市民、貴方は幸福ですか?
※途中かなり脱線して『CARNIVAL』『SWAN SONG』の感想みたくなってますがご容赦下さい。
このゲームの主人公である前島鹿之助君の名前というのは、
戦国時代の武将である山中鹿之助から付けられたものだという。
山中鹿之助といえば、かつて中国地方で栄えながらも毛利氏との争いに敗れ滅亡した一族、
尼子氏の再興に生涯を捧げた人物であり、『我に七難八苦を与えたまえ』などと月に願った逸話で知られる戦国史上屈指のパンクロッカーである。
で、瀬戸口廉也と尼子といえば尼子司。言わずと知れた、『SWAN SONG』の主人公である。
尼子再興、即ち司君の遺志を継ぐ者として、また史上何度も何度も失敗しながらめげずに再興運動を起こした山中鹿之助の名を継ぐ者として、
前島鹿之助君も立派に不屈の精神を持つ少年として育った。ように見えた。
実際、石動千絵と樫原紗理奈という二人のルートを歩んでいた頃の彼はそうだった。
一つ年上の幼馴染の手を引き、時には円陣を組み、「ロックンロール!」の叫びをもって千絵姉を鼓舞する鹿くん。
急ぎ過ぎた親世代の反省を踏まえて、それはもうじっくりと、他ヒロイン達が卒業だの五年後だのまで描写する中、
ただ一人夏休みが終わるまでという作中屈指の時間経過の短さを誇るレベルでじっくりと時間をかけて、
やってることはヒロインではなくそのおじいちゃんの攻略というエロゲ的にそれはどうなんだ紗理奈ちゃんルートの鹿くん。
でもおじいちゃんが鹿くんの名前呼ぶとこでわんわん泣いちゃうあたり私にとっての最萌えヒロインはおじいちゃんだったのかもしれない。
エロゲプレイヤー的にそれはどうなんだと自問自答するところしきりである。
でも、本当に鹿くんが鋼の精神を持っているかというとそうじゃないよっていうことは、
テニス部時代に一度ぶっ壊れた時点で分かっていたはずだったのだなあ。
今作品の真ヒロインであるきらりルートにおいて、ついに前島鹿之助はヒーローとしての力を失う。
END1におけるきらりの死、そしてEND2におけるきらりの父親の死。
この瞬間をもって、鹿之助君は『救う側』から『救われる側』の存在となり、
彼に代わって椎野きらりこそが、物語における救済の担い手となるのである。
ところで、イエス・キリストがキリスト教において神の子として信仰されている理由は、
イエスが死から蘇ったこと、即ち『復活』という奇跡を果たしたことによるとされている(すごいにわか知識)。
END1におけるきらりはその死後、幻覚として鹿之助の前に『復活』を果たす。
鹿之助は夢の中で彼女に導かれ、五年前に流すことの出来なかった涙を流し、『大丈夫になってしまう』。とても残酷なことに。
そしてEND2であるが、これはEND1、即ちきらりの死を一度は体験しなければ到達出来ないルートであり、
END2のきらりも我々プレイヤーから見れば『復活』を果たした存在なのである。
そのEND2において、きらりはプロのスカウトに声を掛けられ、メジャーデビューへの道が開かれる。
しかしきらりは悩む。父親が死んでから、とんとん拍子にことが運び、問題が解決し、状況が良くなってしまうのが、なんだか気に入らないのだと言う。
>「お父さんにも悪いところはあったけど、でも本当にかわいそうな人なんだよ。それに、優しかったんだ。
> 信じてくれないかもしれないけど、本当に優しかったんだよ……」
> きらりは訴えるように僕を見る。
> 僕は、頷く。
> 優しいとは、思う。
>「そうだよね。なのに、生きてるときには良いことが全然なくて、いなくなってから、
> こういうラッキーが立て続けに起こるなんて、なんだかバカにしてるよ。
> 歌のことだけじゃなくてさ、借金のこととか、色々ね。へんなの」
『馬鹿にしてやがる』
私はきらりのこの言葉に、クワガタが地震で瓦礫に押し潰されたときの尼子司くんの怒りを重ねる。
クワガタ許さない星人であるところの私は彼女の怒りにドキッとしてしまう。
だって、私は↓の鹿之助くんの主張に全面的に同意するマンなのである。
>「優しくても、苦しんでても、本当はすごくいい人でも、やっぱり行動に反映出来なかったらだめなんじゃないかな。
> 現実的に何かをしてしまったら、心でどう思ってても、無罪にはならないよ」
唐突に話は変わるが、千絵ちゃんルートでサブキャラとして登場した白神翠ちゃん。
『魅力的だけど攻略付加』としてちらほら名前が挙がっている彼女に、私はプレイ中クワガタの影を見ていた。
翠ちゃん攻略したい派の皆様方にはふざけんなと言われてしまうかもしれないが、
鹿之助君がハンドル切らなかったら実の母親だろうと轢き殺していただろうネジのハズレ具合といい、
千絵パパの不倫相手のおねーさんをイビり倒してる最中の『自分に正義があれば相手に何言っても許されるはず』ムーブといい、
その独善的な振る舞いがすごく奴と被ったのだ。
外見や性別を除いてしまえば、クワガタと彼女の違いは、鹿くんが言うところの『現実的に何かをしてしまった』かどうかでしかないとさえ思っている。
実際翠ちゃんがあそこでおかーさん轢き殺してたら皆ドン引きでしょう。そうでもない? とりあえず私はそう思います。
しかしきらりはこう反論する。
>「そうだね。そうかもしれない。理屈ではわかるんだけど、でも気になるの。本当に腹が立つの。自分のことながら、ヘンだなって思う。
> ……あのね、きっと、私には、世の中のほとんどの現実的なことって、どうでもいいんだっ」
> きらりは困った顔をしながら続ける。
>「貧乏でもいいの。つらくてもいいの。苦しくたって平気。うまくいかないことなんか一杯あるんだよ?
> 気持ちが負けて、間違えちゃうことなんか一杯ある。そんなの普通のことだよ。
> 私だったら、いくらでも許しちゃうのにな……。でも許してくれなかった」
>「でも、それは……」
>「いい、わかってるけど、わかってるけど、そういう降って湧いたみたいなチャンス、私は欲しくないんだ。
> それにね、私は昔から、出来ればいつか社会の歯車っていうか……うまく言えないけど、まわりと上手に馴染んだ優しい人になりたかったの。
> 私、穏やかなのが好き。歌は大好きだけど……」
> そこで彼女は俯き、上目遣いで僕を見つめながら、
>「……そういうキラキラした世界に行くのは、いやかな」
『世の中のほとんどの現実的なことって、どうでもいいんだっ』。
私には到底、これが自分と同じ人間の言葉とは思えなかった。
この感情は、佐々木柚香が尼子司に対して抱いていたものと同じかもしれないし、
或いはこの後、前島鹿之助が自身の罪を告白するにあたって抱いたものと同じかもしれなかった。
>「あなたは、自分で思ってるほど、取り返しのつかない間違えなんか、していないですよ」
>「尼子さんは結局、私のことを何にもしらないからそんなことが言えるんです。全部を知ったつもりになんか、なんていませんよね?
> そんないい加減なこと言う人じゃないですよね?」
>「きらりは人の良いとこばっかり見ようとするけどさ、でも、それじゃ大変だよ。
> 心のなかだけの話にしたってさ、世の中には、ちょっとくらいの長所なんか全部台無しにするくらいひどいことだってある。
> 例えば、嘘をついたり、知らないところで、何か恐ろしい裏切りをしていたり……」
罪人たちは彼らに言う。私の犯した罪を知るべきだと迫る。
それは俗に懺悔と呼ばれる行為であり、そういったものは得てして、聖なる者に向けて行われるものだ。
ギフテッド。神に愛された者。尼子司のピアノ。椎野きらりの歌。彼らは確かに、世界を変える力を持っていた。
前者はそれを失い、後者はそれに目覚める寸でのところで留まっている。人と神の瀬戸際で。
そして、その背中を押してしまう罪を、前島鹿之助は持っていた。
>「父さんを死なせたのは俺なんだ。ごめんな、オレ、きらりの大切な家族を殺しちゃった」
> 僕は最後にそう言って話を終えた。
> 話し終わったときには、僕の心は風の死んだ水面のように静かになっていた。
> きらりは何も言わない。
> しばらく僕の顔を見つめたあと、不意にうつむいて、
>「世の中って、むつかしいね」
> とつぶやいた。
> そのあとに生まれた十数秒の沈黙を、僕は一生忘れないだろう。
『キラ☆キラ』の感想において最多投票を獲得しているbottlearcherさん曰く、このシーンはドストエフスキーの『罪と罰』をオマージュしているという。
浅学であるところの私ははえ~と思いながらもこんなレビューを書いている訳だが(恥知らずにも)、
何故前島鹿之助君がこの『十数秒の沈黙』を一生忘れないだろうと思ったかといえば、
それはその瞬間こそが、椎野きらりが人間だった最後の時間だったからだろうと、私は解釈している。
>「あたし、やっぱりデビューするよ」
>「鹿クン、世の中には、悲しくて寂しいことがいっぱいあるね」
>「私ね、なんだか、歌わなきゃいけないことがあるような気がして来たんだ。もしかしたら、それは私の義務なのかもしれない」
>「私の周りの人は、なんだかみんなかわいそう。もう嫌だよ。本当はみんな凄くいい人なのに。
> だけど、おかげで、難しいことが一杯わかったんだ。悲しいことがいっぱいあったけど、わかったことは、すごくいいことなんだ。
> 私、この気持ちをなんとか形にしたいの」
>「ねえ鹿クン、わかる? 私だけがわかっちゃったのかな? だとしたら寂しいな。
> 鹿クンにもわかって欲しいの。元気を出して欲しいの」
かくして、椎野きらりはギフトに手を伸ばす。求めていた人としての幸福を捨てて、『キラキラ』の世界へと身を乗り出す。
『歌わなきゃいけないことがある』『義務なのかもしれない』そんな使命感を背負って。
私はこのとき、ああ、椎野きらりは神様になってしまったんだなと、思った。
かつて尼子司がそうだったように。ピアノで柿崎院長や佐々木柚香の人生を変えたように。人の一生を左右するような音楽を生み出していくのだ。
既にその兆候は存在している。STAR GENERATIONのボーカルである八木原こそ、椎野きらり教の敬虔なる信者にして、彼女を信仰し祭り上げた存在の筆頭だ。
END1において信仰の対象を失い、STAR GENERATION解散後もバンド活動を続けるも、インディーズシーンの荒波に呑まれて沈んでいった八木原。
そのままならない顛末は、解散ライブで新規レーベルの立ち上げを宣言し、軽やかに第一線を退いていったEND2のものとは対照的である。
一方、きらりの才能を認め、その歌声に確かに心を揺らされながらも、それに心の底から浸ることが出来ないでいるのがEND2の鹿之助だった。
>確かに、伝わった。きらりの凄さは。だけど、それが僕を幸福にはしてくれなかったのが、悲しかった。
>これは僕のせいだ。僕が、きらりに対して後ろ暗いことをして、勝手に遠くの世界に行ってしまったから。
>いままでだってそう近くはなかったが、でも、まだ一緒にいられたかもしれないのに。
そうやって塞ぎ込む彼は、決意を語るきらりの目と見つめ合うことが出来ない。輝かしいものを直視することが出来ない。キラキラと向き合うことが出来ない。
私はまた、彼のそんな姿に佐々木柚香を重ねる。椎野きらりには尼子司を重ねている。
これはもしかしたら、良くない解釈なのかもしれない。だって、END1で鹿之助君はこんなことを言っていた。
>「俺がシド・ヴィシャスって大っ嫌いなの知ってるだろ」
>「何でだろうなって考えて、最近わかったんだ」
>「あれはね、シドが嫌いなんじゃなくて、まつわる物語が気に入らないんだよ。それを賛美する連中も嫌いだな。
> 悲しくなるように自分で勝手に作って、自分で勝手に陶酔してんだ。そんなの、くそっくらえだよな」
>「連続性だとか、継続だとか、因果関係とか、死ぬほどどうでもいいってことだよ。瞬間が全てなんだ。
> 本人はそんなに悪い人じゃないと思うけど、くだらないメロドラマはごめんだ。人生を馬鹿にしてやがる」
私がやっていることというのはまんまこれなのだ。
『SWAN SONG』と『キラ☆キラ』の世界に繋がりなどない。
前島鹿之助に佐々木柚香の影を見るのも、椎野きらりに尼子司の影を見るのも、単なる私のこじつけであって、
それをさも事実であるかのように語って、これは素晴らしい発見だぞとしたり顔で語る私。
なるほど確かに、彼らの人生を馬鹿にしてやがる。馬鹿にしてやがる。この言葉突き刺さってばっかりだなあ。
とはいえ、思ってしまったものは仕方がない。大体、思い返せば『CARNIVAL』の頃から『キラ☆キラ』に繋がるパンクスピリットは生きていたじゃないか。
>「ねえ、木村君」
>「何?」
>「この世で一番大切なものって、何だと思う?」
>「ラブアンドピースかなあ」
>「即答しないで、少しは考えてよ」
>「じゃあ、セックスアンドドラッグアンドロックンロール。あと、仁義礼智忠信孝悌」
>「あのね、私が思うのはね……」
> あ、僕の発言無視された。
>「自由よ!」
>「あ、うん、そう、そうかも」
>「なんで、って聞かないの?」
>「いや、あんまり、その、普通だから」
>「あー、いや、普通の意味の自由じゃなくて、何て言うか、
> 信じるものとかやりたい事のために行動するのにためらう必要はないとか、そういう感じの、
> 信念、ってほど固くもなくて、もっとざっくばらんな」
>「じゃあ、ロックンロールで良いんじゃない?」
>「良くわかんないけど、そうなの?」
>「うん」
>「じゃあ、それで! ロックンロールで、生きていこうよ!」
うーん、泉ちゃんが好きだ。瀬戸口三部作全部やって結局一番好きなのは泉ちゃんだ。
彼女が『ヘイ、キッス! いえーい! うわーい!』と言ってくれなかったら、私は『CARNIVAL』を途中でぶん投げて、
『SWAN SONG』や『キラ☆キラ』まで手を伸ばすこともなかったかもしれない。彼女に出会えたおかげで今がある。
ヨハンナの洗礼名を持つクリスチャンでありながら、『私には神様は必要はないと思うし、神様の赦しなんかいらない』と言った少女。
本当の罪は人間だけの力では取り除くことが出来ず、人を最後に救うことが出来るのは神の愛だけだと語った神父に、
『そうなんですか? 人間はそんなに無力なんですか?』と食って掛かった少女。
全てを投げ打って学君と共に旅に出て、二人で馬鹿みたいなことを沢山やって、馬鹿みたいに楽しそうなセックスをして、
『うん、泉が、世の中の楽しみ方を教えてくれたんだと思う。感謝してる』と言われて嬉し過ぎて泣いちゃう少女。
天使か。
『CARNIVAL』の感想欄では学君と理沙の話ばかりで、泉ちゃんについて言及している方はあまり見られない。
まるで詠美とその妹とエロ警官(この辺はもう名前覚えてない)のようなその他大勢みたいな扱いである。
それでも確かに、泉ちゃんは『SWAN SONG』『キラ☆キラ』へと続く、瀬戸口作品のテーマの担い手の一人であったと思う。
学君(影)が言うところの、『人が人を助けられると思ってるバカ』の一人として。
さて、脱線はもう少しだけ続く。今度はもう一つ、『SWAN SONG』のEND1の話をしたい。
二度目の地震が起きて、クワガタは死に、あろえも死に、そして瀕死の司君と柚香ちゃんだけが残される。
自分がいかに醜く汚れた人間であるかを主張する柚香ちゃん。その必死な訴えを、司君はさらっと否定する。
『世の中のほとんどの現実的なことって、どうでもいいんだっ』
きらりちゃんの言葉が蘇る。
司君はあの手この手で、絶望に塞ぎ込む柚香ちゃんに対して、生きていくためのエネルギーを与えようとする。
けれど、希望を説いても、あろえの遺した像を立てても、柚香は幸せを追いかけようとしない。かつて持っていたピアノもここにはない。
ああ、後ほんの少しなのに。顔を上げるだけでいいのに。もどかしい。
幸せとは走る馬の目の前に吊るされたニンジンであり、あれは届かないように出来ているのだけれど、
それでも走りたいんだと、『CARNIVAL』の九条理紗ちゃんは語った。
『SWAN SONG』のヒロインである佐々木柚香ちゃんは、よくこの理紗ちゃんと類似した存在として語られる。
彼女たちの根底にあるのは、『助かるべきじゃない』という想い。
色々あってそうなってしまった二人であったが、作中において二人の迎えた末路は対照的である。
最後の最後でニンジンを追いかけるべく走り出した理紗に対して、最後の最後になっても走り出すことが出来なかった柚香。
その違いはどこで生まれたのかといったら、結局好きな男の子が生きてるかそうでないかに過ぎなかったんじゃないかと、
この柚香ちゃん怒涛の告白を聞いた今では思わなくもない。
>「尼子さんがどんな偉そうなこと言ったって、どうせもうすぐ死んでしまうじゃないですか。
> そんな怪我で、助かると思ってるわけないでしょう?
> それなのに、そんな言葉、あんまり無責任ですよ。尼子さんが死んだら私はここでひとりぼっちになるんですよ?
> 自分一人しかいないのに何かを好きになったって苦しいだけですよ。勇気なんか出てくるわけないじゃないですか。
> そんなこと言うなら、死なないでくださいよ。尼子さんが一緒にいてくれるなら、私は頑張って全部を好きになります。でも出来ないんでしょう!」
うーん。可愛い。
え、この台詞見て思うことがそれなの? って思われるかもしれないが、でもさあ、あれだけ内罰的な思考に囚われていた柚香ちゃんがだよ、
『尼子さんが一緒にいてくれるなら、私は頑張って全部を好きになります』ってさあ。柚香ちゃんは走り出せなかったって言ったけれども、
この言葉の中には確かに、走り出そうとする前向きなエネルギーがあったと思うのですよ。それを司くんときたら、
>「それは、別の問題ですよ」
別の問題じゃねえんだよォ!!(何かのネジが外れた音)
司君は最後まで『何か』に屈しなかったかもしれません。あろえの作ったキリスト像を立てました。立派です。何処までも強かったです。
でもね、一方的に押し付けすぎなんですよ。相手の気持ちに寄り添おうとする気が欠片も見られないんですよ。
『お願いだから、もっと考えてください』『それくらい、わかってくださいよ』『でも、あなたはわかってください』『わかりましたか?』
勿論、司君にも余裕がなかったのだと思います。何しろもうちょっとで死ぬのです。それまでに少しでも、彼女に生きようとするエネルギーを与えたくて、
それ以外のことが見えていなかったのかもしれません。いや司君だから平常運転かもしれない。
何にしても、司君が本当に口にすべき言葉はこっちの方だったと思うのです。
>柚香が泣くのはいやなんだ。僕は、笑って欲しかった。柚香の笑顔が結構好きなんだ。
>たとえ僕に見えなくても、そこで笑っていてくれるのなら、やっぱり嬉しいと思うだろう。
これこそを、司君は伝えるべきだった。柚香ちゃんにはそれが必要だった。『わかってください』で、済ませてはいけなかった。
けれど結局、司君はその思考から遠ざかって、いつものようにジョークでおどけようとして、それすらも思い浮かばなくて、
失われたギフトに想いを馳せて、昔のようにピアノが弾けたならという妄想に意識を伸ばして、全てが上手くいった夢のような世界を思い描いて、
>でもここにはピアノがない。
その強烈な一文で一気に現実へと引き戻されて、死ぬ。
私にはやっぱり、『SWAN SONG』のEND1を前向きに捉えることは難しい。
かつてのようにピアノが弾けたなら。柚香が泣かないで顔を上げれば。
それらの言葉は希望に満ちていて、けれど叶わぬままに物語は終わる。
まるで、目の前に吊るされたニンジンのように。
追いかけても追いかけても結局は届かないものなのだと、突き放されたような思いだった。
ところがどっこい、尼子司は転んでもただでは起きない男だった。
『SWAN SONG』のEND1は、以下の一文にて締めくくられる。
>僕はせめて太陽の輝く空を指さしたかった。
『輝く』という表現を擬音で表現するとき、真っ先に思い浮かぶ四文字がある。そう、『キラキラ』だ。
『SWAN SONG』において、確かに尼子司は救済を果たせなかったかもしれない。ニンジンに手は届かなかったかもしれない。
それでも確かに、彼はそこに至ろうとする意志を示し続けていた。けれど後一歩のところで届かなかった。それならどうするか?
ここでようやく『キラ☆キラ』の話に戻ってくるわけだが、私はこれまで『キラ☆キラ』について二つの話をしてきた。
前島鹿之助の名前の由来である山中鹿之助が、尼子氏の再興に生涯を捧げた人物であるということ。
椎野きらりが『復活』を果たした存在であるということ。
そして上記の一文。
これらを踏まえて椎野きらりという少女を再解剖した結果、私は一つの結論に辿り着いた。
といっても、勿体ぶるほどの話ではない。既に何度か言ってきたことを、改めて断言するというだけの話だ。
椎野きらりは、復活を果たした尼子司である。
>悲しくなるように自分で勝手に作って自分で勝手に陶酔してんだそんなのくそっくらえだよな
>連続性だとか継続だとか因果関係とか死ぬほどどうでもいいってことだよ人生を馬鹿にしてやがる
すいませんでした!!(吉沢先生に謝る第二文芸部一同の如く)
ここから更にきらりちゃんがやたらと鹿くんを女装させたがるのはTS衝動の表れだとか更なるトンデモ説にハッテン、
いや発展させようかとも思ったのですが流石に自粛するとして。
とにかく、私の解釈ではそういうことになった。散々脱線した末にようやく戻ってきた。
『キラ☆キラ』END2は『SWAN SONG』END1のリトライであり、この瞬間において前島鹿之助は佐々木柚香であり、椎野きらりは尼子司なのだ。
で、前回の反省を踏まえて司君は色々とバージョンアップを果たして帰ってきた。『SWAN SONG』において失われたギフトを取り戻し、
輝きを空ではなく自身の瞳に宿し、相手が俯いているのなら覗き込むことが出来る、より強引なエネルギーに昇華させた。
死の危険に瀕しているわけでもない。そういうのはEND1に置いてきた。大丈夫、僕はまだまだやれますよ。
で、そうやって救世主パワーを強化した結果、案の定椎野きらりは人間ではいられなくなってしまったというのは先に語った通りであるが、
では前島鹿之助=佐々木柚香の方は何が強化されたのだろうと言えば、それは勿論、犯した罪の重さに他ならない。
九条理紗や佐々木柚香の罪(だと彼女たちが思っているもの)というのは彼女たち自身の中にしかなく、木村学や尼子司に関わりのある事柄ではない。
しかし、前島鹿之助はどうだろう。彼の犯した罪は、椎野きらりとは切っても切り離すことが出来ない。そんな相手と生涯を共にする。
ニンジンはすぐ目の前にある。彼女が吊るして待っている。けれど、それを口にする資格が彼にあるのだろうか?
>恋人が、父親を見殺しにした。
>わかったようなことを言いながら、結局、前島鹿之助もきらりに悲しみと苦痛をもたらすサイドの人間だったんだ。
>その事実をどんな気持ちで受け止めているのだろう。
>僕は怖くて、想像出来なかった。
>そして、ずるいことをしたような気持ちにもなっていた。きらりの父親が自分の死の責任を僕に押しつけようとしたのに、
>僕は結局、守りきることが出来なかった。結局、きらりを苦しめてしまう。
>言ってしまってから、気がついた。きらりは優しいから、きっと赦してしまう。
>僕はもしかしたら無意識に、その赦しの言葉が欲しくて、こんなことを言ったのだろうか? だとしたら、なおさら最悪だ。
>刻一刻、気持ちが暗くなってゆく。どうして僕は秘密を守れなかったのか。
そんな資格はない。そう彼は思っている。
>「あたしが、一生守ってあげる」
> と彼女は言った。
>「……守る?」
>「今度はあたしの番だからね。言ってる意味、わかるでしょう?」
> きらりはとぼけた顔で、僕を見つめている。
> 僕は逆らいたかったけれど、今頭に思い浮かんだ反論なんか、きらりは全部お見通しのような気がした。
> こんな泣き顔で僕が何を抗弁しても、通用しないだろう。
> ちょっと悔しかったが、
>「……わかるよ。わからないって言ったって、どうせ許してくれないんだろ?」
> 負けを認めると、きらりは再び嬉しそうに笑って、
>「その通り! よし、それじゃあね、約束しようよっ」
> と言った。
それでもきらりは鹿之助を赦し、許さない。
かくしてここに、前島鹿之助の一生は決定づけられた。神に敗北した。逆らうことを放棄した。
そして数年後。そこには勤勉な学生生活を送り、立派な社会人を目指す、模範的な人間像を獲得した前島鹿之助の姿があった。
椎野きらりとの交際も続いている。学生時代の仲間との交流も。全てが順風満帆で、文句の付け所もないように見える。
>「お前やっぱりギターよりベースの方が良いよ。ベースとして、うちのバンドに参加してくれよ」
> ベースを演奏する僕に村上は真顔でそう言ったが、笑ってごまかす。
> ギターの方が伴奏には向いてるから、そうはいかないのだ。
ささやかなものを犠牲にして。
>みんな、前を向いて進んでいる。僕も、しっかりした会社に入って、しっかりした社会人になって、誰にも恥ずかしくない人間になりたかった。
>ちょっと不安はあるけれど、学生時代が終わるこのときを、ずっと待っていた。
>やっと僕は、自分の力で生きられる。
>これから、色々なものを返していかなくてはいけない。
>本当に、このときまでが、とても長かった。
END2ラストの前島鹿之助は、普遍的幸福を追求するマシーンと化した。
神のパートナーとして相応しい存在になるために、不幸であることを許されない人間になってしまった。
贖罪という言葉が頭に浮かぶ。前島鹿之助は椎野きらりという神に生涯を捧げ、彼女の価値観に殉じるのだろう。
キラキラした世界の中で、決してそれに浸ることなく。
夜の公園で、椎野きらりはこう語った。
>「あたしね、もし歌手になれたら、みんなが元気になるような歌が歌いたいな。
> 鹿クンが疲れたときはね、鹿クンのためだけにも歌ってあげるよ」
彼女がこれから先、鹿之助のために歌う日はやって来るのだろうか。
またその時に、彼女は一体どんな歌を歌うのだろうか? その歌を聞いて、鹿之助は何を思うのだろうか?
END2の前島鹿之助をどれだけ眺めても、答えは返ってこない。救済は成されたのか。彼の心は救われたのか。それすらも、見えてこない。
椎野きらりは生きている。前島鹿之助の恋人であり続け、歌手としても成功を収めている。
END1をきらり死亡ルートと称した場合、エロゲーとしてこれ以上のバッドエンドは存在しないように思える。
故に私は、END1を越えるバッドエンドとして、END2をこう称したい。
前島鹿之助死亡ルート。
Rock'n roll is dead.
罪人には二度と、熱いハートは宿らない。