ランス10をプレイし終えた後、ランスクエストを再プレイしての感想(クルックーのための感想になってしまった)。冒険者の物語、楽しかった。※ネタバレ注意
アム「私は神を殺すことにしたの」
クルックー「神は殺せませんよ。神とは世界そのものです」
アム「わかってるわ、それでも殺して見せる
ほんの少しでも神を憎む気持ちがあるのなら、この手を取りなさい
そして共に神を殺しましょう」
クルックー「まぁ……どうでもいいです……」
「ただ、今、ランスがいる世界と、この時間は邪魔させません。
───たとえ、相手が神であろうと。
私が守ります」
(ランスクエストマグナム、最終局面の、アムに対するクルックーの答え)
私がランスクエストを再プレイしようとしたのは、ただの気まぐれでした。
ランス10を発売日にプレイして、第2部の感動の締めくくりに満足して。
それからなんとなしに、DMMでDL発売している情報を見かけて、久しぶりに起動したら見事にデータがぶっ飛んでいるのがきっかけでした。
ランスクエストについては、発売日に買ったけれど正直に言うと記憶が曖昧でした。
パステルのモルルンと、リセットが可愛かったなぁという記憶と。
そしてマグナムで女神の真実を知ったクルックーと、
ランスがアムの答えに対して、打ち破ると、そのようなストーリーだったぐらいの記憶でした。
あとシィルが氷漬けから治らなくて、また次回までおあずけか!ってなった記憶。
ただ、やりたいと思ったのは、ランス10、特に第2部のリセットが本当に大好きで、
当時初登場だったときのリセットに会いたいなぁとか、そんな気持ちだったと思います。
いざプレイしてみると、やはり楽しい。
モルルンによるレベリングシステム、BGMの完成度、キャラゲーとしての和みあり笑いありの楽しさ。
ランスクエストってとても平和で、いつまでも楽しいんですよね。浸っていたい楽しさ。
そして、いよいよリセットの登場。このリセットがまたとてつもなく可愛い。
おとーさん!ってランスに懐くシーン。
おかーさん!そんな危険なことしちゃダメ!ってパステルに怒ったり、
でもおとーさんとおかーさんが仲良しなことにえへへって笑うシーンだったり。
ガハハって笑うリセットをいつまでも見ていたい。
親バカなランスにパステルに、リセットに癒される仲間たちに。
全てが尊い。全てが優しい世界。何度和やかになったことか。
でも、ランスクエストマグナムってそれだけじゃなかった。そんなことも忘れてました。
それが、マグナム部分のクルックーのシナリオです。
ランス10、特に第2部をプレイしたからこそ、この時からクルックーの物語が始まってたんだなって
改めて理解しました。忘れてました。
以下備忘録にクルックーについての感想を記します。
ランスクエスト初登場時、クルックーはAL教徒であり、法王に次ぐ司教の一人。
ランスに会う前までは、AL教の教えこそ全てであり、AL教が彼女にとっての判断基準の世界でした。
その頃は無表情無愛想(今でもそんな変わらないとかそんなことない)
そしてランスクエストにランスに会うことで、一緒に冒険をすることになる。
それはバランスブレイカーの収集や、事件の中心であるランスに同行することで、解決するためでした。
でも、そこはランスという冒険者の冒険。そんじょそこらの冒険とは違う、波乱万丈に満ちた冒険でした。
その冒険ぶりは、プレイヤーである自分も一緒に体験しているもので、クルックーにとってはどれだけのものだったか。
ランス「まず自分が楽しく喜ばないと、他人を喜ばせることはできない。これが基本。
自分を犠牲にして助ける、そんなのは偽善というんだ。
大体お前、無表情すぎる。元はいいんだから、表情豊かになると、もっと可愛くなるぞ
よーし、決めた。お前を笑わせてやろう」
クルックーを助け出したシーンにて。
クルックーが変わることになった重要なきっかけのシーンだと思います。とても大好きなシーンです。
今までAL教が全てだったクルックー。女神ALICEにより、神々と世界の真実を知って。絶望して。
きっと、クルックーもアムのようになる可能性はあったのだと思います。世界を神を殺すと。
ただクルックーにはランスがいました。一緒に冒険して。
クルックー「もう冒険にはご一緒出来ないかと思います」
ランス「お前が来たければ、来い」
ランスがいたからこそ、変わることができて。
ランスがいたからこそ、この世界ではない、ランスがいるこの世界を好きになれて。
ランスがいたからこそ、この世界ではない、ランスがいるこの世界を守りたいと思うようになって。
アム「私は神を殺すことにしたの」
クルックー「神は殺せませんよ。神とは世界そのものです」
アム「わかってるわ、それでも殺して見せる
ほんの少しでも神を憎む気持ちがあるのなら、この手を取りなさい
そして共に神を殺しましょう」
クルックー「まぁ……どうでもいいです……」
クルックー「ただ、今、ランスがいる世界と、この時間は邪魔させません。
───たとえ、相手が神であろうと。
私が守ります」
そして、彼女の出した結論が、ランス10の第2部でした。
アムの答えもある意味間違っていたわけではなかったと思います。
ただ、アムは世界全てを愛していたからこその結論で。
そして、クルックーは、ランスがいる世界を愛していたからこその結論で。
アムがいたからこそのクルックーだと思います。
あぁ、なんでこんな大事なこと忘れていたんだろうといいますか。
ランス10の第2部って、ランスのためのシナリオであり、リセットの物語でもあり、
もちろん子供たちの物語でもあり、そしてクルックーのための物語でもあったんですね。
そんな大事なことも忘れてました。
アムはルドラサウムを
「世界で唯一愛も知らない哀れな子」
と表現しました。
その何も知らないルドラサウムに、冒険の楽しさを教えてあげたのがクルックーでした。
それは、かつて何も知らない自分に、ランスが冒険としての楽しさを、自由を、仲間を教えてくれたように。
ランスって、勧善懲悪の物語でもなく、勇者の物語でもなく、英雄ランスによる冒険者の物語なんですよね。
ランスは誰のためにも冒険するのではなくて、ただ自分のために、欲望のままに成し遂げる。
ランスの英雄の姿は、悪でもあり、善でもあり。でもその成し遂げる姿に惚れる。
思うがままに自由奔放、それこそがランスの物語でした。
謙信「あの方は……風だ。風は……自由に吹いているのが一番なのだ……」
ランス10の第2部。ランスの物語と比べると、毛色が違います。
それは、ランスの子供たちによる、友情と青春の物語。そこには冒険の楽しさが詰まっていました。
プレイヤーが一緒になって体験しました。
きっと、ランスの物語も、子どもたちの物語も本質は一緒なんだと思います。
「旅は楽しかったですか?」
最後のクルックーママによる笑顔が、ランスクエストを再プレイし終えて、一気にフラッシュバックしてきました。
あぁ、この物語は、ランス10の第2部は、このランスクエストで得たクルックーの冒険の楽しさを伝えるための
物語だったんだなと。
もちろんそこには、ランスがいるこの世界を守るために、この時間を守るためにという目的があります。
ただ、それ以上に、私たちプレーヤーも一緒にこの冒険の楽しさを味わうことができたことが、
何よりもランスというシリーズが冒険者としての楽しさを味わうことが出来るエロゲだったんだなと再確認しました。
もしかしたら、ランス10をすでにプレイし終えて感想を見ている他の人には、
そんなことも理解できずランス10が良かったと言っているのかと言われると恥ずかしいけれど。
かつて、ランスが冒険した楽しさを、子供たちも味わいそしてこの世界を堪能すること、
ランスとしてのシリーズの全てを詰めた作品として全てという感動はあったけれど。
実は、自分はクルックーの立ち位置をしっかりここまで思い入れてプレイしてませんでした。
クルックーのこの思いがあって、このランス10があるということに、再プレイをして
改めて気づくことができました。
だからこそ、余計にランス10がプレイしたくなる……。
当時ランスクエストをプレイしていたときには全く感じなかった感想を、改めてプレイして抱きました。
ますますランスワールドが好きになりました。
ランス10の後に、ランスクエストを再プレイ出来てよかったです。
また近いうちにランス10がプレイしたいです。
ありがとうございました。
※感想に誠に勝手ながら、以下URLのMADを参考にさせていただきました。
神MADだと思います。ありがとうございます。
【MAD】世界を彩っていく【ランス10】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm33594361
※ネタバレ注意