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mash_roomさんのそれは舞い散る桜のようにの長文感想

ユーザー
mash_room
ゲーム
それは舞い散る桜のように
ブランド
BasiL
得点
100
参照数
3333

一言コメント

この作品が未完の名作だと思ってるそこのアナタ、それは間違いですよ。「最後のあの唐突な展開や投げっぱなしの伏線さえどうにかなってればもっと評価高いのになー」って感じてる人は読んでみてください。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

というわけで、以下はプレイ済みかつそれ散るファンの人向けの感想というか、考察です。
当然ネタバレしまくりなので、まだプレイしてない方は他の人の感想を読んでからプレイするかを決めた方が良いですよ。


さて、この作品はしばしば未完の名作であると言われています。
丘の上の子供たちや舞人の正体は明確に語られていませんし、唐突に記憶を取り戻したヒロインと再会してハッピーエンドを迎えるというご都合主義的エピローグなど、確かに一見して「投げっぱなし」に見えてしまいます。
続編にあたる「けれど輝く夜空のような」が結局お蔵入りになってしまったという裏事情も、風呂敷が畳みきれなかったんじゃないかという推測を補強してしまう材料になってしまったのでしょう。
このサイトのタグを見てみても「なりそこね」が200を越えているあたり未完の名作であると感じている人が圧倒的多数を占めていることが良く分かるのですが、本当にそうなのでしょうか?
投げっぱなしのいい加減な出来なのでしょうか?
いいえ、そんなことはないのです。
後半の急展開や駆け足を通り越して唐突とも言えるハッピーエンドへの流れも、実はきちんと練られ計算された上でのものであることが分かると、この作品への愛着がより一層深まりますよ。

では実際の所どのように計算されているのかというと、それはこだま先輩ルートで実は語られていたりします。
先輩ルートをプレイしていて、しつこい位に絵本や児童文学の在り方について語られてることに違和感覚えませんでしたか?
どんな作品でも何かしら啓蒙を目的としていて、中には全編を通じて暗喩になってる物語もあるんだ――そんなご高説が彼女の口から3回以上飛び出していました。
それを踏まえた上で、こだま先輩が舞人に託した物語の内容を思い出してください。
彼女が書いたのは
「掴んだ幸せが手のひらから零れ落ちていく、悲恋の寓話」
でした。
……何か既視感を感じませんか?
そうです。
本編のストーリー、テーマ、そのままの内容なんです。
そしてこだま先輩ルートのエンディングで、舞人が勝手に物語の続きを書き足していたのを覚えているでしょうか。

「続き書いてくれたんだ?けど私、あのお話は完結させたと思ったんだけど」
「あんなんじゃ読んだお子様が悲観的に育っちゃいますよ、だからハッピーエンドにしてやりました」

本来なら悲恋で終わるはずの物語が、唐突なハッピーエンドに……これもまたデジャヴュを覚えませんか?
まさしく本編の展開、そのまんまなんです。
つまり「それは舞い散る桜のように」のお話は実はこだま先輩が書いた物語で、最後のシーンだけ舞人が付け加えたものなんです。
ラストの浮いてるようなご都合主義的かつ唐突な展開も、作者が違うんだから当然なんですよね。

で、ここまで踏まえた上で作品を振り返ると、こだま先輩が書いた物語であるからには何かしらのメッセージが込められた寓話である、と推察することができます。
こだま先輩本人が何度も繰り返し強調していましたからね、物語にはメッセージが込められているものなんだ!って。
じゃあそのメッセージとは何なのか。
それは各登場人物や全ルートを総合することで読み取ることが可能です。
例えば朝陽、八重樫など恋愛に対して臆病なメンバーはことごとく否定的に描かれていて、朝陽の取り出した安っぽい桜の造花なんかはその象徴です。
その一方で雪村、麦兵衛、かぐら、イクイクなどの傷つきながらも愛を恐れず乗り越えていこうとするお馬鹿キャラはこれでもかというくらい肯定的です。
悲恋とそれを乗り越えていくことの尊さ、簡単に言ってしまうと「傷つくことを怖がって格好つけてないで恋しようぜ」というメッセージがそれぞれのヒロインのルートを通じて描かれていることが分かります。
もちろんこれはプレイヤーに向けてのメッセージなので、前述した舞人のセリフ「あんなんじゃお子様が悲観的に育っちゃいますよ」のお子様がヲタクを指していると考えると、なかなかに皮肉の利いた一文ですよね。


さて、ここまでは後半の駆け足展開についての解説でした。
どうでしょうか、ちょっとは見方が変わりましたか?
え?まだ舞人と桜の丘の子供たちについての疑問が残っている?
あれも実は明言こそされていないものの、作中のグラフィックに暗喩が隠されているんですよ。
丘の上には桜が二本ありますね。
単純に一本は桜花、もう一本が朝陽だと思っている人が多いですが、実はちょっと間違っています。
二本がそれぞれ桜花と朝陽だとすると、もともと桜の丘の住人だった(と思われる)舞人の木はどこに行ってしまったのでしょうか。
さて、ここで桜の背景CGに注目していただきたい。
二本あるうち右手の大きな桜、これが二つに枝分かれしていることに気付きませんか?
そうです、かつて同じ存在だったものが枝分かれしたもの、それが朝陽と主人公なのです。
人や愛を恐れず信じたいという気持ちが桜井舞人になり、傷つくことを恐れて一人を選び格好つけることを選んだのが朝陽という存在になったのです。
この舞人=朝陽という説は無印版の段階では単なる推測に過ぎませんでしたが、完全版(という名の蛇足版)の中で、朝陽と名乗る少年がまるで舞人のような口調で桜花に語りかける過去エピソードが収録されたことで、確たるものとなりました。
……ちなみに個人的には完全版は改悪だと思ってるので、無印が好きな方にはあまり勧めないです。あしからず。


長々と語ってしまいましたが、この作品についての「未完の名作」という汚名が少しでも雪げたなら幸いです。
もちろんこんな小難しいこと考えずにフィーリングで楽しむのもアリです、むしろありのままを感じて楽しむのが本来の楽しみ方なんだと思います、ドクターイエローもそう言ってましたし。
ただこういう視点で改めてプレイしてみると、より一層この作品を好きになれること請け合いですよ。


「適当に、生きるな!」