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melo1009さんのボクはともだち。ファンディスク ~閑話、それから~の長文感想

ユーザー
melo1009
ゲーム
ボクはともだち。ファンディスク ~閑話、それから~
ブランド
はとのす式製作所
得点
80
参照数
865

一言コメント

いいですか皆さん。『ボクとも。』FDには実質スス子とバイノーラル録音で鍋デート出来る話が収録されています。目瞑ってプレイすると本当に実質スス子が隣で鍋つついてるような錯覚を味わえるんです。抱き着かれたりもします。嘘じゃありません。嘘じゃないんです。でも本編がないと起動しないのでまずは本編を購入しましょうね。長文感想は実質本編レビュー。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

という訳で本日も文字数にドン引きの皆様ようこそこんばんは。
改めて言いますがネタバレ全開でお送りいたしますので未プレイの方は回れ右してDLsiteへダッシュ。
私なんぞのレビューを読んでプレイした気になるのは勿体ないですよ! というのもですね、
色々な解釈を読んでみたいのです。友近達也君を始めとした登場人物たちの考え方とか、
それを通して伝わってくるライター様からのメッセージとか、間違いなく捉え方は人によって様々だと思いますので。
かくいう私の感想ですが、かなりの曲解が混ざっている自信があります。というより
『〇〇はこう言ってるけど実際のとこは△△じゃん…?』みたいなケースが多くて、
主張の部分に関してはイマイチ納得しかねる場面が多いというのが正直なところです。故に他の人の感想を読みたい。
お前間違ってるよと多くの人に言ってもらいたい。オレは納得したいだけだッ! 納得は誇りなんだッ! 的な心境。ニョホホホホ。

さて本編の感想ですが、あれこれ考えた末に最初に〇〇ちゃんルートの話をすることに決めました。
何故かと言いますと、このルートがプレイしてて最も友近達也君に共感し辛い内容だったからです。
『名作になりそこねた作品集』POVに本編を登録した理由は大体彼女のルートのせいです。
先に言っておきますが彼女自体にはそれほど罪はないのでファンの方々はどうか御乱心なさらぬよう。
それでは参ります。当然の如く物語の核心部分に触れる内容となりますので、最後の前置きになりますがネタバレ注意。



















・綾崎彰/金髪の美少女=綾崎綾乃
犯人はヤスばりにこのゲームの肝心要の部分をぶちまけてしまった感。もう何も怖くない。俺に前フリはねえ!
最初に白状しておくことがあります。私は見事に推理を外しました。彰君が普通の男の子じゃないことは勿論早めに気付きましたし、
隣子ルートでの凶行も友近君のやってきた友達ムーブそのままなのですんなり信じる筈もなく、
後は彰=綾乃であることを結び付けるだけの簡単な作業だったというのにその発想が全く頭に浮かばなかったポンコツです。猿と呼んで下さい。
何が私の思考を妨げたのか。それはおそらく『流石に主人公が真ヒロインをガチでボコボコぶん殴るようなルート普通書かないでしょ…』
とかいう甘い考えのせいでもあるでしょうし、事前にぬきたし2やってたせいで水引ちゃん的存在である可能性に思考がブレたせいでもあるでしょうし
(ルート入った頃には流石に男装一択で固まったけど)、後は隣子ルートで僅かながら友近君と金髪の美少女が会話を交わした場面、
あそこで一度金髪の美少女=綾乃/彰の可能性を完全に切り捨てたせいでもあったでしょう。
そう、FD未プレイヤーは決して知ることのない第五の"ヒロイン"。真・金髪の美少女。こいつの正体が本編中明かされなかったことも
綾乃ルートのマイナス要因の一つというか正体バレの時に納得いかなかった点。『全部が全部、勘違い……』うるせー馬鹿! ドイツに帰れ!
閑話休題。じゃあお前自分の推理が当たらなかったから綾乃ちゃんルートクソ認定してんのかとか思われそうですが、
その通りです。いや嘘です。理由は最初に語った通りです。綾乃ちゃんルートが最も、友近達也という主人公に共感し辛い内容だったからです。

>「……あんた、自由な意志ってあると思う?」

本編に続いて引用させていただきますが、『ボクとも。』レビュアーの一人であるmeroronさんは綾乃ルートをこう評しています。
『ボクともの解答編であり、最大の功労者に対するプレゼントのようなルート』と。言い得て妙だと思います。
綾崎彰という"主人公"に成りすますことで神様の目を欺き、友近達也の"ともだち"として彼に幸せを届けようと尽力した少女。
『ボクはともだち。』というタイトルの体現者とも言える彼女は、まさに真ヒロインに相応しい設定と格を備えていました。
こんな彼女が幸せにならなければ嘘です。彼女なしではこの物語は存在し得なかったのです。楠本命が"友達"の友近達也を愛したように、
我々プレイヤーも"ともだち"をやり切った綾崎綾乃という少女を愛してあげなければいけません。楠本命の愛情を肯定するのであれば、
友近達也は綾崎綾乃を愛してあげなければいけません。ということで友近君、楠本命を振りましょう。そうしなければバッドエンド直行ですのであしからず。
という実に理に適った文句の付けようのない構成となっているのが綾乃ちゃんルートであります。

見 事 過 ぎ て 気 に 入 ら な い ね ! !

要するに命ちゃんのヒロイン力が高過ぎたのが悪いんです。綾崎綾乃は楠本命という少女を振り切ってまで選びたいヒロインだったか?
という問いに答えてくれる内容ではなかったことが綾乃ルートの不幸の全てです。
なるほど確かに綾崎綾乃は八年もの間、綾崎彰として友近達也の"ともだち"を務めてきました。
友近君に"ヒロイン"を用意して幸せにしてあげようとしてきました。
それに比べれば楠本命はぽっと出です。綾崎綾乃とやってることは同じで、容姿や性格などを除けば後の違いは表に出てきているかどうかと寿命の差だけ。
そこで命ちゃんを選び綾乃ちゃんを切り捨てるということは、言ってみれば"ヒロイン"に対する"友達"の敗北を意味しています。
"ヒロイン"は"主人公"に置き換えてもいいです。表舞台に立つ彼ら彼女らを支える"友達"の素晴らしさを散々語ってきたこのゲームにおいて、
最終ルートでその根底を覆すような内容は許されません。故に真ヒロインは楠本命ではなく綾崎綾乃でなければならない。理屈。理屈。素晴らしい理屈。

>「自由な意志ってあると思う?」

綾乃ルートでは前三人とは打って変わって、山のような選択肢が用意されています。ヒロインの隘路、いわゆる
『選ばれなかったヒロインは不幸になる』という可能性をひたすら潰しつつ、綾乃ちゃん以外のヒロインを一人残らず振り続けることで
友近達也君は『全てのヒロインを助けられる本当の主人公』とかいう吐き気のする称号を得て、
綾崎綾乃ちゃんというゴールへと辿り着くことが出来るようになります。
そう、この友近達也君の理想の主人公像がまず私とズレてるんですね。恋愛物において主人公とヒーローが=である必要って別にないと思うんですよ。
全てを救う必要も責任も別にないんですよ。他のヒロイン助けてる暇があったらその時間を選んだヒロインのために使ってあげましょうよ。
両立しようとすると大抵選んだヒロインの方が割食いますからね。当の綾乃ルート自体や奈々瀬アフターなんかが良い例です。
まあライターさん自身も綾乃ルートをそういう作りにしてしまった自覚とか本気で全員を幸せにしようとするとどうなるかの自覚があるから
綾乃アフターがあんな内容になったりFDにあんなエピソード混ぜたりしたんでしょうけども。その話はおいおい。
選択肢の話に戻ります。綾乃ちゃんルートにおいて、友近君が命ちゃんを選ぶことの出来るチャンスは二度存在します。
その一つが3月2日、いつもの屋上にて気になる女の子は出来たかと実に五人もの選択肢を挙げる命ちゃん
(今思えばここで彰を選んでもバッドエンドにならないのが答えのようなものだった)。当然私は迷うことなく一番上を選びました。

>楠本、お前だ

この時の命ちゃんを拝まずして『ボクとも。』プレイヤーを名乗っている不届き者はいますか? いませんね?
攻略サイト覗いて正解だけ選ぶみたいなプレイスタイルしてませんよね? いないものとして話を進めます。

>命「わたしを……選んでくれて、ありがとう……」
>命「たくさんいる、"ヒロイン"から……わたしのことを、見てくれて……」
>命「とっても、幸せ」
>達也「まだ手ぇ繋いだだけじゃないか」
>命「でも、本当に幸せ」

ここで私が命ちゃんを選んだことを責められる謂れはあるのでしょうか。金髪の美少女ルートに入った後だろ? そうですね。入りましたね。
でもルート突入=ヒロイン確定って訳じゃないでしょう。派生でエンディング迎えられるヒロインとか幾らでもいるじゃないですか。
ヒナミルートの途中から礼ちゃんエンドを迎えられる『ぬきたし』があってもいいじゃないですか。いいですよね? 今がその時なんだよ分かるだろ?



>Bad enging.
>Bad next time, you will be able to choose the different future.



…………。



>「自由な意志ってあると思う?」



二度目の話をしましょう。3月21日、自身のルートと同じように倒れ伏し手術の時を迎える命ちゃん。
そして綾乃ルートの友近君もまた、命ルートの時と同じ選択を迫られることとなります。楠本命を"主人公"として救うのか? "友達"として救うのか?
綾乃ルートで前者を選んだ場合、こちらの友近君は"主人公"となる覚悟を決めて、同時に金髪の美少女に対する想いを忘れられるよう祈ることとなります。
その結果二人はどうなったのか。フェードアウトする画面。そして再び映し出される、



>Bad enging.
>Bad next time, you will be able to choose the different future.



>自由な意志って



この時に友近君が命ちゃんを"主人公"として助けることの是非は後で語るとして、とりあえずここで命ちゃんを選ぶとまたしてもバッドエンド扱い。
どうして友近達也は楠本命を振らなければならないのか。この時の友近君は金髪の美少女が気になっているから。だから命ちゃんとは付き合えない。
どうしてそんなに金髪の美少女がそんなに気になるのか。綾乃ちゃんの面影があるから。
綾乃ルートの友近君の思考には常に綾乃ちゃんの影がこびり付いています。
他のヒロインがどんだけアピールしてもその全てに綾乃ちゃんを重ねてしまう一種のメルクオリア状態と化しているのが綾乃ちゃんルートの友近君です。
そこにプレイヤーの意思が介入する余地はありません。綾乃ルートの友近君は綾崎綾乃絶対幸せにするマシーンです。
じゃあなんで綾乃ルートの友近君はそんなに綾乃ちゃんのことばかり考えてしまうのか。彰君の格好をした綾乃ちゃんがちょくちょく自分の名前を出すから。
綾崎彰という"ともだち"の立場から友近達也を幸せにしたい、そう考える一方でどうしても、綾崎綾乃として幸せになりたいという願望も捨てきれない。
その気持ちが意識的にしろ無意識的にしろ漏れ出てしまう。大変にいじらしいです。これは本心です。
本気で"ともだち"のままでいいと思ってるより万倍説得力があります。
初恋引き摺りっぱなしの友近君が引っ掛かるのも分からなくもありません。しかし。しかしですよ。



>「だ、だってわたしは……」
>「……ずっと前から、あなたのことが、好きだったんだもの……」
>「あなたには……複雑な事情が、あったから……」
>「わたしは……あなたが幸せに、なってくれるなら……それでいいと思って……」
>「ほ、本当は、こんなこと、言うつもりじゃ、なかったの。ずっと、秘密に……しておこうと……」
>「わたしは、ただ、あなたに……幸せになってほしい。わたしは、それ以外には、興味がないの」



本当に良く出来た物語です。
3月18日に放たれたこの命ちゃんの台詞は全て、綾乃ちゃんにも口にする資格がある台詞なんです。
この言葉に心揺さぶられたというのなら綾乃ちゃんにも靡かないといけないようになっているんです。
表舞台で直接想いを告げられる"主人公"や"ヒロイン"ではなく、その舞台を整えた"ともだち"にこそ目を向けるべきだと訴え続けてきた『ボクとも。』において、
楠本命の愛情というのは全て綾崎綾乃のそれに変換することが出来るようになっているのです。なんかもう何度も同じようなこと言ってる気がしますね。
それ故に私は『ボクとも。』の構成を賞賛し、同時に肯定し切れないのです。理屈に納得出来ても感情が付いてこないから。
この命ちゃん一世一代の告白を受けた日の夜にまで、綾崎綾乃の亡霊を追い求めて町を彷徨う友近達也君と心を一つにすることが、
どうしても私には出来なかったのです。



>「……あんた、自由な意志ってあると思う?」



先程から幾度となく引用しているこの台詞は、『ボクとも。』において唯一の『正答』を知る少女、風路隣子が自身のルートで口にした言葉です。
彼女は友近達也に訊ねます。お前は自分で何かを選択出来るのか。選択肢を用意された時、自分の気持ちで選べるか。
外的要因によって導き出された答えは自身の選択と呼べるのか。自由な意志を持っているのだと言えるのか。
綾乃ルートにおいて、綾崎綾乃は彰の姿であの手この手を用いて友近達也を誘導します。最初は比嘉那波を、次に風路隣子を、
そして最後には楠本命を友近君とくっつけようと画策するもその全てが失敗し、最終的には自分の下へと辿り着かれてしまいます。
一見それは、友近君が綾乃ちゃんの誘導に操られることなく、自分の意志で三人を振り、綾崎綾乃を選んだかのように見えます。
しかしその友近君の選択と私の選択がどうしても一致してくれない。一致するシナリオになっていない。私の自由意志が存在しない。

>「本当に神様がいるとするのなら、それは綾乃なんでしょうね」

先の風路隣子の問いかけは、この言葉から切り出されます。友近達也の芯に至る部分を完璧に貫いた台詞です。
綾乃ルートの友近達也は本当に綾崎綾乃の操り人形を脱却したのでしょうか。私にはより一層強固な糸で雁字搦めにされたようにしか見えませんでした。
全ての失敗は綾乃ちゃんの正体発覚をクライマックスに持ってきてしまったことだと考えます。ミステリー的面白さを優先するあまり、
友近達也が綾崎綾乃を選ぶ理由を『初恋』の一言で片付けてしまった結果、プレイヤーと友近達也の恋愛感情にズレが生じてしまった。
この間レビューした『とっぱら!』と同じやらかしですね。というか改めて考えると『とっぱら!』と『ボクとも。』には妙な類似性がありますね。
主人公にとって滅茶苦茶都合が良い表のヒロイン命ちゃん=美影と、姿を隠して主人公に幸せを届ける真ヒロインの綾乃ちゃん=ミドリ。
ああそうだ、彰=綾乃が思いつかなかった最初の理由思い出した。命ちゃん=綾乃の転生みたいなオカルト推理を途中まで引きずってたせいだ。
つまり『とっぱら!』が悪い。私が推理外したのも全部ミドリのせい。おちんちんが存在するのも妖怪の仕業だものね!

表舞台で輝く"ヒロイン/主人公"ではなく、舞台裏の"ともだち"をこそ愛した者。どこかで聞いた話ですね。まさしく楠本命嬢のことです。
しかし命ちゃんと友近君では"ともだち"を好きになった経緯が異なっています。というか友近君は別に
"ともだち"の綾乃ちゃんを好きになった訳じゃないんですよね。
"ヒロイン"だった頃の綾乃ちゃんが好きでそれをずっと引きずってたら知らない間に綾乃ちゃんが"ともだち"になってただけなんですよね。
これで両者を同一のものと扱って命ちゃんを肯定するなら友近君も肯定しろというのは無理がありました。ライブ感による詐欺でした。
ようやく綾乃ルートに対して言いたいことが纏まった感があるので終わり。あと三人のルートの話とアフターの話も残ってます。
もう誰も読んでねえな間違いなく。



・風路隣子
じゃあ綾乃ちゃんが"ともだち"という名の負けヒロインとして最高に輝いていたのはどこになるのかっていうのがこの娘のルート。
思い出の髪飾りを身に着けた金髪の美少女として夜の町を彷徨う、綾乃の名前を繰り返し持ち出す、そんな回りくどい存在証明ではなく、
このシーンの半分でもいいから彼女の生の叫びを聞くことが出来たなら、綾乃ルートにおける彼女の印象は大分違ったものになっていたでしょう。

>「ボクのことを殴ったというのが、問の答えのはずだ。わかるかい?」
>「……まだわからないのか、救えないほどバカだなぁ!」

まずこの台詞。友近君にとっては『綾崎彰を殴ったことが風路隣子を愛していることの証明である』としか判断出来ない台詞ですが、
彰=綾乃にとってはそれだけではない筈です。友近達也が綾崎綾乃を殴った。初恋の相手をお前は殴ったんだ。そのことにどうして気付いてくれないのか。
血反吐を吐くような思いだったに違いありません。それでも尚、彼女は正体を明かさない。明かせないのです。見えもしない"神様"を欺くために。
そんな彼女の悲しみとか怒りとかやり場のないごちゃごちゃな感情は、巡り巡って自分自身へと突き刺さることになります。



>「滑稽だよ、達也! 全部キミがやったことなのに!」
>「そんなことだから、昔からうじうじして! 何も進歩がないんだよ!」
>「そうやって一生いじけて生きるのがお似合いなんだ! 自分の気持ちすらわからないまま!」
>「本当にお前らは御し難いバカだよなぁ! そうやって第三者ぶってカッコつけろよ!」
>「可哀想だよなぁ、お前たちは!」
>「自分ではなにも決めなくって、自分じゃなにも選べない! 選ばない!」
>「お前らは揃いも揃ってバカだ! だから自分の気持ちにもまともに気づかないんだよ!」
>「灯台下暗しとはよく言ったもんだね、バカらしい!」
>「……お前たちは頭が悪いから、自分は不幸せになるんだよ!」



こんな全力でぶん投げられたブーメラン見たことない。
この瞬間に綾崎綾乃が罵っていたのは、愛する人に何度も殴られるほどの仕打ちを受けてなお"友達のルール"を脱却出来なかった自分自身に他なりません。
御し難いバカ。"主人公"にも"ヒロイン"にもなれない第三者。可哀想。灯台下暗し。頭が悪いから不幸せになる。それが"ともだち"。
このシーンを最後に、隣子ルートの綾崎綾乃は友近達也の前から姿を消します。アフターにおいても姿を現すことはありませんでした。
誰よりも立派に"ともだち"をやり切った少女の哀れな末路。ドブネズミみたいなその姿が最高に美しい。
"ともだち"を本気で描くというのはこういうことです。"ともだち"は何処まで行っても日陰者なのです。"ヒロイン"になったら嘘なのです。
それを無理矢理に"ヒロイン"へと仕立て上げようとした結果があの歪な友近達也と綾乃ルートなのです。
理性の部分は言います。お前この隣子ルートの綾乃ちゃんを見てその物言いは人の血が通ってないんじゃないのかと。
でもヒロインやるんだったらこの隣子ルートと同じかそれ以上の輝きを見たいじゃない。日陰者でしかない筈の"ともだち"が、
"ヒロイン"以上に眩しく映る姿を見たいじゃない。綾崎綾乃が楠本命を越えたところが見たいじゃない。そして話は綾乃ちゃんルートに戻るでござるの巻。
世話焼きババアの話? エロ担当としては一番使えた。この人は正直師匠とか姉ポジではあってもヒロインて感じはしなかったなあ…。



・楠本命
非実在系のわたし達。この体もこの声も何もかもすべて君に笑ってほしくてだからここに生まれてきたのの精神。ラブリーマイエンジェルくすもん。
陽の当たらないところで毎日頑張っている貴方。誰にも褒められなくて辛いよね。理解されなくて苦しいよね。
私だけはちゃんと見てるよ。貴方を幸せにしてあげるよ。上司に恵まれない社畜が仕事の合間に妄想する系のアレ。そんな存在。
私の家にも掃除ロッカー置いたらある日ぴょこんと命ちゃんが飛び出てきたりしないかなとかそういうことばっか考えながら生きている毎日。
まあ実際に命ちゃんに出会えたとして私みたいな人間を彼女が愛してくれる筈もないんですけれども。
彼女が幸せにしたいと思う対象は、誰かのために見返りも求めず体を張ることが出来る存在。いわゆる"友達"のことなのですから。
その彼女の親愛こそが、最終的に何よりも強く友近達也を縛り付けることになったのは皮肉という他にありませんが。

命ルート最後の選択肢についてあれこれ考えた結果、最終的に命ルートを肯定できるかどうかっていうのは
『"主人公"の友近君が命ちゃんを助けることには意味がない』とかいう友近君の人生を全肯定してあげるために用意された"友達"万歳理論、
この結論を胸に病室へと向かう友近達也の姿を肯定出来るかどうかで全てが決まると思いました。
散々"主人公"を馬鹿にしてきた"友達"の友近君がいざ"ヒロイン"の彼氏になってみたら彼女の隘路に気付くことすら出来ませんでした、
やっぱ俺には"主人公"なんて無理だったんだ…とか言って巷のヘタレ主人公が裸足で逃げ出すレベルのウジウジ蛆虫と化した友近君を
(ここでこうやってヘタレと化した友近君を批判しようとするとお前も"主人公"を馬鹿にしてた友近達也と一緒だなと
プレイヤーが華麗なカウンターパンチを食らう構成になっている辺りがつくづく厭らしい。でも言っちゃう)
誰の真似もすんな~君は君でいい~♪とばかりに"友達"のままでも君は命ちゃんを救えるんだよと全力フォローしてあげる綾乃ちゃん。
愛ですね。良い話ですね。良い話なんですけど冷静に考えると単に友近君をキレた勢いで騙くらかしただけなんですよねこれ。
まず隣子ルート同様に今回も全力でブーメラン投げてる綾乃ちゃん。『"ルール"も"神様"も"主人公"も"友達"も関係ない!!!(ドン!!)』
って言ってる彼女自身が相変わらず綾崎彰という"ともだち"に囚われてる時点でこのシーンの彼女の言葉は全部嘘なんです。
友近君をノせるためだけに編み出されたその場凌ぎの口八丁に過ぎないのです。本気で言ってたらただのギャグです。
"主人公"と"ヒロイン"をくっつけるためなら心にもないことを幾らでも口にするのが"友達"だということは散々描写してきたのでそこは別にいいのですが、
いくら"友達"補正が掛かったらライブ感で騙されるのが"主人公"だと言っても『"ルール"も"神様"も"主人公"も"友達"も関係ない!!!(ドン!!)』
って主人公ガー友達ガーの話が一度全部ぶった切られた直後、間髪入れずに自分を"友達"に再定義しようとしてくる
この綾崎彰という詐欺師/ともだちの言動に欠片も疑問を抱かない友近達也君の脳味噌には一体何が詰まっているんでしょうか。
気が付いて下さい。貴方今洗脳を受けてるんですよ。"友達"の自分じゃないと楠本命は助けられないという思い込みに嵌ってますよ。
で、なんでそんな洗脳が必要になったのかってところで例の理屈が飛び出してきます。
なになに? 命ちゃんが好きになったのは"友達"の俺だから? 誰かのために必死で頑張っていた"友達"に惚れたのが彼女だから?
だから友近達也が"主人公"になる必要はない? "友達"のまま彼女を救わなければいけない? "主人公"に救われたら楠本命の生きている意味が失われる?

むべむべ。

ここから私はこの件に対してどういう方向から殴りかかるべきかで大いに悩みました。本編レビューという名の『ボクとも。』PR文から
本当のレビュー提出に二週間も空いたのは大体このシーンに対してどういう意見を返すのが正解なのか答えが見つからなかったせいです。
その1。『楠本命を"主人公"として助けることに意味はない』。これはライターが本気でそう思っているのか?
友近達也は確かにこの結論で自分を納得させました。しかしその結論に誘導したのは"ともだち/詐欺師"の綾崎彰君です。
"ヒロイン"の綾崎綾乃ではない"ともだち"の綾崎彰が口にする言葉は信に値しないというのは先述した通り。
しかし"友達"フィルターを外して"主人公"になるという選択肢を選べるようになった筈の綾乃ルートにおける友近達也君も、
"友達"として楠本命を助けると決意した時には同じ理屈で自身を納得させている。
ではやっぱりこれがライターの本心なのか。倉骨治人の本気の主張なのか。ここで私はとりあえず綾乃ルートのことを考えることを止めました。
向こうの友近君は命ルートで出した結論そのまま引っ張って来ただけの手抜き野郎だと思うことに決めました。
綾乃ルートは深く考えたら負けなんですよ負け。ヒロイン全員助けたいっていう"友達"のエゴと
友近君に気付いてもらいたい綾乃ちゃんの望みを叶えてあげるためだけに用意されたご褒美ルートでそれ以上の意図はない! おわり!
という訳であくまで『命ルートの友近達也は』という前提の下に話を進めていきます。その2。『友近達也は本当に"友達"として楠本命を救ったのか?』
"主人公"は一人のヒロインしか救うことが出来ない。選ばなかった"ヒロイン"を不幸にする。自分はそんな"主人公"にはなりたくない。
"友達"として楠本命を救いたい。彼女もそれを望んでいる。だから俺は"友達"のままで"ヒロイン"を助けるんだ。
で、命ルートの彼は本当に"友達"になることが出来たのでしょうか。全ての"ヒロイン"を救えたのでしょうか。
救えていませんね。だってエンディングで綾乃ちゃんが泣いていますから。友近達也が本当の意味で"友達/主人公"になれたのは綾乃ルートだけです。
病室で『"友達"を信じろ!』と彼が叫んだ時、綾乃ルートには『"友達"(しゅじんこう)』とルビが振られていたのに対して、
命ルートの同じ台詞にルビは存在しません。『ボクとも。』は命ルートの友近達也を"友達/主人公"とは認めていないのです。
だから命ルートでの選択肢は"主人公"か"楠本命の彼氏"の二択なんですよね。"楠本命の彼氏"と"友達"は決して=ではないんです。
でも命ルートの友近君は勘違いしてしまう。"ともだち"にライブ感で騙された"主人公"だから。
じゃあそもそも綾崎彰はどうして友近達也を騙す必要があったのか。
命ルートの友近達也が自力では"主人公"になりきれないドヘタレマンだから。というか"主人公"になり損ねた男だから。
過去に綾崎綾乃を失ったトラウマ、そして"主人公"にかまけて命ちゃんの病気に気付くことすら出来なかったという
二度の失敗経験を経てすっかり"主人公"アレルギーとなってしまった友近君は、『"主人公"になりたい』という選択肢を与えられながらも
とうとうそれを選びきることが出来ないまま楠本命を失います。この時の言い訳に満ち溢れた友近君の内心は支離滅裂極まっていて見るに堪えません。
というかここで自分を見失いかけてる友近君を更に追い込んでいく綾乃ちゃんのやっちまった感半端ないですね。"ともだち"大失敗。
あ、ヤバい方向性間違えたとばかりに途中から冷や汗掻き始める綾乃ちゃんの姿が
段々一周回ってギャグに思えてきました。同じシーンを何回も見すぎて疲れているようです。
閑話休題。とにかく命ルートの友近達也を正攻法で"主人公"にするのは難しい。『変身だよ、友ちゃん』とか言えたら良かったんですけど
心の底から"友達"やってるヒナミちゃんと違って綾崎彰という仮面を被っている綾乃ちゃんにはそれを言う資格がない。
人に変われと言う前に自分が変わらなければいけない。けれど彼女もまた"ルール"に縛られている。それはそれとして友近達也は救いたい。
故に彼女は騙すのです。愛する人も神様も、自分自身でさえも騙すのです。"主人公"になれないと思っている"友達"を救うために、
"主人公"でも"ヒロイン"でもない"ともだち"として"主人公"を騙すのです。つくづくめんどくさい物語です。ファルシのルシがコクーンでパージってな感じです。
ということでその2『友近達也は本当に"友達"として楠本命を救ったのか?』は偽であると証明された訳なのですが、
ここで話がその1に戻ってきます。『楠本命を"主人公"として助けることに意味はない』。綾崎綾乃は友近達也をそのように誘導しました。
そして友近達也君もその主張に騙されました。しかし実際のところ、命ルートの友近達也は"主人公"として彼女を救っている。
この主張と現実のズレはライターの意図通りなのかはたまた思わぬポカなのか。ここが見えてこない。ライターの真意が見えてこない。
いや、この際ライターがどう思っているかはどうでもいいんです。とにかくたった一言、楠本命本人の口から確認さえ取れればそれで良かったのです。
"主人公"の貴方に助けられるくらいなら死んだ方がマシだと。その一言さえ聞ければ私はきっと納得出来たのです。
代償として命ちゃんは私と決して分かり合うことの出来ない異星人に認定されたことでしょうが、
そこまで言うならじゃあどうぞお好きに死んで下さいと思うことが出来た筈です。

心の底から愛したヒロインたった一人だけ救えればいいと思うことってそんなに悪いことですか?

私が当初、命ルートにぶち込んでやりたかったのはこの一本槍だけでした。しかしその矛先が突きつける度にひらりと交わされていく。
"ともだち"という名の本音を語らない者達によってひらりと交わされていく。今の私にとって『ボクはともだち。』の"ボク"というのは倉骨治人その人です。
この人の本気の主張が何処にあるのかを見極めることが出来ないせいで私は大いに苦しんでいます。何が性質悪いかって、
友近達也君の理想だとか綾乃ルートだとかあと奈々瀬アフターみたいな救えるものは何でも救っちゃうぜ物語を描く一方で、
ヒナミルートの礼ちゃんだとか今作における『彼女』の物語みたいな、気に入った娘一人だけ全力で救いに行くという
私のツボにクリティカルヒットする話を描けてしまう言ってることとやってることの矛盾っぷりが私を惑わせるのです。
或いはライター自身も苦しんでいるのかもしれません。本当のことを言えば選ばれなかったヒロインが救われる必要なんてない。
だから自分のルート以外で琴寄文乃は目を潰されるし楠本命は助からない。でもそれだと完璧なハッピーエンドっぽくない。
だから全ての"ヒロイン"を救える者こそが本当の"主人公"に相応しい。そう言っとけばユーザーも喜ぶ。そんな感じ。



私は当初、命ルートで伝えたかったことはこの台詞と同じことなのかなと思っていました。

>「だから俺たちは、自分の矜持を持って天秤にかけなければならない!」
>「復讐を遂げ、自らの無念を晴らすことを優先するのか! それとも――」
>「――それとも、残された願いを聞き届けるのかだ!」

『ぬきたし2』のレビューにおいて私が肯定した、『Senzuripoint:Paccoman』における橘淳之介君の主張です。
これを今作における友近達也君と楠本命ちゃんに置き換えると、"主人公"として楠本命を助けることを優先するのか、
或いは"友達"を好きになった楠本命の愛情を優先するのかという話になります。
自らの矜持を持って天秤にかける。友近達也のエゴよりも楠本命の愛情を優先する。そういう話なのかなと思っていました。
しかし、それなら"ヒロイン"のエゴの扱いはどうなるのでしょうか。"主人公"として楠本命を救いたいという気持ちがエゴとして否定されるのであれば、
"友達"としての友近達也でなければ愛せないという楠本命の愛情もまたエゴなのではないでしょうか?
『ぬきたし』においては描写されずとも答えが見えている問題だったのでそこに言及はしませんでした。『復讐』と『共存』ですからね。
そこで前者を優先する橘淳之介なら琴寄文乃が愛する筈もありません。秋野水引が見限られたように。しかし『ボクとも。』の場合はどうなのか。
確かに楠本命は"友達"の友近達也を好きになりました。しかしそれは"主人公"の友近達也を愛せないことと本当にイコールなのでしょうか?
プレイヤーは友近達也に口付けてから病に倒れるまでの楠本命の姿を見ています。
"主人公"になっていた頃の友近達也と束の間の幸せを育んでいた時の、幸福に満ちた楠本命の姿を知っています。
何よりも3月23日、ホワイトデーすら過ぎ去った後の見返りも何もないチョコレートを渡した際、ベッドに伏せたまま吐き出された彼女の無念を知っています。

>「ごめんね。あなたのこと……」



>「……"主人公"に、してあげられなかった」



"友達"でなければ楠本命を救う資格はない。大嘘です。真逆です。本当だったら"主人公"として友近達也は楠本命を救うべきだったのです。
お前のおかげで俺は"主人公"になれたんだよ、お前を助けられる"主人公"になったんだよと胸を張って言うべきだったのです。
でも言えない。失敗したから。失敗したという思い込みに囚われてしまったから。
命ルートの友近達也は、結局最後の最後までその思い込みから抜け出すことが出来ませんでした。
『楠本命を"主人公"として助けることに意味はない』。結局のところこれは何だったのか。"主人公"になれない友近達也君の言い訳。自己弁護。
命ルートにおける彼の出した結論は、自分にはこう受け止めることしか出来ませんでした。この瞬間に私の振り上げた拳もまた行き場を見失いました。
本気で言ってるのかどうかも分からない主張にキレてもしょうがないなという気持ちにならざるを得ませんでした。
じゃあ結局命ルートが本当に伝えたかったことは何なのかというところで、私の心の中の桜井和寿が再び歌い出します。
一つにならなくていいよ。違う。掌の歌詞も倉骨治人的世界観に結構ハマると思うのですがそうじゃないです。



>「キミは、キミのままでいい」



友近達也は"主人公"として楠本命を救うべきだったという私の主張は変わりません。
"友達"として救わなければ意味がないという主張にも、未だ頷くことが出来ません。
しかし、自分を"主人公"だと思い込むことに失敗した人間、"ルール"に縛られた弱い人間でも、
その存在を肯定してあげることで前に進む力を与えることは出来る。
北風と太陽の逸話といいますか、鬱病の人に頑張れって言ったらいけないんだよと言いますか、なんでしょう。無理強いしないことの大切さ?
『ぬきたし』でいうところの同調圧力の否定、或いはマイノリティの許容にも繋がってくる話かもしれません。
とりあえず言えることは、ここまであれこれ回り道した末に私はようやく
命ルートの友近達也君についてあーだこーだ言うのはやめようと思うことが出来たという話です。
無駄に時間が掛かりました。全て私の狭量さが招いた事態です。そして命ルートで得た教訓を別に生かす訳でもなく、
今後も私はダメ主に出会う度ボロクソ言い続けるのだと思います。まあ変われない自分を肯定してくれる物語ですから
変わらない私の姿勢も肯定されて然るべきですよねみたいな。これが曲解というやつです。エロスケ民…お前は変われ…変われなかった俺の代わりに…。



大変那賀那賀、いえ長々とお付き合いいただきありがとうございました。未プレイ民は見るなと散々念押ししておいたので
『ボクとも。』のレビュー数的に閲覧数二桁にも満たない恐れがあるこんなクソ長文ですが、ここまで読んで頂いた貴方に最大限の感謝を送ります。
次こそは本当に思ったことそのまま書けるゲームをレビューしたいです。久々にバルドスカイでもやろう。或いはランスでもいい。
考察とか一切必要ないゲームをしようそうしよう。バルスカ無理じゃない? 大丈夫大罰の話だから。村正で脳死タックル厨プレイしてすっきりするんだ…。



そうですね。あと一人残っていますね。正直命ルートの話で力を使い果たした感あるんですが触れない訳にはいきませんよね。
本編レビューであんなこと書いた"責任"という奴を私も取らなければいけません。という訳で参りましょう。そんなに長くはならない。筈。きっと。メイビー。



・比嘉那波
そうです彼女が比嘉那波です。スス子でもなければ那賀伊波でもない、唯一無二の比嘉那波です。
だから言ったじゃないですか。スス子の代替品扱いしようとした人ほど刺さる内容だって。
そこで『スス子じゃないパチモンの女なんかもういらねえよ死ね!!』ってなるか
『スス子じゃないけどまあこれはこれで…』となるかがその後の貴方が友近達也君とシンクロ出来るかどうかの分岐点。
かくいう私は一度心が折れかけました。しゃーないやん…ぬきたし民だけを殺す機械ですやんあんなん…
『ラフレシアだが?』ってそういう…(今作で一番ツボに入ったパロ)。

『ぬきたし2』のレビューにおいて、私はスス子こと那賀伊波嬢をこう評しました。童貞を勘違いさせる要素で全身武装した大悪魔だと。
3月10日の"あの時"を迎えるまでの比嘉那波はまさにそれでした。ぬきたし民が夢見た理想のスス子ルートがそこにはありました。
皆から恐れられる"聖帝"に物怖じしないスス子。"ヒロイン"から嫌われる筈の"友達"に構ってくる比嘉那波。
積極的にスキンシップを仕掛けてくるし身長のことまで気にしている語尾にスの付いた桃髪巨乳後輩。
これはどう見てもスス子だろう。スス子以外の何者でもないだろう。俺はスス子を攻略している。『ぬきたし2』ユーザーよ、
俺はお前らが攻略出来なかったスス子を今攻略しているぞざまあみろ!
そんな優越感すら抱いたものです。"魔法"がどうだの"責任"がどうだのといった不穏なワードから目を逸らしつつ。
まあ見事に勘違いしましたよ。童貞だもの。みつを。
私が当初比嘉那波というキャラクターをどういう存在だと予想していたかと言いますと、彼女は綾崎彰にとっての"サブヒロイン"なのではないか?
"ヒロイン"に匹敵する容姿と個性を持ちながらも決して"主人公"には攻略することが出来ない、場合によっては"友達"とかサブキャラとくっつくこともある存在。
例えるならサイコロの縁ちゃんと大誠君とか(大誠君の中の人がイクイクセーシ男子を演じていたことに今初めて気が付いて衝撃を隠せない)、
後はそう、私が誰よりも寝取りたいサブヒロインナンバーワン雨の日の友。ティアルートにおける彼女の扱いを私は一生許さない。孕めオーガストオラァ!!
そんな存在だと思っていた訳です。完全に『ぬきたし』と今作序盤のメタゲートラップにハマっていますね。『ボクとも。』は隙を生じぬ二段構え。
で、そんな那波ちゃんの隠していた真実が明らかになってからがこのルートの本番な訳ですが、
この感想に付き合ってきた貴方なら私という人間がどれだけ器量の小さい男なのか既にご理解頂けていることでしょう。
当然の如く友近君と私の間に那波ちゃんに対する意識でズレが生じます。危険な兆候です。"主人公"が私でなくなり始めます。
しかし皮肉な話です。友近君が私から離れていった代わりに今度は那波ちゃんのキャラクターが私に近づき始めたのです。
『ああでも死んでくれたら責任はなくなるかもとか!』最高に好きな台詞です。いや流石にこれは冗談なんだと思いますが、
内心ちょっとは本気でそう思ってたとしても全然アリだと思います。人間味に溢れていて大変よろしいです。
まあとにかく、『ぱ、パイセン……パイセンはでっけぇ男ッスね……!』という言葉にもほんとそれなという感じで頷いてしまうし、
あと口調までは崩さないバランス感覚は流石です。木村ころなんとかさんと違ってプレイヤーの心理というものをよく分かっています。
友近君はそこに壁を感じているようですが、高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんなんです。つまり一瞬で乗り越えられる壁、
一瞬で切り替えられる口調なんてものはクソなんです。馴染んでいたものが急に失われたとき人が最初に感じるものは困惑でしかないんです。
エロゲヒロインは人間ではありません。個性を表現出来る要素は極めて限られています。スス子からスを取ったらただの子になってしまいます。
スス子の面影も残しつつ、徐々に徐々に『比嘉那波』という個を意識させ馴染ませていく。今の私は彼女をスス子だとは微塵も思っていません。
そのことを自然に受け止めることが出来ています。那波ルートが丁寧に変化を描いた証です。比嘉那波という少女と真正面から向き合い続けた結果です。

>……本当、涙ぐましい努力だ。
>本当、男冥利に尽きるよ。
>たとえ偽物だったとしても。
>この努力を俺が褒めてやらないで、誰がするというのだろう。
>だから俺だけは称賛しよう。
>他の誰にもわからない、膨大な努力を。

なんか那波ルートから唐突にこの作品のテーマというかやりたかったこと的なものを纏めた文章が発掘されたので抜粋。
頑張ってるあの子を応援したい! ってことですよね。「でも自分の力で成し遂げないと」「意味ねーんじゃねーか?」着色料保存料0。
倉骨治人さんの趣向的に多分正体隠して戦うヒーローがたまには良い目を見る話を書きたい的なコンセプトで作られたんじゃないかと思うんですよ。
"友達"。"お助けキャラクター"。"世話焼きババア"。"魔法使い"。そして"ともだち"。見返りを求めない五人の物語。大変よく纏まっています。
そしてそのコンセプト的に五人の中で最も正体隠して戦ってた娘、即ち綾崎綾乃ちゃんが真ヒロインになることもまた必然なのですが、
とにかく"主人公"批判だけが余計なんですよね。Kanon問題と絡めることでエロゲメタとしてもっともらしく仕上がったようにも見えますが、
そのメタゲー要素がかえって素敵なコンセプトの足を引っ張ってしまったように思えるのはただただ残念でなりません。
"友達"として選ばれなかった"ヒロイン"が不幸になるのを何度も見てきたから自分は全ての"ヒロイン"を救える"主人公"になりたい。なるほどごもっとも。
で、実際そういう"友達/主人公"の姿が、たった一人の"ヒロイン"しか救えない"主人公"よりも魅力的に映ったか? って聞かれた時、
私はNOと答えざるを得ないんですよね。綾乃ルートや命ルートの彼を経て、ここへと舞い戻ってきた今では尚更強くそう思います。
全ての"ヒロイン"を救おうとした"友達"の彼ではなく、比嘉那波という少女たった一人のための"主人公"になることを決意した、
那波ルートの友近達也。私にとっては彼こそが、"友達"よりも魅力的な理想の"主人公"なのだと、全力で声を上げて主張したいのです。

比嘉那波は自身のルートにおいて、友近達也の"ヒロイン"になろうとして失敗した少女です。どこかで聞いた話ですね。
"ヒロイン"を救う役目を担っている"主人公"で同じことしたらヘタレの一言で片付けられてしまう彼女の問題ですが、
これが"ヒロイン"になるだけで俺が守護らねばならぬってなるんだから男という奴はまったくもって単純です。
ついでに言うと彼女には過呼吸という友近君にはなかったバリアーも備わっています。役割としては冷泉院桐香のゲロと同じです。
命ルートで語られた出来ないことを無理にさせてはいけないよというメッセージをより簡潔に伝えるために用意されたものです。
という訳で、命ルートの友近達也と那波ルートの比嘉那波はわかりやすく対になっています。
"ルール"に縛られ殻を破ることに失敗した彼ら彼女らを救ってあげるにはどうしたらいいのか? という問題を、
命ルートでは"ともだち"綾崎綾乃が、そして那波ルートでは"主人公"友近達也が、あの手この手を用いて解決する。
その解決策に頷けるかどうかでルートの満足度が決まる。そんな感じです。
で、この物語のめんどくさいところは救済を担う側も救われる側と同じ問題を抱えているという点です。
"ともだち"に縛られた"ヒロイン"綾崎綾乃、そして"友達"に縛られた"主人公"友近達也。救済を担う側が自身の問題を解決出来たかどうかというのも、
命ルートと那波ルートで対になっている点です。そして上記の表現からお判りいただける通り、綾崎綾乃は自身の問題を棚上げしたまま、
"神様"補正によるライブ感で"主人公"を騙しきるために全力を尽くしました。その結果があの命ルートです。本音を語らない彼女の言葉と
それに騙される"主人公"の導き出した結論が我々プレイヤー(というか私)を大いに混乱させたというのは先に語った通り。

>なんだろう……那波に元気要素が失われてからだろうか。
>こちらのネタが通じてるのか、むこうがネタで言っているのか、変に曖昧な感じになってしまった気がする。
>わかってるのか、わかっていないのか。
>そういう駆け引きを楽しむのもつまらなくはない。

那波ルートから発掘されたとある一文です。私はここに倉骨治人というライターの全てが詰まっていると思います。
この人の作品を芯から堪能するためにはこの友近君と同じ境地に至る必要があります。わかりにくい存在との駆け引きを楽しむ必要があります。
言い換えれば、比嘉那波という少女はある意味倉骨治人の擬人化と言っても過言ではありません。いや過言でした。
この解釈は流石に彼女で抜けなくなる恐れがあって大変危険です。しかし言ってみればキャラクターなんてものは誰もが大なり小なり作者の一部みたいなもので
その割合がデカいか小さいかでしかないのではみたいな気持ちもあったりなかったりして國見洸太郎と姫野星奏なんかその最たる
話が逸れました。比嘉那波という"ヒロイン"は、"主人公"である友近達也君に好かれるために全力で猫を被っていた娘です。
いわゆる"スス子"的なキャラ作りがそれにあたる訳なのですが、『ぬきたし』から遡って倉骨治人という創作者の原点
(pixivなどで前々から活動されておられたそうなので厳密な処女作という訳ではないにしても)である『ボクとも。』に触れてみた今、
『ぬきたし』のバカゲー成分というのは倉骨治人にとっての"スス子"だったのかもしれない、みたいなことを思ったりした訳です。
得意のパロネタに淫語を絡めることで作品独自の笑いを生み出すことに成功したドスケベジョーク、
神近ゆうというサブライターの協力の元に生み出された畔美岬という劇薬。『ぬきたし』は主にこの二点で成功を収めたものだと思っていますが、
それは言ってみれば比嘉那波ちゃんが"スス子"として愛されているようなもので、ライター的にはその辺どうなんだろうななんてことを
ふと思ったりしました。断っておきますが『ぬきたし』をバカゲーとして楽しんでいる方々を揶揄している訳ではないです。
そもそも私からして文乃ルートをクソ呼ばわりする一方でヒナミルート一点だけ見て『ぬきたし』に100点付けるような偏食家である以上
他人の食事作法にどうこう言える立場でもありませんし、そもそも味の良し悪しを正しく語れる美食家という訳でもありません。
『作者の人そこまで考えてないと思うよ』と千代ちゃんは言うかもしれませんし、或いはバイブで戦ったり射精で空飛んだりすることこそ
倉骨治人が本当に書きたかったエンターテイメントの極致なのかもしれません。わからない。わからないのです。
そしておそらく、分かったつもりになることこそが最も無礼な態度なのだと思います。とどのつまり、今の私のような。
なんでしょうね。倉骨治人の作風について触れれば触れるほど自己批判的な感じにならざるを得ないこと自体が
私と倉骨治人が決して分かり合えないことの証明になっているような気がします。
こんなに趣味合うのになあ。どこでズレが生じたんでしょう。姉弟の有無かなあ…。

何の話でしたっけ。命ルートはわかりづらかったし倉骨治人もわかりづらいという話でしたね。そんな私が賞賛するのは一体どういうお話なのか。
決まっています。わかりやすいものです。悩みを抱える男の子と女の子が一緒になって、男の子が女の子に恋をして、
二人の間には様々な障害があって、それでも男の子は女の子が好きで、彼女を幸せにしてあげたい。彼女と一緒に幸せになりたい。
彼女じゃないと駄目なんだ。だって一緒にいて楽しかったから。確かな保証なんてどこにもないけど、同じ気持ちを彼女も抱いてくれていると信じて、
いつもの自分よりもほんの少しだけ勇気を出して、言葉を尽くし、想いを告げる。それだけ。たったそれだけのこと。
"主人公"なんて存在は、それが出来るだけでカッコいいんだよと。そう思わせてくれたのが、那波ルートの迷いを捨てた友近達也君だったのです。

那波ルートは私が綾乃ルートと命ルートで挙げた二つの問題点をクリアしています。
"主人公"が"ヒロイン"を選ぶ理由に説得力がある。そして何より、"主人公"の辿り着いた答えに納得出来る。
その1。友近達也が比嘉那波を落とす決定打となった吊り橋効果。これは同時に、比嘉那波が友近達也を落とす決定打でもあったのです。
何が言いたいのかと言えば、綾乃ルートで友近達也と吊り橋に乗っていたのは一体誰だったのかという話です。
綾崎綾乃はまず吊り橋の上に友近達也を乗せ、そこに比嘉那波を乗せ、それが落ちたら今度は風路隣子を乗せ、それも駄目なら楠本命を乗せ、
とうとう全員落っこちてしまった、さあどうしようと思っていたら実は最初から橋の上の友近君はずっと橋の下の綾乃ちゃんだけを見ていました、
だから橋の下から出ておいでということで引っ張り上げられてめでたしめでたし。とっぴんぱらりのぷう。
しかしそこで友近達也君と一緒に吊り橋に乗っていた私が置いてけぼりを食らう訳です。そんなとこに娘がいたなんて知らなかったんですけどと。
いやそういえば時々橋の上を金髪の綺麗な女の子が通っていったなあ、え、その子と橋の下の子が一緒だった? 友近君も最初からその子に夢中だった?
他の娘と橋の上でキャッキャウフフしてる間もその子のことばかり考えてた? そんなこと言われても困るんですけど。
というか長さで言えば一番長く一緒に乗ってたのは命ちゃんでしょ? あの娘じゃ駄目だったの? 駄目。あそう。この橋(ルート)壊れてんな。
ここで『いやいや彰君の格好で吊り橋乗ってたでしょ?』っていうフォローを全力で入れてくれるのが綾乃アフターなのですが、
むしろそのことが綾乃ルートにおける綾崎綾乃の描写が足りなかったことの証明になっていると思うのでその主張は通りません。
綾乃アフターの内容自体は良いんですけどね。アフターじゃないってことに目を瞑れば。奈々瀬アフター以上に0.5を1にする話でした。詳細は…どうしよう…。

その2。比嘉那波という少女と吊り橋に乗り続けた友近達也が"ともだち"の助言を得て辿り着いた、第三の選択肢。
綾崎綾乃がその身を犠牲にしなければ"ヒロイン"と結ばれることのなかった隣子ルート、
"友達"という建前を用意しなければ"主人公"になることすら出来なかった命ルートの彼を知った今、
友近達也という少年にこの選択肢が与えられることには計り知れないほどの価値があると思うのです。
そういう意味で、私はこのゲームの攻略順を命→隣子→那波の順に推します。普通は逆だと思うのですが私のオススメはこの順です。
ミコトスキー粒子を浴びた者は言うでしょう。命ちゃんの事情を知った後で彼女が死ぬルートを辿るなんて考えられないと。
しかし、それほどまでに比嘉那波のことを強く想い、そしてその気持ちをプレイヤーとシンクロさせることに成功したのが、
那波ルートの友近達也なのです。キャラクターとしては那波ちゃんよりも綾乃ちゃんよりも命ちゃんが一番の好みである私ですら、
那波ルートで彼女にこう誘われても、比嘉那波ではなく楠本命を選びたいなんて気持ちは微塵も湧かなかったのです。

>「いい」
>「彼女になってもいい」
>「一時なんて言わなくていい」
>「あなたが望むなら、ずっと彼女になってあげる」

比嘉那波を"ヒロイン"に選べば楠本命は死にます。"友達"の友近達也はそれが許せないと言います。しかし、楠本命の病気に気付くためには、
楠本命と一緒の吊り橋に乗り続ける必要があります。彼女を乗せている間、比嘉那波は吊り橋を降りていなければなりません。
楠本命の病気を治し、かつ別の"ヒロイン"と結ばれる。そんな芸当が成立するのは、吊り橋に頼る必要のない綾崎綾乃一人だけです。
逆に言えば、綾乃ルートの友近達也は他の"ヒロイン"を選ぶ必要がなかったからこそ、
"友達/主人公"などという都合の良い称号を得ることが出来たのだとも言えます。"友達"君は"ヒロイン"同士の隘路がかち合った時どうする気なんでしょうね。
FDで追加された某ルートの彼ならそれに答えてくれるのかもしれません。その前に命ちゃんか本人が死ぬかもしれませんが。

>「でも、あなたはそれでいいの?」
>「今のあなたは……比嘉さん以外の人と付き合えるの?」

自分は友近達也に選ばれるべき"ヒロイン"ではない。那波ルートの命ちゃん自身もまた、そのことをよく理解していました。
かつての彼が嫌悪した、選ばれなかった"ヒロイン"を不幸にする"主人公"と成り果てた友近達也。しかし、その彼を責め立てる訳でもなく、
むしろその背中を押すように、"お助けキャラクター"となった彼女は言うのです。"主人公"になった友近達也を楠本命は本当に愛せないのか。
これがその答えではないでしょうか。"いのちの唄"のワンフレーズが頭を過ぎります。消えゆく私でも見つけたあなたから消えてゆけるのが幸せ。
実は"友達"として命ちゃんを救うことこそが友近達也最大のエゴなんじゃないかとも思い始めた今日この頃。
仮にも"主人公"が目当ての"ヒロイン"を救うために辿り着いた答えをそうバッサリ切り捨てていいのかという疑念は未だにあるのですが、
この友近君と那波ちゃんのやり取りが一層命ルート言い訳説の説得力を増していく…うごご…。

> ……結局、こんなのは世迷い言だ。
>「できなくって……あた、し……」
> 俺が口にしたのは諧謔にもならない、ただの妄言。
> くだらない言葉遊びに過ぎない。
>「呼吸まで……おかしく、なって……!」
>「………………」
> そうだ、それが那波の、本当の悩みだった。
> 本当は自分が彼女になれば一番手っ取り早いことくらい、こいつにもわかっていた。
> でも、できなかった。
> "ルール"があるからだ。
> 精神的なネックがあるからだ。
> 魔法が、呪いがあるからだ。
> そう言って、自分を納得させた。
> けど……本当にそうなのか?
> 俺は、それが問いたいんだ。
> ただ、自分を言いくるめただけじゃないのか?

那波ルートの比嘉那波は命ルートの友近達也の対になっているという話をしました。そんな彼女と対峙した那波ルートの友近達也は、
"ともだち"こと綾崎綾乃が加減してあげた別世界の自分を容赦なくぶん殴っていきます。
くだらない言葉遊び。本当は自分が〇〇になれば一番手っ取り早い。自分を言いくるめただけ。
私が命ルートの友近達也に感じていたことそのものです。そんなことをしたらまた過呼吸を起こすぞと"ともだち"は心配するかもしれません。
しかしこのルートの友近達也は追い詰められた"ヒロイン"の救い方を知っています。"ヒロイン"を救うという"責任"を背負って立つ男です。
そして何より、比嘉那波という"ヒロイン"と共に、最も長く吊り橋の上で揺られ続けた"主人公"なのです。

> 相手から伝わってくるものなんて、曖昧でわからない。
> それは行為でも、好意でも。
> わからないに違いない。
> だからこそ、言わないといけないんだ。

わからない。本音が見えない。倉骨治人というシナリオライターに対して、私が何度も用いてきた言葉です。
しかし、"友達"の殻を脱ぎ捨てて、比嘉那波という"わからない"存在を前に、
『なんの勝算もなく想いを告げる』。そんな覚悟と"責任"を背負った彼が口にした、この前置きからの一連の告白。
何処までもまっすぐで、嘘偽りのない、心の底から信じられるもの。『ボクはともだち。』という作品の中で、
私はようやく、そういうものを見つけられたような気がするのです。

>「……もしも、その犬が、さ」
>「本当に可愛ければ、飼いたいと思うんだよ」
>「すげぇ元気でさ、一緒にいると楽しくて……」
>「なのに、変なところ繊細で」
>「めちゃくちゃバカなんだけど」
>「なんでかすごく愛嬌があって」
>「そのわりには、すぐ考えこんじゃって」
>「元気なくせに、案外ネガティブだったりして」
>「根暗なくせに、変なところで頑張り屋で……」
> それで……。
>「もしも拾った犬が、そんな子だったら……」
>「大好きに、なってしまったんなら」
>「俺はその犬の面倒を、最後まで見たいと思うんだ」

"ヒロイン"を選ぶとはどういうことか。"責任"を負うとはどういうことか。"主人公"になるとはどういうことか。
それはエロゲーにおいては当たり前の、個別ルートに入って、ヒロインと一緒の時間を過ごして、好きになって、告白をする。たったそれだけのこと。

>「……安心しろよ、那波!」
>「なにせ俺はよぉ」

たったそれだけのことが、"友達"という長い長い回り道を辿ってきた今となっては、余りにも眩しい。



>「困ってる犬を見つけたら、最後まで"責任"持つタイプだからさ!」





初Hを経て帰路につく二人の間には分からないことだらけ。"ルール"の謎は解けていないし、"神様"がいたのかどうかも分からない。
裏事情を語ってしまえば、綾崎彰は綾崎綾乃に戻れないままだし、楠本命は病に倒れ、そのまま帰らぬ者となる。
けれど、そんな結末を迎えてしまったこの物語の友近達也は"友達/主人公"に責められるような存在なのか。
私はそうは思いません。"友達"として"主人公"と"ヒロイン"を結び付けなければならない、そんな"ルール"に縛られていた彼が、
自分は彼の"ヒロイン"になることは出来ない、そう思い込んでいた少女の殻を破り、手を取り合うまでに至ったのです。
勿論、いつかは真実を知る日が来るのかもしれません。誰かの幸せの裏で誰かが泣いていたことを。消えていった娘のことを。
それでもこの瞬間だけは、"ヒロイン"の隣で感慨に耽る"主人公"に水を差すような真似はしなくてもいいだろうと。

> ……また、那波とこんな風に笑い合えるなんて。
> 考えも、しなかった。
> 絶対に不可能だと思っていた。
> なぜ、こうなることができたのかは……。
>「ま、まあ、とにかく……」
> きっと……俺が、少しだけ頑張ったから。
> 普段の卑屈な俺よりも、少し頑張れたから。
> そう思ったって、バチは当たらないだろう。
>「これからもよろしくッス、パイセ……あっ」
> これはマイナスな那波の性格に引っ張られた結果。
> でも、それでよかったんだ。
>「この言い方、もう違うッスよね」
> 俺は、こんな結末を迎えるために頑張った。
> この終幕を望み、叶えるために。
> だから、今回ばかりは……

>「……これからもよろしくお願いします、達也くん!」

> 俺は、すごく頑張った。
> そう言い切ってしまっても、いいのかもしれない。

言い切ってしまってもいいよと、そんな風に思うのです。



・あとがき
>そんなに長くはならない。筈。きっと。メイビー。
英語圏では自分の行動に対してmaybeを用いると怒られるのだそうです。自分の意志ではコントロール出来ない事案に対して使うべき表現なのだそうです。
で、今回私は自分で自分をコントロールすることに失敗した訳なのですがこの場合ネイティブの方々は私を叱るのでしょうかどうなのでしょうか。
いやネイティブがどうとかそういう問題じゃないですね。単純に嘘吐いたんだから謝れよって話ですね。いや本当すいません。
ついでに言えばFDレビューなのにFDの話一切してないことに気付いたんですがどうしましょうか。
もういいや一言感想で済ませよう。というか648円だしこんなクソレビュー読んでる暇あったらさっさと買え! そんぐらい!!(逆ギレ)

命アフター:わたしが天使になった理由 それはいいんだけどなんか子供産んだ後本当に天使になっちゃいそうなフラグ立てるのやめてもらえますか
隣子アフター:ノーマルに憧れる人の話 こういうのが倉骨治人のライフワークなんだろうなというのがいい加減わかってきた
那波アフター:奈々瀬アフターの淳之介君がああなるまでに必要だったもの でもやっぱりその理屈は詭弁じゃねえかなあ!?
綾乃アフター:「ただいまー! 旦那さん連れてきましたよー!」「私を女にした人ですよー!」このポテンシャルを本編の時点で発揮出来ていれば…
あったかもしれないハーレムEND:霧島零一君に読んでほしいシナリオナンバーワン メサイアコンプレックスの成れの果て。
綾崎彰(真)、那波父、そしてこの話で復讐の伏線が張られた彼とハーレムに甘んじていたくさい人物は碌な末路を迎えていないので
きっとこの話の友近君も近い将来に同じ最期を迎えるのでしょう。ハーレム否定派としては残念ですが当然といった感想です。
そして本当に天使になっちゃいそうなフラグ立てるのやめろっつってんだろ!!!!!

おしまい。
『ぬきたし』キャラに受け継がれた『ボクとも。』精神の話とか結局のところ神様とか魔法とかは存在したのかとか
綾崎彰(真)は何故死ななければならなかったのかとか綾乃ルートやハーレムENDを見て改めて思う友近達也にかけられた本当の魔法についてとか
作風的に実は"友達/主人公"にプレイヤーが納得し辛い作りになっているのはわざとなんじゃないか説とか
まだまだ語りたいこと沢山あるんですが流石にもういいでしょう。もういいでしょう。
それでこの『雨衣カノジョ』の方はどうしましょうか。まあそのうちプレイします。そのうち。しばらく倉骨治人作品とは距離を置かなければ…。