登場人物全員に物語を与えたことで、子供から大人へと変節点を迎えようとする人々が味わうほろ苦さと、それに伴う成長を過不足なく描いた作品。ゲームが終わりを迎えた後でも、たとえ虚構に過ぎなくても、登場人物全員のこれからの幸せを願わずにはいられなかった。
時間のない方はSpecial Merge版をプレイしましょう。
★シナリオ出現順
「in the height of summer」(いわゆる表ルート) → 「a side role」(オリジナル版ではなかった追加シナリオ) →「blue marbles」(いわゆる裏ルート) → 「when one was a boy」(OMAKE;エピローグ)
★このゲームで特筆すべき箇所は、前作同様登場人物の視点が頻繁に入れ替わって物語が進行していくスタイルにあります。これにより、典型的ギャルゲー的主人公以外のキャラクター(たとえば、ヒロイン側の立場)の心情を必然的に掘り下げる効果を生み出していて、そこに新鮮さを感じました。
このゲームは、同一の出来事を複数の人々の主観から語らせることにより、ストーリーに更なる深遠さと説得力を持たせることに成功しています。
(以下、ネタバレ戯言、読んだところで価値なし)
★今回追加された a side role について。
脇役にしか成り得なかった、有夏と英輝の視点から眺めたシナリオ。
この2人を語り部として表ルートのストーリーを再び追跡します。
結論から言うと、このシナリオは、一度でも完全版以外の「僕と、僕らの夏」を触れた事のある人向きにつくられています。後続の「blue marbles」のネタを割っている箇所がある(特に貴理エンドをa side role視点で見る場合など)ため、blue marblesを一旦プレイしてから見たほうがいいのかもしれません。
個人的には、blue marbles:メインディッシュ、a side role:デザートというイメージ。
このa side role、実は複数の種類のシナリオがあります。
(in the height of summerの貴理エンドver.、有夏A&B ver.の3種類まで確認)
選択肢が一切ないため、このことに気づくのに少々時間がかかりますが、前作をプレイしたことのある人は、裏ルートを制覇しても、when one was a boy(OMAKE;エピローグ)が出てこないことに違和感を覚えるはず。
オリジナル版では表ルート:貴理と恭生、裏ルート:冬子さんという対比構造が組みあがっていて、表ルートの有夏シナリオは、あまりに浮き気味でした。今回では、a side roleで有夏ルートをフォローすることにより、「僕と、僕らの夏」というタイトルにふさわしく、まさに完全版といった出来栄えだったと思います。この2人が、貴理と恭生、そして冬子さんにどれだけ影響を与えたか。それが分っただけでも買った意義のあるものでした。
貴理を友情以上の感情で慕いつつ、恋のライバルにもかかわらず初めて女の子扱いしてくれた恭生に対して、複雑な思いを抱え戸惑う有夏と、貴理と恭生、そして冬子さんの有様を、さりげなく一歩下がった視点で支え、見守り続ける英輝と。
この2人を見られただけでも大満足なシナリオでした。
★シナリオについて
前作同様「in the height of summer」の恭生と貴理、「blue marbles」の冬子さんの対比が圧倒的。特に後者。
表ルートでは、冬子さんと主人公・恭生が結ばれる描写は存在しません。だからこそ、冬子さんを主人公として扱ったblue marbles(オリジナル版の裏ルート)の位置づけは、このゲームの制作者が仕掛けた一種の賭け。
傍目からみれば、お互いを思いあっているにもかかわらず、無自覚さと強情さからなかなか近づけない恭生と貴理。そんな初々しい恋に眺めるうちに、自分自身の過去と重ねて、羨望と嫉妬の念を抱き、2人の仲を妨害してやろうと企む冬子さん。恭生と貴理の視点では、冬子さんが頼りがいのある年上の女性として映っていただけに、裏ルートの彼女の変貌振りにはびっくりするはずです。
冬子さんがもつ「年上としての」眼差しと、恭生・貴理がもつ若者の眼差しの方向は一致しているのか、というテーマは前作の感想にも述べたとおり。
結果として、今回も冬子さんは、恭生に顔を向けることはありませんでした。眼差しは一致するどころか、交差することも叶いませんでした。とはいえ、言うきっかけがなくても、両者が決定的にすれ違っていたとしても、プレイヤーは冬子さんの視点を通して、恭生と貴理では見ることの出来なかったモノを見つけるはずです。
恋や故郷に対する冬子さんの斜に構えたような主観は、まるでプレイヤーの心を代弁するかのように突き刺さってきます。
冬子さんを通して投げかけられる、貴理、恭生、有夏や英輝の世代と、冬子さんの立場の違い。冬子さんが単独メインでこのシナリオの主役になっているのも納得がいく。有夏や英輝といった脇役の面々も巻き込んで、貴理と恭生の恋模様をみつめながら、冬子さんが抱く感情は表ルートの主人公たちのそれとは全くの別物でした。もう初々しい恋をすることが出来ないという嘆き、そして、もはや、彼らと同じ視線で故郷を見ることの出来ないという苛立ち。それらはプレイヤーと共通するものであるのかもしれません。
すれ違い、時にほかの人々に影響され、そして大切な何かを失って、涙を流す冬子さん。
最後、この部分でストーリーが止まりながらも「痛い」ではなくて「頑張れ主人公!」と思わずエールを送ってしまうような、そういう物語を私はまさに求めていました。
いくら歳を重ねたとしても、私にとって決して忘れることの出来ない、手放すことの出来ない珠玉の作品。
/*
「どこかに、記念として埋めたじゃないか」
「一緒に何を埋めたって言うのよ」
「何か、大事なものだったと思うんだけど・・・・・・
それが何かがわからない」
*/
「幼い頃に置き忘れた何か」「子供と大人、その境界線を決める何か」を、読者と一緒に考えるストーリー構成は、まるで宝探しのよう。主人公に共感して読むタイプの読み手ならば、地味な作風ながらも何か心を捉えるゲームになるでしょう・・・・・・多分。
★ダムに対する有象無象
ダムによって故郷が沈められるという、個人の力ではどうすることの
できない不可避の出来事。空気のように当然あると思われたものが、
失われてしまうという哀愁。時の流れに従って、何もかもが変わっていく。
個人の主観とはお構いなしに。これは誰しもが味わう苦味。
そういった苦味は、主人公たちがダムに対する印象を語る場面で代弁されている。
源流に近い上流では、底が見通せると見まごう程に青く透き通っていた川の水も、ダムの工事現場を過ぎると泥砂にまみれた黒い水に成り果ててしまうように。
あるいは、ダムに貯めらていく水は、初めは青い水を湛えていても、数ヵ月も経つと腐って濁ってしまうように。
懐かしいもの、美しいものが、時の経過とともに失われ続けるという必然性と無常観。
それに対する苛立ちと焦燥感。
そうした、大部分の観客が、何となく積み重ねてきた感情が横たわっている。
・・・・・・とダムを解釈してみるテスト。どう見ても、この解釈はどうでもいいです。本当にありがとうございました。
何はともあれ、ダムが時間の流れをせき止めてくれれば、一番いいのだけれど。