさせてください』
だから、紙の上の存在の『瑠璃』は人間の『かなたちゃん』と付き合える。
かなたちゃんはそれだけ強い存在だから。だから彼女が好きです。
そして、4章以降の物語は現実の物語として存在すると思いたいのです。
彼らは偽物でありながらも、本物(想い)だと思いたいのです。

理央ちゃんの悲痛の願いを借りるのなら



               『BADEND』なんて呼ばないで。










まぁ言ってしまえば、読み手側(プレイヤー)にとっては、彼女たち、物語の存在は全て、電子媒体上の偽物でしかないのですが。
だからこそ、その偽物でしかない彼女たちの物語に夢中になるのがエロゲーマーなのですが。





②クリソベリルを許せるか
 A.結論から言えば、登場人物の彼らが許すのなら、私は許しても良いと思います。
  というか、彼女に対してはもはや憎いという感情よりも、ただただ不器用で真っ直ぐで、
 という感情しかもてませんでした。


 彼女はかつて凄惨な過去がありました。
 同じ外見を持つ夜子に幸せの可能性があることに嫉妬し、
 同時に幸せになりたい と願う少女でした。

 クリソベリルだけが悪役だとは、私にはどうしても思えないのです。
 敢えて言うなら、かつての過去の父親、周りの環境こそが悪か。
 彼女も被害者(加害者)の一人であり、彼女の幸せも望むことで、夜子の幸せが叶うのならば。
 読み手である私自身の感情など、瑣末なもの。

 そして、そこに対して妃さんがどう思うか。それももう、想像、空想でしかありません。
 ここからは私の妄想です。
 ただ、もし仮にここで妃さんがいるのならば。
 アパタイトの日常を、笑顔の図書館を、夜子の幸せを願った彼女ならば。
 クリソベリルのことを許さない彼らより、許す笑顔の図書館を望むのではないでしょうか。


 クリソベリル、彼女の存在がいなければ、かつての悲劇はなかった。
 妃も死ぬことはなかった。これは事実だと思います。
 ただ作中の瑠璃が言うように、全員に責任があると彼らが前を向こうというのなら。
 私は彼らを尊重したい。

 妃が本を開かなければ。夜子が欲望を望まなければ。
 クリソベリルが魔法の本を壊すことで物語が終わることを教えていれば。
 悲劇がおこらなかったとしても。

   言ってしまえば、同情です。偽善者的な考え方かも知れない。
 でもそれが私の感想です。






 まぁこの考えも、自分だったら許せるかどうかについてを、作中の登場人物の言動を根拠に並べ上げる逃避でしかないのですが。



③エロゲのタブー、伏線ミステリーゲーとして
 結論から言えば、今作品は伏線ゲー、ミステリーゲーとして評価が高いか、と言われると違うと思う。
 確かに、「あの時の発言はその狙いがあったからか」、「そうここで話がつながるのね」
 という面白さはあったものの、魔法の本の存在はあまりにもご都合主義であり、
 後出しされる設定の多さ。
 キャラは物語の設定に翻弄され、この物語の駒のように動いていく。
 このあり方、エロゲとしてはあまり褒められたものではない、とは思うんですよね。
 『設定』を強要させる登場人物、魔法の本による影響はどこまでがそうなのか。
 少なくとも確証のある3章までしか確実にエロゲの登場人物として物語を見ることができない。
 なぜなら、それ以降にはどうしても『設定』という内容、魔法の本がちらついてしまうから。
究極的に言ってしまえば、最初からライターの主張を貫き通すために全てが設定してあるように感じてしまうかもしれない。

 純粋に物語を見るためには、「読み手がどこまで割り切るか」に委ねられる。
 読み手側は、第3者目線を強要させられ、登場人物に感情移入することが難しい。
 だから、このエロゲはあくまで「読み物」として評価されることが多い。
 そんな気がします。

 私がそれでもこの作品を面白い、と捉えたのは、その読み物に私自身が割り切って翻弄されて、
 めくるめく「前提条件が覆される」ライターの構成展開が面白かったから。
 同時に、その中で輝くキャラクターたちの想いが、どうにもならない想いが好きだから。
 そして、このエロゲではなかなかに踏み出さないであろうキャラへの扱い方が新鮮で、私自身が
 このエロゲが一つの方法として楽しめた。

 
 同時に、このライターの主張、展開があまりにも強い作品は評価が真っ二つに別れてもおかしくない
 と思う。まさに劇薬。毒薬。
 ある意味、OP、EDもなく、SEもない、徹底した紙媒体を意識した今作品
 エロゲというものは「紙の上の物語」でしかないという、ライターの主張なのかもしれない というのは考えすぎですかね。
 なんか上手くまとまらないですね。わかりにくい感想です。
 

 以上3つが、この作品が評価分かれそうだなーと思う点であり、
 自分はどう思うか の記憶保持のためのメモです。



 ④以下は各キャラへの感想。

 ①かなたちゃん
 名探偵かなたちゃんです!!!
 一番大好きな彼女です。
 彼女の笑顔には何度助けられたことでしょうか。
 絶望が待っていたとしても、現実に打ちひしがれたとしても
 彼女の「スマイルスマイル!」といられる彼女の笑顔、私自身が惚れました。
 彼女はとても強い、強いヒロインでした。
 無理をしてでも笑顔でいる彼女が時に辛く、ただそれでも笑顔でいる彼女。
 瑠璃が設定を書き換えられ、たとえ彼女を憎い感情に覆われたとしても。
 笑顔のままで、ありのままを受け入れる。
 汀に瑠璃が襲われそうになったとき、笑顔で身を挺いて守る姿。
 その彼女の強さがあったからこそ、この物語があったのだと思うのです。

 最初はなんだろう、うざかわいいキャラかな?と思いました。
 今ではその笑顔に出会えただけでも良かったです。
 私の中で、今作品の「メインヒロイン」枠です。

 そんな強い想いを持つ彼女には、瑠璃が紙の上の存在かどうかなんて些細なものなのだから。


 『私の愛情は、海よりも深く山よりも高く!誰よりも健やかに、そして力強く!
 真っ直ぐで素敵な輝きを放ちながら、一途に向けられているものなのですよ!』

 『私は瑠璃さんのことが大好きですよ。こんなにも大好きなんです。
  どうかそれだけは、わかっててくださいね』

※クリソベリルに、憎悪の設定を植えつけられたシーンについて



 ちなみにこの時、魔法の本によるクリソベリルの設定に抗えたのは謎ですね。
 クリソベリルの力が、闇子や夜子ほど強くなかったからですかね。



 ②理央ちゃん

 彼女は私の中で、一番感情が揺さぶられました。
 本当に良い子なんです。天使ちゃんでかわいくて。
 たとえ設定で雁字搦めだとしても。
 たとえ設定で「夜子の幸せを願う」存在だとしても。
 彼女が願う幸せのカタチ。みんなで笑う図書館の幸せ。
 その時の彼女の想いは本物だと、あの笑顔を本物だと思いたいのです。

  

 同時に彼女が一番本当に幸せな恋心のあり方を理解していました。
 それは、夜子ルート、クリソベリルとの対峙シーン。

 クリソベリルにとって、「夜子の幸せ」こそが絶対であり、
 そして魔法の本によりその幸せを確定させようとすることこそが全てでした。
 その方法が最後のページ「四條瑠璃が、遊行寺夜子のことを好きになる」加えること。
 しかし、これは恋心まで魔法の本によって強制させてしまう、ある意味禁じ手。
 それを理央ちゃんによってページが破られていたことが今回のシーン。

 今までいろんな感情が魔法の本により強制させてきたこともあり、
 虚しくもあぁそうくるよなと、感想を持って読んでいたのが記憶に残っています。

 クリソベリルにとって、魔法の本こそ全てであり、彼女らしい最後の言葉。
 そして同時に本当の恋心を願った理央ちゃんらしい言葉。

 クリソベリル「最善を尽くして何が悪いのかしら?99%間違いがなくたって、
        1%に躓くかもしれない!リスクを犯す必要なんてどこにもなくて」
     理央「けれどリスクを犯して手に入る幸福が、夜ちゃんを本当の意味で救ってあげられる」
       「パンドラの箱の中に真実を閉ざしてもいいけれど
        未来を騙る必要はないんじゃないかな」
       「それが、人を好きになるってことだと、理央は思ったのです」

魔法の本による感情は、紙の上では絶対だとしても、同時に魔法の本がもし壊れてしまったら
その感情の全てはなかったものになるわけで。
紙の上の存在である理央にとって、本当の救いとは、紙ではなく自分自身でその幸福をつかむことであり。
紙の上の存在だからこそ、夜子には本当の幸せを掴んでほしいという願い。
同時に、それは紙の上の存在である自分の恋心は違うものだと否定する答えであり。

ローズクオーツを経てきた理央ちゃんに、そんなこと言わせないで。
理央ちゃんが良い子すぎてさ。このシーンで、もうさらに理央ちゃんが大好きになった。
泣いて夜子の祝福を願う理央ちゃん。
たとえその設定ですら闇子さんに作られたものであったとしても
その感情、想いは理央ちゃん自身の本物だと思います。



そして、最後の瑠璃への想いを託すシーン。




「……こんなことなら、最初から恋心をなくしてくれたらよかったのに」
「失恋の痛みを知ることもなかったのに……!」
「最期まで、好きだって、言えなかった」

理央は理央のまま、告白することすら出来なかった。
紅水晶の物語にのっかって、吸血鬼のふりをすることでしか、想いを伝えられなくて。

「だけど、だけど、理央は」
それでも、普通の恋愛すら出来ないまま、痛みだけの失恋を経験しても。
「瑠璃くんを好きになれて、幸せだったよぉ……!」

やっぱり、さっきの言葉は嘘でした。
どんなに苦しくても、どんなに辛くても、恋心を知って良かったです。
紙の上の存在の、理央でしたけど。
紙の上に縛られ続けた、理央でしたけど。
それでも、伏見理央の伏見理央の初恋は───紙の上ではなく、この現実世界に咲いていたと信じさせてください。
「大好きだったよぉ……!」

直接伝えることも出来ないまま、一人虚空を叫び続ける。
願わくば───次に生まれ変わったときは。
普通に恋を伝えられる、普通の女の子として生きたいな
二人の幸せを願いながら、傍観者の恋心は終焉を迎える。
明日からは、幻想図書館の給仕さんとして、みんなに笑顔を届けよう。





たとえ傍観者であっても、みんなの幸せを願う彼女でも。
彼女のその恋心は『設定』にない本物。
BADENDなんて呼ばないで。 それは彼女にとって、ハッピーエンドなのだから。
登場人物の彼女がそう言うのなら、私もそれを尊重したい。



③妃さん
 彼女はなかなか語ることが難しい。
 なんというか、私自身が語ることすら冒涜なのかもしれないと、意味不明なことすら思う。
 彼女の意思は表では気丈に振る舞う姿がありとても強く、
 同時に裏では瑠璃のことを一途に思う、些細なことで気になる弱さ、そんな存在でした。
 予約特典シナリオの、蛍の代弁が全てなんだと思います。
 彼女の瑠璃を思う一途な、あまりにも大きく一途な想いは、誰にも否定されない強さだと思います。
 だからこそ、彼女の想いは紙の上の存在ではない。
 むしろ自分というあり方、紙の上の存在の中にその思いが宿ることすら許されない。
 だからこそ、彼女が紙の上の存在として最期に残ることはなかったのだと思います。

 ここが、さらに『紙の上の存在』が本物か偽物かの議論になる。
 もし残っていたら、彼女の口から語られる幸せがあったのなら、もっと議論はなかっただろうから。
 『恋に敗れて、死んでしまえ』

 紙の上のシナリオで描かれる中で、彼女はそういったシナリオから脱却された存在でもあるように同時に思う。ライターであるルクル氏の思惑ですら脱却されてそうせざるを得ない存在というか。

 意味不明な話をしてますね。すみません。

 
 にしても、妃ちゃんの猫声、「にゃあ~」って可愛さ 反則ではないですか。
 それに瑠璃が引越ししたあと、すぐに連絡をくれると言っていたのに連絡がないことに
 不満な妃さん。電話が鳴ると、びくっと瑠璃かと思い反応する妃さん。
 蛍に瑠璃への愚痴を言う妃さん。 全てが可愛かった。


 一緒に不幸になりましょう? それこそが彼女にとっての幸せ。
 最初はどのような意味かわからなかったけれど、最期になってわかるこの言葉の意味。
 兄妹が結ばれることは、世間一般から見ると不幸な結末しかないことが、彼らにもわかっていて。
 そして不幸になるというキーワードが彼らの中の一つの合言葉で。
 そして一緒に不幸になるということは、その不幸の隣には必ずあなたがいる。
 だから、妃が死に、瑠璃が首を吊る不幸は、彼らにとっては願望の姿がカタチになっただけ。

   たとえそれが、サファイアによる影響の記憶齟齬による後押しがあったから、
 二人が恋人関係になっていたとしても。
 9章のホワイトパールの残滓、妃さんの言葉を借りるのなら、

 「私と瑠璃は、正しい恋人関係ではありませんでした」
 「あれは、パンドラのあらすじが紡いだ、引き合わされた恋心です」
 「ですが、きっかけは偽物だったとしても、その中身は真実ですよ」

 彼女たちの通じ合っていた想いは本物です。



 「どうかこの悲劇を、喜劇にしては頂けないでしょうか。誰もが滑稽だと笑うことの出来る、愉快な喜劇へと」

「そして許されるのであれば、私の恋を叶えて下さい。そう、たった一度で、構いませんから」

「神に誓って、私は生涯をかけてあなたを愛しましょう」



───翌日、首を吊って死んでいた。 

当たり前のように、死んでいた。 

冷静さを貫き通して、死んでいた。 

まるで、そうすることが自然な事のように、死んでいた。 

愛する妹の後を追うように、死んでいた。



ざまあみろ



まるで、この物語の思惑通りにいかせないよと、読み手である私自身にも向けられたようなセリフ。

このシーンが一番大好きです。





④夜子
この物語は、夜子さんが主役の物語であったと思います。
引き籠もりであった彼女、迫害された過去を持ち誰とも関わらない彼女。
その彼女が、瑠璃との失恋を乗り越え、他者と関わりを持ち、紙の上ではなく現実世界を生きていくための成長の物語。


夜子には口癖がありました。
それは「キミのことなんて大嫌い!」
正直最初、彼女のことがあまり好きになれませんでした。
なぜなら、好感度はマイナス、ただ瑠璃のことを否定する彼女が理解できなかったから。


プレイ済の今なら、夜子のことが大好きになれそうです。

「大嫌い」という否定の言葉は、夜子が他者との関わりを恐れる言葉であり。
かつての迫害された過去からの他者との関わりの否定であり。

「大嫌い」という拒否の言葉は、夜子が魔法の本の欲望が自分が引き起こしたことだと知り、
大好きだったみんなに拒否されることが怖くて。
自分から関わりたくない、ずっと孤独でいたい、という彼女の答えで。

「大嫌い」という憎しみの言葉は、愛情の裏返しであり。
それほどまでに瑠璃のことを愛してしまったのだと。


夜子『──瑠璃のことを、殺したいほど愛してしまったの』


夜子の一世一代の告白、なんて夜子らしい不器用な告白なんだろう。
そんな彼女の精一杯の姿が、本当にとてもかっこいい。
かつてのあの姿をずっと見ていたから、夜子の成長した姿は何よりも尊い。



きっと彼女はいつまでも瑠璃のことを「大嫌い!」と言うのだと思います。
それが、不器用な彼女なりの表現方法だから。
だから瑠璃は最初から最後まで「大嫌い」と言う彼女を好きになる。
「嫌い」という感情は他者に興味を持つ感情、「好き」の裏返し。
そこに恋の芽生えがなくても、夜子と瑠璃、図書館には幸せの空間が有り続けるのだろうと思います。

不器用な彼女の成長物語。
めでたし、めでたし。



そんな物語の1役として、脇役として姿を消すなんておわらせ方で許さねーよ。
そんな叫びが聞こえてきそうな、蛍代弁 妃の思い。 ざまあみろ。 ですかね。
私はそれでも、妃さんは、この幸せな空間を目にしたのなら、これも良かったですと
思ってくれると信じたい。

いっそ、妃の存在をもう一度本で作り出してもいいと、そう思うくらいには。
それを許してしまうくらいには、私もこの物語で倫理観がぶっ壊れているかもしれない。 

 



○総評

 何度、何度感情がかき混ぜられたか。
 「そこでその選択肢を読み手に選ばさせるのかよ……。」
 「もう許してくれよ」
 「いやまた前提条件が覆されるし、もうどこまでがどうなんだ」
 「いやそういうことかよ、なるほどね うわーこれ救いがねえよお」
 何度呻いたか。もう助けてかなたちゃんって何度なったか。

 それぐらい展開に呻いて、感情を揺れ動かされて、
 それでも読み終わった今では、まるで一つの物語を読んでいる展開に楽しかった。


 感情が揺れ動かされる楽しさ。確かに面白さがあった。
 しかし、なんていうかエロゲの楽しさではないというか、読み物としての楽しさ。
 一つの結末が描かれた話に、最後に着地するまでの展開を一緒にハラハラして読む楽しさ。
 言葉にしづらいのだけど、ある意味「読者」としての楽しみ方をさせられた
 エロゲーマーへの皮肉が満載のようなお話。

 なので、素直にこの作品は、私にとって『楽しかった』


 ありがとうございました。