100点だけど内容はさっぱり分かりません。
前に、この作品の長いレビューを読んだことがある。
そのレビューはもう読むことができないので、おぼろげな記憶を頼りにするしかないのだけど、いかにこの作品が優れているかを皆に伝えたいのか、非常に論理的に述べていた。
なにしろ、作品に出てきた膨大な量の童話や文学を、一つ一つ挙げて、各シーンの説明や解釈を講じているのだから、たかだかレビューなのに大変な作業だったと思う。
「不思議の国のアリス」もまともに読んだことがない無知な私は、
「へぇ、そうだったんだぁ。あのシーンにはそんな意味があったんだぁ」
と時折感心しながらも、随分とそのレビュアーが間の抜けた人に思えた。
この人は本当にforestを楽しんだんだろうか?
作品の世界に酔いしれるんじゃなくて、難解な作品を前にして解釈を講じる自分に酔っているんじゃないのか?
そんなことを思ってしまった。
私は単純な人間なのか、作家の主張みたいなものにほとんど興味がない方で、それよりは面白いものや綺麗なもの、ドキドキするものを見せて欲しいと思ってしまう。(もちろんとびっきり変わっている主張ならば飛びつくこともあるので、例外はありますけど)
Forestはまずビジュアル面が抜群に奇怪で面白かった。現実と虚構が入り混じったような絵で引き込まれた。
それから語り口や音楽。
「バッグバイパー」が流れるザ・ゲームでは緊張感が煽られたし、「手をつなごう」が流れるラストシーンは一抹の寂しさが伴った感動を覚えた。
はっきりと言えば、知識云々、テーマ云々、解釈云々なんてものはどうでもよかった。
私は「forest」をやって、何が何だか分からないけれど、しかし、「この作品は何かある! 好きだ!」と思った。時々、そういう作品がある。
私は「この作品はわからない」とか「これは難解だ」という人の気持がわからない。
わからなくたっていいじゃないか。やっていて何かワクワクしたり、心の中のいつも眠っている部分が目覚めた感じになったり、新しい感覚(こういうのがカッコイイとか、気持悪いとか、こわいとか、おかしいとか、エロティックだとか……)をかきたててくれて、やり終わったあと「好きだなー。やってよかったー」と思えれば、それでいいじゃないかと思う。
分からなくても何かを感じる事が大切だと思う。そういう感覚を呼び起こさない作品はいくらテーマが素晴らしくても、結局は駄作という他ないと思う。
「難解だ、分からない」という人や、テーマ云々の解釈を講じたがる人は、作品を、①一つの物語としてか、②一つのメッセージとしてしか見られないんだと思う。(といっても、私もゴダールの最近の作品を見て「わからない」と呟いたことがある。でも、それは気持が騒がなかったからだ。意味不明だし、何も感じない)
ラストシーン近くの文章も妙に心に残った。
「それがどうした?
世界が消えるわけじゃない。
俺たちには俺たちのリアルが続く」
「それはまた、別のお話」
(あと、何故か、ザ・ゲームで
「細かいところを気にするな。お前、江戸っ子だろう?」
みたいな軽口が妙に気に入ってしまった。理由はわからない)
文章を改行して、つらづらと心理描写を語る小説とは、一線を画したリズミカルな文章にしたのも良かった。メディアの違いをよく理解していると思った。