クリア後がメインテーマ。ゲーム性は悪い。
この作品を語るうえで、
まず、「キングコア編」と
同社ソフトである「ディアボリカ」を比較して話をしたいと思う。
「ディアボリカ」のレビューは、例えば、
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=440&uid=persue
が私の感覚に合う。
「ディアボリカ」における主人公とヒロインの関係は
本作「キングコア編」と似ている。
(もちろん、「キングコア編」では途中で反転する点が異なるのだが)
また、その雰囲気も退廃的で暴力的、狂気を通して、
その果てにある主人公たちの愛を描こうとするスタイルは、類似のものである。
ディアボリカではその暴力性と狂気を受けるというスタンスであったが、
キングコア編では加害の方を描いたという点が異なるが、
むしろそれがSLGという
「力で人をねじ伏せ、己の正義や意思を押し通す」
というゲーム形体ににあっている。
さらに、その暴虐の極致により人の意志など簡単によじ曲げられるということを
よく描ききっている。
「ディアボリカ」にも、主人公が悪に目覚めるシナリオがあるが、
ここまで惨たらしくはない。
また、「ディアボリカ」はとってつけたようなハッピーエンドであったが、
本作は収束までよくまとまっているという点でよくできていると思う。
「私たち、結婚しました」というエンディング名まで一部の隙もないとしか、
言いようがない。
どちらも「暴力」や「狂気」の前では大義や人間の気持ちすらはかないものの、
それを超えた残りかすの中にある美を描こうとしているという点で
同一のテーマ性を持っている。
蛇足だが、おそらく、この話は同一のライターさんが書いていて
実際、そのライターさんのブログを見ると、
文章を書いているという発言をしている。
年月によりライターの技能が上がっていることが確認でき、
その意味で素晴らしいと思う。
また、おそらくライターさんは女性だ。
女性側からの暴力と愛というテーマの掘り下げという意味で、
極めて貴重である。
閑話休題
さて、「本編」を踏まえて「キングコア編」を考えてみる。
ぶっちゃけ、「キングコア編」は本編の女性を完膚なきまでにこき下ろしている。
さらに、東郷の恋愛もコアの暴虐の前では無意味なものになり下がるのである。
むしろ、東郷のような「お互い楽しければよい」という恋愛
とコアの薬と暴虐を同一視して人間をタンパク質コンピューターまで貶めているとさえいえる。
つまり、東郷の恋愛は、
タンパク質コンピューターを正規の手順で操作して股を開かせることであるし、
コア編の女性の扱いはタンパク質コンピューターに所定の物質と薬を使えば
性的快楽を得てバグらせることができるというものだ
(しかも、それを女性(推定)の側からいうというのがどぎつい)。
また、女性らの掲げる正義(もしくは反正義)も、
彼女らがタンパク質コンピューターであるという前では無意味とこき下ろす。
(そもそも、八紘一宇が元ネタの「世界日本化」も、
少女のたわごととして提示されていることに注意。
本作においては、理想はたわごとでしかないという一つの証左になるだろう)。
人間、理想、全宇宙をぶち壊してその上で、
「私たち、結婚しました」という構成はひどく成功していると思う。
その意味で、本作はよくできているとしか言いようがない。
蛇足になるが、
「本編」は左翼的イディオロギーが誹謗されているように見えるが、
「キングコア編」を踏まえると、右翼的イディオロギーも等しく貶められている。
その実現を決めているのはあくまで暴力でしかなく、
ひとしく相対化されている。
その意味で、このゲームは正義をまったく語っておらず、
イディオロギー的な読み方は
見当はずれであろう
(もっとも、企業のマーケッティングの意図として、
誤読するようにされてはいるだろうが)。
最後に、キングコア編のゲームバランスはよかったが、
本編はひどかった。
そこに意図を感じるが、その分析はめんどくさいのであえてしない。
シナリオ100点だが、ゲーム性から脊髄反射的にマイナス25点。
作りこみもよくないのでマイナス5点。
70点と評価する。