このゲームで最もやられたのが、最初から出てきた『あの場所』の終盤のシーン。伏線の回収、主人公の役割、タイトルの意味、すべてがつながったようにも、そこにようやく救いがあるようにも感じられて、涙が止まらなかった。夏休みゲーでも、しろはゲーでも、チャーハンゲーでもある、唯一無二の「へじゃぷ」ゲー。登場人物たちの何気ないセリフが真実すぎる。音楽も素晴らしく、このためだけでもプレイする価値があると思う。アニメもとても楽しみ。
無印は未プレイ。Key作品は初。
※最初からネタバレがたくさんあります。
※ミニゲームは遊びきれておらず、一部しか評価に入れられていません。
※憶測や、妄想の飛躍めいたものを含みますので、ご注意ください。
「でもね、ふと思い出して……ポケットをさぐると、その欠片が残ってたりするの」
「欠片……」
「うん。本当に小さな欠片」
「でも、それが何なのか思い出せないの」
「この蔵は、そういう場所のなのかもしれない。」
「誰かの大事な何かをそっとしまう場所」
「そうして、忘れられた場所」
「ポケットみたいな場所、ですか」
「うん」
Pocket EDは、羽依里がうみを見つけ、想いをつなぐ物語になっている。
羽依里が加藤家を後にしたときの響子さんのセリフ(「これでよかったんだよね」「瞳」)によって、島に呼んだこと、蔵の整頓をしてもらったことが、全てではないにせよ意図されたものであって、かつ、しろは母の意志に沿ったものにみえる。(※明示的な描写はないため、あくまで憶測です。)
こう捉えると、羽依里の夏休みの行動には意味があったと考えられる。
蔵の中のものに名前を付けるのは、一つ一つの欠片が何であるかを見ていくことが必要だから。
響子さんが手を貸さないのは、羽依里が自分で探すことに意味があるからで、羽依里でなければならないから。
夏休みの終わる3日前までかかるのは、全てを整頓しないと見つけられないくらい遠い思い出だから。
全ての欠片を選り分けてようやく、窓からさす光に、そのまぶしさに、うみとの思い出を、「いつか、遠い夏、ポケットの中に大事にしまっていた思い出」を、羽依里が見つける。
本作はALKA後半以降の話がキツく、救いがないようにみえる。
たしかに夏休みに囚われた状態は戻る。それでも、しろはの、うみを案じる思いも、うみの、本当はしろはと羽依里ともっと過ごしたいという思いも報われないままで、あれだけ魅力的だった三人の夏休みもなかったことになってしまった。過去を変えたことは、代償ばかりで得られたものが見えてこない。Pocket本編では羽依里も蚊帳の外で、主人公が何とかしてくれることもない。
しろは√の、主人公の過去の克服がヒロインの問題を解決する王道物語。それとは全く異なる、救いのないものに意図的にしている、そんな風にみえていた。
だからこそ、蔵のシーンは重要だと思う。
うみの過去を変えた行為も、その想いも、しろは母に導かれるように蔵を整頓し思い出の欠片を探すことを通して、羽依里に伝わる。記憶がなく無自覚でも羽依里は自分で、蔵の中を、欠片を探す。そして、うみを見つけ、しろはに想いをつなぐという主人公としての役割を果たすのである。同時に、Pocket本編にあった、しろは母がしろはを想って行動しているという伏線も回収されている。
本作で最もカタルシスを感じたのは、ここに気づいた瞬間だった。
過去を変えた代償と比較したら、小さなことかもしれない。
それでも、蔵の中の光にうみを見つけることも、紙飛行機によってしろはと再会することも、それが偶然ではなく、しろは母と羽依里が起こしたことだと理解できたときに、奇跡であって奇跡でないと気付いたときに、うみのやったことを未来につないでいるのだと、この物語には救いがあったのだと、感じることができた。
ポケットの中にあった欠片は、それが何だったかもう思い出せない。けれど、確かにそこに意味はある。そんなことが、そのままこのEDのストーリーになっている。
こうした見方は解釈の一つに過ぎないかもしれないが、羽依里が主人公としての役割を果たしていると考えた時にはじめて、蔵の光にうみを見つけるシーンの独白が意味をもつと思う。このEDだけではなくメインストーリー全体のクライマックスとして用意されたのではないかと思えるほど、そこにはうみを想う気持ちが溢れている。
その顔は、ふりそそぐ光に遮られはっきりと分からない。
だけど、俺はあの子を知っている。
あの子を知っている。
あの子を覚えている。
あの子を、俺は忘れない。
だから。
だからーー
「うみ!!!」
「帰ってこいよ!!」
いつか、遠い夏、ポケットの中に大事にしまっていた思い出。
いつの間にかなくしてしまったとしても。
長い君の冒険を。
決して、忘れはしない。
それはほんの一瞬だが、しかし主人公としての羽依里の強い想いが描かれる。しろは√のクライマックスを彷彿とさせる、音にならない声と、簡潔だが力強いテキスト。本来なら忘れてしまっているはずなのに、魂に刻まれているとでもいうかのように強固なその想い。光の向こうのうみも、かすかに笑ってくれる。
このシーンによって、羽依里が、忘れていると同時に、「俺は忘れない」「決して、忘れはしない」という自分自身でさえも見つけることのできない想いを秘めていることが、眩しさの中に明らかになる。この『見つけられない想い』こそ、知らずにうみのために自分を行動させ、ポケットの中の欠片の意味を体現させるものの正体である。そして、過去を変えてしまったうみに対してプレイヤーが抱く、救われない思いへの、作中唯一主人公を通して語られる答えでもある。
このゲームのもつ本質的な魅力は、いつか過ごしたはずの最高の夏休みを描いていることにも、終わりは必ずきて前へ進まなければならないと、夏休みの楽しさと相反するものを描くことからくる寂しさや感傷にも、また、思い出の欠片の帰結に当たるラストにも、きっとないと思う。
蔵に始まり蔵に終わる、このゲームの魅力。
それは、思い出に囚われてはいけないと、しろはとうみの涙をあれだけ描いても、それでも容赦なく突き付けながら、たとえ忘れてしまってもポケットの中の欠片に意味はあるよと、そっと希望も付け足してくれるところに、あると思う。
以下は蛇足ですが、√ごとの内容や、音楽、「へじゃぷ」と真実に関する感想です。
最後の評価に関する部分は、ここまでに書いた内容も念頭においています。
鴎、紬、静久、蒼√
鴎や紬から始めたが、最初はあまりハマらず。ヒロインの問題に主人公がなぜあそこまで本気になるのか動機が弱いように感じてしまった。劇中の「現実」から不思議世界に移行するところは、鴎は島内を探しながら徐々に、紬は1枚の写真で一気にで違いはあれどとてもスムーズだったし、現実離れした話にするからこそ面白いはずなのに少し残念だったところ。
それでも静久は、相談にのる、記憶、母親、付箋といった作中の要素を余すところなく回収したEDも、紬に嫌いと言わせる見せ方もとても感動させられ、蒼も気づいたら問題解決を応援する気持ちになっていて、終盤の「羽依里は……この夏、楽しかった…?」も本作らしいグッとくるものがあった。
√によって印象が変わったのは、主人公への慣れのほかにも、鴎と紬が、その存在も、抱える問題も不思議世界そのものなことに比べ、静久や蒼は不思議世界に巻き込まれる形のため、現実世界に軸足があり問題解決の構図に感情移入しやすかったからだと思う。
しろは√
少し批判的な部分も書いてきたのは当然解消されるからで、それが本作の個別で一番好きな、しろは√。
特徴的なのは、「いや、好きとか、そんなわけないだろ」「俺、先月きたばかりだぞ」という、良一が釣りをしながら会話するシーンの羽依里のセリフ。恋愛要素を表向き否定しつつ、しろはとの会話や釣りや料理によって徐々に距離が縮まり、友達以上恋人未満の感じを上手に出している。しろはの、そのあまり自分の内面を表に出さない性格と相まって、とても自然で魅力的だった。
この√の魅力は当然といえば当然で、共通から主人公の性格は(おそらく)しろは√にあわせて設定されているからで、ほかの√のライターこそよくこんなに違いを出せるなと思ったし、主人公の内面設定や水泳に関する思いを使わずに感動的なストーリーを作ったことの方を褒めるべきかもしれない。
そんなわけで、この√でようやく主人公に魅力を感じることができた。
特に好きなのは、しろはに、羽依里が自身の過去を打ち明ける場面。その内容も想像していたものを軽く超えるくらいに重く、なかなか島の人に言えないことも納得できるうえに、彼がどんな気持ちで島にきたのか、打ち込んでいた水泳に裏切られ、学校にも家にも居場所がなく、なかでも父親のくだりは衝撃で、その絶望が表現されている。
これを、同じように島に居場所がない、しろはにだけ打ち明ける。
良一に「好きとか、そんなわけない」と言っていたのが効いていて、この秘めた思いを明かす場面は好きとは一言も言っていないのに、そんな一言よりもずっと二人の心の距離を近づけてくれる。実際、ここに続く会話はもはや告白にも付き合ってるようにも感じられる。
しろはを信じる羽依里。
しろはを助けるため、夜の海に躊躇なく飛び込むシーンが非常に印象に残る。裏切られた水泳を、あれだけ絶望していたのを、ここはたった数クリックで軽々と超え、止まっていたその先に『飛び込む』姿が描かれる。「きっと一瞬でも遅れていたら、彼女の姿を見失っていた。」という記述。場面のもつ緊張感と、その一切迷わない描き方は、ぎゅっと短い時間に凝縮されていたからこそ思わず感心してしまった。
大事な大会に負けたこと。期待を裏切ったこと。挫折を乗り越えようと、必死にしろはに手を伸ばす。お互いに、なかなか掴みきれない、しろはと羽依里の手の描写。
もう少し……
あと、わずか。
届け!
届けーー!
「届けえええええええ!」
水中なのにあえてセリフで表現される、しろはへの、そして過去の自分を超えようとする想い。王道だけど、ここは引き込まれた。本√のクライマックス。
しろはへ過去を打ち明けることを通じて、主人公の抱える問題が読み手に提示されていないと、その苦悩に抗う姿が読み手の感情移入を起こさないと、表現できない場面。
鴎√ではこのライターの魅力に気づかなかったが、ここはそれまでの話の流れも、この短いテキストで表現されるものも、場面に非常にはまっていて、サマポケってこういう『重さ(軽さ)』でこういう『形』を描きたいのかなと思うくらい、魅了されてしまった。(なお、ALKA以降は異次元の重さになるので、これはあくまで個別全般の感想。)
テンポがよくギャグも挟んで読みやすいくらいにしか思っていなかったのに、むしろ、簡潔な記述だからこそ深い表現がより刺さるというか、絵や音楽ともよく合うし、一文も目が離せない、そんな感想をもった。
EDも、OPの写真のカットを回収しないのかな?と思わせておいて、まさかの展開でクスっときつつ、綺麗に締めてくれる。
先に、堀田ちゃんを使って「次のお盆にはまた来るんでしょう」「それは分からないな」「けど、いつかくるよ」とやり取りさせておくのも巧い。ほかの√では、ヒロインへの入れ込み方や翌年もまた島に来る感じが、話の展開の重さを使う少し強引なようにも、主人公が巻き込まれた運命に囚われているようにも感じたが、この√では圧倒的に自然。こいつ絶対すぐ、しろはに会いに来るだろ。
夏の最後にお互いの想いがわかるところも、ED曲も、写真も、まさにひと夏の出来事、最高の夏休みだったことを感じさせてくれる。
識√
名前、自分を鬼だという自己紹介、少し幼い性格設定とのギャップ、おにぎり、鬼ごっこ、料理、古文書、と登場当初からそこかしこに散りばめられた伏線と、それを使い切ったストーリー展開が非常に上手くできていたと思う。
鬼ごっこの、触られると今度は自分が鬼になる、たったそれだけのことに思いっきり感動させられてしまった。
声の演技、音楽など
声の演技がよい、とっても。日常パートでキャラを上手く立てておいて、ここぞというときの引き込み方が抜群。どの声優さんもみんなこんな感じで、大事な場面はどの√も(ハマらなかった個別でも)グッときて感動させられてしまう。
「むぎゅ。」もかわいい。
「むぎぃーーーーーーーーー!」は声もジト目もかわいい。
ただやっぱり個人的にツボなのは、しろはの声。ちょっと抑えめで、息づかいを感じるような声は、それだけで魅力に感じる。島ポンの「きえぇぇぇ」すらかわいく聞こえるのには、もはや笑ってしまった。
音へのこだわりも流石というか、水に濡れたタオルを絞るときの音、島の外れで波がぶつかる音など、細かいところが本当に丁寧でリアルに聞こえる。
音楽もかなり期待していたのに、それを思いっきり超えてくれた。
『Summer Pockets』はゲーム開始の瞬間、『White Loneliness』はしろはに会った瞬間、世界が変わるように引きこんでくれる。
『蝉声とともに』も、絵と光の演出がこんなに綺麗な作品なのに、しっかりノスタルジーを与えてくれる。音だけで。
『夜は短く、空は遠くて…』は、もう言葉にならない。
『眩しさの中』に至っては、ゲームはおまけでこっちが本体なんじゃないかと思うくらい、プレイ中の感情に何度も浸らせてくれる。
水月陵さんの音楽が好みすぎて、これだけでもプレイした価値があったと思う。この世界、才能の塊みたいな人がまだまだいるんだなと思わされてしまった。
ALKA
「でも、このなつは……にげないって……」
「……きっと…さいごだから……」
無印のメインキャラを総動員して、うみとしろはと三人の最高の夏休みを魅力たっぷりに描く。と見せておいて、写真とうみの秘密が明かされる瞬間が際立っていた。しろは√のあの写真がこんなに悲劇的に使われる、というところが腹に重たいものをぶちこまれたようにエグい。「かえして……おかーさんのしゃしん……」。このセリフの衝撃は忘れられない。
しろは√の展開をなぞり、羽依里が、うみのためにも、しろはのためにも、自分のためにも行動するところは純粋によい。トラウマを克服し、二人の距離が縮まり、あのとっても二人らしいキスシーンを初出しするなど(ここは作中で唯一、18禁と同じかそれ以上に深いものが描かれていると感じたシーンでもある)、見所がたくさんあるはずなのに、二人が仲を深め幸せになっていくのと反比例するようにうみの存在が抜け落ちていくため、感情のやり場に困ってしまう。「おとーさん。」の破壊力と、その裏返しのような、気持ちの悪さ。
「お……おとーさん、も……」
「しゃしん、いっしよにー……うつろ?」
写真だったら、しかもこんなに素敵な三人の写真だったら、記憶をとどめておけるのかなと期待させておいて……。
三人で川の字に寝る場面も、縁側でお腹の大きくなったしろはが未来を視てうみを思い出す場面も、『夜は短く、空は遠くて…』が流れる。この曲が流れる度に、その場面が余計に特別に感じてしまう。
「……ぜんぶ、かなったから……」
「すごくたのしい、なつやすみだった……」
記憶を失くしてるのに、二人から認識されない時間もあったのに、すごく楽しかったと話す。これでもう最後なのに、夏が終わって欲しくないと初めて思った、というセリフ。心を掻き毟られるような感覚といえばいいのか。泣きゲーの感動って、こんなにプレイヤーの心に代償を強いるものなんだと思わされてしまった。
花火の終わり。もう、気づかない二人。
BGMは消えて、波の音だけ。
キツイ内容だけでなく、こうした一瞬もとても印象に残った。
Pocket
七海とちびしろはがチャーハンの材料を集めながら、ちびしろはのために行動しているようで、思い出を巡りそこに閉じこもっているだけ、というのがよくできている。
「おかーさんがいなくなってからはじめて……来たの」。向日葵畑でちびしろはが両親を、ついこの間まで当たり前だった日常を想うセリフの破壊力。ぎゅっと心臓を掴まれたような、幼い彼女の心情が痛いくらい伝わり、後の場面に効いてくる。
ちびしろはの絶望の描き方が巧い。プールから逃げるシーンも、その場の感情のまま力を受け入れるのではない、というところに意味があって、(たしか)数日経ってから橘の木の場面にくるからこそ、辛さや絶望が深いことも、覚悟もわかるようになっている。
七海がちびしろはを思い止まらせるために届けたのが、楽しかった未来の夏の記憶だったというところも引き込まれた。そのために個別√があったと感じられるような、思い出を振り返る演出。これまでのゲーム体験も生かし未来の思い出がどれだけ素晴らしいかを伝える。
そして。
うみの、本当はまた三人でいたい思いは叶わない。
しろはの、うみを救いたい思いは叶わない。
ALKAに出てきた、うみの心の支えになってた『悲しいときに読む手紙』。「悲しいときは、我慢しなくてもいい」、この書き出しから始まる内容は、これを書いた時の気持ちが想像できるようになってから見返すことで、プレイヤーの心に痛いくらいに沁みると思う。
うみ√
所々で出てくる父親関連のセリフは、Pocketまでやっていると意味が変わってくる。この√を最後に回すことを推奨するサイトを見たけど、納得。BAD EDからの分岐だったのは驚いたけど、おそらくPocketよりも後にやることも十分想定されているのだと思う。
「だから俺が叱ってやっただろ」
父親の代わりにと羽依里が言うこのセリフは、真相まで見たプレイヤーには堪らない。うみにはとても意味があるセリフだっただろうし、同じ「羽依里」が言うことに意味があるセリフでもある。
水泳のトラウマを克服するところは、とてもいいシーンだった。叱咤激励でもなく、目の覚めるようなイベントでもない、羽依里に対する受容と過去の肯定。静久√でもあったけど、これをうみがやるのが、子供っぽいけど本当は意志の強さや芯があることを知っている分、余計に自分には響いたと思う。CGの構図も映える。
全体的に、しろはにもちょくちょくいいところが与えられていて、流石うみ√だなと思ってしまった。ラストでうみが、しろはが来ていることを伝えるのも「らしさ」が出ている。
「……ありがとう……」
船に乗る直前のセリフは、この、ありがとうに多くの思いが込められているように感じてしまう。自分のことも、父親のことも、本当のことは何も伝えられていないけど、それでも羽依里が楽しい夏休みにしてくれたことが伝わってくる。
「ちょっとだけ…………ばいばい」
このセリフも、夏休みを繰り返しているうみにとっては多分本当にちょっとだけだから、本来なら別れている時間がちょっとなら嬉しいはずなのに、どこか哀しさを感じてしまう。こういう意味が重なるところに物語として描くことの妙があると思うし、ALKAを読む前と後で受け取り方が変わるのだから本作の醍醐味ともいえる。
「鷹原さん……!」
「ーーん、ありがとう」
ラストは、胸に沁みるものと、ちょっと寂しくなるような余韻がある。
「へじゃぷ」と真実
OPに入る手前のしろはとのやりとりに、羽依里が未来の記憶を懐かしむような記述がすでにある。ゲーム冒頭から出てくる「へじゃぷ」。この言葉は、デジャヴのようでデジャヴでないものに、過去の記憶にあるかのような既視感のことではなく、未来の記憶の既視感に使われている。だから、冒頭のおばあさんのセリフも嘘ではないといえる。
このゲームは、正体を明かす前にうみが零す「おとーさん」というセリフなど、誰も彼もが本当は真実を話している。こういう些細な伏線に至るまで作りこまれている。蔵の光の中の羽依里も例外ではないはず。彼は本当に「忘れはしない」のだろう。
真実を話すという点では、Pocket EDの海辺の独白も面白い。
彼らは傷ついていたから、出会えた。
もし、その傷がなければ……
出会わないのだろうか。
出会わないのだろうか?いやそんなことはない、といった問の否定にも、傷がなければ本来出会うことはない、だから出会うためには傷とは別の要素が必要、という問の肯定にも、どちらにもとることができる。どちらも作中では真実だと思う。(後者は、思い出の欠片によって出会えたことに羽依里は気づかないため、彼の主観では嘘ともいえる。こうした真実でも嘘でもあるところにも面白さはあるかもしれない。)
ミニゲームも凝っていて、島ポンはキャラの魅力が詰まっていて面白い。しろはの超れいだんには何度もピンチを救ってもらった。BGM、立ち絵の差分の見せ方、動き、音による演出、などなど細部までとても丁寧に作られていた。かくれんぼに疲れてしろはの膝で眠るうみや、蔵の光の中のうみなど、素晴らしいCGもたくさんある。複数原画家に複数ライターというところも、驚くくらい一つの作品としてまとまっている。
ディレクターの方の手腕によるものだと思うが、全体を通して表現したいものへのこだわりが感じられた。特にメインストーリーは、読み手の解釈に依存する部分はあるものの、作品によって立ち上がらせようとしていたものを見事に表現していたのではないか。こう思うのは、作りこみに加え、夏休みという題材から「最高の楽しさ」「必ず来る終わり」「思い出の欠片」といった要素を選んだことや、その描き方について、非凡だと感じたことが大きい。
家族愛をたっぷり描きながらほとんど「必ず来る終わり」を表現するための要素にしかなっていないことも、成長物語にしていないことも、最後はどの√よりも普通の、ちょっと寂しいくらいの夏休みで終わることも、一つの方向に作品をまとめていると感じる。それらは他作品との差別化になっていると同時に、夏休みが残すものの現実でもある。そうした現実を用意し、他の要素ではなく遠い夏の「思い出の欠片」によって希望が示されるからこそ、忘れてしまったポケットの中の欠片のもつ意味が表現される。
あれだけヒロインの思い出に対する気持ちを描きながら、その欠片がもたらすものに本人たちは気づかない。それでも意味はたしかにあった。この描き方が絶妙で、思い出の中の夏休みに対する表現としてこれ以上ないと感じる。本作を評価する最大の理由である。
素晴らしい作品。思いっきり楽しめて、ぼろぼろに泣かされ、Summer Pocketsという言葉に、余韻に浸ることができた。