かずさと雪菜のどちらに共感するかはプレイヤーの経験・性格に依存するはずだが、ライターがこれを見誤った結果、後味の悪いゲームとなった
以前投稿したレビューに大幅な追記をし、内容を構成し直した結果、あまり原型をとどめていなかったため、投稿しなおしました。以前のレビューにコメント・投票を下さった皆様には申し訳ありません。
注:雪菜が好きな方にとって不愉快になる表現が含まれている可能性があります。罵詈雑言にならないようには注意したつもりですが、お読みいただく場合にはその点につきご了承願います。
ご本人から承諾を頂きましたので、nanachanさんのレビューhttp://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=13255&uid=nanachanを一部引用しています
1・序
間違いなく、夢中になって読み進めていったゲームで、私が90点台をつけているゲームの大半よりもプレイ中の集中度は上だったと思う。しかし、クリア後の後味が大変悪かった。(得点は97点から後味の悪さで10点マイナスです)
これは、私が雪菜よりもかずさに感情移入していることに加え、雪菜がどうしても好きになれないことに起因する。
登場人物みんなを見渡せば、間違いなく雪菜のTRUEエンドが一番みんなが幸せになれた結末だろう。しかし、あのルートを見てもなお、雪菜に対する嫌悪感が多少薄れこそしたものの、全く好きになれない。また、他のEDについても、かずさに感情移入していると心から「よかったね」と思えるものが1つもない。
私がこのゲームに対して夢中になったにしては低い評価をした原因は、かずさに対する共感が強く、かつ、雪菜に対する嫌悪感があることにあるため、このレビューでは、かずさへの共感及び雪菜への嫌悪感のポイントについて私の理解を述べ、さらに私のような者にとってこのゲームの後味が悪くなった原因は何なのかについて述べたい。
2.「世界で一番爪弾きにされた馬鹿」
(1)かずさというキャラクターの理解について
どうやら、かずさに共感できない方からすれば、かずさは幼いわがままなキャラクター若しくは記号的な萌えキャラとしてのわがままなお姫様タイプのキャラクターに見えるらしい。しかし、私は決してかずさがエロゲの萌えキャラとして好きなわけではない(私は、麻里さんに指導されて、タイトスカート履いたままストッキング履いた脚で踏んでいただきたいと思うタイプの人間です)ため、この評価には納得できない。
ここでは、かずさのわがままさというのは決して記号的なものではないこと、そして、かずさのわがままさの根幹にある部分に共感する者にとって雪菜は何なのかという点について述べたい。
(2)かずさにとっての春希
項目冒頭に掲げたのは、かずさがcodaの中で附属時代の自分を指して述べた言葉である。実際には、かずさには優しいヘルパーさんがそばにいたし、母にも見捨てられたわけではなく、現実に不自由ない生活を送らせてもらっていたことになる。しかし、少なくともかずさの主観では、母から見捨てられて孤独な一人暮らしをし、学校でも一人きりという世界から爪弾きにされた状態である。
この主観的認識は、黒子のバスケ脅迫事件の渡邊被告人の言葉(http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037503/)を借りれば、「人や社会とのつながりの糸を断たれた浮遊霊」として自己を認識していると言えるだろう。この状況に共感できるかが、まず、かずさに共感できるか否かの境目であるように思う。
自己を「浮遊霊」若しくは、完全に社会とのつながりを断たれていないとしても、つながりが希薄(「浮遊霊」に近い状態)であると認識する者も、その状態の継続を望むことはほぼあり得ないと言っていいだろう。かずさにとって春希は、世界から爪弾きにされた「浮遊霊」だった自分にたった一人手を差し伸べた者であり、すなわちかずさが初めて得た「人とのつながりの糸」なのである。
(3)この理解を前提としての雪菜
以上を前提とすれば、かずさが春希を必死に求め続けるのは、「浮遊霊」だった自分が初めて得られた「つながりの糸」に執着するからであると見ることができる。(これに共感できない人にとっては、「わがまま」という属性をもったキャラだからとしか見えないことだろう。)
そうすると、雪菜は、かずさが初めて得られた「つながりの糸」を奪おうとする存在であることになる。
3.「毎日、毎日、目の前で心抉られ」ること
「あたしの前から先に消えたのはお前だろ!?」
「手が届かないくせに、ずっと近くにいろなんて、そんな拷問を思いついたのもお前だろ!?」
「あんな…毎日、毎日、目の前で心抉られて…それが全部あたしのせいなのかよ…酷いよ…っ」
いきなりセリフの引用から始めたが、このセリフにどれだけ共感できるかが、雪菜に嫌悪感を感じることになるかの分かれ目であるように思う。
自分の恥を晒すようだが、好きだった人がある程度自分に近しい人と付き合い始め、双方とある程度関わりがある故に何も言うわけにいかず、2人に対して沈んだ態度を見せないように注意しながら、ただ2人が楽しそうにしているのを見ているしかない。こういう経験をしたことがある人は、このセリフにそれなりの実感をもって共感できるのではないだろうか。(自分がかずさほど辛かったとは思わないが)
4.かずさに対して以上2点の共感をした者にとっての雪菜
以上、2点についてかずさへの共感のポイントを述べたが、これらを個別にみても雪菜に対して嫌悪感を抱くことにはならない。2で述べたポイントに関しては、雪菜は「ずっと3人でいようね」と言い、かずさから完全に「つながりの糸」を奪おうとはしていない。また、3で述べたポイントに関しては、仮にかずさが先に告白して春希とつきあい始めれば、今度は雪菜が同じ思いをすることになる。
しかし、2点双方について共感すると、雪菜の行動は以下のように感じられることになる。
雪菜と春希がつきあい始めた時点で、かずさに取り得る選択肢は、次の3通りである。①「浮遊霊」に戻らないために、「目の前で心抉られ」ることを耐える、②「目の前で心抉られる」ことを避けるため、雪菜・春希双方との関わりを断ち「浮遊霊」に戻る、③雪菜から強引に春希を奪う。
この時点で、かずさには相当残酷な選択が突きつけられていることになる。そして、雪菜は「かずさには春希くんしかいないって分かってた」のである。つまり、雪菜はかずさが残酷な選択を突きつけられていることを自覚し、かつ、「毎日、毎日、目の前で心抉られ」ることになるのを理解した上でこう繰り返すのだ。
「ずっと3人でいようね。」
かずさを「親友」だと言ったその口で、である。
以上から私にとっての雪菜という人物をまとめるとこうである。
「かずさに対し残酷な選択を迫っていることを自覚した上、『親友』の言葉で③の選択肢を封殺し、『毎日、毎日、目の前で心抉られ』ることを求める悪魔」
5.このゲームの後味の悪さの原因
(1)エンディングについて
雪菜の印象がここまで悪くなると、かずさTRUEでは、そもそもが決して望ましい結末とは言えるものではない中で、やっとかずさが「幸せだ、あたし幸せだよ、春希」と言えた後、雪菜の姿を見せられて終わることに感じるのは、もはや怒りである。(なお、その「望ましくない結末」は、かずさが勝手にヨーロッパに消えたことがそもそもの原因ではないのかという見解があると思われるので、1つ付言しておく。上記の通り、かずさには残酷な選択が突きつけられていたことになるが、この状況のかずさにとって曜子と共にヨーロッパに行くという選択は、雪菜・春希と離れられるため①「目の前で心抉られ」ることなく、曜子が一緒であるため②「浮遊霊に戻る」こともなく、③「親友」を裏切る必要もないものであり、かずさにとって唯一の残酷でない選択肢なのである。母に見捨てられていなかったことに気付いたかずさは、この選択肢の存在に気付いたならこれを選択することは最も合理的な選択であるから、雪菜に対して上記のような感情を持つ者にとって、やはりこの結末は雪菜の行動が原因であるとしか捉えようがない。)
また、雪菜TRUEは、確かに雪菜は頑張ってみんなにとって望ましい結末をつかみとったのだろう。しかし、上述のように「3人でいよう」と繰り返すことが雪菜に対する嫌悪感の根幹になっていると、雪菜の頑張る理由に納得がいかないまま物語が展開し、結末に至ることになる。そのため、このエンディングもやはり心から「よかった」とは思えないものになってしまう。
以上のように、かずさに共感し雪菜に嫌悪感を持つ者には、納得のいくエンディングが一つも用意されておらず、このゲームをすっきりしないまま終えることになってしまう。
では、このゲームはなぜこのような作りになったのか、その原因を最後に考えてみたい。
(2)本作に関する解釈
このゲームは、パッケージの中央にかずさを置き、codaでも雪菜とかずさのストーリーになっているが、実際にはnanachanさんが述べられたように「本作の主人公は雪菜であり、本作はどうしようもないほど雪菜のための物語」なのであろう。ccではかずさがほとんど登場せず、ccの3人・かずさのどのルートでも雪菜の姿を見せられることからすれば、「雪菜ルート以外を私は雪菜BADENDだと認識して」いるというnanachanさんの解釈は正しいように思われる。
(3)なぜこのような作りになったか
このゲームが雪菜の物語として作られたからこそ、かずさTRUEのラストにまで雪菜が登場し、私のような者には後味の悪いものになっているが、なぜそうなったかと言えば、原因は2通り想定できるだろう。
A.丸戸氏は、それを自覚した上でそれでも雪菜の物語を描きたかった、又は、B.丸戸氏は、プレイヤーが2人のどちらに感情移入するかが割れることを見誤り、雪菜の物語としてゲームを作っても後味の悪さを覚えるプレイヤーがある程度の数いることを認識していなかった、のどちらかである。
Aの場合には、もう私にはそもそもこのゲームが合わなかったのだということになるが、実際にはBであるように思う。(本当は、C.後味が悪いと思うのは私とごく少数の者にすぎないため、プレイヤーの感想として無視してもいいレベルという可能性もあるが、いろいろな感想を見ていると、そこまで少数とも思えないので、ここではこの可能性は無視する。)
少なくとも「かずさTRUEのラストシーンを雪菜にしない」というただそれだけで、ここまでの後味の悪さを感じることはなかったし、あのシーンをカットしたとしても、それまでの雪菜の登場の仕方で十分に雪菜BADエンドとして成り立つはずである。自覚的にやっているとすれば、少しは「雪菜の物語」とプレイヤーの感想の妥協点を探ろうとするのではないか。ここまで「雪菜の物語」に振り切ったのは、おそらくある程度の数に後味の悪さを感じさせることを自覚していなかったのではないだろうか。
(4)何を見誤ったか
「丸戸氏が見誤った」と述べたが、少なくとも雪菜とかずさのキャラクターに関しては、自覚的に作りこんでいるだろう。かずさは、自身が「人や社会とのつながりの糸」を持っていないと思っていたことを表す言葉は多数見られ、また、春希がかずさTRUEで全てを捨てて着いていくという雪菜に「そんなの耐えられるわけがない」と語っているように、「浮遊霊」化の恐怖を極めて自覚的に描いている。
私が「見誤った」と考えるのは、「プレイヤーがかずさに共感するメンタリティを持っている可能性がある程度高いこと」についてである。
このゲームはエロゲであり、プレイヤーのほぼすべては「オタク」と称される人のはずである。私は、オタクには「浮遊霊」化の恐怖に共感できるメンタリティがある可能性が高いと考えている。
「浮遊霊」の言葉を使った渡邊被告人によれば、「オタク化の薬を服用すること」というのは、現実逃避の手段として機能すると同時に、上手くいけば「人や社会とのつながりの糸」を作り、「浮遊霊」化を避けるための手段になると言う。アニメやゲームが現実逃避の手段であるかはわからないが、「浮遊霊」化を避けるための手段となる点はその通りであると思う。少なくとも、私は中学時代にオタク化したことにより、その当時自覚的に行ったわけではないにしろ、「浮遊霊」化を避けるための薬として効いたと認識している。
この経験と周囲のオタクのタイプを踏まえると、私はオタクには以下の3類型がいるだろうと考える。
ⅰ孤独感を抱え、「浮遊霊」化を避けるための薬として、若しくは現実逃避として自覚的に「オタク化の薬」を服用した者
ⅱオタク化した際に自覚はなくとも、結果としてオタク化が「浮遊霊」化を避ける薬として機能した者
ⅲ「浮遊霊」化とは無縁であるが、単純にコンテンツとしてオタク文化に接し、そこに楽しみを見出した者
このうち、ⅰ・ⅱの者は、「浮遊霊」化の恐怖を理解することができるため、かずさに共感できるメンタリティーを持つ者である。これに対し、ⅲの者はかずさに共感はできない。(ちなみに、多くの場合、ⅲの者はⅰ・ⅱの者より恋愛においても強いと思われるので、私が述べた2点についての共感というのはある程度は重なり合うのではないだろうか。そして、片方にのみ共感する者だけが、かずさと雪菜両方に共感が可能である。)
以上からすれば、エロゲのプレイヤーとなるオタクには、かずさに共感できるメンタリティーをもった者が一定数いるはずであり、丸戸氏はこれを見誤ってシナリオを書いたために、かずさに共感した者にとってすっきりと終えられないゲームになったのではないかと思われる。
※なお、以上のレビューでは、「~な者は、かずさに共感できる」という表現になり、「かずさに共感できない者は~が理解できない」とも受け取り得る表現になっていますが、私にはそれを批判する意図はありません。
私に理解できる(少なくともしたつもりになっている)のは、かずさに共感する過程であり、雪菜に共感する過程は理解不能であるからです。かずさと雪菜どちらに共感するかは、エロゲのキャラとしてどのようなキャラが好きかではなく、個人の経験・性格によるものだと思うので、理解できないのはありていに言って「お互い様」かと考えています。