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lawrenさんの最果てのイマの長文感想

ユーザー
lawren
ゲーム
最果てのイマ
ブランド
XUSE
得点
99
参照数
6748

一言コメント

消えてゆくもの、無かったことへの郷愁。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

・最果てのイマについて
物語として破綻しているという非難が多い。
一応、一貫するものはある。だが、聖域編と戦争編で人物から展開までがらりと変わってしまうのには、誰しも戸惑うだろう。

大まかな構成は家族計画に似ている。
家族計画にとっての長い長い「日常」は、無関係なものの積み重ねが最後の意思を決定するという、あらかじめ決められたプロットに沿った従属的な位置付けだった。
対し、最果てのイマにとっての「聖域編」は、それが意思を決定するという点では共通するのだが、こちらはそれ自体で楽しめるものとして、独立して設計されている。
すなわち、何気ない言葉に秘められた繋がりを見抜いていく楽しさ。そこには成長、希望、諦観、悲しみ……様々なものが含まれている。
この独立性が、そのままゲームの分断を招いてしまった。これについては、もう少し何とかならなかったのかという不満が私にもある。


・聖域編と戦争編
聖域編と戦争編はほぼ独立していると書いたが、では物語の主軸はどちらなのか。
聖域編の面白さはそれまでにない種類のもので、何度でも楽しめる。
初回時に味わった違和感の分だけ、2回目の喜びも大きい。聖域編は読むことの楽しさが味わえる。それ散るが好きなので、これにははまった。

では、戦争編は?これも一流。ただ、こちらも暗喩が多用されている。よって、解答のヒントとして、ライターさんは作中に、いくつかの参考文献を残してくれた。(物語の中でそんなものを書く作家は駄目という文句は言ってもいいと思う)

この感想では、戦争編の解釈を書いていこうと思う。
ちなみに、かなり大胆な仮説を立てて解釈しているが、素直にSFとして読んでも無茶苦茶楽しい。
chapter『隔離された記録・3』で語られる群体の発想と、説得力。
本当にそんなものがいるのではないのかと思ってしまった。このチャプターがあったので、それまで決して印象の良くなかったこのゲームを真面目に評価しようと決めた。


・戦争編関連の本
前置きが長くなるが、戦争編に関係すると思われる本について。
哲学や心理、政治などの人文、SF、脳科学。このあたりがメインターゲット。
馬鹿なうえに上記の分野全てにおいて門外漢なのだが、それなりに暇な身分なので、いくつか読書。
私の中ではCROSS†CHANNELはコジェーヴを引用したフクヤマの論(これに東の『動物化するポストモダン』が続く。俗に言う「マクドナルド化」)、
最果てのイマはそれの代表的な反論であるハンチントンやジジェクの論のイメージ。
左翼と右翼の論争とも言う。

重要なのが、ゲーム内でも紹介されている、トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』、クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』
現実的問題(9・11とか)で、今もよく議論の叩き台にされる、サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』
GVPのマクルーハンは作中の解説で充分。ユングは読むのを忘れた…。
脳関連はあまり読んでないのだが、池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』は講義録形式でわかりやすいし、意識の発生と脳の関係についても触れている。
SFは…ディックやサイバーパンク系かな?

本の概要
『リヴァイアサン』→人間は自然状態に置かれると、本性(競争、不信、誇り)から必ず争いが起きるし、その権利も有する。悲惨な戦争を回避するために、すべての意志と権利を一人格に統一すべきだ……という話。

『文明の衝突』→冷戦の間棚上げしていた問題が火を吹き始めている。中国を始めとする非欧州国が力をつけ、欧州圏に挑戦してくるので、今の優位を保たないとまずいぞ……という話。

用語
「ミーム」について。ミームはドーキンスの『利己的な遺伝子』の造語。

『利己的な遺伝子』の定義する「ミーム」→「文化、宗教、観念などが、他人に寄生し、伝播する事」……宗教が一番わかりやすいが、日本のアニメもミームと言える。
ちなみに本の概略は、生物は遺伝子により行動させられており、その遺伝子は全てが利己的に行動している。動物の間でも見られる利他的な行動も、ゲーム理論のような考え方で見ると利己から発せられたものであるという内容。(社会保障などは生物学的に見ると崇高で異常)レヴィ・ストロースが社会の成立を多くの民族の事例によって導き出したように、生物学的に動物の行動を説明した。

最果てのイマの中で使われる「ミーム」→大気に偏在し、人の脳に寄生する微生物。文字通り全ての人が繋がり、情報を共有できる。

※重要なのは、何故、本来の定義とはあまり関係が無いように見える「ミーム」という言葉を、情報の塊といえる微生物につけたのかということ


『ミームによって人々が繋がると、創発によって新しい現象が生まれる。それが「敵」』というのがゲームの設定。
これはつまり『情報によって、世界の文化が繋がり、一体化すると、「敵」が現れる』と言っているのだ。
「敵」が暗示するものはなにか。


・戦争編の意味
長くなって申し訳無い。上記の概要と用語を踏まえた上で、戦争編について簡潔に記述。

【戦争編の理念】
『情報技術によって、地理的な距離に関係なく人々が繋がることになった。
それは、思想、文化、宗教の違いも明確になり、互いが相容れないものであることの証明になる。
そこで勃発する戦争は、先の大戦のような巨大欧州戦争ではない、人類未曾有の大戦争となるだろう』

『戦争を避けるためには、人々を統治する絶対的な王(リヴァイアサン)が必要だ。それが、貴宮忍。
彼は、無秩序(ビヒモス)と闘わなくてはならない。』

これは最終的な忍の意志ではなく、あくまでGVPの理念。


【戦争編導入以前の世界情勢】
『急激に伸びるBRICSやアジア諸国をコントロールするため、日本を含む先進国が、洗脳装置としてミームを使った。
それが指摘、公表されることで、国家間の対立が明確になる』

この「対立」や「人々の反発心」、つまり、地球規模の「内乱」が、「敵」なのである。

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最新の人類学レポートからは、社会的複雑性を読む限度は150名足らずであると言われる。
僕達は他者の心について推し量る、凄まじい超常能力を備えているが、でも数が多すぎると対応できない。
心が、150名しか読心できない心が、有機的に億と連結された時……彼は目覚めた。
限度を超えた接続から生まれ、その個体を激減させることで適切な距離に──
あるいはそれこそが、陳腐な言葉だが大自然の摂理と言う──
chapter『お茶会―2』
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【戦争編の本編】
『王の王たるゆえん。王権をめぐる争い。闘う意志の構築。』


【戦争編の結末】
『王と敵の戦争。その結末は……』

敵との戦争により「人口が激減」する。そして、不安定ながら、希望を明日に繋ぐという結末。この「人口」もキーワード。

リヴァイアサンは言い回しがややこしいので、文明の衝突から抜粋。
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一つの集団の人数が増えると、それが他の集団にとって、政治的、経済的、社会的圧力となり、相手側が均衡を保とうとして反応する事が多い。
さらに、人口増加が少ない集団に軍事的な圧迫感を与える。(原文少し改編)
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戦争によらずとも、人口数の増加に伴う文化や観念、宗教、言葉の侵略は、血を流さない侵略行為である。民族意識の薄い日本でさえ、現在もアイヌへの侵略を行っている。
先進国は人口が減り、一方、挑戦国は人口が増え続けている。これから侵略に晒されても、立ち向かう力がない。

それを防ぐためのシビリアンコントロールにも失敗し、ここに至ってGVPは「侵略に立ち向かうには、人口を減少させ、適切な距離を取り戻し、それぞれを聖域(個室)へ帰還させるしかない」と結論した。つまり、粛清だ。
忍の目的はそれとはまた少し違うと思うのだが、それは後述。
どちらにせよ、どうしてもこの戦争は必要だった。侵略に立ち向かうために、侵略する。その矛盾に忍は苦しんでいた。

しかし、人類は98%死ぬか発狂したのに、千鳥なども含め、5人の聖域メンバーは全員無事だ(章二の死因は戦争ではない)。
そこには忍による「死者の選別」が行われたとしか思えない。
この主人公は、迷いながらも自分に都合の悪いもの(あずさの母親など)は粛清し、仲間を残した、偽善的な独裁者だという見方もできる。


・家族計画、CROSS†CHANNEL、最果てのイマについて
貴宮忍の、全てに優先する価値観は、聖域という考え方。
しかし、その聖域にも問題がある。それは、あずさの母親との会話に見る事が出来る。
倫理は別にして、彼女の主張は「こちらの聖域に入ってくるな」という、忍の主張と同じなのだ。


ここで家族計画を例にする。例えば、高屋敷家と、茉莉の義理の家族を比較してみると面白い。
聖域を保護するのをあまりに重視すると、別の聖域内で苦しむ人を、外部から「救済」することは、「侵略」行為となってしまう。
だから司は、茉莉を助けるのにあれほど悩んだのだろう。
人の倫理は統一されない(高屋敷家も、ある人から見れば悪だ)ので、大義足りえない。

「助ける理由と、責任は!?」「助ける理由と、責任は!?」「助ける理由と、責任は!?」

この問題が解決できないので、人は接触を避けるようになってしまう。


CROSSCHANNELは、その行きつく先を描いた。正常な人間は「薄くなって消えてしまった」世界。残るのは、狂人だけ。
ニーチェは、生の目的や普遍的な倫理(神)を失った世界には、人間はいなくなると予言した。自身を形作る規範を失った彼らは、動物になるか、発狂するしか無い。
個を志向し続けた結果、世界に一人きりになって初めて、一人では生きられないと気付くような社会。


そして最果てのイマでは、個が強くなりすぎた反動として、社会が個人の性質、意志を捨てさせてしまう。
それを束ねる独裁者ですら、その意識は情報化され、保存される。
人間は記号と記録の存在となる。それが最果て。
今は、ここに在る。それ以外は存在しない。身体も、記憶も、心も。

この物語の結末は、そういった諸制度を崩壊させ、明日に向かって生きていくこと。つまり。


「自由主義(CROSS)も共産主義(家計)も独裁主義(イマ)も本質は同じ。ならばそんなものぶっ壊して、人間本来の自然状態に還れ!」

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忍(俺はこの世界を憎む、構造を憎む、冷たさを憎む!)
忍(……章二、章二!)
忍(いつだっておまえが正しかったんだ!)
chapter『人類結合』
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※※※
家族計画が共産と書いたが、高屋敷家内では、その中心であり倫理である司が、契約違反(準)に対する罰則を下さない。信頼で結ばれたその体制は理想的な形だが、あくまで理想。実際にはそこまで他人を信じられるものではない。必ず崩壊するというのも暗示的。

ちなみに、私はこの三作と神樹の館しかプレイしていないので、他がどうなのかは知らない。
(追記)人類は衰退しましたも読んだが、この流れの中に含めていいと思う。
ホッブズの「自然状態は野蛮で危険だー」って主張を、アホかと一蹴しているのが素敵だ。


・こんな物語にした意図
作品を難解にした理由に『学問のすすめ』と同じような意味(清のようになりたくなかったら勉強しろ)での、
「勉強しろ」
があると思う。

ライターさんは、主にあずさ関連のイベントで触れられるゆとり教育について、冗談めかした書き方をしているが、繰り返し強く批判している。
私もゆとり世代で「そんなにしてほしかったら勉強の方から訪ねて来い」派だから余計にそう感じたのかもしれないが。
世界は常に混沌とし、その中で日本は(悲観的に見れば)危険な立場に追い込まれつつある。だから笛子も「現実と戦う力を付けるため」に皆と違う学校を選ぶわけだ。


・絵や音などについて
音声は、必要ないかな……。演じる人も、担当キャラのみでは話がまるでわからないだろうし、そんな状態でいい演技が出来るとは思えない。

声が無い分は、その他の要素で十分補填できている。
なんといっても、見る度に鳥肌が立つムービー。背景、色彩の美しさは、感傷的な黄昏の風景を演出するのに大きく貢献している。雑音とならないよう、主張を抑えたBGMも好き。
あらきまきさんを始めとするスタッフもこの作品に欠かせなかった。田中ロミオさんの作品の中で、最果てのイマが一番良い環境だったと思う。誤字脱字は多いけどな。
XUSE万歳。

07年9月
一言感想変更。長文は直すのが面倒なのでそのまま。
4回目のプレイ。胸が痛い。
サティを使っているから当然なのだが、音が特に素晴らしい。
また、エンディングテーマもいい。

夢でした 変わらずにいる事 人は何を 探しはじめる